シールと手描きと

2015年5月17日 (日)

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十代の頃、大阪の千日前のプランタンの通りはさんでお向かいあたりに
陶器屋さんがあって、1100円くらいの安いのが並んでいて
そこで購入したものだ。小鉢や小皿は1100円くらいで
角皿はそれでも600円で買えたように思う。30年前だけど。

ほかにもこのシリーズでいくつか買っている。
この青、波佐見っぽい。どうでしょう。

Iroiro

左は上の小鉢とは別の、小皿。
どの器も高台なし。フラットなので安定感がある。
底は滑らないように布目になっている(写真左上)。

手書き風……に見えるけれど、シール(という表現でいいかどうか)の模様。
作るとき、器の上に絵柄を置いてから焼き付ける。
効率のいい大量生産方法というわけだ。
2つを比べると、濃い・薄い、ハミダシ方など、柄がまったく同じでおもしろい。

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(iPhone撮影の限界か。かなり歪んじゃう……)

で、こちらは手描きで、波佐見の永峰窯。
同じように見えるふたつの器の模様が、それぞれ細部が違っている。

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たっぷりした大きさで、使い勝手がいい。
サラダを入れてよし、シチューやスープを入れてよしで出番が多い。
今日のお昼も、これに二色そぼろご飯を盛った。
ぽってりした縁がとくに好き。
ヘビーユースにもしっかり応えてくれている。

実はこれ、大阪の京橋時代(1990年くらい)の、大型ゴミの日の「出物」。
このときの収穫はすばらしく、今でも大事にしているものがほかにもある。
(素晴らしいのでまた後日!)

当時まだ大阪には、大型ゴミの日が月に一度あって
前日の夜には近所をまわって拾ってきたものだ。

先日は吉祥寺で「よろしければどうぞ」と書かれた食器が
飲食店の前に置かれていたのをいただいてきた。
多少汚れていたけれど、家に帰って本気出して磨いたら、
とても器量よしだった。

※波佐見? シールの小鉢 直径11㎝、小皿 直径11センチ
平皿 19㎝×24

波佐見 永峰窯 ボウル 直径15

出西窯 切立小皿

2015年5月16日 (土)

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あめ色といえば、ほかにあるうちのあめ色ちゃんがこちら。
出西窯の三.五寸皿で、ほぼ毎日ヘビーローテーションで使っている。
出西窯(しゅっさいがま)は、出雲への取材の帰り道に
フォトグラファーのなおちゃんの提案で寄り道したのだ。
出西窯には6連房の大きな登り窯があって
ちょうど運良く、伺ったのは年3~4回行われる窯焚きの日で、
作業の様子を拝見させていただけた。

出西窯がどんなに素晴らしいかは今度書く。
私は赤絵に反応する傾向があるけれど
それ以上に、あめ色の器には反応するようだ。

たまらない気持ちになる。
記憶をたどると、子どもの頃、うちに1枚だけあったあめ色のパン皿。
洋食器だったと思うが(今から思えば北欧あたりの)、
いただきものだかノベルティだかで、仲間はずれみたいに1枚だけあった。

たぶん洋食器だったと思う。
その色の美しさ、出自不明の気高さといったら!

いっしょに買ったのが青の切立小皿。

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この青の、深い海のような美しさ。それから縁のフォルム。
とても使いやすいお気に入りだ。

ペアで買ったのをひとつ割ってしまったので、ひとつだけになったけれど
お味噌汁の味見をするとき、そしてお玉置きに、ほぼ毎日使っている。
お手塩として使うのにも、切立小皿は主張があってとても好き。
同じものにもう一度出会えたら、すぐ購入してペアにしてあげたい。
出西窯だからこそ、それも夢ではないことがうれしい。

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買ったときから、青の切立小皿には、ちょっぴり焼きムラがあった。
時間が経って、なんだかいい感じになっている。
あばたもえくぼだろうか。

出西窯には、銘がない。

.五寸皿  出西窯 http://www.shussai.jp/

あめ色の飯椀

2015年5月15日 (金)

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父は陶磁器が好きな人で、時々出張先で、自分の湯呑みだけ買ってくるようなことがあった。
これは、大学時代に帰省したとき
父に連れられて
小鹿田焼と小石原焼の里へ行ったときに買ってもらった飯碗。
どれか買ってあげると父に言われて、迷うことなくこれを選んだ。

この飴色に一目惚れだった。
なんていい色なんだろう。
眺めるたびにうっとりする。
買った時はもちろん、今も。ドキドキしちゃう色だ。

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太陽光の下だとさらに表情豊かになる


麦芽糖の水飴みたいな、べっこう飴のような、
琥珀のような深い色。
光の加減で色が違って見える。
見た目よりも薄手だ。
使う時は少しだけ緊張する。
ご飯をよそうたびに、父のことを思い出す。
あの頃、思春期は、父とうまく喋れなかった。
あんなに早く亡くなるなら、もっともっとたくさん
喋っておくんだった。

10年後に父が死んでしまうなんて、夢にも思わなかったものだから。
ごめんね、おとうさん。
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※直径12.5㎝ 小石原焼 實山窯

「菓子問屋 橋本屋」小鉢

2015年5月12日 (火)

この色が好き、表情のある赤と、高台の紺のライン。
ザ・昭和な感じのフォルムは、ちょっとモダンな感じさえする。
縁はちょっと椿の花びらみたいな波形で繊細なのに、頑丈。
気軽に使え、スタッキングできる。

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本当は縁は金色だったのが、使っているうちに金が剥げてしまった。
かすかに残っているのが上の写真。
無理もない。
実はこのうつわ、私よりもずっとセンパイなのだ。
おそらく60年近く経っているはず。
初めて一人暮らしを始めた高校時代に
実家からもってきたうつわ。
ものすごく好きだったので家を出るときにもらってきた。
煮物を入れても果物を入れても、ちょっとした汁物入れても悪くない。
今も現役で活躍している。

 

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ひっくり返すと、「菓子問屋 橋本屋本店」とある。
祖母が熊本の新市街の電停前でお菓子屋さんを営んでいたときに、問屋さん?からいただいたものと思われる。
私はそこで生まれ落ちて、1歳には次の町(大分)に引っ越したが
祖母のお菓子屋さんの店先や壁やテーブル(簡単なものが食べられるようになっていた)やら、
寝かされていた部屋のことやら、隣が銭湯だったことやら、
公園の噴水がとてもきれいなことやら(生まれて初めて見るものだったから強烈だったのだ)
祖母の会話の端々がふと思い出される。
そういえば、ばあちゃんが亡くなったのは5月。35年前のことだ。

それにしても、ノベルティのようなものだろうに、
こんな目立たないところに名を刻むのかと思う。奥ゆかしい。
子どもの頃、こうした用途でいただく食器には、
側面に堂々とメーカー名が入れてあって、馴染めなかったものだけど
明らかに一線を画している。
そんなわけで祖母・母・娘と三代使われ続けて、いまだに第一線。
洗って伏せるときにはいつも懐かしい気持ちになる。
この子は、あと100年でも平気で活躍しそうなほど闊達に思える。

かわいい。

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※直径11㎝

奇跡の湯吞み

2015年5月10日 (日)

うつわへの思い、忘れないようにぼちぼち残していこうと思います。

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左は私がもともと持っていた湯吞みで(大阪で購入)、2つあったものがひとつだけ残っていたもの。
いきいきと描かれたうさぎが愛らしく楽しげで、てっぷりしたフォルムも気に入っていた。

右ははじめて佐世保を訪ねたときに、器好きの義母からいただいたものだ。
「私の持ってるのに似てるな……」と食器棚をがん見していたら
「よかったらあげる」と言われて、大喜びで持ち帰ったのだが、うちに帰ってさらに驚いた。

私の持っていた湯吞みとまるでペアみたい。
似すぎている。
え? と思って銘を確かめたら、やはり同じ「幸庵」と書いてある。

なんという縁だろう。こんなこともあるのかしら。

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いただいたもののほうが、赤絵が映えてさらに洗練された感じがする。

しかも内側の点々……タイユバンロブションのスープみたい。
でも、こうして2つ並ぶたたずまいがとても好きだ。

見てわかる通り、両方とも金継ぎしてある。
友人のNさんが施してくれたものだ。

じつは東日本大震災で、この2つの湯吞みはまっぷたつに割れてしまった。
うちに帰ると、食器棚の中で、この2つの湯吞みが扉と棚の間に挟まって止まっていて

扉を開くと落ちてしまうという状況だった。でもいつかは開けないといけないわけで。
扉の間から定規を差し込んだり、布を入れたり、なんとかダメージを最小限にしようとしたが
その甲斐もむなしく、目の前で落ちて割れてしまった(あのときの虚しさといったら……)。
大好きな器だったので、割れてもそのまま手元に置いていた。

継ぐなんて思いもよらなかったが
Nさんが「金継ぎを始めたので練習するから」とおっしゃる、ご厚意に甘えた。
降って湧いたようなしあわせな話だ。
継がれたこのふたつの湯吞みが戻ってきた日のうれしさったら。
夢のようだった。

命を吹き返したふたつの器は、おかげさまで今も活躍している。
お茶を入れたり、コーヒーを入れたり、小鉢として使うことも少なくない。
義母は2月に亡くなったので、形見になってしまった。
この器を見るたびに、義母との不思議な縁を思う。
*幸庵窯は、波佐見にあるようです。波佐見。その名を知る前から好きでたまらないもの。
*直径10