十代の頃、大阪の千日前のプランタンの通りはさんでお向かいあたりに
陶器屋さんがあって、1個100円くらいの安いのが並んでいて
そこで購入したものだ。小鉢や小皿は1枚100円くらいで
角皿はそれでも600円で買えたように思う。30年前だけど。
ほかにもこのシリーズでいくつか買っている。
この青、波佐見っぽい。どうでしょう。
左は上の小鉢とは別の、小皿。
どの器も高台なし。フラットなので安定感がある。
底は滑らないように布目になっている(写真左上)。
手書き風……に見えるけれど、シール(という表現でいいかどうか)の模様。
作るとき、器の上に絵柄を置いてから焼き付ける。
効率のいい大量生産方法というわけだ。
2つを比べると、濃い・薄い、ハミダシ方など、柄がまったく同じでおもしろい。
(iPhone撮影の限界か。かなり歪んじゃう……)
で、こちらは手描きで、波佐見の永峰窯。
同じように見えるふたつの器の模様が、それぞれ細部が違っている。
たっぷりした大きさで、使い勝手がいい。
サラダを入れてよし、シチューやスープを入れてよしで出番が多い。
今日のお昼も、これに二色そぼろご飯を盛った。
ぽってりした縁がとくに好き。
ヘビーユースにもしっかり応えてくれている。
実はこれ、大阪の京橋時代(1990年くらい)の、大型ゴミの日の「出物」。
このときの収穫はすばらしく、今でも大事にしているものがほかにもある。
(素晴らしいのでまた後日!)
当時まだ大阪には、大型ゴミの日が月に一度あって
前日の夜には近所をまわって拾ってきたものだ。
先日は吉祥寺で「よろしければどうぞ」と書かれた食器が
飲食店の前に置かれていたのをいただいてきた。
多少汚れていたけれど、家に帰って本気出して磨いたら、
とても器量よしだった。
※波佐見? シールの小鉢 直径11㎝、小皿 直径11センチ
平皿 19㎝×24㎝
波佐見 永峰窯 ボウル 直径15㎝
あめ色といえば、ほかにあるうちのあめ色ちゃんがこちら。
出西窯の三.五寸皿で、ほぼ毎日ヘビーローテーションで使っている。
出西窯(しゅっさいがま)は、出雲への取材の帰り道に
フォトグラファーのなおちゃんの提案で寄り道したのだ。
出西窯には6連房の大きな登り窯があって
ちょうど運良く、伺ったのは年3~4回行われる窯焚きの日で、
作業の様子を拝見させていただけた。
出西窯がどんなに素晴らしいかは今度書く。
私は赤絵に反応する傾向があるけれど
それ以上に、あめ色の器には反応するようだ。
たまらない気持ちになる。
記憶をたどると、子どもの頃、うちに1枚だけあったあめ色のパン皿。
洋食器だったと思うが(今から思えば北欧あたりの)、
いただきものだかノベルティだかで、仲間はずれみたいに1枚だけあった。
たぶん洋食器だったと思う。
その色の美しさ、出自不明の気高さといったら!
いっしょに買ったのが青の切立小皿。
この青の、深い海のような美しさ。それから縁のフォルム。
とても使いやすいお気に入りだ。
ペアで買ったのをひとつ割ってしまったので、ひとつだけになったけれど
お味噌汁の味見をするとき、そしてお玉置きに、ほぼ毎日使っている。
お手塩として使うのにも、切立小皿は主張があってとても好き。
同じものにもう一度出会えたら、すぐ購入してペアにしてあげたい。
出西窯だからこそ、それも夢ではないことがうれしい。
買ったときから、青の切立小皿には、ちょっぴり焼きムラがあった。
時間が経って、なんだかいい感じになっている。
あばたもえくぼだろうか。
出西窯には、銘がない。
※三.五寸皿 出西窯 http://www.shussai.jp/
父は陶磁器が好きな人で、時々出張先で、自分の湯呑みだけ買ってくるようなことがあった。
これは、大学時代に帰省したとき
父に連れられて
小鹿田焼と小石原焼の里へ行ったときに買ってもらった飯碗。
どれか買ってあげると父に言われて、迷うことなくこれを選んだ。
この飴色に一目惚れだった。
なんていい色なんだろう。
眺めるたびにうっとりする。
買った時はもちろん、今も。ドキドキしちゃう色だ。
太陽光の下だとさらに表情豊かになる
麦芽糖の水飴みたいな、べっこう飴のような、
琥珀のような深い色。
光の加減で色が違って見える。
見た目よりも薄手だ。
使う時は少しだけ緊張する。
ご飯をよそうたびに、父のことを思い出す。
あの頃、思春期は、父とうまく喋れなかった。
あんなに早く亡くなるなら、もっともっとたくさん
喋っておくんだった。
10年後に父が死んでしまうなんて、夢にも思わなかったものだから。
ごめんね、おとうさん。
※直径12.5㎝ 小石原焼 實山窯
この色が好き、表情のある赤と、高台の紺のライン。
ザ・昭和な感じのフォルムは、ちょっとモダンな感じさえする。
縁はちょっと椿の花びらみたいな波形で繊細なのに、頑丈。
気軽に使え、スタッキングできる。
本当は縁は金色だったのが、使っているうちに金が剥げてしまった。
かすかに残っているのが上の写真。
無理もない。
実はこのうつわ、私よりもずっとセンパイなのだ。
おそらく60年近く経っているはず。
初めて一人暮らしを始めた高校時代に
実家からもってきたうつわ。
ものすごく好きだったので家を出るときにもらってきた。
煮物を入れても果物を入れても、ちょっとした汁物入れても悪くない。
今も現役で活躍している。
ひっくり返すと、「菓子問屋 橋本屋本店」とある。
祖母が熊本の新市街の電停前でお菓子屋さんを営んでいたときに、問屋さん?からいただいたものと思われる。
私はそこで生まれ落ちて、1歳には次の町(大分)に引っ越したが
祖母のお菓子屋さんの店先や壁やテーブル(簡単なものが食べられるようになっていた)やら、
寝かされていた部屋のことやら、隣が銭湯だったことやら、
公園の噴水がとてもきれいなことやら(生まれて初めて見るものだったから強烈だったのだ)
祖母の会話の端々がふと思い出される。
そういえば、ばあちゃんが亡くなったのは5月。35年前のことだ。
それにしても、ノベルティのようなものだろうに、
こんな目立たないところに名を刻むのかと思う。奥ゆかしい。
子どもの頃、こうした用途でいただく食器には、
側面に堂々とメーカー名が入れてあって、馴染めなかったものだけど
明らかに一線を画している。
そんなわけで祖母・母・娘と三代使われ続けて、いまだに第一線。
洗って伏せるときにはいつも懐かしい気持ちになる。
この子は、あと100年でも平気で活躍しそうなほど闊達に思える。
かわいい。
※直径11㎝
うつわへの思い、忘れないようにぼちぼち残していこうと思います。
左は私がもともと持っていた湯吞みで(大阪で購入)、2つあったものがひとつだけ残っていたもの。
いきいきと描かれたうさぎが愛らしく楽しげで、てっぷりしたフォルムも気に入っていた。
右ははじめて佐世保を訪ねたときに、器好きの義母からいただいたものだ。
「私の持ってるのに似てるな……」と食器棚をがん見していたら
「よかったらあげる」と言われて、大喜びで持ち帰ったのだが、うちに帰ってさらに驚いた。
私の持っていた湯吞みとまるでペアみたい。
似すぎている。
え? と思って銘を確かめたら、やはり同じ「幸庵」と書いてある。
なんという縁だろう。こんなこともあるのかしら。
いただいたもののほうが、赤絵が映えてさらに洗練された感じがする。
しかも内側の点々……タイユバンロブションのスープみたい。
でも、こうして2つ並ぶたたずまいがとても好きだ。
見てわかる通り、両方とも金継ぎしてある。
友人のNさんが施してくれたものだ。
じつは東日本大震災で、この2つの湯吞みはまっぷたつに割れてしまった。
うちに帰ると、食器棚の中で、この2つの湯吞みが扉と棚の間に挟まって止まっていて
扉を開くと落ちてしまうという状況だった。でもいつかは開けないといけないわけで。
扉の間から定規を差し込んだり、布を入れたり、なんとかダメージを最小限にしようとしたが
その甲斐もむなしく、目の前で落ちて割れてしまった(あのときの虚しさといったら……)。
大好きな器だったので、割れてもそのまま手元に置いていた。
継ぐなんて思いもよらなかったが
Nさんが「金継ぎを始めたので練習するから」とおっしゃる、ご厚意に甘えた。
降って湧いたようなしあわせな話だ。
継がれたこのふたつの湯吞みが戻ってきた日のうれしさったら。
夢のようだった。
命を吹き返したふたつの器は、おかげさまで今も活躍している。
お茶を入れたり、コーヒーを入れたり、小鉢として使うことも少なくない。
義母は2月に亡くなったので、形見になってしまった。
この器を見るたびに、義母との不思議な縁を思う。
*幸庵窯は、波佐見にあるようです。波佐見。その名を知る前から好きでたまらないもの。
*直径10㎝