キトラ!

2010年5月13日 (木)

6千人の村に10万人来場? 明日香村、職員総出で厳戒

 奈良県明日香村の特別史跡、キトラ古墳(7世紀末~8世紀初め)で見つかった四神壁画の特別公開が15日に迫った。会場の奈良文化財研究所飛鳥資料館は約1カ月の期間中、10万人の来場を見込んでおり、今週末には人気アーティストのコンサートなどイベントも目白押し。「人口約6200人の村始まって以来の出来事」(村役場)に、職員たちは総出で「厳戒態勢」を敷く。
 同資料館ではこれまで、四神のうち「玄武(げんぶ)」「青竜(せいりゅう)」「白虎(びゃっこ)」が公開されたが、今年は「朱雀(すざく)」が初登場。5回目の特別公開で四神が初めて一堂に会する。過去の1日の最高入場者数は5千人超だが、「今回は1万人を超える可能性がある」(同資料館)という状況だ。
 屋外で多数の行列ができることも想定し、同館は熱中症などを警戒して給水施設やテントを準備。看護師も手配した。待ち時間対策として、キトラ古墳の謎を解くパズルを無料で配り、同館ホームページや近鉄の主要駅でも、待ち時間を表示する予定だ。
 村は14日夕方と15、16日の早朝から深夜にかけ、ほぼ全職員にあたる約80人を招集。普段はのどかな村内の近鉄駅、主要道路などで道案内や交通整理にあたる。
村内では堂本剛さんや秦基博さん、ゴスペラーズが日替わりで出演する石舞台古墳前でのコンサート「楽天世界遺産劇場」(14~16日)や、故・平山郁夫さんの画業をたどる「シルクロード―奈良への道 平山郁夫展」(30日まで)、高松塚古墳壁画の一般公開(16日まで)などの催しが重なる。同村の藤田尚(たかし)・政策調整課長は「これだけ大規模イベントが相次ぐのは記憶にない」と気を引き締める。
 四神壁画の特別公開(6月13日まで)は文化庁と同資料館が主催し、朝日新聞社などが後援する。大人500円、高大生300円、中学生以下無料。問い合わせはキトラりんりんダイヤル(050・7105・5355)。(渡義人) /2010年5月13日(木) asahi.com



そりゃそうでしょ。

わたしだって、行きたくてうずうずしてるのに。

四神見たい!!!   20年来の夢!

折りあらば。もしも見られたら。人生変わるような気がする。まっしぐらになっちゃいます。


星のある町

2010年5月 9日 (日)

ピッとマネして、幼児向け「イコカ」 JR駅員が手作り
 
子どもだって、大人みたいにカードをスッとかざして自動改札を通りたい――。そんなささやかな願いをかなえてあげようと、JR学研都市線の四条畷、星田両駅の駅員たちが、ICカード乗車券「ICOCA(イコカ)」をイメージした手作りカードを希望者に配っている。運賃の必要のない未就学児限定のカードで、子どもたちに人気だ。
 カードは四条畷駅の「なわてっこきっぷ」と星田駅の「ほしだっこきっぷ」。
 当時四条畷駅員だった池田勇太さん(26)らは何度か、自動改札を使ってみたいと親のイコカや切符を取り合っている幼児たちの光景を目にしていた。小学生には「こどもイコカ」がある。「幼児にも記念になるものがあればいいな」と、昨年10月から試作品づくりに取り掛かった。小松隆之駅長(52)に見せたところ、「よし、すぐやろう」と乗り気で、同駅員らは早速、自ら撮影した特急電車などの写真をプリントしたり、動物のイラストを描いたりして昨年11月から「幼児用イコカ」を配り始めた。その後、池田さんが異動した星田駅にもこの取り組みが広がった。
 カードをかざしても自動改札は作動しないが、イコカを使っている気分を味わうことができ、もらった子どもたちはうれしそうに自動改札にかざし、親の後を通っていく。ある駅員はせがまれて、口で「ピッ」と言ってあげたことも。週末には両駅で1日20枚以上の希望があるという。カードを収集している子どももおり、「このカード、もう持っているよ」と言われないように、駅員たちは新作づくりに余念がなく、カードは計11種類になった。
 四条畷駅を訪れた大阪府四條畷市岡山東5丁目の主婦(30)は、子どもに切符を貸した時に、自動改札の人の流れを止めてしまうことが気がかりだった。「これからは、イコカのまねっこをしてもらおうかな」。カードをもらった長男(4)もうれしそうだった。(小池暢) /2010年5月4日(火・祝)asahi.com

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写真やイラストをあしらった様々な種類のカード。自動改札に入らないように「ICOCA(イコカ)」よりも、一回り大きい


とってもうれしくなった記事だった。駅員さん、素敵!


子どものころ、どうしてあんなに大人のマネをしたんだろう。どうしてあんなに楽しかった、こだわったのだろう。
昨日のことのように思い出す。
市場に行ったら、自分も黄色のカゴを持って、母のようにいろいろ品物をカゴに入れて……。
しまいに重たくて持てなくなって、カゴを店内に放置してきてしまう。
そう。子どもの頃からお買い物は大好きだった。

子どもの頃はまだ、普通に買い物カゴというのがあって、お母さんたちは腕に引っかけて出かけたものだった。
当然、子どものわたしの手にも、おもちゃのお買い物カゴが引っかかっている。
お店のやさしいおばちゃんは、わざわざわたしの買い物カゴの中に
母が買った商品を入れてくれたりした。

母がうちにいなければ、鏡台の前でお化粧も存分にやって、あとで何度こっぴどく叱られたか。

母のマネではなかったけれど、
鏡台の前でひとりお姫様ごっこ、やってたなぁ。
タオルケット巻き付けて、アラビアンナイトに出てくるような、遠い異国の姫を思いながら。
子どもの想像力って不思議だ。
たとえおもちゃとわかっていても、マネっこってわかっていても、ぜんぜん違う価値観があるんだよなぁ。
「ピッって言って!」とねだるのに、わかる、わかる!! と大きくうなづくのだった。


ときに。
四条畷(しじょうなわて)とか交野(かたの)とか私市(きさいち)のこのあたり。
地図で見ると「星」のつく地名が多く。星田や星ヶ丘、
ついでに「天の川」とか「彦星」とか「逢合橋」とかもあって、織り姫がご祭神の機物神社がある。
難解地名度密集ぶりもナンバーワン。
古代、この地になにがあったのか。大阪の地図を広げるたびにワクワクしていたもんです。

うどんすき ロハス 招福巻

2010年1月26日 (火)

節分巻きずし「招福巻」呼び名は一般的 イオン逆転勝訴

節分用の巻きずしを「招福巻」の名称で販売した大手スーパー「イオン」(千葉市)と、同名の商標登録を持つ大阪の老舗(しにせ)すし店「すし萬」側が商標権の侵害にあたるかどうかをめぐって争った訴訟の控訴審判決が22日、大阪高裁であった。塩月秀平裁判長は、「招福巻」は巻きずしの名称として一般化していると判断。イオンによる商標権侵害を認めた一審判決を変更し、イオン側逆転勝訴の判決を言い渡した。
 判決は「招福巻」の名称は全国のスーパーや百貨店で広く使われており、社会的にも特定業者の商標とは認識されていないと指摘。商標法が独占的使用の例外とする「普通名称」にあたると判断した。
 判決によると、すし萬(1653年創業)の運営会社「小鯛雀鮨鮨萬(こだいすずめずしすしまん)」(本社・大阪市西区)は古くから「招福巻」を販売し、1988年に商標登録。イオンは06、07年の節分の時期、全国の店舗で「十二単(ひとえ)の招福巻」の名称で巻きずしを販売した。
 08年10月の一審・大阪地裁判決は、提訴したすし萬側の訴えを認め、イオンに商標使用料など約51万円の支払いを命じていた。/2010.1.23 asahi.com


すし萬の小鯛すずめ寿司、おいしいんだよなぁ。
はあ、食べたい。食べたいです。うっとり。
大阪グルメに培われてきたので、いまだにポン酢は絶対に「旭ポン酢」。
昨夜、冷蔵庫のポン酢が切れているのを発見した。うかつにも予備がない!!
そんなとき、WEBで購入できる世の中は、本当に便利(さきほど購入)。
東京に来た当初は、大阪に行くたび旭ポン酢をできるだけたくさん買って、新幹線で帰っていたものだ。

ところで、この判決が通ってしまえば、美々卯の「うどんすき」はどうなるんやろ。
ソトコトの「ロハス」はどうなるんやろ。
わたしの認識は、「一般的に使うも使わないも、登録されとったらあかんやろ」なんだが。
にしても。通念として広がっていくのはうれしい……みたいな思いを
ソトコトに問い合わせをしたときに感じた。

ときに節分。太巻き。
先般のんちゃんに「マリさんはやりますか」と聞かれたので
「あたりまえやん。太巻きもやれば、今までの人生で豆まきを欠かしたことはないぞ」とピースサインでお答えした。
「マンションとかアパートなのに?」と怪訝な顔。
そう。マンションでもアパートでも。そこに窓がある限り。

黒猫のタンゴ

2010年1月 7日 (木)

中之島公園で野良猫ゼロ作戦 施設に保護、飼い主探す
 野良猫の名所になっていた大阪市北区の中之島公園から、猫の姿がほとんど見られなくなった。その訳は公園を管理する市北部方面公園事務所とボランティアが展開する“野良猫ゼロ作戦”。市有地に小屋を設けて野良猫を集め、飼い主探しを進める。ふんをめぐるトラブルなどで問題視される野良猫を、愛猫家に保護してもらって数を減らす一石二鳥の策だ。市は来年度から作戦の事業化も検討している。
 大阪市内のビル街にある市有地に、ひっそりとプレハブ小屋が建つ。中に入ると、広さ約80平方メートルのスペースに全国の支援者から寄せられた猫用のエサが積まれている。壁にはいくつもの棚が設けられ、思い思いの場所に猫がくつろいでいた。
 黒に三毛、シャムなど28匹。いずれも中之島公園に住み着いていた野良猫で、飼い主が名乗り出るのを待っている。ボランティアの会社員、高見かおりさん(43)と妹の庸子(ようこ)さん(42)=いずれも京都市伏見区=は「もともと捨て猫が繁殖したのが大半でしょう」と話す。
 オフィス街に囲まれた中之島公園は、昼食時のサラリーマンやOLなどからえさをもらい、野良猫が繁殖していた。人と野良猫のこうした関係が崩れたのは2007年11月。同公園の再整備工事が始まり、閉鎖された場所に住み着いた野良猫をどうするかが問題になった。猫は縄張り意識が強く簡単には移動しないため、このままでは餓死してしまうと保護を求めるメールや電話が相次いだ。
 公園事務所の職員らが頭を悩ませていたところ、高見さんらがボランティアを申し出た。事務所側は小屋を市有地に置くことを、工事が終わるまでの一時的な「特別措置」として許可。ボランティアがエサやりと不妊・去勢手術をし、飼い主を探す役割を担った。 /2010年1月5日(火) asahi.com

2年前に亡くなった黒猫のタンゴ(実家の母がともに暮らしていた)は
大阪・中之島公園出身だ。
1991年の5月、中之島公園の公衆電話から、仕事中の編集者友人から電話あり。
「いまな、子猫おんねん」
「そんなん、周りに親がいてんねんから、ほっとき」
「でもな、溝に入っててな、あんまり元気ないねん」
「あかんやん。つれてき!」
というわけで、まだ手のひらサイズだった黒猫のタンゴは、一度仕事場を訪れ
そのあとでわたしの部屋の猫になった。
避妊手術をする前に一度出産した。
その日は朝から「行くな」というので、「ほんまに今日産むんやね?」と確かめてから
仕事を休んだ。猫が産気づいたので、と言ってお休みをいただいたと思う。
いい会社だな。

タンゴが産んだ4匹の子猫のうち、3匹はまとめて、
大先輩の女性編集者が引き取ってくださった。
そう、大先輩。
当時のわたしの20歳年上で、ほんの半年たらずしか一緒に働かなかったけども
わたしはその方のやわらかで的確な仕事ぶりが大好きで
彼女が捨てるゲラを「ください」と言っていただいて、参考書代わりにしていた。
とてもきれいな朱書きは宝物だった。今でもあの朱書きは頭にきちんと入っている。
勝手に、彼女の背中をお手本にした。
今でも同じ赤ペンを買う。

彼女からいただいた今年の年賀状に、
「タンゴの子供たち、最後の1匹のランが去年亡くなりました。17歳。大往生です」
と書いてあった。
ラン。覚えてる。シャム猫みたいな猫だっけな。
みんないなくなっちゃったのか……と、少し寂しくなった。

黒に三毛にシャム猫……。
どうかみんながしあわせになりますように。
高見さん、ありがとう。そして永峰さん、ありがとう。

そうだ、京都へ行こう

2009年11月18日 (水)

夕暮れ恋しい紅葉電車 京都・叡山電鉄でライトアップ

 京都・洛北(らくほく)の叡山電鉄鞍馬線で、赤や黄に色づいた「もみじのトンネル」を、電車が走り抜けている。日没から午後9時ごろまでは沿線がライトアップされ、宵闇に浮かぶ紅葉が幻想的な光景を描いている。29日まで。
 もみじのトンネルは、鞍馬・貴船に近い市原―二ノ瀬駅間の約250メートル。約100基の電灯で照らし出され、電車はこの区間だけ車内灯を消して徐行するサービスをしている。年々人気を呼び、待ち望む観光客も多い。/2009年11月18日(水)asahi.com



東京は新宿、高円寺。
京都は左京区、洛北なのだ、わたしは。

出町柳から叡電で2駅目の「一乗寺」という駅に2年ほど住んでいた。
鞍馬・貴船が大好きだった。
貴船神社、もう1年以上ご無沙汰しているなぁ。

京都は特別拝観も始まる時期。ううっ、行きたい。
と思っていたら、きっかけが巡ってきて、来週は京都なり♪

泣いちゃったおばあちゃん。特養のこと

2009年8月19日 (水)

おいしそうな介護食、商品開発に熱 食品各社
 

 高齢者向け「介護食」が進化している。やわらかくのみ込みやすいというだけでなく、おいしそうに見えるのだ。食べてみると、実際、味もいい。高齢化で成長する市場をリードしようと、各社の商品開発が熱を帯びている。
 介護用の食事というと、ミキサーを使うなどして細かくすりつぶすのが基本だった。ただ高齢者からは「何を食べているかわからず、食欲がわかない」と不満が出ていた。
 伊藤忠商事系のヤヨイ食品の介護施設向け食材シリーズ「ソフリ」はゼリーやムース状だが、色や形を元の食材に似せた。豚肉、ニンジン、ホウレンソウのムースを一緒に使ってカレーや酢豚を作るなど、レシピの工夫も可能だ。
 春と秋に新しい食材を追加しており、この秋の商品改定では、見た目に加えて栄養面も改良。豚肉と鶏肉をイメージしたムースにたんぱく質の量を増やした。たんぱく質は加熱すると固くなる性質があるため、「加熱の仕方やでんぷんの量について、何度もやり直してやっと完成させた」(池田竜司マーケティング室長)という。
 マルハニチロ食品は昨年秋、魚の切り身をそのままやわらかく加工した食材「素材deソフト」を発売した。魚の骨を除き、酵素を使った独自技術で、歯茎で身がつぶせるぐらいまでやわらかく加工した。サバ、サワラ、スケトウダラなど5種類がある。
 市販用レトルトで市場をリードするキユーピーも、見た目を重視した商品開発に力を入れている。21日には、小豆の煮汁で色を付けた「やわらかごはん赤飯風」などを発売する。(大平要)/2009年8月16日(日) asahi.com

おいしそうな介護食って、ありそうでなかったのだ。
年寄り分野って、開拓が圧倒的に遅れているというか、
子どもにお金をかける親はあまたおれど、
年寄りにお金をかける子どもはいない(「お金がかかる」ことは多い)。

ミキサー食、かなり懐かしい。
編集職に就く前に、老人ホームで少しだけ働いたことがある。
「これからは福祉の時代。老人介護を仕事にしよう」と、考えてのことだ(お年寄り、好きだし)。
わたしの担当は特養だったので、
お世話するのは、痴呆だったり、からだが不自由だったり、身体的に問題のあるお年寄りばかり。
なかにひとり、口のきけないおばあさんがいた。
目がきちんとしていらしたので、言葉が不自由なだけで、きっと意志の疎通はできているような気がしていた。
おむつの取り替えのときなんかも、いつもこちらが一方的に話しかける。
返事はない。ほんのときどき笑顔になることがある。そんな感じだった。
おとなしい物静かなおばあさんで、わたしの大好きなおばあさんのひとりだった。
ある日、食事の介護をしているときのこと。
ちょうどその、ミキサー食だった。
記事にもあるとおり、ミキサーにかけて、お年寄りが噛まずに嚥下するだけで消化できるようにしてある食事だ。
たしかに安全だけれど、味気ないことこの上ない。

てゆうか。
ほうれんそうのおひたしのミキサー食なら、まだわかる。
でも、たとえば、肉じゃがを全部混ぜたミキサー食って、どうよ!?
当時、そういうものが、おばあちゃんのお食事だった。
介護といっても、スプーンで食べさせてさしあげるだけ(たしかに、介護初心者が食べさせても事故は起きない)。
おばあちゃんは、いつもあんまり食が進まない。
ときどき、イヤイヤに見える仕草をする。でもゆっくり、最終的には食べてくれる。
食べさせながら、食が進まないおばあちゃんを見ながら、なんだかせつなくなっちゃって、
「ねー、さとうさーん、おいしい?(おばあちゃん、まったく無反応)
そうか。おいしくないか。そうだよね。このお食事じゃあ味気ないよね」
とわたしが言った途端、
おばあちゃんは大粒の涙をぽろぽろ流して、泣き出しちゃったんだ。
余計なこと言ってごめんなさい、と反省したけれども、
ミキサー食は相当つらかったんだとも思う。
「ミキサー食」の記事で、あの風景を鮮明に思い出した。

介護食が進化するのはとても素敵なこと。
ようやくそんな時代が来たのか。あれから20年だ。
特養には「味気なくて食べた気がしない」なんて言える方はほとんどいないし、
お年寄りは子ども扱いされるし、効率のためにおむつ、ということもある。
理想と現実の乖離というか、せつない状況がそこにあって
もしかすると、それは今も変わらないかもしれないと思う。
でも、ほんの小さなところからでも、少しずつ変わっていくならいいじゃないか。

ところでわたくし。
特技は大人のおむつ替えです。
書店経験のせいで、ダンボール箱への縄かけもたいへん得意。
引越のときしか活かせないのが玉に瑕ですが(^_^;)
 

素敵なパティシエ、素敵なチョコレート

2009年7月 1日 (水)

Osk200906300029ひこ星織姫、竹の中で逢瀬 大阪のホテルが七夕用チョコ


チョコで作った竹の中に、ひこ星と織姫をイメージしたショコラが並ぶ
 
 リーガロイヤルホテル(大阪市北区)が1階のチョコレート専門店「レクラ」で、七夕にちなんだショコラ「星に願いを」を発売した。ホワイトチョコで作られた本物そっくりの「竹」の中で、「ひこぼし」と「織姫」が「天の川」を挟んで向かい合っている。
 竹を割るとショコラが5粒あり、真ん中が金粉で星空を表現したきな粉味の天の川。梅と日本酒で作ったゼリーと玉露味のチョコの2層構造のひこぼしと、ユズゼリーなどの入った織姫が2粒ずつ並ぶ。
 1日数個限定。税込み2800円。7月7日まで。/2009年7月1日(水) asahi.com



リーガロイヤルホテル(大阪)は、大好きなホテルのひとつ。
いい企画をしはるなぁとうっとりした。
チーフパティシェの市原益夫氏は、ユーモアたっぷり、愛情たっぷりの、とても魅力的な方。
オリジナルのウエディングケーキに、ときどき度肝を抜かれるんだ……。
そして、七夕チョコですかぁ。ロマンチックだな。
パティシエもそうだけど、このホテルに、魅力的な職人さんの多いこと!
惚れ惚れしちゃうんだ。

それにしても、このチョコ、欲しい。
「竹」をバリバリ、ジャイアントパンダみたいに食べたいですな。
……あ、パンダは「笹」だっけ(^_^;)

着ぐるみが好きだ

2009年4月18日 (土)

ラッキーパンダ、会えたら大吉 所沢を練り歩き10年

↓カメラを向けTky200904170069 られポーズをとるラッキーパンダ=埼玉県所沢市の所沢航空記念公園

 出会ったその日はラッキーになれる――。神出鬼没の着ぐるみキャラクターが、埼玉県所沢市で人気だ。その名は「ラッキーパンダ」。「まちの人々に笑顔を」と始めた活動は今年で10年になる。
 ある晴れた日の朝8時過ぎ。所沢市内の大通りをパンダが手を振りながら歩いていた。ペロッと舌を出した、おどけた顔、胸には幸福のお守りの四つ葉のクローバー。
 会社や学校へ急ぐ会社員や学生らは、驚いたり手を振ったり。通勤途中の女性から携帯電話のカメラを向けられると、すかさずポーズをとる。保育園の前では、「ラッキーパンダー」と子どもたちの大きな歓声が飛んだ。
 ラッキーパンダは、月に2、3回、朝の通勤・通学時間帯に市内の所沢航空記念公園周辺に出没する。イベントや商品のPRはしない。「ただ歩く」だけ。ただ、雨にはめっぽう弱い。
 同市在住の漫画家、双団平(そう・だんべい)さん(45)が生み出したキャラクターだ。99年12月、営むギフトショップの宣伝用に、パンダの着ぐるみに、チラシ入りのティッシュを配りに行ってもらうと、子どもたちが群がってきたという。
 「普通にまちを歩いた方が喜んでもらえるかも」
 00年2月ごろから、まちを歩くようになった。初めは名もないただのパンダだったが「会えれば、その日はラッキーになれる」とのうわさが生まれ、「ラッキーパンダ」になった。
 2年前の2月、自転車に乗った男子学生がすれ違いざまに声をかけてきた。「パンダ、受験頑張ってくるよ」。間もなくラッキーパンダのホームページの掲示板にこんな書き込みがあった。「パンダに会えてテストが思ったよりできた。合格発表の日にも会いたい」
 一方で、不審者に間違われて警察に通報されたことも。静岡県で、子どもがリスの着ぐるみを着た男にわいせつ行為をされる事件が起きた時、周囲から「やめた方がいい」と諭された。けれども、双さんは「ここでやめたら『変わった人』で終わってしまう。続ければわかってくれる人もいるはず」。
 まちを歩き続けて10年、存在は広く知れ渡り、地元のイベントに呼ばれたり、タウン誌に紹介されたり。01年からは地元の地方新聞に4コマ漫画も描いている。
 「小さな幸せに、気づいてもらうきっかけでありたい。閉塞(へいそく)感から、人々の心に余裕がなくなっているように思う。まだまだラッキーパンダは必要ですね」(中野龍三)/2009年4月17日(金)


ラッキーパンダ。
道で会ったら、やっぱりわたしも写真撮るだろうな。
普通に歩いていたら……。
想像するだけでもう、うれしくて胸が張り裂けそうだ。

なぜか着ぐるみに弱い。動く人形系には心底ヤラれてしまう。
子どもの頃から人形に囲まれて大きくなったのだが、当然、人形には魂があると思っていた。
アニミズムのなかで育てられたので。
いや、正確には、今もあるとホントは思っている(ま、人形だけじゃないんだけど、長くなるのでまた今度)。

だもんで、人形が動いたりするのを見ると、感極まってたまらなくなるのだ。
「人形が動く」といえば、今はなき「宝塚ファミリーランド」の人形館も大好きだった。
世界各国の人形が踊っているなかを、フロートに乗って進んでいくというもの。
子どものころ、行くたびにうれしくてよく泣いた(5~7歳)。
そういえば大阪の花博に勤務した初日、デイリーパレードのフロートに乗った着ぐるみを見て、
涙が止まらなくなったことがあったな(25歳当時。遠い目)。

道でばったり着ぐるみに出くわしたりすると……本当は抱きつきたい。
イタイ人みたいだからやらないけど。衝動を抑えるのにちょっと必死だ。
先日事務所の近所でローソンがオープンして(どうでもいいけど、300メートル以内に4軒のコンビニはどうよ)、
からあげクンが立っていた。
それがからあげクンだとしても(からあげクンはブツなので、人形やぬいぐるみのカテゴリーと微妙に位相が違うのだ)、
胸がきゅんと締めつけられるのに変わりはない。
自制して抱きつきはしなかったけれど
寄っていって、「写真、撮っていい?」と聞くと、ポーズをとってくれた。からあげクン、やさしいぞ♪
「見る?」 撮った写真を披露しようと、携帯の画面を見せたら
「あれ、見えない、見えない」と、着ぐるみのなかから声がしておかしかった。
その声で、わたしの夢は軽くこわれるんだが。ま、いいか。

着ぐるみの帝王といえばミッキーマウス!(着ぐるみといったら、本当は某団体に大目玉くらいます) 
ディズニーランドに、プライベートで行ったことはないけれど。
カレと会うのはいつも全部仕事だけど。
間近で触れるとあの魅力はたまらない。キュートだし、紳士だし、カッコイイし、でもかわいいし。
一回会うと、もうダメだと思う。恋に落ちる。

待ち合わせて(ミッキーと!)撮影させていただいたことがあるけれど、
ポージング完璧! 目つぶりナッシング! どんなモデルよりもスゴイ。
ロールが全部使える!!! 最高のプロ根性で惚れまくった。

……一度、ディズニーランドに「遊びに」行ってみたいなぁ。
バリのリッツ・カールトン(「アマナリゾート」に名称変更)にプライベートで行って、
思いきりリゾートしたいのと同じ。なんならバリじゃなくて、ハワイだって構わない。
行ったときにはいつも、あの非日常的な空間を尻目に徹夜の作業を繰り返し、
目の前に広がるリゾートはただの背景になってと、
忙殺されているから、
一度のんびりリゾートしてみたい。それがわたしのリベンジ(遠い目)。

某健康雑誌(休刊)の編集長が、今、そのアマナリゾートで奥様と滞在中だ。
旅行の前に、「館内のキシックバーのディナーはおすすめです」とアナウンスしてたのだが。
「“キシックバー”、すばらしかったですよ」と、携帯に彼からメールが届く。
バリ島、現地からでR。
うらやましすぎるぞぉ。


↓で、ミッキーじゃなくて、からあげクン。不憫だな。街で見かける不憫ちゃん探しが好きだ。

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大阪の動向

2009年4月 3日 (金)

課長も抜擢、春の人事 異例の部長総入れ替え 橋本知事

 大阪府の橋下徹知事は1日、大規模な人事異動を発令する。「ひな壇部長」と呼ばれる九つの部長ポストをほとんど入れ替え、課長級を部長に抜擢(ばってき)する「公務員の常識ではあり得ない」(府幹部)という異例の人事だ。庁内には不満と不安が渦巻くが、橋下知事は「反発がなければ改革ではない」としている。
 「部長の総入れ替え。こんな異動は過去にない」。府幹部がそう漏らす今回の人事異動は「ひな壇部長」の入れ替えが最大の特徴だ。府議会の本会議場で議員たちと向き合い、橋下知事とともに2列の壇上に並ぶ九つの「ひな壇部長」ポストは、3人が中途退職、3人が外部派遣、3人が別の部の部長に替わる。
 2月下旬、知事室に呼ばれたある部長は橋下知事から「後進に道を譲っていただけませんか」と告げられた。定年の60歳までまだ数年。後任への不安もあり、「もう1年やらせてください」と頼んだが、聞き入れられなかった。
 庁内で波紋を広げたのが外部法人への派遣だ。府人事室は「現場重視の人事配置」と説明するが、派遣される部長の一人は「本庁から周辺への明らかな左遷」と肩を落とす。府幹部は「今回の人事は知事に意見した人が左遷させられている」と解説する。
 部長らは、橋下知事が庁内の反対論を抑えて補助金削減を進めた「大阪センチュリー交響楽団」や、橋下知事の特別顧問と府職員との間で意見対立があった関西空港の活性化策などの難題で、橋下知事と議論を戦わせた。部長の一人は「覚悟はしていた」。
 橋下知事は今年1月の幹部あてメールで「公務員組織の不文律を壊す」と宣言し、「いったんひな壇に上がった部長を落とします」と予告していた。ある幹部は「意見を言う古参の部長がうっとうしかったのだろう」と見る。
 「降格」とともに「公務員の常識からみたら異例」とささやかれているのが課長級職員の「飛び級昇任」(人事室)。出先機関の所長が2職級昇任し、ひな壇部長の一つに就く。府の「職員の任用に関する規則」では部長就任には2年間の次長級経験が必要と定めていたが、橋下知事は特例を定めて認めさせた。
 「庁内秩序が混乱する」との忠告もあったが、「職場に非常に活気があり、よく頑張っている」と評価したという。所長は橋下知事の選挙公約でもあった「校庭の芝生化」に熱心に取り組んできたことでも知られる。所長は「自分の熱い気持ちが伝わったのかな」と話す。
 「価値観の共有」を求めてきた橋下知事は1日の組織改正で「戦略本部会議」を新設。知事、副知事らが府政の基本方針を策定、数値目標を各部局に作らせ、達成度をチェックする。自分の考えを組織に浸透させ、目に見える実績を職員に求める体制だ。
 橋下知事は31日、本格的に取り組んだ人事について「庁内の価値観と僕の価値観の衝突はあったが、この組織の最終責任は僕が負う。だからこそ、自分が納得する権限の行使はさせてもらう」と報道陣に意気込みを語った。(尾崎文康、春日芳晃)/2009年4月1日(火) asahi.com

大阪在住の頃、横山ノックに投票した。
まさか彼が知事になるなんて、だれも思っていなかったと思う。
でもノックさん、がんばりやー、そんな思いの大阪人が圧倒的に多かったんじゃないかな。
横山ノック当選にいちばん驚いたのは、一票を入れた府民だったのではないかと振り返る。

橋本さんが立候補したとき、わたしはもう府民ではなかったけども
「なんでやねん」と思った。否定的だったけれども、彼は当選して、知事になった。
大阪だからということもあるけれども、なんとなく、大阪の動向(彼の動向)は、いつもなんとなく気になっている。
今までのどの知事よりも気になっている。

先日の府庁のお引っ越しは夢破れ、WTCは事実上の倒産。
橋本知事、あきらめるところはちゃんとあきらめてもいるんだな。

で、この人事だ。やるなぁ。強気だなぁ。
と思ったら、本日2日のニュースでは、府庁建て替えの国の決定に噛みついていた。
橋本知事の言っていることは正しいと思う。
そんな金があるのなら、正しく大阪のために使ってくれと思う。
もう府民じゃないけどさ。
大阪に行ってタクシーに乗って運転手さんと話していたら、やっぱりなんとかなんないかと思うもの。

校庭の芝生化はわりとどうでもいいけどな、わたしは。

カーネルおじさん、発見

2009年3月17日 (火)

たかが人形になぜ夢中 カーネルおじさんに重なるあの頃

 阪神タイガースのリーグ優勝に興奮したファンに大阪の川に投げ込まれ、24年間、ヘドロに沈んでいたカーネル・サンダース人形。「うちに置かせて」「メガネを贈る」「汚れたまま残して」と、なお身辺が騒がしい。たかがおじさんの人形1体に、なぜ人はこんなに心躍らせるのか。
 85年10月16日夜。阪神のリーグ優勝に喜び、大阪・道頓堀に集まった群衆のなかに、高校生だった落語家の桂福若(ふくわか)さん(40)もいた。熱狂のなか、自分も黄と黒のパンツ1丁になり、道頓堀川に飛び込んだ。気づくと、一緒に行った後輩がカーネル人形を川に放り投げていた。
 余韻を引きずり、翌朝、高校の池に飛び込み、中退が決まった。
 テレビで見た人形はヘドロまみれだったが、銀色に輝いて見えた。「値打ちものになってよう帰ってきた」と胸が熱くなり、あの頃を思い出した。「そう言えば、あのときの飛行機事故で友達の友達が亡くなったなあ」
 高校中退後、むちゃもしたが、いま、天満天神繁昌(はんじょう)亭など大阪を中心に公演する。「カーネルさんみたいに、だれにも出来ひん人生を歩んで、値打ちもんになりたい」
 85年は、大阪行きの日航ジャンボ機が墜落、豊田商事の会長が大阪で刺殺された。「ロス疑惑」で輸入会社社長(故人)が逮捕されたのもこの年だ。
 「タイガースファンという生き方」の著書があるフリー編集者、新保信長さん(44)は「胸騒ぎがする時代に、気持ちを高ぶらせたのが虎フィーバー。その究極がカーネルのダイブ。しんどくなったいま、その姿をみると、最高にいい時代を思い出させてくれる」と話す。
 当時、京大助手だった京都造形芸術大大学院長の浅田彰さんは85年10月17日付の朝日新聞紙上で、阪神優勝の熱狂について「関西が徹底的に壊滅する予兆。グリコ・森永事件や山口組・一和会抗争、豊田商事会長惨殺など関西を舞台にした一連の終末的な異常事態の総括として荒れ狂うタイガース・ファンの姿がある」と説いた。
 大阪を拠点に活動する作家の有栖川(ありすがわ)有栖さんは、社会人3年目、作家としてデビューする前で書店の店長をしていたとき、その記事を読んだ。実際、関西は企業が次々と東京へ本社を移すなど存在感が薄くなっている。
 「でも、カーネルは24年ぶりに川底から『浮上』した。人が騒ぐのには、85年以来、下り坂の大阪が、以前のように『浮かび上がりたい』という祈りのようなものがあるのでは」という。
 阪神の私設応援団の元代表で、兵庫県尼崎市で板金工場を営む西河秀文さん(65)は85年のあの日、神宮球場で優勝を味わった。カーネル人形の救出劇を見て「朝から晩まで真っ黒になって働き、試合も欠かさず見たなあ」と懐かしい思いがこみ上げた。
 15歳で集団就職で香川県から大阪に出てきた。34歳で工場を構え、85年のプラザ合意を機に生まれたバブル景気に乗って、一時は従業員を20人雇った。だが、バブル崩壊とともに目の病気を患い、不況で仕事を縮小し、応援団も離れた。「沸き立ったあの時代、私も脂ののりきったあのころにかえりたいなあ」
 道頓堀ではわずか1年前、「くいだおれ太郎」が、店の閉店を機に脚光を浴びた。「人形の誘惑」の著書がある国際日本文化研究センターの井上章一教授は「人形への特別な思いをもつ民族性」を指摘する。日本ケンタッキー・フライド・チキンによると、米国人の創業者をモデルにしたカーネル人形を店頭に置き始めたのは日本。現在も海外ではほとんど例がない。
 井上教授はその上で「道頓堀が特別な地だから」と言う。芝居小屋が並び、派手な看板や人形が文化として根づいた街だった。小屋が姿を消した後も、企業の広告として太郎やカニ、フグなどの看板が並ぶ。「もし、カーネルが淀屋橋のものだったら、こんな風には騒がないでしょうね」(高木智子、浅見和生)
     ◇
 〈道頓堀〉 大坂城築城で功を上げ、城南の土地をもらった安井道頓と、いとこの安井道卜(どうぼく)が水運の便をよくしようと、1612年に仲間と自費で開削。工事中の1615年、大坂夏の陣で道頓が戦死し、大坂城主がその死をあわれんで堀を「道頓堀」と名づけたのが由来と伝えられる。堀は道卜らが完成させた。江戸後期には周辺に歓楽街が広がり、いつからか一帯を道頓堀と呼ぶようになった。/2009年3月15日(日) asahi.com

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コバタバタしていたら、いつのまにか、カーネルおじさんが川底から発見されていて、
時の人になっていた。
この2月にO氏と道頓堀を歩いたとき、川岸がきれいになってホントに驚いたんだ。
なんでこんなに工事しているのに、カーネルおじさんが見つからないのか不思議だったけど、
ようやく見つかったわけだ。
よかった、よかった。

話がデカくなりすぎたから、絶対言えないと思っていたけれど、桂福若さんも言ったから、いいか。
カーネルおじさんを投げ込んだのは知人だった。
大学2年生の時、同じ長屋に住んでいたゲーダイの2コ上の先輩一派が(オール男性)、お茶目が高じてやった。
こっちもハチャメチャだったけど、あちらもハチャメチャで、少々ベクトルが違ったのだ。
ベクトルは違ったけども、うちの飼い猫は、生まれた子猫を何匹か
彼の部屋のタンスの引き出しに持っていった(隠したらしい。たぶん、うちに人が来すぎるからだ)。猫、シンパシーを感じたのか!?
ある日長屋の先輩が「中村さーん(当時)、これ、中村さんの子猫じゃない?」といって
生後2週間の猫を2匹、困り顔で届けてくれた。
「タンスの引き出し開けたら子猫がいるんだもん。びっくりしたぁ」って。
ちなみに、カーネルさんを落としたあとは「ちょっとやりすぎちゃった」って、先輩たち、反省してた。

カーネルおじさんと聞くだけで、あの長屋のこととか、
仲間の阪神優勝・道頓堀殴打事件とか、
王将の餃子50円セールとかを、まるで昨日のことのように思い出す。
たしかに懐かしい。懐かしくて甘酸っぱい……気もする。
85年。不思議な年だった。たしかに。


大阪と人形文化と聞いて、えらく納得してしまった。
なるほどね! わかる、わかる♪

大阪のおばちゃん

2009年3月13日 (金)

<ひったくり>被害の71歳女性、32歳男追い取り押さえ
 7日午前8時ごろ、大阪市生野区林寺4の市道で、自転車に乗っていた同市東住吉区のパートの女性(71)が、前かごに入れていた手提げバッグを後ろから自転車で近づいた男に盗まれた。女性は自転車で約350メートル追い掛け、男を取り押さえた。大阪府警生野署は窃盗容疑で現行犯逮捕した。女性にけがはなかった。

 男は住所不定、無職、早川英治容疑者(32)。女性は「腹が立ったので絶対つかまえたろうと思った。(容疑者が)若い子やったので、気の毒やわ」と話しているという。

 同署によると、女性は被害現場から約200メートルの路上で、自転車を乗り捨てた早川容疑者にいったん追いつき腕をつかんだ。同容疑者は振り切ってさらに逃走。女性は追跡をやめず、150メートル先で捕まえた。バッグに入っていた現金は110円だった。

 早川容疑者が乗り捨てた自転車はチェーンが外れていたという。5日夜には約5キロ離れた場所で自転車の女性を狙ったひったくりが2件発生しており、関連を調べている。【衛藤達生】/2009年3月7日(土) 毎日jp

「若い子やったから、気の毒やわ」て、……余裕の発言。さっすが。
世界に誇る大阪のおばちゃんです。

あめちゃん。

それから傘のつけられるハンドルの自転車。

めーっちゃ強い押し。

ええよなぁ。

現場の底力、見せたれ! まいど1号成功

2009年1月23日 (金)

まいど1号の分離成功 H2A15号機

 大阪府東大阪市の中小企業が開発した小型人工衛星「まいど1号」が、23日に打ち上げられたH2Aロケット15号機から無事、切り離されたことが分かった。宇宙航空研究開発機構から関係者に、発信電波を受信したとの連絡があった。/2009年1月23日(金) asahi.com

やった~! ついに打ち上げ成功!!
現場の底力、見せたれ~!!

東大阪市というのは、工場集積率ナンバーワンの街。
その東大阪の中小企業(というか、零細企業)の、日本というか世界というか、
製作の現場を支える方々が、知恵を集めて作った宇宙開発プロジェクトだった。
ほとんど手作りの人工衛星で、聞くところによると名前も深くは考えんとつけられたらしい。
「辛気くさいときやからこそ、夢のあることしいひんと」、
最高のノリだと思う。

自分の血中関西濃度の高さにも、あらためて気づく。

http://www.sohla.com/index.php

そんな「城」でいいのか

2009年1月 9日 (金)

大阪府庁WTC移転、橋下知事「怨念の城、替えたい」
大阪府の橋下徹知事は9日、大阪市の第三セクター所有の超高層ビル「大阪ワールドトレードセンタービルディング」(WTC)への府庁移転を推進する専従チームを発足させた。「今までの城主の怨念(おんねん)がこびりついている府庁から、城を替えさせてほしい」と担当職員を激励した。
 発足したのは庁舎移転構想推進チーム。職員11人がWTCビルの買い取り価格や防災機能の検討、庁舎移転を含めた都市構想をまとめる。
 橋下知事は大阪城をのぞむ府庁を「城」にたとえ、庁舎移転が職員の意識改革や経済対策につながると強調。「今年、国の形や行政のありようが大きく変わる。大阪の行政が変わったという象徴としてWTCへの城の移転を絶対に実現したい」と述べ、2月議会に向けて府議会を説得する考えを示した。
 府議会には「ここは豊臣秀吉の時代から大阪の政治・行政の中心地」と現在地からの移転に反発する声も根強い。(吉浜織恵) /2009年1月9日(金) asahi.com


今年のマイブームのひとつは、「江戸城の霊的守護と四神相応」について。
もともとは、四神相応の地に造った、桓武天皇の平安京の話がしびれるほど好きなのだ。
「四神相応の地」とは、方角にはそれぞれ霊的な獣が守るのがいちばん強い場所であるという、風水・陰陽思想に基づくもの。
土地は、東に「青龍」(川:平安京は鴨川)、西に「白虎」(道:平安京は山陰道・山陽道)、南に「朱雀」(池や沼地:平安京は巨椋池。今は埋め立てられている)、そして北に「玄武」(山:平安京は船岡山)が棲む場所に囲まれるのが理想とされる。
平安京は、この則に従って造られた都で、
さらに要所にすべて強力な社寺を置き、完全な霊的守護の結界のなかにある。
以来、みなさんもよくご存じのとおり、2000年もの間、京は栄え続けるわけですよ。今も!
※桓武天皇は闇の力に相当怯えていたとも見てとれる(一説には、桓武天皇は渡来人説もあり、これはかなり有力)。

で、家康は、この平安京を手本に江戸の都を造ったといわれ、中枢にあるのが江戸城になる。
彼も相当に霊的守護を意識しており、このへんの話は面白すぎるので
わたしの今年の課題でもある。東照大権現にふたたびお参りしなければ!

さて、9日の橋本知事の「城を移す」話を聞いて。
たしかにWTCは地代も安かろう。
南港は、再開発にはもってこいの地かもしれないけれど(いや開発したけど、「しきれていない」印象)、経済効率もよさそうだけど、
いみじくも「城」というからには、こんなに簡単に造ってしまっては先が思いやられると感じた。
守りを固める場所にならない、WTCは。
だからといって、現府庁舎がいいわけでも決してないけれども。
そして「怨念がこびりついている」には、同感も同情もするけども。

余談だが、母方の系譜を二代遡ると、「徳川」になる(明治時代。九州の徳川って、よくわからないけど)。
曾祖母は、お嫁入りで「徳川」から一般の苗字になるのが、とてもいやだったそうだ。
わたしはその曾祖母の「生まれ変わり」といわれて育った。
「おいちの方」と呼ばれていた曾祖母とは会ったこともないけれど、いつも身近に感じている人、今も。