熊本城はきっと10年で立ち直る!

2016年7月 8日 (金)

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在りし日の熊本城
本丸前(熊本城公式サイトより)

1607年、清正公さん(せいしょこさん)こと加藤清正築城。
西南戦争の戦場となったことでも知られる。西郷さんに
「おいどんは官軍に負けたとじゃなか。清正公に負けたとでごわす」
と言わしめた、それは堅牢なお城。日本三大名城のひとつでもある。

その熊本城が、熊本地震で甚大な被害を受けた。
熊本城は石垣修復に350億円(文化庁試算)建造物の被害状況はまだわからないそう。


復旧には20年かかるのではないかといわれている一方で
先日出席した、「第1回 九州魅力発掘大賞 表彰式」では
20年と言われるのなら、10年でやりとげたい」という力強い声を聞いた。
熊本城の観光ボランティアガイドである「くまもとよかとこ案内人の会」吉村徹夫会長だった。
「実は熊本城は被災と復旧を繰り返してここまで来た。
江戸時代には地震で3回、風水害で6回被害を受けて、
そのたび清正公さんの建てた通りに修復している。
江戸時代から大切に保存してきたからこそ、現在の熊本城がある。
今回の地震で大きな被害を受けてしまったが
先人に恥じないように、私達も清正公の熊本城を守り、しっかり修復していきたい。
そして力強くここから復活していく熊本城を、たくさんの人に見てほしい。
私達が心をこめて、その修復する過程をしっかりガイドをするから」と、吉村会長。

熊本城公式HP ※一口城主制度の詳細ありリンク

くまもとよかとこ案内人の会リンク) 
※無料だが、ガイドの交通費2000円は必要。3日前までに要予約

熊本県への義援金一覧(熊本県公式サイトより)リンク


表彰式の会場のモニターで、傷ついた熊本城が映し出されるのを見て泣けた。
熊本地震のニュースで、大怪我をした熊本城の映像が映し出されると、そのたび涙腺崩壊。
何度見ても泣けてきちゃうことに、はじめは自分でも驚いていた。
私自身も熊本出身だが、家族の中でも、私が実際に熊本に住んだのは生後1年間だけ。
各地を転々として育っているので、故郷と呼べる場所はない。
1年しか住んでいないから、「熊本出身」というのも気恥ずかしいような、後ろめたいような。
なのに、はからずも今回の地震で、自分の中に流れる熊本の血を、強く意識することになった。
震災の被害映像を見るとつらさや苦しさを感じるのはみんなそうだと思う。
東北の地震のときもそうだった。TVを直視できなくなる。

でも、それともちょっと違って、体の奥がえぐられるような痛みに近い。
その痛みについて、実家の母(熊本出身・大分在住)に尋ねてみたら、当たり前だと言われた。
「熊本城は私達の象徴だもの」そんなことを言った。
熊本城が自分のアイデンティティになっている、それならわかる。
父も母もお城とともに暮らしてきた人だし、
兄は婚姻のときに決める本籍地を、熊本城の住所にしたような人だし。
自分は1年しかいなかったので、そんなに縁深くはないと思っていたけれど
どうやらそんな問題ではなかったことに半世紀経って気づいた。

先の吉村会長の話を聞きながら、泣けるのをぐっと我慢していた。
そう。熊本はきっと蘇る。かならず元気になる。
そしてお城も、きっと大怪我から立ち直る!

そういえば、東京に来たとき、「清正公前」という交差点の看板を見て驚喜した。
「せいしょこさん、東京にも名前が残ってるなんて、すごーい!!!」

今年のぼした祭り(「藤崎八旛宮秋季例大祭」)は開催されるだろうか。
こんな時だからこそ開催されるといいな。

白いカーネーション

2015年5月10日 (日)

510日、母の日。
今日は亡き佐世保の母の誕生日でもある。誕生日と母の日が重なるのは珍しい。
今年のはじめ、容態は悪かったけれど、奇跡が起きて元気になってくれたらいいと思いながら
手帖に誕生日を記した。本当は75歳のはずだった。

と、ウィキペディアで調べてみたら、メキシコとエルサルバドルとグァテマラでは
毎年510日が母の日なんだな。
母に教えてあげたかった。

うちに帰って仏壇に挨拶したら、夫が買ってきた
白いカーネーションが一輪供えてあった。
とても寂しかったけれど、とてもその場に馴染んでいた。
ああこういうことなのか、だから「白」なんだと合点がいった。

「お母さんが亡くなっている人は、白いカーネーション」と、子どもの時に知ったときは
なんだかせつなくてさびしくてたまらなかったのだが
仏壇のカーネーションは凛として清々しく、美しかった。
息子の選んだ花に、母はことのほか喜んでいるようだった。

そうそう。510日は、黒猫のタンゴの12回忌でもある。
はやいなぁ。

模様替え

2015年3月17日 (火)

 子どもの頃からお片付けが好きだった。
(だからといって、デスクの上がきれいかというとそうではありません)
そして模様替えがすごく好きで。
親に言っても嫌な顔をされるので、
たいていは自分ひとりでタンスやらベッドやら本棚やら机やらを動かして
悦に入っていた。

大人になってもやっていることはあまり変わらないみたいだ。
模様替えが好きな理由は
今より快適な状況を作れるかもしれない、と思うと
いてもたってもいられなくなるのがひとつ。
それから、動かしながらものと心を通わす過程が好きなのがひとつ。

「あれ、いいかも!」が思いつくと
心が未来にいってしまい、落ち着かなくなってしまう。
気持ちが先にレイアウト済みの空間に入ってしまって
今ある空間に違和感を覚えてしまう、強烈に。

しかし、ぴたっとはまったと自分で納得すると
そこからはほぼ動かさなくなります。
決して動かすことが好きなわけではなく
快適だと感じるものをつくることが好きなのです。そして
ものごとには自分にとってのベストな配置というのがあるのです。おそらく。

事務所の模様替えもほぼ目処がたってきました。

ああ楽しい。

177

2015年2月19日 (木)

子どもの頃、親の目を盗んでしばしば177に電話した。
天気予報をとてもおもしろく感じたからだが
母に知れると「電話代が上がる!」と叱られた。

中学の理科の授業で天気について学んだときはうれしかった。
自分で天気を書き込んでいくのの、なんと楽しいこと!
NHK第2ラジオで夜、全国の天気を読みあげるのを書き取るのも好きだった。
アナウンサーが抑揚のない声で読み上げる各地の天気や気温、風速を
記号でシャカシャカ書きあげていくやつだ。
好きな割にはあまりきれいには仕上げられなかったんだけど、いつも。

ひとり暮らしが始まるとしょっちゅう117に電話した。
仕組みが知りたかった。
週間天気予報にもときどきかけるようになった。
もう少し大人になると、仕事で、職場から電話するようになった。
予報の出ていない先の仕事も、なんとなく予測をつけて対策するようになった。

最近、とてもうれしいのは、スマホでいつも天気が見られること。
一日に何度見ていることやら。
撮影がらみだと晴れて欲しいけれど
ふだんは晴れるとうれしいとか、雨だと残念とか、そんな話でもない。
訪れる天気、変わりゆく天気が、ただただおもしろい。
変わり続けるので心惹かれるのかもしれない。天気は時の流れにも似ている。

現実的には、気温の予測を頭に入れて、翌日の体感をイメージする。
予報通りなら、予報の精緻に感動するし、はずれると理由を想像したりして。
気象庁だけじゃなく、ウェザーニュースという選択肢もできて、差を眺めるのも楽しい。

今の家に引っ越してきてから、氏神さん(高円寺氷川神社)への
月曜日の参拝とおついたち詣りは欠かさない。
境内には、「日本で唯一」と書いてある気象神社がある。
お祀りしているのは八意思金神(やごころおもいかねのみこと)。
天の岩戸開きで活躍なさる知恵の神様で、こちらではお天気の神様でもある。
いつもお参りさせていただくことだし
今年はお札をいただいて家の神棚にもお祀りすることにした。
なんといっても、天気予報が大好きですから。
すーっと未来と過去とがつながった気がした。

おいしいコーヒー

2015年1月19日 (月)

先週は社長が秩父へ取材だったのでコーヒーが飲めなかった。
弊社は日に一度、社長がコーヒーを淹れる。
社長の淹れるコーヒーはものすごくおいしい。
豆からこだわっているせいもけれど、
挽き方も絶妙だし、たぶんコーヒー豆との間合いが上手なんだろう、
豆の特徴が際立って、やさしく、上品で、おいしく感じられる。
育ちがいい感じなんだけど、マグカップになみなみ……。
スーパーゴージャスコーヒーは
“ちょっとコーヒーがおいしい”くらいの喫茶店なら目じゃないと思う。

社長がいないからって、何日もコーヒー飲めないのもちょっとなんだなと思って
内緒で自分で淹れてみることにした。
だって道具も豆もあるんだし。
もちろん私だって基本的な淹れ方は心得ているし
わりと上手にたてられるぞ(昔は)、と。

がんばったんだけど、悲しくなるくらいまずかった。
気を取り直して
使ったものや、コーヒーカスなんかを、完全に片付けて
なにもなかったように証拠隠滅した(なにやってんだ)。
昔取った杵柄ではだめだった。
おいしいコーヒーは一朝一夕には難しいな。
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今、ここ、内側と外側ふたつの宇宙 

2015年1月18日 (日)

2015年の誕生日で50歳になります。
2014年の後半から、「次は50歳!」と言ったり、思ったりしているうちに
49歳をながしろにしているのではないかと感じるようになりました。

たしかに「50歳」はキリがよくていいんだけど
私は少し浮ついていたかしら。
あと半年もあるんだから、「49歳」を大事にしないとな、と思う今日この頃です。

そこで、弊社で編集のお手伝いをさせていただいた松原照子先生の
『「不思議な世界の方々」から教わった予知能力を高める法』なかにあるひとつを
続けてやるようになりました。
“朝「(氏名)の(年齢)歳○月○日を始めます」と言ってごらん”というものですが
「内山真李の49118日を始めます」と朝、宣言するわけです。
なんとなくグラウンディングができてきた感じ?
浮ついたのが収まって「49歳」が喜んでいるような気がします。

精神世界ではよく“今、ここ”という言葉を使います。“イマココ教”という方もいらっしゃるくらい。
“今”という概念はほんとうに不思議。
“今”なんてあるのか? だいたい時の概念ってなんだ?
“今”って、あるようで、ないのですもの。永遠につかめないしっぽのようで。
歩いていると、100メートル先にも今があって、私の中にも今がある。
後ろにも今がある。と思った瞬間に、さっきの今はもうなくて、違う今になっている。いる?
そういう概念でいいのかしら。

やはりよくいわれる「毎瞬毎瞬」という言葉は、言い得ていていいなと思います。
そして、時はどう流れているのか? 
やっぱり未来から流れてきているのか? やっぱり?
私の細胞のひとつひとつに「今」があって、見上げた空に飛んでいる飛行機の中にも「今」があって、
とかなんとか考えているともうだんだんわけがわからなくなってきて
たいてい、生きていることはなんとおもしろいのだろう、というところで終わります。

だいたい私の細胞のひとつひとつに「今」はあるのでしょうけど、
同時に細胞には過去の生物の記憶が全部詰まってもいるわけで、なかなか壮大な話です。
マクロ過ぎて壮大。

子どもの頃はぼんやりと、「自分の体の中にも外と同じ宇宙がある」と感じていましたが
この年になってますますその思いは強く明晰になってきました。
わたしという膜を境に、内側と外側の相似が美しく成り立っているようにも思います。
内在宇宙と、外在宇宙。
そんななかで
未来も過去も全部、今ここに同時に存在するのではないか、という考え方がいちばん腑に落ちます。

いつかこの時間の観念がつまびらかになり、模型なんかで表現することができたら、どんなに楽しいことでしょう。

陰陽と神仏と

2015年1月 3日 (土)

「神仏習合の時代の初詣ってどんなだったろうか」

ツイッターのタイムラインに、どなたかのそんなつぶやきが流れていって

いいもんだなぁと、神仏習合時代に思いを馳せた。


神様と仏様と。この頃の勝手な解釈をメモしておく。

神は自分の外に広がる宇宙 のようなもの。

対して御仏は自分の内に広がる宇宙のように感じている。

 

しばらく、仏様の前でお経を唱えながら、「はて、いったいどこにいてはんのやろう?」と、

謎に思っていたのが、自分なりに、解釈するようになってから落ち着いた。

ああ、仏様は私の中においでなのだ、きっと。


この観点から、私はなんだと考えると「膜」ということになろうか。

遠くはずれてはいないような気がしてきたぞ、と。

 

となると、陰陽に分けるなら、神々が「陽」で御仏は「陰」か?

そのへん、曖昧なのが許されて、勝手な解釈もなんでもござれで寛大で

日本はいいなぁと思います。

『エターナル・サンシャイン』と『ハイ・フィデリティ』

2015年1月 2日 (金)

元旦には大好きな映画をDVDで2本観た。極楽。
『エターナル・サンシャイン』と『ハイ・フィデリティ』。

『エターナル・サンシャイン』https://amzn.to/2XTYnGw は5年ぶりくらい。
自分のとらえ方が変わっていて面白かった。
表層的な記憶が消去されたあとでなにが残るのか、潜在意識にはなにがあるのか、
潜在意識は顕在意識にどんなふうに働きかけるのか、

そんな視点で物語を見ていた。
また、たましいの課題について。
スピリチュアルの世界ではよく、人はみな克服すべき課題をもっていると聞く。
克服しない限り、課題は手を変え品を変え、姿を変えて、何度だって立ちはだかる。
課題は、生まれる前にセットして人はこの世に下りてくるというふうに読んだこともある。
だから何度も似たようなことでつまずく(克服しない限り)。
そんなことを思いながら観た。

森田健さんの『ワンネス』のラストシーンを彷彿とさせた(ぜんぜん違うんだけど、潜在意識の働きという点に於いては似たものがある)。
主人公のジュエルと恋人のクレメンタインは、きっと同じところでまたつまずく。
そのまま離れてしまえば、「無間地獄」を繰り返すことになるはずだ。
潜在意識が働くから、そうはならない。そんな壮大なハッピーエンドを味わいながら観た。


『ハイ・フィデリティ』 https://amzn.to/2UPNBiG  は
グレイトな音キチくん(=ロックバカ)の映画で、他人事とは思えない。
そういう意味で、私の中でのカテゴリーは『アイデン&ティティ』と同じかも。
私でも知ってるロック名曲洪水みたいで、たいへん心地いいです。
女の子にフラれたあとで、主人公のボブがボスの「RIVER」を聴いている回想シーンなんて指さして爆笑しちゃう(個人的に!)。
台詞がいちいち立っていてすごく刺さるのもいい。
「人の評価なんて、善悪とか金があるなし、仕事がどうのこうのじゃなくて、
ただその人の趣味がいいかどうかだけだ」みたいな台詞にもなんだかグッときちゃう。
だいたい、我が失恋のベスト5なんて、バッカみたいなんだけど、
そういうことをやっている、世間的には「アホ」と見下されちゃうかもしれない
センチメンタルで音楽の趣味のいい男の子が私は大好きなんだわ、と再確認しちゃう。

フィナーレの「レッツ・ゲット・イン・オン」(ジャック・ブラックのカヴァーで)はキターっ!という感じ.
『アメリカン・グラフティ』のエンディングに、ビーチ・ボーイズの「オール・サマー・ロング」イントロがキタときみたいな!ローラが動いてはじめて物語が進み始めるところにも注目だ。心したい。
ニック・ホーンビィの原作もすごくいいんだよなぁ。
決めました。今年はニック・ホーンビィ、漁ってみよう!

 

ごきげんさんで

2015年1月 2日 (金)

あけましておめでとうございます。

クリスマス、年末、元旦と、節目節目によって「気」って変わるものだなぁと、
今年はしみじみと感じることができました。二日になると不思議に、元旦の気は薄らいでいきます(当たり前だけど)

見えるものも見えないものも大切に、1年を慈しみながら暮らしたいと思います。見えないものにはとくに注意を傾けて過ごしてみます。
どんなに微細なものなのかを、日々のなかで静かに観察していきたいです。

2015
年の目標は、笑顔でいること。
たしか5年くらい前にも同じ目標を掲げて、その年私は、口角を上げるために
割り箸をくわえて仕事していたような気がします。
それとは少し違って、私が笑っていることで、なにが変わっていくのか、変わらないのかに今は興味があります。
私は宇宙になにを出しているのか、できればいいものを出したいけど、いいものとしていちばん先に思い浮かぶのが笑顔です。
だから。

祈りと祈りのはざまにある毎日を
心して歩ませていただこうと思います。

からだと心とたましいに感謝して、きちんと仕事を片付けながら、
一期一会に思いを馳せて、楽しく。

今年もよろしくお願いします。

ダウン症の天才書家 金澤翔子×百段階段 ~共に生きる~ レポート

2014年11月22日 (土)

目黒雅叙園(東京・目黒)の東京都有形文化財・百段階段で 2014年11月21日(金)から
「ダウン症の天才書家 金澤翔子×百段階段 ~共に生きる~」が始まりました。
一般公開に先駆けて、直前にプレス発表会があり、参加したのでレポートします。

【要点】
ダウン症として生を受け、現在は書家として活躍する金澤翔子さん。
展覧会は、翔子さんの書と
彼女の母・泰子さん(翔子さんの書の師でもある書家)の日記から抜粋した文章とが、
文化財百段階段の空間に展示されます。


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【漁樵(ぎょしょう)の間】 記者発表の模様。
右・金澤翔子さん(29歳)と左・母の泰子さん。
翔子さんは目黒生まれ。生まれた土地というご縁で、今回の展覧会の話となったそうです。
仲良し母娘ですが、泰子さんは翔子さんの書の師。
師弟関係では、たいへん厳しそうなことが、展示から窺えました。
翔子さんのお父さんは翔子さんが14歳のときに他界。
生前、 それは楽しそうに書を書く子どもの翔子さんを見て
「二十歳になったら個展を開いてあげたいね」と、泰子さんと話していたそうです。

翔子さんが二十歳になったとき、その言葉は現実となり、
銀座で個展を開きました。
泰子さんは「一回限り」と思っていたそうですが、
その書は人の胸を打ち これがきっかけになり、翔子さんは世に羽ばたくことになりました。
来年の30歳には、初のニューヨーク個展が開かれるそうですよ。


書はもちろんですが、文化財とのコラボレーションも大きなテーマです。
これが素晴らしかったです。今までたくさん拝見してきましたが
今回が、百段階段の美しさがいちばん際立っていたかもしれません。
翔子さんの書はまるで宇宙のようで、周りの装飾と決して争わない。
それでいて素晴らしい世界観をつくってあり、見事でした。

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【草丘(そうきゅう)の間】
左が10歳の頃に書いた(展示文よりそう思われます)般若心経。
ここから奇跡が始まるのかもしれません。 右が二十歳に書いた般若心経。
胸を打たれるような般若心経でした。私も久しぶりに写経しよう……。
草丘が、いつもと少し違って見えたなぁ。



Photo_2 【星光(せいこう)の間】
ちょっとしたところが、とても可愛らしくて、拝見しているとしみじみ幸せになってきます。


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【清方(きよかた)の間】 空間とのバランスが見事です。

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ここに「平清盛」ありました。私、あの大河ドラマが大好きでした。


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【頂上の間】
従来の展覧会といちばん異なるのがここかも。空間の美しさがことのほか際立ちます。


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【エントランスホール】 大迫力。カッコイイです。


12月28日(日)まで。10時~18時(最終入館17時半)
暖房なしだと思いますから、厚着してどうぞ。

https://www.megurogajoen.co.jp/event/kanazawashouko/index.html/

お手玉

2014年11月12日 (水)
九州の母から宅配便が届いて、中にお手玉が入っていた。
「とくべつにお気に入りのかわいいのをおくります。
仕事がゆきづまったときにはお手玉でもしないとだめですよ」
みたいな走り書きといっしょに。
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ちょっと使い古しているお手玉(少し穴が開いている)。
触感が、昔のお手玉とは違うな……。中身が大きいみたい。
昔々はお手玉を、数珠玉で作ったよなぁ。なんだったんだろう……
数珠玉がないときは、小豆で作ったけれど、
「贅沢だ」と母が言ってたっけ。

母が作った、サーモンピンクのチェックのお手玉とか、
人形のミカちゃんのドレスと一緒の模様のお手玉とかは私のお気に入りで、
今でも色や触感をよく覚えている。
母に電話してお礼を言うと、「3つくらい軽くできんとつまらんよ」と言われた。

久しぶりにやってみると、母の歌っていた歌が口をついて出る。
「いちれつらんぱん はれつして さっさとにげるはロシアのへい♪」
(そのあとが歌えないんだけど……)
母は、歌いながら、3つも4つもお手玉を高々と上げていたっけな。
おはじきもとても上手だった。
今もきっと上手だ。

お年寄りとの集いのときも、幼稚園へ出かけて子どもたちと遊ぶときも
お手玉は大活躍なんだそうだ。
私も原稿が煮詰まったらやってみようかしら。
まずは、片手で2つから、リハビリをはじめてみることにしよう。

蚊取り線香が「未来技術遺産」

2014年7月31日 (木)
蚊取り線香が「未来技術遺産」に登録されているという。2013年のこと。
なんだそれ?
知らなかったので調べてみると
蚊取り線香というよりも「金鳥の蚊取り線香」が該当しているようだ。

産業技術史資料情報センター http://sts.kahaku.go.jp/material/

調べていて驚いたのは、「金鳥」が社名じゃなかったこと。
「大日本除虫菊株式会社」が正式名称だった。ほぼ半世紀生きてきて、初めて知る事実。
しかも本社が大阪!? 
ぜんぜん知らなくてごめんなさい。だからあのCFなのか! 

ウィキペディアを開けてみた。「大日本除虫菊株式会社」がだーんとある。
インパクトたっぷりなCFは電通関西支社、
蚊取り線香は一線を画して格調高く?で、こちらは博報堂関西支社 なんだそうだ。

「金鳥」とは鶏を指しており(たしかに、あのニワトリマークはお馴染みだ)
「鶏口となるも牛後となるなかれ」に由来する……ふむふむ。
「概要」の最後。

(引用)
企業スローガンは、長年に渡り、「昔も今も、品質一番」だったが、2014年春より、新たに「これでいいのか? KINCHO」に変わっている。(引用終わり)

というところで噴いた。
この名コピーも代理店制作だったりするんですかね。

ちなみに大日本除虫菊株式会社が所属する
日本家庭用殺虫剤工業会で毎年年のはじめに行われている虫慰霊祭……。
 http://sacchuzai.jp/topix.html

シュールだけど、たいへん日本ぽい気もする。

ほんとうは、除虫菊を使った本当の蚊取り線香を探しに行ったんだけど
最終的には金鳥の蚊取り線香にさらわれてしまいました。

でも、探していたもの、ナチュラルハウスで見つけましたよ。これこれ。
除虫菊でつくってあるそう。
通販できるんですねぇ。便利な世の中。
「かえる印のナチュラルかとり線香」 https://amzn.to/2UQYr7

ずいぶん体にやさしそうな蚊取り線香……。
除虫菊は雲南で育てているそうです。
雲南省か。ハチミツ取材に行きました。
麗江はもう一度行きたい場所(遠い目)。

 

とく ほどく なおす

2014年7月31日 (木)
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手先はまったく器用ではないし
特別根気があるわけでもないけど
壊れたシャープペンはほぼ自分で直す。
小学校に上がる前、はじめて買ってもらった白雪姫のシャープペン(0.9だったな、たしか)を
今でもよく覚えている。大好きだった。
芯が詰まると父にとってもらったが、その頃から。
「シャープペンは悪くないんだ。自分が悪いだけなんだな」と思うようになった。
なので、今もシャープペン直すのはわりと好き。

時間があればずっとやっていたくなるくらい好き。
同じようにもつれたネックレスやら紐やら解くのが好き。
あれも、解というか、あるべき姿が先にあって、そこに向かってただやるべきことを自分でやれば解けるところが好き。

少し違うけど、コピーの紙詰まりも、私は同じ範疇に分類する。
悪いのはこちらで、コピー機は悪くない。

ただ、もつれた紐 ←シャープペン ←コピー機 で難易度は高いか。

こちらが不器用でもなんでも、ただ誠実に進んでいけさえすれば解ける。
絶対的な正解みたいなもの目指してただ進めばいつか赦しがくる。
物との邂逅。
そんなことが凝縮された特別な時間なわけです。

 

お参りで会ったおじいさん

2014年7月30日 (水)
わけあって月曜日朝のお参りに行けなかったので
今日、火曜日の朝に高円寺の氷川神社に参詣した。
お参りが終わって振り向いたら、
少し離れたところにおじいさんが立っていて
私のお参りが済むのを待っていらっしゃるようだった。

拝殿の前の階段を降り、こちらへやってくるおじいさんに
「お先しました」と挨拶をした。
ら、
「神様、いらっしゃった?」と私に向かっておっしゃる。
急に訊かれて驚いたけど、きっとそういうことがわかる方なんだなと思って
「はい、たぶんおいでになるようでしたけど」と応えたら
「暑すぎて避暑にお越しかと思ったよ」とおじいさんがニコッと笑う。

スサノウさんにお参りのあと、
私は境内にある気象神社(八意思兼神・ヤゴコロオオモイカネノミコト)と
お稲荷さんにご挨拶。
のんびり帰ろうと思っていたら大銀杏でカラスの子どもが啼いているのを
おもしろくて見上げていた。
すると向こうからおじいさんがやってきた。満面の笑み。

すれ違うときに、「あなた、どうして鳥居があるか、わかる?」
と尋ねられた。またいきなりなご質問……。
「はい、ここから先は聖域ということでエネルギー的にお札をたてているというか……結界ですよね(もごもご)」
「そうだけど。そうだけどさ、この神様だよ! こちらの神様!」
「え?(きょろきょろ) あー、そうか、八意思兼神だからですね!
天岩戸開きのときに、しめ縄張るようにご指示された方だから!」
「そう、鳥居はこの神様がつくったものなの。天岩戸開きのときに縄張ったりしたでしょ。
それから長啼き鳥を2羽鳴かせたのね。その長啼き鳥を載せる台をつくったわけ。
それが鳥居」
「へえええええ! なるほど。鳥居はそこからですか。長啼き鳥。へえええ!」

おじいさんがにこにこしていらっしゃるし、
おもしろい話を聞かせていただいたし、なんだか朝からお得な気分。
「今日は暑くありそうですから、お水召し上がってお気を付けて」
なんて話をしながらお別れした。

少し不思議だったのは、そのおじいさんが
詩人としてハタチの私を見つけてくれた、当時の編集者の面影に
とても似ていることだった。だもんでちょっぴり神妙な気持ちになりました。

そういえば、ここで以前にも不思議な人に会ったのを思い出した。
昔、「父だ!」と思った人がいたんだよな(父は20年以上前に亡くなっている)。
それでものすごく幸せな気持ちになったんだ。
やはり同じ、八意思兼神にお参りした帰りのことだった。

Kセンに会える!?

2014年4月29日 (火)

3年前のブログで、「スピリチュアル体験アーカイブ」というのをやったんだけど

 http://zerohachimaru.cocolog-nifty.com/news/2011/07/post-3998.html
ここで書かせていただいたお世話になった担任のKセンのことで、
おふたりからコメントをいただいてびっくりしました。
どちらも私の見ず知らずの方です。
Kセンのキーワードで、反応する方がいらっしゃることに(だって40年前だし)。
Kセン、すごい。

昨日そのうちのおひとりから連絡がきて
この5月にKセンにお会いになるとのこと。
ハガキを出してお手当をお願いしてみたら、
「生徒が困っているならすぐにやる」と速攻でお返事がきたそうで。
お手当が現役でいらっしゃることにも驚きました。
Kセン、80才。
仙台で某お寺さんの総代を務めていらっしゃると風の噂に聞いていましたが
さらにコメントをくださった方から、
「宗教活動のかたわらで今もお手当を実践されている」と教えていただきました。

40年の間使い続けて、どんなエネルギーになっているんでしょう。すごすぎる。
私もぜひお目にかかり、あのエネルギーに触れてみたい……。
私のエネルギー体験の原点(ついでに伝授くださーい!)。

校了したら仙台行きを密かに考え始める今日この頃です。
いや、待て。その前に……飛ばしてみるか。

 

 

 

 

「つばめ」「花のお国の汽車ぽっぽ」

2014年4月16日 (水)

ツバメの姿を見たとちらほら聞こえてくる。
ツバメといえば思い出すのが、幼稚園で習った5月の歌。
もう40年以上も前のこと。

 ツバメにのって 飛んで飛んであそぼ
 五月の大空を 飛んで飛んであそぼ
 はい スイスイスイ はい スイスイスイ
   ──「つばめ」──


そのひと月前の4月。
初めて幼稚園で習った歌は、アネモネの歌だった。キンダーブックだったのかな。
副読本のはじめの見開きに出ていた。

 アネモネ駅から汽車ぽっぽ
 サクラソウのなか走ってく
 ポポポポポポポポ シュー ポポポー 
 ──「花のお国の汽車ぽっぽ」──


残念だった気持ちが鮮明に蘇る。
幼稚園で初めて……1年保育だったから5才でこの歌を習ってこの歌を習ったときのこと。
音階が中途半端な気がしたのと、歌詞が中途半端なのと、短すぎるのと。
「子どもだからってナメとんなよ!」と、思った。
(その頃、ママさんコーラスについていって、「ドナドナ」を初めて聞いて号泣してたし、「みんなの歌」だって好きだし、幼稚園で習った歌が食い足りなかったんだと思う)


それでも5月の「つばめ」はのびやかな感じが好きだったのだが
6月に至っては……

 ぶーらんこケムシが1・2・3
 藤棚の下で1・2・3
 かーぜに吹かれて1・2・3
 ──「ぶらんこ毛虫」──



_| ̄|○  なんだか切なかったなぁ。
「童謡」にも届かないような、短い短い歌の数々……。完結すればええっちゅうもんやない。

6月で月のお歌の記憶が途絶えるのは、7月からは猛烈なはしかにかかって、
夏休みも始まるしで、3日くらいしか登園できなかったから。
病んでいるとき、枕元の「家庭の医学」を眺めるのが大好きだった。
意味なんてわからなくても、見ているだけで、ワクワク。

鏡の前で乳がんを自己検診する女性とか、
「性」のページの2羽のインコちゃん(イメージカット)とか、
モノクロ写真だったけど、眺めているの、好きだったなぁ。

ツバメにのって、そんな記憶がぶわぶわとあぶり出される季節。

地震予知が常識になる

2014年4月 7日 (月)

まだ電話の時代から天気予報が大好きで
「177」にはたいへんお世話になった。
音声が切り替わる(予報が変わる)時間を見計らって、一日何回か電話していたこともあるし
遠くに仕事に行くときは現地のお天気もよく聞いたものだ。

今も天気予報は大好きだけど、使うツールは
「177」からネットに変わった。。
料金不要でいつでもお天気が見られるなんて、楽しい&便利な限りで
一日5回は眺めている。

同じように、地震情報もよくチェックするようになって3年経つ。
はじめは気象庁のサイトを見ていたけど、最近はもっぱらツイッターで見る。
海外分の動きも読めるから、こちらのほうが私には使いやすい。
地球規模の揺れを見ていると、それに太陽フレアのことも考え合わせると
「宇宙の中で呼吸する地球」みたいなものを想像してせつなくなる。

でも地震情報は、「予報」じゃなくて「結果」だし
天気予報のように未来を予測するのではない。
だから「予測」のための地震予測のメルマガなどをいろいろ読むけど
読み続けていて思うのは
やっぱり地震の予知って相当難しいということ。
「収束」とか言われても、発振のタイミングやエリアはやはりおぼつかない。
いつ、どこで、どのくらいの規模で、という三拍子で地震の予測ができたら
本当にすごいことなんだろう。

しかし思えば、天気予報だって一般化したのは近代のこと。
江戸や平安の人は天気予報なんてご存じないわけで
お天気自体が驚異だったこともたくさんったんじゃないかしら……
と、大河ドラマを見ながら思っていた。

となると、近い将来、今の気象情報並みに、地震が予測できる日も来るのかもしれないな。
地震予報自体が、たいへんポピュラーなものになって
「明日の午後15時から1時間の間で、東京では震度3程度の地震が予測されますのでご注意ください」
なんてことが普通に言えるようになったらすごいな。


できることが当たり前になった世界もきっとあるんだ。
みたいなことを考えるとワクワクしちゃうなぁ。

人生で最高の視力かもしれない、今

2014年3月26日 (水)

たとえどんなに視力がよくても、あるものをすべて見られるわけでは決してなかろうから
ちゃんと見えることに対して執着しない。
クリアでなくても、ただぼんやり眺めているのはキライじゃない。
とくに高円寺に戻ってきて、ベランダから西の空が気持ちよく開けて見えるので
時間がありさえすればぼーっと眺めている。「UFO来ないかなぁ」、なんて。

「お年頃」なので、相応に手元は見づらくなっていると思うけど
訪れ方は緩やかなのがありがたい。
もともと視力はかなり悪い。駅の表示板なんかも、間近に行かないと見えなかった。
コンタクトレンズを入れて両眼で0.7を切るくらい。

もっと矯正視力を出すこともできるはずだけど
「PC画面を見るのにいちばん見やすいところで合わせてください」とお願いして久しい。
「ホントにいいんですね。遠くは見えませんよ?」と言われるけど、構わない。
見えないものはあっさりあきらめる。ある、と、誰かが教えてくれるからいいんだ。
そのかわり、画面を20時間見ていても疲れないのがいい。
校正紙を見るのに、飽きることがあっても、疲れたりはしないのがいい。
そこは譲れないところ。


ぼんやり遠くを眺めることが効を奏したのか、
この間使い捨てコンタクトレンズを買いに行ったときに視力をはかってもらったら
ものすごくよく見えるのにびっくりした。
視力を聞いてみたら、両眼で1.2以上出ていて、さらに驚いた。
「老眼が進むと視力がよくなるとか?」と聞いけど、そんなことはないそうだ。


かくして私は今、人生でいちばん視力がよくなってる、48歳。
子どものときから「遠くを見なさい!」とドヤされてきたけれど
ホントだったのか、あれ!? と、密かに驚いている。

花粉症 クシャミの止め方

2014年3月18日 (火)

打合せのときに鼻水が止まらなくなって
いよいよ今年は花粉症デビューかとあきらめて
「鼻ポン」を買って用意ましたが
ギリギリのところで押しとどまっている模様。

朝起きてベランダに出たときなんかは
つーっと鼻水出ることもありますが
わりとすぐに止まっています。なんでかしら。

滝のように止まらない鼻水を体験しつつ
「なったものはしょうがないからまっ、いいか。
あとは初体験のこれを楽しむ余裕を持とう……」と悠長に構えてみたものの
やれることはやっておこうと思って、
アシドフィルス菌を密林で購入しました。
こちら。アメリカっぽい~。海外直送品でアメリカからヤマト運輸で届きました。
  ↓ ↓ ↓
https://amzn.to/2VzRhJI



アシドフィルス菌は乳酸菌の一種です。
もう十年以上前にサプリメント&エイジングの取材をしたときに
「これから“来る!”サプリは?」と質問して、ご専門で研究していらっしゃる先生に教えていただいたものです。

2週間朝晩2錠飲んでいます。
お通じがふつうにつくようになって腸内環境整ったせいなのか、
花粉症も初期だからなのか、とにかく滝のような鼻水は収束。
相性いいみたいなのでしばらく続けてみます。
浮気してごめんよ、L-カゼイシロタ株
(吉祥寺に引っ越してから、ヤクルト姐さんとタイミングが合わなかった)。

もうひとつ、たいへん重要なことに気が付きました。
クシャミが出そうなとき、思いきり鼻から息を吸い込むと……
クシャミが止まります。

私だけかな。

害がありそうな気もするので、まねするときは自己責任でお願いします。
くしゃみを征服できる優越感だけは満点です。


……もぞもぞするってことは、花粉なのか?
やはり紙一重なのか?

オシャカ様のセットリスト 1985年12月8日 

2014年3月17日 (月)

週末、意を決して
押し入れのいちばん奥にしまいこんだ「古すぎて捨てられない箱」を開けたら
1985年のオシャカ様のセットリストが出てきました。
   ↓ ↓ ↓
20140315_181652_2



ガムテープでべたべた。
もう一枚くっついているセットリスト。
ん? だれだろう。
  ↓ ↓ ↓
20140315_181704

 

「サルベージじゃない?」 「そうだ! たしかに!!」
ペラさん、かっこよかったなぁ。
ぼんやり思い出しました、オシャカ様とサルベージ、夢の競演でしたわ。


同じ箱に入っていた日記を確かめたらたしかに「1985年の12月8日」。
この日、「オダブツ」が初めておひろめされた日だったみたいです。
と、日記には書いてありました。
たぶん天王寺のチキン・ポテト……かな?

オシャカ様もオシャカも、大好きだった。……だった?
今、デモテープを聴いても、もっすごいいです。 ←現在形


 
2013年夏の小路寮入寮30年同窓会のオシャカ再結成演奏こちら。
「6月24日の激しい雨」
  ↓ ↓ ↓
http://www.youtube.com/watch?v=p6YvolOvcdQ

 

またやらないかな。



「古すぎて捨てられない箱」は草稿関係は整理、処分しました。
セットリストと日記はもう一度箱に入れてなおしました。

夢にはふつうに田頭さんが出てきました。
なんかうれしそうでした。

 

 

かしわめし追憶

2014年3月14日 (金)

吉祥寺アトレの週替わりのおいしいもの市「コトイチ」に
また大分の鶏めしがやってきた。

大分でとり天が有名らしいというのを知ったのは
5年前くらいのことだ。それまで認識がなかった。
帰省したときに「とり天って有名なんですか?」とタクシーの運転手さんにきいたら
「そうねー。駅のそばのあの店とかこの店とか、人気みたいねー」
とおっしゃっていた。同様に鶏めしも人気らしい。

もう20年前になるかな、父がまだ存命で北九州の折尾の病院に入院していたとき
大分~折尾を通っていたのだが
母が折尾駅の駅弁「かしわめし」が好きだと言ってよく買っていた。
母が子どもの頃から大好きだったそうだから、
かれこれ75年くらい前にはあったことになる。
……探してみたらあった。
http://tochikuken.co.jp/product/
これこれ。三色で斜めになってるヤツ。
だもんだから、大分で鶏めしといわれても、はじめピンとこなかったんだよな。

そんなことを、お昼に大分の鶏めし食べながら考えていた。
そういえば、子どものころ、ばら寿司のときにおかずはなかった。
ふつうにそういうものだと思っていた。
ご飯におかずが混ざっているんだから、おかずはいらない、って。
かしわめしだって同じだ。
ところが大きくなって、ふつうはおかずもあるものだと知って愕然とした。
……うちが貧しかっただけなのか? おかーさーん!!

大人になって、人と暮らすようになって
ばら寿司にご飯がいるなら、シチューのときにはお味噌汁もいるんだろうと、
気を利かせたつもりが
「シチューにお味噌汁はいらない。汁物がかぶっている」と指摘されて、びっくりの二乗。

子どもの頃、食卓にシチューが出たことはなかったから
知らなかったんだよねぇ。

思い出してトクしたこと 1

2014年3月13日 (木)

なにか大きなことがあると、前にやってたことをすぐ忘れたりする。
大きなことって……たぶんたいしたことじゃありません。
ふつうに仕事が忙しくなったり、人にわ~~っとお目にかかったり
心にしみる本を読んだり、そんな程度です。
つまり心が動くと前に必死だったこともあっさり忘れるんですね。
そんなに悪いことではないと思っています。必要なことはまた巡ってくるし、きっと。

それにしてもいろんなことを忘れます。
それまで一所懸命に拝読していたブログを読むのを忘れたり、
SNS読みにいくのを忘れたり。
アポイントメントは、入れたらすぐ手帳に書き残すので粗相はありませんが
少し前は積み立てしていたのを忘れていました。

久しぶりに通帳記入しにいって……久しぶりって、年単位です。
定期的に引き落としされている謎の名目があったので
とっさに「これは怪しい、事件か!?」と思いました。
銀行で案内をしていらっしゃる女性に
「つかぬことを伺いますが……、これ、お心当たりありませんか?」と訊いたところ
「お客様、ご記憶がないのですか? たいへん。それ、積み立て預金の名前です。
忘れていらっしゃるくらいなら、結構貯まっていると思いますよ? すぐにご確認を」

お金が減るなあ……と、しょんぼりしていたのだけど、
まさか自分が自動積み立てしていたとは!!
思い起こせばそういえば一度、遠い昔、気持ちをあらためて、「がんばるぞー!」と始めたことがあったっけ。
おっしゃるとおり調べてみると結構貯まっていて、
それを使って引越しすることができたのが1年前のこと。たいへんありがたいことです。

以来気持ちをあらためて、記帳はちゃんとする
クレジットカードの明細もちゃんと目を通す、ことを心がけるようになりました。
それで先月は「なんでマカフィーから引き落としされてるのよ!!」も発見したし
(電話して取り返せました、ほっ。こわいなぁ、もう)
今月はNHKの引き落としが二重でされているのを発見しました。
たいへんトクした気分です。この積み重ねが大事。


こうした心がけを忘れないようにしなきゃね。
何かあるとすぐに忘れちゃうんだから。

富士山

2014年3月11日 (火)

事務所を吉祥寺に引っ越して一番よかったのは
富士山が身近になったことかもしれない。
朝、高円寺から吉祥寺へ向かう中央線の窓から
天気がいいと左前方に富士山が大きく見える。
冬の間はことにきれいだった。

関西にいるときはよくわからなかったけれど
間近に富士山を見ていると、
桜の姫神様、木花咲耶姫命の山であるのがよくわかる。
清々しく凛としたたたずまい。
富士山には「美しい」という形容詞こそふさわしい。

あの山の頂から
「花よ開け!」と姫神様が号令をかけると
どんどん桜が咲き誇り、野山に春を呼び起こす。
人々はそれを合図にタネを蒔き、
またいのちの営みを繰り返す……。

そんなことをうっとり思いながら
中央線の窓から富士山を望み、憧れている。

古すぎて捨てられないもの

2014年3月10日 (月)

転勤族育ちなせいか、元来の引越好きで、
ゆえに荷物は比較的少ない。
『ティファニーで朝食を』のホリーみたいに、トランクひとつの荷物なら素敵だけど
現実にはそうもいかない。
でも、まあ、家具も少ない。
学生時代、うちへ遊びに来た友人に
「部屋の四隅が見えている部屋ってあんまりないと思う」と言われたのが
最大の褒め言葉!

それでも時間の経過とともに溜め込むものってある。
「古すぎて捨てられないもの」というダンボールがそれ。
学生時代からの引越のたびに、そう明記したダンボールがひとつあって
中身は幼稚園以来のアルバムとか卒業アルバムとか、思春期に書きつけたものいろいろ。
今も押し入れの片隅でやすらかな寝息を立てている。

この間、ふと押し入れの奥に例のダンボールの寝姿を発見してハッとした。
「もしも私が突然死んだら、残された人は困るよな、アレの処分」と気になりだした。
私しか処分しがたいものじゃないのか? そして処分してもだれも困らないもの。
ただの私のセンチメンタル。ときどきノスタルジー。
そうだ。春までに、それらを整理しよう。

目指せ、ホリー・ゴライトリー。

動く。

2014年2月 9日 (日)

シャーッ、シャーッと外で音が聞こえる。
もしや? と思うとやっぱりそうで
朝8時前、男性が雪かきをしてくれている。
支度を終えて私が出かける頃には、高円寺駅前ロータリーは
駅までの歩道の全ての雪道に、幅1メートルのアスファルトが顔を出していて
安全に人が通れるようになっていた。
高円寺、すごいなー、と思った。

どなただろうか。今日は都内で、役所の方が雪かきしてくださっているのをよく見かけたけど
今朝の男性は私服だったし、そんな感じじゃなかった。
商店街の方だろうか。
そういえば昨日、雪がだんだんひどくなってきたときも
音がして、見ると、ヤッケを着た男性が2,3人で雪かきをしていた。
前日から、事務所は出勤者を出さないようにしておいたので私もうちにいた。
いつから始めたものやら、タイミングを計りかねていたので
今だ!とばかりに出ていって、一緒になって雪かきした。
「南ロータリーのタクシー乗り場を確保」って感じだ。
そのうちにビルから女性が応援に出てきてくれて、
ヒールなのに一緒に手伝ってくれた。気持ちがありがたいよなぁ。
ふぶく雪の中を黙々と5人くらいでかいていたけど、
男性たちはヤッケを着てフードもあって顔は見えなかった。

いろんな人がいろんなところで、持ち場を守ってくれていたのをひしひしと感じた。
街の暮らしは、たくさんの人の努力の上に成り立っているといっても過言ではないと思う。
徐行になりつつもなんとか走らせてくれたJRもすごかった。
街中には台数は減ったけれどタクシーだって走っていた。
スーパーもコンビニも、ドラッグストアまでちゃんと開けていてくれたし、
買いに行くとちゃんと物は売られていたし、
結婚式も行われていたし、
予定していたライブだって行われた。……バンドもハコも客もすごい。
災害級の大雪の中でも、街の機能が損なわれないことに深く感心した。
「それが仕事だから」? 
ただそれだけで保てることではないと思うな。


そういえば、先般の台風直撃の朝も、吉祥寺のアトレが朝から営業しているのに驚いて
(その日は朝からお遣い物を買いたかったので、すごく助かったのだ)
お店の女性に「すごいですね」と言ったら
「いつも通りジャストに開けるために、昨日は店の近くに泊まりました」と笑っていた。
支えてもらっているなと思った。


たとえなにかたいへんなことに見舞われても、怖じ気づかず動き続けること、
ブレることなく自分の持ち場を淡々と守ることって、大事だ。
止まらないかぎり、動くかぎり、営みは続く。
からだと同じだと思った。
動くということは生きるということなんだな。



↓雪のなかで阿波おどりの撮影をしてました。高円寺駅前。これもすごかった!

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検索魔

2014年1月13日 (月)

こんなに便利な世界に生きて、ありがたいことだとよく思います。
とくにインターネット。
私は検索魔です。

子どものころから辞書を引くのが好きでしたが、
今は辞書に代わって、
わからないことはなんでもかんでも、検索してみるのが大好きです。
通勤途中で検索、休憩しながらちょっと検索……。

検索って、こちらのキーワードの入力次第で
自分のほしい情報に近いものを、的確に取り出せるところがとくに好き。
ちょっとしたコツがわかるとさらに使いやすくなります。

わからないこと、体の不調、気がかり、裏とり(?)……とりあえず検索してみると
たいがいは、次の行動の指針がなにか出てきます。

出てこない場合は、こちらの検索の何かが間違っている、と。
いろいろ幅を狭めだながら続けていくと、あるときふっと道が開けます。
……たかが検索だけどね。おもしろいの。


それからインターネットのお買い物も便利です。
とくに買いたい物がそばにないとき、たいへん重宝します。
この1か月で購入したムフフなもの。

○大昔の中学の上履き
……愛用のベンサンがついにつぶれたので、代わりに。
   たしか8才上の兄の中学の上履きはこれだった。元祖ベンサンともいうか。
   ピンクとか紺のアレ。これは製造そのものが少なくて、探すのに苦労しました。

○セラミック板入りの餅焼き網
……昔は石綿が入ってた焼き網。餅を焼くのに探しましたが、
   商品が見あたらず困りました。
   何軒もまわったけど、ない。ネットなら一発!

○20㎝の人体模型ミニチュア
……骨格標本が身近にあると、体の調整がラクでいいです。
   事務所には等身大の骨格模型を置いてますが
   デスク上にあって、ふと眺められたらいいな~と思い、
   たぶんこれはあとひとつ購入すると思います。


本の購入も助かります。
アマゾンだと、発注から到着まで24時間かからないものもあり
資料が欲しいときに大助かりします。

個人的に欲しい本を見つけたら、ぽぽいと「欲しい物リスト」に入れておいて
1週間経ってもまだ欲しいときは購入。
(これは小松易さんのメルマガで、衝動買い防止のコツで得た秘訣。
「お買い物カゴ」「欲しい物リスト」の上手な使い方)


ネットも便利だけど、配送・運搬技術発達の恩恵でもありますね。
ありがたいことです。

 

 

眠るまでの間に聞こえること・見えるもの

2014年1月13日 (月)

明確に意識したのは十代の終わり。
大阪での学生時代、下宿で眠っていると、寝入りばなに私を呼ぶ声が聞こえます。
「まりちゃーん」
かなり遠くからのこともあれば、耳元で言われることもあります。

声はとても親密で、両親だと感じることも多く(このときは九州でふたりとも健在)
祖母のこともあったし、
とにかくなにか大きなものに守られているような気がして
その声が聞こえると私はすっと眠りに入っていけるので
眠りの国からの「お迎え」だと、勝手に思っていました。
不思議だと思ったことすらありませんでした。

お迎えがくるのはしょっちゅうでしたが、年を重ねるにつれ
聞こえてくることが変わってきました。
・私の名前ではない。
・名前ではなく言葉が聞こえる。
・両親の声でもない。
・もはや親密という感じでもないが、悪意ではない。

眠ろうとしているときにそれは突然聞こえてくるので、
眠りの「お迎え」であることに変わりはありません。
でもたまに「気をつけて」「注意しないとおおごとになる」とか、警告めいたことを言われることも。
めちゃめちゃ気になっていると、数日後、該当案件が起こり、
「あ、このことか、注意していけばいいのね」みたいな展開に……。

声の主は女性のことも男性のこともあるし、同じじゃないし
だれが、どんな意図をもって話すのかは不明。
私にコントロールできることでもありません。
ただ、「今日は聞こえないかなぁ」と思いながら眠ることもしばしば。
聞こえないかな……と思っていたら、すでにもう聞こえ始めていたり、いろいろです。

耳元でいきなり大声を出されることもあり、そんなときは飛び起きます。
「もうやめて! 大きな音は苦手っていっているでしょう!」と声にクレームつけたりして。

ネットで検索すると、同様の方は少なからずいらっしゃるみたいです。
お世話になっている方にふとこのことを話してみたら、
その方も似たようなことがあるそうで
「どこかにチューニングがあって、話し声が聞こえて来るみたいな感じ」と表現していらっしゃいました。
なんだか似ています。


大きな音は苦手と書きましたが、げんなりすることが……。
ごくたまに、大爆発が聞こえて、爆発の閃光すら見えることがあるのです。
突然のことだから単純にびっくりするし、心臓ばくばくになるし、これは困ります。
ネットで検索すると、これは症状としてあるそうです。

頭内爆発音症候群
http://rocketnews24.com/2009/09/27/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AF%E5%A4%A7%E4%B8%88%E5%A4%AB%EF%BC%9F-%E3%80%8E%E9%A0%AD%E5%86%85%E7%88%86%E7%99%BA%E9%9F%B3%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4%E3%80%8F%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%83%BB%E3%83%BB/

いや、ストレスありませんから。毎日充分楽しいし。
なんでもストレス呼ばわりして、イタい人にしないでください。


ここ3年くらいでは人の顔も見えるようになってきました。
顔といっても、コンピューターシステムのCFのCGみたいに
ひとつの顔がどんどんいろんな顔に変化していくようなやつ。
なんだろうなーと思いながら眺めています(もちろん目は閉じている)。


以前は、昔は寝入りばなに、「そっちに行ったらだめ!」というのがありました。
悪夢方面のような気がするというか、サイケデリックすぎて恐怖を覚えるというか。
それで「人の顔系」が始まりそうなときは、目を開けて覚醒するなどしていました。
最近はどうでもよくなってそのままサイケデリックなのを見つめていたら
人の顔がどんどん変わって百面相みたいになっていくのがおもしろい……。
コワイコワイと思って避けていたその先に
こういうおもしろいことがあるんだな、と思う今日この頃。
しばらくは楽しんでみようと思います。


眠りがらみで怖かったことをひとつ。
夢の中のこと。

当時住んでいた家のドアがバンと開いて
ドタドタと魑魅魍魎の百鬼夜行が部屋に入ってきて、
そのままドヤドヤと通り過ぎて行きました。

目が醒めてもあまりに怖かったので、すぐ引っ越したということがあります。

いなくてもいるということ

2014年1月12日 (日)

宵の口、ふらりと入った中野の路地にあるタイ料理店。
店には初老の日本人のご主人がおひとりだけ。
客は私たちのほかにはいませんでした。

「座ってください」と通されたテーブルの横の壁に
タイ人らしき女性の写真がたくさん貼られていました。

いろんな年代のタイの女性たちで、どれもすてきな笑顔で笑っています。
ん、待てよ。
たぶん、どの女性も同じ人です。
いちばん上に「HAPPY」と手書きの文字があるポラロイド写真は
60才くらいに見えました。
どの写真もとてもしあわせそうなんだけど
「HAPPY」と書かれたその写真の笑顔だけは、ちょっと力なく見えました。
たぶん、もうご病気だったんじゃないのかな……。

このタイ人の女性はご主人の奥さんで
きっと亡くなっていらっしゃるんだろうなと思いました。


料理はどれもおいしくて、お行儀がよくて親しみのある味でした。
とくに生春巻き。
卵焼きと海老とイカが巻いてあって、はじめての取り合わせでした。
ゴマだれでいただく家庭的な味わいです。とてもおいしい。
奥さんのとっておきレシピが今もこの店で息づいている感じです。
というか、奥さん、ここにいるよね。

お腹もいっぱい、たいへんしあわせな気分になりました。
「どのお料理もおいしいです!」と伝えたら、「それはよかった」とご主人もうれしそう。
連れが席を立ったとき、ご主人に
「この写真の女性が奥様ですか?」と伺ったら
「そう。5年前に亡くなったの」とおっしゃいました。
「大丈夫、ここにちゃんとおいでですよ」と申し上げたら
「うん、9年一緒に店をやっていたからね」とご主人。少しうれしそうに見えました。

「すごくおいしいおすすめの料理があるんだ。手羽先を甘辛く煮たやつなんだけど」
パッタイいただいたあとでしたが、いただきました。
きっと奥さんご自慢の料理ですもの。

すでにお腹いっぱいでも、ぺろっと平らげてしまうほど
おいしい手羽先でした(「山ちゃん」仕込みで、手羽先食べるのはお手のもの♪)。
いただけてラッキーでした。
次いったら、きっと先に頼もう!


奥さんもそれはうれしそうでした。

Suica ANAカード

2014年1月 5日 (日)

不在通知にようやく連絡をつけて、年始早々書留が届き、
開封すると新しいクレジットカードが入っていた。
SuicaとANAといっしょになったヤツ。
なんだか新年から験がいい。

なにやら説明書がいろいろついている。
見ると「Suicaの残金を確認してから古いカードを処分せよ」と書いてあった。


え? このクレジットカード、Suicaとして機能しているんだっけ? そうなの??


そんな記憶もないんだが
言われたとおり、駅で券売機で確認したら、チャージが980円分も残っていた。
超ラッキー!
ものすごくラッキーなんだが、
私の記憶はどこでどんなふうに抜け落ちていくのかが、ちょっぴり気にならないでもない。
チャージが残っているということは、Suica機能を認識して
自分で入れたわけだよなぁ。しかも「980円」て、使っている感じの金額だし。

……ま、あまり気にしませんけど。

というわけで、手持ちのSuicaが増えて
暮らしがまたひとつ便利になりました♡
今度はSuica機能を忘れないようにしたいと思います。

神々の不思議

2014年1月 4日 (土)

NHKで伊勢と出雲の遷宮の番組を見ていた。
お祀りの様子が映されると胸がたかぶる。
思わずTVの前で正座してしまった。伊勢と出雲のゆかりは深く、謎は多い。

ところで、我が家の神棚は五社造り。
おふだをお祀りするようになって、まだ十年は経たない。
はじめは見よう見まねで、ネットでお祀りの仕方を検索しながらやっていた。

お祀りするお札がいくつもあるときは、重ねてよいと多く書いてあったが
その通りやると、私の場合はどうもよろしくないようだったので、並べてお祀りすることにした。
こういうことは自分の感じる流儀でいいんじゃないかと思って、感じたままでやった。
晴れて神棚を購入し、はじめは教わった通りに扉を閉めていたけれど
これも私の場合はよろしくないようだったので、今、お社の扉はすべて開け放っている。
「よろしくない」というのは、ただそんな気がする、言われているように勝手に感じるだけのこと。
(※感じ方には個人差があります)

新年を迎えるにあたり、お札の多くも新しくお迎えする。
ご縁をいただいてお祀りしているのは、
 天照大神(伊勢神宮)
 高円寺氷川神社大神(氏神様で、素戔嗚尊[すさのおのみこと])
 藤崎八旛大神(産土神様で、応仁天皇[誉田別尊 ほんたわけのみこと]、
           住吉大神、神功皇后[息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)]
 大国主命(出雲大社)
 箱根大神(瓊瓊杵尊[ににぎのみこと] 木花咲耶姫命[このはなさくやひめのみこと] 
        彦火火出見尊[ひこほほでみのみこと])
 九頭龍大神
 天照大神、月読命、素戔嗚尊(神明宮 八方除でお世話になっている)

※九頭龍大神と神明宮のお札は、ご祈祷も兼ねているのでお社から出してお祀り


はじめ、悩んだ。
天照大神と大国主命は?
天照大神と素戔嗚尊は??
素戔嗚尊と九頭龍大神は???

神々はおおらかだとは聞いている。しかし、話が込み入っているし。うーん。
しかし、異議申し立てはどちら様からもなかったようなので、いっしょにお祀りしている次第。

それにしても、同じ天照大神でも
伊勢神宮と神明宮の大神様は、ずいぶんタッチが違う(※感じ方には個人差があります)。
ちなみに、神明宮は、「天照大神の荒魂である」とわざわざ断ってあるところが、なんかスゴイ。
八幡様でも、武蔵野八幡宮と、鷺宮八幡宮と、宇佐神宮と、鳩森八幡宮でも、かなり違う気がする。
(もっとも祭神が一柱のところも二柱のところも三柱のところもある)

総じて考えたときの私の超仮説は
そもそもの土地のエネルギーみたいなものがあって、今の神様の名前を戴いたのが後なんじゃないかな。
とにもかくにもはじめにパワー(エネルギー)ありきなんじゃないか、というところに落ち着く。
あるいは、日々、そして連綿と、お参りする人々の気によるものも大きいのかもしれないけども。

そして、これらの神々と時空の神(?)とは、位相がまた違うようだしな。
まあ、わからないことだらけ、不思議なことだらけだ。
謎が多いほど、おもしろいことも多くなるわけで。
今年ものんびり追いたいと思います。

2014年元日

2014年1月 1日 (水)

あけましておめでとうございます。

元日と新月が重なる、いつにも増して霊験あらたかに感じる1月1日です。
流れる時間は変わらないのに、古来、人々は暦の始まりを大切にしてきました。
暦が変わって、1月1日になるとそれだけで、なんだか少しあらたまった気がします。
人の心持ちが変わるせいでしょうかね。
昨日までと街の気ががらっと変わったように感じます。おもしろいです。

元日の午後遅くから、氏神さんの高円寺氷川神社にお参りに。
一段と賑わっていて、うれしゅうございました。
そのあとで、八方除の九重参りのご祈祷を、元日からやってくださるというので
阿佐ヶ谷の神明宮へ。着いたときには暗くなりはじめていました。

神明宮では、昇殿参拝のあとで御垣内参拝させていただけるのですが
御垣内にはお社が3社。
天照大神(アマテラスオオミカミ)、月読命(ツクヨミノミコト)、素戔嗚尊(スサノオノミコト)の
三貴子がお祀りされています。
かがり火の焚かれた中でさせていただく御垣内参拝が、非常に厳かで身が引き締まりました。

さて恒例の、今年の目標。
今年は、行動、動くことを意識してみようと思います。
思って感じるだけじゃなくて、その先でとる行動に意識を向けてみよう。
……たとえば、感謝を、あらわすことが上手にできるように。

それで、愉快に、楽しく、花を摘みながら、スキップしていこう、今年も。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

ポール・ロス

2013年12月 8日 (日)

「ポール・ロス」なる言葉があるんだそうだ。
わかるな。

私はヘビーなポールファンじゃあ、ない。
ビートルズで最初にいいなと思うのはジョンだった。
「でも、君の好きな曲は全部ポールだよ」と指摘されて、「え?」と思った。
次に好きになったのはジョージだった。ソロも含めてジョージの曲はいつも好き。
だけど、そんななにもかもを飛び越えて
耳に届くポールの曲はいつでもコンスタントに、ゴキゲンにしてくれる。

先日のポール・マッカートニーのライブは圧倒的だった。
気が付いたら涙があふれていて困った。
映像にもかなりヤラれた。
ビジョンに大写しになるポールは、まるで目の前で私のために歌ってくれているように見えて
たいへん素敵だった。

ポールはいつだって楽しそうだ。
新譜に触れると唖然とする。
彼のしなやかなこと。新しいことにワクワクし続ける子どもみたいな感性と、挑戦の仕方に。
それがいつでも楽しそうでたまらないことに。
ストイックな感じじゃなくて、「え、楽しいですけど、なにか?」という感じで。
それがたまらなく素敵で、あんな大人をお手本にできる我々の年代は、なんて素敵なんだろうと思う。

ポールはいつでも陽気に見える。
ライブでもなにもかもがとても楽しくてたまらない風に見えた。
底抜けに「ごきげんさん、でーす!」という感じ。

ライブのあとで『ザ・ビートルズ・アンソロジー』を見返していたら、
ポールは昔からちっとも変わらなかった(もちろん「Let It Be」あたりのブルーを除いて)。
私が気付いていないだけだった。
余談だけど、アンソロジーの中で、ポールが瞑想の効能について語るくだりがあって興味深かった。
以前見ていたときは、そこはすっ飛ばしていて、初めて触れるようだった。
昔の恋愛を大人になって眺めているような奇妙な気分がした。
ようやく近くまで来ることができたわよ!

何度も言うけど、ポールのライブは圧倒的だった。
71歳で、水を飲まず、2時間45分のステージって、なんなのだろう。
ちっとも苦しそうじゃなくて、終始楽しくてたまらない感じ。
それがこちらにもひしひしと伝わってきて、
それでいて時折、彼が今ひとりなことが、ものすごくせつなくなる。
そして、生きて歌い続ける伝説は、比類なきものになっていく。
たったひとりなのに、ストーンズの5人でやるライブの存在感を、ひょいと超えちゃった感じだった(自分比です。ストーンズ好きの人、すみません)。
東京ドームのライブ、DVDにならないかしら。日本版があればいいのに!
とにかく、わけのわからない、魔法にかかったみたいな、壮大な3時間だった。


そのせいか。
ストーンズが来日するというのに、ふつうな私がいる。
今まで全部行ったのに。初回なんて真冬に2晩並んだのに。
スポ日の記事を読んでいたら、だんだん醒めてきちゃった。
お家芸の派手なステージで、お金もたくさんかかるのはわかる。
だけど、不良のための不良の音楽だったはずなのに
お金持ちが楽しむばかりのエンタテイメントになっちゃうのが、少々不満なのだ。
狭いライブハウスで窒息しそうになりながら見たいわよ。
と、そんなことでは大御所は見られなくなってしまうから、言ってられませんけどね。

ディランは、ライブハウスで格好よろしかった。会場はディランコスプレのオヤジ多数だったけど。
チケットとれなくて、大阪まで0泊3日だったけど(つまりは往復車中泊)、それでも。

12月はエルビス・コステロが待っている。ワクワク……。

……映画が底抜けに素敵だった、ジョージの
『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』、やっぱりDVDで買おうかなぁ。

ご無沙汰しておりました

2013年10月 9日 (水)

しばらく書いていない自覚はあったものの、
え、6月以来更新していなかったのか。
申し訳ないな……ブログに。ごめんなさい。空ばっかり見てました。
もう秋ですが、アサガオもハイビスカスも元気です。

5月に自宅を高円寺に戻して、
8月に事務所を吉祥寺に移して、
夏から秋にかけて、お手伝いしていた書籍が三冊発行されております。
役に立つ素晴らしいお話ばかりです。多くの方によんでいただけるとうれしいです。

『「不思議な世界の力」を借りて幸せになる』松原照子さん(東邦出版刊)
https://amzn.to/2XSFPq8


『世界一シンプルな驚異の実現法「ワン・コマンド」』アサラ・ラブジョイさん(VOICE刊)
https://amzn.to/2GQMHP4



『人生逆転! ココロの切りかえテクニック スーパーマインドセット』若月佑輝郎さん(VOICE刊)
https://amzn.to/2LbWoMl



ぼんやり空を見上げていたら
ブルーフィールド内視現象というのをつくるのが上手になった。
もういつだって、光の粒が見えるぞ!
 ※ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E5%86%85%E8%A6%96%E7%8F%BE%E8%B1%A1

夜は夜で、光が降り注ぐようなのが視えるけど、あれはなんだろうな。
……夜空の見過ぎですけどね。

 

 

 

 

 

 

高円寺駅

2013年6月21日 (金)

諸般の事情で、2011年の12月に高円寺の街を引っ越しすことになったとき
高円寺駅を歩きながら
「あのさ、私本当に引っ越しちゃうんだけど、いいの?」
と、駅に言ったら、駅は黙っていた。
……そんなもんだよなぁ、まあ。
と思って、火星に引っ越した。

2013年の5月19日に、わが町・高円寺に戻ってきた。
新居は高円寺駅間近で、ホームがよく見える。

「戻ってきたよ。どうもありがとう」と言ったら
駅はちょっと笑ったみたいだった。

火星路線最後の日

2013年5月15日 (水)

十日ほど前のこと。
取材に行く途中で、賃貸の審査に入った不動産会社から連絡が入ってあたふた受け答えし、Suica定期券を電車に忘れてしまいました。

と、気がついたのは、ロング取材が終わってからのこと。
Suica定期券が拾得されたら電話がかかってくるはずとたかをくくり、待っていたけれど、待てど暮らせど電話がないので、こりゃだめだったかと半分諦めモード。
だけど、あのSuica定期券とパスケースとの縁が切れる気はしなくて、しばらくしてからJRに電話をしてみたところ、
ちゃんと足跡を辿ることができました。

新宿駅に届いていたけれど(そんなに近くにいたのか!)、期限が来て東京駅経由、警視庁遺失物センターにいったとのことで、遺失物センターの問合せ先などを教えてくださいました。

たらい回しは、ちょうど月の双子座ボイドのときだったので、想定内です。
たらい回しでもなんでも、あればいいのです。

で、遺失物センターに問合せると、すぐにみつかりましたので、翌日引き取りに行きました。

窓口で番号を伝えると、ものの10分で現れました。
長く使い込んだ定期券のパスケース。収容所暮らしに、少し疲弊したように見えました。


…使われず、ただの「もの」としてあると、だんだんすさんできます、「もの」って。

10日ぶりだかの再会。
こんなに長い間放っておいて、ただただ申し訳ない。どんなに心細かったことだろうと思います(定期が)。

再び手にすることができて、とてもうれしかったです。

改札に入ろうとしたら、自動改札機にはじかれて入れませんでした。
落としたのときのまま、定期券の時は止まっていたのです。
しみじみと感謝して、駅員さんに使えるようにしてもらいました。


そのとき定期券の日付をあらためて見たら「5月17日まで」。


その日は、引越しで、火星路線に最後に乗る日付だったのです。
静かに驚きました。

偶然といえばただの偶然。
私はこういうの、すごくうれしく思います。
はじめからちゃあんとわかっていたんだねえ、決まっていたんだねえ、と、定期券をスリスリしました。


そんなわけで、その週末にえいっ、やっ!とお引っ越し。
5月20日月曜日からは高円寺路線です。


拾って届けてくださった親切などちら様、どうもありがとうございました。

花吹雪

2013年3月29日 (金)

女子三人で某ホテルへプレス発表会に伺いました。
空き時間にチャペルを拝見しに。
ソメイヨシノが見事に咲き誇り、風に花吹雪が舞っていました。
それを見たスタッフYが、おもむろに、風に舞う花びらを
手のひらでキャッチしようとしています。
なんどもなんども。彼女がくるくる舞っているようです。

「地面につく前に花びらをキャッチできたら、しあわせになるんです。
今年はまだキャッチできていないので、今のうちに!」 と、Y。

それ、なにかの言い伝えなの? と聞いたら、
「わたしの」と言いました。

なんだかとても素敵な景色でしたよ。
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品川プリンスホテル・ホワイトチャペル前の桜

その如月の望月のころ

2013年3月26日 (火)

「願わくば 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ」

大好きな句。
旅と桜の歌人・西行法師の、あまりに有名な句です。
西行はこの歌を発表した10年後に、その歌のとおり、
「如月の望月の頃」、大阪の南河内にある弘川寺で亡くなります。73才でした。
桜を愛し、きっと桜にも愛された人でした。

あした、3月27日は、旧暦の「如月の望月」です。
今年はこの時期に、満開の桜を見ることができます。うれしいな。

花を見ながら、どうぞ桜の歌人に思いを馳せてみてください。

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新井薬師の桜です。

サ神と桜

2013年3月24日 (日)

日本の暦が最初につくられたのは、飛鳥時代の604年だそうです。
案外新しいです。
日本で稲作がいつから始まったかというと
いまのところ、朝寝鼻貝塚(岡山県)で見つかった栽培種の稲の細胞化石、というのが古そうです。
約6000年前、縄文時代後期にあたるとのこと。

暦もなしに、稲をつくるのはたいへんです。いつ、モミを蒔くのか……。
そう。そこで活躍していたのが桜だと思われます。
ウィキペディアをのぞくと、「ムカシヤマザクラ」(素敵な名前!)の化石が見つかっており
日本では少なくとも数百年前から桜が自生していたと推察されています。

暦のない太古の人々は、
桜の花が咲くのを合図に、苗代をつくり、モミをまきはじめたと思われます。
農耕民族にとって、春の訪れ、モミの蒔き時を伝える桜が、いかに大切なものだったかは
容易に想像がつきます。
命をつくる稲作を支える木に咲く花。
桜に神が宿ると思うのはとても自然なことでしょう。
その桜に宿る「神様」は、私たちがよく知る、記紀以前の神様です。

その昔、「サ神」さんと呼ばれる山の神様がいらっしゃり、
そのサ神さんが宿るくら(くら=座、神座=かむくら、といいますよね)が
「さくら」である、といわれます。
サ神さんは、稲作と深い関わりがあるようで、
稲作の大切なことばに、「さ」がつく言葉が多く残っています。
皐月(さつき)はサ神さんに田んぼに降りていただく月。
早乙女(さおとめ)が早苗(さなえ)を植え、田植えに励むのです。
サ神さん信仰の片鱗を垣間見るような気がしませんか。


今日の桜は、サ神さんを思いながら眺めました。
太古の人々も私たちと同じように、桜を特別な思いで眺めていたのかもしれませんね。

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サ神様の話は、西岡秀雄著『なぜ、日本人は桜の下で酒を飲みたくなるのか?』 に詳しいです。
木花咲耶姫命(このはなさくやひめ)は、山の神様の大本締め、大山祇神(おおやまづみのかみ)の娘なんですよね。

「さくら」の語源と「櫻」の字源

2013年3月23日 (土)

桜の語源を調べるといくつか出てきます。
ホント、インターネットって便利。大きく分けるとこんな感じかな。

1 木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメ)のサクヤがサクラに転化したもの。ロマンチックです。
2 咲く+ら(「ら」は接尾語) の転化。
3 咲く+うら(麗)の転化説。美しく咲く、という意味。
4 「サ神」ともいわれる田の神様が宿っていることを指したもの(クラは「座」と考えられ、神様の座、依り代 的に考えられるということです)。


個人的には「4」にたいへん肩入れしています(全体で見ればマイノリティみたいだけど)。
サ神さん、萌え~です。
そして、明日あたりは、サの神さまについてちゃんと書いてみよう。

さて、桜は、旧漢字では「櫻」と書きます。
大昔、貝は財産を指したそうですから
 ※中国では、貝殻をお金がわりにしていた時代がありましたから、
  財産をあらわす漢字に「貝」がつくものが多いです。
  ただ日本では「貝をお金がわりに……」という資料はみあたりません。
  古代中国でお金がわりにした宝貝(子安貝)が、日本では装飾品になっていたようです。
その貝がふたつもついて(財産度、高い! つまり稲作と深く関係するのか!?)、
しかも女がついているし、やはり木花咲耶姫命と深く関わるのか……
なんて期待(?)が高まりますが、
「櫻」だって中国生まれの漢字ですからそれはありません。残念。

手元の『漢語林』で「櫻」を調べると、
──音符「嬰」(オウ)は、首飾りをめぐらすの意。首飾りのような実をつける、ゆすらうめの意味を表す──と出てきます。
ちなみに「ゆすらうめ」って、日本に入ってきたのは江戸中期らしいです。


白川静先生ならさらに恐ろしいことをおっしゃるでしょうかね。

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2012年の熊野での桜。

火星の桜

2013年3月21日 (木)

昨日は仕事が一段落したところで、火星の近所を桜さんぽしました。
「きっとあそこ、咲いてるね」というところに行き、そこをスタートに、
きれいきれいと言いながら、桜が見えるほうへ歩いていきます。

いろんなお宅に、公園に、学校に、たくさんの桜があるものです。
みんな桜が大好きなんだなー。
なかでも、中学校のぐるりを囲むソメイヨシノが圧巻で、満喫しながら歩きました。
樹齢50年は軽く越えるような立派な木も、それは元気に花をつけていました。

とはいえ、まだ三分咲きくらいが多くて、きっと週末もきれいなんじゃないかな。
三分も五分も満開も散りはじめに花吹雪…すべてがきれいなのが桜です。

今日は品川のプリンスホテル横のさくら坂の桜がきれいで、
グランドプリンスホテル高輪の日本庭園には
咲き誇るソメイヨシノの前にある「満開です」の看板に愛を感じました。

きれいきれいと言いながら、みなさんが花を見上げ、写真を撮っている姿が大好きです。
みんな、桜が大好きなんだなー。
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「桜の樹の下には」

2013年3月20日 (水)

桜にまつわる作品で、2番目に好きなのは
梶井基次郎の「桜の樹の下には」。
 青空文庫より http://www.aozora.gr.jp/cards/000074/files/427_19793.html
 ※短いから3分で読めます。

十代の終わりから二十代前半、梶井基次郎が大好きで、なかでもこれが一番好き。
短編というより、私には散文詩。高校時分に読んで衝撃でした。美しくて。
この透視性にはとても影響を受けたように思います。


夜、人気のないどこまでも続く桜並木を歩くと、妖艶さにぞっとすることがあります。
見上げるとポップコーンみたいにぽんぽん浮かぶ白い花々。
ひそひそとささやき声が聞こえてくるようです。ときどき、うふふふふ、と笑います。


花々の現実離れした美しさと圧倒的な生命力。
その中で人ひとりの存在のなんと小さなこと。
夜中の桜は、この世のものではないように思える瞬間があるのです。

桜の精の濡れ衣

2013年3月19日 (火)

母は少しカンの強い人で、私が幼いときから
やれ「あのとき火の玉が…」「虫の知らせが…」なんて話を普通にする人だ。

その母が、昨日書いた桜の木の家に住んでいるとき、ずっと具合が悪かった。
三年間で二回手術をした。
もとより更年期だったこともあると思う。
あるときニコニコして手招きするので「なあに?」ときいたら、
「マリは弟か妹、欲しくなあい?」と訊かれた。……おかあさん、残念!

その家に暮らしている間、じつは母の具合がずっと悪かったのだが、
次の家の舞鶴(京都府)に引っ越したらケロッと治った。

「おかあさん、すっかり元気になってよかったね」と言ったら、
「実はね、マリが恐がるから話せなかったことがある」と、母。

「あの家はなんだか少し、変だったよ。
とくにマリの部屋。
お母さんはあそこに昼寝で五分横たわっただけでも、金縛りにあってたの。
百発百中だよ。恐ろしかった」
…どうりであまり来なかったよな。私が部屋を変えたら来たくせに。

少し背筋が寒くなった。
ちなみに、私はそこで毎晩寝ていたにも関わらず、金縛りなんてあったためしがない。
家になにかあるときは、長い時間家にいる主婦に障りがいくというけれど…。
「大きな木が覆い被さっているのは家相もよくないと言うし、木の精が怒ってたのかな」なんてことも言っていた。

もちろん断じてそれはない。濡れ衣もいいところ。
木が家を重いと感じていたなら、もっと木に近い部屋で何かが起ころうもんだし。
桜はいつだって私に親切だったし。
もっと別の理由があったはずだ(練兵場の跡地らしかったし)。
確かに多少陰気な感じのする家ではあった。

まあ、以来おかげさまで母はとても元気で、
八十才にして西に東に「人様のお役に立てるなら」と言いながら駆け回っている。

私はいまだに金縛りにあったためしがない。
おそらく、これからもね。
「もう! びっくりさせないで!!」と、怒鳴ることはある。

桜の精

2013年3月18日 (月)

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小学校5年生のときに引っ越していった小倉の家に、
とても大きな桜の木がありました。
思えば私の桜が好きなのは、
あの木への特別な気持ちから始まったのかもしれません。

家に覆い被さるくらい繁っていたソメイヨシノ。
枝からブランコをさげることができたくらいだから、
当時で樹齢40年くらいあったのだと思います。
その木が大好きでした。

おねだりしてブランコをつけてもらったものの、
実際にはほとんど使いませんでした。木が気の毒で。

夏になるとものすごい蝉時雨で
夕方になると地中からようやく抜け出して、幼虫から成虫になるセミがいくつもおりました。

声はすれどもセミを探せない私に、
「ほら」「ほら」「あそこにも」と、父が指差すほうをみると
いとも簡単にセミが見つかるのには、子ども心におどろきでした。

六年生の夏休みが終わる8月31日の晩、
もう二度とこんなにすてきな夏は来ないことが悲しくて
布団のなかでギャン泣き、もとい、さめざめと泣きました。

夏のひとときのキラキラが、それはやさしく美しく、
その輝きから抜け出して他人のように秋を歩きだすのが、たまらなく悲しかった。
そして自分は大きくなっていく。
この夏には二度と会えないことがせつなくてせつなくて。


翌朝、目をはらして始業式に行きました。
学校の友達との楽しい日々に、せつなさはちぎれ飛んでいきました。


そんな女の子を、桜はどんな思いで見守ってくれていたのかしらと思います。

あのとき、木の精がいるのを静かに感じていました。


大きくなって、かつて住んでいたその家を見に行ったら、
伐られてしまって、桜はもうそこにはいませんでした。

でも、きっとずっと覚えてるな。
せつなかったこと。
桜の精と暮らした日々の輝き。

 

 

桜のゆめ

2013年3月17日 (日)

今年もまた桜の季節がやってきます。
先週いそいそと、一筆箋を桜バージョンに衣替えしました。

咲いている間、できれば毎日でも花を見たいと思います。
今年はどれくらい見られるかしら。
年に一度、桜の季節がきます。
110才くらいまで生きるとして、さくさく動いて桜を見る機動力が持てるのは
あと50回くらいなんじゃないかしら。
と思うと、今年会える桜のことを、いろいろ考えます。
さまざま出かけるのもいいし、でも身近な桜とたくさん話すのもいいし。

ずっと思い描いている夢があります。
ひとつは、吉野桜を一か月間眺め続けること。できれば「桜花壇」がいいんだけど。
ずっとお山にこもってね。金峯山寺(きんぷせんじ)の蔵王堂に毎日お参りするんです。
金峯山寺は、わたくしのヒーロー、役行者が開いたお寺です。
蔵王権現を感得した役行者が、桜の木に蔵王権現を桜の木に刻んだことから、
桜がご神木とされてます。
 *吉野は奈良県にあります。
   吉野から熊野の山々が、古くからある日本の山岳信仰の聖地のひとつ。
   熊野の那智の瀧を見下ろす青岸渡寺も、役行者開基のお寺。
   役行者は修験道の開祖です。

吉野の桜は、山桜。日本にむかしむかしからある桜です。
花は桜、桜は吉野の山桜。

今、さまざまな場所にたくさんある染井吉野は、
江戸の染井の植木屋さんが、吉野桜をイメージして品種改良してつくったといわれます。
宝くじの売り上げで、いろいろなところに植えられるのが染井吉野です。
染井吉野の寿命は60年ほどといわれますが(これも状況が変わってきている模様。弘前公園の例もあるし)、
山桜は千年生きるものもあります。それでいて、環境の悪化にはとてもデリケートです。
山桜は花といっしょに、赤みをおびた葉も出るところが特徴的です。
独特なやさしいたたずまいをいています。


そうそう、2つめの夢は、桜前線にあわせて、日本中を旅することです。
沖縄の寒緋桜から、弘前公園の染井吉野まで、各地の桜をずっと旅したい。
桜のことだけ感じながら、考えながら、ずーっと。


いつかできるような気がしますよ。
そのために生まれてきたような気もするな。

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食の好みと前世と

2013年3月16日 (土)

人の性格は、育ってきた環境によるものが大きいというのが定説ですが
もって生まれたものもあるといいます。
わかるような気がします。
たとえば食べ物の好みにしてもそう。生まれもっての「好き」があります。

私は玉子が大好きだし、海苔とチーズも好きでたまりません。
どうして好きかというと、もちろんおいしいからですが
なぜそれをおいしいと思うのかについては、よくわかりません。
食べてこんなにしあわせな気持ちになる理由がわからないし、飽きないのも不思議です。

育てられた環境というよりむしろ、
はじめに食べたときから、おそらくは先天的にすでに好きなわけです。
大げさにいうと、食べるとからだ全体が喜ぶ感じがすることがあります。
好きの向こうのこの感覚がどこからくるかのか、よくわかりません。

そうだ、海苔食べながら瞑想したら、前世まで遡れるんじゃないか。
なんてったって、海苔はヤマトタケルの時代から
チーズは「蘇」として奈良時代から、あるそうですからね。
そんな記憶と自分の好みがリンクしていると考えると、ちょっとロマンチックです。

 

 

玉子への執着

2013年3月15日 (金)

玉子が好き。なぜだろう。
毎日食べても飽きることがない。「キミは完璧だ」と思う。

今まで何万回に近く目玉焼きを食べているだろうに
何度目でも愛おしく思うのはなぜ。どうして慣れないの。
黄味がつぶれてしまうと、ものすごく残念に思うのはなぜ。
何度食卓にのぼってもごちそうに思えるのはなぜ。
きっと五年後だってわたしの愛は変わらない。

毎日のようにきつねうどんに入っている玉子を見て
好きだな、きれいだなと思って、やっぱり今日も最後まで食べずに
フィナーレにちゅるんと飲み込む。
あの、ノドで黄味をつぶす感じがたまらない。
その行為を、今まで何千回やったというのだ。飽きない。

玉子かけご飯は玉子かけご飯で、これまたパーフェクトと
思ってしまうのはなぜなの。
どうして飽きないの。
何度見ても、どうしてゆで卵をかわいいと感じてしまうの。
しかもどうしてあんなにおいしいの。

親子丼より玉丼よっ!


玉子は私を裏切らないなぁ。
執着かしら。玉子に。前世になにがあったのかしら、私たち。
ただの巳年のせいかしら。

春へとすすむ

2013年3月14日 (木)

ついこの間、年越しとお正月でワクワクして、
七草粥だ、鏡開きだと楽しんで、
豆をまいたらチョコレートでひと盛り上がりしてもうひなまつり。
春一番を迎えたら、今度は待ちに待った桜の季節の到来で……。

その間には何度かの新月と満月があって、
日の出の角度が日に日に変わり、昼間が少しずつ長くなっていく。

季節のある国で、豊かな自然と暦とともに暮らすことの豊饒。
手を伸ばさずとも、気が付けばここにある豊かな世界。

めぐる季節の美しさとたのしさをたっぷり受け取り、
味わいながら、
日々の営みを重ねようと思うのです。

笑って歩く

2013年3月11日 (月)

高校2年生のときだったか、
金魚すくいのプラスチックの水槽を眺めていたときのこと。
死んだ金魚が2尾浮いていて
その下を何事もないような様子で、たくさんの金魚が泳いでいました。

少し不思議な光景でした。
私も、私たちも、このようなのかもしれないと思いました。
私たちの生きる下には、とても多くの人々の屍があり
その上を私たちは、何事もないような顔で生きている。

十代の半ばに、それは残酷で、寂しいことでありました。
けれど、今思うことは少し違います。
私たちは、あの命を受け継いで生きる自分を知っている。
遠くから面々と続くいのちに支えられていることを知っています。

それは縦にも横にも、血がつながっている・いないにかかわらず
思いとして、集合的に、つながっているものだと感じます。
そのバトンを受け取った責任と感謝
それを胸に、できればいつも笑って歩きたいと思うのです。

眠る前に聞こえる声

2013年3月10日 (日)

眠るときに、「声」が聞こえる方、いらっしゃいますか?

私が眠る直前に、人の声が聞こえはじめたのは、ひとり暮らしの二十歳の頃か。
遠くで私を呼ぶ声がする。声の主は、故郷で暮らす母であり、父であり(当時は存命)、
「まりー」とか「まりちゃーん」とか、呼ばれるのだ。
とても親密な感じで、その声が聞こえると私は深く眠れるので
自分の中では「(夢への)お迎え」と思っていた。

それがいつの頃からか、知らない人の声になっちゃった。
最近はみずしらずの方ばかり。親密かどうかはよくわからないけど、悪い感じはまったくない。
男性、女性、いろいろだ。
毎晩続くこともあれば、1週間もご無沙汰なこともある。
突然耳元で大きく聞こえて、こちらが驚いて「わっ!」と驚くこともある。

最近は「気をつけて」と言われるのが二度続いた(気をつけていたら助かったことは実際にあった)。
少し前に「気をつけないと事故になる」と聞こえたときには、声も深刻だったので、ずいぶん気をつけた(ので、大事にならなかったと信じてる)。
つい先日は、言葉ではなく、とてもきれいな音だけ聞こえてきた。
「七福神かどなたか、いたはります?」という感じ。
声を探しているうちに、深い眠りにおちていくのは変わらない。
毎晩、今日はくるかなと楽しみにしている。

厳密にいうと、さわさわさわさわと、たくさん聞こえる場所があって
私自身がそれにアクセスできるかどうか(するのかどうか)に近いかもしれない。
実際には、声の場が先にあって、入眠時に私はそこにたどりつくことができる。
そこから自分がなにをすくいとるかどうかという、こちらの問題のような……。
さらに今週気がついたのは、「ああ、耳じゃないんだ」ということだった。
どうやら頭の中にダイレクトに響いてくるらしい。
多かれ少なかれ、聞こえてくるのは、自分に関係のあることなんじゃなかろうか(希望的予測)。


なんだろう、集合無意識とアクセスできているなら、
これほどうれしいことはないんですけど!

 

 

視力矯正クロニクル

2013年3月 9日 (土)

お年頃で、近くのものはいろいろと見づらくなっているようです。
しかしありがたいことに、周囲の友人たちと比べても、進みはゆるやかです。
あんなに視力が低かったのにな。
もしかして、いつもゆるめの矯正で、遠くを見ることをあきらめていたのが幸いしたのかもしれません。
過矯正は老眼になりやすいとか、なんとか。
なにが幸いするか、わかりませんね。自分の視力矯正クロニクルをまとめてみました。

視力が低いのは子どもの頃からずっとです。
片目だけでものを見ると、右と左で世界がぜんぜん違うのが面白かった。
小さな子どもですから、みんなそうなんだろうと思って過ごしていました。
小学校に入って初めての視力検査で「右1.5」「左0.1」と言われて驚きました。
「視力」という概念の存在。さらに世界が違って見えるのは自分の視力のせいと知ったときの驚愕。
私は1才になるかならないかで、目におできができて軽い手術をしたそうです。
「あのときの手術のせいだわ」と、母は苦々しげによく言いました。
その理由が本当かどうかはわかりませんが、眼鏡屋さんで矯正していただくときに
「左目はなにか事故ですか?」と訊かれることがあります。

それでもさほど不自由はありません。はじめからいいわけではないから
「もっと」という欲求を強く持ちませんでした。
小学生のときも教室で前のほうの席にさえしていただければ、眼鏡もかけずにすみました。
周りの大人の人は、「眼鏡をかけて矯正しないと、よい方の目が引っ張られて悪くなるよ」と呪文をかけましたが
果たしてそのとおりになっていきました。
いいほうの視力がどんどん悪くなり、もともと低いほうを下回るようになったのです。


眼鏡をかけたのは中学に入ってから。
作るのにとても時間がかかってげんなりしました。今でもあの検査は苦手です。
「これとこれ、どっちが見えますか?」と言われて、どっちも見えないし、大差ないし、どうでもいいということを
なんだか申し訳なくて言えなくて、適当に答えるものだから、どんどん時間がかかります。
つまるところ、もともと低い視力のほうは強度の乱視+近視。しかも矯正視力はあまり出ません。
一部始終を見守っていた母が、終わったあとに言いました。
「見え方がズレてるから、あなたはへんな男の子ばかり好きになるのね」って。
ごっつ失礼です。

大学生になって、初めてコンタクトをつけて(ハードです)、あまりの痛さに驚きましたが
花も盛りの時節がら、購入。
翌朝つけたものの、痛い。涙ポロポロです。
ガマンしましたが、だんだん痛みが激しくなって、目も赤くなって、
せっかくのデートが台無しになりそうなので先に眼科に行ったら
レンズが割れていたことが判明。ぎゃふん。
乾燥甚だしく、しよっちゅう落としてもいたので(ご飯食べていてご飯に落ちたりする)
ハードは早々にあきらめましたが、ソフトレンズも何度か失敗を重ねて、眼鏡に逆戻り。
この頃で、裸眼視力は右0.02以下、左0.03くらいでした。

そんな毎日を変えたのは1日使い捨てコンタクトレンズの登場です。
不器用で面倒くさがりの私に、こんな便利なものはありません。
ただ、乱視矯正を諦めなければ、ワンデイは使えません。
即断で諦めました。
どうせ左目は矯正視力が出ない。そしてわたしは右目でものを見る。
この法則がわかっていたので、途中からレンズの片目入れをやりはじめました。
右目のみ矯正、左は裸眼で普通に生活していました。
そしてときどき眼鏡を使う(両眼矯正)。

見え方に不自由はありませんでしたが、たまに猛烈な頭痛に襲われるようになりました。
もともと頭痛持ちですが、まったく質が違います。
金槌で思いきり殴られたような痛みがくるのです。
歩いていても突然それはやってきて、くると痛みにしゃがみ込み、頭を押さえていました。
動けないし、吐き気がするし、その場で痛み止めを飲むけど効かないし、死ぬの!?と思いながら
頭を抱え込んだまま、遠のくのを待っている……。
そのときに、無意識に眼鏡を外していることに気がつきました。
これ……か?
もしかして、コンタクトレンズを片目づけしたり、眼鏡をかけたり、くるくる変わるのに
私の目とか頭はついていかれへんてことかも???
時をほぼ同じくして、職場の同僚から、
「あんた、左目が動かなくなってるで」と言われ(たぶん右目でしかものを見なくなっていた)
怖くなって片目レンズをやめ、眼鏡に切り替えました。

不思議なことに、それでその金槌頭痛はぴたりとこなくなりました。
左目は動くようになったのかどうかは、私はよくわかりませんが。
思うに、眼鏡をかけたりかけなかったり、レンズを片目だったり両眼だったり、
そのたびに違うバランスで筋肉を動かして調整するのが、目の負担だったんじゃないでしょうか。それが金槌頭痛という暴挙にでた、と。
目からくる頭痛、あなどれません。
年齢を重ねるにつれ、昨日できたことが今日はムリになることもあります。
ようやく二十代の半ばで、目の主張に気がつきました。


もう長い間、私の視力はパソコンの画面を見るのに合わせて矯正しています。
もちろんちゃんと両眼入れて、ワンデイです。
両眼で0.6くらい見えています。
遠く……向こうにある駅の表示などは読めませんが、不自由ではありません。

近年お年頃で、近くのものへのピントが合いずらくなったりしていますが
日々変わるピントを確認しながら、目の都合に合わせて自分の動作を変えるのを、少し面白いと感じています。
校正紙の文字以外は見えなくても放置することが多いです。
お皿やらご飯やらはとけて見えないことも多いです。あるのはわかるけど。
自分の書く文字はよく見えません。でも、昔から目を閉じて書く練習していたので、平気。
階段降りるのは今に始まったことでなく、ずっと苦手。足下を見たら踏み外すので(乱視特有かな?)
できるだけ見ずに降りるように心がけます。あの感覚は少し不思議です。
階段は感覚で降りています。
段差見ながら降りられる人っているのかしらと思うけど。

それでも、老眼の進みが少々遅いのは、
もしかするといつもゆるい矯正だったせいかもしれません。
ずっと手元に焦点を合わせて、遠くを見ることは放棄してきました。
眼鏡屋さんに、「遠くは見えませんよ? いいですね?」と、いつも念押しされますが、
「構いません」と答えてきました。
仕事がら、原稿や校正紙読むのにラクなのが、なにより大事です。

今、見えるしあわせを噛みしめています。
ずっと視力が低かったし、周囲の大人も呪文をかけるし、「いつか自分はまったく見えなくなる」という恐怖が、幼い頃からぼんやりとあったのです。
なのに今、レンズのお世話になるとこんなに見えていることが、とてもしあわせ。
光の世界があることがとてもうれしいです。
見えないものが増えたとしても、見える世界を大切にしよう。
そして、たとえ私には見えなくても、
そこにある世界をちゃんと感じているようにしたいと思います。

睡眠不足と記憶障害

2013年3月 8日 (金)

若年性アルツハイマーの疑いあり、と言われて、
脳波の精密検査を受けてから、もうかれこれ3年ほど経つかしら。

記憶がどんどん抜けていく。
時間の感覚が、5分の感覚がわからず、不安でたまらない。
電話で話をしている相手がだれだかわからなくなる。
ちょうど沖縄の出張前で、時間の感覚がわからないから飛行機に乗れない
朝起きられなくて怖いと半泣きになっていたら
社長が「それなら朝からタクシーで空港に行け。
たとえ寝坊してもタクシーが起こしてくれる」と言うので(やさしいんだか、鬼なんだか)
お言葉に甘えて自宅から羽田まで早朝タクシーを使った。
新大阪まで往復しておつりがくるくらいのお金がかかった。

飛行機の待ち時間は地獄のようで、わたしはたぶん10秒おきに時計を眺めて
乗り過ごさないかどうかドキドキしていた。
こんなに神経質になっているのに、やっぱり遅れるのだ……。
沖縄のホテルでの取材だったが、先様の話す言葉がうまく理解できないので
とにかくメモをとりまくっていた。かなりへんなメモ。
部屋に戻ってから、メモと資料を見ながらその日のレポートを、A4で3枚くらいはびっちり書いた。
不安だったので書きまくった。
いつもなら頭の中にどんどん貯めるのだけど(20件はいつも貯めていた)、もはやそれができない。
かなりきつい体感だった。私、どうなるんだろう?

東京に戻ってから大学病院の脳神経科(だったっけ?)を受診。
CTを撮影すると、「たしかに脳に萎縮が見られるようだ」。
アルツハイマー用診断テストをするも結果はボロボロ。
「これを10秒見てください。はい、中になにが入っていましたか?」
と言われても、そんなのわかるか状態。
数字を覚えろといわれても、まったくわからない。計算は壊滅状態。
唯一、言葉……「ねこ」「さくら」「でんしゃ」は覚えられた。
医師はとても親切で、「脳の権威を紹介しますから、そこで精密検査してください」と紹介所を書いてくれた。

事務所に戻ってから、これはスタッフにもフォローしてもらわないとまずいと思い
みんなに様子を話した。「というわけで、みんな、少しフォローを頼むよ」
すると、Sがひと言、「マリさん、ちゃんと寝てみたらどうですか? マリさん眠らないじゃないですか」
なんだかぴーんときて、「そうだ、眠ってみよう」と素直に思った。
それまでの仕事の仕方で、睡眠3時間スタイルが続いていたし
しかも布団で寝ないし(家に帰ってお膳で仕事をして、そのままずるっとそこで眠って起きて活動していた)、休みもないし、
3時間も眠らないようなこともしょっちゅうやっていた。


あのとき、6時間、いや7時間睡眠を、しかも布団で横になってやってみた。
すると、みるみるうちに記憶が回復して、2,3日ですっかり元通りになってしまったのだ。
これには驚いた。なんだ? ただの睡眠不足だったのか?
眠るだけで記憶できるようになるのか?
それから毎日気をつけるようにした。
極力布団で、ちゃんと眠るように心がけて5年が経つ。
もう記憶障害なんてヤだものね。


ひと月後、脳の権威のもとで精密検査は受けたときは、すっかり元通りに戻っていた。
権威は、「なにも異常ありませんけど?」と、MRIの結果を見て少しフキゲンに言った。
そりゃそうだろう。アルツハイマーテストも、ほぼパーフェクトにできたし(しかも前とツールがいっしょだった)、
傍目に私は健康そうだったと思う。
「あの、睡眠不足で記憶に障害が出ることって、あるんでしょうか?」と訊いてみた。
「当たり前です。人の記憶は、眠って定着するようにできている」と、権威がフキゲンに教えてくれた。


眠らないと記憶は定着しないらしい。
それまで3時間とか1時間半とかでふつうに暮らせていたのに、
突然同じことができなくなる。
つまり、年をとり、肉体が衰えるって、こういうことなんだろうと思った。
自分の「老い」を悟った瞬間だった。心臓が先に止まらなくて幸いなことだったと思う。
それなら私も、肉体にあわせてレベルアップしていかなきゃ。
眠らないともたない、肉体のパフォーマンスと呼吸をあわせるように、
肉体をいたわって、慈しみながら、大事にして暮らさないとな。
以降、できるだけ4時間半は眠るようにするし、眠れるときはちゃんと6時間以上眠るようにしている。
おかげさまで記憶は定着したままで、以降深刻なトラブルはない。


眠るって大事。眠る間にいろいろなものを、からだは静かに修復するんだと思う。
たぶん、眠る時間は深い深いしあわせを紡ぐ時間なんだよなぁ。
本当は成長ホルモン(←この名前よくないよなぁ)の出る、夜10時~深夜2時に
眠れたらと思うけど、それは少々ムリがあるので実現していない。
とにもかくにも、睡眠不足をあなどってはいけません。
「そんなに眠る時間がないわよ、もダメ」(ほんとに死んじゃいます。仲のいい友人に、睡眠不足で、文字通り死にかけたのがふたりいます)。
肉体の声に耳を傾けて、その声を聴く。
うまく気づいてあげることがなによりだいじだと思います。

発想の転換

2013年3月 7日 (木)

子ども時分の思い出話です。

小学6年生の学級会で、どうしたら自習の時間に静かになるかという議題になりました。


月並みな意見が色々出たあとで、
「まあ、やってもあんまり効果ないよね強制力ないし…今までも何度も話したもんね」
となったところで、誰かが言ったこと。

「ねー、みんなで大騒ぎになっとうときに、一瞬静かになるやん。
わかるやん?
そしたら、ぜったいしゃべらんことにせん?」

目からうろこの意見だったが、ちょっと刺激的でおもしろそう。

「したことないけ、やってみよやー」ということになった。


で、やってみた。

いつもの通り、大騒ぎの自習中に、ふとそのシーンとした時間がやって来て。

…大成功だったんだよな。

「きた!!」 と思った瞬間に、笑い出しそうだったけど、みんなこらえて静かにして、チャイムが鳴るまでやり過ごせました。


ふと思い出した、子どもの頃の発想の転換成功例。

今思い出したってことはよ。
なにかに活用できるんじゃないかしらん?

白ちゃんへの罪悪感

2013年3月 5日 (火)

猫のサカリは、春一番より早い。
1月のまだ寒い頃から互いに呼びあう声が聞こえてくると、そろそろ春だなと思う。

春一番も過ぎて、サカリもいったんは落ち着いたはずなのに 。
最近また白の雄猫・白ちゃんがナーナー鳴きはじめた。
ふたたび雌猫を探している模様。
きみ、1月に首尾よくやったんちゃうんか?
デート現場はみたで。


あんまりナーナーやってるので、つい、出来心で(ま、ときどきやっちゃうんだけど)、猫声で二階から応えてみた。
…私、猫とか、羊とか、少しカラスとか犬とかの鳴き声やるのが得意です。

すると、白ちゃんがにわかに色めきたって鳴き始めた。「にゃおうー(どこ? どこにおんの?)」
「ナーン(ここよーん)」と遊んでいたけれど、
白ちゃんがあまり真剣なのでなんだか申し訳ない気分になり、種明かしした。
二階から顔を出して、にんげんのことばで「ごめんごめん、わたしやねん」といったのだが、
じっとしばらく私を見て、「お前ちゃうねん」と、たしかに言った白ちゃんは、
ふたたび鳴きながら(つまり声の主の別嬪を探しながら)、歩いていってしまった。

やれやれ、と思っていると、しばらくしてうちの庭にやってきて、「にゃおう」と、探してる。
白ちゃん、なんかせつない気持ちになってきて、申し訳ないことしたなと反省することしきり。


じつは昨晩も、姫を探して、鳴く白ちゃん。そして今朝も…。

白ちゃんは声の主に恋をしてしまったのかもしれない…もしかして。
ごめんなさい。

その仕事は、愉快かしんどいか

2012年9月23日 (日)

新宿駅の小田急とJRの連絡改札で少々鈍くさいことをして、自動改札機を通れず
JR南口の有人改札にまわりました。

日曜夜の新宿駅は結構混んでいて、JRの駅員さんは対応に追われていました。
私たちより前に並んでいたのは、外国人女性。
地図を示しながら、「新宿三丁目に電車で行きたい」と、駅員さんに行ってます。
「歩いたほうが早いですよ。目の前の道路を左へ直進、大きい交差点を左へ、まっすぐ……」
言葉がなかなか通じないのがなかなかまどろっこしい感じです。

わたしたちの番かしら、と思いきや、その前に小さなお客さんがいるのが目に留まりました。
カウンターの下から、5才くらいの男の子が、「おもちゃを落とした」と駅員さんに訴えています。
駅員さんが「どこ? どこで落としたの?」と尋ねると。
「わからない。落とした。落とした……」と連呼しています。
おーい、この子の親御さん、や~い!! と、そのまま男の子は誰かに呼ばれて駆けていきました。

かと思うと、三十代男性に向かって
「お客さん、入札記録から2時間経っています。何をしてたんですか?」という駅員さん。
「ええと、忘れ物を取りにいってました(しどろもどろ)」みたいなやりとりをしていたり。

私の番がきて「小田急の連絡改札で、改札機入れたのに通れなくて……(もごもご)」
パパッとSuicaの処理をして、
「はい、ふつうに入っていただけます」と通してくれました。

この間、ものの5分足らずの出来事です。
まるでお祭り騒ぎの有人改札。さまざまな人生のスクランブル交差点となって、ドラマが展開するようでした。

見ているだけで、駅員さんのご苦労がしみじみとわかりました。
もしも自分ならこの仕事をどうとらえるだろうと、ふと思いました。
果てがないほど山積みになった規則性のないSOSから要求される、迅速な処理。
息つく暇もなく訪れる、大なり小なりの厄介な問題。
たまには「態度が悪い」と怒鳴ってくるようなスペシャル厄介なお客さんもいるかもしれません。

そんな時間を、忙しい、厄介、すり減っちゃう、しんどい、辟易すると感じるのか
縁の下で人の人生を支える喜びを見いだせるのか、そして人の性を愛おしいと思うのか、
同じ状況、仕事でも、こちらの感じ方・考え方次第で、いかようにも展開が変わるものだと思いました。
どこにフォーカスするのか、とても大事です。

難儀な仕事でも、おもしろさに上手にフォーカスしながら、愉しんでできればいいなぁ
そんなことを考えた日曜日の夜。
明日は月曜、ウェルカムワーキングウィークです。

 

 

 

 

怪談

2012年8月18日 (土)

怪談が好きだ。
編集ということを生業にするようになって以来
本でも雑誌でも映画でも音楽でも
製作側のことが頭をかすめるので、100%は楽しめないことが多い。
……150%くらい楽しんじゃったりするから。

というのは置いておいて、怪談・奇談が好きだ。
子ども時分はコワイコワイと逃げまどっていたくせして、大人になって好きになった。
いい年をした大人が、だれかの制作物なのに、そんなことも気にせず、
読後までコワイコワイコワイとこわがっているのがうれしくて。
「うわー、わたし、マジでこわがってるよ!」と自分で思うのが、好き。
想像力増進型なのだ。
キョービそこまで浸れるエンタメがあるだろうか(なんちゃって)。

『新耳袋』とか好きだったなぁ。
よくできてるよ、しびれるー!! でもなかの話、どっかで聞いた気がするんだが……と思ったものが。
著者の木原浩勝さん・中山市朗さんはご両名とも大阪芸大(映像)の卒業生だったと知って合点がいった。
芸大のある南河内という場所は、怪談・奇談には事欠かない場所だったし、自分が絡むこともときどきあった。

わたしはチキンで、けっこうな恐がりだ。
見えないものの存在は感じる反面、「私を脅かすな!」と、激しくバリヤを張っている。
物心ついた頃「わたしは、一生、見たくないっ!!」と、強烈に思ったのを覚えている。
脅かされるのはとてもキライ。突如の爆音ときてれつな映像は御免被る。
都会の駅のホームも、かなりハラハラして歩いている。
「私はなにもできませんし、みえません、ごめん!」と念じつつ歩く。そこにチューニングするの、ヤだ。

夜、お経を詠んでいて、すーっとドアが開いたりするのもヤだ。
「もう~、頼みますよぉ」と言いながら、泪目で締めに行く。
「受け取ったぞよ」は、もう少し繊細なやり方で伝えてほしいと思う。万葉の恋文的な。
それが読み取れるくらいは修行しますから、と思ったり。

夏の終わりに、ラフカディオ・ハーンでも読みますかね。


うう、出雲に行きたくなってきた。

見えない聞こえないお年頃に思うこと

2012年8月 8日 (水)

どうか自分の昨日のパフォーマンスと比べたり、人様の何かと比べたりして、
今日の自分のからだを責めないであげてほしいと思います。
からだとちゃんと仲良くできれば、いじめなければ、自分のからだの声をきくことができれば
ほんとうはきっともっとみんな元気になれるんじゃないないかなと思います。
かくいうわたしもずっと、からだの理解者ではありませんでした。
でもね、ここ2年くらいで、人が変わってからだも変わった。すっかり元気になりました。
今の自分のからだを感じ、見てあげられる、
会話ができるようになったからかなと思っています。

自分がだれかに褒められたいのと同じくらいは、からだはわたしに褒められたい。
わたしが、褒めてあげるのがいちばん大事だという気がしています。
…気づくのに45年かかったわ。
もっと早くに気がつけば気がつくほど、いいことがいっぱいあると思います。
今わたしは見えない聞こえないお年頃ですが、
以前にも増して自由になった感覚とからだを感じています。


1歳になったばかりのときの目の手術が原因といわれ、子どものときから視力が悪かった。
子どもには「見づらい」「見えない」という概念がないので、世界はそんなものでみんなそうだと思っていた。
片目を閉じると世界が揺らぐ感じ。
小学校に上がって視力検査をして、右目が1.5で、左目は0.1ないくらいと知る。
ああ、自分の目が悪かったんだと初めて知った。
初めて視力検査をした帰り道、「これが見えない」ということなのか、みんなじゃないんだ……と
片目をとじとじ帰ったことを覚えている。

しかも矯正視力が出なかった。
なにかが決定的にだめみたいで、レンズをつけても視力が出ない。
眼鏡店では長―い時間検眼されて辟易した。
専門的なことがわかる方は「なにか事故ですか?」とおっしゃった。
本人は慣れているので平気だったが、親がたいそう気にした。
娘がいつか視力を失うことを恐れ、非常に姿勢をとやかく言った。

親の不安が伝染したんだろう
「いつか見えなくなる」というぼんやりとした不安はいつもともにあった。
視力を失ったら指圧師になろうと思っていたので、わたしは今でも少し指圧が上手。
もっとも、コツがどうというより、押してほしいところがなんとなくわかるのと、
指の力が強いので重宝がられるだけだけど。

母は聴覚が弱かったし、見る、聞く、しゃべる機能のなにかを損なう漠然とした恐怖が
成長過程でいつもあった。
人魚姫が好きだったのと喋るのが苦手なせいで、ひとつ失うならば喋るのを失うのがいいです神様、
視力は最後までもっていたいです……と思う子どもだった。

そんなことを今朝思い出したのは、わたしはきっともう失わないだろうと思ったからだ。
ありがたいことだ。
相対的にとらえるとだめなんだろうけど、それなりに見えて聞こえることが、このごろ愛おしくてたまらない。
視力は相変わらず悪いし、コンタクトレンズを入れて両眼で0.7はない。
お年頃のせいで毎日少しずつ着実に昨日よりも今日は見えなくなる。
でもPC打てる、ものが書けるから、充分。
マシンの文字はワンタッチで級数アップできるし、おかげさまで画面を見るのをキツイと思うことはない。
聴覚は少し前に低音性難聴といわれた。疲れると聞こえない。
残念なことにライブ行くと3日くらい聴力が戻らないので、耳栓して聞いてることが多い。
けど気にしない。ライブハウスの空気吸っていられるだけでいいや。

相対的には、日々少しずつ損なわれているかもしれない。
でも日々少しずつ、昨日見えなかったものにふと気がついて、世界が豊かになっていく。
気づいた瞬間に見えるものがあるんだよ。
お年頃で少しずつかすむ世界が、負け惜しみじゃなくてきれいに感じるんだよな。
今しかできない見え方が美しいんだよな。
昨日の見え方を望まないの。わたしは進化しているから、世界はどんどん変わるの。

何度も開腹してつきあってきた腫瘍とか、そんなからだの持病もそんな感じ。
たぶんわたしは、もうからだのどこも責めないなぁ。
「今まで責めていてごめん」と心底思ったから、たぶん婦人科の持病とも邂逅したと思う。
だから治ったと思っている。たぶんもう開腹しない。
孤独だった臓器に、感謝を添えて思う限りやさしくしてあげようと思う。
するとほんとうに人が変わったように体調がよくなって2年経つ。
たぶんわたし、もう大丈夫だもんなぁ。

夢のお迎え

2012年7月29日 (日)

気づいたときに不思議話をまとめておこうかと思う。
思い出したときに、ぽつりぽつり。

子どもの頃からわたしはたいへん寝付きが悪かった。
眠るときに音楽を流そうものなら、聞き込んでしまい、そのままアルバム2枚、3枚……
聞き続けることも少なくなかった。
それが眠れるときの規則性に、十代の終わり頃だかに気がついた。
お迎えが来てくれることに気づいたのだ。

ひとつは、夢のお迎え。昨夜見た見た夢のしっぽがふっと思い浮かぶようになると、もうすぐ。
起きている間はかけらも覚えていないのに、昨夜の夢の顛末がリアルに蘇ってくるのだ。
ちょうど大河ドラマのいちばん頭に、先週のストーリーをおさらいするような感じ。
あるいはわたしが夢のほうに走っていくと、夢のしっぽが見えて、それをつかむことができたみたいな。
するとそのまま夢の世界に旅立つことができる。ここから後戻りをすることはまずない。
たいへんな安堵感に包まれて眠りに落ちる。

夢の始まりは、壊れかけたTVの真逆な感じ。
砂の嵐の中にジジッ、ジジッ、と、徐々に映像が現れてくるようなのに似ている。
普段はそんなふうに、夕べの夢が迎えに来るのだけど
たまに違うもの……いけない夢がくることがあって、さわりだけ(ジジッ、ジジッ)と来たところで
「そっちはだめ!」と、全力で正気に戻るように努める、覚醒する。
その先はたいへんな悪夢なのだ。ジジッジジッと、見るに耐えない魑魅魍魎なんだもの。
チャンネル間違えるとそうなる感じなんだよな。


もうひとつの、大事なお迎えがある。これはひとり暮らしを始めた十代の終わりくらいに気づいたことで
寝入りバナに、耳元で呼ばれるのだ。「マリ!」とか「マリちゃん」とか、「おーい」とか。
あまりに急に大きな声で呼ばれるので、びっくりして目が覚めることもあるくらい
(そんなときは、きょとんとして、ああ、アレだと思うとすぐに眠る)。
親の声が多かった。たとえだれの声とはわからなくても、たいへん親近感があるというか、家族的というか、わたしのことを好きな人の声だというのが直感でわかる。
ただ、この頃は少し様子が変わってきて、知らない人の声が増えている。
まったく知らない声で「ねえ、ちょっと!」みたいなときもある(あるいはわたしの名前をしらないのかもしれない)。
でもその声が聞こえると、ああお迎えだ、夢の国に行くんだ……むにゃむにゃ……ぐぅ、ということになる。



自分を振り返ると、眠れないのは単に、体力がありすぎてのこと。
1日30時間くらいで平気な体力がわたしにはあったのだと思う。
だから眠れない子どもは寝かせなければいい。好きなだけ本を読ませればいい。
もっともこの頃は、「眠れない」とはほど遠い毎日。
「さあ眠ろう」という前に眠り落ちてしまうのが、しあわせな悩みです。

うちの神祀り

2012年7月27日 (金)

核家族なので、伝統的な神祀りを知らない。
ばあちゃんちは、ずいぶん立派な仏壇はあったけれど、たしか神棚はなかったように思う。
仏壇のお道具がかわいらしくて大好きだった。

実家の母は少し変わっていて
神棚をつくらず、お札も置かず、しかし信心していてものすごく好き勝手な神祀りをしている。
……母の決めた場所に、神祀りの場所がある。
そこで母は手は合わせるものの、本格的にお参りするのは、別の広々した場所でのびのびとやっている(夜目撃すると、かなりびっくりする)。
宗派はない。完全オリジナル。
一方、私の家には神棚がある。「神棚しつらえたの」と言うと母は「いいねー」と言う。
「お母さんは神棚つくらないの?」と聞いたら
「うん、べつにいらない。なくてもちゃんとお参りできるから」。まあ、決まりや形にあまりとらわれない人だしね。

この間神祀りについて母娘で話していたときのこと。
わたしがしている月初めの四方拝の話になって
「月はじめは、家の四方にお酒をまいてお参りするんだよね」とわたしが言ったら
   ※みそかの夜に、八方権現(ハッポウゴンゲン)さんと
     大屋毘古(オオヤビコ)の神様にお参りする
「あらいいわね。ま、お母さんは毎日八方拝だけどね」と少し自慢げに言われた。
そのころわたしに八方拝の知識がなかったので「なんで八方なのよ」と聞いたら
「わかんないよ、そんなの。そのほうがいいの!」と母。
母は、自発的に拝み始めた人なので、まあ、いろいろあるんでしょう。
おそらくだれかに教わった拝み方じゃないと思うんだよなぁ。
しかし時を経るにつれ、八方拝なる正統の拝み方がちゃんとあると知り、少し不思議な気分だ。母、何者!?

自分ちの神祀りも、相当勝手なような気がする。
ひとつはお札の数。多いんだよな。たぶん、お札だけでも神棚に十柱いらっしゃるか。
(ご縁のある神々、ご挨拶させていただく神様はたぶんその倍ほどになる)
神社庁のサイトには「複数のお札は重ねる」と書いてあったけれど
それをするとものすごく嫌がられるので、極力重ねない。
いや、入らないから重ねるけれど、神棚で宝塚立ちなさっているような、そんな状態(すみません)。
あと、神棚はお祀りするときトビラ開けたらだめなはずなんだが
扉を閉めるとどうにもごきげんがよろしくないので(神棚しつらえたときにいろいろやってみたのだ)、失礼ながら開けています。ごめんなさい。

うちの祀り方は、ずいぶんフランクなんじゃなないかなと思うけど
だって神様が「重ねるな、しめるな」おっしゃるのんだもん とわたしは勝手に思っています。

仏壇も……フランク。なんちゃって仏壇。
お仏壇屋さんで「お仏像は1仏だけ」と言われけど、結局3仏あるな。
十代の終わりごろか、般若心経を詠んでいたら「浮遊霊が頼って寄ってくる」と言われたことがあり、恐くてドン引きしたことがある。
そんな話を母にすると一喝された。
「迷ってるものは気の毒なんだから、あなたが上にあげてあげなさい! そのくらいの力はあるから大丈夫っ! そのくらいできなくてどうするの!」だそうです。
いつも母は強い。かといって別に「上げ方」を教えてくれるわけではないし。
ただ、ああそうですかと思うと、別に恐くもなくなって今に至る。
読経の森に迷い込んだことはあっても、浮遊しているなにかに悪さはされたためしはない(と思う。感じないからわからない)。


ちなみに、般若心経をあげていると、霊が喜ぶというのはまんざらウソではないと思うのは
先日夜詠んでいたら、隣にいた夫が
「死んだオヤジが、『こっちで聞くとこれがよかっちゃんね』と言って、お経に合わせて踊ってる……」と言う。


たしかに、そういうものなのかも知れないけど。
踊っているのか、お父さん……。

ゴキが人を助ける!?

2012年7月16日 (月)

犬と育つ乳児は病気に強いというニュースが9日だったか。
http://www.afpbb.com/article/life-culture/health/2888706/9232654
ものすごくおおざっぱに言うと、「無菌状態でいるよりも、適当に菌と共存すると、人間強くなりますよ」ということになるか。

先日知り合った方のお嬢さんが通っていた幼稚園は「超スパルタ」(母親談)だったそうで
どんなに病気でも欠席してはいけなかったそう。
風邪はもちろん、水疱瘡やらおたふく風邪でも病欠厳禁。
「菌はみんなで共有しましょう」なんだそうだ。
さらには「お弁当を残してはいけない」というお約束もあって
「たとえ落としても食べなくちゃだめ」と、徹底していたそうだ。
砂の上にミートボールを落としても、子どもは食べなくちゃいけない。
だから母は、おかずを作るのにいろいろ考えて難儀していたということだった。
お子さんは今小学生の中学年だが、ものすごく元気でたくましいということだった。

そして今日はゴキの脳の成分が細菌に打ち克つらしいというニュース。
http://www.qlifepro.com/news/20120716/from-the-brain-of-the-cockroach-escherichia-coli-after-exposure-a-promising-antibiotics.html

ゴキ、ね。そんな秘密があるとは知らなかった。
ゴキは好きではないが、ナメほど苦手ではない(ナメはDNA的に苦手。たぶんあのネガティブな感じがだめ)。
かたつむり化粧水がえらい話題になったけど、ゴキが同様の製品になる日が来るのか?
不老長寿の珍味、ゴキの脳丸薬とか。
そういえば韓国の街角で、虫のスナックが屋台で売られてたっけな(少し似てた)。
素朴な疑問で、生きてるゴキはいったいどれほどのバイ菌を運んでいるんだろう。
身のまわりにある(キッチンにある)もので、いちばんバイ菌がついてるのって、いったいどれなんだろう。
で、どのくらいのバイ菌量になったらこちらの症状が出るのか、それとこちらの免疫力の関係は???

と、謎の発生には枚挙にいとまがないので、また今度。

「今ここ」とミサイル兄弟

2012年7月15日 (日)

昨晩はミサイル兄弟の15周年記念ライブだった。
15年な長いんだろうか、短いんだろうか。

「お嬢さんと結婚させてください」
「ふん。あんた、なにしている人?」
「はい。ロックンロールバンドやってます」
……というときの親の反応。
それから「へえ、それで食えてるわけ?」と聞かれたときの、少し残念な感じ。
そういうことを考えると、インディーズでロックンロールをやるのはたいへん、と思う。

インディーズは、逆年功序列だから、年々逆風強くなるいっぽうなのもつらい。
だからこそ、30歳くらいで売れていないとき(=10年くらいやって売れないとき)、
みんなこれから未来の人生を想像して、あるいは今までの自分を振り返って、
生き方を修正したりすることが多いように思う。
ほかに適性が見つかったり、やりたいことが見つかった人は、うまく足を洗えるだろうし。
それもいいんだ。
気づいた瞬間に、気づいたようにクリエイトしていけるのが人生のいいところ(*^_^*)

スピリチュアルの世界では「今ここ」を満足に感じることの重要性がいわれるけど
ミサイル兄弟のメンバーは、全員が「今ここ」だけみたい。
「今ここ」で「ロックやる、ロールやる」、ただ、それの連続。
そもそも「続けよう」とか、未来に向けた熱い気持ちもビジョンも、だれからも聞かないし、
過去を振り返っで悩んでいるのも知らない。
ただ魂のおもむくとおり、
主義主張は「ロックンロール以外は全部ウソ」で、やりたいことやってますという感じ。
……徹頭徹尾「今ここ」であることは、社会的には無計画に見えるのかもしれない。

メンバーの平均年齢が48歳。
「いい加減、ふつうに仕事しなさいよ」なんて、もはや誰にも言わせない。
わたしは横で見ているだけなので、「今ここ」だけじゃありません。
「次は20周年やりたい♡」とか
「オシャカとミサイル兄弟とスマイル兄弟と、生きてるうちにワンステージでぜんぶ見たい」とか、未来にいろいろな野望もあるわけです。
でも毎回ステージ見て、「最高!」と思えるのはものすごくしあわせ。
人生で3本の指に入るバンドですから(ほかはRCとムーンライダーズ)。

15年が長いか短いかは、やっぱりわからない。

2011年のライブ映像(赤つなぎは15年間同じものを使用)

『ミサイルトレイン』
https://www.youtube.com/watch?v=EsIb9tImOrg
『銀のヘルメット』『ゼンンブカンチガイ』
http://www.youtube.com/watch?v=v564bQzngJQ

 

 

火星銀座

2012年7月10日 (火)

終電に乗り過ごし、深タク帰り。
「都立家政」までと言うと、「お、火星銀座?」とおっしゃる。
火星銀座??? 初めて聞いた。へえ。
「うん、そう言うんだよ」と運転手さん。

「じつは実家が近くでさ。だからあんまり通りたくないのよ。
実家にさ、別れた女房がいるんだよね」

──え? 別れたのに? ずいぶん仲良しですね、もと嫁と親御さん。
「うん、オレなんかよりずっと仲良くてさ。
だからオレ、離婚してもどこにも行くトコなくてさ」

──ははははは。
「ははははは」

なんだかふたりとも笑いが止まらなくなってしまって笑っている間にうちについた。

ぶつける人、切り傷が多い人

2012年7月 1日 (日)

先日、スタッフ庄司が撮影でご一緒したフォトグラファーさんが、
カンが強くていらっしゃるそうで
「内山さんは、手足なんかをいろいろなところへぶつけることが多いと思いますよ」とおっしゃったという。
たしかにその通りだ。わたしは手足をどこかにぶつけることがとても多く、青あざだらけ。
子どものときから、外科関連で病院に行くときも、95%は打撲と突き指だった(突き指もまあ、ぶつけてそうなることに代わりはない)。
今も。青タンだけが人生だ(うそ)。
わりと激しくぶつけてはいるが、ありがたいことに骨を折ったことはない。

そういえば学校に上がる前から、おでこを見せるの厳禁で育った。
「マリは、前髪を上げても分けてもだめ」と母に言われ、たしかに頭をよく打った。
頭が大きくて思いので、たいてい転ぶときは頭からいくし、ほんのちょっとしたところから
バランスを崩してよく落ちて、たんこぶを作った。
たまに陥没するほど打ったけど、切れたことはない。

気になって周りを見てみると、
どちらかというと打ち身が多い人、切ること(流血、火傷を含む)が多い人、折る人、事故の多い人、に分かれるように思う。
外科的アクシデントについてはあまり考察していなかったけど、
それぞれのゾーンが意味することはやっぱりなにかありそうだな。
ほら、病気をよく見つける人はいるでしょ、風邪引きやすいとかも。
打ったり切ったりも同じで、怪我にもそういう分類ゾーンみたいわけで傾向解析できそう。
小学4年生あたりでカウントして統計取ってみて、性格の傾向と合わせたら、なにか出るぞ、きっと。

動きを丁寧にすれば打たずにすむのか……と思うけど
もうアラフィフというのに、手足頭、まだよくぶつける。
早い話が、まだ、わたしは自分の肉体に慣れてない気もする。
運転する車の車幅がわからないに等しいから、端っこをよくぶつける。
自分では不可抗力と思っている。

言ってるそばからさっきも、敷居に左足の薬指を思いきりぶつけて、気絶するかと思うほど痛かった……。

南河内万歳一座「夕陽ヶ丘まぼろし営業所」

2012年6月28日 (木)

*この文章にはお芝居の結末も含まれるので、観る予定のある方は、観てから読んでください。

2013年は劇団結成満30年周年記念だそうです。
南河内万歳一座は1980年に大阪芸大の在学中に旗揚げ公演。
1年の休団を経て、新作「夕陽ヶ丘まぼろし営業所」をひっさげて、復活しました。

「夕陽ヶ丘まぼろし営業所」は、まだ観ていない人にはぜひおすすめしたい作品です。
万歳史上、世紀に残る名作で、観るべしの作品。「唇に聴いてみる」を超えた!と思いました。
「唇に聴いてみる」のアンサーソングならぬアンサー芝居じゃないでしょうか。

夕陽のシーン、群衆劇、アングラ演劇を彷彿とする台詞まわし、肉体派、シンプルで最強の舞台装置、泣ける音楽……どこを斬っても金太郎飴さながらの、「ザ・万歳」のお芝居です。
各アイテムが複雑に絡み合いながら展開します。
そこに内藤さんの描く物語が合体して織り成す模様が素晴らしく、その完成ぶりに、
「唇を超えた!」と思ったのです。観ながら泣けてくるところも、“唇超え”でした。

「唇」にわたしがこだわるのは、自分の構成成分の五分の一が
「唇に聴いてみる」なんじゃないかと思うほど好きな作品だからです。とてもせつない作品でした(86年の改訂版をオレンジルームで、89年「唇に聴いてみるの作り方」をOMSで観ました。で、86年から万歳に傾倒したというわけです)。
胸の中でちろちろと燃え続けているなにかが、そのまま呼応してくるようなそんな感じ。
「唇」を観た後にせつなくてたまらなくて泣いたのなら(実際立ち上がれないほど号泣した、当時)
今度の「夕陽ヶ丘」は、うれしくてたまらず泣くのです。

あの日の少年は、せつなさを抱えたまま大人になりました。
ときにせつなさにうちひしがれることもありましたが、しかしなにひとつ捨てることなく、あきらめることもなく、とにかく歩き続けたのです。
あれから何年過ぎたでしょう。見た目は年をとりましたが、心は少年のまま。
そのみずみずしさをなにひとつそこなうことなく、静かに強くなっていました。
今少年は、すべての歩みをふりかえって、まあこんなもんだし、悪くないと笑うことができます。
いったん笑った後で、…おやまあ、彼はまた歩きはじめましたよ。そんな印象です。

年を重ねること、生きること、かならずしも思った通りの年齢の重ね方でなかったにしろ
そもそも思った通りってなんだよ、思ったイメージ、そんなもんホントにあったっけ?
……それを、夏を待つイメージと重ねながら、物語は進んでいきます。
ふと気がつくと思いもかけないところを歩いていて、そのときようやく初めて「ここどこ?」に気づく。
「ここ」に違和感を持つものの、そもそも行きたい夏はなんだったのか、ほんとうはイメージすらできていなかった事実をつきつけながらも、
歩くしかないじゃない、今ありき! では、まいりましょう!!  みたいにたたみかけてきます。


たとえ見た目の醜さをはらんだとしても、年齢を重ねる事象に対して、全肯定。
「生きる以上は諦めるな、今からでも、描く夢があるならば、一歩一歩つみかさねるのだ」
と、スネに傷持つ、「カラスの姐さん」を通して描き出します。
カラスの姐さんの終盤「だけど……手伝いたかったね!」の台詞まわし、笑いにかえてあったけども
あれは「唇」の運動会の玉入れで玉を数えたあとの「勝ちたかったね!」のパロディでしょう。


一方で、飛行機の機内の模様を格差社会にたとえたり、目に見えないものを怖がる集団を描き出したり、
センチメンタルが横糸なら、縦糸はシュールな社会批判(分析?)、これも、内藤さんのお芝居の真髄ともいえる見事な構成でした。
劇場の外界に広がる「今、ここにある問題」について的確に描かれていたように思います。
縦糸と横糸のバランスがよくて、それがとても心地よくて。ぴたっとキマった感じがしました。


南河内万歳一座、そして内藤裕敬さんの「第二章、はじまり、はじまり~」と、のろしがあがったようでした。
内藤さんの強さとやさしさに、勇気づけられます。確かな今があるから、余計に。
こんなに素敵な先達がいるなら、わたしも元気に歩いていけます! そんな感じでうれしかった。

ところでうちに帰ってから、ヒロイン不在に気がつきました。
いつの間に、せつなさの質が変わっているのかもしれませんね。そんなお年頃なのかも。

南河内万歳一座 http://banzai-ichiza.com/


*余談*
芸大出身者として、自分もそうだし、周りをみていても思うこと。
自分から発露するものを作る、作り続けていくのは、ときにものすごくキツイこともあります。
社会的な風当たりもあれば、その作業自体がキツイことでもあるし、
でも、それをしなければ、私たちは生きられない。
それはただの思いこみかもしれなくても、
「これがないと生きられない」と思いこめちゃう自分たちのことはキライではありません。
これ幸いと足を洗った人もいれば、違う道を歩んでしあわせを手にした人もいる。
続けたくても続けられなかった人もいるし、運良く続けられた人もいる。
甲乙つけられるものではない。ただ、「今、ここ」があるだけ。
それにしても30年も続けていられるのは、とてもしあわせなことです、ありがとう
と思うのでした。
万歳にも自分にも、続けている周りの人たちみんなにいえることじゃないのかな。

 

 

 

 

大成功と大失敗のはざまで

2012年6月12日 (火)

気分転換にドトールで原稿を書いていた。
隣に居合わせたのは初老の男性で、携帯電話で、「たった今ホテルを買った」と少し興奮気味に話をしていた。
従業員ごと、箱も運営権も買ったそうで、「今日のうちに金庫を押さえるべし!」みたいなことを電話で指示していた。
不動産売買をやっていらっしゃる方のようだった(ホテルは、リーズナブルなビジネスホテルみたいだった)。
非常にうれしそうでいらっしゃったし、羽振りのいい話なので、よろしいなぁと思ってみていた。

ホテル購入男性の次に座った男性は、年の頃はわたしより下か。
求職中だった。マスコミ狙い。
履歴書やら求人情報を入れたクリアファイルが、5センチ厚さになっていた。
急に携帯で電話をかけはじめ、「人事担当お願いします」と言ったかと思うと、
「なぜ自分はだめだったのか」を延々と尋ね始めた。
しばらく10分は席で電話していたけれど、立ち上がって店内をうろうろして
充分いっちゃってるヒトになって、なぜ自分は不合格だったのかを問い詰めていた。
電話は20分ほど続いて終わった。落ち着いたかなと思うと今度は
「合否結果は20日でも、もうそろそろわかっているでしょ。わたしは合格か、不合格か」という恐ろしい電話をかけ始めた…。
やばい。
量産した履歴書が見える。
ハーフ・シャドウの証明写真を貼った履歴書では難しいぞ。
そのやり方と考え方を変えないと、前に進めないかもよ!
でも、わたしチキンですから、それはお伝えしなかった。

外応だと思って店を出た。
ちょうどそんな原稿を書いていたから。
負のスパイラルに絡め取られた人と、成功をとんとん続けている人と。
たいした差はない(現実、3分差で同じ場所に座っているのだ)。
しかし日本海溝より深い差がある。そういうことなんだ。

人は自分の意図で、どの方向にも進むことができる。たぶん。
日々の選択が、未来を作っていく。
呼んだ未来(エネルギー的に呼応した未来)だけがやってくる。

見える人にはクリアに見える「当たり前」なことが
見えない人にはまったく見えない。

この混沌とした世界が、わたしのいる愛おしい世界だ。
で、お前はなにをするの? それを突きつけられているみたい。

天井裏にあるもの

2012年1月 9日 (月)

1か月前に引き続き、パソコンの配線をふたたびお願いしたので、
今朝も工事の方が我が家の天井裏に入ってくださった。
二度も大がかりの工事をするのは申し訳ないのだけど、
事情がかわったからしようがない。同じ工事の担当者だった。

見えないから、天井裏なんて普段意識したこともなかったのだけど
工事中、横からこわごわのぞくと、あまりにちゃんと広いのに驚く。
うちのすみずみまで天井裏からいけるのだもの(←工事の人談)、驚く。
意識したこともないのに、これだけ立派に状況があることに、びっくり。
人が生きることに、なんだか似ている。

問題は、自分はどこを見るかと決めることではないのかしら。
そして同時に、自分の目に映る(知っている)以外の世界があるということを、
認識しておくことなんじゃないかしら。
意識せずに、人は選んでいる。信じている(=決めつけている)。
なんてことを天井裏を通じて思っていた。象徴的な気がして。

天井裏になにかが棲んでいて、いつもわたしの暮らしをのぞいている……
という妄想はやんわりある。家鳴りだって多いしな。
思わず工事の人におずおずと、「天井裏、変わりありませんでした?」と訊いてみる。
「大丈夫、なにもいません。1か月前と変わりません」とお兄さんが笑って応えてくれた。

 

 

大晦日によせて

2011年12月31日 (土)

「新年も大晦日も、いつもと同じ時間が流れているだけなのに
それが特別なものみたいにしているのなんてばっかみたい」

16才の大晦日の夜。帰省した四国の実家でそんなふうに思った。
「なんで、大晦日だお正月だと騒ぐのかな。いつもと同じ時間に変わりないのに」

その大晦日の深夜ラジオでは、新曲ほやほやの「赤いスイトピー」が流れていたっけな。
反抗したい盛りで、早々にお茶の間を切り上げ、部屋でラジオを聞いていた。

聞きながらハッとした。親だってわかってる。いや、わたしよりずっとよく知ってる。
いつもと変わらない時の流れを、大晦日だ、新年だとやるのはきっと生きる智慧なのだ。

ばかばかしいなんて素振りも見せず、ちゃんと年越しそば食べて年越しして、正月の挨拶をするのは、
長い時間を超えるということの難しさと智慧を、身をもって子どもに教えているのか。

思い至ってようやく、正月を正月たらしめん親に感謝。自分も積極的に乗ることにした。
なにせ反抗期だったので、自分で納得しないと落ち着かなかった。


思えばそこにありありと現れるのは、サンタクロースの夢も、新年のありがたさも、
神仏の不思議も、同じに違いない。ないと思えば永遠にない。

大晦日は更けてゆく。だれの屋根にもひとしく時が降り積もる。
どうぞみなさま、よいお年をお迎えください。

さよなら、ムーンライダース

2011年12月17日 (土)

今日は自分の行く最後のライダースのライブになるので(たぶん)、チケットを買って以来なんだか緊張している。
いつもの12月のライブとは違うんだな。
ほんとに最後なのかな。マジで?
大人だから、言ってみただけで、ほとぼりさめたら「なーんちゃって!」なんて戻らないかな。
ぜんぜん構わないのにな。

「物は壊れ人は死ぬ、そういうわけさハニー」とか、「Who's Gonna Die First」?とか、さんざ言われてたから、いちばんお別れが近いバンドのような気もしていた。
でももう、好きになって26年になる。メンバーも変わらなかった。
わたしの部屋の上に住んでいた仲良しの女の子が、彼氏に触発されて聴いていたのを耳にして、大好きになった。二十歳だった(その彼氏のバンドが「ソフト]といって、ライダースの前座をやったと思う)。
最初は、当時の新譜の「DON'T TRUST OVER THIRTY 」だったな。
ムーンライダースが解散する。ほんとに? まだ信じられない。言うてるだけちゃうのん?

わたしのからだの五分の一くらいは、ムーンライダースの音楽でできている。
いちばん泣いた音楽はなんだろうと振り返ると、圧倒的にムーンライダースだ。
スタイリッシュだし、都会的だと思うけれど、
それ以上にわたしにとっては心の芯に触れてくる曲だった。
なんど号泣したか。そしてそのまま何度眠られなくなったか。朝、目を腫らせて困ったことか。
そしてひとりで部屋の中、いちばん踊ったのもムーンライダース。

たくさん教えてくれた。人を好きになることのどうしようもなさや、せつなさ、
時の流れの非情といとおしさ、
うつろいゆくものの美しさ、大人になる子ども、年を取るということ、
思いと食い違う外側だとか、死にゆくものの思い、喪失感、消えてしまいたい気持ち、覚悟、覚醒、トリップ、そんなの、みんなみんな、
青い悩みや悲しみは、すっぽりムーンライダースの音楽に入ってしまう。
ムーンライダースの曲越しに、父を思いやることができた。
そして、こんなにヒリヒリの人たちがわたしより年を重ねているのだから、
わたしだってきっと生きていけるに違いない。この人たちが生きているなら、絶対!
そんなふうにも思っていた。
わたしの、前に進む力だったな。そしてすっぽり包み込んでくれる包容力とやさしさ。
最終的には全肯定なところも大好きだった。大げさでなく、生きる力だった一時期もある。

新譜はきちんと対峙しないと聴けないからと
2枚、封を切っていない新譜が飾ったままだ(おいおい)。
できれば死ぬまでこのまま飾っておきたい気分だよ。

永遠に最高にクールなバンド。わたしのなりたい大人たち。
ありがと、ムーンライダース。またね。

映画「奇跡」鑑賞メモ

2011年6月12日 (日)

九州新幹線を題材にした映画だと聞いていたので、それだけで充分興味があった。
九州新幹線は2011年3月12日に、博多~鹿児島中央間が全線開通。本州への乗り入れも始まった。
しかしその晴れやかな日は、あの東日本大震災の翌日だったのだ。
震災を考慮し記念式典はすべて中止。CFはお蔵入りとなってしまった。
しかし、震災の騒動のなか、SNSでまわってきたCFが感動的で、号泣しちゃったっけ。

映画「奇跡」は、なにもかもよかった。
平凡な日々、普通な人々への、素敵な応援歌だと思った。
日々の暮らし、へなちょこなあれこれだって、全肯定してくれるような優しさ。
過ごした時間はすべて人の糧になっていくのだという感じ。それがたまらなく優しいのだ。
子どもたちは成長していく。
憧れた昨日は戻らないけれど、新しい明日は少し素敵になっていることもあるのよ、
それが生きるということで、そのこと自体が奇跡なんじゃないか。
そういうことを淡々と描いた映画だった。
決してドラマチックじゃなくて、全編通じて抑え気味なところもいい。
子供が国語の授業で読む、谷川俊太郎の「生きる」がまた、いい味出してた。

九州人なので、映像の九州独特の田舎の景色にはかなりぐっとくる。
「かるかん」(鹿児島銘菓)なんていわれても、九州以外の人にはピンとこないんじゃないかな。
それから自分がインディーズのバンドマンの妻というのも多分にある。
描かれた世界が、自分にとっての日常にとても近いからかもしれない。
インディーズバンドの父を持つ兄弟が
弟「“インディーズ”ってなに?」
兄「ようわからん。ちょっと売れてないってことなんじゃないか」
という会話も、かなりツボで笑いが止まらなくなった。

たくさん笑って、号泣しながら見たけど(ヤな涙ではないです)、しかし待てよ。
たくさんの人に「おすすめ!」といえるかどうかはちょっと別かもしれない。
単にわたしのツボなのかも。
映画「アイデン&ティティ」が大好きだったのだけど、わたしのなかの系列は、一緒なんだよなぁ。

とにかくすべてがいい景色だった。
「アイデン&ティティ」が好きな人は、きっと好きだと思います(ほんとかな)。


九州新幹線のCF  これ見るとやっぱり何度でも泣けちゃう。

http://www.youtube.com/watch?v=UNbJzCFgjnU

番外編 佐世保の父の葬儀 2

2011年1月31日 (月)

近親者の葬儀は、中学のときの祖母の葬儀、20年前の父の葬儀、そして今回と、3回目になる。
仕事に段取りをつけて、わたしが滑り込んだのは通夜直前、葬儀場だったけれど、
いろんなことがあまりに便利になっているので驚いた。
えっ、ここ、そのままお泊まりしていいんだ。お布団まであるんだ。えっ、シャワーもあるの?

控えの部屋はバストイレにキッチン、お布団付きだった。
お通夜だし、完徹覚悟で行ったわたしに、「この巻き線香、10時間もつねん」と夫。
まさか、布団で眠れるなんて、ちょっと拍子抜けだった。お通夜なのに。
とにかく線香を絶やさぬように、死者が戻ってもこられないように煙でいぶし出すように線香焚きまくっていた
必死に起きていたあの夜はなんだったのか。
世の中便利になったもんだなぁ。
これで葬儀中に倒れる人は、圧倒的に減ることでしょう(ちなみに実父の葬儀中は救急車騒ぎがあった)。


20年前の実父の葬儀のとき、仕切ってくれた葬儀屋さんの仕事ぶりがあまりにクールで完璧だったので
心惹かれた。
穢の仕事をこんなに美しくしてくださることに、遺族代表として(?)惚れ込んだ。
「葬儀屋さんってかっこいい! できたら嫁にいきたいぞ」と思って今に至る。
今回は普通だった。普通にちゃんと仕事してくださったのでなにも問題はない。

そう思うのは、こちらが大人になったせいかもしれない。
一晩葬儀場にいて思ったことは、
ファシリティもホスピタリティはいくらでも改善しようがあるし、
もしもレベルの高いホテルが本腰いれてきたら、
脇が甘いところはたくさんあると思った葬儀場サービス。
ホテルは
 1気持ちに寄り添う  2サービスの充実  3施設の充実 
ことのプロだから、本腰理詰め兵糧攻めでこられたら、どえらいことになりそうだ……
って、こないのか、ホテルは。
だから多少ソツがあったとしても安泰なのかな。


ところで、今回、義父の遺体を見たとき感動した。
入院しているときよりもずっと、父がこぎれいになっていた。
先に帰っていた夫に「親父、きれかぞ(きれいだぞ)」と聞いて「???」と思っていたのだが
お顔を見て合点がいった。とても丹念に死化粧が施されている。
「誰がしてくださったの?」と聞いたら、「病院の看護師さん」とのこと。
一般病室からホスピスに移っていたせいなのか、普通の病院ではここまでしてくれないだろうと思った。
湯かんの域ではない。
丁寧にシャワーしてくれたそうで、多分髪も洗ってくれたんだと思う。
死化粧はとても上手だった。自然な色になるようにダークな紅が淡く引いてあり、すごく上手。
男の人にするのは難しかろうに、わたしは現場は見ていないけれど、ありがたかった。
棺に横たわる父は、ぱりっとしたスーツに着替えて、伊達男が眠っているようにも見えた。
あの父の勇姿を写真に残さなかったのが、本当はちょっと心残りだ。


もっとも心に残ったのは、火葬場の収骨の担当者だった。
焼き上がった骨を、説明しながら、お骨を拾う段取りをしてくれるのだが
寒さの中、お骨の熱さに対峙するせいで、頬が真っ赤になっているのが心に残った。
のど仏はもちろん、ほかの骨も、ときどき手にとりながら淡々と説明してくださる。
遺族は、故人の骨に向き合った瞬間、叫ぶほど悲しくなると思うけど、
いや確かに悲しいんだけれども、
あの方がとても上手にガイドしてくださるせいで、静かな心でいられたように思う。
なによりお骨に対する彼の親しさ、親近感が、ものすごく心地よかった。
すばらしいプロフェッショナルだった。

ちなみに骨壺の小ささにも驚いた。同じ九州で、30年前と20年前はそんなに変わらなかった。
でも今回はえらく小さい。猫用より3サイズくらい大きいだけ。
大型犬くらいの骨壺じゃないのか!? なぜに!?
料金プランと関係があるのかとも思ったが、そうでもないみたいだ。
骨壺の小ささについてのツイート、読んだもの。


それにしても、最近の火葬場の近代化ときたら。
焼いている最中、出ない煙でも見に行こうと思って、ひとり表に出たのだが
煙どころか、煙突がなかった……。びっくりした。


さて、葬儀の不思議なところは、
死という穢の究極にいながら、別れの儀式はハレの印象さえあること。
故人の最期の晴れ舞台でもあるのかもしれない

だから葬儀は荘厳だし、関わるプロフェッショナルたちに深く敬意を払う。


義父が12月に突然病魔に倒れ、「年末までもたない」と聞いたときにはうろたえた。
悲しんでいる家族たちのなかで、嫁としてのつとめは、現実問題を乗り切れるように段取りしていくことだろう。
いかし、今、闘病している父がいるのに、葬儀の段取りどうしておけばいいんだろう……と悩み、
ツイッター上のお友達である佐藤葬祭の佐藤伸顕さんに、「葬儀屋さんを探すべきなのかどうか」相談した。
佐藤さん。わたしが今もっとも敬愛してやまない「おくりびと」です。

このときの佐藤さんの言葉が
「お守り代わりに相談しておいた方がいいと思います。良い葬儀屋さんが見つかりますように。一緒にいる時間が良いものになりますようにお祈りしております」
ものすごく元気づけられた。
「お守り代わり」の葬儀相談。
ものは言いよう、考えよう。そして
「残された家族にとって、一緒にいる時間をよいものにすること」。
しなければならないことを、こんなにやさしく諭していただいたことに深く感謝です。
おかげで自分のやらなければいけないことが見えて、迷いはなくなりました。

葬儀のこと、大切な人を送るということ。
近親者の葬儀を通じて、また深く考えさせられました。
こうして人は年を取り、豊かになっていくわけですね。
お父さん、ありがとう。

 

 

ねこの耳!

2010年10月13日 (水)

釣り上げたら…シュモクザメ 諫早沖、父と小3びっくり
長崎県諫早市多良見町沖の大村湾で11日、体長約1メートルのシュモクザメの子どもを地元の…… /2010年10月13日(水)

最後の「冷凍庫で静かに眠ってる」のくだりも気に入ったけれど、
この写真! 左端の猫にご注目ください。
耳が後ろに倒れていて、凝視しながら引いてる感じ! いいですねぇ。
朝から携帯に目が釘付けだったのでした。

 

 

日々の動物ばなし4つ

2010年9月16日 (木)

子ザルとウリ坊、きょうも一緒 京都・福知山市動物園
子ザルの「みわちゃん」が子どものイノシシに抱きつき、仲良く散歩する姿が京都府福知山市の市動物園で人気…

ところで今日は、日本で盲導犬第一号を育てた塩屋賢一さんの訃報に触れた。
御年88歳。
わたしの生まれるずっと以前、1950年から盲導犬育成に取り組まれていたのだそう。

また、この13日には、日本で初めてチンパンジーの人工飼育に成功した、
神戸市立王子動物園の元飼育員・亀井一成(かめい・いっせい)さんが80歳でご逝去。

おふたりの訃報に触れ、胸が熱くなった。
ご功労に思いを馳せ、ご冥福をお祈りいたします。


最近は人家に出没するという噛みつきサルのことが気がかりでならない。
彼(彼女?)はぬいぐるみを抱きしめている姿を何度か目撃され、
捕獲用の罠の仕掛けられた檻の奥には今、ぬいぐるみが置かれている。
遠いところに逃げてくれたらいいのにな。

 

 

 

 

おしなべてあたたかく見送りたい

2010年9月13日 (月)

「自死への偏見なくせ」 遺族招き思い聴く 仙台・慈恩寺
毎年3万人以上が亡くなる自殺の問題を宗教者として受けとめようと、宮城教区浄土宗青年会(47人)が先日、仙台市宮城野区榴岡の慈恩寺で、自死遺族を招いて当事者の思い……2010年9月12日(日)Kol net

「浮かばれませんよ」とか、戒めの戒名とか、言語道断で驚くばかり。
かたや、こうした問題に立ち向かい、行動を起こす僧侶がいらっしゃることをとてもうれしく思う。

決して対岸の火事ではなかろう。
人の痛みに対して鈍感だったり、慣れてしまったり、想像力の欠如しちゃうと、
こういうびっくりなことは日常的に起きちゃうのかもしれない(葬祭シーンに限らずね)。
想像力って大事。
思いがけないことで、明日はわたしがびっくりな僧侶のほうになってしまわないように
気をつけよう。

人を送るときは、等しく、あたたかく送って差し上げたい。

なかよし

2010年9月11日 (土)

夫婦で長寿世界一のクロサイ 広島市安佐動物公園
広島市安佐北区の市安佐動物公園で飼育しているクロサイの雌のハナが世界最高齢とわかった。ハナは44歳、連れ合いの雄のクロは43歳で、世界一の長生き夫婦/2010年9月11日(土)asahi.com
 
カップルでも、親子でも、兄弟でも、手をつないだふたりを見ると、こちらがニコニコになっちゃう。
仲よしのふたりをみていると、こちらまでしあわせになってくる。
世界平和の基本なんじゃないか。

「えさを食べるのも、木陰で昼寝するのもいつも一緒」っていうのがいいねぇ。
なんだか涙腺ゆるんじゃうよ。
大好きなんだね。

ボス、すべてうまくいっている

2010年8月21日 (土)

服役中ボスへ、サッカー番組使いメッセージ 伊マフィア
 
【ローマ】イタリアの国営テレビRAIの人気サッカー番組が、刑務所に服役しているマフィアのボスらへのメッセージをひそかに伝達するために利用されていたことが検察官の証言によって明らかに……/2010年8月21日(土)asahi.com

『ゴッドファーザー』を地でいってるみたいで、つい「かっこいい……」と思ってしまった。
現代のお話なんだよなぁ。
イメージでは瞬時に、デニーロとか、アル・パチーノとか、マーロン・ブランドに変わっちゃうからなぁ。

 

 

 

 

日本の人気ホテルTOP20

2010年8月17日 (火)

日本人vs外国人が選んだ日本の人気ホテルTOP20
http://www.tripadvisor.jp/pages/BestHotelJapan2010J.html

※携帯では見られないかも。ごめんなさい

お世話になっている版元Jの沖縄担当者Hさんから、
「このニュース入ってますか? 沖縄すごい入ってます」と連絡がありました。
先般沖縄ホテルの斜陽傾向のニュースに触れたところだったので、とてもうれしくなりまして。

やはりここは「日本人セレクト」を注視で、所感です。
納得の1位、2位。
先日知人に「沖縄で過ごすのにお勧めのホテルはどこ?」と聞かれて
この2軒を紹介したところでした(変わり種で、安里の「沖縄第一ホテル」もあわせて。
第一ホテルといっても、いわゆる本土の第一ホテル系ではありません)。
沖縄が、ディズニーランドホテルを追い越しちゃうのもすごいな。

4位のクラブメッドにはちょっと驚いて……みんなアクティビティというか、ふれあいが好きなのね。
しかも石垣・宮古エリアで、唯一の入選。かなり意味深いです。
ゲスト評価の高いところなら「シーマンズクラブ」とか、老舗とかラグジュアリーとか、石垣宮古エリアもめぼしいところはたくさんあるんだけどな。
……しかもクラブメッド、『タビハナ』でフォローしなかった (>_<)

5位「ラビスタ函館ベイ」は先般仕事で投宿するも、あまりの素晴らしさに萌えたところです。
イクラをボウル盛りにした豪勢な朝食はツイッターにも上げました(しかもお願いしたら朝食ビュッフェを10分繰り上げてくださったのも印象深い)。
そういえば先般、Nさんもめっぽう褒めていらっしゃいました。屋上の温泉がまたいい。

6位の「リッツ」は正直ちょっぴり不思議で(正直いうと「マンダリン」と逆かと思った)、
7位「カフー」も少々意外(ごめんなさい)。
いえ、しつらえも文句ないし、部屋は広い。でも必要最低限のサービス、みたいなことがコンセプトのひとつだから、
ええっ、「喜瀬別邸」を抜いちゃうんだーと思ったのです。
『ラフィーテ』に入れておいてよかった、Hさん。危ういところでした。

みなさんうんうんと頷いたり、ええっと思ったり、いろいろでしょうか。
個人的には「ホテルヨーロッパ」が入ったのがものすごくうれしかったのと(素晴らしいホテルです)、
大阪の2軒は納得ですが、「リーガロイヤルホテル」(大阪)が入っていないのがとても残念。
そして15位「ホテル日航東京」、いろいろあってもどこ吹く風で、がんばってほしい! みんなが大好きなホテルだと思います。

外国人には東京駅の「龍名館」とかがインしそうなのに、入っていませんね。
新宿「シタディーン」、ノーチェックでした。


このニュース、仕事の合間にちょっと萌え(今週末からまた沖縄ゲラと格闘)。
ああ、オフで行きたいです、オフでっ!

 

 

クーキを読む動物

2010年8月16日 (月)

ばんえい馬、空気を読む? 大井競馬場で小学生と綱引き
 東京・品川の大井競馬場で15日、体重1トンのばん馬「ミルキー号」が小学生約40人との綱引きに挑んだ。わずか数秒で子供たちを引きずり倒し、その馬力を見せつけた。
 ミルキー号は騎手が乗った鉄そりを引いて競う北海道帯広市の「ばんえい競馬」で活躍した7歳の元競走馬。2008年に引退し、PR活動を続けている。
 両親たちが加わった再戦では、ゆっくりと後ずさりして敗退。広報担当者は「以前は連戦連勝でしたが、最近は場の空気を読むようになってしまって……」。 /2010年8月16日(月)


ミルキー号、かわいい! そうそう、馬って、空気読むよなぁ。
空気も読むし、「乗る相手が素人だと意地悪する馬もいる」……と、以前馬の調教師に伺ったことがある。
とてもお利口。しかもかわいい。
旅先で馬に乗れるところを見つけたら駈けてゆく。ときどき厩舎にも行く。

ところでイルカは、どこか馬に似ているところがあると思うのは、ともに相手の意思表示がわかりやすいせいだろうか。
大分の水族館「うみたまご」のプールにいるイルカは、観客に向かって気ままにビーチボールを投げるのだけど(完全遊んでる)、
リアクションのいい女子めがけて投げることが圧倒的に多かった。
相手が「きゃーきゃー」言うのを、イルカがおもしろがっているようだった。
また、静かなガラスの向こうにいるクロイルカは、明らかに「あそぼー、あそぼー」とこちらに話しかけているみたいにあおってくる。
沖縄のイルカは、こちらがイルカエリアの桟橋を歩くと、ばしゃっと水をかけてきた。
飼育員の方が「すみませんねぇ、わざと、遊びたくてやっちゃうんです」と教えてくれた。
ここのイルカは以前一度、逃げたことがあるそうで。
三日後に、自分の生け簀(海のなかに柵を作っている)にひとりで戻ってきていたらしい。
和歌山のイルカも沖縄のイルカも、さよならのときには、くりっと体を横たえて、手(ひれ?)だけ出して、
「バイバイ」してくれた。もちろん教えてもらったんだと思うけど、ヤラれたこちらは感無量。
忘れないよう! と、思うわけでたまりません。ほんとうに20年しても忘れないもの。

動物園に行きたくなった。
学生の頃、まだかなり汚かった天王寺動物園に通ったなぁ。

めでたしめでたしな動物たち

2010年8月16日 (月)

トラや、どこ行った…飼い主の声で森から戻る 南ア

 【ナイロビ=古谷祐伸】南アフリカのヨハネスブルク近郊で、住民が無許可で飼っていた、体重140キロのベンガルトラが逃げだす騒動……/2010年7月29日(木) asahi.com

聞くところによると、トラはざらざらの舌がヤスリのようで、ほっぺを舐められると流血する……
というのは完全に都市伝説だったんだな。
パンジョ、かわいい……。
道ばたで会ったら「かわいい」なんて言えないだろうが、
動物園で見るトラは、ライオン以上に猫っぽい。かわいくてたまらず「肉球見せて!」と言いたくなる。

花博の催事広報室にいた頃、メインステージのバックヤードでサーカスに出演するトラが飼われていた(そのバックヤードに広報室はあった)。
そのときに真後ろに向けて、じゃんじゃかオシッコを飛ばすトラの怖さを思い知った。
広報室専属のカメラマン氏は、ひとりトラの檻に閉じこめられて撮影……気の毒だったけど、彼はとても楽しそうだったっけ。

バンジョ、見つかってよかったこと。人を大好きなトラがいてもおかしくない。
そういえば、山からやってきて動物園のサル山に入りたくてたまらなかったニホンザルくんは
ただいまお見合いの最中。うまくいけば、件のサル山に入ることもできそうだ。
よかったねぇ。

 

 

永遠の少年

2010年8月15日 (日)

アマチュア天文家、新種の天体発見 プロと連名で発表へ
九州のアマチュア天文家が見つけた新星が、強い放射線を出す新種の天体であることを、京都大・広島大などの研究グループが確かめた。……  /2010年8月14日(土) asahi.com


なんだか少年を見ているような気がして、しばらくシビれていた記事だった。
少年性ってなんだろうな。
好きなものを追い求めて追い求めて、まるでご飯を食べるように、見返りも顧みず好きなものを追い求め続ける……そんな感じ。
女子にはたぶんない(あっても希薄だ)から、目の当たりにすると惚れるんだと思います。

少年性……こだわり、追求心、コレクター、これら、男性性じゃないかと思う今日この頃。
元来は男性ならではの特性であるような気がしてなりません。
男性性ですからね、女性だってもってる人いると思います。

外側からは想像もつかないようなまるで十五や十六の少年少女たちを見るにつけ
人の成長(老い)というものの不思議について思います。
その不思議には確固とした理由があるのです、たぶん。生物学的にも哲学的にも納得できるみたいな。

年を経た人たちの十五や十六の少年少女の輝きを、見逃さずにいたいなぁ。
その美しさは、見ようとしなければ見つけられない、ごく個人的な美しさだからかもしれません。

老齢のなかに見る美しさに限らず、美しさについていうと
だれもが認める美しさにはあまり興味がなくて、自分でしか見つけられない美しさにこそ価値があるのです、自分がものを作る・書く原点かもしれません。
おそらく、その美しさを「きれい」と言うのだと思います。
あるものはそこにある。だから、それはものの見方の角度ひとつなのかもしれませんが
たくさんのきれいを静かに集めていたいのです。

 

 

ゆとりの結婚式???

2010年7月18日 (日)

不況でも結婚式は「本物志向」 30代初婚増え、ゆとり

不況でも結婚式にかけるお金はケチらない――。そんな新婚さんの姿が帝国データバンクの調査で分かった。婚姻件数は減っているものの経済的にゆとりのある30代の初婚が増えたため、結婚にかける費用は上昇…… /2010年7月18日(日) asahi.com

文面から察するに、ひと組あたりの単価じゃなくて、式場の総売り上げだけの話か。
データにホテルは入っていないということか。
「組数減っても、単価が上がって総売上げが上がりましたよ、式場は」てことですね。
しかし、それを「本物志向」とするのは短絡的に過ぎないか。
本物志向が、流行りのハウスとレストランに行くものか。文脈的におかしかないか。
せめて「こだわり派」くらいに抑えてほしかったなぁ。

式場側の血のにじむような「単価上げ上げ作戦」があるから、この現状がある。
いまや殿様商売なんてしているところはない(と思う)。
どこも市場開拓や潜在ニーズの掘り起こしとか、ガンガンやっていらっしゃる。
……そんな風には分析しないんだなぁ。実際、A社もB社もC社もD社も、ものすごい企業努力なんだが。

それにしても、式場さんは強い。
07年秋から09年、東京のホテルは軒並み、リーマンショックから新型インフルエンザで、泣きっ面にクマンバチだった。
宿泊と宴会のダメージは、そのまま婚礼にもはねかえってきた。
だけど力のある式場に、決して凹んだ印象はなかったもの。東京の式場の底力を目の当たりにした思いだ。
そういえば神社系もめっぽう強かった。

「ゆとり結婚式」
の一因として
料飲の単価アップはデカかろう(ゲスト1人あたり500円上がるだけで十分すごい数字になる)。
それでもって装花もケチらないカップルも増えているのかもしれない。
演出だってモリモリやっちゃう。
すみません、わたしもいろいろ提案させていただきましたし
ブライダルでご飯をいただいている身からすると、「ゆとりある結婚式」はとてもありがたいことです。
だけれどもね。お金がなくても、年が若くても、多少分別がなくても、
自分が望む結婚式ができる世の中であってほしいな。どちらのベクトルにも、画一化してほしくない。

ブライダルに関わる者として、
結婚式をしたい人も、結婚をしたい人も、両方の背中を押してあげられる人でいたいと思う。
どっちもちゃあんと応援したい。
だれかと一緒になろうと思うのは、とても素敵なことだから。
それで、結婚って、やっぱり楽しいことだから。え? うん、そう、たとえ修業でも!

平成の桃太郎猿

2010年7月 3日 (土)

犬なでていた猿、ついに御用 大阪・茨木、住宅街の庭で
大阪府茨木市は28日、同市鮎川3丁目の民家の庭で猿1匹を捕獲したと発表した。付近の住宅地では……/2010年6月29日(火)


犬の背中に乗ったり、犬を撫でたり、桃太郎さながらの猿を想うに
せつないのとフビンなのとで、じ~んときちゃった記事だった。
新聞で公表された猿の写真はあまりにも気の毒だったので
ここには載せません。

大阪府茨木市は幼年時代を過ごした町だ。4歳~6歳の2年間。
仕事で近くに行ったときに、風景にどこか見覚えがあって
「きっとここから近い!」と感じて界隈を歩き回った。
ほんとうに住んでいた町だった。
住んでいた家やら、駅までの道のりやらをちゃんとたどることができた。

記憶の中には、昭和40年のあの町並みがいまだにきれいに存在する。
なにをして遊んだ、なにがうれしくて、なにが好きで、なにが不服だった……あのときの感性をリアルに覚えてる。
そういうのを思い出すにつけ、
歩む過程で学習していくことはあるとしても、
ヒトの基本というのは子供のころから、あんまりかわらんものだなぁと思う。

 

 

わさおです

2010年6月29日 (火)

人気のブサかわ犬「わさお」 鰺ヶ沢町の特別観光大使に
 「ブサかわいい」(不細工でかわいい)で人気者になった青森県鯵ケ沢町の秋田犬「わさお」が26日、同町の特別観光大使に……/2010年6月28日(月) Kolnet


「ブサ」は余計だと思う。めっちゃかわいいやんかー。
うちの社長の「北のともだち」なんだそうだ。
わたしの席のうしろには、ワサオカレンダーが貼ってある。キュートです。
ついでに、長谷川義史さんにチャラ描きしてもらった、桓武天皇も貼ってあります。
京都の本を作るときに、桓武天皇のすごいことを身振り手振りで説明したら、描いてくださいました。
昨日のことのようですが、もう20年経ってます。

さて、『るるぶ青森』チームもそろそろ始動するそうで。
この間校了したような気持ちだったんだけど、時が加速度をつけていきます。

いのち短し、恋せよ、おとめ♪

 

 

 

 

駅のホームはコワイと思う

2010年6月27日 (日)

恵比寿駅にホームドア 山手線、JR在来線で初
 
JR山手線恵比寿駅(東京都渋谷区)で26日、線路転落防止用のホームドア(可動式ホーム柵〈さく〉)の使用が始まった。東京メトロや新幹線の一部などには設置されているが、JRの在来線では全国初。山手線では2017年度をめどに全29駅に設置される。
 JR東日本によると、同社の駅ホームでは昨年度、列車との接触事故が62件、自殺が132件あった。非常ボタンなどで対策を進めてきたが、ともに増加を続けており、ホームドアの導入を決めた。
 山手線ホームドアの開閉部は高さ1.3メートル、幅2メートル。足元を見やすくするために一部をガラス化し、乗客や荷物が取り残された際に検知する高性能センサーを備える。恵比寿駅に加え、8月28日に使用を始める目黒駅(品川区)の2駅で2年間かけて検証。結果を踏まえ12年度から本格的な工事に着手する計画だ。
 ホームドアは、接触事故や自殺を防ぐ「特効薬」として期待が高い。だが、12年度に設置率47%になる東京メトロなど一部の鉄道会社を除いて大半は、相互乗り入れで車両のドア位置が異なることなどを理由に設置が進まない。 /2010年6月26日(日) asahi.com


東京に来たとき、新宿駅総武線ホームの自殺防止用の巨大鏡を見て、「本当にあるんだ!」と思った。
もちろん今もある。しかし汚れすぎてきて、もはや、鏡なのかどうかもわからない。
もう少しだけ磨いたらいいのにな。たぶん気づいている人のほうが少ないんじゃないかしら。

そうこうしている間に、半年前だろうか。代々木駅のホームには青色灯が設置された。
「青色のランプは人の気持ちを落ち着け、飛び込む人が少なくなる」から、取り入れたのだと思う。
最初に見たときはぎょっとした。今でもあんまりいい気分がしない。
あの巨大鏡と一緒で、触れるたびに、今この場所で命を絶つ人の多さを思ってしまう。
通るたびに「死」が増幅するような。

暮らしのなかに死が普通にあるのは、もしかすると悪くないかもしれない。
でも「死」と「飛び込み」とはすいぶん違う。
なるべく考えないようにしようとするけれど、
この場所で命を絶った人たちの思いが、
駅のホームのどこかにまだ残っているのではないかと思うことがある。
だからこそ、引っ張られないようにしないと! と、ぎゅ~~~っと身構える。気持ちをそらす。
「ついてこないでっ!」

「ザ・ピーズ」の「シニタイヤツハシネ」、好き。
都会の駅にホームドアをつけることはいいことだ。

今は目黒駅が工事中。
工事のおじさん、客に気を遣ってすごく大変そうですが、がんばってください。

 

 

はやぶさの贈り物

2010年6月19日 (土)

「はやぶさ」のラストショット 鮮明な地球の姿公開
 小惑星探査機「はやぶさ」が、最後に撮影した地球の鮮明な画像を、宇宙航空研究開発機構が公開し… /2010年6月19日(土) asahi.com

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「はやぶさ」が写した地球。画像処理してより鮮明な画像が再公開された=宇宙機構提供

地球ってとてもきれいだ。

砂が1ミリ以下でもいいじゃない。はやぶさ、おつかれさま。

まちがえたとき、こわしたとき、失敗したとき

2010年6月15日 (火)

誤審で「幻の完全試合」審判、選手の支持最多 大リーグ
 
誤審で完全試合を幻にした審判が、選手に最も支持された――。米スポーツ専門局ESPNは13日、審判や判定について、大リーグの100選手に対して実施したアンケート結果… /2010年6月14日(月) asahi.com

もしも自分が大きな誤植をしでかしたときに
周りの人たちにこんなことを言われたらどんなに救われるだろう。
ジム・ショイス審判員が、日頃どんなにいい仕事をしていたかを物語るエピソード。
この話は新聞でしか知らないけれど、
涙ながらに謝る彼を素晴らしいと思ったし、ガララーガ選手も素晴らしかった。
せつないけれどもとても心あたたまる話だった。
きわめてシンプルだ。わたしもそういう人でいたいと思った。
それにしても、ビデオ判定に反対っていうのも面白い。
そこは人にゆだねるべし、っていうのが、なんだか途方もなく温かくて。

大学は自由であるべし

2010年6月15日 (火)

明治大学も映画「ザ・コーヴ」上映・討論会を中止
明治大学は、17日に東京都千代田区の駿河台キャンパスで予定されていた映画「ザ・コーヴ」の上映…/2010年6月15日(火)asahi.com

わたしの代わりに話をしてくれる人がたくさんいるから
「ザ・コーブ」のことは書かないつもりでいたんだけど、今日は書いちゃう。
上映中止が大学だったからむかっ腹。

大学なんだから、せめてもっと自由に!
一度やりたいと思ったら圧力には屈しないでほしい。大学ってそういう場所なんだから。

わたしはイルカちゃんは死ぬほど好きだし、和歌山も大好きだけど、
この映画は見なきゃと思うぞ。
どんなに泣いても見たいと思うぞ。

違う意見を持つ人が言うことを、聞く耳を持たなくてどうするの。
聞かないふりして見ないふりしてどうするの。

ビッグイシュー、買ってみよう

2010年6月13日 (日)

「ビッグイシュー日本」7年 回顧本でもホームレス支援
雑誌の販売を通してホームレスの自立を支援する「ビッグイシュー日本」の佐野章二代表(68)が、創刊から7年近い活動を振り返る「ビッグイシューの挑戦」(講談社)を出した。)/2010年6月11日(金) asahi.com 
 
いい写真だ~。

「ビッグイシュー」をご存じな方はたくさんいると思うけど、
「で、どこのなに?」と言われると、言葉に窮する方、多くないかな。
かく言うわたしもそうでした。
こんなシステムとはしらなんだ。ほほう。新聞てほんま勉強になるなぁ。

今度はちゃんと、いぶかしがらずに買ってみます、おっちゃんから。

 

 

お魚がすきです。お刺身はもーっとすきです。

2010年6月12日 (土)

カワハギ、気になるメタボ 低脂肪食で「長生き」目指せ
 低脂肪のダイエット食で元気なカワハギを養殖したい――。ブリやヒラメの養殖が盛んな大分県が、カワハギの養殖技術の開発t…/2010年6月12日(土) asahi.com

 
なんだか魚な一日だった。
Iさんの魚にまつわるつぶやきを読んで感心していたら、
新聞で未利用魚の話が出ていた。
商品にならない魚の話だけど、わたしも未利用魚はよく食べた。
大分の海は岸壁で釣り糸を垂れると、5センチくらいのサバやアジ……雑魚が思いきり釣れちゃう。
それを目当てに釣りにいって、ひと口刺身におろして、山のように食べてたなぁ。
そんなことを考えていたら、佐賀関あたりに行って、釣らなくてもいいから岸壁に寝ていたいなぁ……なんて。

そしてカワハギメタボのお話だ。
その佐賀関(大分)で、チヌ(石鯛)を釣っているつもりが、わりの型のいいカワハギが頻繁にかかった。
それはそれでうれしいので持って帰っておろして食べた@大分、二十代の終わり。
カワハギの皮をはぐのに細心の注意を払っているはずなのだが、気がつけば指を切って流血。
たぶん、尾びれや背びれで切っちゃうんだろうなぁ。
たしかにカワハギはおいしくて、ふぐよりもわたしはずっと好きだなぁ。
白身はカワハギとカレイがいちばん!
そんなことを思い出していたら、無性に鰯の手開きがやりたくなった。
あれは食べるより、開く過程がたまらないのだ。うふ。

山のようにお魚が食べたい。
刺盛りって、わたしには少なすぎるんだよなぁ。
「お腹いっぱいでもうお刺身食べられません……」なんて一度でいいから言ってみたい。
刺身は別腹。いつだって。

 

 

現代の錬金術

2010年6月11日 (金)

夢の「やせ薬」作れるかも 脂肪減らすたんぱく質発見
食事制限せずにダイエット成功? 体の脂肪を減らす効果のあるたんぱく質を、東京大の宮崎徹教授(代謝遺伝学)のチームがマウスで見つけた。肥満を抑える薬に応用できる可能性がある。
減量効果が確認されたのはたんぱく質「AIM」。…9日付米科学誌セル・メタボリズムに掲載された。 /2010年6月10日(木)asahi.com


18世紀初頭、ヨーロッパで磁器の製法を発明したのは
王様(アウグスト2世)の勅命を受けて暗躍していた錬金術師だった(マイセンね。やっぱり欲しい、ブルーオニオン)。
当時、磁器は「白い金」とも言われてもてはやされたとか。
結果、金以上の価値をもたらす発明になったかもしれない。
現代において、上記の発明はそれに近いんじゃないかと思った。
錬金術に匹敵する、やせ薬開発! しかも人体にノーダメージ! もちろんわたしも欲しいです。

いやはや、今週は脂肪細胞に踊った1週間だった。
アレルギーと脂肪細胞の関係も発表されたりしていたから。
で、脂肪細胞ってなに!? ……正体はよくは説明できない。まっ、写真のようなやつです。
気持ちわりぃと思うのは、水玉恐怖症のわたしだけでしょうか。

錬金術……。原マスミが聴きたくなります。

 

 

 

 

味覚音痴でないことを祈る

2010年6月 9日 (水)

時価4万円の神戸牛無料 ただし塩タレなし、試験あり
最高級牛肉「神戸ビーフ」はなぜおいしいのか――。神戸ビーフの素牛、但馬牛の種牛を管理している兵庫県立農林水産技術総合センター(加西市)はその答えを探ろうと、牛肉を実際に食べて味を採点する「食味評価員」を募集…/2010年6月9日(水)asahi.com

脂っこいのは仕様がないでしょうよ……。

チョコレート50個食べて審査して熱を出して寝込んだ、『HERBIVO』のコンビニチョコ品評会をちょっと思い出した。
ものすごくきつい試食で、しまいには「さっぱりしてたらおいしい」という評価に傾いたかも(反省。もう時効だ)。

だから味がない肉の評価はちょっと興味がある。
甘味、苦味、酸味、塩味、うま味の五つの味が薄く付いた溶液と無味の蒸留水を識別するテスト……っていうのには、かなり惹かれる。
わたし、相対的にはどのくらい、味覚がわかっているんだろう。
最近自分の味覚に懐疑的なのだ。

相対的な調理の違いで抱いた味覚への懐疑的な理由は、

1 だいたい、あまり味見をせずに料理を作る → できたとこ勝負!
2 調味料そのものの味見はほとんどしていない → こわい

1は、味噌汁やだし系のフィニッシュ以外、あんまりしない。
2は、子どもの頃味の素を舐めてヘコんで以来、塩と醤油以外の調味料はほとんど舐めない。
酒、味醂関連は、アレルギーがあるのでできないし(調理には使う。使ってとばす)、
知らない調味料の味も結構ある。ほんだしもラー油もこしょうもトーチもコンソメブイヨンも、そのまま舐めたことないもん。

料理って、みんなちゃんと味見しながら作るものなのか。
がらがらぽん! じゃないのか???

できれば味覚音痴であってほしくない……これは希望的観測。
自分の味覚の相対的な位置を知っておきたいよな、知りたくないような。

 

はやぶさ

2010年6月 6日 (日)

小惑星探査機はやぶさ、帰還確実 軌道修正に成功
 小惑星探査機「はやぶさ」が地球に戻るための軌道修正に成功したことが5日に確認され、7年ぶりの帰還が確実になった。宇宙航空研究開発機構が確認した。13日深夜に帰還する予定。
…イトカワ表面の粒を入れた耐熱カプセルは大気圏突入前に分離され、パラシュートで着地する予定。はやぶさ本体は突入時の熱で燃え尽きる。/2010年6月6日(日) asahi.com


週末もつ鍋をつつきながら、Oさんに「はやぶさ」と聞いたときには、
「ああ、東北新幹線の新車輌だよね」と、ちんぷんかんぷんな受け答えをしてしまった。
だって知らなかったんだもん (>_<)
「オーストラリアの砂漠で落下するカプセルを探すのに、夢中な人たちがいるみたいだよ……」
衛星のほうのはやぶさの話を聞いて、じ~~~んときた。

一所懸命必死で七年の旅を乗り越えて、故郷にたどり着く前に本体は燃え尽きる。
カプセルだけを残して。
せつないんだよなぁ。つい擬人化して考えちゃう。

ところでJR東日本東北新幹線の新名称「はやぶさ」は、一般公募だった。
ええ、わたしも応募しましたけどね。落ちました。「めぐみ」で出しました。
速さと違ったアプローチで、あのやわらかなフォルムとみどりがイメージさせる
東北がもたらす豊かなものを連想させたかったんだけど……落ちた。
いのちとつながっていくようなそんなイメージ。それこそが東北じゃないのっ!
「よりによってバイク(←スズキ)の名前にするこたぁないじゃん」と思った。
いえ、完全負け惜しみですけど (^_^;)

机上の樹海

2010年6月 4日 (金)

ベスト電器は「iPad会議」 省紙化狙う
家電量販のベスト電器は3日、米アップルの新型情報端末「iPad(アイパッド)」を社内の会議に導入…  /2010年6月3日(木) asahi.com
 

他社の会議に参加させていただくと、カルチャーショックを受けることが多い。
先般は、まだiPadこそ使っていないものの、ほぼペーパーレス、ホワイトボードレスの会議だった。
PCの画面をどんどん壁面に映し出す感じ。
IT弱者のわたしは強い刺激を受けた。楽しかった。


隣のGちゃんの席もわたしの席も、机上には果てしなく樹海が広がる。
自分がいかに紙のお世話になっていることか。
職業上仕方がないけれども、紙がなくちゃやっぱり暮らせない。
じつは原稿の最終推敲は、プリントアウトしたのじゃないとできない(……と思いこんでいるだけなのかなぁ)。
安い紙でも裏紙でもいいんです。その紙はどうか使わせて……と思うんだが。
ペーパーレスになっていくと机上の樹海も解消するのかしらん。

ちなみにDTPで一冊つくると、PCのデスクトップが樹海状態。

 

 

けがの功名

2010年6月 3日 (木)

ゆかりの人たちが見た「なるもんじゃない」首相の8カ月
発言の軽さが国民の不信感を招き、命取りとなった鳩山由紀夫首相。……続けてほしかった」と突然の辞任を惜しんだ。 /2010年6月3日(木) asahi.com

いい記事だな。リベラルだ。
「発言の軽さ」。これにはわたしも腹を立てていた。
沖縄に対して想像以上の期待をさせる発言をしておいて、
「がんばりましたけどやっぱだめでした~」って地に落とすのは、
落とす以上に、沖縄の人たちを奈落の底に突き落とすような悪行に映った。

わたしが怒ったのはそこだけだ、たぶん。普天間の結論に対してではない。
沖縄にちゃんと謝ってよ!! みたいな思い。でもそれは自分のことをどこか棚にあげている。
「解がないのに解を出そうと迷走する……」
まさに、源一郎さんの言葉とわたしの気持ちは一緒だな。首相は気の毒だった。源一郎さん、うまいことおっしゃる。

首相辞任にはかなり驚いたし落胆したけど、大きく評価できる点がふたつ。
ひとつは普天間の件で、「辞めたからこその好印象」をつくりあげたこと(もちろん、沖縄的にはNOだ)。
もうひとつは小沢さんの道連れ。これについてはわたしが語る必要もなかろ。

前者について。
移転先を辺野古と明記したと発表されたときに、「なんだよ、40年前の成田空港建設と一緒じゃん(佐藤首相)」と、心底がっかりしたものだ。
地元(少数)不在のまま、公の利益のために少数へ不利益を押しつける発想が、非常に似ているような気がしたのだ。

実際には、すべてにバランスがとれる判断なんてないし、なにかが決まれば、だれかが不利益を被るのを多数側は見ないふりするだけだ。
ところが首相が辞任すると景色は違って見えてくる。
豪腕(=権力)が辺野古に押しつけたように見えたけど(で、それは国の常套手段だけど)、
豪腕でやったその人は「自分の政治生命と引き替えにしました」。
これって広義での「フェアとはいえないこともないかもしれませんよね」……そういう感じ。
建前上、少しフェアに見えなくもない。

名護市長が警鐘を鳴らしていたとおりで、
たぶん首相辞任をきっかけに辺野古案件はどんどん収束してしまうだろう。
これこそ最大の仕事といえなくもない。不甲斐なさの印象と引き替えに得るもののなんと大きなこと。
変わらず沖縄は煮え湯を飲まされる(大阪・橋下知事の発言には大いに同感)。
そんな感じだけど、少なくとも、成田空港建設時と同じ、国の横暴といった印象は払拭されたわけで。


それにしても日本の国民は首相に対して、惚れっぽく飽きやすく、愛がないこと限りなし。
批判はまだいい。でもよく知りもしないで「支持する」「期待する」のはどうか。
さらに「支持率」とかいって、気分を数値にして発表するメディアもいかがなものか。
結果を出すのに、8か月じゃ短すぎる。ようやくよい兆しが見えてきた矢先なのに。
政治の苦労、進歩、内容について、国民のほうがあまりに無頓着なのでは。

沖縄に謝ってよ!!なんて、だれがどの口で言うの。
謝らなければいけないのはわたしも一緒だよなぁ。
と、沖縄のみなさんと話しながら思います。

寡黙な職人に思いを馳せて

2010年6月 2日 (水)

夏の相棒、出番もうすぐ 蚊やり豚づくり最盛期 三重
本番を前に、早くも三重県菰野町永井の萬古(ばんこ)焼メーカー「三鈴陶器(みすずとうき)」では、蚊取り線香を取り付ける「蚊やり豚」づくりが最盛期を…

「キンチョウの夏、日本の夏」は名コピー。
今年もそんな季節の到来か。

萬古焼は、土鍋の国内シェアの7割ほどを占める。
炻器(せっき)といって、陶器と磁器の中間にある陶磁器だ。

ええと、写真のブタは、まだ釉薬かかってません。よね?
炻器が特別なんじゃないですよね???

今とっても出西窯(しゅっさいがま・島根県)に行きたい気分。
用の美だけをひたすら追求する職人さんたちに無性に会いたい。
帰ったら出西窯のお皿にしよう。

夏の始まり

2010年6月 1日 (火)

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遠い昔。5月のセーラー服はそれはもう死ぬほど暑くて、
「我慢大会か!?」とツッコミを入れたくなるほどだった。
毎年6月1日に無事衣替えを終えると、蝉が脱皮したように涼しかったなぁ。
今年の6月1日のひんやりしていること。
過ごしやすくていいけれども。
週間天気には、1週間連続の晴れマーク。こんなのも久しぶりだ。
携帯画面のなかの暖色って、やさしくて好きだなぁ。

今年は百貨店の館内設定温度も2度上がるそうで。はて、各社の足並みは揃うだろうか。
どんな夏になるだろう。9月30日あたりを夢見る。

お茶の水のセブンイレブンではBGMにビーチボーイズのインストが流れていて
『ペット・サウンズ』が猛烈に聴きたくなった。
夏が終わって秋になってどんどん深まっていくみたいな寂しいアルバムだけど。
大好きだ。

iPad狂騒曲

2010年5月31日 (月)

書店で電子書籍をダウンロード 東京都書店商業組合など
東京都内の書店で構成する東京都書店商業組合(東京・千代田)と携帯電話向けソフト開発のACCESSは28日、書店店頭で来店客に電子書籍を提供するサービスを共…/2010年5月31日(月) 日経新聞


電書協、iPad向け電子書籍の閲覧ソフトを今秋公開
出版社31社が参加する「日本電子書籍出版社協会」(代表・野間省伸講談社副社長)は28日、米アップルの多機能携帯端末「iPad(アイパッド)」向けに電子書籍の閲覧ソフトを今秋に公開すると発表した。先行して、高機能携帯電話「iPhone(アイフォーン)」向けを6月上旬に公開する。
…/2010年5月31日(月) 日経新聞



iPad以降、加速度がついているようで。
加速度がついているわりに、展開はどこか緩い気がするのは気のせい?

プライベートでは、70代とか80代とか、高年齢者の興味をそそっているiPad。
ひと月ほど前に電子書籍の版元さんとお話しているときに
「iPadはきっと高年齢者のものになりますよ」とおっしゃっていたのを思い出す。
あの頃みんなが預言者になっているのがとても楽しかったのですが、Tさん、お見事。

現状、紙の十分の一の市場の携帯市場。
この地図がiPadの出現
で、どんなふうに塗り替えられていのくでしょう。

時代が変わる瞬間

2010年5月30日 (日)

「電子教科書」普及で連携 ソフトバンクやマイクロソフト
協議会設立 政策提言へ


 ソフトバンクやマイクロソフト日本法人(東京・渋谷)などは、パソコンやタブレット端末などを活用した小中学校向け電子教材の普及を推進する「デジタル教科書教材協議会」を7月に設立すると発表… /2010年5月28日(金) 日本経済新聞

あらゆる企業、WEBに関わる方、みんなさまざまな戦略をもっておいでだと思う。
自分の最近のWEB仕事は、ipadが作る未来を想定しつつ、だった。
それがいよいよ本番になる。
ちょうどこの日はiPadの発売で、朝一の打合せですでに持参されている方がおり、
おおおおっ……と興奮した。さらに興奮したのがこのニュースだった。
電子教科書という発想。大学では取り入れ始めたところがあるけれど、
小学校1年生からiPadを鞄に入れて……というイメージに胸が震える思い。
そんな話をデザイナーO氏と飲みながらやってたら
透過光のディスプレイは、子どもの目には負担に余る。
反射光で見られるディスプレイの開発とか、からだ・視力への負担軽減を開発しないと……
と言われた。な~るほど。
とにもかくにもこの日、時代が変わっていくのを見たような気がしたのだ。

ここに来てソニーの動きも目が離せない。
「リーダー」ってどうなるの? 「キンドル」とはどうなるの?
すごいけど、ソニーはマイノリティにはならないの?

携帯小説は、携帯小説として、携帯電話をツールとした文化であり続けてほしいと思うのは、
わたしの密かな願い。
従来マイノリティだったものをマジョリティレベルに引き上げる力を持っているのは、
「半径30センチのメディア」だけだと思うからだ。

てことは。
やっぱiPadだけじゃなくて、iPhoneもいることになります、社長。

 

ソニー・凸版など、電子書籍配信で連携 年内にサービス開始フォームの始まり

ソニー、凸版印刷、KDDI、朝日新聞社は27日、電子書籍配信を手がける共同出資会社を7月に設立すると発表した。年内にサービスを始める。ソニーはすでに欧米で販売している電子書籍端末「リーダー」を年内に日本で発売することも明らかにした。
…米アップルの多機能携帯端末「iPad」(アイパッド)などに対抗する。/2010年5月27日(木) 日本経済新聞

安全太郎とかけて「幻想の世界に生きる」ととく。

2010年5月28日 (金)

道路工事見守り40年 腕振る「安全太郎」ロングセラー
道路工事現場でおなじみの人型ロボット「安全太郎」が今年、誕生40年を迎えた。高速道路で働く作業員を守る… /2010年5月25日(火)asahi.com

安全太郎というのか。……「フビンちゃん」だな。

「フビンちゃん」というのは我が家のことばで、
いたいけなものへの愛を込めてこう呼んでいる。
ぬいぐるみとか、人形とか、ときには動物とか、
魂を感じるもので、一所懸命、見返りを求めずに笑顔を振りまき続けている小さなものの総称だ。
だから、安全太郎はフビンちゃんならぬ、ミスターフビン。

安全太郎の値段だとか身長とか、いかにして生まれたかをあらためて知ると、感慨深い。
自分の暮らしを見回せば、出自を知らないものたちがいかに多いか。
トレーサビリティのシステムは構築されつつあるけれど、口に入れる食べ物ひとつとっても、
どこから生まれて、どんなふうに育って、形になって、運ばれて、わたしの手元に届くのか、
知らないことがいかに多いか。想像すらできないことがいかに多いか。

ポテトチップスの生い立ちだって、わからない、畑でジャガイモが育つことはイメージできても、
工場でどんなふうに生産されて、どんなふうに流通システムにのっていくのか。
ペンはどうだ。ネイルはどうだ。
昨日食べたキュウリは何度農薬散布を受けたのか。30回か、50回か。
ずばっととんで経済社会のシステムについて言及できるか。
なーんてことを考えていると、わたしの暮らし、衣食住はすべて
幻想の上に成り立っていると言い換えられるのではないか(←長くなるのでかなりはしょりました)。


手にしたマテリアルはまぎれもないリアルだけれど、それの出自をほとんど知らずに
それでもよしとする世界に、わたしは住んでいる。生きている。
その不思議。
システマチックに構築され、守られている世界は、なにもかもが偶然うまくいっているだけで、
なにかひとつがほころんだとたんに、そのほころびが連鎖する世界ではないか。


安全太郎を眺めながらそんなことを考える。
この状況を打破しようとか改善しようとか訴えているわけではなく。
せめて、知らないことを自覚して生きよう。
知らないということは、すべての危険を受け入れることをよしとする選択なのだと
自覚しておかなくてはいけないわけだ。極論すると、迷える羊っていうのはそういうことだ。
わたしの暮らしの成り立ちは、偶然の善意に支えられているということだ。

世界のシステムを知ろうとしないで、なにも疑わず安全だけ求めるなと。
はからずもミスター・フビンは教えてくれるわけで……。うむ。

世界平均の幸福度・草案

2010年5月28日 (金)

第1章 「幸福度」に世界指標、OECDに日本が提案 
12年メド計測方法検討

27日に開いた経済協力開発機構(OECD)閣僚理事会で、国民の「幸福度」を示す世界共通の指標作成を日本が呼びかけた。2012年をめどに、ひとまずOECDで計測方法を検討していくことになった。
…/2010年5月28日(金) 日本経済新聞


世界共通の幸福度って、難易度高そうだなぁ。
イスラムも北朝鮮も資本主義もアフリカもアラスカも中国も日本も、年寄りも子どもも男も女も、あなたもわたしも、平均して測定できる幸せって、なに。

 

1分で考えてみた。

 

以下、5段階評価で。

【世界平均の幸福度測定・草案】
○飢えを感じていない 
※ただし、絶食や断食やサマランなど、医療上宗教上の理由がある飢えは除く →食の満足
○満足な睡眠を得られている →睡眠の満足
○住む場所に困っていない →住居の満足
○寒暖や痛みを緩和するための服や靴がある ※必要のない場合は除く →衣の満足 
○想像すると幸福感があるものを持っている →精神的な満足
  ※信仰があるかどうかに近いが神仏でなくても構わない。「国家」だっていい。
○信頼できると感じる他者が存在する ※家族・他人は問わない →精神的な満足
○戦争や暴力、犯罪に巻き込まれていない →平和
△性生活に満足している ※年齢によるけれど →性の満足


※WHO憲章の日本語訳「健康な肉体に健康な精神が宿る」が嫌いなので、「健康である」は割愛。
※虐待を受けて親がいないほうが幸せな場合もあるので、「家族」の項目は削除。家族がいるから幸せというのは、たいへん狭義な幻想に近い。家族に感謝するのとはまったく別の次元で。


宗教、風習、主義主張を乗り越えた幸せのあり方って、本当にむずかしい。

でも考えているとちょっと楽しい。
サバンナで裸足で生きている自分と、今ここにいる自分と、両方のしあわせの平均。

 

 

 

 

常用漢字の新顔さん

2010年5月20日 (木)

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常用漢字の新顔たち


常用漢字の追加が朝刊に掲載される日だったので、朝からワクワク。
新聞を開いて、「ほほぅ~」。新鮮~♪
なじみの字がほとんどで、「これ、常用じゃなかったの?」というのも結構多い。

「鬱」。来ましたね。
時代をもっとも反映しているのが、この字の追加じゃないだろうか。
だからといって「鬱病」という表記はしないだろうな。
「うつ」の表記にすっかり慣れちゃってる。
ひらがなって、カワイイし。重たくない、深刻ぶりが薄れるのがいい。

「鬱」の字は梶井基次郎を思い出す。高校のとき「檸檬」とともに懸命に練習したなぁ。
ボードレールの『パリの憂鬱』くらいは書けなきゃ、な気分だったのだ。
試験なんかじゃない。ただ書けるようになりたかっただけ。
梶井基次郎が好きだったから。それだけ。……証拠に、「薔薇」は練習しなかった。

読み方の変更も興味深く眺めた。
「私」が「わたし」に変わってる(従来は「わたくし」)!!!
「要」。これももはや開くほうが(かなで表記する)わたしは好きだなぁ。
「癒す」は「やす」送りに決定だよ、げっちゃん!!!
このあたりは執筆&校正頻度が非常に高い文字である。

ところで、やっぱり「李」はなかった。
浄瑠璃の「璃」の字があるのに、なんで「李」がないのよう。
なかったけれど、人名用漢字には入っているのでセーフです(*^_^*)
歌舞伎、浄瑠璃……日本の伝統芸能を重んじたい気持ちが伝わります、今回の追加文字。

 

 

月と金星

2010年5月17日 (月)

頼むぞ「あかつき」 打ち上げ前の激励?天文ショー
宵の明星としてここ数週間、西の空で輝きを増している金星が、月齢2の細い月に接近して見える天文ショーが16日夕、全国各地で… /2010年5月16日(日) asahi.com
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大接近して見えた月と金星。左は東京タワー=16日午後7時31分、東京都港区浜松町


先週の金曜日だったかな。
「今日、新月だよ」と事務所で言うと、
「お願いごと書かなくっちゃ」とF(←新月へのお願い、実践)。
「マリさ~ん、お財布フリフリやってます?」とSちゃん。
「それは満月でしょ! 満月の光にあててフリフリだよ」すかさず誰かが突っ込む。

F曰く、この新月と今度の満月は双子座のパワーが強くなるとか。
弊社はわたしも含めて、双子座が3名います(^_^;) 

「新月のお願い」は、潜在意識に働きかけるすべだと思っている。
だから効果あるのはよくわかる気がする。
潜在意識ってものすごい力を発揮することは信じて疑わない。
だもんで、一所懸命意識して、左手を使うのを、まだやってる。
目覚めよ、わたしの潜在意識。

ときに、この写真のきれいなこと!
携帯で見てうっとりした。
金星と月が近いのって、なんだかとってもいい気分。いいことありそうな気がしませんか。

 

 

赤の多い部屋のなかにはけんかが増えている(なんか字余り)

2010年5月 8日 (土)

革張り風イス、木目調机…プチ高級「黒マック」オープン
日本マクドナルドの「高級店」が25日、東京都内の12カ所にオープン…/2010年4月25日(日) asahi.com

赤い色に囲まれたところでは喧嘩が起きる。これは信じていいことなんだよ。……梶井基次郎風に。

部屋のなかの赤の反面率が増えると、喧嘩が起きやすくなる。
色を替えるだけで、つまらない喧嘩の数は減る。これ、ほんと。試したもの。

ことマクドでは。

高級路線もも廉価版もわたしにはあまり関係なくて、
ほとんどチーズバーガーとポテトのS、コーラのSしか頼まない。
ときどき気分で、フィレオフィッシュ。秋には絶対月見バーガー。朝なら100%エッグマックマフィン。

食の冒険ができない。たしかに笑顔になるものだけを食べていたい。

賞味期限

2010年5月 8日 (土)

JR九州特急の自販機、賞味期限切れ飲料 最長昨年9月
JR九州の子会社ジェイアール九州商事は4日、特急「にちりん」の大分と小倉を結ぶ車両の自動販売機で、最長で昨年9月に賞味期限の切れた飲料を…/2010年5月5日asahi.com

子どもの頃、母に、缶詰は永久にもつものだと教わった。
うちには、5年選手、10年選手のパインの缶詰なんかがあって、
母はそれを大事にしていた。

「……そんなもんだよねぇ?」と弊社社長に訊いてみたら、
「オレは、缶詰はタイムマシンみたいなもんだと思っていた」と言った。

いいじゃん。半年前に賞味期限のポカリなんて、ぜんぜん普通だ。
飲める飲める。味だってそんなに変わらない。
でも、こないだ実家のペットボトルのお茶を飲んだら吐き出した。
賞味期限が2年前に切れていて、完全に味が違った。ものすごく酸っぱかった。
口に含んだ瞬間にゴックンしないわたしは偉いな。

そうそう、高円寺にあるなじみのトラットリアのテーブルのソースは
パッケージの賞味期限がマジックで消されていた。
移し替えちゃうほうが早いのに。
うちのしょうゆは(チョーコー醤油)、2年くらい前の賞味期限のものを使っている。
調味料の賞味期限なんてあってなきがごときと思う認識だが(とくに醸造ものなんて!)
事務所のみんなに話したら苦笑された。

ちなみにスーパーの精肉担当者(知人)に極秘情報を教わったところ
豚バラは、賞味期限から4日は余裕で食べられる。
ミンチのたぐいは2日後が限界。気をつけましょう。

ちなみに、「にちりん」。ちょっぴり郷愁です。

有田への憧憬

2010年5月 1日 (土)

軍手にリュック…掘り出し物どこだ 有田陶器市始まる
107回目を数える「有田陶器市」が29日、佐賀県有田町で始まった。…4月29日(木)asahi.co m

とてもいいお天気の5月1日。
GWは真っ盛りで、高円寺では大道芸のフェスティバル……これ、3年目だっけかな。
けっこう盛り上がっている。

人だかりのパル商店街の入口にある陶器屋さんが、閉店セールをやっていた。
えっ、閉店!? と思ったのもつかの間、
全商品50%オフのチラシに、吸い込まれるように店内に入っていった。

20年前から欲しい、大倉陶園のモーニングカップはないかいな……と、まず物色。
あったら即買いなんだけどなぁ。残念。

へこまず、店内の人混みにまじって物色。さほど迷わずに有田の手描きのご飯茶碗を購入した。
50%オフで、2つで1万円だった。ふふふ。もう50年は大事に使っちゃう。
ご飯茶碗は、この間有田に行ったときに、深川製磁で「アルテ・ウァン」を2個購入したところだけど(ご飯でもスープでもカフェオレでもいけそうな、すてきなボウルです)。
いいのだ。ここで会わなかったら、二度と会えない気がしちゃうんだもの。
墨はじきの銘々皿揃えにもかなりそそられたが、揃いの分、高い。高いけど揃いなのだ。
ばら売りしてくれるなら即買いだけど、5枚はいらない。
同じ5枚なら、違うお皿2組のほうがいいもの。揃いなんて発想がつまらない。
でも「墨はじき」という言葉に、佐賀の先生方の顔がふわっと浮かんだ。

お休みでもないのに、気分はパラダイス。

本当はね、有田の陶器市に行きたい。リュックしょって行ってみたい。
先日仕事で、陶器市前の有田にお邪魔する機会に恵まれた。
静かな町は、陶器市を前に、少し浮き足立って見えた。
先生方のお話のすばらしかったこと。これまた宝のような時間だった。
この機会を与えてくださったクライアントに深く深く感謝。
いいものつくるように、頑張ります。

アメダス

2010年4月16日 (金)

気象観測大リストラ 山のアメダス削減、測候所ほぼ全廃

アメダスから30年!? というところに、まずびっくり。
1979年に正式運用されているらしく、なるほど30年経っていることになる。
「アメダス」のネーミングはカルチャーショックだった。とてもお茶目。
まだ「インベーダーゲーム」とか「アルト」の時代に、「アメダス」だもの。
すばらしいネーミングセンスだと思う。
動詞や形容詞まで含んだ言葉を固有名詞にするはしりなんじゃないかしら。
訛っていてかわいく感じるけれど、本当は「訛っている」わけではなく、
語源は「雨出す」(降水確率を割り出す)なんだそうだ。 →ウィキちゃん参照。

NHKラジオで、延々天気や風速を読み上げる気象番組が好きだ。
あれは最高のBGMだと思う。しかもあの単調な読み上げが好き。
景色が浮かぶから。
あるいは函館。あるいは石垣。遠く離れた場所を思い浮かべるとき、
天気のことを知るだけで景色がうんとリアルになる不思議。
TVで全国の天気予報が現れると、お天気といっしょに、その場所に住む人の表情がリアルに浮かぶ気がする。
瞬間、その人と近くなる思い。

日に何度、天気予報をたしかめるだろう。
最近は携帯。ブックマークをしているエリアの天気は、常時5か所くらいある。
電話の時代だってかなり頻繁に177を利用した(たしか日中は2時間おきくらいに天気内容が更新されていた)。
だもんで「こんなに寒いのに薄着してきちゃったよぉ……」なんて失敗はほとんどない。
だいたい毎日最高・最低気温は頭に入っているうえに、気温の数字を見ると自分のなかで暑さ・寒さを再現できる。

先日、「お父様が気象庁」だとおっしゃるお嬢さんとお目にかかった。
瞬間、わたしの目はハートになっていたと思う。
そういえば、高円寺には気象庁住宅がある。
子どもの頃に暮らした社宅を思い出す、ちょっとレトロな風景が素敵なのだ。

スズメのしわざだったか

2010年4月14日 (水)

サクラ、花ごとボトボト 蜜を吸うスズメの仕業です
 ヒラヒラと花びらが舞うサクラの散り方に「異変」が …/2010年4月12日(月)

「今年の桜はどうも様子が変」と、ちょうど話をしていたところだった。
花びらが散る前から、花ごとぼたぼた落ちているのをよく見かけたから
てっきり寒さのせいだと思っていたのだ。
まさかすずめちゃんのせいだったとは。
責められない。すずめちゃんなら、無罪!

気のせいだろうか。
高円寺ではムクドリやヒヨドリが、ここひと月ばかり少なくなった。
かわりにまたスズメが増えている。もとの景色に戻ったというか。
メジロは相変わらずだ。
事務所の裏庭には、セキレイやメジロがよく訪れる。
メジロは大きな鉢植えの水たまりで、時折水浴びしている。
猫の通り道なのに、危ない、危ない。

東京の桜はどんどん葉桜になっている。花もまだ四分ほど。充分きれい。
今週の月曜日には、明治通りのイチョウの梢からコイチョウも発見した。
本日5ミリほどに成長。
「花冷え」とはのんきにいえない寒の戻りはあるにせよ、東京の春は順調に進んでいる。

 

ベランダのオリーブも剪定完了。
大分ではツバメを見たから、もうすぐ東京にもやってくるかな。
高円寺の西友の軒先にはダブルでツバメの巣があって、ワクワクすることこの上なし。
春じゃ、春じゃ。

明石のこと

2010年4月 1日 (木)

マクドナルドから明石市へ、ベテラン広報マン転身
兵庫県明石市は4月から新設する広報担当課長に「日本マクドナルドホールディングス」(本社・東京)の元広報部長を起用す… /2010年3月29日(月) asahi.com

ほんとうに明石市は全国に売り出しちゃうかもしれない。
そんな頼もしさを覚える方だな。

東京にいると明石市ときいてもあまりピンとはこないのかもしれない。
関西にいるとはずせない、明石。大阪から新快速で約40分で明石。舞子のまだ向こうにある。
または新幹線の西明石駅。
明石焼き & 魚の棚(うぉんたな)
瀬戸内海をはさんで淡路島のお向かい
源氏物語に源平合戦
子午線と天文科学館
明石原人……
ん~、明石焼きが食べたい(*^_^*)

 

たのしみ、たのしみ。がんばれ、明石も、林さんも。

「100歳になったら引退します(*^_^*)」

2010年3月29日 (月)

競歩なぜメジャーにならぬ 84歳選手、研究重ね博士号
ウオーキングを楽しむ人は多いのに、なぜ競歩はマイナーなのか――。84歳の現役競歩選手がそんな研究を続け、教育学の博士号を /2010年3月28日(日)asahi.com

「やったー♪」というのは、弊社Sさんの口癖のひとつ。
「た」に第一アクセントがある。
かわいらしさと大胆さのなかに、あざとさが見え隠れする「やったー♪」が、わたしは大好きだ。
口癖は移るもの。彼女ほどかわいくできないので、ちょっと困ったもんだ。

閑話休題。
「100歳を超えたら、難しいことから逃げようと思います」のひとことにシビれた。
これからわたしもこの手で行こう。
「100歳になったら引退します(*^_^*)」

編集者はもしかして、引退したとしても。
命があって、ぼけてもいないとしたら、創作活動が100歳で止まるわけもなく。たぶん。
そこまでに書きまくったら、昇華されるのかしら、書きたい焦燥。


寿命か校了かどちらが早いか……なんてスリリングなんでしょ。

クローバーを食べる

2010年3月25日 (木)

観葉植物を天ぷらに…一家食中毒 「カラシダネ」勘違い
川崎市は24日、同市幸区の家族4人が有毒な成分を含む植物キダチタバコの葉を食べて食中毒になり、3人が一時入院した、と発表した。カラシダネという俗称…
/2010年3月25日(木)asahi.com


大事に至らず、よかったよかった。
それにしてもあんまり人ごとでもないなぁ……。

学生時代、食費に窮して、雑草を食べていたことがあった。学校で摘んで、うちで食べる。
といっても、いいとこハコベやクローバーまでだから、もちろん当たったことなんてない。
春先、街路の下草にハコベが伸びてくるのをみると、ちょっとおいしそうだと思う。

自分で収穫したものをいただく至福。わかる、わかる。
うちのベランダにも、食べられるものも、食べられないものも、植木鉢がいっぱいある。
ここのところずいぶん威勢がいいのが、クローバーだ。
どこからともなくやってきて根を伸ばし、そのうちわしゃわしゃと生えてくる。
雑草カテゴリーなんだろうけれど好きなので排除しない。
このごろさらにいい感じになってきたので、
週末アタリは収穫して、オムレツにでもしようかしらん。
……クローバーだと信じているけど、クローバーに似た有毒ななにかだったら困るな。

2019.4.27
クローバーじゃなくて、カタバミ。カタバミは食べられる野草。
似ているけどクローバーとは別物です。
クローバーも「食べられる野草」カテゴリーだけど、ダメージもあるらしい。

 

 

 

 

 

 

クロちゃんへの手紙

2010年3月19日 (金)

猫のクロちゃん天国へ 阪神大震災直後に生まれた人気者
クロちゃんが死んだ。
面識のない小学生の女の子が突然、花束と手紙を持って藤本さん宅にやってきた。
…《今までありがとう。私が小さい時から遊んでくれてありがとう。もう一度クロちゃんにさわりたかったな。天国でゆっくり休んでね》
2010年3月9日(火)asahi.com



『キャッチャー イン ザ ライ』みたいな『赤頭巾ちゃん気をつけて』みたいな、
小さな女の子に救われるお話。


またもや電車で、あわや号泣……(^_^;)

高円寺

2010年2月17日 (水)

とっさに女性を仰向け 高円寺駅、奇跡の救命に感謝状

 

 東京都杉並区のJR高円寺駅で15日夜、線路に過って転落した女性(20)の命を救ったのは、ホームから飛び降りた都内在住の社会福祉法人職員(24)のとっさの判断だった。佐藤さんは16日、同駅でJR東日本から感謝状を贈られ、「その時」を語った。りがとうございました」と言われた。
 /2010年2月17日(水)asahi.com


15日の夜は打合せのあとで、さらにミディアムな打合せを歩きながら携帯でやって、
街には雨が降っていた。
麹町から四谷まで歩いて、中央線の快速に乗ろうとしたら電車が来ない。
しばらく待ったら「高円寺で人身事故」とのアナウンス。
愕然とした。

引越ばかりで育ったせいで、わたしにとって駅は、別れの場所以外のなにものでもない。
せつない、やるせない思いがつきまとう。
映画で駅のシーンをみたら、条件反射のように泣けてくる。
それから、ここで死んだ人を思う。
あまり思って、そちらにチャンネルが合っても困るので、適当にそらす。
だけど、新宿駅のホームで飛び降り防止の大きな鏡を見たり、
代々木駅に着いた「心を安定させる」らしいブルーライトを見たりすると、
そのままかなりどんよりしたブルーになるのだ。
それが事実なのだと、突きつけられている気持ちになる。

そんななのに、人身事故。しかもわが町・高円寺で。
高円寺に暮らす人、使う人、おしなべてみなHAPPYでいてほしいのに、
自殺だなんてもっとも似合わない駅なのに、出ちゃったんだ……と思って、かなりへこんだ。べこべこにへこんで、なんだかうまくしゃべれなくなった。

それが。
翌日家に帰ってから、このニュースを聞いたときのうれしかったこと!
「今日はいいニュースがあるよ」と言われて、聞かせてもらった。
涙が止まらなかった。ものすごくうれしかったんだ。
とたんに、世界の色が輝き始めたような気になった。
あんまりいい話で。ハッピーエンドで。
この世界にいてよかったと、心からそう思えたんだ。

盲導犬のおしごと

2010年1月19日 (火)

育てた盲導犬に「ありがとう」 受刑者たちの涙の別れ

官民が共同運営する刑務所・島根あさひ社会復帰促進センター(島根県浜田市)で18日、受刑者が盲導犬候補を育てる国内初の更生2010年1月19日(火) asahi.com

盲導犬が、人を二度助ける。
二度目は目が不自由な人のパートナーとして。
それ以前に、なにかが欠けちゃった人のかけがえのないパートナーとして。

すごい矯正プログラムだ。
慈しむ寛容の心なんて。
身につけようとしてつくものではなし。
ましてや普段の暮らしで、慈しむ気持ちを自分のなかに育もうだなんても思うはずもなし。
それでも、こうしてともに暮らすことで
芽生えていく思いがあるんだな。
それに気がつくことがあるんだな。
かけがえのないものへの大切な思い。

ミニチュア

2010年1月15日 (金)

錦帯橋 古材使い0.1ミリ単位の縮小模型 2010年1月15日(金) asahi.com


すごいな、すごいな、すごいな。かなり萌えてしまった。
前の橋の欄干でミニチュア。現地の石で橋脚。すごすぎる。
「技術を伝えたい。未来への橋渡しだよ」にまたシビれた。
式年遷宮を思い浮かべたのはわたしだけか?
こんな大人になりたいもんよ。

さて、ミニチュアといえば。
小ささつながりで、小学校2年生の冬に父が作った入れ子の箱のことを思い出した。
当時父は仙台に単身赴任していて、正月、家族の住む大阪にやってきた。
そこでわたしがきれいな千代紙を得意げに見せたら、「ボール紙ある?」と言って、
「あるよ」と言って厚紙を出すと、やおら箱を作り始めた。
定規で測り、カッターを動かしながら作った箱に、しわひとつつけずきれいに千代紙をのりで張って、さらにその中に収まる箱を作っていく。
「若い頃にこんな仕事をしたことがあるんだよ」と言って、サクサクと5つの直方体の入れ子の箱を作り上げたあとで、
今度は立方体を作り始めた。
立方体は3ミリ刻みだかのかなり精巧な13個の入れ子で、最後の箱は直径3ミリ。
楊枝を使って組み立てていた。
仕上がった豆箱は、爪楊枝を使えばきちんと開け閉めできる。箱に模様もある。
父の手指の器用なこと。結果、半日、父は箱だけを作って過ごした。
わたしは半日、飽きもせず、できあがっていく箱を眺めていた。
父が娘にかまって時間をさくことなど、あとにも先にもこのときだけだったので
今でもよく覚えている。とても不思議な空気感だったのだ。
箱をひととおり作ってしまうと、色柄の千代紙はなくなったのだが、
茶の和紙だけは残っていて、ファンシーショップで100円で買った紙の引き出しに、
きれいに張りつけてお色直しをしてくれた。

あれから40年。小さな小さな引き出しは、今も大切にわたしの部屋にある。
あのときの父、42歳。
もう追い抜いてしまった自分に驚く。

左手、左手、考える手

2010年1月12日 (火)

脳研究の「神話」独り歩きに警鐘 日本神経科学学会
 
 脳科学研究の成果が、脳ブームに伴って拡大解釈されて広がっていることなどを懸念し、日本神経科学学会は8日、研究指針の改定を発表した。…
 指針では、科学的根拠のない「神経神話」と呼ばれる疑似脳科学が独り歩きしていることを憂慮。 /2010年1月8日(金) asahi.com

いわれたすぐあとで恐縮だが、また左手トレーニングがマイブームなのだ。

去年の暮れ、資料書籍を読み漁っているときに
片岡鶴太郎さんの「左手で書く」話に触れた。
本来右利きだったが、ボクシングを通じて左利きを発見し、以来大事な線を書くときには左で書くという話だった。
なるほど……と思って、うちに帰ってから左手で文字を絵を描いてみた。
ついでに文字も書いてみた。やっぱり、なるほど。

右手は器用だから、先々進んでいく。
左手は不器用でゆっくりだけど、考える速度で進んでくれるという。納得だ。

そんなこんなをしているうちに、大晦日。「年のはじめはさだまさし」。
さださんが、能の大御所とお話をした際に
「芸事をする人は、左から始めるようにするとよろし」ということを伺い、日々実践しているということだった。
もちろん、元旦から、わたしも実践。
イイと聞いたらどんどんまねし。

「左から」ってのは、左を使うことを意識すべしということか、と置き換えてみた。
つまり、潜在意識の開拓だろうと、予測をつけた。
で、毎日やってる。
昨日は食器を左手で洗った。ものすごく新鮮な感じだった。食器がやわらかく感じる。
力の入れ方に緊張しちゃうのだ。

そんなこんなも手伝って。
気のせいか、最近なんだか、思いつきが冴えているような気がする。
「ありえない」中から“つながり ”を見つけていくことが好きなのよ。

最初の桜

2010年1月 2日 (土)

那覇のヒカンザクラ、大みそかに開花 観測史上最速
 縄気象台は12月31日、



緋寒桜はたしかに早い。
それにしても、大晦日に咲くだなんて早いこと。文字通り、一番乗りの桜便り。

ちょうど同じ頃から、桜に埋もれている生活をしている(桜がらみの原稿ということ)。
今年はどれだけの桜に会えるだろう。今から楽しみでならない。
いつかの日か、花の季節にひと月吉野に滞在して(できるなら「桜花壇」がいい)、
朝から晩まで桜を眺め続けて過ごしたい。飽きるほど眺めていたい。
ついでにもうひとつ。沖縄から北海道まで、桜前線に合わせて旅をしたい。


年末にある男性アーティストのインタビューで、
「桜は具象であるけれども抽象なんだ」と伺った。
ぽーんと膝を打ちたくなるほど、言い得て妙。

桜を思うのは自分を掘り下げることなんじゃないかな。
もしかすると、なんでもそうかもしれないかな。
やがてくる春を思う。

門松と歳神さんと

2010年1月 2日 (土)

市民の愛で門松2倍に 福島の施設、盗難後に新品寄贈/2010年1月2日(土)asahi.com


さて、門松。事務所のあるビルには毎年立派な門松が立てられる。
自宅マンションにも大家さんのはからいで松飾り。
正月に散歩していると、家々の正月飾りに、気持ちが浮き立つよう。
どのお飾りも松や竹、わらで、立派にとげとげしている(松や竹だから)。
歳神さんをきちんとお迎えしている感じに、こちらの心が温かくなる。
こんな都会のただ中で伝承が受け継がれていくのだもの。
そういえば梅の枝もとげとげしている(かくかく……といったほうがいいのか)。
松竹梅が縁起がいいのは、全部とがっているせいなのか? と初詣中に思いついた。
歳神さんは、とがったものがお好きなのだ。


初詣は元旦に、巳さんの祠を含めて、高円寺~阿佐ヶ谷の神社5つにお邪魔した。
どのお社も盛況でうれしくなる。
家々の輪飾り(松飾り。門松じゃなくて)を、今年ほど意識した年はなかった。
毎年自分の目の付け所が変わっていくのがおもしろい。
来年のお正月は絶対うちも輪飾りつけよう、と心ひそかに誓うのだった。
で、12月28日にはお飾りし終わらなくちゃ。


核家族化して、代々伝えられるべき情報は、うまく伝わらなくなって……と思っていたら
媒体の普及は、物事の大切な情報を斜め飛びで上手に伝えてくれたりする。
「斜め」というのは、「代々」に対して、赤の他人から赤の他人に伝えることを指す。
これもまた大事なことなんじゃないかしら。


今年もワクワクすることがたくさんありますように。
たくさん笑えますように。


初夢で歳神さんにお目にかかりたいなぁ。

 

 

抱擁、慰め、理解、信頼、肉体

2009年11月18日 (水)

「峰不二子」官能の朗読劇 R18指定、軽井沢で公演

 軽井沢から大人の文化を発信したい――。長野県軽井沢町在住の演出家星野和彦さんが21日、かるいざわ朗読座の旗揚げ公演「池田満寿夫に捧ぐ 愛は禁断を超えて」を軽井沢大賀ホールで   2009年11月18日(水)asahi.com


「あなたは何を求めているのですか。抱擁ですか。慰めですか。理解ですか。信頼ですか。肉体ですか」
この一行にドキリとさせられた。あまりにドキリとしたので挙げておく。
どこまでも広がっていく詩的な世界に感服。


全部、のような気もするし、全部違う気もするし、的を射ているような気もするし、
考えても考えても、答えは導かれないような気もするし
己が導いた答えでは納得できない気もするし。
人に言われても呑めない気もするし。


こういうくだりそのものを「みずみずしくて青いな」と思う時代も来るのだろうか。
それともこれは、R18の人の性なのだろうか。

 

 

ビバ、60歳!

2009年11月11日 (水)

キノコ採りで不明7日、71歳無事 ナメコ食べ、葉で暖

 新潟県村上市三面(みおもて)の奥三面ダム近くの林道脇で…  奇跡に近い」と驚いていた。/2009年11月9日(月)asahi.com


思わず「バンザイ!」と叫びたくなるようなニュースだった。
採ったナメコを食べて、ヤマブドウを食べて。雨風しのいで。70代、すごいな。
生きる知恵ってこういうことかしらと思った。
そういえば今日は山形で、行方不明のネコを探しに山へ行った女性が行方不明。
1週間近くたって帰ってきたニュースがあったっけ。
みなさん、ご無事でなによりです(*^_^*)

 

さて、市ヶ谷へタクシーに乗ろうとしたら
「新人ですが、お客さん、道わかりますか?」と、運転手さんに訊かれた。
「大丈夫です。ナビします」と乗り込んで見れば、相手は六十がらみの男性だ。
このお歳で新人とは、はて、リストラで困った? そんな年代じゃないしな……。

興味津々。
で、つい取材……(^_^;)。

運転手さんは、御年60歳。定年退職したあとに、再就職したのだそうだ。
子供の頃、タクシーの運転手だった親類のおじさんにとても憧れた。
しゅーっと車を乗り回して、そのうえ制帽がかっこよかったのそうだ。
「あれ! これから働くなら、あれがいいなぁ」と奮起した。
23区の地理試験を受け(4回目に合格)、晴れてタクシー会社に就職。
「いやぁ、毎日が楽しいです(*^_^*)」と、運転手さん。

25年勤めた職場からは、部署を替えて65歳まで勤める制度もあったし、残留を勧められたのだが、
この歳で働くなら、自分のペースでできる新しい仕事がいいと、新天地を選んだ。
「いやあ、会社員時代は、稲毛の自宅から川崎の職場まで、毎日車通勤。わたし、車の運転がほんとうに好きでね」とにっこり。
「家内と遠出をするときも、電車は使わないんです。全部車。家内の実家は京都なんですけど、それも車で行っちゃうの」と、やっぱりにっこり。

わたしと話しながらも、信号の間には地図を見て、現在地をチェック、チェック。
カーナビはあるのに、もっぱらベーシックな地図が大活躍だ。
「新しい道を覚えた日には、うちに帰って地図を見て復習するんです。そうでなくちゃ、覚えられませんから」
あまりにすてきな60歳で、こちらがどんどん元気になっちゃうような。
なにかを始めるのに、年齢なんてまったく関係ないのよね。
「好き」は強い。ほんとうに強い。すてきだな。

「それじゃあ、お気を付けて。がんばってくださいね」でお別れした。


いつかすんごい大金持ちになって、お抱えの運転手付きの身分になったとしても
タクシーはきっとやめられない。
ここで拾う情報って、わたしにはとても貴重&エキサイティング(*^_^*)。

カラスが好きだ

2009年11月 7日 (土)

おしゃれ? 変? 白黒つかぬカラス/2009年11月4日(水)asahi.com

 

フンで汚れて見えるといじめられるのか? 不潔だと嫌われるの?
カラスの世界もタイトだなと思うと、ちょっと寂しくなっちゃった。

カラスたちの結束はいつだって固い。
子育て中のカラスは、子供を隠すために攻撃的になる。
いつだったか、ちょうど横断歩道で車に轢かれたてのカラスの死骸を、
傷まないように歩道によけようと死骸に触れようとした瞬間に、
仲間のカラスから頭を蹴られて、追いかけ回されたことがある。
「死んだ」ことに気づかないほかのカラスが、傷ついた仲間を、人の手から守ろうとしたのだと思う。
猛烈に追いかけられたけれど、余計カラスが好きになった。
なのに、フンで汚れたくらいで、仲間はずれにしちゃうのか? と思うとせつなかったのだ。
ただでさえ、社会の嫌われ者なのに。
わたしは好きだぞ~! とても大好きだ。

黒いジーンズを探せ

2009年11月 7日 (土)

「黒のジーンズを」言葉をもとに映像を検索 NEC開発
2009年11月3日(祝・火) asahi.com

これを読んだときに、悲しいかな、はじめぜんぜんピンとこなかった。
読み進めるうちに、「すご~~い!!(>_<)」 と、ようやく気づいた次第。

おびただしいカメラ映像から、文字で指令を出して黒いジーンズだけを抽出するなんて、
文字で映像を解析していくなんて、
どんなシステムなんだか想像もつかない。
ある分野で、信じられないほどの作業が軽減されることはわかる。
インターネットの通常の検索だって、たいがいスゴイと思うけども、
英語の検索翻訳機能なんかになると、頭がねじくれそうになるけど(正直、訳文を読んでいると、もっとねじ切れそうになることもあるけど)。
世の中の進歩って、すごいな。

1990年の大阪花博が終わったときに、電通で“光ディスク ”なるものへの資料整理が始まった。
催事広報室の仕上げの作業みたいなもので、少々関わらせていただいた。
「すごいなぁ」としみじみ感じながら、整理画像をPCで眺めていた。
あれがわたしの体験したスキャン画像の始まりだ。時代の進化を感じた瞬間だった。
光ディスクって、今でいう「スキャン」なんだけれど(それをPC管理する。今は当たり前のこと)、
スキャンはもはや日常になった。これがなくてはわたしたちの仕事は始まらない。

そういえばFAXの使用頻度はずいぶん減ったと思う。
……いまだに、FAXのシステムさえ、わたしには理解できないけど。
それでも使うことはできる。
機械音痴でも、その恩恵を被ることができる。
便利な世の中に感謝。

 

 

ハウステンボス、大好き

2009年10月28日 (水)

佐世保市、ハウステンボス公有化を検討
/2009年9月30日(水)asahi.com


ハウステンボス、大好きだ。
細密に街を再現するだけではなくて、時代に先駆けたエコだったところや、
ホテルヨーロッパや、レストランエルミタージュの他の追随を許さないほどのクオリティ、
もちろん圧倒的な景色の美しさ、なにもかも大好きだった。
ホテル館内に活けてある、オランダスタイルのアレンジメントもかわいくて好きっ。
それから、仕事をご一緒させていただいたスタッフのみなさんの素晴らしいこと、あたたかなこと。
……と、言い出したら限りがない。
そして、わたしの第二の故郷、佐世保にある。
帰省すると商店街には「がんばれハウステンボス」の旗がはためいている。
存続の方法が公有化でも構わない。てか、佐世保市、がんばれっ!!



20091028224937768_0001 ←これは2004年にけっこんぴあで撮影させていただいたもの。ロケーションはもちろん、ハウステンボス。
モデルは道端ジェシカさん。初々しい。
今発売の「GQ」は、男性に向けてのウエディング特集(お手伝いさせていただきました♪)。
奇遇にもGQの表紙はジェシカちゃんだった。


2004年けっこんぴあ3月号
撮影:瓜坂三江子さん 
スタイリング:長谷川裕子さん 
ヘアメイク:池田圭さん


































オリオン座流星群

2009年10月24日 (土)

富士山にオリオン座流星群 アマチュア写真家撮影
/2009年10月24日(土)asahi.com


一昨日かな。仕事が終わって夜更けに、高円寺のはずれにある馬橋公園に、流星を見に行った。
うまくいけば1時間に50個の勢いだと聞いていたし、
そしておおかた晴れた日が多かったので、わくわくしていたのだけれど。

23時というのに、親子連れで観察に来ている方がいるのにもちょっと驚く。
カップルもいるなぁ。みんな空を見ている。
バリ島で、丘の上で、みーんながそれぞれ歓声を上げながら美しい夕陽を眺めている……
そんな平和な光景をふと思い出す。

でも、見えなかった。雲は厚かったし。
帰宅後ほとぼりがさめた頃にまた空を見てみたら、雲がなくなってる!
今度は双眼鏡片手にベランダへ。
首が痛くて回らなくなるくらい、じ~っと眺めていた。
でも、幻か気のせいか、判断できないくらいにしか、確認できなかった。
今年の正月のしし座流星群といっしょだ(>_<) ……寒くないだけまだマシかな。

8年前だかのしし座流星群はすばらしかった。
打ち上げ花火のあとみたいに、流星が空からぽたぽた落ちてくるようだった。

流星、見たかったなぁ。今宵は雨降りだ。

森のくまさん

2009年9月22日 (火)

クマというのは器用貧乏らしい。……たまさか人に生まれた側の務めだと考えたい。/2009年9月22日(火)朝日新聞 天声人語

本来ならツキノワグマは、草食性の強い雑食(アリなんかも食べる)で、
見た目と違ってとてもおとなしいクマなのだ。
だから今回の事件は(こういうときは「事故」?)とても寂しかった。
いつもは見ないのに、こういうときに限ってTVで映像を見ちゃった。
銃声が響くと泣けてきた。

初めて「森のくまさん」という曲を知ったとき、あれは小学生の1年生ごろかしらん。
なんて素敵な歌だろうと思った。大好きな歌だった。今も好きだ。
そんなことを思いながら街を歩いていたら、渋谷の東急でこんなポスターを発見。
そう、こういう世界観なんだよなぁ。

 

 

労働時間と職人とニュートンと

2009年9月 6日 (日)

kmタクシーの事業取り消し 運転手過労の対策不足

 

運転手の過労への対策不足が発覚した国際自動車(東京都港区)について、国土交通省関東運輸局は2日午前、事業許可を取り消した。大手タクシーの許可取り消しは初めて。同社のタクシー321台とハイヤー589台は12日から営業できなくなり、2年間は許可の再申請もできない。
関東運輸局の0
準(80点)に達した。……/2009年9月2日(水) asahi.com

タクシーの運転手さんて、会社によって労働はまちまちで
過酷なところはほんとうに過酷だ。
それがイヤで独立したくとも、
8年だかの会社勤めを続けなければ、個人タクシーとしての独立はできないらしい。

大手タクシー会社で事業許可取り消しなんて聞いたことがないから(「初めて」って書いてあるけど)、
その晩乗ったタクシーでドライバーに水を向けてみたら
「だってkmさん、ほんとうに運転粗かったもん」とぴしゃっと返ってきた。
へぇ。知らなかった。何度も乗ってたけどな。
そのドライバー氏曰く、
「kmの運転手と勤務状況の話をしたことがある。
“そのとおりやってたら、ぜんぜんノルマは稼げない”って返ってきた。意識が低いと思った」そうだ。
ドライバー氏の所属するタクシー会社は、ドライバーの「働き過ぎ」に関する意識が高いらしい。
労働時間は会社がしっかり把握をし、超過が重なると「休め」と勧告され、強制的に休暇を取らされる。
「ノルマがどうこう以前に、人を乗せるという商売柄、安全配慮という面では、適切な休暇をとりながら働くのが大切なのではないか」
という、現場で聞いているとは思えないほどの模範解答がきて驚いた。
「能率とか、売り上げとか、そういうこと以前に、働く人の立場を会社がちゃんと考えることも大切なこと。現代はそんなご時世です」という言葉に深く納得した次第。
そして、我が身を振り返り、反省もする次第。

職人の世界では、労働時間が云々なんて言っている場合じゃないだろう。
しかしそれがギルドになった瞬間に、その問題は飛び出してくる。
団体、共同体になった瞬間に、仕事というよりも労働。
労働になると、使役の関係が生まれるわけで、
労働者の権利を守るべく、時間の観念が現れる。
「納得いくまで仕事する」のは、ギルドである以上は認められないわけ。

というわけで、出勤・退出、社外労働時間をつけましょう運動を、社内で開始した。
社長はやってない。あたりまえだけど。
わたしはものの試しにやってみている。
しかし。24時間仕事でなければ、職人はなりたたんだろう……と思う。
頭のなかにいつもあるからこそ、いいものができる。
職人がそうなら、物書きもそうだし、編集者だってものつくる人なのだからそうでしょう。

でも、会社ではだめなのよ。だから社の諸君は別だよ。
ちゃんとお休みなさい。
そしてできることなら、会社ととして、ちゃんとしたところでありたいと思う。
だからどうぞ、
配慮の足りない上司をサポートすべく、どうか自ら休暇の申請をしてくれたまえ。
それが集合体ということです。
もしかすると君たちが、新時代の職人スタイルを確立してくれるかもしれない。


さっ。勤務時間をつけてみましょうね。

**********

ひと晩、このことを考えていた。
「24時間仕事」っていうのは、当然のことながら、机に貼り付いているわけではない。
本当の仕事というのは、タイムカードとは無関係のところにある。

頭のなかにずっとあるなにかに対して、別の情報がインプットされたときに
思わぬアウトプットとして素敵なアイデアが飛び出すことがある。
なんだってそうじゃないかな。
ニュートンがリンゴの落ちるのを見て、引力を発見したのと一緒だと思う。
机に貼り付いているだけでは、こうはいかない。
視点を変えたときに、発見がある。たぶん。

「職人」という言葉を使ったけれども、なにも限ったことではなかろう。
ポジティブに、「責め」で仕事をする人に、おしなべていえることだと思った。
そういう意味で、机に(持ち場に)貼り付いてちゃいけないのかもしれないな。
ヒントはいろんなところに満ちあふれてる。
どう掬い取るかということだ。
この話は、「いろんな視点をもつ」ということにつながっていくのだけど
それはまたアザーサイド……「のんちゃん」で、あらためて。

 



 

母を訪ねて……ダムちゃんの旅

2009年9月 6日 (日)

“母”を訪ねて… ネコ、はるばる10キロ

わが輩は飼い猫である。名前は「ダム」。今は宮城県加美町のお母さんに大切にされているが、ここにたどり着くまでが大変だった。
…/2009年09月06日(日) 河北新報


ダムちゃん、でかした、よくやった(ダムちゃんデカイです。目つき悪くて超カワイイ)。
携帯で読みながら、涙……。
どうやって10キロ歩いたの、
なんでお母さんのおうちがわかったの、ヒントはあったの? 
行ったことあったの???

それにしてもこの原稿、短すぎます。
プロットはたしかにこれ以上でも以下でもない。なるほど。
なんなら、わたしに続きを書かせていただきたいですぅ。
絶対素敵な絵本になりますぅ。
でも、短いからこそ、イメージがふくらむって、ありますね(*^_^*)

お見送りの時間

2009年8月26日 (水)

死と供養見つめ直す お葬式・法事CD作製 歴史や段取りなど解説
/2009年08月25日(火) 河北新報

夕べの23時半だったか、お世話になっているデザイナー氏から携帯にメール。
「イオンが葬儀ビジネス始めるってよ」。
ネタ、感謝します。まだ着手できていませんけど。
「近づいた!」と思ったらまた遠くに逃げられちゃったりしてますけど。
忘れていませんよ、葬儀のこと。
少しずつ、いろいろなところで啓蒙活動。うれしいじゃありませんか。


「便利さを追求するあまり大事な追善供養を省略してしまうのでは、遺族は癒やされません」と訴え、初七日から四十九日までの7日ごとの法要の意味合いを、丁寧に語り掛けている
というところに、ぐっときた。
そうなんだよなぁ。
初七日があって、四十九日があって、初盆がきて。で、三回忌だっけ?
そういうふうにゆっくり時間が過ぎていくなかで、その人を亡くしたという現実に少しずつ慣れていって
周りの人たちもやさしくて、でも折あるごとに故人を思い出して連絡よこしてくれるのが
遺族としてはうれしくて。
日本の七日ごとのお見送りの風習は、とてもやさしいものだと思う。
よく考えられているというか、死と向き合うために、欠かせない時間だと思う。
そんなことを思い出していた。

結婚式もお葬式も、どちらも自分にはとても大事なもの。
たくさんの人たちに「大切にしたいですよね」と言いたいこと。
ありがたいことに周りのみなさんから応援されて、少しずつ山を登っているわけです。
感謝。

 

 

宇宙の生命体

2009年8月20日 (木)

彗星のちりにアミノ酸、生命存在の可能性 NASA分析

 【ワシントン】米航空宇宙局(NASA)は17日、無人探査機スターダストが彗星(すいせい)の近くで採取して地球に持ち帰った試料から、アミノ酸の一種「グリシン」が見つかったと発表~ /2009年8月18日(火) asahi.com

朝から萌えたネタだった。
「宇宙で生命は一般的なものかもしれない」だって。
超素敵じゃないすか。
子どものころの絵物語が、ほんとうになっていくなぁ。

泣いちゃったおばあちゃん。特養のこと

2009年8月19日 (水)

おいしそうな介護食、商品開発に熱 食品各社
 

 高齢者向け「介護食」が進化している。やわらかくのみ込みやすいというだけでなく、おいしそうに見えるのだ。食べてみると、実際、味もいい。高齢化で成長する市場をリードしようと、各社の商品開発が熱を帯びている……/2009年8月16日(日) asahi.com

おいしそうな介護食って、ありそうでなかったのだ。
年寄り分野って、開拓が圧倒的に遅れているというか、
子どもにお金をかける親はあまたおれど、
年寄りにお金をかける子どもはいない(「お金がかかる」ことは多い)。

編集職に就く前に、老人ホームで少しだけ働いたことがある。
「これからは福祉の時代。老人介護を仕事にしよう」と、考えてのことだ(お年寄り、好きだし)。
わたしの担当は特養だったので、
お世話するのは、痴呆だったり、からだが不自由だったり、身体的に問題のあるお年寄りばかり。
なかにひとり、口のきけないおばあさんがいた。
目がきちんとしていらしたので、言葉が不自由なだけで、きっと意志の疎通はできているような気がしていた。
おむつの取り替えのときなんかも、いつもこちらが一方的に話しかける。
返事はない。ほんのときどき笑顔になることがある。そんな感じだった。
おとなしい物静かなおばあさんで、わたしの大好きなおばあさんのひとりだった。
ある日、食事の介護をしているときのこと。
ちょうど記事にある、ミキサー食だった。
記事にもあるとおり、ミキサーにかけて、お年寄りが噛まずに嚥下するだけで消化できるようにしてある食事だ。
たしかに安全だけれど、味気ないことこの上ない。

てゆうか。
ほうれんそうのおひたしのミキサー食なら、まだわかる。
でも、たとえば、肉じゃがのミキサー食って、どうよ!?
当時、そういうものが、おばあちゃんのお食事だった。
介護といっても、スプーンで食べさせてさしあげるだけ(たしかに、介護初心者が食べさせても事故は起きない)。
おばあちゃんは、いつもあんまり食が進まない。
ときどき、イヤイヤに見える仕草をする。でもゆっくり、最終的には食べてくれる。
食べさせながら、食が進まないおばあちゃんを見ながら、なんだかせつなくなっちゃって、
「ねー、Sさーん、おいしい?(おばあちゃん、まったく無反応)
そうか。おいしくないか。そうだよね。このお食事じゃあ味気ないよね」
とわたしが言った途端、
おばあちゃんは大粒の涙をぽろぽろ流して、泣き出しちゃったんだ。
余計なこと言ってごめんなさい、と反省したけれども、
ミキサー食は相当つらかったんだとも思う。
「ミキサー食」の記事で、あの風景を鮮明に思い出した。

介護食が進化するのはとても素敵なこと。
ようやくそんな時代が来たのか。あれから20年だ。
特養には「味気なくて食べた気がしない」なんて言える方はほとんどいないし、
お年寄りは子ども扱いされるし、効率のためにおむつ、ということもある。
理想と現実の乖離というか、せつない状況がそこにあって
もしかすると、それは今も変わらないかもしれないと思う。
でも、ほんの小さなところからでも、少しずつ変わっていくならいいじゃないか。
 

セミの気分

2009年8月15日 (土)

セミの音に残る「戦禍」 隅田公園、なぜか一種類のみ
 
 
64年前の東京大空襲で焼け野原となった東京都墨田区の隅田公園には、セミのなかではアブラゼミ1種類しか繁殖していないことが、東京大総合研究博物館の協力研究員(78)の5年にわたる調査で分かった…/2009年8月13日(木) asahi.com


この記事を読む前日のこと。
ベランダのオリーブの鉢に水遣りしながら、
もしもわたしがセミの幼虫だとして、この鉢の中に住んでいたとしたら、どんな気分だろう……
そんなことを考えていた。
雨が降ったらどんなだろう。
大雨だったらどんなだろう。
どんな気持ちがするんだろう。わりと普通のことなのかしら。
いやだと感じるのか、冷たくて気持ちいいのか、木の根っこはやさしいのか、そんなこと。



ところで、大阪に比べると東京は、ミンミンゼミの声が多いと感じる。
大阪はアブラゼミとクマゼミばかり。
ジージーとチッチッばかりが目立っているように思う。
そういえば先日、高円寺で「カナカナカナ……」というヒグラシの声を聞いたときは、ちょっと感動した。
こんな街なかにいるんだ、と思って。晩夏の声。



終戦記念日だった。
「あの日はセミがやかましく鳴いていたのよ。暑かった。
悔しくて悔しくて、“日本が負けた、日本が負けた”って、ひとりで泣きながら林の中を走ったんだよ」
それは、当時六歳だか七歳の、母の話。
「欲しがりません、勝つまでは」。それはおりこうな軍国少女だったんだよな。
64回目の終戦記念日。
どうか今の平和が長らく続きますように。

 

 

全部読んだ

2009年7月 3日 (金)

図書館の本盗んだ疑い 容疑の男「53冊、全部読んだ」

図書館の蔵書1冊を盗んだとして、福岡県警は1日、住所不定、容疑者(50)を窃盗容疑で逮捕し、発表した。
/2009年7月2日(木) asahi.com



「全部読んだ」が、誇らしいこととして容疑者により語られたのか
転売利益を得るためではなく、純粋に自己の知識を高めるための美談(?)として語られたのか、
いまひとつ釈然としない。この記事からは窺えない。

2か月で50冊読んだのはえらいと思う。たいへんな読書量だ。

でもさ、返そうよ。
図書館は、せっかく「借りる」ところなんだからさ。返せばいいのに。
なんだか残念だなぁ……。

 

 

走れ、メロス!?

2009年7月 1日 (水)

札幌の殺人事件、容疑の元組員逮捕 予告通り2日後出頭
/2009年7月1日(水) asahi.com

血なまぐさい事件は、あまり挙げないようにしているのだけど
妙に残った事件だったので、記しておく。

二日間に、その容疑者がなにをしたのかが、気になってならない。

病気のおかあさんを、養老院に入れる手配をしたとか、
別れた恋人に会いに行って、「あのときホントは別れたくはなかった」と行ったとか、
離婚した妻にくっついて出て行ってしまった娘にひと目会いに行ってキスをしたとか、
どうしても片付けなければならない仕事上の案件をひと段落させたとか、
こっそり思いを寄せていた病気がちの彼女に、自分の全預金を手渡したとか、
とか
とか
とか
どこまでも想像が広がって止まらないのだ。


いや、人を殺したこと自体、罪以外のなにものでもないけれど、
「走れメロス」的に、二日間という約束を守って自ら修羅場に舞い戻るあたりが
彼が善人であるような想像力を駆り立てるのだろうか。

いや。人を殺しちゃだめですけど。さらにユスリだって、絶対に許されませんけど。

今度は凸版のことを

2009年7月 1日 (水)

凸版印刷と紀伊國屋が業務提携 大日本印刷連合に対抗軸

印刷業界最大手の凸版印刷と書店最大手の紀伊国屋は1日、大学向けサービスの開発・提供で業務提携すると発表
印刷・書店業界では大日本印刷が丸善、ジュンク堂、図書館流通センターを子会社化。今回の最大手同士の提携は新たな対抗軸。
提携では、凸版の持つ情報技術+紀伊国屋の大学への強い営業力⇒IC学生証による学生の出欠、施設利用の管理や、ICタグを用いた図書館の書架管理などを大学側に売り込む。
両社は2年前から一部のサービスを実験的に提供。「大学以外の分野でも新事業を展開できないか積極的に検討していく」/2009年6月1日(月)


これも挙げとかないと不平等か。前後するけれど、凸版の動き。
ひと昔前は「技術の凸版、営業の大日本」「公家の凸版、野武士の大日本」といわれて、
両者はいつも比較され、拮抗していた。……今もそうだな。
印刷業界のシェアは、この二社で市場のおよそ80%。圧倒的な寡占状態にある。
しかし紙媒体の衰退に伴って、印刷本業は縮小傾向に。
凸版も大日本も、昨今伸びているのは紙の印刷以外の部分で、
戦いの舞台はエレクトロニクスやビジネスフォームといった分野。
液晶カラーフィルタは、2社で世界シェアの3割を占めるというから驚きだ。
競っているのはデジタル技術。
もっというと、エレクトロニクスというより、エコロジーなのかもしれない。
またこの「エコロジー」の進化っぷりたるや、ものすごいものがあるのだけど
そのお話はまた今度(*^_^*)

高級ホテルの大幅値下げ

2009年6月14日 (日)

高級ホテルの値下げ合戦過熱 海外客激減で半値前後も
/2009年6月10日(水) asahi.com

風が吹くと桶屋が儲かる、じゃないけれど、
ホテルの屋台骨である宿泊が打撃を受けると、広告費用の削減を第一に図られるもの。
つまり、多くのホテルにご出稿いただくブライダル誌は打撃を受けることになる。
ひいてはブライダル誌を編集する弊社もマジでつらいことになってくる……。

そういう利害関係はまったく抜きにしても、ラグジュアリーホテルが大好きだ。
非日常の晴れやかな空間、繊細なホスピタリティ、大人のためのたたずまいがたまらないのだ。
だからホテルにはいつも元気でいてほしいと切に願う。

それにしても。
この機に乗じて、ぜひペニンシュラにお泊まりしたいと、この記事を読んで思ってしまった。

子ヤギの曲芸

2009年6月14日 (日)

子ヤギはカメの背中がお気に入り 山口・美祢


山口県美祢市の秋吉台サファリランドで、カメの背中に乗っかる子ヤギの愛らしい姿が人気を…/2009年6月11日(木) asahi.com


かわいい。文句なくかわいい。それで、これは「曲芸」なんだな?

3歳くらいに住んでいた大分の家の裏には野原があって
その野原にヤギがつながれていた。
目つきがかなり怖かった。
「ヤギさんは紙を食べるのよ」と言われて、子供心に「ウソだ」と思ったのだが
ためしに紙を差し出すと、むしゃむしゃ食べてしまうので、恐怖にかたまってしまったのを覚えている。

大人になってから、西洋で悪魔の象徴にされているのを初めて知ったときも
そりゃ、あの目だからね、とあっさり納得した。

でも子ヤギはかわいいなぁ。



山口の美祢町といえば、つい最近、ホテルの一酸化炭素中毒事故で
修学旅行に同行していたカメラマンが亡くなった。
遠い事件にはとても思えない。痛ましすぎる事故だった。
二十代の頃、同年代の仲のいいカメラマンたちがよく、学校アルバムのアルバイトをしていた。
みんなこんなふうに修学旅行や遠足に同行していた。
だれもそんなところで命を落とすなんて、想像だにしなかったろう。
……ご冥福をお祈りします。



追記:その後同ホテルは廃業。

おかげで人生やりなおせる。

2009年6月12日 (金)

「悪いこと見逃せぬ」 ひったくり犯説得の高校生に感謝状

   ひったくり犯を追跡し、逮捕に協力したとして、広島中央署は12日、私立修道高3年に感謝状を贈った。
 /2009年6月12日(金) asahi.com



なかなかできるもんじゃない。追いかける高校生もだけれども
グッときたのはむしろ、犯人のほうだ。
連行される間際、ほんとうならそのとき、「しくじった」と思って、絶望の淵に立っているのだろうに。
「お兄ちゃんのお陰で人生やり直せる」と言って、笑顔で握手を求めるなんて。
どん底で、その状況に追いやった相手に、きちんと感謝できるなんて。
わたしならできないかもと思った。
ちょっと涙腺がゆるくなった。

そしてたぶん、彼はほんとうにうれしかったのだとも思う。
大丈夫、きっとやり直せるはずだし、
もとよりあなたはそんなには間違っていなかったんじゃないか、
とすら思ってしまう。
あなたのしあわせな明日を祈りたい。

色のバリアフリーとマイブームのグレー文字と

2009年6月10日 (水)

Colure色のバリアフリーへ20色 色見本、デザインに活用

←よく使われる色づかい(上)と、誰でも見分けやすいように考えられた色(下)。厳密な色再現ではない=伊藤准教授提供


 誰でも見分けやすいように工夫した色見本を、東京大や日本塗料工業会などが作った。色覚障害や白内障の人のほか、一般の人にも色を実際に見てもらい、2千色以上から20色に絞り込んだ。塗料用に続き、印刷インキ用の色見本も近く完成、デザイン業界などで使ってもらう予定だ…/2009年6月9日(火) asahi.com


とても素敵な話。
みんなが便利になる、やさしい世界。
美しさと便利さと機能性とやさしさと、全部兼ね備えたもの。
プロダクトデザインが素敵なのは、そういうところじゃないかな。

マイブームは、グレー文字なんだけど。
最大公約数にの心とからだに、きちんと届くものをつくりたい。

夏の豚

2009年6月 2日 (火)

蚊やり豚、スタンバイOK 三重

 /2009年5月31日(日) asahi.com

およそ新聞系にふさわしくない素敵な写真に、1票。
シュールで素晴らしい。せつない世界観がよく表れている。

うちのベランダにもいる、蚊やり豚。
そろそろ出番だな。
日本の夏、金鳥の夏。

留置所グルメ

2009年6月 1日 (月)

「あの留置所のメシはうまかった」 わざと逮捕される

 
兵庫県明石市のインターネットカフェで無銭飲食をしたとして、明石署は住所不定の無職の男(25)を詐欺容疑で逮捕した。…明石署に給食を提供している業者は朝日新聞の取材に「味には自信はありますが、素直に喜んでいいのかどうか」と困惑していた。/2009年5月31日(日) asahi.com



そんなにうまかったのか……。

「メシが食えるからわざと捕まる」のはときどき聞かれる話だけども。
25歳はひどいやろ。ひどすぎるやろ。
ちょっと悲しくなっちゃうんだよな。

「味には自信がありますが……」の業者さん、素敵

秋のGW

2009年5月30日 (土)

9月の5連休、ツアー予約殺到・ホテルは満室
 /2009年5月30日(土)

いつの間やら「秋のGW」とでもいう風情の9月の連休。
今年は5連休ですって。
箱根でのんびりしたいような気がしていたものの、そんなに混み合うのじゃあ
大人しくしていたほうがいいのかも(春のGWの動物園で、痛い目に遭ったことあり)。

8月のお盆休み、そしてこの9月の連休のおかげさまをもちまして
涙がちょちょぎれる前倒し進行が続く。
みなさま、乗り切りましょうね。がんばりましょうヽ(・∀・)ノ

気分はもう10月。
てか、そろそろ年賀状案件が気になり始めております。

ゴジラ、か~わいい!!

2009年5月29日 (金)


男鹿半島にゴジラ出現!? 
火を噴かんとしております



秋田県・男鹿半島の南西に位置する潮瀬崎が、名物「ゴジラ岩」を夕日と一緒に撮影する観光客らでにぎわっている。
/2009年5月29日(金) asahi.com




行ってみた~い。
ゴジラ岩、かわいくないすか。

ふと気づくと、道を歩きながらだとか、仕事しながらだとか、
しょっちゅう「かわい~~!」をときどき口走っている。

写真を納品していただいたとき、素敵なデザインが上がったとき。
それから、きれいな花を見つけたとき。キュートな動物と出会ったとき。
いのちの輝きを拾ったとき。
とか。とか。とか。

で、「かわい~!」で笑っているときの自分は、かなりしあわせだと気がついた。

 

 

 

 

 

 

新人諸君、がんばりたまへ

2009年5月21日 (木)

若者よ、まず電柱に登れ……北陸電力の新人研修

北陸電力(富山市)で20日、高さ14メートルの電柱に登る新入社員の研修が同市内であり…/2009年5月20日(水)


お世話になっているエディトリアルのデザイン事務所が、
このDTPの世にあって、新人社員に、
デザインアップに入稿用の指定をいちいち手書きさせていた。
このご時世では、作業の流れから言うと、それは全く不要なことなんだけども。
「それが基本だから」って。
ちょっとそんなことを思い出した。

編集でいうとなんだろう、新人には青焼き校正させるとか?
いや、入稿時に打ち出した原稿に指定を書き入れていくとか?

たまにデザイナーのO氏とそんな話をすることがある。
ほんの少しの間に、雑誌編集の現場はずいぶん便利になった。
入稿時の文字指定、文字校了後の一括写真入稿に色指定……
その昔、雑誌の編集作業は、今よりももっともっと繁雑で、手数がかかった。
FAX.がまだ一般的ではなかった頃、先方確認は、電話口での読みあげ確認だった。
電報を使うこともあったっけなぁ。
「ポジ原稿の、飛行機の機体番号を印刷で修正してほしい」なんて印刷所に頼むと
「20万円かかるけど、ほんとにやります?」なんて、担当者に訊かれた。
「シワとって」「空を青くして」「この障害物をなくして」……
今、日常的に、どれだけの写真を、画像修正しているだろう。

かつてを知っていることは、ある強さになることもあるかもしれない。
でもそれを知らない代わり、
若い人たちは、古い人には想像つかないワクワクすることをたくさん知り、みずみずしい感性をもっている。
それでいいし、公平だよな。
だから、その感性を、大事にしてほしい。

新人さん、がんばれ。

 

クマの民家訪問!?

2009年5月10日 (日)

クマ、同じ民家に3度 リンゴ80個食べ立ち去る 岩手

7日から8日にかけて、岩手県普代村第2地割の1軒の民家にクマが3度も現れ、…/2009年5月9日(土) asahi.com


よほどリンゴがうまかったとみえる。

……80個は食べすぎやって。

AOYAMA ROCK’N ROLL SHOW

2009年5月10日 (日)

「ずっと僕たちの中に」 忌野清志郎さん雨あがりの葬儀 
 がんとの闘いの末、2日に58歳で亡くなったロックミュージシャン、忌野清志郎さんの葬儀が9日正午から、東京都港区の青山葬儀所で営まれた。「ありがとう」「キヨシローッ」「ゆっくり休んで」――前夜から集まり出したファンの絶叫が飛びかう。前日までの雨上がりで青空が広がった会場周辺は、「キング・オブ・ロック」への別れ涙でいっぱいになった。
 祭壇には、スーツ姿の清志郎さんが素顔でほほ笑む遺影が飾られ、竹中直人さん、大竹しのぶさん、甲本ヒロトさんが弔辞を送った。竹中さんは「忌野清志郎は死んでない。ずっとずっと僕たちの中に生きている。さみしいけれど、そう確信している」と話し、涙ながらに「清志郎さん、またね!」と語りかけた。
 葬儀は「AOYAMA ROCK’N ROLL SHOW」と銘打たれた。桑田佳祐、原由子夫妻やスガシカオさん、大友康平さん、及川光博さんら生前親交のあったミュージシャンらも多数参列。最後は昨年の「完全復活祭」で清志郎さんと同じステージを踏んだバンドメンバーが「雨あがりの夜空に」を生演奏して別れを惜しんだ。
 葬儀会場の外では、ファンらの一般弔問の列が前日の午後10時ごろからできはじめた。会場前では、清志郎さんが生前よくイラストに描いた全長12メートルのウサギのバルーンが参列者を迎えた。
 愛知県岡崎市から来た幼稚園勤務の牧原雄志さん(30)は、午前3時に車で向かった。「高校時代、屋上に一人でいるような世間から外れた人間だった。清志郎さんの音楽に出会い、人に対して笑ったり、怒ったりすることが怖くなくなった」と話した。
 千葉県から来たファンクラブの女性(46)は「ありがとうの一言に尽きます。これからもずっと一緒なのでさよならは言わない」。手には「感謝」と書かれた香典袋が握られていた。
 「人生っていいものなんだよ、と教えてくれた」と涙ながらに話してくれたのは横浜市の女性(50)。「清志郎さんはいつも命がけで歌っていた。これからは私たちがそんな清志郎さんの姿を伝えていきたい」と語った。
 午後1時からの一般弔問は、午後5時で3万5千人を超え、当初の予定を3時間繰り下げた受付時間の午後6時になってもファンの姿が途切れなかった。7時間待ってやっと献花できた人も。別れを惜しむ人たちの列は数キロにもおよび、深夜になっても続いた。 /2009年5月9日(土) asahi.com ※これもクレームがくるまで置いておきます。

 

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最終的に、弔問客は4万2000人にのぼったそうだ。
「どうよ。ボスは不動の国民的スターだぞ、えっへん」したくなる。
この数に比例するほどは、ボスの現CDは売れてはいないんだけども。
「お前ら、どこに隠れていやがったんだよ」と、いちばん言いたいのは、もしかして清志郎じゃないか?
照れてただろうな、うれしかっただろうな。


というわけで、もちろん「AOYAMA ROCK’N ROLL SHOW」に参列した。
午後1時半に最寄り駅・地下鉄「乃木坂」駅に到着。青山葬儀所はここから徒歩3分のところにある。
改札を出て地上に上がると、もう誘導が始まっていた……葬儀所とは逆方向に。
人、人、人……どこまでも続く人の列。並んでいる人の男女比は半々くらいか。
二十年前の少年少女が集った感じ。圧倒的に四十代が多い。
「なんちゃって清志郎」や、「なんちゃってチャボ」も多数見受けられ、ミュージシャンももちろんいるのだが、
ボリュームゾーンは、わたしも含む、パッと見「普通の人」たちだ。
ベビーカー押しながら並んでいる方もいるほど、女性は子ども連れも多い。


感心するほど誘導が徹底していて、並ぶわたしたちは【忠実な犬】 ※註1みたい。
指示されるまま炎天下のグラウンドに2時間「待て」したり(死ぬかと思った)、
青山墓地沿いに果てしない行列を続けたり。
ときには1列、ときには2列、3列と隊列を変えながら、間をあけないように、また押さないようにしずしずと歩き続けたり。
なんだかんだと結局10キロ弱くらい歩いたことになる。
基本黙々、ときに談笑。静かでおだやかな行儀のいい行列だ。
四十代だよ。体力も気力も衰えているのに、ひとつの不平もこぼさず、ほとんどは列からはずれることもなく、並び続けるのにもびっくりした(わたしも含め)。
腰にだって、かなりキテるのに。
列ではタバコ吸わないし、酒も飲まないし(トイレないから困るというのもある)、ズルして順番を抜かすこともない。
大人だからすこぶる行儀がいい。
午後の部は(?)、楽器を持った人も歌うことなく、ただひたすら並んでいた。
終電間際には大合唱になったそうだ(残念ながらわたしが出たあとだな)。
これだけの数の同世代が集まることなんて見たことない。その風景にも少なからず驚いた。



ようやく葬儀所の敷地に入れたのは19時をまわっていた。
暗闇のなかに浮かび上がる、全長12メートルもの高さの清志郎ウサギに度肝を抜かれる。響き渡るキヨちゃんの歌声。
まるでライブ会場さながらの高揚感。さっすが清志郎! 完璧にキヨちゃんタッチの空間に、涙。
「ベイビー、サンキュー、ベイビー、やりたいぜ、やりたいぜぇ~」の声が聞こえそうだ。
どうせなら物販をして「香典代わりに買って行け ~忌野清志郎~」のコピーでもあれば
馬鹿ほど売れただろうに、
実際にはTシャツもCDも売っちゃいなかった(売ってもいいのに。ファンはうれしいけどな)。
新しいソロの曲が流れていたが、【自由】とか【雨上がりの夜空に】など、往年のRCの曲はかかっていなかった。
あの場でかかったら暴動が起きるからか? いや、単に現事務所の経営的な問題だな。



それでも、持ってきた花や贈り物は先に集めるテントでは、
RCの【ファンからの贈り物】 ※註2 が賑やかに流れている。
みんな苦笑いで、持ってきたものをスタッフに渡す。ブラックで、すばらしい。


奧にある祭壇にはでっかい遺影とピンクの布に包まれたボスの遺骨。それを派手に紅白の幕が飾っている。
手前の献花台も、赤や黄色のビタミンカラーの花ばかり。かっこよすぎる、キヨちゃん。
「♪死なないぜぇ、死なないぜぇ♪」とか言いながら、
はたまた「♪あきれてものが言えない~♪」 ※註3 を歌いながら、奧からキヨちゃんが出てくるんじゃないかと思った。
なんだかライブのセットみたいだったのだ。



会場で準備されていたカードにキヨちゃんへのメッセージを書いて渡し、
遺影がプリントされた「お礼」をいただいて、献花をしてお参りして、
葬儀所を出たときは、20時をまわっていた。
視線を感じてふと顔を上げると、
夜空には、今夜のロックショウを見下ろすまんまるのお月様。
「キヨちゃんだ!」
それを見たとき、ひとしきり泣いた。
まったく。
密葬のときは、雨上がりでもないのに出棺時の空へ2本の虹をかけたらしいし、
9日の朝にも、ちゃんと虹をダブルでかけていた。
どこまでもきっちりキメてくれるボスだった。



ゆうべ参列して、気持ちの整理がついたつもりでいたけれど
今朝の新聞読んで、ボスの記事を見てまた泣いて、ああ整理なんてつかないのねと悟り、
やっぱりRCを聴いている。


キヨちゃん、ありがとう。愛してます!


★註1「忠実な犬」……アルバム『Baby a Go Go』収録。シングル『I like you』のB面でもある。

 

★註2「ファンからの贈り物」の歌詞 
♪ぼくに贈り物をくれないか? もっとたくさん、素敵なものを。彼女にプレゼントするんだから……♪
ラジオで放送されたときに苦情殺到。ファンを舐めてんのか!?という歌詞。
アルバム『シングル・マン』収録。

 

★註3「あきれて物も言えない」
♪どっかの山師がオレが死んでるって言ったってさ よく言うぜ あの野郎よく言うぜ ~♪
♪低脳な山師と 信念を金で売っちまうオエラガタが動かしている世の中さ よくなるわけがない~♪
当初は「びっこの山師」。ひっっかったので「どっかの山師」に変更されている。
どっかの山師は、泉谷しげるのこと。RC不遇の時代、泉谷氏が事務所で、
「清志郎はもう死んでるよ なんとかしてやれよ」と励ましのつもりで言ったのが歪曲して伝わり、この歌に。グレイト!

 

 

ぼくの好きな先生

2009年5月 6日 (水)

清志郎「先生のこと歌に」……「ぼくの好きな先生」秘話

 ♪劣等生のこのぼくに すてきな話をしてくれた――2日に58歳で亡くなったロックシンガー、忌野清志郎(いまわの・きよしろう)さんには終生慕う先生がいた。東京都立日野高校で担任だった小林晴雄さん(77)。初期のヒット曲「ぼくの好きな先生」のモデルになった。必ず闘病生活を乗り越える。先生と級友はそう信じてきた。
 3日、都内で営まれた清志郎さんの通夜に、小林先生は参列した。ひつぎの中の教え子は穏やかな顔をしていた。「十分がんばってきたんだ。ゆっくり休め」。心の中で声をかけ、花を手向けた。
 《十八になる私の子供はギターのプロになるのだと申します。私どもには何が何だかわからなくなりました》
 69年11月、朝日新聞にこんな身の上相談が載った。清志郎さんの母からだった。
 「大学に行っても4年遊ぶんだから、4年は好きなことをやらせてあげましょう」。気をもむ母を説得したのが、小林先生だった。
 清志郎さんは67年に高校に入学した。俳優の三浦友和さんも同じ学年だった。
 同級生の斎藤園子さん(57)によると、校内では物静かだった。小柄できゃしゃ。マッシュルームカットでひょうひょうと廊下を歩いた。
 高校時代にバンド「RCサクセション」を結成。活動にのめり込み、欠席や遅刻が相次いだ。ただ、美術部顧問で、生徒の話にじっくり耳を傾ける小林先生にひかれ、絵画制作に熱中した。
 「勉強が嫌いだから絵描きになった」という先生は、職員室が嫌いで、美術準備室でいつも一人でたばこを吸っていた。後輩の芝田勝美さん(56)は、部員でもない清志郎さんがショッキングピンクに染め上げた白衣を着て、放課後の美術室で黙々と絵筆を動かしていたのを覚えている。「本当に小林先生を慕っていました」
 高校を卒業した70年にプロデビュー。2年後、「ぼくの好きな先生」が入った初アルバムを携えて美術室を訪れた。「先生のことを歌にしたんだ。迷惑でしたか」。先生は「照れくさかったけれど、やっぱりうれしかった」。
 ステージでは、派手な衣装やメークに身を包んだ。でも同級生の岡田重子さん(57)は「普段は静かな人。あのお化粧は照れ隠しでしているんだなと思っていた」。清志郎さんの本名は栗原清志。先生や級友はずっと「栗原くん」と呼び続けてきた。
 10年ほど前から、小林先生を慕う卒業生が開くOB展に清志郎さんも出品するようになった。06年にがんの闘病生活に入っても出品は続いた。
 昨年2月。武道館で「完全復活祭」と銘打ったライブがあった。招待された小林先生は、同窓生6人と客席で見守った。終演後に楽屋を訪れてビールで乾杯し、「無理しちゃだめだよ」と皆で声を掛けた。清志郎さんは高校の頃と同じように「うん、うん」と照れくさそうにうなずいた。
 だが、がんは転移した。
 先生と清志郎さんが最後に会ったのは今年2月、OB展の会場だ。三浦さんと共に訪れた清志郎さんは、1時間近く思い出話に花を咲かせた。
 まとめ役には「先生にどうしても会いたいんだ」と電話してきたのに、先生には、安心させようとしてか「もう大丈夫です」と笑ってみせた。
 清志郎さんが逝った夜。同級生の坂崎隆義さん(57)はOB展のブログに追悼の文章を書き込んだ。「一緒に生きた幸せな時代。しんどい時代だけれど、なんとかしのいで生きていく。みんな。忘れないよ。合掌」(小島寛明、市川美亜子、鈴木暁子)/2009年5月5日(祝・火) asahi.com

※この記事はどうしても消せなくて。どちら様からかクレームきたら消すことにします。

あれから毎日のように、キヨちゃんの記事が新聞に載っている。
もう、何度だって泣く。

5日のスポ日で読んだ密葬の様子……お別れのとき、「雨上がりの夜空に」がかかって、
「OK、チャボ!」の清志郎さんの声に、チャボさんが飛び跳ねて、跳ねまくって……
いんだ、もう何度だって泣いちゃうもん。
キヨちゃんの遺影が、遺影に見えないんだもの、まだ。

高円寺の中古レコード店では、軒並みRCが売れまくっている。


忌野清志郎という人は、革命を起こした人なのだ。ほんとうに。



愛し合ってるか~い!?

清志郎、お月様に

2009年5月 4日 (月)

忌野清志郎さん、5月2日午前0時51分永眠

彼は、RCサクセションというバンドは、
わたしをつくったからだの一部みたいな気がしている。
清志郎さんがいなければ、ロックンロールをかっこいいと思うことはなかった。
たぶん、今の結婚もなかっただろうし、高円寺にも住んでいないと思う。
ロックンロールバンドにかかわることもなかった。
だいたい、高校時代まではフォークソングの純粋培養だったんだもの。


どれだけ観に行ったっけなぁ。数えきれない。
最初のライブは大阪厚生年金だった。「ハートのエース」のライブで、芸大の12人くらいで行ったっけ(ほとんど“連れてってもらった”状態)。
芸大の学祭にも歌いに来てくれたし、いつだったか、大風邪ひいて熱出して行ったライブがあったっけ。
あれは「2・3’s」だったかもしれない。
客席の最前列で、わたしは踊り倒していた。
花も持ってなくて、投げるものがないから、思いあまって自分でつけてたマスクをステージに投げたっけ、
キヨちゃんが拾って「?」と首をかしげたあと、彼がマスクをつけてくれて(!)、
しばらく歌ってから、それを投げ返してくれた。手元に返ってきたマスクは宝物だった。
厚年の別のライブでは、2階席の最前列でやっぱり踊り倒していたら
「2階で踊ってるヤツ!」と声をかけてくれたっけ……ジーン。
ダントツのマイ・ヒーロー。


2002年のGW。
高円寺文庫センターのサイン会に清志郎さんが来るときに、スタッフでお手伝いするはずが
膀胱炎の高熱と痛みと血尿で動けず行けなくなっちゃって……残念だったなぁ。
代わりに、うちにはキヨちゃんのサイン入りの「BEAT POPS」がある(翌週訪れたチャボさんのサインも入っている。チャボさんとはちゃんとお話しできた)。


キヨちゃんの訃報を聞いたとき、なんだかよくわからなかった。
うまく飲み込めないまま、「トランジスタラジオ」を聴いたら号泣した。
気を取り直して、キヨちゃんをしのんでお月様を観に行ったら、月は雲で見えなかった(お月様はキヨちゃんの専売特許なのだ)。
夜更けの高円寺、通りのどこからも、RCは聞こえなかった。不甲斐なさでいっぱいになった。
うちでRCを聴きたおして泣きまくり、RCに抱かれて泣きながら眠ったら朝になってた。
朝、新聞で訃報を見たらまた泣けた。
今日、GWの高円寺は、なにかのお祭りでとても賑やかで、明るい笑いに満ちていた。
それを見てるとせつなくなって、
この街すら喪に服さないのなら、もう高円寺は引っ越そうと思った。


夜、「タコス」にやって来たバーボンに、「中通りは今日はずっとRC鳴りまくりでしたよ」と聞いて
ああ、高円寺も捨てたもんじゃなかったとほっとした。
そうじゃなきゃね。
まだしばらくここにいようかな。悪くないかもしれない。

5月9日13時から青山葬儀所で告別式。
最期のお別れだ。
まだ「ありがとう」も「おつかれさま」もよう言わん。そこまで想像できないんだ。


世界にあなたがいなくなって
その新しい世界に残されて、わたしはわたしで生き続けていくのはなかなか微妙です。
生きていくのはそういうもんだとわかってはいても、微妙に感じるのに変わりはありません。それに慣れていくのももういやかな。
わたしの大好きな人たちが、猫たちが、死んだりすることのない世界に、
お別れのない世界に行きたい。
……
なんて言ったら、怒るかな、キヨちゃん。
いいえ、きっと怒らない。
「愛しあってるかーい」とファンキーにシャウトしてくれるはずだ。

あなたが世界を素敵な色にしてくれました。
どうもありがとう。

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ゾウに会いたい

2009年4月22日 (水)

陽気に「あぁ、気持ちいい」園内最長老のインドゾウ

仙台市八木山動物公園(太白区)でメスのインドゾウ、トシコの「お昼寝」が話題になっている。ぽかぽか陽気の春の日差しを楽しむように、ごろりと寝転んでグーグー…/2009年4月20日(月) 河北新報

小学生のとき、仙台に住んだことがある。
あのときわたしが会ったゾウ、ワクワクして眺めていたゾウが、
まだ元気でしあわせに暮らしているんだと思うと
胸があたたかくなる。
それにしてもしあわせそう。

東京の井の頭公園には、ゾウのはな子がいる。
大島弓子さんのマンガの中で(サバものだったと思う)、
神経症のゾウ・はな子のことを知って、会いたいと思っていた。
今から15年ほど前、東京への出張のときに
「好きなところに案内しますよ」とこちらの方におっしゃっていただいた。
「井の頭公園のゾウを見たい」と言ったら、「そんなの知らないけどなぁ」。
……きっと、渋谷だか六本木だとかを案内するつもりで言ったのに
ゾウが見たい、なんて悪かったなぁ。と、今さらながら反省。KYですみません。

でもちゃんといるんだ、はな子。おばあちゃんで歯はなくなったけど、今も健在。
戦時中、上野動物園で、危ないからと餓死させられてしまった
悲劇のゾウ・花子の名前を継いだ、はな子。
彼女はもともとは上野動物園出身なのだ。

久しぶりに、はな子に会いたくなった。しあわせにやっているだろうか。
そして、もっと久しぶりの、トシコに。

観音菩薩と龍の入れ墨

2009年4月21日 (火)

17歳少女に入れ墨した疑いで彫り師逮捕

18歳未満と知りながら少女に入れ墨をしたとして、…/2009年4月20日(月) asahi.com

高円寺のルック商店街には、古着屋に並んでタトゥーショップなんかもある。
「タトゥー」といわれ始めてから、入れ墨もずいぶん市民権を得たように思う。
もはやファッションに近い。

この話を読んで、知人の彫り師を思い出した。
彼はいわゆる本物の彫り師で、“その道”の方々への彫りを専門にしていた。
タトゥーなんて、なまっちょろいものではない。
和彫りとも呼ばれる本物の刺青は、柄もさることながら、彫りの深さもぜんぜん違うのだと聞いた。
だからその道の人たちの彫りって、半端なく痛いらしい((((゚д゚;))))

彫り師の彼は、不器用そうだけれどあたたかく、ファンキーなんだが
仕事にはめっぽう厳しい人で、曲がったことを許さない(たぶん。社会規範という意味ではなくて)。
「彫ってほしい」とやってきた若い子に、こんこんと説教してうちに帰した……なんていう話も飲み屋で聞いたことがある。
「親からもらった大事なからだにキズをつけるんだから、遊び半分でやるもんじゃないし、
ファッションなんてとんでもない」と彼は言った。
17歳の女の子に……なんて聞いたら、激怒を通り越えて、どうなるだろう。
もしも弟子がそんなことをしでかしたら、即刻破門だろうしな。

観音菩薩と龍の刺青……確かにカッコイイ図柄。憧れる気持ちもわかるけどね。
安すぎるのも気になるぞ。
一生背負うことをよくよく考えて、誰の作品背負うか考えたほうがいいんじゃないかなぁ。

着ぐるみが好きだ

2009年4月18日 (土)

ラッキーパンダ、会えたら大吉 所沢を練り歩き10年

↓カメラを向けTky200904170069 られポーズをとるラッキーパンダ=埼玉県所沢市の所沢航空記念公園

 出会ったその日はラッキーになれる――。神出鬼没の着ぐるみキャラクターが、埼玉県所沢市で人気だ。その名は「ラッキーパンダ」。「まちの人々に笑顔を」と始めた活動は今年で10年になる。
 ある晴れた日の朝8時過ぎ。所沢市内の大通りをパンダが手を振りながら歩いていた。ペロッと舌を出した、おどけた顔、胸には幸福のお守りの四つ葉のクローバー。
 会社や学校へ急ぐ会社員や学生らは、驚いたり手を振ったり。通勤途中の女性から携帯電話のカメラを向けられると、すかさずポーズをとる。保育園の前では、「ラッキーパンダー」と子どもたちの大きな歓声が飛んだ。
 ラッキーパンダは、月に2、3回、朝の通勤・通学時間帯に市内の所沢航空記念公園周辺に出没する。イベントや商品のPRはしない。「ただ歩く」だけ。ただ、雨にはめっぽう弱い。
 同市在住の漫画家、双団平(そう・だんべい)さん(45)が生み出したキャラクターだ。99年12月、営むギフトショップの宣伝用に、パンダの着ぐるみに、チラシ入りのティッシュを配りに行ってもらうと、子どもたちが群がってきたという。
 「普通にまちを歩いた方が喜んでもらえるかも」
 00年2月ごろから、まちを歩くようになった。初めは名もないただのパンダだったが「会えれば、その日はラッキーになれる」とのうわさが生まれ、「ラッキーパンダ」になった。
 2年前の2月、自転車に乗った男子学生がすれ違いざまに声をかけてきた。「パンダ、受験頑張ってくるよ」。間もなくラッキーパンダのホームページの掲示板にこんな書き込みがあった。「パンダに会えてテストが思ったよりできた。合格発表の日にも会いたい」
 一方で、不審者に間違われて警察に通報されたことも。静岡県で、子どもがリスの着ぐるみを着た男にわいせつ行為をされる事件が起きた時、周囲から「やめた方がいい」と諭された。けれども、双さんは「ここでやめたら『変わった人』で終わってしまう。続ければわかってくれる人もいるはず」。
 まちを歩き続けて10年、存在は広く知れ渡り、地元のイベントに呼ばれたり、タウン誌に紹介されたり。01年からは地元の地方新聞に4コマ漫画も描いている。
 「小さな幸せに、気づいてもらうきっかけでありたい。閉塞(へいそく)感から、人々の心に余裕がなくなっているように思う。まだまだラッキーパンダは必要ですね」(中野龍三)/2009年4月17日(金)


ラッキーパンダ。
道で会ったら、やっぱりわたしも写真撮るだろうな。
普通に歩いていたら……。
想像するだけでもう、うれしくて胸が張り裂けそうだ。

なぜか着ぐるみに弱い。動く人形系には心底ヤラれてしまう。
子どもの頃から人形に囲まれて大きくなったのだが、当然、人形には魂があると思っていた。
アニミズムのなかで育てられたので。
いや、正確には、今もあるとホントは思っている(ま、人形だけじゃないんだけど、長くなるのでまた今度)。

だもんで、人形が動いたりするのを見ると、感極まってたまらなくなるのだ。
「人形が動く」といえば、今はなき「宝塚ファミリーランド」の人形館も大好きだった。
世界各国の人形が踊っているなかを、フロートに乗って進んでいくというもの。
子どものころ、行くたびにうれしくてよく泣いた(5~7歳)。
そういえば大阪の花博に勤務した初日、デイリーパレードのフロートに乗った着ぐるみを見て、
涙が止まらなくなったことがあったな(25歳当時。遠い目)。

道でばったり着ぐるみに出くわしたりすると……本当は抱きつきたい。
イタイ人みたいだからやらないけど。衝動を抑えるのにちょっと必死だ。
先日事務所の近所でローソンがオープンして(どうでもいいけど、300メートル以内に4軒のコンビニはどうよ)、
からあげクンが立っていた。
それがからあげクンだとしても(からあげクンはブツなので、人形やぬいぐるみのカテゴリーと微妙に位相が違うのだ)、
胸がきゅんと締めつけられるのに変わりはない。
自制して抱きつきはしなかったけれど
寄っていって、「写真、撮っていい?」と聞くと、ポーズをとってくれた。からあげクン、やさしいぞ♪
「見る?」 撮った写真を披露しようと、携帯の画面を見せたら
「あれ、見えない、見えない」と、着ぐるみのなかから声がしておかしかった。
その声で、わたしの夢は軽くこわれるんだが。ま、いいか。

着ぐるみの帝王といえばミッキーマウス!(着ぐるみといったら、本当は某団体に大目玉くらいます) 
ディズニーランドに、プライベートで行ったことはないけれど。
カレと会うのはいつも全部仕事だけど。
間近で触れるとあの魅力はたまらない。キュートだし、紳士だし、カッコイイし、でもかわいいし。
一回会うと、もうダメだと思う。恋に落ちる。

待ち合わせて(ミッキーと!)撮影させていただいたことがあるけれど、
ポージング完璧! 目つぶりナッシング! どんなモデルよりもスゴイ。
ロールが全部使える!!! 最高のプロ根性で惚れまくった。

……一度、ディズニーランドに「遊びに」行ってみたいなぁ。
バリのリッツ・カールトン(「アマナリゾート」に名称変更)にプライベートで行って、
思いきりリゾートしたいのと同じ。なんならバリじゃなくて、ハワイだって構わない。
行ったときにはいつも、あの非日常的な空間を尻目に徹夜の作業を繰り返し、
目の前に広がるリゾートはただの背景になってと、
忙殺されているから、
一度のんびりリゾートしてみたい。それがわたしのリベンジ(遠い目)。

某健康雑誌(休刊)の編集長が、今、そのアマナリゾートで奥様と滞在中だ。
旅行の前に、「館内のキシックバーのディナーはおすすめです」とアナウンスしてたのだが。
「“キシックバー”、すばらしかったですよ」と、携帯に彼からメールが届く。
バリ島、現地からでR。
うらやましすぎるぞぉ。


↓で、ミッキーじゃなくて、からあげクン。不憫だな。街で見かける不憫ちゃん探しが好きだ。

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皆既日食のパイの実

2009年4月14日 (火)

重ねると皆既日食のように見える「パイの実」

ロッテは、国内では46年ぶりとなる7月の皆既日食に合わせ、連動企画商品「パイの実〈塩バニラアイス〉」を /2009年4月13日(月)


「コアラのマーチ」のまゆげコアラとか、レアな絵柄仕掛けていたっけなぁ。
遊び心たっぷりなんだよな。
ロッテという会社は、素晴らしい会社だと思う。
どうしてこういうばかばかしいことを思いつくのか。商品化しようとするのか。
真にリスペクト。皆既日食の「パイの実」だなんて、なんて素敵なんでしょう。

皆既日食ね。
どこで見る、どこへ行く、なんていうプランをちらほら聞くようになっているけれど
……きっと東京だろうな、わたしは。

マクド好きですが、なにか?

2009年4月10日 (金)

マック、過去最高益更新 100円商品、節約志向と合致

今日はマクドナルドと並んで、ユニクロの黒字も過去最高をたたき出していて、面白かった。

で。マクドナルドはヘビーユーザー。売り上げには充分貢献している。
ヘタすると1週間に二度三度、入ることがあったりして。
あの空間。エレガントじゃないからやめようとは思うものの、超便利。
アポイントもとれれば、原稿も書ける。長居しても文句言われない。安い。速い。
夜明けも深夜もお昼間も、オールウェイズ・エブリディ、助かる、助かる、ソーサンキュー!
基本はチーズバーガーだけども。朝マックの「エッグマックマフィン」も大好き。
毎年9月に登場する「月見チーズバーガー」を待ちわびるワクワク感もたまらない。
なんだかんだいっても、マックのフライドポテトは、ファーストフードでいちばんおいしいし。

しかし最近は、モスバーガーの新定番、国産肉100%・国産野菜100%がウリの「とびきりハンバーグサンド(第2弾)」も気になっている。
成績もいいようで。各所で大評判。行かなくちゃ。食べなくちゃ。
モスには頑張ってほしい。でも、最近の広告、ひと頃よりも勢いがないな。
1990年頃のモスの広告が好きだった。ひさうちみきおさんがキャラ描いてた時代。

でもっ。いちばん、もっとも好きなのは、
佐世保バーガーでおなじみ、ザッツ バーガー カフェの「アボガドチーズバーガー」。
もう、こりゃ別格。高いけどね。アボガド1個使いました風のハンバーガーは
「あしたはお肌もとぅるんとぅるん」な幻想さえ抱かせてくれる。
しかもポテトは2タイプから選べて、細切りは……マクドより格上。

あ……出ちゃった。「マクド」。関西人なんです。
「そんなにマックばっかり、からだに毒ですよ」と、何度言われたことだろう。
でも、わりと、元気よ(*^_^*)

国会議事堂見学ツアー

2009年4月 9日 (木)

国会見学:ツアー客が50倍 シニア世代に知的刺激
/2009年4月8日(水) 毎日.jp



先日、雑誌『GQ』の取材で、国会議事堂の前で写真撮影をした。
ワクワクするような建物だけど、わたしがもっとも心惹かれるのは、あの内観。

TVのニュースで時折見る、国会議事堂の内観の美しいことといったら!
録画して静止画で見ているわけではないから、印象でしかわからないけれど
あめ色に輝く、時を経た木の感じ
ステンドグラス的に美しい天井の細工
階段の手すりの職人技の光る細工……
見事な西洋建築は、どこをとってもため息もので
ほんの数秒間流れる画像を見ながら、「本物、見たいなぁ……」と、うっとりする。

明治から昭和初期に建てられたモダンな西洋建築の粋を極めているといった風情。
なんでも、使用されている建材は、すべてが国産品なのだそう。
贅の極みである。
目にするたびに、心が躍っていたから
見学ツアーが人気なのもよくわかる。
わたしだって行ってみたい。
夜の動物園並みに、国会議事堂は行ってみたい場所のひとつだ。
国会議事堂は、東京の建築遺産50選に選ばれている。

エイプリルフール しあわせなウソ

2009年4月 3日 (金)

魚が泳ぐと発電? 紙の新聞放棄? 4月1日英メディア

今年のエイプリルフールは、誰にもウソをつかなかった。
ついでに去年も、誰にもウソをついていない。

エイプリルフールに、素敵なウソをつけるのって、しあわせのひとつの目安のような気がするぞ。

来年のエイプリルフールは、罪のないウソをつける自分になることを目指すことにした。

るるぶ長野・善光寺

2009年4月 2日 (木)

無病息災なでられ300年 座像の修理完了 長野善光寺

 

 長野市の善光寺本堂(国宝)に安置されていた木製座像「びんずる尊者」が一時、東京芸大に修復に出され、1日、再び元の場所に戻された。
 病気やけがを治す仏と言われ、なでた部分が治るとの信仰がある。約300年間なでられ続け、すり減ったり、ひび割れたりしたため、昨秋から一部を直していた。
 寺では5日~5月31日、数えで7年に1度、前立(まえだち)本尊を拝める御開帳がある。前回03年は628万人が参拝した。びんずる尊者はまた、身を粉にする日々が始まる。/2009年4月2日(木) asahi.com

 

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というわけで、手前味噌ですが、弊社が編集させていただいた『るるぶ長野・善光寺』。
強烈な表紙は扇谷デザイン事務所。
すごいなぁ。近くから見たらもう、なにが書いてあるのかよくわからなくて(老眼か?)
遠くからだとすこぶる目立つ(扇谷さん、球種多いですね。驚きます)。
るるぶって、すごいな。
るるぶ……「食べる」「見る」「遊ぶ」の語尾を取ったJTBパブリック製の旅行ガイドブック。
『るるぶ長野・善光寺』の奥付見ると……弊社の、わたし以外全員のクレジットがあるじゃん。
みんなものすごく忙しそうだったものね。お疲れ様でした。


で、善光寺。
7年ぶりのご開帳だそうで、行きたいのであります。旅情を駆り立てられるのであります。
行ったことないんだもの。
「びんずる尊者」、拝見したい(最近、仏像マイブーム)。
300年間撫でられ続けて、願いを聞き届け続けて……えらいなぁ。
ご苦労様ですと、ひと声かけたい気分120%。

agehaちゃんに刺さるかしら?

2009年4月 2日 (木)

「盛り髪」花盛り 卒業式で成人式で 発祥は夜の街


夜の街で働く女性らの間で誕生したヘアスタイル「盛(も)り髪」が、成人式や卒業式などの装いでも見られるようになった

 /2009年3月28日(土) asahi.com


金曜日の打合せのあと、Sちゃんに「マリさん、『ageha』読んでます?」と聞かれた。
「『ageha』? チラ見だけ……」
「じゃあちゃんと読んでくださいよ」
「買ってきてよぉ」
というわけで、『小悪魔ageha』だ。ちゃんと見た。こりゃすごい。
お金がかかってるのか、かかってないのか、よくわからない。
とにかく機動力が圧巻。
Sちゃん的には「キャッチがサイコーに面白い」らしく
たしかに
「色気をおかわりで発情期の黒ネコ
「毎日忙しいからたまにはお花になる」……これ、ファッションスナップの小見出し。
小見出しの最後は全部、ハートか★。
シロ場ナシ。バックはイチゴ模様が敷いてある。
おっとー、写真の中にも光りモノのイラストいっぱいだぁ!
すべてのページがキっラキラ。
眺めていると笑いがこみ上げてくる。

アイメイクは原寸大、3ミリとか4ミリとか、細かくサイズ指示付き。
……ん? どっかで見た、やった、なんだっけ? 超既視感。
S代の「コピーをとって5倍にすると原寸大になるよ」の餃子特集か?
超情報誌の手法と、てんこ盛り系ファッション誌と、女性週刊誌と、
あと独特のエロカワ&キラキラセンス……なんだろう、これ。おもちゃ箱みたいだ。
バンバン机を叩きたくなるくらいおもしろい。

広告はわっさわっさ入ってるし(うらやましい~)。
奥付なんて、それ用のビジュアルバッチリで泣かせてくれる。
目下の疑問は、モデルの目の中の光が、レフ板なのか、印刷なのか!?
とにもかくにも35万部(公称)。これがひとつのマス、王道なのだ。

ベクトルは異なるけれども、絶対値はきっと一緒な肉食女子たちよ。
肉食女子。
今、日本のまんなかにいるのは肉食女子かもしれないな。
彼女たちにちゃんと刺さる本、消費してくれる本、作れるかな。
ん~、がんばりますかぁ。

 

Sちゃん、頼みにしてるわよ。

おばあちゃん子の泥棒さん

2009年4月 1日 (水)

「何しよっとね」84歳おばあちゃん一喝、泥棒捕まえた
福岡県警博多署は1日、窃盗犯を取り押さえたとして、福岡市博多区大博町の女性(84)に感謝状を贈った。

いい話。
しかも写真のおばあちゃんの可愛らしいこと!
ところで、事件当時の朝日の発表は、微妙にニュアンスが異なる(下参照)。

この朝日のニュース、朝から目にして、とても気持ちがよくなった。
22歳の無職K容疑者、彼はおばあちゃんを相手に、暴力はふるわなかった。
おばあちゃんに見つかると、「鉄を売りに来た」と訳のわからぬ言い訳をし、
両手で押さえられたら(立ったまま)、抵抗せずにそのままでいた。
彼はおばあちゃん子なのかな。優しい子だな、と思った。
だって若い男の子がその気になったら、年寄りなんて簡単に突き飛ばせるはずだもの。
そうしないこと。
おばあちゃんを傷つけないことを、きっと本能で感じた彼に、
少しほろりとしちゃったんだ(「なら盗みに入るなよ」、という話ではある)。
懲役1年、執行猶予3年て線でどうですか。


「なんしよっとね!」 九州弁って、やっぱりいいなぁ。




84歳女性が泥棒捕まえた 福岡、両手で22歳容疑者を
 29日午前10時40分ごろ、福岡市博多区大博町の民家から「おばあちゃんが泥棒を見つけて捕まえた」と110番通報…
 K容疑者で「鉄を売りに来た」と言い訳したが、女性は「土足で上がり込むのはおかしい」と取り押さえた。K容疑者は特に抵抗しなかったという。
 /2009年3月30日(月) asahi.com

ボス、シケてるぜ

2009年3月17日 (火)

窃盗罪で留置中に同室者の命救う でも感謝状は出ず

兵庫県警伊丹署の留置場で1月、勾留(こうりゅう)中の男がぬれたちり紙を口に詰め込んで自殺を図ったが、同室の男が/2009年3月16日 asahi.com

 

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感謝状があろうとなかろうと、公判中の男は人命救助をしたのだ。
おそらくそれは間違いない。
だからさー、「シケたこと言うなよ」と思っちゃうわけ。

 

 

アラフォー向け葬儀本

2009年3月17日 (火)

父が残した成長記録に娘涙 「遺品整理びと」の見た哀切

/2009年3月15日(日) asahi.com
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こういう話を、葬儀本でちゃんとしたいわけですよ。
遺品整理の生前予約、大事だもの。
わたしもひとり暮らしなら、かならずしておく、そろそろ。

先般アラフォー・独身・ひとり暮らし・編集者N女史と飲んでいて、あたためている葬儀本の話になった。
N女史は一家で、遺影を用意しているという。
ご両親はわかる。
N女史もだ。
「だって突然死んだときに、へんな写真使われたら困るやん」と女史。
ごもっとも。
先日、モデル代わりに立ったときの写真でお気に入りがあったそうで
カメラマンに「遺影にするからデータ頂戴」と言ったら快諾してもらえた。
で、父君に
「おとん、遺影のデータ、これに替えといて」と、送ったらしい。
……N女史、やっぱりただ者ではない。

遺品整理の生前予約の必要性を説いたのはN女史だった。
「その葬儀本に入れるべき」。
なるほど。

かくしてアラフォー用の葬儀本の企画、たぎっておりますが。
どなたかスポンサーになりませんかね。
連合でもいいんですよ。
募集中ですよ(*^_^*)
お心当たりの方、メールお待ちしています。
内山、よろこんで、実例取材行きますから……葬儀の

えっ? こんなところで、そんな企画の暴露してもいいかって?
いいんですよぅ~。
だって、わたししかつくれないもんが頭のなかにあるんだもん

 

 

 

 

一日のメール、何通?

2009年3月 2日 (月)

中2の2割「メール1日50通」 文科省、携帯利用調査

/2月26日(木) asahi.com

1日50通のメールって、どうよ。
わたしがやりとりするメールの数は、忙しいときで1日100通くらい。
それは仕事の一環だからね。どってことない。
でも学校生活をしながらの50通って、かなり大変じゃないかと思う。
1日携帯のネット利用時間が「1~3時間」て、クラブなんかしていたら、
帰宅するのは18時とか17時とかでしょう。
自分の時間ないじゃん。好きなことできなくなるじゃん。とは思わないのかな。

高校生のときって、授業中にまわってくる手紙(凝ってたたまれてたなぁ)が
なにげにうれしかったわけだけど
ああいうのももうないのかもしれない。
下宿生だったから、そこはかとなく寂しいのを
毎日のように届く、遠くに暮らすいろんな友人からの手紙に支えてもらったように思う。
そういう文化ももうないだろうな。
いらん世話だろうな。
少なくともわたしが当事者だったら、「いらんお世話」と思うに決まっている。

なんていう問題じゃなくて
やっぱりすごいマーケットですね、ここ。宝の山のように見える。

 

 

スズメの餌付け

2009年3月 1日 (日)

看板娘はスズメたち、庭先の冷蔵庫の上にご出勤 小倉

北九州市小倉北区魚町4丁目の商店に集まるスズメが人気者…/2009年2月24日(火) asahi.com

新宿にも、サザンテラスのオープンテラスのテーブルに、
席に座っているとスズメがエサをもらいに寄ってくるカフェがある。
それだけ見ればハワイみたいにのどかな感じ。
たしか六本木のアークヒルズあたりにも、そんなカフェがあったっけ。
スズメは大好き。
子どものとき、巣から落ちたスズメのヒナを何度か育てたことがある。手のりスズメ。

 

でも、あんまり野鳥にエサやると、怒られるんだよなぁ。
野良猫にだって、餌づけしたら叱られる。
駅前には「鳩に餌をやらないでください」と書いてある。

問題になるのはフン害か。
同じ鳥なのに気の毒に思うけど、ドバトは、糞からヒトに感染する病気を持っている。
鳥の種類と数で、環境のよさを測定する方法がある。
スズメでも「プラス2」。環境がいいとカウントされるけれど、
ドバトだけは「マイナス2」。
いるだけで環境が悪い指針になるのは、その環境表にある鳥のなかでドバトだけだった。
存在そのものが悪だなんて、ちょっとお気の毒。
同じハトでも、ヤマバトになると高得点。「プラス5」とかになる。不憫なドバト。

ドバトはわたしもそんなに好きではない(決して嫌いじゃあないけど)。
あの目つきのせいか、獰猛な感じがするのと(実際、喧嘩のときは、相手が死ぬまで殺り合うらしい)、
発情期のオスのダンスがせつなすぎておかしいのと……。
ちょっと図々しすぎるのと。それから
寒い日に歩道のすみで丸くなって暖をとっているハト、気づかず踏みそうになって驚く。
見ていると「がんばろうね」という気分にはなるけれど。

前に住んでいた雑居ビルは、ベランダのほうが部屋よりも広いというへんな間取りだった。
高円寺でも、雨上がりの朝には富士山が見えた。
そのベランダで、鳥に餌付けしていた。えさ箱と水を置いておくと、
すずめ、ムクドリ、ヒヨドリ、ヤマバト、名前を知らない鳥、いろいろ訪ねてきた(ドバトはほとんどこなかった。アワがハトには食べにくいせいかな)。
一度、カラスを餌付けしようとしたことがあるけど
ただ食べ物を置いただけでは、警戒心が強くてダメ。
スーパーのビニール袋に入れて置くとようやく寄ってくる。

フンやら、エサのカスだとかは、そりゃ掃除するけれど
だれかに「生態系を壊すからだめ」と言われたら反論できない。
でも、ちょっとだけだから、悪くないんじゃないかな。
今は商店街に面した雑居ビルだから、あまりに目立つのでおおっぴらには餌付けできない。
それでも、余ったごはん(お米)をそっとベランダに置いておくと、きれいに平らげてある。
あとにはフンがちょっとだけ残っている。
最近はなくなるタイムが短くなったから、鳥たちが「ときどきある場所」と認識しているんだろうと思う。
階下にフンが落ちないように、置き場所注意。
窓が磨りガラスで鳥が見えないのがかなり残念。どなたが来ているかわからない。
わずかな量だから、おしゃべりスズメたちがたいらげておしまいかもしれない。

からだからいい匂い

2009年2月24日 (火)

ユズで養殖したブリ 鮮度長持ち香りよし
高知県名産のユズで育った養殖ブリの商品化/2009年2月23日(火) asahi.com

ユズを食べて、ユズの香りになるまぐろ。
からだからジャスミンの香りを漂わせていたという楊貴妃のことを思い出した。
なんでも幼い時分から、好んでジャスミンティーを飲んでいたから
彼女からはいい香りが漂っていたのだとか。
そうか脂肪の温度が上がると香りが立ち上る。とすれば、
楊貴妃も、お風呂に入るといっそういい香りになったのか。

自分のからだのことを考えてみる。いっぱい食べるものの香り。
……チーズの匂いはいやだな。きのこの香りもどうなんだろう。
緑茶の香り……わかんないよ!!

自分が茹でられて、「あらいい匂いね」なんて言われて食べられることを想像する。
今日のわたしはヘンな芳香に向いているようで。

トイレでぼんやり

2009年2月24日 (火)

これが武田信玄のトイレだ
戦国武将の武田信玄のトイレ「御閑所(ごかんじょ)」を4分の1の大きさで再現したミニチュア版が11日、TOTO半田ショールームに/2009年2月11日(水・祝)


二十歳くらいのとき、大阪のリーガロイヤルホテルに行ってトイレに入ったときに
贅沢に造られた空間に驚いたことがある。
若いときは、ラグジュアリーなトイレに行くと、ワクワクした。
今じゃもう、広さにも、ゴージャスさにも、そんなに驚かない。
それでも行くたびため息が出るのが、雅叙園のトイレだ。

ゴージャスな化粧室はいろいろあれど、圧巻は、なんといっても目黒雅叙園だと思う。
入口のなかには、たしか螺鈿細工だったかの壁面。また漆の工芸品も雅やか。
男女に別れたそれぞれに入っていくと、絢爛豪華な美人画や天井画が美しい。
化粧室の中に小川が流れ、橋が架かり、それを渡って個室へ入っていく。
個室のなかは広々として、便器のほかに鏡や洗面台までついている。
イスを置いたら、充分くつろげて本が読めそうだし
なんならここで寝泊まりできるんじゃないかと思う。
これは雅叙園の1階にある、一般ゲスト用のトイレ。

昭和6年に建てられた雅叙園は、建築者の「徹底して贅を尽くす」コンセプトをもとに造られている。
いにしえの貴族たちの絢爛豪華な暮らしを模して作られたところも多い。
敷地内にある「百段階段」は、国の登録有形文化財に指定されているもので、
「千と千尋の神隠し」の湯屋のモデルになった場所とも言われている。
だ~~~~い好きな空間なんだけれども、ここのトイレがまたすごい(展示のみ)。
平安貴族の御閑所をモデルに造られたトイレは、
畳敷きの小部屋で、金ぴかの便器。便器の横は人が自由に行き来できる広さが保たれている。
昔のお姫様は、用を足すときに、自分でなにを拭ったりはしない。
召使いが下の世話をするべく、便器の横に控えていたのだという。
わたしだったら、余裕でそこで暮らせそうなトイレ。ふぅ。

けっしてゴージャスである必要はなく、快適であればあるだけうれしいのがトイレ。
あの存在感は特別だ。トイレに神様がいるというのもよくわかる。肌で感じることだ。
風水的には、できるだけシンプルに物を置かないのがいいらしいと知って
去年の暮れ、自宅のトイレに置いていた本棚をすべて片付けた。
殺風景にはなったけれど、やっぱり自分ちのトイレは居心地よくて大好きだ。
そういえば、飼い猫が仔猫の時分、ときどきトイレで眠っていたけども
あの気持ちがなんとなくわからいでもない。

 

 

いつも「卵」のそばに_村上春樹さん(和訳) 

2009年2月23日 (月)

村上春樹さんのエルサレム賞受賞。
騒ぎになるかな、と思ったけれど、受賞時はそんなに大きなニュースにはならなかった。それが授賞式に村上さんが出席して、スピーチして、
やっぱりかなりの騒ぎになりました。
TVで観た彼のスピーチ、壁と卵の話にはもうしびれてしまった(TVのはずいぶんダイジェストだったけど)。
ミクシィのなかで、そのスピーチに触れている方がいらっしゃって、
その方のおかげで、スピーチ和訳の全文に触れることができた。

戦争も、権力も、政治も、平和運動の団体さえ凌駕する、ひとりの人間の思想と文章。
思想も文章も、すべての作品はこのように尊ばれるべきだと思う。
やっぱりしびれます。
世界の上に、こんなふうに立っていたかったんだ、わたしも、と思わせてくれる
素晴らしいスピーチだった。
ブログ上で和訳なさったsyo_taさんに許可をいただいたので、以下、コピペしてご紹介する。
少し長いけどね。読む価値ありますよ。
syo_taさん、そしてご紹介いただいた方に深く感謝します。

いつも「卵」のそばに   村上春樹
 本日、僕はここエルサレムに、プロフェッショナルな「嘘」の紡ぎ手、すなわち小説家としてやってきました。
 ・
 もちろん、嘘をつくのは小説家だけではありません。政治家もまた、嘘をつきます(これは皆さんよくご存じですよね)。外交官も、軍人も、機会さえあえば、中古車のセールスマンや肉屋、建築業者であっても、彼らなりの嘘をつきます。しかしながら、小説家のつく嘘は、彼らの嘘とは違います。彼らが嘘をついた時のように不道徳だと責め立てられることはありません。それどころか、小説家の嘘が器用であればあるほど、世間や批評家たちからより大きな賞賛を得ることができるのです。
 これはなぜでしょうか?
 ・
 僕なりの答えはこうです。つまり、小説家によってつかれた巧妙な嘘は、あたかも本当のように見えるフィクションを作り出すことによって、新たな場所に「真実」を導き出し、その真実に新しい光りを照らすことができるからです。
 多くの場合、「真実」をもとのかたちのまま理解し、正確に表現することは事実上不可能です。だからこそ僕たち小説家は、その隠された場所から真実を誘い出して尻尾を掴もうとし、フィクションの位置に移し替え、フィクションのかたちにそれを作り替えるのです。しかしながら、僕たちがこれを達成するためには、まず最初に真実が僕たちのどこに属するのかを、はっきりさせる必要があります。
 これが、上手に嘘をつくための重要な資質です。
 ・
 けれども本日、僕は嘘をつくつもりはまったくありません。それどころかできるかぎり正直でいようと努めます。僕にだって年に数日は嘘をつかない日があるし、今日はたまたまその日なんです。
 ・
 ですから今日は、どうか皆さんに本当のことを言わせてください。
 本当に多くの人々が、僕に「エルサレム賞を受け取りに行くな」と忠告してきました。或る者は、もし僕が受賞するなら僕の本に対してボイコットを扇動すると警告さえしました。
 ・
 その理由はもちろん、ガザで激しく続いていた戦闘です。国連のレポートによれば、封鎖されたガザ地区では1000人以上の非武装市民――子供や老人たちが命を落としました。
 ・
 受賞の通知を受け取ってから、僕は何度も何度も自問しました。「こんな時期にイスラエルにまで旅行して、文学賞を受け取ることは適切な行動なのだろうか?」、「僕はどちらか片方を支えることになり、圧倒的な軍事力を行使する国策を是認したと思われやしないか?」。
 もちろん僕は、そんなふうに受け取られるのは御免です。僕はどのような戦争にも賛成しないし、どのような国家も支援しません。そしてむろん、僕の本がボイコットの憂き目にあうのを見たくはありません。
 ・
 しかしながら、熟考のすえ、最終的に僕はここに来ることを決心しました。僕がここに来ると決めた理由のひとつは、あまりにも多くの人々が僕に「行くべきでない」と言ったことです。おそらくほかの多くの小説家と同じように、僕は天の邪鬼です。多くの人々から「そこに行くな」、「それをしないでくれ」と警告を受けると、そこに行き、それをしたくなる傾向があるのです。
 あなた方は「それは小説家だからだよ」と言うかもしれません。そう、確かに小説家は特別変わった種族です。この連中は、自分の目で見たもの、手で触ったものしか本当に信じることができないのです。
 ・
 それが今日、僕がここにいる理由です。
 僕は立ちすくむよりもここに来ることを、目を反らすよりも見つめることを、沈黙するよりも語ることを選びとりました。
 ・
 これは僕がいままさに、政治的なメッセージを伝えにきた、という意味ではありません。もちろん、あることについて正しいのか、間違っているかの判断をすることは、小説家の重要な義務のひとつです。
 けれども、こうした判断をどうやって他の人々に伝えるかを決めるのは、それぞれの書き手に任されています。僕自身は、そういったことを物語、それも超現実的な物語に移し替えて示すことを好みます。これが今日、僕が直接的な政治的メッセージを伝えないにもかかわらず、皆さんの前に立った理由です。
 ・
 しかしながら、どうか皆さん、ここで非常に個人的なメッセージを送らせてください。これは僕がフィクションを紡ぐ時、常に心に留めていることです。僕はそれを一枚の紙切れに書いて壁にはっておくというよりもむしろ、僕の「心の壁」に彫りつけられていること……それはこういうことです。
 ・
「高く、固い“壁”と、それにぶつかると割れてしまう“卵”があるとき、僕はいつも卵のそばにいる」
 ・
 ええ、どんなに「壁」が正しく、どんなに「卵」が間違っていようとも、僕は「卵」のそばに居続けます。どこかの誰かが「何が正しくて、何が間違っているのか」を決めるとき、それはおそらく時間と歴史が決めるのでしょう。けれどもし、どのような理由があろうとも、壁のそばに立って仕事をする小説家がいたとしたならば、その作品にはどんな価値があるというのでしょうか?
 ・
 このメタファー(暗喩)はいったい何を意味しているのでしょうか? それはいくつかの場合において、とてもクリアで単純です。高く固い「壁」とは、爆撃機であり、戦車であり、ロケット砲であり、白リン弾です。そして「卵」とは、それらに壊され、燃やされ、撃たれる非武装市民……、これがその暗喩が意味することのひとつです。
 ・
 けれどもそれがすべての意味というわけではありません。もっと深く考えることもできます。こう考えてはどうでしょう。僕たちひとりひとりが、多かれ少なかれ「卵」なのです。僕たちは唯一かけがえのない魂を内包した、壊れやすい殻に包まれた卵なのです。これは僕にとっての真実であり、皆さんにとっての真実でもあります。そして僕たちはそれぞれ――多少の違いはあっても――高くて固い壁に直面しています。その「壁」の名は、そう、「システム」です。システムは僕たちを守りを固めるためのものですが、しかし時折自己増殖して、冷酷に、効果的に、システマティックな方法で、僕たちに殺し合いをさせるようし向けます。
 ・
 僕が小説を書く理由は、ひとつしかありません。それは個々人の魂の尊厳を立ち表わせ、光りをあてることです。「物語」の目的とは、システムが僕たちの魂を蜘蛛の巣のように絡め取り、その品位を落とすことを防ぐために、警戒の光りをあて、警鐘を打ち鳴らすことです。
 僕は強く信じています。物語を書きつづること、人々に涙や慟哭や微笑みをもたらす物語を書くことによって、個々の魂のかけがえのなさをはっきりさせようとし続けること、それこそが小説家の仕事であると。
 ・
 ・
 僕の父は昨年、90歳で亡くなりました。彼は教師をリタイヤし、たまに僧侶として働いていました。彼が大学院にいた頃、軍隊に招集され、中国戦線に送られました。戦後生まれの僕は、彼が朝食前に必ず家の仏壇の前で深く祈りを捧げる姿をよく見かけました。ある時、僕は父に「なぜお祈りをするの?」と訪ねたところ、彼は「戦争で亡くなった人のために祈っている」と答えてくれました。
 ・
 彼は敵味方の区別なく、すべての人のために祈りを捧げている、と語っていました。仏壇の前で正座する彼の背中を見ると、僕は彼に死の影がまとわりついている、と感じました。
 ・
 そんな僕の父も、彼の語った思い出とともに死にました。僕はもうその思い出を知ることはできません。けれど、彼のまとっていた死の存在感は、僕の記憶に残っています。それは彼が僕に遺してくれた数少ないなかのひとつ、そして最も重要なものです。
 ・
 僕は今日、皆さんにお伝えしたかったことはただひとつです。
 僕たちは誰もが人間であり、国籍や人種や宗教を超えていく個人であり、システムと呼ばれる固い「壁」に直面する「卵」だということです。どう見たって僕たちに勝ち目はなさそうです。壁はあまりにも高く、あまりにも強く、そしてあまりにも冷たい。もし僕たちに勝利の希望がいくらかあるとすれば、それはかけがえのない独自性を信じ、自分と他の人々の魂とを互いにつなぎ合わせた「暖かさ」に頼るしかありません。
 ・
 少し考えてみてください。僕たちはそれぞれ、いまここに実態のある魂を持っています。システムはそれを持っていません。僕たちはシステムが僕たちを司ることを許してはなりません。僕たちはシステムがひとり歩きすることを許してはなりません。システムが僕たちを作ったわけではない。僕たちがシステムを作ったのです。
 ・
 これが今日、僕が皆さんに語りたかったことのすべてです。
 ・
 僕はエルサレム賞をいただいたことに感謝します。僕は世界中の多くの地域で僕の本が読まれていることに感謝します。そして今日ここで、皆さんに語る機会をもらえたことにもまた、感謝します。
/sho_taさんブログより




ちなみに、エルサレム賞はイスラエルの文学賞で2年に一度表彰されるもの。
ウィキペデイアによると、「人間の自由、社会、政治、政府というテーマを扱った著作を書いている作家が対象となる」。

 

 

ハドソン川の英雄(サボテンⅡ)

2009年2月11日 (水)

「底突き抜ける感覚」 ハドソン川の英雄、事故振り返る
【ニューヨーク】「床を突き抜けて落ちていく感覚だった」。ニューヨークのハドソン川に先月、不時着したUSエアウェイズ1549便のチェスリー・サレンバーガー機長が事故後初めて米メディアのインタビューに応じ…/2008年2月9日(月) asahi.com

結局、いまだにマイ・ヒーロー、ハドソン川の英雄の映像は見ていないんだが(TV基本、見ないから)
かっこいいなぁ(´∀`)・゜*

サボテン

2009年2月 7日 (土)

「最後はハドソン川に」米の不時着、緊迫の交信記録 【ニューヨーク】「最後には、ハドソン川に」。…/2009年2月6日(金) asahi.com

この機長の記事を読むたび、なんだか泣けてきちゃって
今日も電車のなかで読んでうるうるしていた。
最近のマイ・ヒーローだ。

この事故当時、ハドソン川に着陸しようとしたことを知ったときの妻のコメントがまたすごくて、
「大丈夫、あの人の腕はすごいから、かならずやり遂げます」。
妻も落ち着いていたらしい。
パートナーへ寄せる信頼って、こうありたいと思った。

判断力、自分の実力の見極め、遂行時の美しさ……
危機的状況下にありながら、そういった仕事を的確にできる人を、とても美しいと思う。
そういう者にわたしもなりたい。

 

 

だるま、ディズニー、サントリー……共通点なあんだ?

2009年2月 6日 (金)

黒、黄色……不況で色ダルマの注文増 福島・白河
/2009年1月24日(土)asahi.com


「風が吹けば桶屋が儲かる」ということわざが好きだ。
似たようなので、「塞翁が馬」というのもある。
だるま、ディズニーランド、サントリーの共通点は、
この不景気にあってバンバン高利益をあげたもの。
TDLは25周年記念も手伝って、2008年の収益はなんと過去最高!(集客のお手伝い、弊社もいたしました。「るるぶ埼玉」(JTBパブリッシング刊)で)
サントリーは、ビールの売り上げが順調で、昨年比11%の収益を上げている。
永ちゃんがCFやっている「プレミアム」が、高級ビールでエビスを抜いてトップシェアというのもある(缶チューハイも好調だ)。
不景気で外食産業が凹むと、おうちで飲むビールの消費は増える。
外食産業シェアがトップのアサヒは(たしか、そうだよね?)、きっと凹んだことだろう。
てことは、キリンは横ばいか?
そのほか、製薬会社もおしなべて不況知らずらしい……と、これは身のまわりでよく聞く話。

100年に一度の不景気でも、好調なところはあるわけで。
ということは、アイデアひとつ、きっかけひとつ、企画ひとつで爆発することもあるというわけだ。
弱小にも零細にもチャンスは充分にある。
公的機関のみなさあん、そんなわけで、ご融資お願いしますね~~~っ!


じゃ、せっかくだから、オリエンタルランドの景気のいい話も。

オリエンタルランド、最高益見通し 入園者、過去最高に

「東京ディズニーリゾート」を運営するオリエンタルランドは5日、09年3月期の連結業績予想を…/2009年2月5日(木) asahi.com

 

 

「派遣」には2種類ある

2009年2月 6日 (金)

「派遣切り」使わないで 派遣協会が報道機関に要望

人材派遣会社でつくる社団法人「日本人材派遣協会」(東京)は20日、「派遣切り」という言葉を使わないように要請…/2009年1月20日(火) asahi.com

ちょっとタイムラグがあって恐縮だけど、昨日もランチ時に派遣問題の話になったので
ついでに挙げておこう。

たぶん、この記事を読んで「“派遣切り”とか問題になるけど、なんか違う。やっぱ“派遣”ってぜんぜん大変じゃないやん。むしろ感じ悪いやん」と感じる人は少なくないと思う。
でも、それはちょっと違う。

まず、今の「派遣」は大きく2種類に分けられることを理解したい。

1バブル期から続いている派遣社員
 正社員になって会社とつながってるのなんて、不自由でイヤ。それに手取りも少ないし。
 派遣で自由に働くほうがスマート と、自ら選んで派遣をやってる人たち
2製造業派遣従事者

小泉政権時代に製造業派遣が認められるようになり、
派遣という労働スタイルしか選べなかった製造業従事の人たち

「自分で選んだことなんだから、今さら苦しいとかしんどいとか言うのはおかしくないか?」
と言われちゃうのは「1」のほうだし
「1」の多くは今でも、紹介記事のように元気に働いている。
一方、ほんとうに救済を必要としているのは「2」のほうだ。
同情されるのはいやとか言う前に、「暮らしをなんとかしてよ」と言いたい人たち。

2つが混乱するから、なんだかへんな世論になっちゃってる。
「1」の人が元気な主張をすることで、「2」まで被害を被っちゃう。
ま、「1」からみると、「2」のせいでイヤな思いをしていることになる。
困ったもんだ。
でも「2」はね、大多数で本当に救済が必要になってきているんだけどな。
それも業種によるといえばそれまでだけど。
この区分を、もっとわかりやすく報道してくれたらいいのに。
問題は、製造業派遣なんだ。

「好き」はいちばん強いと思う

2009年1月25日 (日)

旭山動物園応援カップラーメン販売へ 1個で寄付金1円
/2009年1月22日(木) asahi.com


ホッキョクグマがらみで、やっぱりこれは挙げとかなくちゃ、

というわけで、旭山動物園もの。

いよいよ映画になるんだなぁ。
書籍『ペンギンが空をとぶ』を見たときの感動ったらなかった。あれからもう10年近く経つのかな?
北海道の、日本最北にある動物園。しかも、開園時間は短くて、気候条件は厳しくて。
そんな動物園が、上野動物園を抜いて、今では日本一の入場者数を誇る月もあるのだ
(1996年、年間26万人来場が最低迷期。

 

2006年は300万人を超え、恩賜上野動物園の350万人に次いで、全国2位)。

旭山動物園は、動物園の構造改革というか、革命児だった。
今や全国どの動物園も、旭山にならって、行動展示を盛んに取り入れるようになっている。
一度は閉園の危機を迎えた動物園が復活し、ここまで来たのは
職員のみなさんの「この動物園が好き」「動物園そのものが好き」そして「動物が大好き」、
その「好き」の熱さだと拝察する。
好きほど強いものはないと思う。
そして一回「爆発」すると、いいもの・いい企画はどんどん連鎖する。

 

そんな素敵な見本でもある。
だって、「オフィシャルサポーター」なんて、素敵じゃない!

東京のコンビニでも売るかなぁ。
買う、買う。もちろん買いますとも。日清からしばらく乗り替えるよ。


ところでね、こんなふうに1円募金をいろんなところでくっつけたら
福祉とか環境保護に役立てられないのかしら。

ホッキョクグマ狂想曲

2009年1月25日 (日)

ホッキョクグマ「ツヨシ」争奪戦 「うちのお嫁さんに」

/2009年1月24日(土) asahi.com

写真で見るとのほほんとしてかわいいけれど、こわいんだぞ、ホッキョクグマって。
アザラシなんてぺろっと食べられちゃうんだから。
にしても、ホッキョクグマって、動物園で見るとたいてい不憫だ……。

昨年の11月に勃発したホッキョクグマ狂想曲は、
そもそも、「ツヨシ(釧路)が女の子だったぁ!? 」 というところから勃発。
面白いことになるんだろうなぁと思っていたら(すみません、高見の見物なので)
ほんとうに白熱して、ものすごくなってきた。
ホッキョクグマのパートナー探しにこれだけお金がかかるというのにも驚き。
秋田の「年間予算1600万円」って、人の子どもひとり育てるより、ヒトの不妊治療よりよほど高い!

 

※「ヒグマとの混血と判明 → 代わりに市長が着ぐるみ来て来園者をお迎え」 にいたっては、

 

なにがなにやらわからないが、爆笑。

性別が鑑定できなかったり、純血種か混血かもわからなかったり、
ホッキョクグマって難しい動物なんだな。
ここでもまた旭山動物園が実績で脚光を浴びている。
旭山動物園。名実ともに日本一になりつつあるわけだ。行きたい~~!!!
冬場は午後3時過ぎに閉園だそうだ。冬に行きたい、一日いたい!!

 

 

やりたいことだけガツガツやる♪

2009年1月23日 (金)

83歳レスラー、25秒フォール勝ち 全日本マスターズ
 東京・国立オリンピック記念青少年総合センターで18日にあった全日本マスターズレスリング選手権に、83歳の米盛勝義さんが8年連続出場を果たし、…/2009年1月22日(木) asahi.com

レスラーといって思い出すのは

 

ジョン・アーヴィングの『熊を放つ』だけど。

 

ああ、動物園、行きたい。

 

 

さて、年齢は、なにかができないことの理由にはならない。
最近わたしはどうやらこの手の話にまみれている。
そして、こういう話はわたしをますますいい気にさせてくれる。
で、「人間、いい気になってなんぼやないやろか」、と行き着く。
自分がいい気になってなんぼやし、
いい気になった分、ほかの人もいい気にさせたげなあかんやろな。
これ、基本です。


やりたいこと。
好きなことを好きなときに好きなように好きなだけやっちゃう人生がいいな。
いつでも新しいことに、ドキドキしてたいな。
それから、古いものにワクワクしてたいな。

コウモリのラプソディ

2009年1月22日 (木)

希少コウモリ、目覚めれば人工洞窟 ダム建設で集団移転

/2009年1月22日(木) asahi.com
そういえば最近、コウモリを見かけない。そうか、コウモリって、冬眠するのか。
「1匹ずつ採取し洗濯ネットに入れて……」このくだりを読むと、
その風景があまりにいじらしくてぐっと来てしまう。

コウモリって、豚みたいなねずみみたいな、すごく可愛らしい顔をしている。
春になって彼らがちゃんと目が醒めたとき、そこが快適な場所ならいいなぁ。

就任演説のライター

2009年1月21日 (水)

大統領主席スピーチライターは童顔の27歳
【ワシントン】大群衆を前に20日、就任演説を披露したバラク・オバマ米大統領の首席スピーチライターは、27歳の若者…/2009年1月21日(水) asahi.com


夕べの大統領就任式のときの就任演説で、27歳スピーチライターの存在を初めて知った。
放送中、アナウンサーが、「ライターは27歳の○○××」と言ったのを聞いて、にわかに我が耳を疑った。
就任演説の文面に、ライターの存在を明らかにするというのが、信じられなかったのだ。
デカイな、アメリカ。

もしかすると「第三者が考える文章なんてオバマ氏の意志ではない」と言う人もいるかもしれない。
でもそれはちょっと違う。
当人が温めている思いを、それ以上にきちんと人に伝わる言葉を選んで、伝える。
それは難易度の高いことだ。でも、プロの物書きって、まあそんなもんじゃないか?
それにしても、27歳で、あの説得力のある文面……。すばらしいことこの上ない。
いい仕事をするなぁ。

夕方、Nちゃんとマクドナルドでハンバーガーを食べながら、昨夜の就任式に話が及んだ。
「アメリカはすごい国ですね」と彼女が言うので
「たしかに世界中の人から“すごい国”だと思ってもらいたいだろうけど、ほんとうにすごいかどうかとは少し違うかもね。
あれは一国の大統領の就任式であって、それ以上であっても以下でも困るよね。
アメリカの大統領が、世界を統一するわけじゃあない。
そこを勘違いしないようにしないといけないねぇ」なんて話をした。

Nちゃんと話をしていたら「イスラエルは悪」「ガザは善」に傾きつつあったので
これもまた「そう断言することは危険です」という話をしたんだけど、
わかってくれたかなぁ。

物事を一定の方向から眺めると、きわめて危険。
ひとつの情報だけで、状況を判断するのも不足がある。
たえず柔軟で、フラットな目線を持ちたいものです。
そして、自分の目に映るものだけが正しいなんて思っちゃいけない。
見えない真実だって、世の中にはたくさんあるっていうことだ。

うまく言えないな。

つまり。

今我々が見聞きする世界は、真実のごく一部にすぎない。そんな感じかな。
二元論では語れない、みたいな。

 

 

ウミウシ

2009年1月11日 (日)

「海の宝石」ウミウシ輝く丑年 ペットに、写真集に
 ウミウシが人気を集めている。世界中で数千種類もいるとされ…/2009年1月11日(日) asahi.com

ウミウシ。好きなんだよな。
19歳のときに、海で初めて出会ったときの、いじらしいような、いたたまれないような、ありよう。
手に載せると、ふわふわして、やわこくて、デリケートで。
載せすぎて、死んじゃったんだけど……。
人気になるのもよくわかる。
だからって、飼うのはやっぱりいけません。
飼うんじゃなくて、海で邂逅を楽しんでください、ウミウシと。

メールもいい。手紙もいい。立山「連邦」印字ミス

2009年1月 9日 (金)

えっ!?立山「連邦」 富山で販売の記念切手に印字ミス
/2009年1月9日(金) asahi.com

きれいな切手は大好きで、よくシート買いする。
シートのすみに並んだ、使用特色のインクマーク(色マルのポチポチ)。
特色8色なんかで作ると、気持ちいいだろうなぁ なんて、うっとりする。
編集者になりたての、二十年前のこと。
「郵政省に切手の企画の提案するっていうのはどうだ」みたいな提案を、社内でしたことがある(どこが編集なんだ? いや、ただ愉しそうだから!)。
「そんなことができるかどうか、言い出しっぺのお前が調べろ」と言われて、正攻法で調べたけれど
当時はだめだった。残念。民営化された最近は、やりようがあるんでしょうね。

メールが普及する前は、今よりずっとたくさん手紙を書いたし、似た数だけいただいた。
高校生の頃、ひとり暮らしで下宿するわたしの心細さを支えてくれたのは、
ほぼ日替わりで下宿に届く、仙台や小倉……「前、住んでいた街」の友人たちからの、あたたかな手紙だったように思う。
手紙って、いつもやさしい。
今、あの頃のように頻繁に、便せんへ手書きをすることはなくなったけれど、
「元気にしてる?」のメールのやりとりは、やっぱりやさしいなぁと思う。

そういえば、「お前の企画書は“手紙”になっちゃってるよ……」と、当時の社長からよく呆れられたものだ。

ところで、最近のパイロット万年筆のポスターのコピー。
「万年筆は、メールやブログに賛成です」
のコピーがたまらない。見るたび、ヤラレタ気分になってグッときちゃう。

「立山連峰」が「立山連邦」。ついやってしまいそうな校正ミス(いかにもわたしがやりそうなミスで、人ごとじゃあ、ない)。
こういうところで出す誤植は、みんながなぜか気づかず、しかもかなりデカイことが多い。
タイトル系の素読み。「まさか」の目でシビアにやんなきゃいけませんね。初心に戻れ!
それにしても、誤植がプレミアなんて、うらやましい限り。

うしか? やぎよ。

2009年1月 9日 (金)

ボクの名前は「うしか」 牛柄のヤギの赤ちゃん
←双子のヤギの「うしか」(右)と「やぎよ」=千葉県成田市千葉県成田市の観光牧場 /2009年1月8日(木) asahi.com

「やぎよ」のセンスがたまらない。

そういえば、3歳くらいに暮らした大分では、家の裏の原っぱにヤギがいた。
「紙を食べるのよ」と母に聞いて、「まさかぁ」と思ってあげてみたら
本当に食べるので泣くほど驚いたのを覚えている。
……大人のヤギって、目つきが本当にこわいんだよな。
西洋で悪魔の化身といわれるのも、よくわかる。

それにしても、「うしか」も「やぎよ」もかわいいですな(*^_^*)

 

コアラの弁明

2009年1月 3日 (土)

落ちないコアラの「運」チしおり 名古屋の動物園が企画
/2009年1月3日(土)asahi.com

それでいいのか!? とツッコミたくなる気分満載の記事だった。
たまにこういうのがあるから、やめられない。

一応、コアラのメンツのために言っておくと、コアラの糞はユーカリのニオイがするらしい。
そりゃそうです。彼らはユーカリしか食べられないから。
ユーカリ。エッセンシャルオイルにもなっているほどの芳香で(*^_^*)。
そのオイルには感染症予防の効能もある。
ユーカリ。芳香性だが、食べると毒性もある(ヒトが食べると軽く食あたり程度だそう)。

有袋類のコアラは、オーストラリアでもとても力が弱くて、
ほかの動物が食べずに残っていたユーカリを主食にすることで、なんとか生きのびることができた。
ユーカリの毒性を、ほかの動物たちは避けていたから、豊富にあったのだ。
逆にいうと、力の弱いコアラが食べられるのは、ユーカリしかなかったのだ。
ユーカリのおかげで、種を保つことはできたものの
毒性はあるは、熱量は少ないわ、消化も悪いわという、たいへん効率の悪い代物だから、
コアラちゃんは1日に20時間ほども眠って、体力を温存しなければ生きられない。
しかも、1日20時間眠って、3時間はお食事の時間(眠っているコアラを、どうか起こさないで。眠らせてあげて)。
さらに食べたユーカリはほぼ1週間、お腹(盲腸。やたら長い)にとどまってから、糞になる。
だから糞は、ユーカリのツンとしたすがすがしいニオイがする……はずだ、たぶん。

件のしおりがユーカリの香りがするかどうかは不明だけど。

夜も昼も、すやすや眠るコアラに思いを馳せていて、はたと気がついた。
そう。今夜はしし座流星群だ。夜更けにピークになるらしい。
晴れているから、見えそうだよ!

スリム化

2009年1月 3日 (土)

飲料大手、相次ぎ「10円値上げ」断念へ 消費冷え込み

清涼飲料2位のサントリーは、今春にも検討していた缶コーヒーなどの値上げを断念…/2009年1月3日(土) asahi.com

おっ、スリムなペットボトル……と手にとって、なにげに内容量を見てみると
450mlに変わっていたりして(従来は500ml)。
さりげに容量が減っているという値上げは、最近よく見られる傾向かもしれない。
カルビーのポテトチップスだって、気がつくと「85g」になっていたし(100g→90g→85gの流れ。特製塩バージョンはたしか76g)
古いところではティッシュペーパー。
昔の厚さの2/3くらいにスリム化したと思ったら、内容量が200組400枚から、160組320枚に変更されていた。
実質値上げなんだけれども、価格が変わらないから、そんなに「上がった」感じがしない形のマジック。しかも見た目ヨシコちゃん。うまいな。

加齢とともに食品に対して感じるのは、「もうちょっとだけサイズ小さくして」かもしれない。
若いときほどガツガツ食べるわけじゃなし(女子だし)、
あればあるだけ食べちゃうから(もったいないくて? きりがよくて?)、
最初からコンパクトにしてもらったほうがなにかと助かる(ムダに太らなくてすむ)。
残すことにはかなり引け目を感じるし(きんちゃんに叱られるし)。
別に腹ペコなワケじゃなくて(口が食べたいだけだから)、
しかもひと口食べたらきっと満足する(贅沢品の範疇!?)。
だもんで、コンパクト化、軽量化、大歓迎(かといって、ポテトチップスの小袋は、味が違う! )。

いえ、けっして値上げを歓迎するわけじゃなくて

外食していても、ハーフサイズがあったら、そちらを頼みたい。
カレーのココイチが好きなのも、ハーフサイズがあるからだ(牛しゃぶカレーのハーフサイズも作って下さい)。
吉ギュウも、「大盛り」じゃなくていいのよ。
「ハーフ・つゆだく!」とか、言ってみたいと思うのはわたしだけでしょうか。
あ、でもタマゴは2個がいいな。

世の中、この年代の高齢化が進むと、ますますそうなりますよ。
おいしいものをちょっとずつ、いろいろ食べたいの巻き。

初売り

2009年1月 2日 (金)

名物の景品入り茶箱目当て、数百人が行列 仙台

/2009年1月2日(金) asahi.com

小学校のときに、2年半ほど仙台にいて、2回お正月を迎えたけれど、
初売りの記憶はまったくない。
2日に見た県民自慢の番組では「仙台のだるまは青。しかも8つ置くのが習わし」とかやっていて
それもまったく記憶になくて、あわわ、となった。
たかだか2度の正月の記憶って、そんなものか。奥深いですな(わたしが浅いだけか)。
余談だが、3日の「初めてのお出かけ」では、松島とか塩竈とかがいっぱい出ていたし
さては同じクルーが動かしているんでは? と訝しむほど(両番組が同じ系列局だったかどうかはまったく定かではありません)。

同じ初売りでも、仙台と佐世保(佐世保も初売りが有名)では、スタイルもえらい違うみたいで、なかなかおもしろい。
所変われば、ですな。
豪華そうなのが仙台。
朝4時頃から一斉に店が開くのが、佐世保(目抜き商店街のほとんど全店がそうなる)。
佐世保にも、最近行ってないなぁ。

ときに、2008年の秋口から12月31日まで、仙台宮城ディスティネーションキャンペーン(DC)をやっていて
JRのポスター(「美味(うま)し国 伊達な旅」シリーズ)に旅情を駆り立てられていた。
初詣に行く31日の深夜になると、見事に全部のポスターが張り替えられてしまって
ものごっい寂しい感じがした(新出は「春の房総半島」。あと北東北もの。北東北はエニタイム強い。とくに角館)。
「あーあ、終わっちゃったのね」と思ったのもつかのま、
2009年の秋~冬も、昨年同様にポストDCをやるんだそうだ。ちょっとうれしい。

大阪にいるときは、東北はとても遠く感じていた。
東京にいると、東北はとてもとても近い。
関西から上京したてのときは、東京駅に行くたびに、それから池袋あたりに行くたびに
東京が東北の入口であることを、強く感じたものだ(「奥の細道」の旅の始まりだからか?)。


今年は初売り、好調みたいで、よかったですね。

 

謹賀新年

2009年1月 2日 (金)

年賀状盗んだ疑いで男逮捕 「家族写真を見たかった」

2日正午前、静岡県富士市内の住民から「郵便受けをのぞいている人がいる」と110番通報が/2009年1月2日(金) asahi.com

あけましておめでとうございます。
今年も気の向くままに、気になるニュースを拾って参ります。
おつきあいいただけること、感謝します。

さて。
思わず、じ~んときてしまった「年賀状の家族の写真が見たかった」。
年賀状でやってくる家族写真を、心底「いいな」と思い始めたのは、三十代も後半になってからなような気がする。
送られてくる写真をしげしげと見つめて、お子さんの成長を喜んだり、
言外(あ、写真外?)の親のしあわせを思ったり、ご家族みなさんの揃った絵に
ほのぼのさせていただいたり。
だからね。
盗んじゃうのはいけないけれど、
正月に、だれのでもいいから、そういうのを見たくなる気持ちは、わかるような気がする。

年賀状デビューの……小学一年生のころは、とにかくうれしかったもの。
そのうち「年賀状なんてうぜー」と思っていた時代があって、
「もういいや、書かない」なんていう時代もあって、
でも、なんかの拍子に書き始めるハメになって
「形骸化してるぜ」と斜に構えたとしても、
ポストに届けられる年賀状はやっぱりうれしいものだ。

実家に帰ったり、家族で旅先で迎えたり、あらたまってホテルで迎えたり、どこにも行かずひとりで迎えたり、友達や恋人と過ごしたり、
それこそいろんな年越しのしかたがある。
大人になると、毎年の、自分のスタイルになってくるみたいだ。
それは、どこかの段階で、自分が選んだことだと思う。
自分ができないほかの処し方を、少しだけうらやましいと思ったり
でも、そういう処し方では所詮収まらなかった自分のことを顧みたりして、
年越しっておもしろいな と思う。
晴れやかさと空虚が混在するような感じ。これは子どものときからだったように思う。

それでも等しく新年は訪れ。
起きている人にも、眠る人にも、健やかな人にも、病める人にも。

三好達治の
「太郎を眠らせ 太郎の屋根に雪はふりつむ 次郎を眠らせ 次郎の屋根に雪ふりつむ」を思い出しながら、
それからユーミンの、「ハッピー・ニュー・イヤー」のメロディを頭に鳴り響かせながら
特別な夜が過ぎていく。
悪くない。

今年もよろしくお願いします。

 

営業短縮 君の立場では君が正しい。僕の立場では僕が正しい。

2008年12月31日 (水)

三越伊勢丹、定休日復活へ 大都市は時間短縮を検討
/2008年12月28日(日)asahi.com

30日の夜、ひとり静かに仕事をしていたら、事務所に人の影……。
やばい。どうしよう。まじ視えちゃったよ、わたし……
と、息を呑んだら、Fだった。

ろくすっぽ大掃除をしないでいたのが気になって、掃除をしにやってきた彼(もっとも掃除をしなくても、彼の机はいちばん美しい)。

「だって、掃除しないで年越して、仕事が来なくなったらヤじゃないですか」

その験かつぎ、わかる~~~~。
そういえば、仕事納めは先週だったけれど、結局、みんな、今週になっても顔を出して、それぞれの用事を片付けていた。
Sちゃんに至っては、偶然そこに居合わせたばかりに、大量のゴミ出しと窓ふきまで手伝わされて。気持ちよかったね!
Sちゃん、きっと来年はビッグにいいことあるよ!

掃除をしながらFが
「ねえ、マリさん、元旦から開いてる百貨店ってない?」
Fは元旦に吉祥の実家に帰る予定だから、素敵なおてみや(できればナマモノ)をご所望なのだ。
しかし。残念なことに。
このご時世では、たぶん、難しいんじゃなかろうか。元旦営業の百貨店。渋谷エリアはがんばるのかね?

ところで、高円寺のスーパーマーケットは、軒並み、深夜営業戦争に突入している。
まず、駅前の「東急ストア」が24時間営業だし、「西友」も24時間。
「ららまーと」は26時まで営業だったけど、無理がたたったか、先月あたりにつぶれた。
そんななかにあって、わたしが贔屓にしている「クイーンズ伊勢丹」は、
もともと24時までだった営業時間を、この秋に23時までに営業短縮してしまった。
「よっ、ご英断!」と思ったものだ。

なので、「三越伊勢丹」が、定休日復活といっても、「そらそだわな」くらいにしか思わない。
「え、定休日、なかったの?」と思うわたしは疎いのか(だって、髙島屋は、なかったっけ?)。
にしても、定休日復活で、年間20億浮くって、すごくないですか?

省エネ省エネ、エコエコっていうくらいなら、
コンビニだって、当番制で24時間営業にすればいいのにって、常々思っているのだが(東京はコンビニが多すぎやしないか)
バンドのベース氏に(間接的に)一喝された。
「いったい、何万人を路頭に迷わせる気か!」
そらそうですね。たしかに(ベース氏は40代目前。長年、ミニストップの深夜勤務)。
ごめんなさい。
省エネとリストラは、紙一重なんだもんな。むずかしい、むずかしい。
君の立場では君が正しい。
僕の立場では僕が正しい。ディランの歌詞がよく頭を横切ってく年末です。
そして案外、ムダなもののなかに、大事なものってあるのよね(ピノコ風に)。

 

銭湯狂想曲

2008年12月21日 (日)

OLコンビ転身、住宅街の銭湯切り盛り あったか笑顔

東京都杉並区の閑静な住宅街に、若い女性コンビが切り盛りする銭湯がある。(井上恵一朗)

銭湯は好き。
最初の記憶はたぶん3歳か、もっと前だ。
熊本の銭湯の記憶。強烈なニオイのする白濁したクスリ湯に、祖母が好んで入っている。
……しかし、1歳のときに、わたしは熊本から引っ越しているのだけど。はてな。
なぜだか幼年の記憶力はめっぽういい。

学生時代は、原チャリで行かなきゃならないところにしか、銭湯はなかった。
それでも女子寮の風呂が日曜日にお休みになるものだから、遠くまで出かけた。
同和地区にある銭湯は、よその4分の1くらいで入れたから、ときどきお邪魔した。
当時200円くらいの入湯料が一般なら、そこは50円だった。
混みようったらなかったな。芋洗い状態。ありがたかったな。

もう一軒、太子の小路寮近辺の、「めちゃめちゃ風呂」と呼ばれていた銭湯は、閑散としていた。
あまりにボロイ。しかも暗い。

シャワーなんてない。

壁の隙間が大きく空いていて、男湯がしっかり見えた(ということは、あちらからもちゃんと見える)。
明治から続いている銭湯らしかったが、当時、「もうじき廃業」。
「最終日は名誉にかけて混浴にする。警察なんてこわないで」と大将が言ってたのを聞いた。最終日は行かなかった。

京都時代は、薬草風呂のある銭湯が近所にあって、
いつもあたり一面薬草の匂いが充満している。
入ると翌日一日中、からだから薬草の匂いがした。大好きだったな。
お湯は黒に近い茶色。
女湯の常連客の派閥があって、なかなか凄まじかった。
番を張ってた「Aさん」は、学生時代のバイト先の食堂のおかあさんと体格も顔もクリソツだった。

線路脇に住んでた大阪・京橋、文化住宅時代は、徒歩30歩で銭湯。
水風呂が好きだったので、「えらい狭い浴槽やわ」と思いながら、水風呂で震えていたら
「お客さん、それは上がり湯」と、銭湯の主に釘を刺された。非常に恥ずかしかった。
ハダカでいるときに、服を着た人に注意されるのって、ちょっと屈辱的だ。

狭さで思い出すのは、天五時代の銭湯の露天。
天五は、自宅兼仕事場から、徒歩3分圏内に銭湯が2軒あった。
内風呂が、「仕事場にシャワーをつけただけ」だったから、よくお世話になった。
気に入っていたほうは、なかなか広い銭湯で、サウナもあって、わりと充実していた。
そこのお風呂場の奧。扉を開けると、浴槽も含んで1メートル四方の空間があった。
上を見上げると、天井がなかった。「露天風呂」と看板が掲げてある。
シャレ?

よく湯あたりする。
もとより貧血なんて縁がないのだが、つい浸かりすぎる。
気持ちいいと気持ち悪いの、加減がよくわからない。
考え事をしたらアウトだし、話し込んだら出ら機会を逸するし、
で、ようやく出て、脱衣場でしゃがみこんで立てなくなること、多数。
銭湯も、温泉も、湯あたりするのにかわりはない。
それでも気持ちよくて、また行きたくなる。

思えば入湯料はずいぶん高くなった。今、400円。
現在は徒歩5分のところに銭湯がある。
ときどき湯あたりしながら、楽しく利用させていただいている。
使い捨てコンタクトをするようになって、銭湯はいっそう楽しくなった。

今日は冬至。柚子風呂やってるだろうな、ぜったいに。

けっこんぴあ休刊

2008年12月17日 (水)

ぴあが「けっこんぴあ」「Invitation」の2誌を休刊

 チケット販売国内大手のぴあは11日(木)、定期雑誌の『けっこんぴあ』と『Invitation』の2誌を休刊にすると発表した。ともに現在推進している事業構造改革の一環で、不採算事業撤退に伴うもの。

 結婚式場情報誌『けっこんぴあ』は1992年の創刊。今回のけっこんぴあ事業からの撤退に伴い、関西版は12月発売号、関東版は09年1月発売号をもって休刊する。また、『Invitation』誌は03年に創刊後、ライフスタイル誌として昨年フルモデルチェンジを行ったばかりだが、09年1月発売号をもって休刊となる。/12月12日11時34分配信 オリコン

もしも媒体に感受性みたいなものがあるのなら
「おつかれさま。よくがんばったね」と声をかけてあげたい。
いくつもの山を越え、16年間、よく走ってきた。生きて来られたと思う(本がね)。
そしてここで自分を育てていただいたこと。
版元のみなさん、会場のみなさん、ふれあったカップル、アーティスト、
マイスイートスタッフ、遮二無二ついてきてくれた社内の同志……
感謝の言葉以外には、なにも見あたらない。

で、休刊。
まだまだまだまだ、やり残したことは多すぎて
伝えたいことはいっぱいあって
沸々と胸の中でたぎる思い。

結婚って、悪くないよね。結婚式ってすごくいいよね。
そんなことを、これから先も、伝え続けていけたらと思う。
それが、今まで出会ってきたカップル、
会場側のみなさんへの恩返しのような気がして。

なにができるのかはまだわからない。
けれど、歩みを止めないことこそ、大切だと信じたい。
だって、結婚式ってほんとうに素敵だし、そこに関わる人たち、すごいもの。
それが自分の力になってくれる気がしている今日この頃。

 

 

そんなランランには会いたくないんだ

2008年12月15日 (月)

「上野のパンダ」全員集合 23日から国立科学館

 時を超え、上野のパンダが全員集合――。4月に死んだジャイアントパンダのリンリンをはじめ、上野動物園(東京都台東区)で飼育されたパンダ7頭の剥製(はくせい)や標本が、23日から国立科学博物館(同)で展示される。
/2008年12月14日(日)asahi.com


わーい、パンダ! わーい!!
なんて気分には決してなれない。わたしだけだろうか。

剥製見て、もの悲しくならなかったためしはない。
骨格じゃあ、そんなことないのにね。

ヤエコさん、がんばれ!

2008年12月15日 (月)

あきらめなかった夢 73歳ヤエコさん、教壇に

2008年12月14日(日)asahi.com

「ルンルン」は80年代初頭に一斉を風靡した言葉だ。
林真理子さんの『ルンルンを買っておうちに帰ろう』は83年だっけ?

人の痛みがわかること。ついでに人の傷みもわかること。
思いをあきらめないこと。いや、あきらめないからかなうのであって
かなえるためには実行力を伴わなければならないということ。
そうして実らせた果実はとても魅力的だ。

かなわず、捨てられる夢なんて、その程度のものさ。
捨てちゃえばいい。


ヤエコさん、がんばれ! そして、わたしも!
そんな気持ちになるのだった。

 

犬猫・アウシュビッツ

2008年12月14日 (日)

捨て犬猫の収容所拡充、飼い主との出会いの場に 環境省

捨て犬や捨て猫の処分を減らすため、環境省は来年度から、
/2008年11月30日(日) asahi.com



素朴な疑問なんだが、どうしてデータが「2004年」のものなんだろう……。

動物愛護センターと聞くと、悲しい気持ちになってしまう。
ほかにも、動物の生体実験。
その上にわたしたちの暮らしは成り立っているのだけども、
「シャンプーを皮膚につけ続けたらどうなるか」なんて実験を猫でしなくてもいいじゃないかと、思うのはおかしい? 偽善か?
そんなことしてるのわかってたら、そのシャンプーは買わない。少なくとも。
猫は、脳のしくみがヒトと似ているそうで、つまり痛みの感じ方とかが似ているのだそう。
だもんで、神経系を中心とした生体実験の対象にされること、多数。
シャンプーつけっぱなし? ただれるに決まってるでしょうよ! 
そんなこたぁ、想像力の問題だっ!

もちろん、おかげで、わたしたちは救われていることもたくさんある。わかってる。
でも、いたたまれない気持ちに変わりはなくて。

気がついたらもう7年になる、猫がいない暮らし。
猫がいたら、暮らしは変わるだろうなぁ。暮らし向きも変わるかもしれない。
禁煙するし(ほんとか?)、ネイル塗ったりもしなくなるんじゃないか?

7年前まで以前一緒に暮らしていた猫は、近所のペットショップの売れ残りだった。
血統書付き15万円を、1万円で譲り受けた。
なんてことはない、ひどく不細工だったのだ。
わたしはひと目見たときから、ものすごく大好きだった。
彼女がショーケースに入って4か月経った頃(もう仔猫とは呼べない大きさ)
お店の方に声をかけられて、わたしが購入(毎日見てたもん!)。
クリスマス間近の、こんな日だったっけ。ナビがうちに来た日。

もしも、もしも、いつか本当に欲しくなったら、
「出会いの場」に出かけてみようかと思う今日この頃。

 

 

重婚するバカ、放火するバカ

2008年10月28日 (火)

挙式予定式場に放火容疑 「新郎」、既に妻がいた

 結婚式を挙げる予定だったホテルに放火したとして、山梨県警北杜署は26日、…大安だったため、8組の結婚式が予定されていた。

/2008年10月27日(月) asahi.com

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火を付けて、バレなければ、
なんとかなると思っていたんだろうか。新郎。
……なわけないでしょう。
ゲスト80人は、既婚相手のことを知らない人ばかりだったんだろうか。

なにがいちばんしたかった、新郎。
だれがいちばん好きだった、新郎。

相談してくれたら、ベターなやり方、教えてあげたのになぁ。

いや、新婦も、現妻も気の毒な限りなのだが
……リゾナーレ小渕沢が、いちばんバカをみてるかも!?
ずいぶんご無沙汰しておりますが、お元気でしょうか、小渕沢さん。

ガーデンが素敵な会場でしたよね。

 

 

ニコチン依存

2008年10月10日 (金)

中高生「たばこ千円なら吸わない」厚労省研究班調査 /2008年10月8日asahi.com

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ばかな。短絡的すぎるって。
たばこを千円にするくらいなら、公金かけて社会復帰システムをきちんと作って、必要としている者全員を、非喫煙へと導きなはれ。
そのうえで、法律で禁じなはれ。
じつは、喫煙者の税金に、かなり支えられているくせして、
喫煙者の医療費で潤う部分はたくさんあるくせに、
そこのところはなかったふりして、いったいどういう了見だろう。

たばこはドラッグと変わらない。あんなふうにはラリらないだけで。
健康被害と比例して、依存度合い・ハマリ方はドラッグと同等に深刻なのではないかしら。

タバコは、4本目で、ニコチン中毒になるらしい。
子どもがいたずらするのも、3本までならまだ大丈夫。
けれど4本喫うと、もうやめられなくなるのだと、禁煙の本で読んだことがある。

喫煙年数と、中毒の度合いって、違うんだろうか。
だって、高校生時分だったら、いつでもやめられたんじゃないのかなぁ。
そりゃ「1000円ならやめるよ」ねえ。
あの頃の「ニコチン依存」なんて知れていた。と、思う。たぶん、みんな、そうだ。

 

がんばれ、リンガーハット

2008年10月 7日 (火)

リンガーハット、46店閉鎖へ 中間決算で13億円赤字

/2008年10月7日 朝日iモード

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リンガーハットが大好きだ。
九州を中心に展開する、長崎ちゃんぽんファーストフード店。
500円くらいで、山盛りの皿うどんがいただけるリーズナブルなお店だ。
ここでいただくのは、いつも皿うどんばかり。
いわゆる、細麺の堅焼きそばに(揚げたヤツ)、とろっと野菜のあんかけがかかっているというもの。
近くでは渋谷に行って、以前渋谷のデザイナーさんとやりとりしていたときには
打合せ帰りによくここでお昼ご飯を食べていた。
あんまりひとりでリンガーハットの皿うどんかっ喰らう女子は少ないみたいだけど。気にしない。

子どものころは、焼きそば(正しくは皿うどん)が大嫌いだった。
両親が九州ゆえか、日曜日のメニューは決まったように焼きそば。
肉も野菜も大嫌いだったので、食べられるのはかたい麺しかない。
残すと叱られるし、量が多くて子どもが平らげるのは無理だし、そのくせほかの家族はおいしいおいしいと食べているし
いつもブルーだった日曜日の食卓。

わたしの世界では皿うどんだけが焼きそばだった(家族は全員、皿うどんのことを「焼きそば」と呼んだ)。
5歳くらいで、はじめてソース焼きそばに遭遇したときは驚いた。最初は日清のインスタント焼きそばだ。
お祭りの屋台の焼きそばもソース焼きそばで驚いた。あれ、別の食べ物じゃん。
そっちが王道だってことは、あとになって知ることになる。

大人になって、皿うどんを食べてみたら、おいしかった。
おいしくて、とても懐かしかった。食べられるように成長した自分のこともうれしかった。

どうして「皿うどん」というのかは、何度聞いても、何度でも忘れる。
わたしのとっての焼きそばは、細麺・揚げ麺、塩味の五目あん。
まさしくリンガーハットの皿うどん。
だから、がんばれ、リンガーハット。倒産なんてしちゃだめ。

 

電気泥棒!

2008年9月28日 (日)

駅コンセントで携帯充電の女子大生摘発、被害「3銭」

/9月10日(水) asahi.com

ごめんなさい。
告白すると、よく電気いただいてました。
携帯の電源は、いざというとき、コンビニの緊急電池で足りるけれど、
ノートパソコンの電池切れはそうはまかなえない。
外で原稿を書くときに、喫茶店でお店の方にお声がけしていただいたりしていた。
でも「だめですっ」と手厳しく言われたこともあって、それからはこっそりテーブルの下からいただいたことも多数。
深夜のファミレスにはもっとも多くお世話になっていた。
ごめんなさい。善処します。「盗み」ってさ、イタイよなぁ。

しかしね。世の中、発想の転換が必要だ。電気が欲しい人、たくさんいる状況なんだもの。
じゃあ、3分3銭でいいから、売ってくれりゃあいいのに。プラスαのサービス料・設備料つけても、買うけどな、電気。
電池いるんです。1週間前に買った携帯電話だって、充電満タンにしたって、1日もたない日もあるのです。

新幹線の700系のコンセントは充実してきた。たしか、片側の窓側全席だったかな。うれしい限りだ。
以前は、電源のある席を確保するのにとにかく必死だった(窓口の担当者もわからない方が多く埒があかない。WEBで確認するほうが話は早い)。
グリーン車はそれこそ全席コンセント完備なのに感動した。わかってらっしゃる。

そうそう、新幹線のサービスであればいいなと思うのは、クイックマッサージ!
完全予約制にしたら、1時間1万円でも、売れると思うけどなぁ。

 

世界一になるために

2008年8月28日 (木)

世界一になるために。エース上野、1日で318球

/2008年8月21日朝日iモード

 

「世界一になるために、世界一の練習を積んできた」
上野選手のこの言葉にしびれた。
この記事を見たとたん、泣けてきた。
記事の予測通り(というか、ほかの選択肢はほぼないけれど)
彼女は翌日の決勝でも完投し、ご存じの通り、日本の女子ソフトボールは優勝した。
あまりにきれいな風景で、
わたしは準決勝も決勝の試合も見ちゃいないけれど
文字を追うだけで充分泣けちゃうのだ。

小学校3年だか、4年だかの、習字で書いた文字。
「努力」という言葉が大嫌いだった。
「努力しろ」といわれるのは問答無用でいやだったし、
「努力しています」というのは最高にかっこ悪いと思ったし
「努力しよう」と思うのは、ばっかじゃないの、くらいに思っていた。
言葉にする前に、やることが山のようにあるでしょうよ。そんな感じだ。
「努力」って、なんだか美辞麗句のように思えてしまって……ただ天の邪鬼かもしれない。
でも、かっこ悪いのはいやなんだなぁ(これ以上なりふり構わずで、どうする!?)。

そんな言葉とぜんぜん関係のないところで
好きなことは好きなだけやるし、誰にいわれなくともやり続けるだろうし、
それは「続けよう」と意気込むことではなく、日々の連続の単なる結果だし、
自分ができないことを「悔しい」と思ったら、できるまで、納得するまで、やるだけだ。
それを「努力」というのは、少し違うと感じていた。

それは今も、感じている。

だって、当たり前のことだから。
たぶん、ものごとはもっとシンプルだ。
ただ今よりもっと高いところに、深いところに、遠いところに、行きたいだけ。
「今日見えなかった風景を、明日は見たい」。それだけだし、それを望んだのも自分だ。

本気で見たいと思うなら、やらなければならないことをやるだけだ。

なんだってそうだろう。

たぶん、誰だってそうだろう。

せめて。

「見たい、見たい、見たい、見た行ったら、見た~い!!! 」と、はやる気持ちは世界一でありたいものよ。

愛のある人

2008年8月19日 (火)

相加相乗平均に新証明法。高校教諭、運転中にひらめく

 高校の数学で習う定理の新しい証明法を県立倉敷古城池高校教諭が見つけ、オーストラリアの数学専門誌に論文が掲載/2008年8月18日(月) 朝日iモード

 

書くのがはばかられるくらい、高校の数学は惨敗だったし、

「相加相乗平均」なんて言われても、なんのことを話されているのだか、正直まったくわからない。

だけども素敵な話でグッときた。現場からっていうのもあるけれど。
いや、ニュートンの万有引力発見のときと一緒なんだ。
ある日突然、気がつくワケじゃあない。
頭が抜群によかっただけじゃあない。思いがけない出会いが偶然あっただけじゃない。
ずうっと考えてることが、思うことが、
なんとかしようとあたためることが大事なんだろう。
ヒットだって、きっとそんなところからやってくる。
あたためるだけじゃない。なんとかしたいと思っていることだ。心と頭と手の連動だ。

なにかのことをどうにかしようとしてずっとじっと考えること。動くこと。あるいは対峙すること。
その時間の長さを「愛」と呼ぶかもしれないとときどき思う。
愛のある人がいちばん強いですよ。
なんだって。それはたぶん間違いない。

「キミはバラと時間を過ごした。だからキミはバラに責任があるんだ」
と言ったのは、きつね(うろ覚えで恐縮です。『星の王子様』より)。
あれから何十年経っただろう。
今でもズシンとくることがある。

貯水池は危ないのか

2008年8月18日 (月)

テロ対策フェンス剣先、小6の腕貫通。川崎の水道局用地

/2008年8月18日(月) 朝日iモード

「えっ?」と思ったことは
貯水池のテロ対策が、こんなにリアルだったこと。
ということは、実施確率も充分なわけだ。貯水池を狙ったテロ。かなり恐い。
もうひとつ、テロ対策ならば、果たしてこの程度の備えでいいのかということ。
少年が見て「なんとかできそう」と思う範疇だったわけだ。
「着地場所がない」ことに戦意喪失はしたが、剣先に怯えたわけではない。

2週間のケガですんでよかったよ。
小6の男の子と聞くと、ちょっとキュンとする。
実際見たら、さなぎのようでキモイかもしれなくても。

変態中って、どうして総じてなんとなく気持ち悪いことになるんだろうか。

そういえば巨人の上原選手は、永遠の小学6年生みたいに見えるな(キュンとするほうで)。

 

クマと対峙。いやクマ退治

2008年8月18日 (月)

納屋にクマ、胸パンチし撃退。広島72歳「必死だった」

/2008年8月17日(日) 朝日iモード

クマが「顔を殴ってきた」。
……どう殴るんだろう。両手で? 片手でいっちゃうんだろうか。
クマの胸部を3,4回「殴り返した」。
ふむ。最近は死んだふりしてもだめなのか。そうか。
熊本・阿蘇のクマ牧場を思い出す。コワかわいかった。

72歳と聞いて、昔は「おじいちゃま」と思ったけれど、最近はそう思わなくなった。

自分の年齢のせいか。

ゼロハチ○のコーヒー

2008年8月16日 (土)

コーヒー・お茶、記憶力に効果? 北大教授ら仕組み発見

2008年8月15日(金)朝日iモード

前の編集プロダクションから独立して、今の「ゼロハチ○」を作ったのが、
30歳だったか31歳だったか、記憶は定かではない。
どうでもいいことのようにも思う。
ゼロハチ○を作ってから、最初の1,2年こそ、コーヒーメーカーを使ってコーヒーを淹れていたけれど、
以降はずっと、昼時になると、うちの社長は毎日手づから、希望する社員の分のコーヒーを淹れる。
毎回ごとに、豆を挽いて、ペーパードリップでコーヒーを淹れてくれる(はじめなんて手挽きのミルだった。今はさすがに電動)。
もうかれこれ10年以上も続いていることになる。
これがめっぽうおいしい。そこいらの喫茶店のコーヒーなんて遠くにかすんじゃうほど
とにかくおいしいのだ。
そんなわけで、極上のコーヒーを、最低でも1杯、多ければ3杯ほど、1日にいただくわたしは、記憶力がよいのか、果たして。

ちなみに日本茶も人様よりもきっといただくぞ。
どんなに真夏日でも、朝晩の煎茶は欠かせない。
お茶は嬉野。新宿タカシマヤの愛国製茶に行くと、わたしの顔を認めると、
ニッコリ笑って店の奥から嬉野を出してくれる(嬉野は通常は店先に出していない。レアだから。いやマイノリティというほうが正しいな)。
だもんで、愛国製茶から浮気ができない……。
自慢だけど、日本茶だけはそこそこ上手に淹れられるんだ。料理はからきしだけど。
天は二物を与えない。嘘。

で、記憶力はよいのか。果たして。
甚だ心許ない。
忘れていくことに対して、興味も執着もないだけなのじゃないかしら。

 

 

上にはなにがあるんだろう

2008年8月15日 (金)

ガッツポーズは生まれつき。米・カナダ、五輪柔道を分析

/2008年8月14日(木) 朝日iモード



上にはなにがあるんだろう。
DNA的に、上にはなにがあると感じているんだろう。

凹んで歩くときは決まって、果てしなく足元を見つめて歩いている。
心はずむことを考えているときなら、右上をぼんやり眺めている。

日々の暮らしの中で、空を見ようとはしている。
空、雲。
意識しなくても、夜になるといつも月を探している。
月はいつ眺めても、どんな月でも、幸せな気持ちにさせてくれる。
ある意味、お日様よりも深い親近感がある。

そうそう。
空を眺めるのは、うつ病の改善にも効果があるそうだ。

もう、空は秋の気配。

 

 

夜の動物園

2008年8月 4日 (月)

 「寝顔かわいい」 おやすみカワウソ人気 海遊館
/2008年8月4日(月) 朝日iモード

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く~っ、超かわいい。コツメカワウソ、見てみたいなぁ。

水族館もいいけれど。

やっぱりなんといっても、動物園。

久しく足を運んでいない。
最後に上野動物園に行ったのは、もう1年も前になるんじゃないか。

ジョン・アーヴィングの『熊を放つ』じゃないけれど、
夜の動物園に入りたい……できればしのびこみたいと思っていた。
世の中、同じようなことを考える人がいるもんだ。
“マイミク”のうつつさんが、「夜の動物園に入りたい。企画考える」文章を
書いていらっしゃった。
思わず、「なにをさしおいても、お手伝いさせていたきます」と申し出た。

うつつさんは上野動物園の付近にすんでいらっしゃり
動物たちの夜の雄叫びの記述に触れるにつけ、どうにもワクワクしてならない。
いっとき、わたしも上野動物園方面に引っ越そうかと真剣に考えたが
事務所へ来るのにさわるので控えている。

夜中、動物たちの眠っているのを、夜行動物たちが我がもの顔で動き回るのを
飽きもせずに眺めていたい。

高自殺率の理由

2008年7月21日 (月)

<青木ケ原樹海>自殺者防ぐ取り組み 「迷い」受け止め
/2008年7月20日(日) 毎日jp
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なぜ、日本では、世界と比較して自殺者が多いのか。
はて。
ストレス社会だから、なんていう、しょぼい話は置いておいて。

さみしさを感じるしあわせを、認める文化があるせいではないかしら。
日本と北欧(←自殺率、高い)の共通点だと思います。

オサレ長靴のメガヒット

2008年7月21日 (月)

下町のゴム靴工場、女心つかむ 手作り雨靴が大人気

女性用のレインシューズやゴム製ブーツが人気 製作は、都内唯一のゴム靴工場という葛飾区の「ウッドヴァリ」 手作り。
/2008年7月8日(月) 朝日iモード

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そう。
今年に入ってからか、めっきりおしゃれ長靴が目立つ。
こういうワケだったんだな。

「正しいと思うことを地道にやっていくのが基本じゃないかな」
暗中模索のそんな毎日に、この記事は胸に響いた。

日々続けることはきっと宝になる。
そして、ほんとうにつらいとき、どれだけ我慢できるか。踏ん張れるか。
正しいと思えることを妥協しないこと。あきらめないこと。投げ出さないこと。
と同時に柔軟さをもつこと。いつもしなやかでいること。
新しい風をいつも取り入れる努力をすること。
それでいて、目先のことではなく、大切なことを見失わないこと。
未来を見据える目を持てること。風を読めること。

運だけではなかろう、なにか。
ヒントがあるような気がする。

モカ 消えるかも

2008年7月21日 (月)

〈モカ〉消えるかも 輸入ストップ、在庫わずか
/2008年7月20日(日)毎日jp

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消えるかも。モナじゃありませんから。モカですから。

ブルマンがどんなにおいしくたって、
喫茶店でオーダーするコーヒーは、モカじゃなけければならない。
小学校の三年生か四年生の頃、『りぼん』の田渕由美子のマンガのなかで
素敵な男の子(大学生)が「オレ、モカね」というシーンがあった。
以来、コーヒーはモカ。
大きくなったら、喫茶店で「モカ」とオーダーする大人になると決めていた。

で、お約束通り、そういう大人になった。
本日のコーヒーが「マンダリン」だったりするとちょっとそそられて、つい「マンダリン」と言ってしまうこともある。
(マンダリンはバランスよくて、おいしいです)
シアトルコーヒーで「本日、グァテマラ」と書いてあると飛びつくけれども(シアトルに、モカはあまりない)
基本、喫茶店では「モカ」だ。
自分で買うときも、豆はモカが基本(たまに浮気)。
あの酸味こそ、コーヒーの最高峰だと思っている節がある。

高校生のときは、行きつけの喫茶店で、ノーシュガーで飲む努力をした。ホットは……ムリだった。
あのときは知らなかったけれど、今思うと、その喫茶店のコーヒーは、かなりマズかった。
まとめ淹れしてて、最後のほうは煮立ってた(それがマズいということを、当時は知るよしもなかった)。
アイスコーヒー(関西ではレーコーと言う)をブラックで。これはいけた(その喫茶店では、アイスは既製品だった)。
大人の階段を登るべく、小さな努力をしていたわけだ。

ほんとうはそんなに好きになれなかったコーヒーが大好きになったのは、大学生になってからだ。
寮のセンパイに、ペーパードリップの淹れたてのコーヒーを飲ませてもらったら、目から鱗。
それから、手動のミルでカリカリやった豆で淹れるコーヒーのおいしいこと。
いつも、豆はモカだった。


もはや、コーヒーにはちょっとうるさい。
コーヒー専門店なら、自家焙煎、一杯だて、ネルドリップ、というのが、おいしいコーヒーの条件だ。
ここまでに至ったのは、かつてカタログハウスで出した
『私の愛する喫茶店(関西版)』という書籍の編集をしたせいで、
ほんとうにいい喫茶店を探すべく、おいしいと聞けば足でまわり、目と舌で確かめた。
コーヒー好きのマスターたちと、たくさんお話をした。
コーヒーというのは極めればきりがなく、多分男性的なアイテムでもあるのだろう。
「き」がつくほどこだわりまくる方もいて、それはおもしろかった。

一日十杯近くの、挽きたて・淹れたて(多くは焙煎したてでもある)のコーヒーを日々飲んでいるマスターたちは
決まってお肌ツヤツヤ。そしてすこぶる元気がいい。
世の中にはまだ「コーヒーは胃に悪い」「からだによろしくない」という常識(迷信)が跋扈していたけれど、
絶対にそれは間違っているはずだと、確信したのもこの頃だった。
でなければ、マスターたちの肌が、あないキレイなわけがない。
つまり、酸化した豆で淹れるコーヒーや、煮立ったヤツに害はあるにしても、
焙煎したて、挽きたて、淹れたてのコーヒーは、クスリにこそなれ、
毒であるわけがないという結論。論より証拠だ。
だって「豆」ですよ。豆の栄養の完璧なことは、あらためて書くまでもなく。
おそらく、そしてあの黒だ。ポリフェノールはもちろん含まれているわけで。
すでに、コーヒーの栄養については、さまざまなメディアが取り上げはじめたので、濡れ衣もずいぶん晴れたのかな。
最近では、コーヒーの栄養についても触れられることが多い。

なんて、コーヒー四方山話は尽きない。
ちなみに、うちの事務所では、社長がコーヒーマスター。
昼食後には飲みたい人全員分を、豆を挽いて、ペーパードリップで、
ていねいに淹れてくれる。
そのコーヒーのおいしいことといったら。
そこいらの喫茶店のコーヒーを、はるかにしのいでいる。
社長に、感謝。

それでやっぱりわたしは、酸っぱいモカが飲みたいです。


さようなら、素敵なペリカン君

2008年7月18日 (金)

ペリカンのカッタ君早世 国内初の人工孵化

/2008年7月17日(木) 朝日iモード
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カッタくん。知らなかったな。
知らなかったのに、このニュースで悲しくなってしまった。
どうして幼稚園なんだろう。子どもと遊ぶのが楽しかったんだろうか、やっぱり。
ペリカンが空を飛ぶ姿を見てみたい。

 

さよなら、トルネード

2008年7月18日 (金)

野茂、初心貫き通し引退
 /2008年7月17日(木) 朝日iモード
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学生時代、近鉄沿線に住んでいた。
当時、阿部野橋駅に貼られる年末年始の近鉄電車の初詣のポスターにはいつも、
笑顔のへたくそな野茂がいた。

もっとずっと見ていられるような気がしていた。
どこか奇跡を信じていた。
もっと見たかったんだ、野茂。
ひとつの時代が終わったみたい。
お疲れ様でした。

 

死なない人、死ねない人

2008年7月10日 (木)

ガス自殺……でも生きてる……なぜ?……点火したら爆発・重傷
事故当時は無人 犬もいなかった。/2008年7月9日(水) 朝日iモード
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樹海で自殺するつもりだったのに抜け出てしまって、「あれ?」

たどり着いた山小屋で、気持ちも新たにガス自殺

朝になって目が覚めた。死んでない? 「あれ? ガス来てなかった?」と点火してみて
ガス大爆発



重傷だから、かならず治る。
まだやらなくてはいけないことがあるから生かされた。どなたかに。

天寿を全うしていただきたいものと思う。

 

黒ヤギさんたら読まずに食べた

2008年7月 6日 (日)

メ~案、ヤギにサル退治任せた 富山・魚津で放牧
農作物をサルの被害から守ろうと4日、富山県魚津市小菅沼の傾斜地にヤギ3頭が放牧された。/2008年7月5日(土) 朝日iモード
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子どものときに
♪白ヤギさんからお手紙着いた
黒ヤギさんたら読まずに食べた……♪
の歌を初めて聞いたとき、あまりにヤギさんたちが不憫で、気の毒な気がしたもんだ。

 

 

お笑い係!

2008年7月 6日 (日)

教室に笑顔、校長苦笑い? 小学校に「お笑い係」
 保健係、図書係、新聞係、図工係、体育係……そしてお笑い係。小学校の係活動/2008年7月5日(土) 朝日iモード

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めっちゃいいやん。
得意な分野を得意な子が伸ばすのはいいこと。
「みんないっしょ」は気持ち悪い。

「創意工夫があるのは新聞係と同じ」って言い切る先生は偉いなぁ。
ロックンロールだわ。

 

タカシマヤカードのポイントは罪か

2008年7月 2日 (水)

国会議員もマイル自粛

/2008年6月27日(金)読売新聞

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出張で使ったマイルを貯める……そんなの、クリエーターたち、みんなやってるやん、普通に。
それがいけないのかぁ。いわれてみればな。言われてみれば、確かにグレー、かもしれない。そんな気になる。
しかしなんとなく腑に落ちない。
「なんでだろう」となべちゃんに言ったら
「先に改めなければいけないことがあるのはわかっていて、こういうことでお茶を濁しているからじゃないですかね」と、即答。
タクシーのビール接待のほうがずつと問題だよ、マイルよりも。
「でもさ、マイル貯めるなんて、みんな普通にやってるよ?」と訊くと
「もともとのお金が税金だっていうことが問題なんでしょう」となべちゃん。
頭いいねー。

問題は、わたしのタカシマヤカードなんだ。
事務所のみんなの食事を経費調達するときに、自分のカードにポイントつけてるぞ。
しかも、タカシマヤカードのポイント還元率は、百貨店系でダントツなんだそうだ(と、今売りのananに書いてあった。今号はお金の特集。
今日、のんちゃんに買ってきてもらったところ)
私「タカシマヤカードにポイント貯めるのはいけないのかなぁ」
な「税金じゃないからいいじゃないですか」
私「でも会社の金だよ。税金がだめなら、会社の公金もだめでしょう」
不律「いいじゃん、そのくらい」
グレーだ。いけないことかしら。でも、ポイントをドブに捨てるのはもったいないし。

私「あ、いいこと考えた。会社でタカシマヤカードをつくる」
な「みんなクレジット使って、赤字になりますよ」
私「……」

その日の夕食はタカシマヤ。
お買い物係に、やっぱりタカシマヤカードを持たせてしまった。
つまり。
平等だと悪くないか。
結局
だれかカードを作ったら、わたしの代わりに貯めてもいいからね、またはジャンケンだ(了見、狭いか?)。

にしてもだ。
こういうことを決定して、鼻高々にしている国会は、やっぱりちょっとヘン。
偽善ってこういうことかしら。

刈っても刈っても花畑、体育祭ピンチ!

2008年6月28日 (土)

 黄色い花が一面に咲くお花畑――。東洋町野根の町立野根中学校(松井章弘校長)の校庭 コスモスに似た「雑草」に占領されて…(川原崎茂) 2008年6月27日(金) 朝日iモード
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子どものころに大繁殖していたセイタカアワダチソウを思い出す。
5歳くらいだったか、入院している祖母のお見舞いに、線路端に群生していた
セイタカアワダチソウを摘んで持って行こうとしたことがある。
嬉々として摘んで持って帰ると、親にものすごく叱られた。
あれは悪い花、害のある花……。
同じ花なのに、「悪い花」というのが、子供心にすごく不思議だった。

母は子どもにわりと乱暴な教え方をした。いわゆる「子供だまし」。比喩じゃなかった。
自分の範疇外になると、それはいっそう顕著になる。
岡本太郎のことは「あの人はキチガイです」と教わったし(なんでだよ!)
自分が口にしないサラミを、五歳のわたしにスーパーでねだられたときは
「あれはものすごくマズイものだから食べないほうがいい」。
瓶詰めのなめたけについても、そんなレクチャーをされた。
ついでに「タチウオはどうしてタチウオっていうの?」と訊くと
「うん、立って泳ぐ魚だから」って、おい!

おかげで、大人のいうことを鵜呑みにしない子どもに成長したのは、ありがたかった。
教科書も信じなかった。
中学の保健体育の教科書のはじめに
「健全な肉体に健全な精神が宿る」というWHOの言葉が書いてあって
「そんなわけないだろう」と思った。
どちらかが健全じゃなくても、どちらかは健全なことはある。
不具でも不健康でも、めっぽう健全な精神の人はいるじゃないか
発言の真意を疑うけっこうひどい言葉だと思った。
のちに知ったのは「誤訳である」ということ。
ニュアンスは「健全な肉体に健全な精神が宿ればいいね」ということらしい。

セイタカアワダチソウの大繁殖を食い止めたのは、ススキだった。
ススキが進軍していく黄色い花畑を見ると、どこかせつなくなる。

日本中で大繁殖を始めるのかしら、ハルシャギク。
あんまり悪者にならなければいいな。

★後日談

「立って泳ぐことからタチウオという語源もあるらしい」。

社長に言われてウィキペディアを見てみると、たしかに。……そんな気はしていたんだよ。

 

大阪市消防局のあっぱれ

2008年6月13日 (金)

硫化水素を除去せよ! 消防隊員、アイデア秘密兵器
硫化水素による自殺や巻き添え事故が続く中、大阪市消防局が硫化水素ガスを外に出さずに短時間で安全レベルにする除去装置を独自に開発/2008年6月11日(水)朝日iモード
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すごいことを考える人がいるものよ。
えらいなー。


声高には叫ばない。けれど静かにものごとは進化する。
そういう静かな努力やら、けなげな進歩に、胸はとても熱くなる。
それはきっと日々の暮らしのなかにある。だから暮らしは愛おしい。

オリンピックで表彰されるのと同じくらい、
日々の暮らしで努力している人はいるように思う。とてもひたむきに。

 

そのとき、なにができるのか

2008年6月11日 (水)

惨劇の交差点 居合わせた医師、必死で救護

東京・秋葉原の無差別殺傷事件現場で、被害者を必死に手当てした医師2人が、緊迫した当時の… /2008年6月11日(水) 朝日iモード

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太平洋戦争中には言論弾圧が行われた。当局の厳しい弾圧(発禁・削除・逮捕)に遭い、多くの文学者が、政府の統制にのせられるかたちで、戦争協力の文学を発表していく。
もしも自分がその場にいたら、
逮捕される危険があっても、きちんと言いたいことを言い続けられるのか、自分にその強さがあるのか。
高校生時分はそんなことばかりぼんやり考えていた。
だって権力や恐怖に負けて、思ってもいないのに戦争賛辞の作品を書き上げて、
そのせいでたくさんの人が死んで、やがて戦争が終わって自分は生きながらえて、
反省の気分をこめて山へこもって「山からの手紙」なんて書くのは、あまりにも見苦しく感じた。
けれども本当に責める権利は、わたしにはないのもわかっていた。
恐怖を味わったことはなく、自らの強さを知るわけでもないから。

いつの時代にあっても、自分にできることを最善のかたちでできればいいと思う。
先日の秋葉原の事件はあまりに陰鬱な事件だ。
けれど凄惨な事件現場で、自分のできることを精一杯やっていた人がいたのかと思うと
それだけでもう、胸が熱くなってしまって、泣けてきた。

べつに、自分のやっている仕事を、事件でいかせというわけではない。
今できる最善のことを、的確に行える、そういう強さを持ち続けたいと思うのだ。
みんながパニックになっているような現場で、わたしはそういうことができるかしら。

 

目には目を、歯には歯を

2008年5月 4日 (日)

白鳥・黒鳥7羽の死骸、男子中学生2人が「棒で殴った」

水戸市の千波(せんば)湖で先月28日… 鳥は首を折られるなどしており、同署が動物愛護法違反の疑いで聞き込み捜査などをしていた。
/2008年5月3日(土) YOMIURI ONLINE 

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萩原朔太郎(『月に吠える』の「蛙の死」)も、ウィリアム・ゴールディング(『蠅の王』)も、成長過程の少年の残忍さを絶妙に語っているけども。
そういうのを読むと、「なるほどな」と、性差をあらためて感じたりするんだが、
この事件はそんなレベルじゃないよな。ぜんぜん。

恐ろしく時代は戻ってしまうけど、ハムラビ法典の言葉はわかりやすい。
「目には目を、歯には歯を」。
やられたらやりかえせ(たまに「目には目と歯を」をやっちゃったりして)。


そういうわけで、若干ぶっとんでしまうけど、
たとえば、やられた人が、やった人に、等しく同じことを仕返しする権利があることにしたらどうだろう。
つまり、チューボーたちは、白鳥と黒鳥に、その短い首をへし折られる(ここで死んだ白鳥、復活)。
7羽いるから、7回ね。ちゃんと棒で殴られちゃってね。

虐待された犬猫は、虐待した人間に同じことをする権利があるとか、そんなの。

桜を手折ったら、やった人は桜に腕をへし折られちゃうとか、そんなの。


ちょっと映画「時計仕掛けのオレンジ」のラストシーンを彷彿とする風景だけど(あれもきつかったねぇ)。


でもなんか
悔しくて悔しくて悔しくて。チクショー。文字通り、畜生。

 

大麻の種

2008年4月13日 (日)

大麻の種:ネット売買が横行 「所持」は禁止できず
/毎日新聞 東京夕刊 2008年4月12日

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七味調味料、鳥の飼料……ストライクでゆうてしもとるやないの。

CO2削減、考えてる?

2008年4月13日 (日)

06年の世界CO2排出、最悪シナリオ上回る   /asahi.com 2008年04月11日00時51分

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人のことはいえない。ごめんなさいと思う。
今週もペットボトル飲んだし、紙コップ使ったし、夜も起きているから人様より消費エネルギー多いし、
なにより大量の紙の消費……。文句なく大量だ、わたし、そしてうちの事務所。
CO2の話になるとめげるな。
だがしかし、めげていてもしょうがないわけで、できることをできる人が少しずつ。
やろっと。
飲料系はまじめにあらためよう。紙のこと、前向きにあたってみよう。方法あるのかな。
でもって、次号の企画で「新生活からエコしましょ」をやってみることにした。
今わたしにできることを考えるとこうなる。

にしても。
日本の5位はかなり痛いけれど(自分も含まれてる。猛反省)
アメリカ、排出量1位って。どおりで京都議定書に反対するわけだ。だめだめじゃん。
個人1人あたり、中国の5倍って、どうよ。

九州はスゴカ!

2008年4月12日 (土)

福岡市が地下鉄に来春導入するICカード乗車券の名称「はやかけん」を11日発表した。/4月12日(土) 朝日iモード
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まず関東圏で「スイカ」が発行された。しかしこのネーミングはなんやねん。
いけてないなぁと、発売当時思ったものだ。
スイスイカードのつもりか? 完全、すべってるやないの(それでペンギンキャラは、確かに面白い)。
そして関西圏で「イコカ」が発行。机をたたいて、これやねん、これこれ。と思った。
やっぱネーミング、最高でしょう。……しかし、キャラクターのカモノハシがいけてない。
その点、スイカペンギンは最高です。隠れファン。CM見ると、毎回うるっとする。
仕事の鞄に、こっそりペンギンバッチをつけているけども、黒い鞄に黒い顔なので、ほとんどだれも気がつかない。
今まで3人くらいが気がついてくれて、それからちょっとヘンな顔をされた。
モデルになったアデリーペンギンは、大阪の海遊館に今度登場するらしい。
その点もなんとなく、関西に負けてる感が否めない(わたしだけか)。

閑話休題。
そして、福岡の市営地下鉄。「はやかけん」だ(地下鉄ですけどね)。これにはやられたと思った。
さらにJR九州。「スゴカ」やて。
これには完敗でしょう。九州の血をを誇りに思う春の午後。
……あ、これ九州弁わからん人には、猫に小判!?

 

ミツバチは人を襲わないんだよッ!

2008年4月 7日 (月)

 6日午前11時ごろ、佐賀市鍋島町の嘉瀬川沿いの土手で、市民参加の「さが桜マラソン」(佐賀新聞社など主催)に出場していた選手が、レース中にミツバチの大群に襲われた…/朝日iモード2008年4月6日(日)

ちょっと、「襲われた」って、失敬な! ミツバチを、スズメバチやクマンバチみたいに!
知らない人が読んだら、いいや、子どもが読んだら、「ミツバチってコワイね」と思うでしょうが。どうしてくれんのよ。

ミツバチはもちろん益虫。
いや、益虫というよりも、「家畜」としてとらえるほうが正しいです。
彼らは、一回人を刺しちゃうと、そこで死んじゃうんだから。
それでも彼ら的に「ヤバイ」と思ったときには、稀に刺しちゃいます。
つまり、そのマレが、今日なんらかの原因で、市民マラソンで起きちゃったということです。
気になったので、このニュースを漁っていたら、近くに巣箱があったという証言もありました。

想像するに、誰かが巣箱を蹴ったかなにか、たいへん驚かせたのではないかと思われます。
さらにミツバチは黒が嫌い(らしい)。
刺された人、黒の服だったんだじゃないのかな。ご愁傷さまです(白はダイジョウブ。ちなみにミツバチの防護服は白です)。

ところでミツバチの最近の動向が、ずっと気になっている。
フロリダの養蜂所で大量のミツバチが「消えた」ことがあったし(たしか去年)、
やっぱり去年、信号機にミツバチが大量発生、というのが2回あった。
……いや、わたしはあれ、巣と間違えてると思うけども。
なにかがある気がしてならない。なんだろう。

マラソンコースの近くに養蜂場があったって。

ミツバチが蜂起するかもしれないけど。「蜂起」って、そういうこと!?

動物園に行きたい!

2008年3月23日 (日)

 大阪市営天王寺動物園の人気者、ホッキョクグマのゴーゴ君の自宅兼遊び場(築70年)を新築する計画が浮上…/朝日iモード2008年3月23日(日)

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大学が大阪にあったから、学生時代にはよく天王寺動物園に行った。
ある日のこと、スーパーでレタスだのりんごだのを仕入れて、
動物園に出かけたことがある。なかなかいいアイデアだと思ったのだが。

まずは、ゾウさん。素直に喜ばれたなぁ。
りんご、お好きですねぇ。200円くらいのりんごがほんの一口にもならないのがショックだけど(人でいうなら、ポテチ1枚分くらい?)。
キリンは。
わたしの手にレタス玉を認めると、キリン舎の端から、グランドを横切って
「我先に」と5頭が突進してきた(彼らの視力のいいことといったら!)。
係員にバレると思って、渡すものだけ投げ渡して、そそくさと退散した。あんなマジキリンは後にも先にも見たことがない。

さて、その天王寺動物園、平成2年から「ZOO21計画」という大がかりな改装を行っている。
は虫類生態館「アイファー」もそうだし、日本で初めて水中のカバを観察できるようにつくられたカバ舎も、この大改装のひとつ。
そして今回記事になったホッキョクグマ、ゴーゴくんの御殿も同様で、生態展示を目指している。

いま日本の動物園は、動物の生態が観察できる「生態展示」がブーム。
きっかけは『ペンギンが空を飛んだ』で有名になった、みなさんもよくご存じの北海道・旭山動物園だ。
去年2007年の7月・8月、旭山動物園の来場者数は、
東京・上野動物園の来場者数を抜き(それぞれ約18万人、約32万人)、
名実ともに日本一の金字塔を打ち立てた。

旭山動物園は、「生態展示」のさらに上をいく、動物を「行動展示」することで徐々に有名になった(行動展示は、ほかにサファリパークなど)。
従来の動物園は「形態展示」といって、「はい、オラウータンはこんな動物です。大きいでしょう、毛がいっぱいでしょう、すごいでしょう」と、見学者に生体を見せるもの。
「生態展示」だと、たとえば森(疑似生態環境)のなかで、オラウータンがどんな暮らしをするのかが観察できるようになるし
さらに「行動展示」になると、動物の特性的行動を見られるようになる。

旭山動物園のように、オラウータンの空中散歩の模様を見学できるというわけだ。
頭上に通った1本のロープの上を、オラウータンが散歩していく。目の当たりにしたら昂奮するだろうな。
……ああ、一度でいいから行ってみたい。

とまあ、こんな感じで、旭山動物園に端を発した「生態展示」ブームは、全国のじり貧の動物園不況の救世主となった。

にしてもだ。

水を差すようだが、
ホッキョクグマは獰猛だよ。白くてふさふさだけど、けっして大人しくないし、
コミカルには見えるけど、じつはさほど鈍くさくもないし、結構狡猾で
ヒトなんてほんとうはひとたまりもなく食べられちゃうのよ。わかってんのかなぁ。

昨年、久しぶりに上野動物園に行ったら、ここもずいぶん生態展示に切り替えていた。
旭山動物園の人気ぶりが、いい刺激になったとお見受けする。

そろそろまたちゃんと行きたいなぁ。動物園。

 

退職と殉職と

2008年3月22日 (土)

定年退職を迎えた山梨県警の警察犬アトムが…。犬目線の記事が素敵だったのよ…

「ランラン、お星様に」がなければ、ニュース好きにならなかったかもしれないな。

/朝日iモード2008年3月22日(土)
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ふと、1979年、上野動物園のランランが死んだときのことを思い出した。
その日の朝刊、朝日は一面の見出しに「ランラン、お星様に」と書いてあった。
朝から悲しかったけど、学校へ行くと、他紙は「上野動物園のパンダ死亡」とか「ランラン死亡」だったと知り
子ども心に「朝日新聞てすごい~」と思ったのだ。
新聞は、各紙違いがあるのだということを納得した一瞬だった。
この記憶があるから、わたしにとって朝日は、いつまでも特別な新聞であり続ける。
たとえ少々「あざとく」ても、さらに若干「常套手段」かもしれなくても、
こんな記事を読んじゃうと、
「アトム、ありがとう。おつかれさま!」と笑顔になるのだ。

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↓で、こちらはアトムみたいに退職することができず、殉職してしまったわんこたち。
ちょうど昨日、慰霊祭が行われていた

「お彼岸に犯罪捜査貢献の警察犬供養」
[2008年3月20日19時55分]/nikkansports.com

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警察犬じゃないけれど。
街頭で出会った災害救助犬にどうにも惹かれて、取材に行ったことがある。
トレーニングを見学させてもらったり、瓦礫の山にわたしが隠れ、わんこたちに探し出してもらったり。
こちらが自発的に瓦礫に隠れるものの、次第に心細くなり、わんこに見つけてもらったときにほんとうにうれしかった。

人のために一所懸命働いて、ときには命を落とす犬たち。
彼らは人間のことが大好きだ。本能そのままならコワイところ、どんなに足場が悪くても
怖じ気づかずに行くものね。
そこに人がいるから。人を助けるために。

いいとか、悪いとか、簡単に言えないよ。
ただ、人のしあわせな暮らしを、彼らの努力が支えることがあるということを、
ずっと覚えていたい。

あらためて、アトム、ありがとう。おつかれさま!
あとはゆるりと楽しく暮らしてください。

「正解はCMのあと」07.11.06

2008年2月26日 (火)

わたしがTVを見始めてから、およそ40年。
40年前から、クライマックス前にCM、クイズの結果はCMのあと、と相場は決まっていた。みんながイライラしていたと思う。そしてようやく40年経って、解消されようとしているCM。
変わらないと思っていたものが変わるという、感動。
時代の進化とともに発見は少なくなっていくのだろうと考えがちだが、こんな日常のなかにも「新発見」があるとは。目から鱗。
時代はこうして動いていくのかしら。