177

2015年2月19日 (木)

子どもの頃、親の目を盗んでしばしば177に電話した。
天気予報をとてもおもしろく感じたからだが
母に知れると「電話代が上がる!」と叱られた。

中学の理科の授業で天気について学んだときはうれしかった。
自分で天気を書き込んでいくのの、なんと楽しいこと!
NHK第2ラジオで夜、全国の天気を読みあげるのを書き取るのも好きだった。
アナウンサーが抑揚のない声で読み上げる各地の天気や気温、風速を
記号でシャカシャカ書きあげていくやつだ。
好きな割にはあまりきれいには仕上げられなかったんだけど、いつも。

ひとり暮らしが始まるとしょっちゅう117に電話した。
仕組みが知りたかった。
週間天気予報にもときどきかけるようになった。
もう少し大人になると、仕事で、職場から電話するようになった。
予報の出ていない先の仕事も、なんとなく予測をつけて対策するようになった。

最近、とてもうれしいのは、スマホでいつも天気が見られること。
一日に何度見ていることやら。
撮影がらみだと晴れて欲しいけれど
ふだんは晴れるとうれしいとか、雨だと残念とか、そんな話でもない。
訪れる天気、変わりゆく天気が、ただただおもしろい。
変わり続けるので心惹かれるのかもしれない。天気は時の流れにも似ている。

現実的には、気温の予測を頭に入れて、翌日の体感をイメージする。
予報通りなら、予報の精緻に感動するし、はずれると理由を想像したりして。
気象庁だけじゃなく、ウェザーニュースという選択肢もできて、差を眺めるのも楽しい。

今の家に引っ越してきてから、氏神さん(高円寺氷川神社)への
月曜日の参拝とおついたち詣りは欠かさない。
境内には、「日本で唯一」と書いてある気象神社がある。
お祀りしているのは八意思金神(やごころおもいかねのみこと)。
天の岩戸開きで活躍なさる知恵の神様で、こちらではお天気の神様でもある。
いつもお参りさせていただくことだし
今年はお札をいただいて家の神棚にもお祀りすることにした。
なんといっても、天気予報が大好きですから。
すーっと未来と過去とがつながった気がした。

今、ここ、内側と外側ふたつの宇宙 

2015年1月18日 (日)

2015年の誕生日で50歳になります。
2014年の後半から、「次は50歳!」と言ったり、思ったりしているうちに
49歳をながしろにしているのではないかと感じるようになりました。

たしかに「50歳」はキリがよくていいんだけど
私は少し浮ついていたかしら。
あと半年もあるんだから、「49歳」を大事にしないとな、と思う今日この頃です。

そこで、弊社で編集のお手伝いをさせていただいた松原照子先生の
『「不思議な世界の方々」から教わった予知能力を高める法』なかにあるひとつを
続けてやるようになりました。
“朝「(氏名)の(年齢)歳○月○日を始めます」と言ってごらん”というものですが
「内山真李の49118日を始めます」と朝、宣言するわけです。
なんとなくグラウンディングができてきた感じ?
浮ついたのが収まって「49歳」が喜んでいるような気がします。

精神世界ではよく“今、ここ”という言葉を使います。“イマココ教”という方もいらっしゃるくらい。
“今”という概念はほんとうに不思議。
“今”なんてあるのか? だいたい時の概念ってなんだ?
“今”って、あるようで、ないのですもの。永遠につかめないしっぽのようで。
歩いていると、100メートル先にも今があって、私の中にも今がある。
後ろにも今がある。と思った瞬間に、さっきの今はもうなくて、違う今になっている。いる?
そういう概念でいいのかしら。

やはりよくいわれる「毎瞬毎瞬」という言葉は、言い得ていていいなと思います。
そして、時はどう流れているのか? 
やっぱり未来から流れてきているのか? やっぱり?
私の細胞のひとつひとつに「今」があって、見上げた空に飛んでいる飛行機の中にも「今」があって、
とかなんとか考えているともうだんだんわけがわからなくなってきて
たいてい、生きていることはなんとおもしろいのだろう、というところで終わります。

だいたい私の細胞のひとつひとつに「今」はあるのでしょうけど、
同時に細胞には過去の生物の記憶が全部詰まってもいるわけで、なかなか壮大な話です。
マクロ過ぎて壮大。

子どもの頃はぼんやりと、「自分の体の中にも外と同じ宇宙がある」と感じていましたが
この年になってますますその思いは強く明晰になってきました。
わたしという膜を境に、内側と外側の相似が美しく成り立っているようにも思います。
内在宇宙と、外在宇宙。
そんななかで
未来も過去も全部、今ここに同時に存在するのではないか、という考え方がいちばん腑に落ちます。

いつかこの時間の観念がつまびらかになり、模型なんかで表現することができたら、どんなに楽しいことでしょう。

陰陽と神仏と

2015年1月 3日 (土)

「神仏習合の時代の初詣ってどんなだったろうか」

ツイッターのタイムラインに、どなたかのそんなつぶやきが流れていって

いいもんだなぁと、神仏習合時代に思いを馳せた。


神様と仏様と。この頃の勝手な解釈をメモしておく。

神は自分の外に広がる宇宙 のようなもの。

対して御仏は自分の内に広がる宇宙のように感じている。

 

しばらく、仏様の前でお経を唱えながら、「はて、いったいどこにいてはんのやろう?」と、

謎に思っていたのが、自分なりに、解釈するようになってから落ち着いた。

ああ、仏様は私の中においでなのだ、きっと。


この観点から、私はなんだと考えると「膜」ということになろうか。

遠くはずれてはいないような気がしてきたぞ、と。

 

となると、陰陽に分けるなら、神々が「陽」で御仏は「陰」か?

そのへん、曖昧なのが許されて、勝手な解釈もなんでもござれで寛大で

日本はいいなぁと思います。

ごきげんさんで

2015年1月 2日 (金)

あけましておめでとうございます。

クリスマス、年末、元旦と、節目節目によって「気」って変わるものだなぁと、
今年はしみじみと感じることができました。二日になると不思議に、元旦の気は薄らいでいきます(当たり前だけど)

見えるものも見えないものも大切に、1年を慈しみながら暮らしたいと思います。見えないものにはとくに注意を傾けて過ごしてみます。
どんなに微細なものなのかを、日々のなかで静かに観察していきたいです。

2015
年の目標は、笑顔でいること。
たしか5年くらい前にも同じ目標を掲げて、その年私は、口角を上げるために
割り箸をくわえて仕事していたような気がします。
それとは少し違って、私が笑っていることで、なにが変わっていくのか、変わらないのかに今は興味があります。
私は宇宙になにを出しているのか、できればいいものを出したいけど、いいものとしていちばん先に思い浮かぶのが笑顔です。
だから。

祈りと祈りのはざまにある毎日を
心して歩ませていただこうと思います。

からだと心とたましいに感謝して、きちんと仕事を片付けながら、
一期一会に思いを馳せて、楽しく。

今年もよろしくお願いします。

お参りで会ったおじいさん

2014年7月30日 (水)
わけあって月曜日朝のお参りに行けなかったので
今日、火曜日の朝に高円寺の氷川神社に参詣した。
お参りが終わって振り向いたら、
少し離れたところにおじいさんが立っていて
私のお参りが済むのを待っていらっしゃるようだった。

拝殿の前の階段を降り、こちらへやってくるおじいさんに
「お先しました」と挨拶をした。
ら、
「神様、いらっしゃった?」と私に向かっておっしゃる。
急に訊かれて驚いたけど、きっとそういうことがわかる方なんだなと思って
「はい、たぶんおいでになるようでしたけど」と応えたら
「暑すぎて避暑にお越しかと思ったよ」とおじいさんがニコッと笑う。

スサノウさんにお参りのあと、
私は境内にある気象神社(八意思兼神・ヤゴコロオオモイカネノミコト)と
お稲荷さんにご挨拶。
のんびり帰ろうと思っていたら大銀杏でカラスの子どもが啼いているのを
おもしろくて見上げていた。
すると向こうからおじいさんがやってきた。満面の笑み。

すれ違うときに、「あなた、どうして鳥居があるか、わかる?」
と尋ねられた。またいきなりなご質問……。
「はい、ここから先は聖域ということでエネルギー的にお札をたてているというか……結界ですよね(もごもご)」
「そうだけど。そうだけどさ、この神様だよ! こちらの神様!」
「え?(きょろきょろ) あー、そうか、八意思兼神だからですね!
天岩戸開きのときに、しめ縄張るようにご指示された方だから!」
「そう、鳥居はこの神様がつくったものなの。天岩戸開きのときに縄張ったりしたでしょ。
それから長啼き鳥を2羽鳴かせたのね。その長啼き鳥を載せる台をつくったわけ。
それが鳥居」
「へえええええ! なるほど。鳥居はそこからですか。長啼き鳥。へえええ!」

おじいさんがにこにこしていらっしゃるし、
おもしろい話を聞かせていただいたし、なんだか朝からお得な気分。
「今日は暑くありそうですから、お水召し上がってお気を付けて」
なんて話をしながらお別れした。

少し不思議だったのは、そのおじいさんが
詩人としてハタチの私を見つけてくれた、当時の編集者の面影に
とても似ていることだった。だもんでちょっぴり神妙な気持ちになりました。

そういえば、ここで以前にも不思議な人に会ったのを思い出した。
昔、「父だ!」と思った人がいたんだよな(父は20年以上前に亡くなっている)。
それでものすごく幸せな気持ちになったんだ。
やはり同じ、八意思兼神にお参りした帰りのことだった。

わたしのスピリチュアル体験・アーカイブ 3 感の強い母のこと

2014年5月 6日 (火)

1はこちら。「担任が霊媒師」

 

  http://zerohachimaru.cocolog-nifty.com/news/2011/07/post-3998.html 

 

母は勘の強い人で、たまに不思議なものを見た話を聞く。

その母が、小倉の家にいるときにずっと具合が悪かった(私11~14才)。
いつも微熱があるとか言って、具合が悪そうにしていたし

軽い手術を2回くらいした。後にも先にもそんなこと初めてだった。
まあ、なんだかよろしくない状態が続いていたのだが、
小倉から舞鶴に引っ越したとたん、ケロッと元気になった。


舞鶴に行ってからしばらく経って、母に聞いた話。
「あの家、なにかあったのよ。マリが怖がるから言わなかったけどね。
とくに北側の部屋はひどかった。5分でも横になったら金縛りだったのよ……」


おいおい、その北側の部屋は、私の部屋だったじゃないか!!
毎晩寝とったっちゅうねん!!! ぞぞぞぞぞ……。


母曰く、「大きな桜の木のせいじゃないか」と
(私は今も、そうは思わない。ほかの理由があったはずだ)。
家に覆い被さるほどの木があると、よろしくないという。
障りは主婦にくるらしいから、きっとそのせいじゃないかと言っていた。


じゃあどうして北の部屋だけ金縛りなのかわからない。
とにもかくにも、引っ越してからは母は人が違ったように元気になった。
ただ、ちょうど母がお年頃で、更年期の不定愁訴だったのかもしれないけれど。


母は相変わらず時折不思議なものを見るようだけど
見たまんま放っておくのが大物の風情!?
「夜中に目が醒めたら、光が見えて、数字が見えた。へんなの」とか、そういう具合。


私ならすぐに数式宝くじを買いに行くけど、そういうことを母はしない。
結局母が見たその数字は、父の亡くなる日を予告していただけだった。


余談ですが、私はいまだに一度も金縛りに遭った試しがありません。
一方的に動けないのはイヤだよなぁ。イヤイヤ。

Kセンに会える!?

2014年4月29日 (火)

3年前のブログで、「スピリチュアル体験アーカイブ」というのをやったんだけど

 http://zerohachimaru.cocolog-nifty.com/news/2011/07/post-3998.html
ここで書かせていただいたお世話になった担任のKセンのことで、
おふたりからコメントをいただいてびっくりしました。
どちらも私の見ず知らずの方です。
Kセンのキーワードで、反応する方がいらっしゃることに(だって40年前だし)。
Kセン、すごい。

昨日そのうちのおひとりから連絡がきて
この5月にKセンにお会いになるとのこと。
ハガキを出してお手当をお願いしてみたら、
「生徒が困っているならすぐにやる」と速攻でお返事がきたそうで。
お手当が現役でいらっしゃることにも驚きました。
Kセン、80才。
仙台で某お寺さんの総代を務めていらっしゃると風の噂に聞いていましたが
さらにコメントをくださった方から、
「宗教活動のかたわらで今もお手当を実践されている」と教えていただきました。

40年の間使い続けて、どんなエネルギーになっているんでしょう。すごすぎる。
私もぜひお目にかかり、あのエネルギーに触れてみたい……。
私のエネルギー体験の原点(ついでに伝授くださーい!)。

校了したら仙台行きを密かに考え始める今日この頃です。
いや、待て。その前に……飛ばしてみるか。

 

 

 

 

十一日会

2014年4月11日 (金)

つなぶちようじさんの「気持ちいいもの」メルマガを
毎日楽しみにしている。
読んでくすりと笑ったり、うふふだったり、ときどき泣いたり、考えたり。
そこで紹介された本を求めたりもする。
ちょうど先月の今ごろの「気持ちいいもの」に
迫登茂子先生の話が登場した。
心惹かれ、すぐ密林で著書を検索し、『神のささやき』を発見。
貪るように読んだ。
一度でいいからお目にかかりたいものだと思っていたら
つなぶちさんを通じて、十一日会に参加させていただく機会を得た。
なんだか夢のよう。
一か月しか経っていないのに、もう十年経ったような気もする。不思議な感覚。

迫先生は神々と通信なさる方で、ご自身が交信されたメッセージを紙などに書き付ける。
お目にかかってみると、鈴を転がすように笑い、とても朗らかな方。
そしてたいへんおだやかな印象。
第一印象が大日如来さんなのだが、おいとまするまでその印象は終始変わらなかった。
今日伺った十一日会で迫先生とお話ししているときに、
急に神おろし(←私が勝手にそう呼ばせていただく)が出てたいへん驚いた。
間近で拝見できるなんてなんという偶然。驚いたと同時に深く感動した。

著書を拝読したときに、いろいろな神々がいく柱かで
代わる代わるおでましになられるような印象だった(あくまで私の印象)。
荒ぶる神というか、素戔嗚尊のような気がするときもあれば、
大元の神様をイメージするようなときもあり、
これらのときはおろされる文章が、読んでいるこちらまで泣きそうになるほどキツイ、厳しい。
逆に、とてもおおらかな女性の神々……木花咲耶姫命か市杵島姫命を想像するときもあった。
いや、息長足姫命か倭姫命かもしれないし、
「みなさん」かもしれない(そういうことは本には書いてない。あくまでも個人的感想)。

今日のおろしていただいたのは、おおらかでやさしいほうの神様で、
強く励ましていただけたのでたいへんありがたかった。
神々のメッセージは、紙にペンで書かれていた。
いただくことができたので……もう、神棚に飾ってずっと大切にしようと思います。



迫先生がメッセージをおろされているとき、ふと幼い頃を思い出した。
同じような景色を40年前にも体験している。
……見えない世界のことを私にいろいろ教えてくれた小学校のときの担任、K先生。
K先生もこんなふうに「ご先祖」と交信して、
そのメッセージを、体を大きく動かしながら畳の上に手で文字を書いたりした。
その延長で霊視して、その家の人しかしらないような細々したことを言い当てた。
「お手当」ができる人で、今思えば、エネルギーワークを初めて目にしたのもK先生だった。
そういう現場に連れて行ってもらって、不思議なものを見せていただいた。

不思議なものとのご縁はあのときから始まっていたんだわ、
そして今もずっとつながっているんだわ、と
あらためて気付いたのだった。
K先生、地元で黄檗宗のお寺の氏子総代をされていると風の噂で聞きました。
お元気かしら。

 

 

地震予知が常識になる

2014年4月 7日 (月)

まだ電話の時代から天気予報が大好きで
「177」にはたいへんお世話になった。
音声が切り替わる(予報が変わる)時間を見計らって、一日何回か電話していたこともあるし
遠くに仕事に行くときは現地のお天気もよく聞いたものだ。

今も天気予報は大好きだけど、使うツールは
「177」からネットに変わった。。
料金不要でいつでもお天気が見られるなんて、楽しい&便利な限りで
一日5回は眺めている。

同じように、地震情報もよくチェックするようになって3年経つ。
はじめは気象庁のサイトを見ていたけど、最近はもっぱらツイッターで見る。
海外分の動きも読めるから、こちらのほうが私には使いやすい。
地球規模の揺れを見ていると、それに太陽フレアのことも考え合わせると
「宇宙の中で呼吸する地球」みたいなものを想像してせつなくなる。

でも地震情報は、「予報」じゃなくて「結果」だし
天気予報のように未来を予測するのではない。
だから「予測」のための地震予測のメルマガなどをいろいろ読むけど
読み続けていて思うのは
やっぱり地震の予知って相当難しいということ。
「収束」とか言われても、発振のタイミングやエリアはやはりおぼつかない。
いつ、どこで、どのくらいの規模で、という三拍子で地震の予測ができたら
本当にすごいことなんだろう。

しかし思えば、天気予報だって一般化したのは近代のこと。
江戸や平安の人は天気予報なんてご存じないわけで
お天気自体が驚異だったこともたくさんったんじゃないかしら……
と、大河ドラマを見ながら思っていた。

となると、近い将来、今の気象情報並みに、地震が予測できる日も来るのかもしれないな。
地震予報自体が、たいへんポピュラーなものになって
「明日の午後15時から1時間の間で、東京では震度3程度の地震が予測されますのでご注意ください」
なんてことが普通に言えるようになったらすごいな。


できることが当たり前になった世界もきっとあるんだ。
みたいなことを考えるとワクワクしちゃうなぁ。

眠るまでの間に聞こえること・見えるもの

2014年1月13日 (月)

明確に意識したのは十代の終わり。
大阪での学生時代、下宿で眠っていると、寝入りばなに私を呼ぶ声が聞こえます。
「まりちゃーん」
かなり遠くからのこともあれば、耳元で言われることもあります。

声はとても親密で、両親だと感じることも多く(このときは九州でふたりとも健在)
祖母のこともあったし、
とにかくなにか大きなものに守られているような気がして
その声が聞こえると私はすっと眠りに入っていけるので
眠りの国からの「お迎え」だと、勝手に思っていました。
不思議だと思ったことすらありませんでした。

お迎えがくるのはしょっちゅうでしたが、年を重ねるにつれ
聞こえてくることが変わってきました。
・私の名前ではない。
・名前ではなく言葉が聞こえる。
・両親の声でもない。
・もはや親密という感じでもないが、悪意ではない。

眠ろうとしているときにそれは突然聞こえてくるので、
眠りの「お迎え」であることに変わりはありません。
でもたまに「気をつけて」「注意しないとおおごとになる」とか、警告めいたことを言われることも。
めちゃめちゃ気になっていると、数日後、該当案件が起こり、
「あ、このことか、注意していけばいいのね」みたいな展開に……。

声の主は女性のことも男性のこともあるし、同じじゃないし
だれが、どんな意図をもって話すのかは不明。
私にコントロールできることでもありません。
ただ、「今日は聞こえないかなぁ」と思いながら眠ることもしばしば。
聞こえないかな……と思っていたら、すでにもう聞こえ始めていたり、いろいろです。

耳元でいきなり大声を出されることもあり、そんなときは飛び起きます。
「もうやめて! 大きな音は苦手っていっているでしょう!」と声にクレームつけたりして。

ネットで検索すると、同様の方は少なからずいらっしゃるみたいです。
お世話になっている方にふとこのことを話してみたら、
その方も似たようなことがあるそうで
「どこかにチューニングがあって、話し声が聞こえて来るみたいな感じ」と表現していらっしゃいました。
なんだか似ています。


大きな音は苦手と書きましたが、げんなりすることが……。
ごくたまに、大爆発が聞こえて、爆発の閃光すら見えることがあるのです。
突然のことだから単純にびっくりするし、心臓ばくばくになるし、これは困ります。
ネットで検索すると、これは症状としてあるそうです。

頭内爆発音症候群
http://rocketnews24.com/2009/09/27/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AF%E5%A4%A7%E4%B8%88%E5%A4%AB%EF%BC%9F-%E3%80%8E%E9%A0%AD%E5%86%85%E7%88%86%E7%99%BA%E9%9F%B3%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4%E3%80%8F%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%83%BB%E3%83%BB/

いや、ストレスありませんから。毎日充分楽しいし。
なんでもストレス呼ばわりして、イタい人にしないでください。


ここ3年くらいでは人の顔も見えるようになってきました。
顔といっても、コンピューターシステムのCFのCGみたいに
ひとつの顔がどんどんいろんな顔に変化していくようなやつ。
なんだろうなーと思いながら眺めています(もちろん目は閉じている)。


以前は、昔は寝入りばなに、「そっちに行ったらだめ!」というのがありました。
悪夢方面のような気がするというか、サイケデリックすぎて恐怖を覚えるというか。
それで「人の顔系」が始まりそうなときは、目を開けて覚醒するなどしていました。
最近はどうでもよくなってそのままサイケデリックなのを見つめていたら
人の顔がどんどん変わって百面相みたいになっていくのがおもしろい……。
コワイコワイと思って避けていたその先に
こういうおもしろいことがあるんだな、と思う今日この頃。
しばらくは楽しんでみようと思います。


眠りがらみで怖かったことをひとつ。
夢の中のこと。

当時住んでいた家のドアがバンと開いて
ドタドタと魑魅魍魎の百鬼夜行が部屋に入ってきて、
そのままドヤドヤと通り過ぎて行きました。

目が醒めてもあまりに怖かったので、すぐ引っ越したということがあります。

いなくてもいるということ

2014年1月12日 (日)

宵の口、ふらりと入った中野の路地にあるタイ料理店。
店には初老の日本人のご主人がおひとりだけ。
客は私たちのほかにはいませんでした。

「座ってください」と通されたテーブルの横の壁に
タイ人らしき女性の写真がたくさん貼られていました。

いろんな年代のタイの女性たちで、どれもすてきな笑顔で笑っています。
ん、待てよ。
たぶん、どの女性も同じ人です。
いちばん上に「HAPPY」と手書きの文字があるポラロイド写真は
60才くらいに見えました。
どの写真もとてもしあわせそうなんだけど
「HAPPY」と書かれたその写真の笑顔だけは、ちょっと力なく見えました。
たぶん、もうご病気だったんじゃないのかな……。

このタイ人の女性はご主人の奥さんで
きっと亡くなっていらっしゃるんだろうなと思いました。


料理はどれもおいしくて、お行儀がよくて親しみのある味でした。
とくに生春巻き。
卵焼きと海老とイカが巻いてあって、はじめての取り合わせでした。
ゴマだれでいただく家庭的な味わいです。とてもおいしい。
奥さんのとっておきレシピが今もこの店で息づいている感じです。
というか、奥さん、ここにいるよね。

お腹もいっぱい、たいへんしあわせな気分になりました。
「どのお料理もおいしいです!」と伝えたら、「それはよかった」とご主人もうれしそう。
連れが席を立ったとき、ご主人に
「この写真の女性が奥様ですか?」と伺ったら
「そう。5年前に亡くなったの」とおっしゃいました。
「大丈夫、ここにちゃんとおいでですよ」と申し上げたら
「うん、9年一緒に店をやっていたからね」とご主人。少しうれしそうに見えました。

「すごくおいしいおすすめの料理があるんだ。手羽先を甘辛く煮たやつなんだけど」
パッタイいただいたあとでしたが、いただきました。
きっと奥さんご自慢の料理ですもの。

すでにお腹いっぱいでも、ぺろっと平らげてしまうほど
おいしい手羽先でした(「山ちゃん」仕込みで、手羽先食べるのはお手のもの♪)。
いただけてラッキーでした。
次いったら、きっと先に頼もう!


奥さんもそれはうれしそうでした。

神々の不思議

2014年1月 4日 (土)

NHKで伊勢と出雲の遷宮の番組を見ていた。
お祀りの様子が映されると胸がたかぶる。
思わずTVの前で正座してしまった。伊勢と出雲のゆかりは深く、謎は多い。

ところで、我が家の神棚は五社造り。
おふだをお祀りするようになって、まだ十年は経たない。
はじめは見よう見まねで、ネットでお祀りの仕方を検索しながらやっていた。

お祀りするお札がいくつもあるときは、重ねてよいと多く書いてあったが
その通りやると、私の場合はどうもよろしくないようだったので、並べてお祀りすることにした。
こういうことは自分の感じる流儀でいいんじゃないかと思って、感じたままでやった。
晴れて神棚を購入し、はじめは教わった通りに扉を閉めていたけれど
これも私の場合はよろしくないようだったので、今、お社の扉はすべて開け放っている。
「よろしくない」というのは、ただそんな気がする、言われているように勝手に感じるだけのこと。
(※感じ方には個人差があります)

新年を迎えるにあたり、お札の多くも新しくお迎えする。
ご縁をいただいてお祀りしているのは、
 天照大神(伊勢神宮)
 高円寺氷川神社大神(氏神様で、素戔嗚尊[すさのおのみこと])
 藤崎八旛大神(産土神様で、応仁天皇[誉田別尊 ほんたわけのみこと]、
           住吉大神、神功皇后[息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)]
 大国主命(出雲大社)
 箱根大神(瓊瓊杵尊[ににぎのみこと] 木花咲耶姫命[このはなさくやひめのみこと] 
        彦火火出見尊[ひこほほでみのみこと])
 九頭龍大神
 天照大神、月読命、素戔嗚尊(神明宮 八方除でお世話になっている)

※九頭龍大神と神明宮のお札は、ご祈祷も兼ねているのでお社から出してお祀り


はじめ、悩んだ。
天照大神と大国主命は?
天照大神と素戔嗚尊は??
素戔嗚尊と九頭龍大神は???

神々はおおらかだとは聞いている。しかし、話が込み入っているし。うーん。
しかし、異議申し立てはどちら様からもなかったようなので、いっしょにお祀りしている次第。

それにしても、同じ天照大神でも
伊勢神宮と神明宮の大神様は、ずいぶんタッチが違う(※感じ方には個人差があります)。
ちなみに、神明宮は、「天照大神の荒魂である」とわざわざ断ってあるところが、なんかスゴイ。
八幡様でも、武蔵野八幡宮と、鷺宮八幡宮と、宇佐神宮と、鳩森八幡宮でも、かなり違う気がする。
(もっとも祭神が一柱のところも二柱のところも三柱のところもある)

総じて考えたときの私の超仮説は
そもそもの土地のエネルギーみたいなものがあって、今の神様の名前を戴いたのが後なんじゃないかな。
とにもかくにもはじめにパワー(エネルギー)ありきなんじゃないか、というところに落ち着く。
あるいは、日々、そして連綿と、お参りする人々の気によるものも大きいのかもしれないけども。

そして、これらの神々と時空の神(?)とは、位相がまた違うようだしな。
まあ、わからないことだらけ、不思議なことだらけだ。
謎が多いほど、おもしろいことも多くなるわけで。
今年ものんびり追いたいと思います。

2014年元日

2014年1月 1日 (水)

あけましておめでとうございます。

元日と新月が重なる、いつにも増して霊験あらたかに感じる1月1日です。
流れる時間は変わらないのに、古来、人々は暦の始まりを大切にしてきました。
暦が変わって、1月1日になるとそれだけで、なんだか少しあらたまった気がします。
人の心持ちが変わるせいでしょうかね。
昨日までと街の気ががらっと変わったように感じます。おもしろいです。

元日の午後遅くから、氏神さんの高円寺氷川神社にお参りに。
一段と賑わっていて、うれしゅうございました。
そのあとで、八方除の九重参りのご祈祷を、元日からやってくださるというので
阿佐ヶ谷の神明宮へ。着いたときには暗くなりはじめていました。

神明宮では、昇殿参拝のあとで御垣内参拝させていただけるのですが
御垣内にはお社が3社。
天照大神(アマテラスオオミカミ)、月読命(ツクヨミノミコト)、素戔嗚尊(スサノオノミコト)の
三貴子がお祀りされています。
かがり火の焚かれた中でさせていただく御垣内参拝が、非常に厳かで身が引き締まりました。

さて恒例の、今年の目標。
今年は、行動、動くことを意識してみようと思います。
思って感じるだけじゃなくて、その先でとる行動に意識を向けてみよう。
……たとえば、感謝を、あらわすことが上手にできるように。

それで、愉快に、楽しく、花を摘みながら、スキップしていこう、今年も。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

高円寺駅

2013年6月21日 (金)

諸般の事情で、2011年の12月に高円寺の街を引っ越しすことになったとき
高円寺駅を歩きながら
「あのさ、私本当に引っ越しちゃうんだけど、いいの?」
と、駅に言ったら、駅は黙っていた。
……そんなもんだよなぁ、まあ。
と思って、火星に引っ越した。

2013年の5月19日に、わが町・高円寺に戻ってきた。
新居は高円寺駅間近で、ホームがよく見える。

「戻ってきたよ。どうもありがとう」と言ったら
駅はちょっと笑ったみたいだった。

引っ越しと方位学

2013年6月20日 (木)

住まいを高円寺に戻して、1か月経った。

引っ越してから1週間ほどで、金魚が落ち着いて
ベランダのオリーブも、部屋の中のウンベラータも、ここのところようやく落ち着いてきたみたい。

小さいものを見ていると、環境が変わることによって
心やからだが揺らぐ様子が伝わってくる。

人はけろっとしているけれど、ほんとうはそんな微細な揺らぎが
たくさんあるんだろうな。
方位学ってもともと、そういうこともあわせて考えられているのかもしれない
なんてぼんやり考えている。

火星路線最後の日

2013年5月15日 (水)

十日ほど前のこと。
取材に行く途中で、賃貸の審査に入った不動産会社から連絡が入ってあたふた受け答えし、Suica定期券を電車に忘れてしまいました。

と、気がついたのは、ロング取材が終わってからのこと。
Suica定期券が拾得されたら電話がかかってくるはずとたかをくくり、待っていたけれど、待てど暮らせど電話がないので、こりゃだめだったかと半分諦めモード。
だけど、あのSuica定期券とパスケースとの縁が切れる気はしなくて、しばらくしてからJRに電話をしてみたところ、
ちゃんと足跡を辿ることができました。

新宿駅に届いていたけれど(そんなに近くにいたのか!)、期限が来て東京駅経由、警視庁遺失物センターにいったとのことで、遺失物センターの問合せ先などを教えてくださいました。

たらい回しは、ちょうど月の双子座ボイドのときだったので、想定内です。
たらい回しでもなんでも、あればいいのです。

で、遺失物センターに問合せると、すぐにみつかりましたので、翌日引き取りに行きました。

窓口で番号を伝えると、ものの10分で現れました。
長く使い込んだ定期券のパスケース。収容所暮らしに、少し疲弊したように見えました。


…使われず、ただの「もの」としてあると、だんだんすさんできます、「もの」って。

10日ぶりだかの再会。
こんなに長い間放っておいて、ただただ申し訳ない。どんなに心細かったことだろうと思います(定期が)。

再び手にすることができて、とてもうれしかったです。

改札に入ろうとしたら、自動改札機にはじかれて入れませんでした。
落としたのときのまま、定期券の時は止まっていたのです。
しみじみと感謝して、駅員さんに使えるようにしてもらいました。


そのとき定期券の日付をあらためて見たら「5月17日まで」。


その日は、引越しで、火星路線に最後に乗る日付だったのです。
静かに驚きました。

偶然といえばただの偶然。
私はこういうの、すごくうれしく思います。
はじめからちゃあんとわかっていたんだねえ、決まっていたんだねえ、と、定期券をスリスリしました。


そんなわけで、その週末にえいっ、やっ!とお引っ越し。
5月20日月曜日からは高円寺路線です。


拾って届けてくださった親切などちら様、どうもありがとうございました。

サ神と桜

2013年3月24日 (日)

日本の暦が最初につくられたのは、飛鳥時代の604年だそうです。
案外新しいです。
日本で稲作がいつから始まったかというと
いまのところ、朝寝鼻貝塚(岡山県)で見つかった栽培種の稲の細胞化石、というのが古そうです。
約6000年前、縄文時代後期にあたるとのこと。

暦もなしに、稲をつくるのはたいへんです。いつ、モミを蒔くのか……。
そう。そこで活躍していたのが桜だと思われます。
ウィキペディアをのぞくと、「ムカシヤマザクラ」(素敵な名前!)の化石が見つかっており
日本では少なくとも数百年前から桜が自生していたと推察されています。

暦のない太古の人々は、
桜の花が咲くのを合図に、苗代をつくり、モミをまきはじめたと思われます。
農耕民族にとって、春の訪れ、モミの蒔き時を伝える桜が、いかに大切なものだったかは
容易に想像がつきます。
命をつくる稲作を支える木に咲く花。
桜に神が宿ると思うのはとても自然なことでしょう。
その桜に宿る「神様」は、私たちがよく知る、記紀以前の神様です。

その昔、「サ神」さんと呼ばれる山の神様がいらっしゃり、
そのサ神さんが宿るくら(くら=座、神座=かむくら、といいますよね)が
「さくら」である、といわれます。
サ神さんは、稲作と深い関わりがあるようで、
稲作の大切なことばに、「さ」がつく言葉が多く残っています。
皐月(さつき)はサ神さんに田んぼに降りていただく月。
早乙女(さおとめ)が早苗(さなえ)を植え、田植えに励むのです。
サ神さん信仰の片鱗を垣間見るような気がしませんか。


今日の桜は、サ神さんを思いながら眺めました。
太古の人々も私たちと同じように、桜を特別な思いで眺めていたのかもしれませんね。

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サ神様の話は、西岡秀雄著『なぜ、日本人は桜の下で酒を飲みたくなるのか?』 に詳しいです。
木花咲耶姫命(このはなさくやひめ)は、山の神様の大本締め、大山祇神(おおやまづみのかみ)の娘なんですよね。

木花咲耶姫命 コノハナサクヤヒメノミコト

2013年3月22日 (金)

桜といって思い浮かぶ神様を、「サ神」「サの神様」とおっしゃったあなたはスゴすぎます。
サ神の話はまた今度にして、
今日はコノハナサクヤヒメノミコトのお話を。

木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)は浅間大神(あさまのおおかみ)として全国各地の浅間大社にお祀りされていますが、
なかでも富士山本宮浅間大社(せんげんたいしゃ)は有名です。
こちらの奥宮は富士山の山頂付近にあります。じつは富士山八合目以上は、奥宮境内地なんですね。

「木花咲耶姫命」の字面どおり、木の花と書くし、桜と重ねて語られることが多いですが
もともとは、梅の花とも辛夷の花とも木蓮とも桜の花とも……つまり、
春に咲く木の花全般をあらわしていたのが、
徐々に桜の神様として統合されたようです。

奈良時代は桜より梅が人気だったのが、吉野桜が知られるにつれ、
平安時代から徐々に桜の人気がアップしていきます(万葉集、古今集、新古今集と、梅と桜の歌の数を比べると、徐々に桜の歌のほうが増えていきます)。
西行さんが桜の歌を詠みまくったのも、桜人気に一役買ったのかもしれません。

こうして、木花咲耶姫命はすっかり桜と重ねられるようになります。
実際は、木花咲耶姫命は水の神様。
だから日本一の霊峰・富士の噴火を鎮めるためにお祀りしたのかもしれません。
木花咲耶姫命は、酒造の神として知られる山の神、大山祇神(おおやまづみのかみ)の娘で(お姉ちゃんは石長姫(いわながひめ)。石長姫も大好きですが、長くなるのでまた今度)、
天孫降臨、瓊々杵尊(ににぎのみこと)の奥さんです。
「おまえ、あの一回で子供できたんか、浮気ちゃうんかーっ!!」
とニニギに浮気嫌疑をかけられたとき、
「神の血を引く子供なら火の中でも産めましょうぞ」と、
産屋の周りに火を放って火中出産する木花咲耶姫命。……かっこいい。
ただの美女さんではありません。だからこそ、富士山を守れるのかもしれませんけど。


民俗学的な裏付けはさておき、
桜の季節にわたしの抱くイメージは
富士山の頂きから花咲か爺さんさながらに、ぶわっと魔法をふりまきながら、
「日の本の民、春ぞ、目覚めよ、花よさけ、種を蒔け!」
と、桜を咲かせる木花咲耶姫命のお姿。
いのちの営みの時を告げる女神のお姿に、とてもしあわせなきもちになるのです。

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奇遇にも、本日、白尹風あまね先生の瞑想会にお邪魔したときに
いただいたお水が、木花咲耶姫命が名前につけられていましたよ。
右はいただいたパワーストーン、「ホークアイ」ですって。

桜の精の濡れ衣

2013年3月19日 (火)

母は少しカンの強い人で、私が幼いときから
やれ「あのとき火の玉が…」「虫の知らせが…」なんて話を普通にする人だ。

その母が、昨日書いた桜の木の家に住んでいるとき、ずっと具合が悪かった。
三年間で二回手術をした。
もとより更年期だったこともあると思う。
あるときニコニコして手招きするので「なあに?」ときいたら、
「マリは弟か妹、欲しくなあい?」と訊かれた。……おかあさん、残念!

その家に暮らしている間、じつは母の具合がずっと悪かったのだが、
次の家の舞鶴(京都府)に引っ越したらケロッと治った。

「おかあさん、すっかり元気になってよかったね」と言ったら、
「実はね、マリが恐がるから話せなかったことがある」と、母。

「あの家はなんだか少し、変だったよ。
とくにマリの部屋。
お母さんはあそこに昼寝で五分横たわっただけでも、金縛りにあってたの。
百発百中だよ。恐ろしかった」
…どうりであまり来なかったよな。私が部屋を変えたら来たくせに。

少し背筋が寒くなった。
ちなみに、私はそこで毎晩寝ていたにも関わらず、金縛りなんてあったためしがない。
家になにかあるときは、長い時間家にいる主婦に障りがいくというけれど…。
「大きな木が覆い被さっているのは家相もよくないと言うし、木の精が怒ってたのかな」なんてことも言っていた。

もちろん断じてそれはない。濡れ衣もいいところ。
木が家を重いと感じていたなら、もっと木に近い部屋で何かが起ころうもんだし。
桜はいつだって私に親切だったし。
もっと別の理由があったはずだ(練兵場の跡地らしかったし)。
確かに多少陰気な感じのする家ではあった。

まあ、以来おかげさまで母はとても元気で、
八十才にして西に東に「人様のお役に立てるなら」と言いながら駆け回っている。

私はいまだに金縛りにあったためしがない。
おそらく、これからもね。
「もう! びっくりさせないで!!」と、怒鳴ることはある。

桜の精

2013年3月18日 (月)

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小学校5年生のときに引っ越していった小倉の家に、
とても大きな桜の木がありました。
思えば私の桜が好きなのは、
あの木への特別な気持ちから始まったのかもしれません。

家に覆い被さるくらい繁っていたソメイヨシノ。
枝からブランコをさげることができたくらいだから、
当時で樹齢40年くらいあったのだと思います。
その木が大好きでした。

おねだりしてブランコをつけてもらったものの、
実際にはほとんど使いませんでした。木が気の毒で。

夏になるとものすごい蝉時雨で
夕方になると地中からようやく抜け出して、幼虫から成虫になるセミがいくつもおりました。

声はすれどもセミを探せない私に、
「ほら」「ほら」「あそこにも」と、父が指差すほうをみると
いとも簡単にセミが見つかるのには、子ども心におどろきでした。

六年生の夏休みが終わる8月31日の晩、
もう二度とこんなにすてきな夏は来ないことが悲しくて
布団のなかでギャン泣き、もとい、さめざめと泣きました。

夏のひとときのキラキラが、それはやさしく美しく、
その輝きから抜け出して他人のように秋を歩きだすのが、たまらなく悲しかった。
そして自分は大きくなっていく。
この夏には二度と会えないことがせつなくてせつなくて。


翌朝、目をはらして始業式に行きました。
学校の友達との楽しい日々に、せつなさはちぎれ飛んでいきました。


そんな女の子を、桜はどんな思いで見守ってくれていたのかしらと思います。

あのとき、木の精がいるのを静かに感じていました。


大きくなって、かつて住んでいたその家を見に行ったら、
伐られてしまって、桜はもうそこにはいませんでした。

でも、きっとずっと覚えてるな。
せつなかったこと。
桜の精と暮らした日々の輝き。

 

 

桜のゆめ

2013年3月17日 (日)

今年もまた桜の季節がやってきます。
先週いそいそと、一筆箋を桜バージョンに衣替えしました。

咲いている間、できれば毎日でも花を見たいと思います。
今年はどれくらい見られるかしら。
年に一度、桜の季節がきます。
110才くらいまで生きるとして、さくさく動いて桜を見る機動力が持てるのは
あと50回くらいなんじゃないかしら。
と思うと、今年会える桜のことを、いろいろ考えます。
さまざま出かけるのもいいし、でも身近な桜とたくさん話すのもいいし。

ずっと思い描いている夢があります。
ひとつは、吉野桜を一か月間眺め続けること。できれば「桜花壇」がいいんだけど。
ずっとお山にこもってね。金峯山寺(きんぷせんじ)の蔵王堂に毎日お参りするんです。
金峯山寺は、わたくしのヒーロー、役行者が開いたお寺です。
蔵王権現を感得した役行者が、桜の木に蔵王権現を桜の木に刻んだことから、
桜がご神木とされてます。
 *吉野は奈良県にあります。
   吉野から熊野の山々が、古くからある日本の山岳信仰の聖地のひとつ。
   熊野の那智の瀧を見下ろす青岸渡寺も、役行者開基のお寺。
   役行者は修験道の開祖です。

吉野の桜は、山桜。日本にむかしむかしからある桜です。
花は桜、桜は吉野の山桜。

今、さまざまな場所にたくさんある染井吉野は、
江戸の染井の植木屋さんが、吉野桜をイメージして品種改良してつくったといわれます。
宝くじの売り上げで、いろいろなところに植えられるのが染井吉野です。
染井吉野の寿命は60年ほどといわれますが(これも状況が変わってきている模様。弘前公園の例もあるし)、
山桜は千年生きるものもあります。それでいて、環境の悪化にはとてもデリケートです。
山桜は花といっしょに、赤みをおびた葉も出るところが特徴的です。
独特なやさしいたたずまいをいています。


そうそう、2つめの夢は、桜前線にあわせて、日本中を旅することです。
沖縄の寒緋桜から、弘前公園の染井吉野まで、各地の桜をずっと旅したい。
桜のことだけ感じながら、考えながら、ずーっと。


いつかできるような気がしますよ。
そのために生まれてきたような気もするな。

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食の好みと前世と

2013年3月16日 (土)

人の性格は、育ってきた環境によるものが大きいというのが定説ですが
もって生まれたものもあるといいます。
わかるような気がします。
たとえば食べ物の好みにしてもそう。生まれもっての「好き」があります。

私は玉子が大好きだし、海苔とチーズも好きでたまりません。
どうして好きかというと、もちろんおいしいからですが
なぜそれをおいしいと思うのかについては、よくわかりません。
食べてこんなにしあわせな気持ちになる理由がわからないし、飽きないのも不思議です。

育てられた環境というよりむしろ、
はじめに食べたときから、おそらくは先天的にすでに好きなわけです。
大げさにいうと、食べるとからだ全体が喜ぶ感じがすることがあります。
好きの向こうのこの感覚がどこからくるかのか、よくわかりません。

そうだ、海苔食べながら瞑想したら、前世まで遡れるんじゃないか。
なんてったって、海苔はヤマトタケルの時代から
チーズは「蘇」として奈良時代から、あるそうですからね。
そんな記憶と自分の好みがリンクしていると考えると、ちょっとロマンチックです。

 

 

エネルギーでダイエット 2

2013年3月13日 (水)

体重が10キロ落ちたといっても、べつに食事制限をしたこともなければ
頑張って運動した覚えもありません。
なんとなくの流れで、そうなっちゃったという感じです。
そんな流れをまとめてみます。

2012年9月の終わりに、大野百合子先生の退行催眠に伺いましたが
「ポテトチップスの過食はおさまらないか」、相談してみました。
これとて相談はあとづけで、
むしろ先生に別件でご報告したいことがあったから伺ったもの。
しかし、セッションの末、ポテチ依存は徐々におさまっていきました。
かつて、私は仕事がハードになればなるほど、
ポテチとスニッカーズと牛乳を欲しがるのが常でした。
ポテチなんて、ひどいときは一日に2袋(^_^;)
 改善のきっかけとなった、退行催眠の模様はこちら。
 http://zerohachimaru.cocolog-nifty.com/news/2012/09/post-368c.html


10月に伊勢神宮の神嘗祭(かんなめさい)を奉拝させていただき、
食に対する心持ちが変わってくるのを感じます。
神嘗祭は外宮、豊受大神のおまつりですものね。
 神嘗祭の模様はこちら。
 http://zerohachimaru.cocolog-nifty.com/news/2012/10/post-01fb.html


このあたりから、徐々に「引き」がよくなってきました。
事務所にヤクルトさんが来てくれるようになったり、
炭酸水が好きで飲んでいたら、ある日ゲロルシュタイザーにハマって
劇的にお通じがよくなったり、
栄養補給に取り寄せた酵素液で快腸になったり
そのまま酵素大好き人間に変身したり(腸のアプローチ多いですね)。
……セレンディピティの賜物だと思います。ブラボー!


「1」で、体重減はS先生( り楽ミント http://www.rerakumint.com/ )の
TDEでの設定がベースと書きました。
TDEのサプリメントも飲んでいました。
取材時の情報で興味をもった「ボディエナジー1 脳系」は
頭がはたらいて、仕事率アップを期待して飲みました。
ところが、脳の暴走が止まり、脳とからだが仲良くなるような感じがありました。
ここにきてようやく、からだの声がきこえるようになったのです。
生まれてはじめて、胃をからっぽにすることでからだが休まることを実感できるようになりました。
これは大きかった!
からだがどんどん元気になってきて、自然と空腹でいることの心地よさを感じられるようになりました。


じつは、幼児期のトラウマで、空腹がたいへんこわかったのです。
解消したきっかけは、去年の今頃のバリ島でニュピの瞑想体験をしたことです。
30時間近く瞑想するので、その間は飲まず食わず眠らずで過ごします。
その瞑想の前にウブドゥの王様に教えていただいたのが、
「体に5つの必要なエネルギー(光・風・水・土・音のエネルギー)さえ入れておけば、
瞑想の間、食べなくても飲まなくても大丈夫」ということでした。
これで食べない恐怖を払拭できたのです。
 当時の模様はこちら。
 http://zerohachimaru.cocolog-nifty.com/news/2012/03/post-550c.html


そんな流れで、内臓の負担を減らそうと心がけるようになります。
できるだけ、20時、できれば19時までには夕食を終えちゃう。
夜中に小腹が減ったときは、ヤクルトかジョワをいただきました(大満足)。

11月には山下紘矢・亜希子ご夫妻に取材させていただいた折りに
紘矢先生が実践されているカンタン体操に刺激を受け、
マネをしはじめました。とにかくカンタン。今も続けています。
「動かすのが大事。形を守らなきゃとか、難しことを考えなくても大丈夫」
とおっしゃる先生方の言葉にどんなに救われたか。
なんといっても、テキトーでOKだから気楽なこと!
体がどんどんラクになるのを感じることができました。

ウエストがどんどんサイズダウンするので不思議でしたが
別に飲んでいたサプリを思い出しました。
「効かない~!」と思っていた、やはりTDEのサプリ「ウエスト」。
夏に発売されたとき試して、「ダメ、効かない _| ̄|○」 と思っていたのに
もったいないからときどき飲んでいたら、
結局これのせいで下半身を中心にサイズダウンしたのだと、最近思いいたりました。
気がつけばスカートは2サイズほどサイズダウン。
「効かない」なんて言ってごめんね。静かにはたらいてくれてたんだね……。


結局、体の「気持ちいい」をちゃんと感じられるようになったら、体重が落ちてきたわけです。
いろいろな偶然がさまざま重なりましたが
「60キロの胃袋!」というS先生のエネルギー設定のおかげだと思うのです。
10キロ減から1か月。まだリバウンドの気配はありません(*^_^*)
一昨年の夏、座れなくなっていたほどの腰痛も影をひそめ、
おかげさまでとても快調に飛ばしています。元気いちばん。

エネルギーでダイエット 1

2013年3月12日 (火)

仲よしのKちゃんとご飯に行って「あんなぁ、7月から10キロ痩せてん」と言っても
「どこが痩せたん?」と言われます。
これがちょっとうれしい。
今までは、体重が落ちるといえば、まず顔にきて、2キロ痩せても頬がげっそり。
不思議に今回はそれがほとんどありません。

きっかけは6月のパーフェクトハーモニーの取材。
TDEのスーパー調整師・Sさんを取材させていただきました
(パーフェクトハーモニーは私も会員。暇があればエネルギー研鑽しています)。
たくさんお話いただいた取材の終わりに、Sさんが特別大サービスで、
エネルギー(TDE)での体重設定を私にしてくださったのです。
「何キロに設定します?」とSさん。
「ええと、今より3キロ減でお願いします。今69キロありますから66キロ」
30年間くらいずっとマックス63キロでしたが、この周辺で大幅増加して大台が目前でした。
あくまで現実的に、実現可能な体重を考えて、控えめな設定を希望する私に、
Sさんが鋭く「身長は?」
「167㎝です」
「じゃあ、60キロに設定しましょう。エネルギーですから2~3キロの誤差はありますよ」
と、笑顔で設定されました。ものの2~3分のやりとりでした。

なんでも、エネルギーで、体重60キロの胃袋に設定するらしいです(ちがったらすみません)。
「設定」といっても、痛くも痒くもありません。無感でした。
でも正直、「それはムリ。絶対ムリ」と、思いました。
だって四十代も後半になると、3キロが減りません。
お年頃で代謝も下がったことだし、中年太り♪と、すっかりあきらめていたのですから。
Sさんはひと言、「お腹いっぱいになったときは、それ以上食べないでくださいね」とおっしゃいました。

ところが1週間後には何年かぶりの九州への帰省の予定が入っておりました。
帰省すると食べキャラに徹し、年とった母を喜ばせなければいけません。
私には、たとえ満腹でもシフトチェンジするといくらでも食べられる特技があります。
まあ、そのせいで若いときから食べキャラ……。
実家で、「S先生ごめんなさい!!」と思いながら、いったん食べまくりました。
もしかすると、これがなければもっと早くに達成できたのかもしれません(先生ごめんなさい)。
7月の上旬にはマックス体重を更新しておりました_| ̄|○

しかし、おかげでいろいろな寄り道をしながら、ダイエットの苦労とは無縁で
さまざまな経験を経て、目標値を達成したのでした。
10キロ減。
1か月経ったけど、リバウンドしないしな。

体が変わった。考え方が変わった。
ちょっと面白かったので、そのことを順に書いてみようと思います。
エネルギーでダイエットの軌跡です(つづく)。

 

 

眠る前に聞こえる声

2013年3月10日 (日)

眠るときに、「声」が聞こえる方、いらっしゃいますか?

私が眠る直前に、人の声が聞こえはじめたのは、ひとり暮らしの二十歳の頃か。
遠くで私を呼ぶ声がする。声の主は、故郷で暮らす母であり、父であり(当時は存命)、
「まりー」とか「まりちゃーん」とか、呼ばれるのだ。
とても親密な感じで、その声が聞こえると私は深く眠れるので
自分の中では「(夢への)お迎え」と思っていた。

それがいつの頃からか、知らない人の声になっちゃった。
最近はみずしらずの方ばかり。親密かどうかはよくわからないけど、悪い感じはまったくない。
男性、女性、いろいろだ。
毎晩続くこともあれば、1週間もご無沙汰なこともある。
突然耳元で大きく聞こえて、こちらが驚いて「わっ!」と驚くこともある。

最近は「気をつけて」と言われるのが二度続いた(気をつけていたら助かったことは実際にあった)。
少し前に「気をつけないと事故になる」と聞こえたときには、声も深刻だったので、ずいぶん気をつけた(ので、大事にならなかったと信じてる)。
つい先日は、言葉ではなく、とてもきれいな音だけ聞こえてきた。
「七福神かどなたか、いたはります?」という感じ。
声を探しているうちに、深い眠りにおちていくのは変わらない。
毎晩、今日はくるかなと楽しみにしている。

厳密にいうと、さわさわさわさわと、たくさん聞こえる場所があって
私自身がそれにアクセスできるかどうか(するのかどうか)に近いかもしれない。
実際には、声の場が先にあって、入眠時に私はそこにたどりつくことができる。
そこから自分がなにをすくいとるかどうかという、こちらの問題のような……。
さらに今週気がついたのは、「ああ、耳じゃないんだ」ということだった。
どうやら頭の中にダイレクトに響いてくるらしい。
多かれ少なかれ、聞こえてくるのは、自分に関係のあることなんじゃなかろうか(希望的予測)。


なんだろう、集合無意識とアクセスできているなら、
これほどうれしいことはないんですけど!

 

 

もののたましい

2013年1月 5日 (土)

ものにはすべてたましいがある、これは幼い頃の私の知る世界の根本だった。
比喩ではなくて、ごくふつうに。母がそんなふうに育てた。

花や木や石や草、犬、猫、鳥をはじめ、テーブルも茶碗もお箸も、もちろん大事な人形たちも、
自分のまわりにあるものたちが、私とふれあいながら喜んでくれているのをよく理解していた。
3才くらいの頃は、好んで母に「今、このお膳はなんて言ってるの?」と尋ねまくっていた。
もちろん答えはわかっている。
でも母を通して、母の口から事実確認したかったのだ(←なんか第三者的だし、声色を変えて母が代弁してくれるのも好きだった)。
「まりちゃんにかわいがってもらって、うれしいって言ってるよ」と聞くのがどんなにうれしかったか。
そんなわけで、あらゆるものが私を歓迎してくれる……そんな素晴らしく平和な、満ち足りた世界に住んでいた。
こちらが愛を注げば、たしかに愛で満たされるのだ。
人形がとても好きだったが、人が眠った夜中には、人形たちだけで遊んだり、人のうわさ話をすることもちゃんと知っていた。

ボールにだってもちろんたましいがある。
あるとき、私のゴムマリを、八つ年の離れた兄が友だちと遊ぶのに持って行ってしまったことがあった。
帰ってきたとき、無惨にパンクし凹んでいるゴムマリを見て、愕然とした。
しくしく泣きだした私は、ゴムマリがケガをしたと思って、あろうことか座布団とタオルでゴムマリ用の布団をあつらえてマリを寝かせ
布団をかけて「頭」を冷やしてあげた。自分が病気になったときにそうしてもらうように。
……ゴムマリの「頭」って、どこよ(それを見た兄の気分を今想像すると申し訳なさでいっぱい。にいちゃん、ごめんよ)。


幼稚園に上がる頃、どうやら友だちたちは、この世界が理解できないことを肌で感じるようになる。
物への対応が自分とはまったく違って、みんなただ「物」としか扱わない。
ぞんざいに扱われる友だちの人形のことを「可哀想だ!」と抗議したときに、「バカじゃないの?」と言われたのはその頃だ。
もしかしてみんなわからないのか!? わかるのはわたしだけなの!? と衝撃を受けた。
以来そういう話題には他人には話さない、母と話すとき以外は一切口にしないようにした。

もちろん大人になっても口をつぐんだまま。
ただ、乱暴に扱われる物を見るのは切なくて……
「フランダースの犬」の物語のはじめに、おじさんに虐待されているパトラッシュを見ているネロの気持ちになる。
聞こえないのかな? わからないのかな? と思う。いや、おかしいのはこちらか?
食器を洗うとき、置くとき、片付けるとき、自動改札機、トイレ、パソコン、ファックス、コピー……。

事務所でも、コピー機に紙が詰まっているのを、
コピー機の悪口を言ったりバンバン叩いているのを見ると、胸が痛くなる。
本人(←コピー)に人の言葉が聞こえないと思っているのか?
「コピーちゃんのせいじゃないよ!」と、まあ、チキンなので言いませんけど、ホントはそんな気持ち。
気持ちは、人よりもコピーちゃんの味方になっている(だって話せないもの!)。
あまりに見かねるとそばにいって、人目に触れないようにコピー機を撫で撫でする。
「キミは悪くないよ。ただ人がイライラするだけなの。だから、なにがまちがってるか教えて」となだめていると、
小さな付箋がコピー機の端っこに詰まっているのをふと発見できたりする。
「ありがとう。きつかったね。もう大丈夫。いつものように活躍してね」
こちらがチューニングを合わせると、気持ちが通うとき(周波数?)ってあるのだ。


気のせいといえば「完全に気のせい」と、言えないことはないかもしれない。
ところが、去年(2012年)エネルギーの世界のことを取材させていただいた折、ものすごくうれしかったことがある。
エネルギー遣いのその方は、パソコンのメンテナンスの方で
具合の悪いパソコの修理に行くと、まずパソコンに謝るところから始めることが多いとおっしゃる。
(謝る=たぶん、口に出すことなく、「ごめんね」の気持ちを送るということ)
「持ち主の罵詈雑言をしこたま浴びて、マイナスエネルギーいっぱいになってしまっているものがことのほか多い」そうで。
ものすごくよくわかる! よかったー、私が変人なわけじゃないよ! と、はじめて話がわかる人がいて、小さくガッツポーズをした。
人から浮くのが恐くて、私が封印していたことだった。

また別のエネルギー遣いの方は、無機物にもエネルギーが入る。物質の膜のその下……みたいなことをおっしゃっていた。
難しいことはわからないし、わたし自身はエネルギーを可視化できるわけでもない(そうなりたいとは強く思うので森田健さんのFBを拝見してキャベツを食べて修行中)。
ただ、自分の感性を妄想ではなかったと感じることができて、とてもうれしかった。はじめてだった。

日々、使う器ともしょっちゅう話をするし、使うと喜んでくれるし、
お茶と話をするとおいしくなってくれるし、
そうそう、家とも気持ちを通わせ合っているつもりになっている。
今の家に引っ越してきたとき、この家の弱点は階段だと感じたので、毎朝必ず階段と廊下、ついでに2つあるWCと玄関を掃除する。
へんな言い方だけど、「背中の痒いところ」を掻いてあげる感じに似ているのだ。

というのも、この家を借りようと下見にきたとき、素敵な場所だったので家に話しかけたのだ。
「ここに住まわしてくれるなら、きっとあなたをとても幸せにするよ、わたしたち」。
で、無事住まわしてもらえることになったので、家とのその約束を毎日守っている。
痒いところをかいてあげることと(=好きという気持ちを寄せること)、住まわせてもらう私たちが笑顔でいることが、家にとってのしあわせでもある。
すると、家にとっての本領発揮ができるわけ。

どうということはなく、気持ちを寄せればすぐにわかる。
「話ができる」というよりも、周波数を合わせて、同調する、共感するというのに、近いと思う。
気のせいといわれればそれまでだし、本当はだれだってできることだ。

だから、「水の波動が……」という話を聞いたときに、「えっ? マジで???」と、水に気持ちを寄せてみると
「やっと気づいたよ! 待ってたよ!!」的に水が大喜びしてくれたのが手に取るようにわかった。
世界を見回したとき、気持ちを寄せるとそれらはすべて親密に振る舞ってくれるので
さいわいなことに「宇宙に歓迎される」とか「世界に歓迎される」感じがふつうによくわかる。
感じることに集中したら、だれでもきっとよくわかるよ。考えることではない。
いろいろなもののいのちが私たちを支えてくれている。気づけば世界の豊かな色合いが見えると思う。
交歓できるってすてきだし、ものすごくたのしい。

ためしにノートパソコンに「私を好き?」と聞くとケレン味なく「すごく好き!」と言ってくれる。
「ありがとう」と言ってなでなでする。そんな感じ。

 

 

お風呂で「ありがとう」

2012年12月27日 (木)

以前、日テレの情報番組の収録を我が家で行ったことがあります。
45℃と39℃で、どちらがからだの芯まであたたまるかという実験でしたが、
汗をかかないのに39℃のほうがだんぜんあたたまっていました。不思議です。

人には恒常性がありますから、高温に触れると体内の温度をあげまいとして体表を冷やすべく汗をかきます(体内に熱がいかない)。
ぬるめのお湯だと、汗をかかないので体表の体温を下げずに、体の内部、芯まであたためることができるそうです。

お風呂で本を読んでいると、時の経つのはあっという間ですが、お気に入りの入浴剤は欠かせません。
冬だし、あたたまる入浴剤はもうぜったい!
私が入浴剤で使うのはこういったものです。

「カミツレン(華密恋)」。
国産の無農薬カミツレ100%でおすすめです。もともとカミツレ好きなのでたまりません。
https://amzn.to/2GTc1Eh

もうひとつ、知人に教えていただいてはまっているのが「薬王の薬湯」。
こちらは国産の自然生薬のみを10種類配合しています。
ものすごく生薬くさいので、生薬好きにはたまりません(嫌いな人は使えません)。
半端なくあたたまります。
https://product.rakuten.co.jp/product/-/7d30126cfe561757813cc60e9b4b0a88/?scid=s_kwa_pla_dai


これらを使わない日は、入浴用のEMセラミックに備長炭を入れて入浴します(備長炭は、一酸化炭素中毒になるほどうちにあります(*^_^*))。
もちろんEMセラミックだけでもOK。
お湯がやわらかくなって、からだがあたたまるような気がします。何度でも使えるのがいいです(いつまで使えるんだろう、これ)。

EMセラミック「イ~湯KAGEN」
ちなみに我が家では「ふーろちゃん」と呼んで可愛がっています。
http://www.emj.co.jp/fs/emjapan/gd655


それから究極の「お風呂の秘密」を少々。
浴槽であたたまるとき、たまっているお湯に対して「ありがとう」と言ってみる。
「大好き」でもいいと思います。
水がここに来てくれたこと、体全部に触れてくれることにめちゃめちゃ感謝を寄せてみます。
不思議ですが、エネルギー感覚のある方なら、水が喜ぶのがわかるかもしれません。
私は痛いところがあるときには「ちょっと腰が痛いから、悪いけどちょっと治してくれる?」とお湯にお願いしています。
少々の痛みなら、お風呂上がりにケロッとしちゃいます。
おそらくエネルギーと水って親和性が高いと思うんだけど、どうなんだろう。


 

 

 

 

 

 

倭姫命(やまとひめのみこと)2

2012年11月 2日 (金)

翌日、朝5時の開門を待って、内宮へ。
まだ真っ暗な中、境内を歩いて、お参りしながら夜明けというスペシャルな体験をさせていただきました。
ここでも思わぬ不思議なことはあったのですが、これはまたの機会に。

さて、伊勢からの帰路の途中、念願の熱田神宮へ伺うことができました。
三種の神器のひとつ、草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)が祀られていると伝わる神社です。
お祀りされている熱田大神は、その草薙神剣 を御霊代(みたましろ)とする天照大神(あまてらすおおみかみ・内宮に祀られている神様)のこと。

草薙神剣といえば、ヒーロー日本武尊(やまとたけるのみこと)ですが、私の知識はそれ止まりでした。
実際にお参りに行って、わかったこと。
日本武尊の東征の際、草薙神剣を渡したのは、倭姫(倭姫宮の神様)だったのです。
「えー!! あの伯母さんヤマトヒメが、この倭姫!?」と、すみません、ホント、現地で知りました。
倭姫命は、巡幸をされ、導く神様だけでなく
実際に力(草薙神剣)を与える神様でもあったわけです。たいへん驚いた次第。
どおりで、前日、倭姫宮に導かれるように伺うことになったわけです。
倭姫宮にも熱田神宮にもお参りできた偶然に、感謝せずにはおれませんでした。
おかげさまで、エネルギー充填120%にしていただいて、帰って参りました。


【余談ですが、ついでなので超簡単な歴史のおべんきょう 倭姫のこと】
伊勢神宮が今の場所に定まる以前は、天皇がお住まいの御所に天照大神をお祀りしていたそうです。
ウィキペディアの「元伊勢」を見ると、
第十代崇神(すじん)天皇の時代までは、天照大神と天皇は“共床共殿”だったそうで
その状態を畏怖した崇神天皇が、皇女の豊鋤入姫(とよすきいりひめ)に神霊をゆだね、笠縫邑(かさぬひのむら・大和の国)という場所、
つまり御所の外でお祀りすることにします。
実際には、天皇がなぜ外にお出しになったのか、どうして急に畏怖されたのか、わかりません。謎のひとつ。だって「崇神」というお名前からして充分スゴイ……。

次の十一代垂仁(すいにん)天皇の時代、祭祀も皇女の倭姫に代がわり。
豊鋤入姫を継いで、倭姫は、天照大神の御杖代(みつえしろ)として、鎮座地を求める旅に出ます(ちなみに私の祖母はみつえという名です。あ、道それましたね)。
このとき倭姫は垂仁天皇から、三種の神器……八咫鏡(やたのかがみ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)・そして草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を授かっています。

倭姫は天照大神にふさわしい最高の鎮座地を求め、伊賀・近江・美濃など諸国を巡ります。
いまあちこちにある「元伊勢」は、今の場所にご鎮座される以前に滞在なさった場所(鎮座地候補ともいうべきか)ということになると思います。
そしてたどり着いた伊勢こそが、天照大神のお気持ちにかなう場所だったのです。
このときの天照大神の声(ご神託)が、知る人ぞ知る
「この神風(かみかぜ)の伊勢の国は常世の浪の重浪(しきなみ)帰(よ)する国なり。傍国(かたくに)の美(うま)し国なり、この国に居らむと思ふ」
という言葉でした。
倭姫は最初の斎宮(さいぐう・いつきのみや/豊鋤入姫とする説もあり。ごもっとも)。
未婚女性で天照大神に仕える人のことを斎宮といいます。


さらに草薙神剣のこと。
草薙神剣は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した際、
尾の部分から出てきた素晴らしい剣です。
素戔嗚尊は、このきれいな剣を、いろいろ迷惑かけたねえちゃん(天照大神)への贈り物とします。
以降、天照大神のもとでも草薙神剣は大切にされていたようで、
天照大神は孫にあたる瓊々杵尊(ニニギノミコト)に天孫降臨させる際、
神の系統であることの証しに、草薙神剣も一緒に持たせたということです。


さて、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、東征の際、仲良しの伯母(ヤマトヒメ)に会うべく伊勢神宮に寄り
ヤマトヒメから草薙神剣と火打ち石の入った袋を受け取ってから出かけます(おかげで大勝利)。

この伯母ヤマトヒメが、倭姫。同一人物です。
熱田神宮に行くまで、あのヤマトヒメとこの倭姫が同一人物と気づかなかったのは
巡幸された倭姫のイメージは、太古のイメージなのに
ヤマトヒメは、わたしにとっては日本武尊を通じて、たいへんリアルな女性だったので。
驚きました、まさか同じ方だったとは。
それを知れ、気付けと、いわれたように思いました。
倭姫が天照大神の「ご神霊」と旅をするのを、見落としていました……。


草薙神剣は力の象徴、そして龍、スサノオつながりにもなります。
なんだか不思議です。私スサノオさん大好きですからね。もちろん龍も好き。

それにしても。こう並べて追うと、歴史はさまざま謎だらけです。不思議だなぁ。

倭姫命(やまとひめのみこと)  1

2012年10月20日 (土)

伊勢路で、見知らぬタクシーの運転手さんに「行けば?」と誘われ、「それじゃあ」と便乗。
ひょんなことから伺うことになった倭姫命を祀る倭姫宮で
少し不思議なことがありました。

紅龍先生からご縁をいただき、
今年も伊勢神宮の神嘗祭(かんなめさい)に奉拝させていただくことができました。
夜9時半くらいに境内に入り、ご神事を遠巻きに奉拝させていただきます。
今年収穫した新米を使って、初めて神様にお食事をしていただく儀式です。
瑞穂の国の五穀豊穣を感謝する、大切なお祀りです。

本来、人は気配を消して奉拝すべきだと伺ったことがありますので、そこは心して。
ただ今回は、ご神事のことをたいへんよく知った方が(修養団の方か??? 謎)
すぐそばで超小声で案内するのが聞こえていたので、それはそれで楽しく奉拝させていただきました。
天秤座の新月で、お月様不在の夜空は満点の星。
ご神事の待ちの間は、夜空で流れ星を6つほど見ました。
それから、正殿前で奉拝しているとき、そこにあった大きな木に、ムササビが飛んできたのを見ちゃった。
いろいろおトクでございました(←なんか違う)。

さて、せっかくの伊勢路です。御神事の奉拝のほかに、今回は月読さんへのご挨拶をきちんとすることが大命題でした。
それから猿田彦さんと(アメノウズメノミコトも摂社に祀られています)、伺ったことのない熱田神宮へ訪れることを思い描いておりました。
初日はとにかく月読さん! と気合いです。
まずは外宮そばの月夜見宮(つきよみぐう)にお参りしたあとで、内宮そばの月読宮(つきよみぐう。表記が異なります。同じ神様です)へ。
急ぐので乗ったタクシーの運転手さんが、口数の少ない方でしたが、
「倭姫宮(やまとひめのみや)にも行ったほうがいいと思う」とおっしゃいます。
ふたつの月読さんをまわるのだと言ったら「なにか関係があるから」とのこと。
こういうときは、すぐのります。
といわけで、倭姫宮に連れて行っていただきました。

とてもたおやかでやわらかい感じのエネルギーに満ちた神社さんでした。
あたたかく包んでいただくような、そんな感じ。
……スピリチュアルぽいですかね、すみません。
御朱印をいただこうと社務所に伺うと、宮司さんと思しき神職さんが
わたしの顔をじっと見て、「なにかいただけましたかな?」とおっしゃいます。
へ???

わたし:こちらはたいへんあたたかくやさしい感じの神様ですね。

神職さん:あの方はとてもおやさしい方ですから。「あの方」というのはね、
 神様ですが、実在した皇女ですから。

わたし:はい。わかります。長旅をお疲れ様でしたと、お話しました。

神職さん:とてもやさしく、あたたかいですが、男性にはとても厳しいこともあります。
 だれもにみんなやさしいわけでもないようです。

わたし:はい。



神職さん:(ふたたび)あなた、なにかいただけましたか?

わたし:???

神職さん:両の手のひらを神様に差し出すでしょう。
そしたら、人によってはその人に必要なものをいただけます。神様というか、宇宙から。
それを気と呼ぶ人もいます。
あなたはわかってやっているのかと思った。(あ、私は、クセでつい、やってたのかな。
つい、手のひらを差し出すことがよくあります)。
人によって左右いずれかは異なるようだけど
どちらからの手がいただく、受け取る手。
もう一方の手は、それを出す手。いただいた力をはたらかせるのです。わかる?

私:はい。とてもよくわかります。

自分がどちらの手からいただくのか、知りたいなとも思いました。
思わず両方の手のひらを出してみたら、左の薬指に血がぺとっとついていました。
さっき手にとまった蚊を叩いたのでした。……これは外応です。
「あ、わたしは左でいただいて、右で出すんだ」とわかりました。
たしかに右のほうが、出ているのをよく感じられるかもしれません。

「大事なことを教えていただいてありがとうございます」と、深々とお辞儀をして去りました。少し不思議な体験でした。


しかし、不思議はここでは終わらなかったというか、倭姫宮にお参りしたのはそのあとに続くわけがあったわけだと、
行くべくして行ったのであろうと、翌日熱田神宮に行ってから気がつきました。

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倭姫宮の境内

※神嘗祭と新嘗祭と、書き間違えちゃいました。ごめんなさい。修正いたしました。
 ご指摘ありがとうございました。

退行催眠の冒険 4 書籍が出版できない理由と水玉問題

2012年10月 8日 (月)

大野先生とのカウンセリングから導き出された問題点。
「人前に出ていくことに対する私自身のブロックがなんなのか」。
出てきた前世のイメージ(あるいは私の潜在意識が抱えるイメージ)、
じつはこの旅がもっともきつかったです。
長く重いので、これも元気な方だけご覧になることを推奨します。


著者として本を書きまくりたいのに、そのイメージが現実化していない現状。
……これは、「マリさん自身がマリさんに、現実化を許していないせい」ということになります。
人様から見ると実につまびらかなものですね。いや、大野先生だから、明らかにしてくださるんだな。
スピリチュアル的にはその見方は間違いありませんし、私にもたいへんよく理解できました。
残念なことに、こうして指摘されるまで、そうとは気がつきませんでしたが。


さて、一度龍の棲む湖底に戻ってから、さあ、また次の旅へと出かけます。
原因究明の旅です。
私が表舞台に立つのをブロックしている問題の場所へ……ふたたび湖底のトンネルに入っていきます。

大野先生に促されて周りを見わたした瞬間
だんだん、気持ちのトーンが下がってきます。すぐ、わかりました。
大野先生に「どんな格好をしていますか?」と聞かれると
すでにかなり気持ちが凹んで、お話できない状態……。
私:「あの、ちょっと……残念なからだで……」
大野先生:「残念? どういうこと?」
私:「ええと、見た目が……残念」
大野先生:「それは不具ということですか?」
私:「は、はい」

体の機能も精神も健常なのですが
全身が見るも無惨なブツブツでいっぱい、ただれたりくずれたりで、
どこから見ても、人が目をそむける対象だったのです。男性でした。

どうやら、世間体を気にした父に捨てられて、森の中で隠れて生きるしかなかったようでした。
それが13才だか15才くらいのときのことです。
以降森の奥で、木を切ったり、炭を焼いたりして生計を立てています。
木は、まとめて置いておけば、だれかが取りに来てくれるので、だれにも会わずにすむのです。

大野先生:「自分の姿をどう思っていますか? 」
私:「ひどいとは思いますが、社会に出なければ問題ありませんから、森の中にいればしあわせです。動物もいるので寂しくないです。とにかく人に会いたくない」

大野先生:「では、人生の終わりまで行きましょう」と、また時計を進めます。

同じ小屋のベッドの上に横たわっていました。もうすぐ息を引き取るところです。
結婚していないけど、パートナーの女性がいて、たくさんの森の動物たちに囲まれている風景です。
その女性は、目がまったく見えなかったので、私はリラックスできたのでした。

大野先生:「あなたは死んだ後、からだを出た直後、自分の人生を振り返って、どう思っていますか?」
私:「ありがとう、と。振り返ってみて、人生そんなに悪くなかったと思っています」

そして、彼を通じて、今世でも人にやさしくしたいものだと、しみじみ思うのでした。
相当きつい思いをしながら、心から「人にやさしく」と言えるのはせつないです。
いや、私なんだけど。私じゃなく彼でもあり……ええと。
ついでながら、そばにいた女性は、まぎれもなく現世夫でした。
こんなふうに役割を入れ替わりながら何度でも一緒にいるんですねぇ。たましいっておもしろい。


大野先生:「では、今世と過去世を比べて、なにがわかりますか?
あなたが表に出ていけない理由は?」と、訊かれて正気を保てない私。
私:「だって恐いから。みんな、私を傷つけることをたくさん言うから」
     ←号泣。ほんとこわいんだもん。しかし泣く私は彼であって、今の私でもある
あまりにおいおい泣くので、先生がハンカチをとってくれて、「はい、マリさんのハンカチよ」。
「すびません」と言いながら、涙をふきふき、しゃくりあげているのでした。
現実なのに、遠いところを旅している、不思議な感覚です。


私が感じる漠然とした恐怖感は、彼の抱く絶望的な恐怖感と重なります。
人様とお話するのが仕事ではありますが
じつは私は人と話すのは得意ではないし、むしろ臆病で、できればだれとも会いたくない、しゃべりたくないと感じることはしょっちゅうでした。
若い頃なんてあわや電話線切断するところでしたもの(抜けるタイプだったんです、よかった)。
だから、森の彼の気持ちが痛いほどわかる。というか、今もたしかに、彼は胸の奥底にいるのです。
けれど、風のエレメントの双子座だったのに助けられたのか、
好奇心が勝るのか、惚れっぽかったのに救われたか、
幸いにも私は、コミュニケーションはとることができたのでした。ありがたいことに。


大野先生が誘導します。
「どうする?」と聞かれて、彼の存在も統合することを選びました。
かならずしも、統合しなくてもいいのですが、
ここで私とはぐれたら、彼は永遠に森の中で寂しいままのような気がして
スプートニクみたいに孤独になってしまうように感じて、それはイヤ。気の毒すぎます。
今までずっとひとりだったのに。
気づいた私にしか、この鎖を放つ意志は持てないと思うと、やはり統合を選びました。


大野先生:「すべて過去の話です。安心して。では、彼とマリさんで、湖の底へ行きましょう。
彼の目の奥に、美しいたましいのエネルギーを感じます。
彼の悲しみも全部湖に解かして、軽やかに微笑んだら、ひとつになります」

大野先生:「また分離していたあなたを取り戻しました。
あなたは全体とした存在になっていきます。
理解は明晰性と癒しをもたらします」

キラキラ輝く言葉をたくさんいただきます。
泣きじゃくっていた彼(私)も、だんだん落ち着いてきました。

大野先生「では、実験です。あなたの目の前にポテトチップスがどんと置かれています。
どうです? 食べたい?」 
私:「塩気を感じたら、しあわせなんじゃないか……」
(と、ものすごい勢いで胃が鳴りはじめる……)

詰まりがちな頭頂のチャクラを開いてもらいながら、大野先生に従って、
大きな声に出して以下の言葉を言いました。
「潜在意識の私のエネルギーはスムーズに流れている」
「私は適切な量のチップスとチーズで充分に満足する」
「私は表に出る」

儀式みたいです。
何度も繰り返しこの言葉を唱えることで、あるべきイメージを潜在意識に入れ込んでいきました。
そしてふたたび湖底に戻り、十を数えて現在、今・ここに戻ってきました。
今回も濃い体験をさせていただきました。強烈でした。


【おまけ】
さらに、もうひとつ驚いたのは
翌朝、歯を磨きながらフラッシュバックしたこと。

私はかなりキツイ水玉恐怖症ですが、森の彼がトラウマなことに気がつきました。
もっともこわい感じは、彼の皮膚の感じです。だからきっと
水玉を見て、いじめられるように感じたり、攻撃されるような気持ちになったりするのでしょう。
なぜかわからない。水玉を見ると、ものすごくいじめられている感じがして、泣くこともありました。
「お前なんか死んでしまえ」と言われている気がするのです。 
水玉に、悪意を感じる。
「水玉」高じて、盲人用歩道ベルト(黄色い点々)にすら悪意を感じる  ←これも今世の話。
森の彼との関連性に気づいて愕然としたのです。



前回に比べて、今回の旅は重かったです。
自分のトラウマみたいなものがたくさん噴出しましたから。
受けた後数日、森の彼のことを思い出してはせつなくなり、へこんでいました。

でもね、自分が見せてくれたものだから。
「今なら見られるからちゃんと見ておけ」ということなんじゃないかなと考えます。
いかなるときも、潜在意識は私の味方。それは信じられます。
まだまだ、森の彼と話したりないような気もしています。
でも、気づいたらいつでも話に行けるのです。
そしてあの湖底へも、行こうと思えばすぐ行けるのです。龍にも会えるしね。



退行催眠が全部終わった後にお礼を申し上げたときに、大野先生がおっしゃった言葉が印象的でした。
「わたし自身は触媒にすぎません。
結局は全部自分が知っているんですよ。謎がすべて解けるでしょ。
だからおもしろくてやめられないの。今回もいいものをたくさん見せていただきました。
こちらこそありがとう」。

人、そしていのちへの、愛と慈しみに満ちている言葉だと思います。
大野先生の的確な誘導があるからこそ続けられる旅と、明晰な答えに感謝。
素晴らしい旅と、助言。今回もとても勉強になりました。ありがとうございました。


大野百合子先生 公式サイト
http://www.ohnoyuriko.com/

 

 

 

 

 

 

退行催眠の冒険 3 母娘の問題が過食の原因!?

2012年9月30日 (日)

「原稿や企画の先が不安になると、ポテトチップスを過食するのを改善できないか」
大野先生へ相談したことはこれでした。まさかそれに母娘関係が作用してとは驚き!
身に覚え……大いにありなのでした。ここからちょっと重くなりますので
元気な方のみ、ごらんくださいね。しかも長いです。


さて、いよいよ問題を探る旅が始まります。
湖底にあるトンネルを抜けて、
食べ過ぎはどこから来るのか、その問題の答えともいえるべき場所へ、
現世の過去、前世の過去、すべてのなかからもっとも関連の深い場所に、自分(潜在意識?)に連れていってもらいます。

大野先生:「『自分が不安になったときに、なぜ食につながるのかわたしは理解する』と明確に意識します。いちばんつながりの深い場所に行きましょう。トンネルの出口にそれがあります。
見えてきました。その場所を感じてみてください。どんな部屋なのか少しずつ見えてきますよ」

私は、十代後半の女の子でした。イズミちゃんといいます。
暖炉のある部屋にいます。別荘。ヨーロッパぽい様子です。……むむ、ちょっとマズイ感じです。
たいへんネガティブな心持ち。逃げ出したい気持ちになります。

先生の指示で、時間を先送りして、問題点のある場所へ……(おもしろいでしょ。時間の早送り・巻き戻しが自在にできるんです。願えばそのままかなう。まさにエネルギー世界ですね)。

恋路を反対した母親と諍いを起こし、はずみで母が倒れて、死んでしまいます。
で、たいへん衝撃を受けて悲嘆に暮れるイズミちゃん。呆然としています。
誤って殺めてしまいますが、彼女は本当はお母さんが大好きだったのです。
大好きだった母に、理解されないのがつらかったイズミちゃんは、
母を亡くした悲しみに暮れ、うちひしがれ、自分を責め、恋人とはすぐなかったことになりました。

大野先生:「その悲しみのエネルギーは、あなたの体の中のどこにあるのかしら?」
私:「からだの真ん中……。胃のあたりです」 ←即答。
大野先生:「お母さんの遺体を見たときの感覚と、現世であなたが抱く困ったときの感覚は……」
私:「すごく似ています(苦笑)」

大野:「過去世のお母さんは、今世のだれかに生まれ変わっていますか?」
私:「母です……」


ものすごい喪失感と哀しさと後悔です。
大野先生に「その転生で、あなたが肉体をなくす場面へ」と促されると
イズミちゃんが死んでいるのが見えました。イズミちゃんは若いまま、母の死んだ場所に、
体を重ねるようにして横たわっています。
母を亡くした3年後、同じ場所で、母が倒れた場所に体を重ねるように床へ横たわり
イズミちゃんは首と手首を切って自殺。
悲しい気持ちのまま、どうにも悲しいままに、死んでおりました。死んで母に会いたかったのです。

大野先生:「では、亡くなった直後。あなたの体の外に出てみてください。ご自分で、死んでいることを知っていますか?」
私:「あー。死んじゃってる(笑)」 ←完全に抜けたたましい状態です。


余談ですが、このとき、死んで、たましいが体から離れる体験をリアルにすることができました。
これかぁ! と思ったのです。するんと抜けるんです、体から。映画「スープ」の体験!

私はイズミちゃんでありながらも、死んだ拍子に、すでに別の人生を見ている感覚。
死んだ瞬間に、こんなになるんだ。なんだ、あんなに悲しかったのに。
というわけでワンネスの感覚も、リアルに味わえました。
そこに母はいないけれど、母と自分が、じつはひとつだったという感覚、たましいが一緒だ、つながっていることもリアルに知ることができたのです(残念ながら死んでから。たぶんみんなそうです)。
ぜんぶ、生きてきた世界が、自分が作った想念だったことが、死んだ瞬間に理解できたのです。
ロバート・シャインフェルド、ウソじゃなかった!! ←ここにものすごく感動。


大野先生:「その人生を上から眺めてみてください」
私:「小さいなぁ。私も小さいけれど、母も小さい。なんだか小さいなぁ」

イズミちゃんが殺したお母さんは、私の現世母でした。
大野先生に「母はどうしてあんなに子どもなの(成熟していない)でしょうか」と催眠中に伺うと*
「それはお母さんのたましいの選択であるから、あなたには一切関係がないこと」と、ぴしゃりと諭されました。
大野先生:「それでは、お母さんはなぜ、子どもを演じるのかしら。上から見てみて。どうして?」
私:「彼女の子ども時分の思いが癒やされないからです」
大野先生:「それはどうすると癒やされるの?」
私:「いやムリです、底なしの胃袋ほど、母の欲求はすごいから」
大野先生:「それはお母さんの問題で、マリさんが救える話ではありません。あなたが救わなきゃと思っていたら、おかあさんは子どもを演じ続けなくちゃいけません」

*今、素になって思うと、どうしてそういうことを、他人の先生に伺えるのかが不思議ですが
先生の諭され方がたいへん的確で、非常に印象に残っています。


と、ここまで理解したところで、どんどん解放へとスタート。
理解と納得って、すごいな。

罪悪感と悲しみのエネルギーを、胃のみならず、消化器系から全部吐き出します。
大野先生の力をお借りして、解放するのです。
悲しみを色のイメージに置き換えて(わたしのは緑、青汁色に感じました)
どんどん体の外に出していきます。
かわりにピカピカの光の粒子で胃を満たしていくのです。

ひととおり終わってから、大野先生にリードしてもらい、イズミちゃんとアクセスします。
私は彼女に「今、もう一度、お母さんと親子になっているんだよね」という話をします。
するとイズミちゃんが私に
「距離をとって、仲良くすることもできるからね。大丈夫」と、言うのでした。泣けます。


大野先生「あなたは自主独立した存在です。
過去にあなたをしばりつけているコードを切りましょう。切ることは逆に、とてもつながることになります。抵抗がありますか?」
私「……さびしいです」
大野先生「でも本当の愛は、縛り付けなくてもいいのよ?」
といわれてようやく納得します。

先生がパチーンと手を鳴らすのと合わせて、エネルギーコードをカットします。
私が溜め込んだ、母の悲しみと苦しみ、母が子どものときにつらかったことを、
私が母に預けてしまった思い(不安か)を、入れ替えます。
悲しみも不安も、生命エネルギーでもあるのです。恐れてはいけません。

何度も生まれ変わって、母娘をやっている私たちは、ときには親子を逆転したりしながら
何度もたましいの旅をしているそうです。
母と私を「あなたがたはとても仲のいい友達なのよ」と聞いて、愛おしくて涙が止まりませんでした。
感謝をいっぱい伝えてから、母を手放しました。せつなかったけど、ひとつ前に進んだ気がしました。


このイメージは、翌日になっても引っ張っていました。
朝の洗面所でふと気づいたこと。

じつは現世16才に私は、イズミちゃんがお母さんを殺したあの場面……に
似たことを体験していたのです。
歯を磨きながらフラッシュバックしました。
あのときわたしは一切無抵抗でしたが、以降なにかが大きく変わったように思ったし、
私もたいへん傷ついたし、母も相当に傷つけてしまった。
自分のなかで、母を、あのとき死なせてしまったようにも思うのです。

高校生でしたが、その後、親の転勤にかこつけて、ひとり暮らしを始めます。
以降、あまり家によりつかず30年、今に至ります。
そして、ポテトチップスどか食いは、たしかにそれ以前にはしていなかったことのように思います。
気づかなかったな。

おかげさまで、退行催眠以降、適量を食べるようになっています。
母の孤独と同期した胃袋状態になると、金色の光でみたすようなイメージ療法を自分でやっています。
不思議に落ち着く、うまくいっています。
チーズの食べ方も、ふつうになってきました。

世の中に、問題のない母娘のほうが少ないかもしれません。
「憎しみなら解決は比較的早いけれど、
愛する気持ちがこんがらがってしまっているのをほどくほうがややこしい」と、大野先生がおっしゃっていました。

愛しているつもりが、いつの間にか愛じゃなくなってしまった思い。
母娘関係でも、恋人でも、夫婦でも、陥ることはあります。
執着が見せる孤独の幻影。それは恐怖にほかなりません。
でも、本当は私たち、それを越えていく力を持っているのです。
越えていくのは、意志の力です。

ではいよいよ、次はフィナーレです。

退行催眠の冒険 2 湖底で龍に会う

2012年9月26日 (水)

まず、はじめに、大野先生の誘導で「わたしがリラックスする場所」に降りていきました。
きっと、以前行った、わたしの大好きなお花畑だろうと思いきや、まったく違いました。
行った先はいきなり湖底だったのです。

湖底への階段を1段ずつ降りていきます。
湖底から水面を見上げると、水面のむこうにある太陽のきらきらがものすごくキレイです。

今思い出してきれいだな。……ま、なんていうんでしょう。
龍の棲む湖の底に、わたくし、ふつうにいたわけです。
先週末、芦ノ湖に行っていて、よかったです。おかげでこんな素敵な場所に来ることができました。
あれ、芦ノ湖の湖底ですよ、たぶん。

「あの、ここ、じつは龍がいるんです」とおずおずと先生に伝えると
「ではその龍に来てもらいましょう!」と大野先生。えっ、ホントですか!? いいんですか!?
わたしにはいるのがわかるだけで、まだ姿が見えません。
「龍のエネルギーはもうここにある、あなたの中に感じるから大丈夫。
『見えるよう形で姿を現してください』と、龍にお願いしてみて」と促されるままにやってみると
あ、現れました。顔がデカい。ウマカケバクミコさんの描く龍に似た、フレンドリーな龍です。
大野先生が笑っていらっしゃるようです。
「龍、顔が大きくない!?」 すみません。顔、大きいです(顔だけだったりして)。
それにしても、大野先生、私の見ている同じ龍をご覧になれるのでしょうか!?

大野先生:「あなたの運をどんどん開くために、アドバイスを龍に教えてもらって。よりパワフルになれることとか、行ったらいい場所とか、聞いてみて。
パワーと叡智は同じです。明晰性がパワーですから」と言われたので、龍に尋ねてみました。
……龍と私は、テレパシーで話ができます。
龍:「そのままでいい。行きたい場所にはどんどん行け。やりたいことをどんどんやれ」
私(おずおずと):「いや~、いいの? ほんとうに行ってもいいの?」
大野先生:「マリさんはどこか行きたい場所があるのね? 外国なのかしら?」
私:「国内です。山岳信仰の場所にぜんぶ行きたいと思って、昨日リストを眺めていたところでした。
そして桜を見る旅をしたい。それを書きたいです」
大野先生:「ドラゴンや豊かさと現実化のエネルギーです。これから龍神とともに、メッセージをどんどん受け取りながら、龍神とどんどんつながってみてください。いつでも来てくれるか聞いてみて」
私:(龍のほうに注意を向けてみると)
龍:「まあな」
私:(苦笑)

というわけで、龍の波動と自分の波動を合わせるように導いてもらい、このシーンは終了。


調べていた国内の山岳信仰の場所は20個ほどあったし
桜は、桜前線に沿った日本縦断の旅をしたいのがひとつと、奈良は吉野、桜花壇に1か月間逗留して、ひねもす山桜を愛でていたいのと。長年温めている夢です。


山岳信仰のこと、桜の話、書きます、描きますよぅ。
パトロン大募集です!


「龍神のアドバイスに従えばよいし、すでにあなたのからだの中にある龍のエネルギーに
いつでもアクセスすればいいのです」と大野先生。

仕事についての経済的不安は、龍を感じていればよいと、まあそんな感じでいけそうです。
なんてったって、非常にリアルな龍に、たましいを合わせればいいわけですから
ものすごい安心感です。だっていつでも会えるのですから。

……といってもこの龍、実は初見ではなく、
ヨグマタさんに誘導瞑想していただいたときに現れて、背中に乗せてくれたのと、同じ龍でした。

さあ、いよいよ次は、ポテトチップス過食の不思議に迫ります。
過食に母娘関係が!? まさかの展開がまっていました (続く)。

退行催眠の冒険 1 プロローグ

2012年9月26日 (水)

1年半ぶり。ふたたび大野百合子先生のもとで退行催眠をお願いし、
またもや壮大な旅をしてきました。その模様をまとめます。

前回の退行催眠は、体感では3年前ですが、実際には1年半前。
自己肯定感が著しく低いままにハードワークをやめられず、何度目かの病気をしょいこみ、三度目の開腹直前で
なんとか自分のパターンを変えたくて受けてみた退行催眠。
おかげさまでももろもろクリアになり、病気も全快。
そればかりか、旅先で(?)会ったユタのオバア(←自分の前世)に
「今病気は全部治った。仕事するのは宿命だからやるしかない。思いきりやれ」といわれて
えらく力をもらったように元気になりました。

見違えるほど元気になったので、大野先生にお礼を伝えたいし
久しぶりに潜在意識の領域にアクセスしたいと思い立ちました。
オバアに会いたい。オバアにもお礼を言いたいし、今ならなんて言われるのか。
ちょっとは褒めてくれないか、そんな素朴な好奇心もありました。

はじめの大野先生とのカウンセリングで、解決すべき問題点を設定します。
今回は2つ。
1 ポテトチップスとチーズの過食をあらためたい ⇒ 初期動機。こんなですみません。
2 書籍など、名前をオープンにして仕事することへの自身のブロックはなにか
   ⇒これはカウンセリングのなかで導かれたわたしの問題点でした。
    著者として仕事をしたいのに、叶っていないのは、自身でそれを許していないせい。
    そのブロックはなにかということです。
仕事をするうえで抱いてしまう経済的な不安も、一緒に探ることになりました。

オバアは出てきませんでした。
会えなかったけれど、また深いものを見ることができ、感慨深い旅をさせていただきました。

果てしない宇宙旅行から戻ってきて、体感は20分程度ですが
実際には2時間半ほどが経過していて驚きます。あっという間です。

前回は7つのチャクラを順に活性化することから始めましたが
今回は足の裏から大地のエネルギーを満たし、天頂のチャクラを開いて宇宙のエネルギーをどーんと入れます。
導いていただきながらこれをすると、
一気にぶわっとエネルギーがやってくるのを体感することができて、心地いいです(この体感を覚えておき、うちでも眠る前にやりますが、たいてい途中で寝落ち……)。


催眠中は、現在の自分の意識はありますが、いつもと違う扉が開かれていく感じです。
いつの間にか別の人になっていますが、どこか夢を見る感覚にも似ています。
ふわっとした感じ、気のようなものに身を包まれ、大野先生に促されてあたりを確認すると、
徐々に周囲の景色と、そのときの自分の輪郭がはっきりしてくるのです。
五感からイメージがどんどんクリアになるようなそんな印象。
瞑想がおさんぽなら、退行催眠は、目的意識をもった旅という感じです。
導いてくださる方が明晰でないと、えらいことになってしまうように思います。
そういう点でも、全幅の信頼を寄せている大野百合子先生なら安心です。
優秀なヒーラーであるのみならず、心理学を学んでいらっしゃるので、とても心強く感じます。

みんながみんなこの旅を自在にできるのかどうかは、定かではありません。
得手不得手があろうし、音の世界の人、視覚の世界の人、好奇心、ひとによってさまざまだからです。
さらには、扉を開くかどうか、その世界にゆだねることができるかどうかは、人でしょう。

まったく余談ですが、十年ほど前に台湾で「死んだ人に会う」ワークをしたことがあります。
目隠しをしてじっと座るのですが、なにか見えたら手を挙げろと言われました。
暗闇(まぶたの裏)に浮かぶ亡父やばあちゃんたちを、(いつも見るものなので)当たり前だからと、ただぼんやり見ていたら
あとで「お前はアホか」といわれました。あれから始めなければいけなかったのです。
アクティブにこちらから動き始めてはじめて、物語は紡ぎ出されるのです、たぶん。
今ならもっとたくさんの物語を、同じ状況で享受できるはずです。

退行催眠も似ているように思います。ただ待っていては多分だめで、夢のしっぽみたいなものをつかまえたら、たどっていくのがコツなのかもしれません。
せっかく自分の意志で、潜在意識にアクセスしにきたのですから。
そして潜在意識を信頼することです。夜、夢をみるときと同じです。「教えて!」とお願いすること。

来たもの(イメージ)にすっとのっかること。
瞑想のときにも、ためらわず、そうすることにしています。
台湾での「死んだ人に会うワーク」の失敗に学んだことです。

順に書いていこうと思いますが、体験が強烈で
時間をおいて思い出すと、やはりせつなくなったりするところを
いただいた龍のイメージではらいながら、力にしていくような作業をしています。
ゆえに、書き上げるのに少し時間がかかるかもしれません。
退行時間に会った、龍と、前世の2人のお話を、ゆっくり書いていきます。

前回2011年1月の退行催眠の記録
http://zerohachimaru.cocolog-nifty.com/news/2011/01/post-a6d7.html

大野百合子先生の公式サイト
http://www.ohnoyuriko.com/
「日本の神様カード」の先生です。9月30日の中秋の名月に、「日本の神託カード」が発売されます。
今度は精霊がテーマらしいです。ワクワク。

 

 

芦ノ湖フィーチャー【箱根神社 九頭龍神社 箱根神社元宮】

2012年9月24日 (月)

関東の誇る由緒あるリゾート、箱根にある芦ノ湖。
芦ノ湖は、九つの頭を持つとされる龍、九頭龍さんが棲んでいると伝わる湖。
九頭龍さんをお祀りする九頭龍神社は、恋愛成就のパワースポットとして、若い女性に大人気です。
今回は芦ノ湖そばのホテルに投宿。滞在中、毎日箱根神社にお参りすることができました。

20120923_062130_2
早朝、まだ人気のない芦ノ湖へ、ちょうど箱根神社の平和の鳥居あたりでお参りしました。
今も湖底深くに九頭龍さんの気配がするようです。
芦ノ湖に向かって、柏手を打ってみます。
現在でも、箱根神社のご神事で7月、
箱根神社の宮司さんが、芦ノ湖の湖底の九頭龍さんに
御供(三升三合三勺の赤飯だそうです)をお供えする儀式が続いているとのこと。
芦ノ湖の真ん中(九頭龍神社沖あたり)にお供えを沈めるといいます。


最高水深45メートル、平均水深25メートルの芦ノ湖。
ここを自在に泳ぎ回っていらっしゃるのでしょうか、九頭龍さん。

さて、この九頭龍の伝説。
大昔、芦ノ湖に棲んでいた(芦ノ湖と呼ばれる以前、万字ケ池と呼ばれていた時代)悪龍が、
村人に悪さを働いていました(悪龍=自然災害の象徴とも考えられます)。
そこへ、村人を救うためにヒーローのごとく現れた萬巻上人(まんがんしょうにん)。
萬巻上人は、箱根の霊峰に籠もり修行を積んだ高僧で、悪龍を法力をもって説き伏せます。
悪龍は悔い改めて、九つの頭をもつ九頭龍となり、萬巻上人から玉を渡されて力を得、
箱根大神の眷属として、民を守るようになったのだそうです。
※さらに九頭龍さんが寂しくないように弁財天(市杵島姫命 いちきしまひめのみこと)も
 合祀したとの話もあります(九頭龍神社本宮には水際に市杵島姫命がお祀りされています)。
九つの頭は、はたらきの多さをしめしたものともいわれます。

萬巻上人(まんがんしょうにん)は箱根神社を開いた方です。
箱根大神として祀られているのは、
天孫降臨でおなじみの瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)、
浅間大社でおなじみの霊峰富士の女神・木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)、
ふたりの息子の彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト。古事記ではホオリノミコト、山幸彦というとピンと来る方もいらっしゃるか)の、皇祖ゆかりの三神。
山幸彦も龍に絡むのでは!? と、夢とロマンがふくらみますが、ここではいったん置いておきます。


箱根の駒ヶ岳の山頂には、箱根神社の元宮(もとつのみや)があります。
そんなことをまったく忘れ、観光気分で駒ヶ岳へケーブルで登ろうとしたら、
ケーブルの駅でようやく元宮のある場所と気づきました。
以前、箱根神社の元宮のご神事のビデオ映像を見せていただいたことがあります。
静かに萌えていたあの場所へ思いがけず行けるとは、なんてラッキーでしょう。

20120921_164641_2


しかし、無計画的だったせいで、山頂での滞在時間は10分限り。
知らずに行ったので、最終のケーブルカーで往復してしまい、時間がなかったのです。
それでも、ケーブルカーの駅から元宮まで、全力疾走してたどり着き
お参りできたのがたいへんうれしく(往復10分、敢行!)。
ご縁に興奮しました。次回はきちんと計画的に奉拝させていただきますっ。


帰ってから調べてみると、駒ヶ岳山頂の元宮の歴史は箱根神社よりもさらに古く、
二千年前の、古代祭祀を行う場所……、山岳信仰の聖地だったようです。
霊峰・神山を遥拝する場所として祭祀場所が造られていたといい、神山、さらには富士山を望みます。

お祀りするのはどうやら、
天御中主神(アメノミナカヌシノミコト)、高御産巣日神(タカムスビノミコト)、神産巣日神(カミムスビノミコト)らしい……すごい。
「らしい」というのは、箱根神社のご由緒を見ても、そのあたりは書いていなかったからです
天地宇宙創造に関わる造化三神で、天照大神よりも以前に現れる神様です。
まるでこの場所の古さを物語るようです。
萬巻上人(まんがんしょうにん)も、この場所に立ったに違いありません。


WEBでさまざま追いかけていくと
どうやら萬巻上人が箱根の山で修行をしているときに、霊夢を授かり、
現在の箱根神社がある場所に里宮を造るようにとの啓示を受け、遂行するわけです。
多くの人々が箱根大権現をお参りできるようにとのことだったのでしょう。
明治の神仏習合で、最終的に神社だけが残るのです。

ここへきて、自分の山岳信仰好きにようやく気がつきました。
そうか、そうだったのか。

↓ 早朝の箱根神社

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↓境内にだれもいらっしゃらず、贅沢な気分です
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↓こちらは箱根神社境内にある、九頭龍神社の新宮。
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「平清盛」と胎児の記憶と自己肯定感と

2012年9月 3日 (月)

自分を好きな気持ちを「自己肯定」といいます。
自己肯定感が高いことは、とても大事なことで、円滑な毎日&しあわせの基本。
自分のことが好きじゃなきゃ、からだはどんどん元気をなくし、病気にもなるし、
人とのおつきあいだってトラブル続きになるし。ちょっとやっかいです。
しかも、トラブルの渦中の人が「自分のこと、好き」と思えるのも、そのときは難しいことが多く、
だったらもう四の五の考えずに「ありがとう」「ごめんなさい」「ゆるしてください」「愛してます」を言っときなさいという、「ホ・オポノポノ」みたいな方法は、とても有効だと思います。

だまされたと思って、鏡を見て笑ってみる。「今日も大好き!」と自分に言葉にして言う。
脳が描き出す自分ではなく、今ここにある自分。からだ。精神。たましい。認識してます?

    *      *

いまから5年前くらいか、オーネットの会報誌『イントロG』の制作を弊社で担当させていただいた。
まだオーネットが「楽天」に買収される前のこと。
連載陣のひとりに、筑波大学の宗像恒次教授がいらっしゃり、
そこでSAT(構造化連想法)を使った退行催眠で、性格を改善する話をとりあげたことがあった。
担当はGだったが、私は毎回目を皿のようにして原稿を拝読していた。


お腹の中にいるときの、胎児時代の皮膚感覚を人は潜在意識で抱えている。
そこで母体がストレスを受けたときに、冷たくつらくなるかんじを潜在意識で知っているというものだ。
母体の心身のストレス、それから腹の子への無関心や憎しみが、羊水の水温低下や子宮壁の硬化を招くとか(⇒胎児にとっては死の恐怖。生まれてはいけない自分の認識)
劣悪な環境でも、それは胎内の自分にとっては、唯一、絶対的な場所であり
生まれ育ったあとにも、同様の状態になるように、自分で環境にはたらきかけてしまう……というもの。

宗像先生のセッションでは、催眠でお腹の中にまで催眠で退行し、
愛情いっぱいのしあわせな状態を(人工的に)再現させ、愛の中で「生まれ直す」ことを行ったりされていた。
またそれで劇的に改善するわけです。それまでのトラブル続きの人間関係とかが……。
自己肯定感の低さの根源を、胎児時代に見つけることは少なくないようだ。
あらゆるトラブルの原因が(対他人も、対自分も)、自己肯定感に由来することはものすごく多い。
いや。ほとんどそうなんじゃないか?


今日の大河ドラマの「平清盛」は、奇しくも、そんな話でたいへん興味深かった。
SATそのままだろう、これ、と思いながら見ていた。

熱病の清盛が夢の中で潜在意識を旅していく。
「狭い、窮屈だ、ここはどこだ」という台詞とともに、母の胎内の胎児になっている。
母が体験した悲惨なできごとすべてを(自分は腹の中で胎児中)、どんどんリアルに再現していくというもの。
そして生後すぐの自分の目の前で母が死ぬ。
見えているわけはないけれど、彼は「視ている」。たましいの世界ではそうだ。
体の中にたましいが閉じこめられているわけではないので、ちゃんと視えている、ことになる。
強烈な記憶と思いは、潜在意識に刻まれていく。だからスイッチが入るとリバースする。
胎児由来の自己肯定感の低さが、清盛にもあったわけだ。
(※ところで清盛、生還してよかった。あの演出の心憎さよ。清盛の母、祇園女御の妹説が、ここにきてようやくきれいに描き出されたみたいだった)


わたし自身も、ついこの間まで、自己肯定感はずいぶん低かった。
大野百合子先生にしていただいた退行催眠がきっかけで、自己否定がなくなっていった。
(退行催眠終了後の対話がきっかけとなった)


  余談ですが、2011年1月の退行催眠体験記をまとめたものはこちら(1~5まで)
  自己肯定感の話はありませんが、退行催眠の感じはわかると思います。

        ↓ ↓ ↓

  http://zerohachimaru.cocolog-nifty.com/news/2011/01/post-a6d7.html


ちなみに、この退行催眠のあと、わたしは信じられないほど元気になり、
「腫瘍? なんですのん、それ?」「若年性アルツハイマー? だれが???」というまでに復活した。
たぶん、これから先もずっと元気に違いないと思います。
従来に輪をかけてスーパーポジティブちゃんです。


「ところで、わたしはなんで長い間、自己肯定感があんなに低かったんだろう」と、今日考えていた。
子どもの時からずーっとだ。45年間も。
するとやっぱりあれだな、胎児期だと思い至る。
「男の子じゃないと意味がない」と言っていた祖母と、「えーと、いまさら子ども!? どうしよう」モードな父、そういう周囲を感じながら、
「えーっと、女の子なんですけどw」
と、戸惑っていた子宮の中の罪なき可哀想な胎児よ。もう大丈夫だぞぉー、と、今日気づいたのだ、「平清盛」見ながら。
静かに感動しながら、清盛の物語に感動するフリをしてすこし泣いた。


※退行催眠は、信頼のおける方にお願いしないと危険だと思います。遊び半分でやるのはおすすめしません。受ける際はご自分で情報をよく調べてからにしてください。

 

 

 

 

わたしも先祖でした

2012年8月19日 (日)

先日お話したお寺のご住職さんが開口一番、
「あなたには武士仏がついておる」とおっしゃった。
つい「ですよねぇ。ありがたいことです(合掌)」。
ご住職は少しだけヘンな顔をなさったけれど、
和気あいあいととても楽しいひとときだった(不思議話はいろいろあったので、また後日)。

なぜかわからないけれど、そう思うんだ。「ご先祖様が武士」。
曾祖母の代が徳川姓だと聞いて育ったから、夢とロマンがふくらんだのかもしれない。

ご先祖のことはよく考える。
以前は平安時代どまりだったのが、最近は縄文あたりまでイメージできるようになった(進歩!)。

たまに、「ご先祖の供養をしないとたたりが」「さわりが」「あなたの先祖が人を殺してその因縁が」とか
先祖をタテに脅す話を耳にするたびに、「そんなアホな」と思う。
だんだんその思いは強くなる。先祖代表で怒るわよ!

先祖の魂なり、エネルギーなりがあるとするなら、いちばん喜ぶのは
わたしが純粋にしあわせであると感じ、ワクワクしていることだ。
それが一番で、二番が「オレに気づいて感謝してくれること」。
もっとも二番に関しては霊的な感受性が大きいので、大きく期待はしない。
たまに感謝してくれたらラッキーだ、くらいなんじゃないか。そういうのは相手(先祖)の立場になれば想像がつく。

「相手の立場」って、あんた先祖になったのかといわれると、「そうだ」と胸を張ろう。
だって、先祖先祖というけれど、わたしだって先祖のひとりだったかもしれないわけで。
決して「今期初めて人間やってます」というつもりはない(たぶんね。見えないものの存在が幻でないならば)。
先祖も今のわたしも一緒なのだ。
がんばれー! と、みんなの思いゆだねて送り出したのが、体ある今のわたしなわけで、これがうまくやっているのが、送り出した側にはどれほどうれしいことか……
というのは、「オポノポノ」を初めて読んだときに、集合深層心理に思い至り、深く納得した。
いろいろ解釈あろうけれど、「そこ、気づいてね」というのがオポノポノなんじゃないかと思う。
私の体の中にDNAとして継がれるものもそうだし、大気の中に含まれるものもそうだし。

それら(送り出した側=先祖=宇宙ともいう)は私のしあわせを誰よりも応援するし、
感謝の波動がとてもすきなのだ。
だって同じかもしれないものな。それらとわたし。

江戸時代、ご先祖が必死に生きているとき、わたしはその人の先祖として
その人を応援していた可能性もある。
今わたしが仏壇の前で先祖を思うときは、わりとそういう気持ちになる。
だから迷わずしあわせになってほしいと、心から思う。
厳密に言うと、あの世でしあわせでね、とか、そういうのではない。
今、そこでしあわせになってほしいという思いに近い。
近過去に亡くなった名前のわかる先祖には、迷わないでねーと思いを寄せる。まだ冥界にいそうだし。

大過去の、名前も知らないご先祖が
もしも武士で、今戦場にいるならば、人を斬るのが善か悪か悩む前に、太刀を振り下ろせと願う。
(わたしはその人より前に生きて、その人の先祖である。うふん)
そのあとで平和な時代のわたしが、人が人をあやめることの不条理について徹底してNOと言うから、
戦場にいるあなたは、生きるために、今しなければならないことを自信をもってやってくれたら大丈夫。
悩まなくていいし、わたしはどんなことでもあなたの選択を絶対的に応援する……
大過去の名前を知らないご先祖に対してそんな気持ちになる。
なにをしても絶対的に応援する……それを人は愛と呼ぶのではないのか。

そしてその先祖時間は、現在とともに、どこかにある気がしてならない。
わたしは物心ついた時分から死刑については徹底して反対だ。
「もう、理屈じゃなくて、だめやねん、わからんか?」という思い。
と、かつて斬るかどうか悩んだ先祖の分はわたしが代わりにここでカタをつける。ね、これで大丈夫でしょ? 不安ないでしょ?(←先祖へ)

怪談

2012年8月18日 (土)

怪談が好きだ。
編集ということを生業にするようになって以来
本でも雑誌でも映画でも音楽でも
製作側のことが頭をかすめるので、100%は楽しめないことが多い。
……150%くらい楽しんじゃったりするから。

というのは置いておいて、怪談・奇談が好きだ。
子ども時分はコワイコワイと逃げまどっていたくせして、大人になって好きになった。
いい年をした大人が、だれかの制作物なのに、そんなことも気にせず、
読後までコワイコワイコワイとこわがっているのがうれしくて。
「うわー、わたし、マジでこわがってるよ!」と自分で思うのが、好き。
想像力増進型なのだ。
キョービそこまで浸れるエンタメがあるだろうか(なんちゃって)。

『新耳袋』とか好きだったなぁ。
よくできてるよ、しびれるー!! でもなかの話、どっかで聞いた気がするんだが……と思ったものが。
著者の木原浩勝さん・中山市朗さんはご両名とも大阪芸大(映像)の卒業生だったと知って合点がいった。
芸大のある南河内という場所は、怪談・奇談には事欠かない場所だったし、自分が絡むこともときどきあった。

わたしはチキンで、けっこうな恐がりだ。
見えないものの存在は感じる反面、「私を脅かすな!」と、激しくバリヤを張っている。
物心ついた頃「わたしは、一生、見たくないっ!!」と、強烈に思ったのを覚えている。
脅かされるのはとてもキライ。突如の爆音ときてれつな映像は御免被る。
都会の駅のホームも、かなりハラハラして歩いている。
「私はなにもできませんし、みえません、ごめん!」と念じつつ歩く。そこにチューニングするの、ヤだ。

夜、お経を詠んでいて、すーっとドアが開いたりするのもヤだ。
「もう~、頼みますよぉ」と言いながら、泪目で締めに行く。
「受け取ったぞよ」は、もう少し繊細なやり方で伝えてほしいと思う。万葉の恋文的な。
それが読み取れるくらいは修行しますから、と思ったり。

夏の終わりに、ラフカディオ・ハーンでも読みますかね。


うう、出雲に行きたくなってきた。

水没のバシャール

2012年8月15日 (水)

読書はお風呂の中のお楽しみななのですが
さっきぴかぴかの『人生に奇跡を起こすバシャール名言集』を
水没させてしまいました。
あわててすくいましたが時にすでに遅し、本は1.5倍にふくらんでいます。

拾い上げた瞬間に、
幼稚園の頃、幼稚園の前の川に、魚類図鑑を落としてしまい、
父が拾い上げてくれたことを思い出しました。40年も昔のことです。
それが本の湿ったマテリアルで、一瞬のうちに蘇ったのです。ニオイまで。

あの朝、どうして父がそこにいて(多分なんかの拍子で送ってくれたのだと思います)
しかも結構な高さのある川の下まで降りて拾い上げてくれたのか、甚だ不思議な限りです。
仕事第一のはずなのに、あの日、父は会社に遅刻してしまったのだろうかとか
しおしおのページを見ながら、そんなことをお風呂で考えていました。


これはきっとお盆の贈り物。
さっきお盆のお参りしたしね。ちゃんと茄子の牛と、胡瓜の馬作ったしね(後者は失敗)、
「来たよ」というおしるしなのかもしれないな。
お父さん、やるやん。と思う夜更け。明日で終わるお盆が名残惜しいような。

見えない聞こえないお年頃に思うこと

2012年8月 8日 (水)

どうか自分の昨日のパフォーマンスと比べたり、人様の何かと比べたりして、
今日の自分のからだを責めないであげてほしいと思います。
からだとちゃんと仲良くできれば、いじめなければ、自分のからだの声をきくことができれば
ほんとうはきっともっとみんな元気になれるんじゃないないかなと思います。
かくいうわたしもずっと、からだの理解者ではありませんでした。
でもね、ここ2年くらいで、人が変わってからだも変わった。すっかり元気になりました。
今の自分のからだを感じ、見てあげられる、
会話ができるようになったからかなと思っています。

自分がだれかに褒められたいのと同じくらいは、からだはわたしに褒められたい。
わたしが、褒めてあげるのがいちばん大事だという気がしています。
…気づくのに45年かかったわ。
もっと早くに気がつけば気がつくほど、いいことがいっぱいあると思います。
今わたしは見えない聞こえないお年頃ですが、
以前にも増して自由になった感覚とからだを感じています。


1歳になったばかりのときの目の手術が原因といわれ、子どものときから視力が悪かった。
子どもには「見づらい」「見えない」という概念がないので、世界はそんなものでみんなそうだと思っていた。
片目を閉じると世界が揺らぐ感じ。
小学校に上がって視力検査をして、右目が1.5で、左目は0.1ないくらいと知る。
ああ、自分の目が悪かったんだと初めて知った。
初めて視力検査をした帰り道、「これが見えない」ということなのか、みんなじゃないんだ……と
片目をとじとじ帰ったことを覚えている。

しかも矯正視力が出なかった。
なにかが決定的にだめみたいで、レンズをつけても視力が出ない。
眼鏡店では長―い時間検眼されて辟易した。
専門的なことがわかる方は「なにか事故ですか?」とおっしゃった。
本人は慣れているので平気だったが、親がたいそう気にした。
娘がいつか視力を失うことを恐れ、非常に姿勢をとやかく言った。

親の不安が伝染したんだろう
「いつか見えなくなる」というぼんやりとした不安はいつもともにあった。
視力を失ったら指圧師になろうと思っていたので、わたしは今でも少し指圧が上手。
もっとも、コツがどうというより、押してほしいところがなんとなくわかるのと、
指の力が強いので重宝がられるだけだけど。

母は聴覚が弱かったし、見る、聞く、しゃべる機能のなにかを損なう漠然とした恐怖が
成長過程でいつもあった。
人魚姫が好きだったのと喋るのが苦手なせいで、ひとつ失うならば喋るのを失うのがいいです神様、
視力は最後までもっていたいです……と思う子どもだった。

そんなことを今朝思い出したのは、わたしはきっともう失わないだろうと思ったからだ。
ありがたいことだ。
相対的にとらえるとだめなんだろうけど、それなりに見えて聞こえることが、このごろ愛おしくてたまらない。
視力は相変わらず悪いし、コンタクトレンズを入れて両眼で0.7はない。
お年頃のせいで毎日少しずつ着実に昨日よりも今日は見えなくなる。
でもPC打てる、ものが書けるから、充分。
マシンの文字はワンタッチで級数アップできるし、おかげさまで画面を見るのをキツイと思うことはない。
聴覚は少し前に低音性難聴といわれた。疲れると聞こえない。
残念なことにライブ行くと3日くらい聴力が戻らないので、耳栓して聞いてることが多い。
けど気にしない。ライブハウスの空気吸っていられるだけでいいや。

相対的には、日々少しずつ損なわれているかもしれない。
でも日々少しずつ、昨日見えなかったものにふと気がついて、世界が豊かになっていく。
気づいた瞬間に見えるものがあるんだよ。
お年頃で少しずつかすむ世界が、負け惜しみじゃなくてきれいに感じるんだよな。
今しかできない見え方が美しいんだよな。
昨日の見え方を望まないの。わたしは進化しているから、世界はどんどん変わるの。

何度も開腹してつきあってきた腫瘍とか、そんなからだの持病もそんな感じ。
たぶんわたしは、もうからだのどこも責めないなぁ。
「今まで責めていてごめん」と心底思ったから、たぶん婦人科の持病とも邂逅したと思う。
だから治ったと思っている。たぶんもう開腹しない。
孤独だった臓器に、感謝を添えて思う限りやさしくしてあげようと思う。
するとほんとうに人が変わったように体調がよくなって2年経つ。
たぶんわたし、もう大丈夫だもんなぁ。

たましい膜

2012年8月 4日 (土)

日帰りの大阪出張だった。学研都市線で尼崎から住道へ。
途中京橋~鴫野(しぎの)あたりを通った。
もしかして、昔住んでいた部屋が見えるんじゃないか。
どきどきしながら車窓の景色を眺めていたら、あった。残っていた!
今にも壊れそうな傾きかけた文化住宅。ドアが開いてわたしが出てきそうだった。
そしてあっという間に過ぎていった。さよなら、1990年。

1990年、京橋の文化住宅に暮らしていて、自宅目の前5メートル先が高架の線路だった。
きつい西日の差す1DKのその部屋で、黒猫のタンゴと暮らした。家賃はたしか4万5000だった。

うちに帰ってきてからもずっと考えていた。
本当に出てきそうだったから、わたしが。
それで、やっぱりあそこにわたしがいるんじゃないか、今も……、ということでまとまった。
なんだかいるような気がするのだ。

つまりね。たましいの薄皮1枚分くらいが、あそこに残っているのじゃないか、今も。
家や土地って、もしかするとそういうものなんじゃないか。
思いをもって暮らすと、そこにはそういうたましい膜みたいなのが残るんじゃないか。
そういうのが土地の気とか、家の気とかになっていくんじゃないか。仮説。
引っ越し先を探すときに物件を回っていると、回る部屋そのものに、気みたいなものがあるでしょ、あの正体(仮説)。
たましいの膜なんじゃないか。そういうのがたくさんたくさんいろんなところにあるんじゃないか。

そういえば、今の自宅に初めて内見で足を踏み入れたとき、玄関先でもう、家のことが好きになってしまった。
「ここに住まわしてください。住まわせてもらえるならすごくしあわせにしますから!」と玄関で言って(心でね)、入っていったのを覚えている。
心を合わせやすい家だったので、弱点なども家が教えてくれた(と思っている)。ので、今もできるだけそのように暮らしている。
今も、わたしたちがここにいることを、家が喜んでくれているのを感じる。
わたしはなんとなく「家の精」みたいに思うんだけど、これだってたましい膜の集まりかもしれないな。


イラストレーターのMさんは、引っ越した部屋で
前の住人のことがわかると言っていた。どんな家族構成だったのか、気配が残っているそうだ。
やっぱりそれも、たましい膜と考えたら合点がいく。
もちろん本体は、残してきたこともふだんは気づかない。勝手に残るだけだから。

先日森田健さんに取材をさせていただいたとき、
「たましいにはコピーがあるんじゃないか」という仮説を森田さんがおっしゃった。
なんでも、エジプトでどうやら親子3人とおぼしきミイラが見つかったとき
3つの博物館でそれぞれを分けて収容しようとしたところ、担当者が原因不明の熱とか病気とか、えらいことになったそう。
もしかしてと感じた人がいて、3人を離さずに一か所の博物館で収容することにしたら、ウソのようにトラブルはなくなったのだとか。
しかし、生まれ変わりの概念からすると、何千年も前のミイラにたましいが残っているわけがない。
たましいは、今頃もう何回も輪廻転生を繰り返している頃なのに、なぜエネルギーが物質に作用するのか? という懸案に対する森田さんの仮説が、たましいコピー説だった。
今日膜のことを考えていたら、あらためて深く納得できたな。
なら、わかる! 


映画「スープ ~生まれ変わりの物語~」は、「天国から来たチャンピオン」を凌いで
わたしの中でNo.1になっちゃったかもしれない作品(……生まれ変わりものが好きなのか!?)。
原作は、森田健さんのノンフィクション『生まれ変わりの村』。
8月も引き続きロードショーです。すごいな。
だってほんっとに面白かった。よくできた作品でした。

 

 

夢のお迎え

2012年7月29日 (日)

気づいたときに不思議話をまとめておこうかと思う。
思い出したときに、ぽつりぽつり。

子どもの頃からわたしはたいへん寝付きが悪かった。
眠るときに音楽を流そうものなら、聞き込んでしまい、そのままアルバム2枚、3枚……
聞き続けることも少なくなかった。
それが眠れるときの規則性に、十代の終わり頃だかに気がついた。
お迎えが来てくれることに気づいたのだ。

ひとつは、夢のお迎え。昨夜見た見た夢のしっぽがふっと思い浮かぶようになると、もうすぐ。
起きている間はかけらも覚えていないのに、昨夜の夢の顛末がリアルに蘇ってくるのだ。
ちょうど大河ドラマのいちばん頭に、先週のストーリーをおさらいするような感じ。
あるいはわたしが夢のほうに走っていくと、夢のしっぽが見えて、それをつかむことができたみたいな。
するとそのまま夢の世界に旅立つことができる。ここから後戻りをすることはまずない。
たいへんな安堵感に包まれて眠りに落ちる。

夢の始まりは、壊れかけたTVの真逆な感じ。
砂の嵐の中にジジッ、ジジッ、と、徐々に映像が現れてくるようなのに似ている。
普段はそんなふうに、夕べの夢が迎えに来るのだけど
たまに違うもの……いけない夢がくることがあって、さわりだけ(ジジッ、ジジッ)と来たところで
「そっちはだめ!」と、全力で正気に戻るように努める、覚醒する。
その先はたいへんな悪夢なのだ。ジジッジジッと、見るに耐えない魑魅魍魎なんだもの。
チャンネル間違えるとそうなる感じなんだよな。


もうひとつの、大事なお迎えがある。これはひとり暮らしを始めた十代の終わりくらいに気づいたことで
寝入りバナに、耳元で呼ばれるのだ。「マリ!」とか「マリちゃん」とか、「おーい」とか。
あまりに急に大きな声で呼ばれるので、びっくりして目が覚めることもあるくらい
(そんなときは、きょとんとして、ああ、アレだと思うとすぐに眠る)。
親の声が多かった。たとえだれの声とはわからなくても、たいへん親近感があるというか、家族的というか、わたしのことを好きな人の声だというのが直感でわかる。
ただ、この頃は少し様子が変わってきて、知らない人の声が増えている。
まったく知らない声で「ねえ、ちょっと!」みたいなときもある(あるいはわたしの名前をしらないのかもしれない)。
でもその声が聞こえると、ああお迎えだ、夢の国に行くんだ……むにゃむにゃ……ぐぅ、ということになる。



自分を振り返ると、眠れないのは単に、体力がありすぎてのこと。
1日30時間くらいで平気な体力がわたしにはあったのだと思う。
だから眠れない子どもは寝かせなければいい。好きなだけ本を読ませればいい。
もっともこの頃は、「眠れない」とはほど遠い毎日。
「さあ眠ろう」という前に眠り落ちてしまうのが、しあわせな悩みです。

うちの神祀り

2012年7月27日 (金)

核家族なので、伝統的な神祀りを知らない。
ばあちゃんちは、ずいぶん立派な仏壇はあったけれど、たしか神棚はなかったように思う。
仏壇のお道具がかわいらしくて大好きだった。

実家の母は少し変わっていて
神棚をつくらず、お札も置かず、しかし信心していてものすごく好き勝手な神祀りをしている。
……母の決めた場所に、神祀りの場所がある。
そこで母は手は合わせるものの、本格的にお参りするのは、別の広々した場所でのびのびとやっている(夜目撃すると、かなりびっくりする)。
宗派はない。完全オリジナル。
一方、私の家には神棚がある。「神棚しつらえたの」と言うと母は「いいねー」と言う。
「お母さんは神棚つくらないの?」と聞いたら
「うん、べつにいらない。なくてもちゃんとお参りできるから」。まあ、決まりや形にあまりとらわれない人だしね。

この間神祀りについて母娘で話していたときのこと。
わたしがしている月初めの四方拝の話になって
「月はじめは、家の四方にお酒をまいてお参りするんだよね」とわたしが言ったら
   ※みそかの夜に、八方権現(ハッポウゴンゲン)さんと
     大屋毘古(オオヤビコ)の神様にお参りする
「あらいいわね。ま、お母さんは毎日八方拝だけどね」と少し自慢げに言われた。
そのころわたしに八方拝の知識がなかったので「なんで八方なのよ」と聞いたら
「わかんないよ、そんなの。そのほうがいいの!」と母。
母は、自発的に拝み始めた人なので、まあ、いろいろあるんでしょう。
おそらくだれかに教わった拝み方じゃないと思うんだよなぁ。
しかし時を経るにつれ、八方拝なる正統の拝み方がちゃんとあると知り、少し不思議な気分だ。母、何者!?

自分ちの神祀りも、相当勝手なような気がする。
ひとつはお札の数。多いんだよな。たぶん、お札だけでも神棚に十柱いらっしゃるか。
(ご縁のある神々、ご挨拶させていただく神様はたぶんその倍ほどになる)
神社庁のサイトには「複数のお札は重ねる」と書いてあったけれど
それをするとものすごく嫌がられるので、極力重ねない。
いや、入らないから重ねるけれど、神棚で宝塚立ちなさっているような、そんな状態(すみません)。
あと、神棚はお祀りするときトビラ開けたらだめなはずなんだが
扉を閉めるとどうにもごきげんがよろしくないので(神棚しつらえたときにいろいろやってみたのだ)、失礼ながら開けています。ごめんなさい。

うちの祀り方は、ずいぶんフランクなんじゃなないかなと思うけど
だって神様が「重ねるな、しめるな」おっしゃるのんだもん とわたしは勝手に思っています。

仏壇も……フランク。なんちゃって仏壇。
お仏壇屋さんで「お仏像は1仏だけ」と言われけど、結局3仏あるな。
十代の終わりごろか、般若心経を詠んでいたら「浮遊霊が頼って寄ってくる」と言われたことがあり、恐くてドン引きしたことがある。
そんな話を母にすると一喝された。
「迷ってるものは気の毒なんだから、あなたが上にあげてあげなさい! そのくらいの力はあるから大丈夫っ! そのくらいできなくてどうするの!」だそうです。
いつも母は強い。かといって別に「上げ方」を教えてくれるわけではないし。
ただ、ああそうですかと思うと、別に恐くもなくなって今に至る。
読経の森に迷い込んだことはあっても、浮遊しているなにかに悪さはされたためしはない(と思う。感じないからわからない)。


ちなみに、般若心経をあげていると、霊が喜ぶというのはまんざらウソではないと思うのは
先日夜詠んでいたら、隣にいた夫が
「死んだオヤジが、『こっちで聞くとこれがよかっちゃんね』と言って、お経に合わせて踊ってる……」と言う。


たしかに、そういうものなのかも知れないけど。
踊っているのか、お父さん……。

蘇民将来之子孫也

2012年7月17日 (火)

思いがけず、お世話になっている方から届いた小包。
品名欄に「厄除けちまき」とあるのを見て、飛び上がりました。
今日は山鉾巡行の日。朝から気になっていましたが、まさか!! 
思いがけない贈り物。うれしさに震えました。
祇園祭の厄除けちまきです。
懐かしいな。今年は玄関先にちまきを飾ることができます(厄除けちまきは飾るもの)。

祇園祭の厄除けちまきの多くには
「蘇民将来之子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)」と書かれています。スサノオ伝説と関わりが深いのです。

その昔、旅に出た素戔嗚尊(スサノオノミコト)はある村で宿を請います。
裕福な弟の巨旦将来に一夜の宿を請うも断られますが、貧しい兄の蘇民将来には粗末ながらも歓待されます。
スサノオはのちに正体を明かし、茅の輪をつけているのを目印に蘇民将来の子孫とみなし、疫病から守ってやろうと約束します。
なので、疫病退散を願って始まった祇園祭には、この「蘇民将来之子孫也」のちまきが欠かせません(ちまきは、茅(ちがや)の葉で巻いたから、ちまきと言うようになったそう)。
  *祇園祭は八坂神社のお祭りなのはご存じの通り。主祭神は素戔嗚尊です(クシナダヒメと息子さんも一緒にお祀りされてます)。

「うっとこはご覧のとおり、茅の輪の教えをいただいた蘇民将来の子孫ですから、
どうぞ災厄から守ってくださいね!」とスサノオさんに呼びかけているのが厄除けちまきということになります。
各地の神社の夏の大祓にある茅の輪も、このスサノオ伝説と縁が深く、
祇園祭の結びも「夏越祭(なごしさい)」で茅の輪くぐりです。

うちの神棚には素戔嗚尊もお祀りしています。
結婚式をしたのが高円寺氷川神社なので、スサノオさんとはゆかりが深いのであります(と、勝手に。いいんですよ、その気になっとくの、大事です)。

いただいたのは月鉾のちまき。
どうもありがとうございます。ものすごくうれしい。大事に玄関に飾らせていただきます。

ちなみにうちの注連縄飾りは伊勢のものなので通年飾りっぱなしですが
そこにも「蘇民将来之子孫也」と書いてあります。
先日知らないおばあさんが「お話がしたいです」といらっしゃいました。
蘇民将来の子孫として広がるご縁です。

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ぶつける人、切り傷が多い人

2012年7月 1日 (日)

先日、スタッフ庄司が撮影でご一緒したフォトグラファーさんが、
カンが強くていらっしゃるそうで
「内山さんは、手足なんかをいろいろなところへぶつけることが多いと思いますよ」とおっしゃったという。
たしかにその通りだ。わたしは手足をどこかにぶつけることがとても多く、青あざだらけ。
子どものときから、外科関連で病院に行くときも、95%は打撲と突き指だった(突き指もまあ、ぶつけてそうなることに代わりはない)。
今も。青タンだけが人生だ(うそ)。
わりと激しくぶつけてはいるが、ありがたいことに骨を折ったことはない。

そういえば学校に上がる前から、おでこを見せるの厳禁で育った。
「マリは、前髪を上げても分けてもだめ」と母に言われ、たしかに頭をよく打った。
頭が大きくて思いので、たいてい転ぶときは頭からいくし、ほんのちょっとしたところから
バランスを崩してよく落ちて、たんこぶを作った。
たまに陥没するほど打ったけど、切れたことはない。

気になって周りを見てみると、
どちらかというと打ち身が多い人、切ること(流血、火傷を含む)が多い人、折る人、事故の多い人、に分かれるように思う。
外科的アクシデントについてはあまり考察していなかったけど、
それぞれのゾーンが意味することはやっぱりなにかありそうだな。
ほら、病気をよく見つける人はいるでしょ、風邪引きやすいとかも。
打ったり切ったりも同じで、怪我にもそういう分類ゾーンみたいわけで傾向解析できそう。
小学4年生あたりでカウントして統計取ってみて、性格の傾向と合わせたら、なにか出るぞ、きっと。

動きを丁寧にすれば打たずにすむのか……と思うけど
もうアラフィフというのに、手足頭、まだよくぶつける。
早い話が、まだ、わたしは自分の肉体に慣れてない気もする。
運転する車の車幅がわからないに等しいから、端っこをよくぶつける。
自分では不可抗力と思っている。

言ってるそばからさっきも、敷居に左足の薬指を思いきりぶつけて、気絶するかと思うほど痛かった……。

外と中はいつも等しい ~あるいは細胞と宇宙など~

2012年6月18日 (月)

上空から見た東京が、クリスマスみたいにきれいで
ピカピカ光るそれらは神経叢(しんけいそう)みたいにも感じられて。

たぶんそれはわたしがずっと見ている幻というか
内と外とが同じという思いの投影で、「ああ、これこれ、これなのだ」と思った。

皮膚を隔てた内と外はほとんど同じで、細胞の浸透圧にも虚実皮膜(きょじつひにく)にも似て、
外の世界に見る混乱は、わたしの身体のなかでもほぼ同じことが起きている。

それは、いつか宇宙の果てが自分の中に収まっていることを実感した日から
ずっと共にある感覚。

しかも私自身が、だれかの細胞のなかのひとつであるという感覚。
同時にそれは宇宙でもあるということ。

だもんで、目に見えないなにかの愛を、圧倒的に信じることができる。
わたしが自分の手足を愛おしいと思うのと同じことだから。

だから余計に、からだのひとつひとつに「愛しているのよ」という
声をかけるのが大事だというのも痛いほどよくわかる。

だってわたしがそうだから。愛の実感なくしては生きていけない、ほんとうは。
ということは外もそうだ、わたしが一要素をなしている世界の知覚者はわたしを愛おしく思う。

今三次元にいるけれども、四次元的にも五次元的にも、わたしたちの存在は
おそらく自在で自由なのだというところまではなんとなく、物理的にも想像つくような気がしている。

つまり、からだを大事にしてあげなさい。全自己肯定。
それはからだを感じることであると同時に、宇宙を感じることでもある。人を大切にすることでもある。

わたしたちは自分のからだ自体を感じることで、ものすごく大きなものを
感じてつながることができる。からだとの対話がよりよく生きることの早道、くらいに思うようになってます。

 

 

大成功と大失敗のはざまで

2012年6月12日 (火)

気分転換にドトールで原稿を書いていた。
隣に居合わせたのは初老の男性で、携帯電話で、「たった今ホテルを買った」と少し興奮気味に話をしていた。
従業員ごと、箱も運営権も買ったそうで、「今日のうちに金庫を押さえるべし!」みたいなことを電話で指示していた。
不動産売買をやっていらっしゃる方のようだった(ホテルは、リーズナブルなビジネスホテルみたいだった)。
非常にうれしそうでいらっしゃったし、羽振りのいい話なので、よろしいなぁと思ってみていた。

ホテル購入男性の次に座った男性は、年の頃はわたしより下か。
求職中だった。マスコミ狙い。
履歴書やら求人情報を入れたクリアファイルが、5センチ厚さになっていた。
急に携帯で電話をかけはじめ、「人事担当お願いします」と言ったかと思うと、
「なぜ自分はだめだったのか」を延々と尋ね始めた。
しばらく10分は席で電話していたけれど、立ち上がって店内をうろうろして
充分いっちゃってるヒトになって、なぜ自分は不合格だったのかを問い詰めていた。
電話は20分ほど続いて終わった。落ち着いたかなと思うと今度は
「合否結果は20日でも、もうそろそろわかっているでしょ。わたしは合格か、不合格か」という恐ろしい電話をかけ始めた…。
やばい。
量産した履歴書が見える。
ハーフ・シャドウの証明写真を貼った履歴書では難しいぞ。
そのやり方と考え方を変えないと、前に進めないかもよ!
でも、わたしチキンですから、それはお伝えしなかった。

外応だと思って店を出た。
ちょうどそんな原稿を書いていたから。
負のスパイラルに絡め取られた人と、成功をとんとん続けている人と。
たいした差はない(現実、3分差で同じ場所に座っているのだ)。
しかし日本海溝より深い差がある。そういうことなんだ。

人は自分の意図で、どの方向にも進むことができる。たぶん。
日々の選択が、未来を作っていく。
呼んだ未来(エネルギー的に呼応した未来)だけがやってくる。

見える人にはクリアに見える「当たり前」なことが
見えない人にはまったく見えない。

この混沌とした世界が、わたしのいる愛おしい世界だ。
で、お前はなにをするの? それを突きつけられているみたい。

亡父、夢に立つ

2012年6月11日 (月)

目が覚める直前。
まるで死から甦ってくるみたいに、からだの端々(脳かも)が少しずつしびれがとれるみたいに、
感覚がよみがえり、現実世界が戻ってくる……そしてぼやーんと目覚めていく。
あの感覚が、せつないけれども好きだ。好きだけど、とてもせつない。
わたしたちは夜のうち、死のような場所に旅をして、朝またここへ戻ってくる。そんなふうに思っている。

さて、ふたたび亡父(実父)の話。今度は夢のことを。

一昨日の夜、久しぶりに父の夢をスペシャルで見た。
たくさん話をして、楽しくてうれしくて、別れ際には「なんで行っちゃうのよう」みたいに泣いて
叫んだ自分の声で目が覚めた。こちら側のわたしも泣いていた。

そういえば、父が他界してから、わたしは夜ごと父の夢を見た。それこそ毎晩だ。
なので、へんな話だけど、さほど寂しくもなかった。
毎夜眠ると、夢の中で父と会い、他愛のない話をする。日課のように。
あるとき父がわたしに向かって「しばらく会えなくなる」と言う。
「そろそろ行かなきゃいけないから」って。
「行かなくていいじゃない。わたしたち、今結構うまくやってるし、このままこうしていけばいいじゃない!」とわたし。
「そんなわけにはいかないんだよ。大丈夫、また会えるから。とにかくお父さんは行かなくちゃ。マリ、元気でやんなさい。お母さんを大事にね」
「待って、行かないで、また置いていかないで。おとうさーーーーん!!!!!!!!!」
で泣いて目が覚めた。
ああ、行っちゃった、お父さん……と思ったら、四十九日の朝でした、チャンチャン、ということがあった。


また、こんなことも。
昔から、自分にとってよくない夢というのがある(もちろんいい夢もある)。
たとえば、手紙をもらう夢はいいんだけど、出す夢はよろしくない。
ところがそのとき、わたしは夢の中で、手紙を出してしまう。「しまった、出しちゃった!」と夢でも思っている。
そこに父がふたたび登場。少々考えている模様。ややあって、
「まあ、乗り越えられる程度だから大丈夫だろ」と言って、父が去っていく。
「なによ、それ!」と思ったが、たしかに乗り越えられる程度の小トラブルには見舞われ
しかしそのときも「父は大丈夫だと言ってたからまあなんとかなるでしょ」でやり過ごすことはできた。

一昨日、久しぶりに登場した父だったが、心配な様子はまったくなさそう。いいことだ。
たまに会えてとてもうれしかった。
そろそろ父の日だし、いないから寂しいなと思っていた矢先のこと(贈り物を考え始めて、ああいないと思うのがいまだに寂しい)。
でもな。そう。いないわけじゃないんだよな。わかった、わかりましたってば。

 

 

『がんのセルフコントロール』と20年ぶりの父の遺影

2012年6月 3日 (日)

事務所のデスクを片付けていたら、葬儀で遺影にした父の写真が出てきた。
父が死んでから20年になる。

少し赤ら顔で陽気に笑う父は、間違いなくどこかのラウンジだかクラブだかで
ごきげんさんで飲んでいるときだと思われる。

せっかくなので、仏壇の写真を、これに変えてみることにした。

それまで仏壇の写真には、父20代の写真を飾っていた(死んでもいない母の二十代と一緒に)。
その前、父が亡くなってからすぐのときは、父とわたしと並んで写っている写真で、
撮影者(母)の腕の問題で、顔がフレームアウトした写真を好んで飾っていたんだが(イメージが広がりそうでよかった!)
当時つきあっていた人に「この写真はやめたほうがいい」と言われ、件の古い写真に替えた。

がんで亡くなった父の死を、自分の中でなかなか昇華(消化?)できず、
葬儀のときもほとんど泣かなかったし、
答えがでないものを考えたくなかったので、葬儀後も考えないように休むことなく働きまくって、
10か月後だかに私が病気で倒れて、生きるの死ぬの騒ぎになったのが、28歳のときだったか。
もちろん、生還したから今がある。

父の死が、とても悔しかったのだ。告知もできなかったから。
なんでいきなり肺ガンなんだよ(もちろん、喫煙がたたったのはいうまでもない)。
それを『がんのセルフコントロール』という本を探してきて読んで大いに納得。
「がん」を「病」に置き換えて……父ともこの件で話をした。
 1 病のきっかけはストレスである
 2 病のきっかけとなったストレスを認識できると、病気の経過は劇的に良好になる。
 3 ポジティブなエネルギーでからだを満たしていくとすこと。意図は病気を大きく改善する。

乱暴にいっちゃうとこの3点に尽きる。
父の場合のストレスについて語らい
本人も「そうかもしれないな(遠い目)」みたいな話をしたものの、時すでに遅く、
惜しまれながら父は逝った。しかし今ならわかる。どこかできっと、父が死を望んでいたはずだということが。
キツかったんだよねー、お父さん。おつかれさまでしたね。ぜんぜんありですよ、OK!


酔い酔いの写真を見ていたらそんなことを思いだし
気がついたらずいぶん泣いていた。20年目の号泣。おとうさーん。


わたし、すごく大人になったよ。今日は熟女といわれたよ!
生きてからだがあることの素晴らしさも、今ここにいる意味も、最近はよく感じられるようになったのよ。
作ってくれてありがとうねー、育ててくれてありがとうね、不器用だったけど、優しくしてくれてありがとうね。
そして今だって、しょっちゅう気にかけてくれて、ありがとうね。感じてるよ。

うんと笑ってしあわせに生きて、「ありがとう」を毎日たくさん伝えるようにしようと思う。
からだのある人代表で、がんばるよ。

『がんのセルフコントロール』
今も多くの人に読み継がれているようでうれしい。
そして、今の私の仕事は、これ原点かもしれないなとも思う。
こころとからだの領域のこと。ストレス、酸素、エネルギー、死と再生、魂と心と肉体
まだまだわたしの旅は続くのだ。

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※2019年4月加筆
え、「サイモントン療法!?」と今更ながら…

「告知しなかった」と悔やんだのは私だけで
していたそうだ。25年経ってケロッと母に言われた。

 

バリ島行きを「引き寄せた」!?

2012年4月 6日 (金)

なんてことはない、事務所の前にあるスタバで半年前だったかにもらったしおりです。
端っこのほうなんて色がはげ始めています。
「Bali」と書いてあるでしょ。
これを店頭でもらって見たときに、気持ちがバリ島に一気に飛んでいってしまいました。
「バリ島。最近、行ってないなぁ。行きたいなぁ~。行きたぁ~~い!!」
心の中で強烈にじたばたしました。
この花、フランジパンニ(ハワイでいうプルメリア)が大好きなので(香りがいいんです)
そのままこのしおりをお財布の中に、お札と一緒にいつも入れて持ち歩きました。
とても好きな花なので、財布に生花を飾ったつもりだったのです。


今回のバリ島行きの話が決まり(しかも行きたかったニュピ! しかも王様と瞑想なんて!!)、その支払いをしようとしたときに
ふたたび財布の中のこれに目が止まりました。
じっと見たら「Bali」と書いてあります。
……マジで!? まさか、あなたが引き寄せてくれたのか???


今あらためて、じっとしおりを見ていて思いだしたこと。
バリ島のウヴドにはスタバができていて(ロータスカフェが経営しているようでした)そスタバに行って、庭でのんびり景色を楽しんだりしたのでした。
……たしかにスタバでした。まさかウブドにスタバがあるなんて夢にも思いませんでした。


このちょっぴり不思議なできごとを、大事にしようと思いました。
純粋にピュアで強烈にワクワクして、かなりうっとりするものの、いい加減だからついぞ忘れてしまい、そのあとで引き寄せることが多いように思えます。
「気のせい」と思わないことが大事です。
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そうだ、仏門へ行こう!

2012年4月 2日 (月)

うちの仏壇の前でお経をにゃむにゃむ唱えていると……唱えながら眠る。
何度やってもだめ……途中で眠る、ことがある。
なんだかとても短く深い夢を見るのだ。
メッセージに近いような、イメージだけぽーんといただいたり。

「お参りしながら眠るなよ」と、自分で突っ込んでいたんだが、あれはどうやら眠っているのではないことが、
バリ島での30時間瞑想以降にわかるようになってきた。
あの見ているもの、夢じゃないし、寝ているわけでもないんだな。
と思うと、気のすむまでそこにいたいと思うようになってきた。

神代の物語は素敵。
それはきっと子どもの頃に、親が古事記(←子供用の)を読み聞かせてくれた賜物かもしれない。
神道の様式美も大好きで、機会があればきちんと学んでみたいと思っていた。
しかし、そんな悠長なことを言っている場合ではなくなってしまった。
今すぐ、寺に、仏門に行きたいのですけどぉ!! という気持ちになってしまったのだ。熊野で。



お伊勢さん詣でのあと、一路熊野へ。翌日は憧れの熊野三山にお参りさせていただいた。
これがすごかった。

熊野三山といわれるのは熊野本宮大社、熊野速玉大社(神倉神社)、那智大社(那智山青岸渡寺)。

熊野本宮大社は主祭神が「家津美御子大神」(素蓋鳴大神)。ここでのス素戔嗚尊は木の神様として崇められている。
熊野速玉大社(神倉神社)は伊邪那岐命(イザナギノミコト)、伊邪那美命(イザナミノミコト)を祀るが、もとは神倉山の霊石をご神体である。
那智大社は那智の御瀧をご神体で、大己貴命(オオナムチノミコト)が祀られている。


どこも原始的で徹底した自然崇拝ありきで、
神仏は少しあとから、わかりやすい信仰の対象として、便宜上もってきた感じがある。
……なので、由緒書きなどを読めば読むほど頭が混乱してくる。腑に落ちないことがたくさん現れる。
創始以来の歴史が長すぎるせいもあるのかもしれない。


【熊野信仰の流れのダイジェストおまとめ】
自然崇拝(木・岩・瀧。熊野をなす、この地の宝)
↓ 
神々にあてはめる

神々のお姿をあらわすために仏に置き換える(神仏習合) 

明治の神仏分離令で分ける

歴史を誇るが、つまびらかに並べるとなんだかちぐはぐ!?


みたいな流れとなるのか。


まず、熊野本宮大社の境内に伺うと、すばらしい神気が漂っていた。
わたしにとってはものすごくフレンドリーで、「よくきた!」と頭を撫でてもらっている感じ。
素戔嗚尊(スサノオノミコト)好きのわたしは、うれしくて発狂寸前(自宅には「蘇民将来之子孫也」の注連飾りを飾っている。今も)。


熊野速玉大社(岩)が伊邪那岐命(イザナギノミコト)・伊邪那美命(イザナミノミコト)を祀るのは感慨深い。
磐船に乗って、ここへ来た人をイザナギ・イザナミにたとえているのだろうけど、それはだれだったのだろう。
なんて壮大な物語を描くことができそうだけど、置いておいて。
そういえば、ここいらは古く「黄泉の国」ともいわれる場所で、伊邪那美命が死して隠れた黄泉の国のイメージとも重なる。

那智の御瀧では、壮大な瀧を眺めながら、瀧という字が「さんずい」に「龍」ということを噛みしめた。
あれは龍だ。天翔る龍。信仰対象となる思いが痛いほどわかる。
それで、ここに大己貴命(オオナムチノミコト)をあてはめるのも面白いと思った。
一説によると、大己貴命を蛇神さんと見る説もあるからだ。


卒倒しそうになったのは、那智大社と同じ境内にある青岸渡寺にお参りしたときのこと。
仏像とは別に、あまり見慣れない像があって、はてどなたかと思ってしげしげと見たら
役行者像だった。わたしの大好きな人。


役行者(役小角・えんのおずね)といえば、空海が心酔していた高僧(で、サイキッカー)と認識している(←超私見)。
空海は、役行者さんの行ったあとをたどっているように思えてならなかったからだ(たしか生きた年代は百年ほど違う)。
あの空海が、後ろ姿を追い続けた人、それが役行者さんだと思う(さらに、空海の後を、西行はたどったように見受けられるけど、どうだろう)。


サイキッカーとして知られる役行者さんが、どうして山岳信仰(修験道)に傾倒していったのかと考えるけど
この場所に来て、役行者のたいへん真摯な修行ぶりを感じることができた。
サイキッカーというよりも、まじめに修行をする人で、ある能力を身に着けたんだな。
周囲がそれをどんどん恐れたんだな。
邪念ではなく、よくしたいと思われていたのだろう。
思いの外、青岸渡寺で、役行者の真摯な宗教者、求道者の顔を見た思いで、胸が熱くなった。
像を見ていると、「そうでしたか。お疲れ様でした」と泣けてくるような感じで。


次にここへ来るときは、寺のすぐ下あたりの民宿に投宿して
3日間ばかり通ってお参りするかな……ゆっくり読経してチャンネルあわせるか、なんて思ったのだが
今日の昼間、矢も立てもたまらず仏門に入りたくなり、取り急ぎ申し込んでみた。
しかし申込み期限の3月31日は過ぎている……どうだろう。


こんな素敵な制度がありましたよ。出家するにはまだ早い(!?)わたしにぴったりかもしれない。
待賢門院や美福門院に憧れたわけでも、入道になりたいわけでもありませんから。
↓ ↓ ↓
国際仏教塾 http://www.tibs.jp/


さあ、どうなることやら。
スクーリングと校了日が重なってるし。

 

 

伊勢神宮の御垣内参拝

2012年4月 2日 (月)

3月31日はお伊勢さんへ。
今回の伊勢神宮参拝は、パーフェクトハーモニーのエネルギー散策に参加したもので、
2011年10月に、開運家の紅龍先生のご案内で神嘗祭を奉拝して以来の伊勢参拝だった。

その神嘗祭では漆黒の闇の中で行われる祭事を、玉垣の外から奉拝した。
ちょうど雨降りで、雨の中を玉垣の内側では火が焚かれ、さらに奥では神事が行われているのをただ静かに、こちらの気配を消して見守った。

*まったく余談だが、炎を見つめていると、畏れ多くも
「とようけー、とようけー」と、豊受大神にまとわりつくような天照大神(まだ少年)が感じられるような気がして、とてもあたたかな気持ちになった。
そのイメージでは、豊受大神はお母さんみたいな印象。さらには天照大神は男性に思われた。やっぱり男性だったんだなと感じた次第。
ついでながら、それは豊受さんの大切にしておいでの思いだろうから、ここでの出来事というわけでもなく、元伊勢だとかのできごとなのかもしれません。些末な話ですみません。


さて、今回は「御垣内参拝(みかきうちさんぱい)」といって、御正殿(ごしょうでん)の玉垣の内側で正式参拝させていただくというもの。
もちろん初めてで、うれしいの、なんの。

玉垣の中に跪いてご挨拶させていただき、文字通り感無量。
涙がにじむのは、あまりにもその場所が清冽なような気がするからだ。
二千年もの長い間、祈りが集まった場所。そこは美しく極まっているように思う。

外宮では、玉垣の内側は炭の匂いがまだ漂っていて、神餞の支度をきっと今朝もなさったのだろうと思うと感慨深かった。
外宮はいつもあたたかく、おおらかで優しい印象だ。慈悲深い。

対して内宮は非常に凛として清く(その分厳しさがあるように感じる)、深く優しい印象。
跪いてご挨拶させていただくと、雲の切れ間に日がうっすら差してきて、うれしかった。
日が差した、雨が降った、そんな外界のあれこれを神々とつなげて考えるのは楽しいし、御神意ととるのは幸福感のある習慣だと思う。

境内にいるだけでも、ものすごく気持ちがいいので、顔がにやにやしてくるのだが、
参拝のあとは、もううれしくてたまらず自然と笑みがこぼれる。
……わたし、ただミーハーなんじゃないか、もしかして。

美しい清々しい場所で極まり、木々とたくさん話をしながら帰ってきた。
それにしても、伊勢は凛としている、いつも。


今年は伊勢神宮の遷宮の年。
伊勢神宮の御遷宮祭、奉拝させていただきたたいものです。ご縁がつかないかしら。
そして今年は出雲大社の遷宮でもある。ふたつの遷宮が重なるのは珍しいことなのだそうだ。
出雲の神迎祭のご神事を、また奉拝させていただけたらいいな。

バリ島・ニュピの瞑想体験記録 後編

2012年3月27日 (火)

【たましいの旅】
二日目の瞑想フィナーレの晩。いよいよ行かなきゃ、出かけなきゃと決めていた。
しかし、どうやって日本に行けばいいんだろう。
飛行機の中で見た、バリ島と日本の地図を描きながら、まずこの場所(ウブドの瞑想場所)から上へ上がる、どんどんあがって、島が見えるところまで上がったら日本へ……。
しかし、なかなかこれがやりにくい。
「あっち」と思うも進まない。どうやるんだっけ? と考え込んでいたら
目の前に金色に輝く日本列島がポンと現れた。とてもきれい……。
そう。バリ島から日本へ向かう間に、
「オノコロオノコロ」とかき回す感じが、もしかしたらわかるんじゃないかとすら考えていたのだけど、少し違った形で、日本列島が出てきた。とりあえずそれを抱きしめた。
「もうこれ以上激しく揺れないでね」と、静かにじわーっと温めるイメージ。


瞑想中に、夫と会うつもりだったのだが「どこで」会うのか、待ち合わせ場所を約束するのを忘れてしまった。
しょうがないのでうちに行って、普段通り掃除をしたりしていたのは、冒頭に書いたとおり。


病に伏せっている友人にも会いに行った。
会った先で、ごにょごにょメッセージを伝える。ちゃんと伝えたつもりだけど
なにせ言いたいことを伝えるのが少しだけ難しい。夢の中で喋る感じに似ている(夢だったのか?)。


むろん仕事関係者にも会った。
というか、対峙しながら、こちらのこれから先の自分の考えを整理し、まとめていく。
悩んでいたことにも、シンプルに答えが現れるものだ。瞑想は不思議なり。


死んだ人にも会いたかった。
もう20年前に亡くなった、父に会いたかったのだが。
あの世へどうして行けばいいのかわからず途方に暮れていたら、父のほうからやってきてくれた。
突然わたしの目の前に現れ、笑顔で、3才くらいの女の子の手を引いていた。
ひと目見て、女の子が、わたしが5年前くらいに流産した女の子のイメージなんだとわかる。
そうか、父がみていてくれるから、大丈夫ってことか。ありがとう、おとうさん。
胸の中が温かいイメージで満ちる。しあわせな気持ちになった。


ツイッターで知り合った友人にも会いに行った。
瞑想に時間に合わせ、チャンネルを合わせてくれているはずなので、行かなきゃ! だったのだ。
詳細の住所がわからなくても、行きたい、行く、と思うと、ぼんと飛んでいけるように感じた。
気がつくと、仮想彼の部屋にいて、彼に言いたいことを伝え、
でもこの人にちゃんとリアルにわかってもらうためになんかしなきゃなと考え
喫煙者の彼のライターを隠すことにした(からだがないのにそういうことをするのって、結構たいへん)。
彼のつぶやきで、わたしが行ったことを、なんとなく感じてくれていたようだったのがうれしかった。
「あたたかい感じで、よく眠れた」「女の人に膝枕してもらっている感じ」らしい。
誤差の許容範囲だと思う。ライターを隠した件を伝えると
「わりと買ったばかりのライターの火がつかなくなったのは、そういうことですかね」とお返事。
……彼が優しいので、そういうリアクションなのかもしれないけど、なんとなく面会成功ということで。


新潟の友人宅にも行った(これも行ったことない)。
ぎゅーっと友人を抱きしめて、思いを静かに送ってそのあたりを満たし、
少し前に亡くなったお父様にお参りさせていただいた。


ほかにも数え上げるときりがなく、なんとなく気配を感じてくれた人たちがツイートしてくれたのがうれしかった。
初心者の割には、自在に飛び回ることができた。
それもこれも、バリ島のおかげなのかもしれない。
とにかく、どこかから戻る度に、聖なるアグン山とバリ島の神様に挨拶をしていた。
わけわからず、節目ごとに般若心経を詠んだ(心の中で)。
宗教的には超チャンポン、しかし、感謝の気持ちはきっとひとつだ!


あとでミエコさんに「あんた、寝言がすごいからびっくりしたわ」と言われた。
わたしの幽体は、いったいどこにお出かけしてのやら、厳密に考えると不思議で
いや、夢の世界を漂っていただけといわれても、「それは違います!」とは言い難い。
ただ、「来たね」「感じたよ」とあたたかく応えてくれる人たちに感謝しつつ、
そして肉体をもつこの限られた時間に深く深く感謝しつつ、
肉体がなくてはできないことをちゃんとしようと思うのでした。

行こうと思えばすぐ、バリ島にも飛んでいけるのが、うれしくもあり。
でも、やっぱり、今はまだ、からだも一緒に旅をしたいお年頃です。


そうそう。瞑想中のラーマさん(王様)のエネルギーが高く、すばらしかった。
正しく瞑想すると、あんなふうになるものなんだろうか。
さほどエネルギー感知体質ではないわたしにも、十分感じとれるもの。
清らかで高貴、そして強く、一瞬にしてこちらに流れてきた。いやすごかった。


【おわりに 幽体のことを少し】
幽体(魂)だけになったときに大事なのは、イメージがすべてだということ。
自分がとらわれているような世界しか、広がらない。
道がわからないとそこに行けないと思うと、道がわからないから行けないし、
念じればそこへ行けると思うと、道がわかろうがわかるまいが、すぐに行けるもの。

肉体のあるこの世界では、「思いが世界を作る」といわれるけど、
肉体を失った場所ではそれがさらに顕著になる。
イメージや思いがいかに大事かを痛感する。
思いがエネルギーに代わるから。

みなさんもこの先、もしもからだをなくす(置き去りにする)瞬間があったときには、
まず思いを整えてみてください。
会えないものはないし、行けない場所もない。たどたどしくも、ほとんどできると思います。
阻むものは、たぶん自分の思いだけかもしれません。
目の前に見えるすべてを、全面的に信じて、次の物語を紡ぐこと。あるいはまかせること。
幽体の世界でも、結局、今やっていることととても似ているのかもしれません(顕著だという印象あり)。
だからこそ、自分と他者のエネルギーを知覚しながら、しっかり歩みを進めていこう。
あらためてそんなふうに思うのでした。

バリ島・ニュピの瞑想体験記録 前編

2012年3月27日 (火)

昨日の朝、いつものようにうちの廊下と階段の拭き掃除をしているとき
「からだがあるって、いいなぁ」と、しみじみ思った。
肉体のありがたみをひしひしと感じることができた。これも、バリ島での瞑想の賜物にほかならない。

バリ島での30時間の瞑想途中に、ふわふわと幽体でうち(日本)にやってきたものの、
留守中掃除をしていないのが気になり、掃除を始めてしまったのだ。
やっているんだけども、からだがないので、スカスカしてやりにくい。
幽体だけという状態が初心者なわたしは、なかなか思うように動けないので、掃除特有の達成感もないまま、
とにかく掃除だけはした(つまり気分だけ、ということになるんでしょう、現実的には)。
ところが、翌朝(つまり瞑想明けてすぐ)、夫からメールが来た。
「君、ゆうべうちに来たね。君がキッチンの連絡帳見ていたのを見たよ」。
浮遊したわたしを見つけてくれたのか! と思うとたいへんうれしかった。

ニュピの瞑想は、ニュピに日付の変わった深夜0時から、まるまる一昼夜続く。
24時間を経た次の朝を迎えるまで続くので、およそ30時間続くロング瞑想となる。
そんな瞑想慣れしているわけでもないわたしにできるのか!?
しかし不安よりワクワク感のほうがはるかに勝っていた。
つなぶちさんが以前、離れた人との瞑想中のコンタクト実験みたいなことをされたのを読んでいたこともあり、ぜひとも試してみたいことがいくつかあった。
会いたい人もたくさんいたし。そんなわけで、妙なノルマ(?)を感じつつ、瞑想が始まった。

瞑想の指導してくださるのは、ウブドにいらっしゃる、スカワティ王朝の流れを汲む王族の王様の村の王様のラーマさん。
30時間にのぼる断食瞑想は、肉体的には過酷だからと、はじめにしのぎ方を教えてくださる。
曰く、光・風・水・「土・音、宇宙をつくるこれら5つの要素のエネルギーを、体に取り入れておくのが大事」。
ニュピの前日にブサキ寺院にお参りして、それら5つのエレメントをそろえながら
「いい? 人間のからだの中には、必要なものはすべて入っているんだよ」と教えてくださる。
5つの要素をからだに詰め込んでいく作業が、とても心地よかった。
満たされて、わたしはきっと大丈夫、という確信に変わっていく。


今回のわたしの瞑想の課題は、まず神々にご挨拶をすること、それから深く感謝をすること、そして会いたい人たちに会いに行くことだった。
30時間も瞑想できるということは、いくぶん時間に余裕がある。
だから、いつも朝晩のお参りのときは、なんだかせわしないのを
心ゆくまでゆっくり思いを重ねて、祈り、その先にあるものに寄り添うようにしたかった。

ところで。日本の家を出るとき、我が家の神棚にお祀りしている神々と仏壇で
「これからバリ島の神様にお目にかかってきます。もしもよろしければお連れしますから、わたしのからだに乗って一緒にお越しください」とお伝えして、ご一緒してきた。
日本でもそうだが、龍神さまもご一緒するので、参拝の折りにはよく雨が降る(ように思う)。
ヴサキ寺院に行ったときにも、次の寺院でも、やはり雨が降った。
瞑想中は、空を稲光がきれいに走っていくのを見て(これが見事に龍!)、清々しい気持ちになった。
だって、「来てるよ」サインを送ってくださっているかのごとき稲光だったから。


【1日目はからだに深く感謝。そしてお経の森を彷徨う】
「郷に入れば郷に従え」というわけで
バリの神様にご挨拶するときは、ご一緒した日本の神々をまず紹介してから、
お祈りを始めるようにしていた。

1日目の瞑想。アグン山(バリ島の聖なる山)とバリ島の神々にご挨拶し、ニュピのお祝いを伝えたあと、
ふたたび日本の神々をご紹介してから、最初にやったのは
自分のからだへ徹底して感謝を伝えることだった。
足の爪の先から頭のてっぺんまで、ゆっくりと。

魂を乗せてくれるからだへの感謝。これがなくては多くのことは始まらない。
そんなことを思い出しながら、どこまで細かくできるだろうというほど、細かくやってみた
気が済むまで何時間も感謝したあとで、お経を詠んでいたが(心の中で)、
これが途中で落ちてしまうというか、なかなか詠みきることができなくて、おかしかった。
途中まで詠むと、色がざざざ~と混ざる感じになって進まない。何度も何度もそれを繰り返した。
「お出かけは、もう少し上手に瞑想できるようになってから。明日からにしよう」と思ったが
朝は思いのほかすぐにやってきた。

夜明けはものすごくゴージャスだった。
瞑想部屋のぐるりを囲む、ウヴドの美しい山の景色が、鳥たちのやかましい声で いっぱいになっていく。
夜が死なら、朝がきて生が訪れたことを世界が喜んでいるみたいで
今まで感じたどの朝よりもドラマチックな朝だった。

【後編へ】

バリ島のニュピに行きました

2012年3月27日 (火)

『全開運! しあわせ』で連載「癒しの時間」を執筆していただいている、
つなぶちようじさん http://www.tsunabuchi.com/ のご厚意で、
3月19日~25日、バリ島のニュピにご一緒させていただきました。
ウヴドの村にいらっしゃるスカワティ王朝の流れを汲む王族の王様、ラーマさんのお宅で、
ニュピの瞑想をさせていただくというものです。
つなぶちさんは、今回が9回目(すごいですね)のニュピ。
大のバリ島好きのフォトグラファー、ミエコさんも一緒です。

「ニュピ」はバリ島の3つある暦のひとつ(太陰暦)で数える、お正月みたいなもの。
ニュピの前々日は、普段使っている神具を海で浄めるそうです(その行進はお祭りさながらに賑やか!)。
ニュピ前日には「オゴオゴ」という、祇園祭とねぶたとだんじりとを、ごちゃ混ぜにしたようなお祭り。
悪霊を集めて気遣い、新年が来る前に悪霊にはお引き取りいただくという趣向です。
めでたく悪霊がみんないなくなってから、心静かにニュピを迎えます。
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ニュピは「ゼロに戻る日」で、一日瞑想などをして静かに過ごすのが本来の過ごし方だそう。
日付が変わってニュピに入ったそのときから、食べず、飲まず、働かず、遊ばず、眠らず過ごします。
もっとも、最近はこうした厳格な規律に基づいた過ごし方をするバリニーズも徐々に減ってきていると聞きました。
裕福な人たちは、ホテルでニュピを過ごしたりするのだそうです(近年の日本の正月みたい!)。

厳格にニュピの瞑想をなさるラーマさんにリードしていただきながら
ニュピの瞑想をご一緒させていただきました。
およそ30時間の瞑想。ほかでは決して味わえないような体験です。すばらしかったので、
また次に書きます。
瞑想するお部屋。風を感じることができる、地上4階建てです。
眼下にはウブドの村を望みます。

つなぶちさんのバリ島ニュピのアルバムが
FBであがっていました。写真がとても素敵です。ご覧になれる方はぜひどうぞ。
↓ ↓ ↓
http://www.facebook.com/photo.php?fbid=347074962006149&set=a.347073095339669.79527.100001109443563&type=1&theater#!/media/set/?set=a.347073095339669.79527.100001109443563&type=1

 

「じゅぴさんが体験した2001年バリ島ニュピツアー」という素敵なブログを見つけました。
2001年に、つなぶちさんとご一緒なさった方の記録です。
バリ島のことも、ニュピのことも、瞑想の感じもとても詳しく書いてありました。
バリ島好きな人にはきっとたまらないです。
↓ ↓ ↓
http://www.ff.iij4u.or.jp/~jupiter-/bali.html

 

 

2012年の神様

2012年1月 2日 (月)

あけましておめでとうございます。
さらなる楽しいことをたくさん書きていきたいです。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨年に引き続き、年頭の「今年わたしとゆかりのある神様、どなたですか」をやってみました。
『日本の神様カード』(大野百合子さん著)の3枚引きです。
じつは使い方マニュアルをいまだに読んでいません(直感だけで多用できて便利!)。
タロットを代表とするオラクルカードには昔から興味があるものの、
「映画はハッピーエンドしかみたくありません」と常々思うわたしには、いささか重すぎるものが多く。
そんななかで、『日本の神様カード』はハッピーに楽しめるので好きです。著者のやさしさが伝わってきます。
占星術でいうと石井ゆかりさんみたいなやさしさ。

で、引いてみました。3枚引き。
 1 大屋毘古神 おおやびこのかみ
 2 泣澤女神 なきさわめのかみ
 3 八雷神 やついかづちのかみ

※このカード、神様と仲良くなるのにもおすすめなので、日本の神様好きにはぜひ。
四十八柱の神々に触れることができます。



3枚並べて見ると、ものすごく伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)色がものすごく強いというか、
伊邪那岐命・伊邪那美命のスリーカードみたいにもとれます。
それでいて当のお二方はお出ましではございません。なんですか、この謎かけ。

大屋毘古神は家の神・樹木の神で伊邪那岐命・伊邪那美命の子どもで家宅六神の神様のおひとり。
泣澤女神は、涙の神様(て安直ですみません。本居宣長は「水神」まで広げた模様)。伊邪那美命が子どもを産んで亡くなったときに号泣した伊邪那岐命の涙から化生する神。
八雷神は、その名のとおり雷の神様でパワーの象徴になりますが、黄泉の国でゾンビと化した伊邪那美命がまとっていた神々で、頭には大雷(おおいかづち)、胸には火雷(ほいかづち)……と、八神いらしたなかのおひとりです。

ちなみに去年は
1 石長比売(いわながひめ) 2 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) 3 塩椎神(しおつちのかみ)
だったので、伊邪那岐命・伊邪那美命とはもうまったく違う筋。
三柱の神々には、昨年たいへんお世話になりました。ほんとうに。

ちなみに月のはじめには、毎月1枚引きして、月の神様にお出ましいただきます。
いつも、どなたが出るか、かなり楽しみ。
それぞれの神様への思いは、ありすぎて冗長になるのでまたいつか。

この、「ある」のがいいんです。思うだけで世界は豊かになるから。
今自分がいる世界のどこにフォーカスするか、どこを選ぶか。
なろうと思えば3秒後にはしあわせになれる。それをたしかにしていく。
ということを、今年もたしなんで、したためて、いきたいと思います。




日本の神様カード https://amzn.to/2PCertn

 

 

 

 

龍との出会い 2011年総ざらえ1

2011年12月30日 (金)

2011年を振り返って、たくさんの出会いに恵まれた1年だった。
これから先しばらくは深く関わりそうなものとの出会いもあった。
互いに関係しあっているので、全部まとめてひとつなのかもしれないけれど、
「龍」と「エネルギー」と「外応」。
長くなるので、今日は龍について。
龍を知り、感じ、親密になった一年だった。
龍に導かれるように寺社を訪ね、瞑想すると龍に会ったし、たまにはその背に乗せてもらった。

「内山さん、龍がついているから、龍をそばにおくといいですよ」と、
スピリチュアル系打合せのあと、ヒーラーの先生からなにげに言われたひと言が胸に残った。
しばしば吉方位取りをするのだけど、今年は龍が気になったので、戸隠神社の九頭龍社にした。龍神にご挨拶に伺おうと思ったのだ。
以降、さまざまな龍にまつわる出会いと動きは加速度をつけ、時折目が点になることもあるけど、非常に楽しませていただいている。

十月、伊勢神宮の神嘗祭に奉拝させていただいたとき、非常に不思議な出会い方をした女性がいた。
奉拝のそのとき、また翌日の参拝時にたびたびお目にかかり、不思議ですねと挨拶するのだけど
最後昼食の伊勢うどんの店で、彼女が偶然わたしの席の前に座ったときにはさすがに互いに目が点。三回目の出会いだった。

「あの、もしかしたら、龍にちなんだ方ではないですか?」と尋ねると
「そうです」と即答された。やはり。
龍にちなんだ方かと聞くほうも聞くほうだけど、なんだかもう、慣れてきたというか、そういうことが多いのだ。
──彼女の名字は井戸さんと言って、淡路島のご出身(それだけでワクワクするスペック)。
家には井戸があり、そこに龍神様をお祀りし、朝晩お参りしているので龍とは縁が深いとおっしゃる。
「わたしも龍がついているといわれます。井戸さん、わたしにおっしゃりたいことがあるのでは?」とふたたび聞いてみた。
彼女の目つきが変わった。

「そうですね。内山さんも龍ですね。龍族。しかも、かつて龍女でした。だから知らずに近づいた男性は身を滅ぼしてしまう。
龍から人になるにはたいへんだと伺っています。3000年暗いところにいて、2000年寒いところにいて、また2000年……そうしてようやく人になったのです……」とのこと。

龍女か。龍女。ビミョーだな。
え、男を喰っちゃうの!?
夫は辰年だから大丈夫でしょう…(^^;)

加速度をつけ、このあとは出雲大社の神在祭で、龍蛇神にお目もじかない(そして我が家の台所には龍蛇神さんのお札が……龍蛇神講にも参加した)、
紅龍 先生 http://www.dragonforce.jp/ の冬至のお祀りで12月23日に箱根の九頭龍社にお参りさせていただき(奥社の気がものすごかった、あたたかだった!)
さすがにこれでフィナーレのつもりが
なぜか29日には貴船神社で高龗神(たかおかみのかみ・龍神さんです)の神事に参加させていただいていた。

まだまだ答えは出ない、ゴールもない、龍のあれこれ。
八岐大蛇と九頭龍の考察、さらに高龗神のかかわりと在りよう、
記紀以前の神々の存在、
龍と牛の信仰、龍と蛇の信仰、日本と中国の龍の観念の相違、
龍がもたらす豊かさと実り、命の水、水神……など、龍を中心にひろがる、つながる、すごいです。


来年は壬辰(みずのえたつ)で龍の年。またじっくり関わることがきっとできるだろうと思うとうれしい限り。
まずは秩父の八大龍王宮(今年の吉方位だった。節分までに行きたいなぁ)と
室生龍穴神社に行かなくちゃ。
龍を考えるにつけ、たくさんのものがつながり、広がりするのが、うれしい限り。

もともと役行者が大好きで、その役行者が八大龍王をお祀りしたというのが
秩父今宮神社にある八大龍王宮 宮司さんとはツイッターを通じてつながることができたうえに
そのすぐあと偶然、リアルでお目にかかることになった……のも今年だったな。感謝です。

2012年も続きそうな龍をめぐる冒険。
そうそう。わたしは日々の中で龍がらみのものを目にすると、なにか大きくて大事なものと、つながっていることを実感する。
いい外応のひとつにしている。

 

 

HOW TO 正しいお引っ越し

2011年11月25日 (金)

「今の引越なら北がいいんでしょ?」と、引っ越し先の不動産屋さんで言われた。
やはり高円寺から真北狙いでつい最近引っ越してきた同業者女性がいるらしい。
入居日を11月25日の希望と伝えると
「やはりご存じですね」みたいなことをおっしゃる。
暦のことなんだけど、本当言うとわたしはよくわかっていない。
いつも見ていただく、大阪の赤部先生に言われたとおりのことをただ遂行するだけだ。
この作業をもう15年ほどはやっていて、その間に6回引っ越してる。
引越は多い。偏印が多いから仕方ないの! 


さて、引越の段取りをまとめる。
1 生年月日と引越したい時期を伝え、適正な方位を赤部先生に聞く
2 方位どりをして物件の候補をあげる
3 物件の間取り図を大阪に送って五行易をたててもらう(ここでなかなかいいものが出ずに逡巡することあり)
4 物件決定。入居日を先生に教えてもらう

赤部先生いわく、契約日は別にどうでもいいそうで、わたしもそこはかなりいい加減。
人同士のやりとりは重視しなくて大丈夫みたいだ。

対・人以外の交流は、そうはいかない。
住み始める前にしばらく、おうちの神様にお供えをして浄化する期間が必要と
それは赤部先生ではなく、ほかの方にも言われたことがある。

先日も、カギをもらってすぐ新居に行き、まずはご挨拶。
心をきれいにおうちと合わせる。
宅芯に近いところに、酒・米・水・塩をお供えした。これは入居するときまで続ける。


で、引っ越す日は肝心だから、しっかり先生の指示通りの日に行く。
「その家で火を使ってものを食べた日を、引越した日とみなす」そうで
これもいつも忠実にやっている。
土地の不動産業者の方に「引越日には大切なものを入れるといいんだよ」と聞いたので
さっそくそうしてみようと思う。
いいと聞いたらすぐにひょいとやってみる。わたしの信条でもある。

もっとも、昨日風水師の先生とお話ししていたら
「本当に人それぞれねぇ」となかばあきれ顔。
「人が実際に動いた日でみないと、どうしようもないという人もいるわよ」とのことだった。てへへ。


5 酒・米・水・塩で未入居の家を清める。できれば1週間
6 吉日に入居 

以上!
てことになるだろうか。


明日は引越日。しかも新月らしい。なんてふさわしいんでしょう。
ここでどんどんふくらみ、満ちていけばいい。祈る。

家の思い 家の精

2011年11月15日 (火)

親が転勤族だったこともあって、生い立ちのなかで引越の回数は半端なかった。
たくさんの家に触れた、住んだからこそ、
家の不思議、場所の不思議というものを感じずにはいられない。

土地なのか、建物なのか、どうやら場所には気が宿っているらしい。
みなさんもお気づきだと思うけど
同じ場所に、何度もいろんな店が開店するけど、どれも長持ちしない場所ってある。
よほど強く、きれいないい気で満たして浄化しないと、きっと難しいだろうなと感じる場所。
…ネガティブな話で恐縮です。

ま、いろんな家で怪現象は起きるんだけど、起こるらしいけど、ほとんどわたしは絡まない。
家族や友人が騒いでいるのをよそに、私は幸いにも、コワイものをあまり感じない体質なのだ。

父方祖母の家は、廊下によく女性が立っていた。
立つだけならまだしも、ときどき首を吊っている。
幽霊だ。
義理の祖父が非常にドライな人で、いい廃材が出たからと、一式持ってきたらしい。
解体した家の廃材らしいのだが
その家というのが一家心中した家で、その木材で自宅の周りに廊下を造った義理の祖父。
そりゃ出るでしょうよっ、じいちゃん!

ちなみに義理祖父も祖母も亡くなったあと、
子供の私は「あの家を処分してほしい。うちで持っていないで」と泣いて頼んだ(で、その通りにしてくれた)。
同じように泣いて手放してくれと頼んだものに、刀剣がある(なぜかうちに1本刀剣があって、これもすごくいやだった)。
わけもなくイヤなのだけど、女の子だし、物騒なものがイヤなだけかもしれない。リアルすぎるんだよな。

小学校低学年のとき、母と兄、3人で暮らしたアパートは(父単身赴任)
「火の玉が出る」と、当時高校生の兄が怖がっていた。
前の住人が交通事故で亡くなっていたそうだ。おうちに帰って来られなかったから、飛んで来ちゃうのやら、どうやら。

小学校の高学年で住んだ、大好きな大きな桜の木があった小倉の家がいちばんハードで
カンの強い母は、私の部屋で5分でも昼寝すると金縛りに悩まされたそう。
もちろんわたしはまったく感じず、なにも弊害なく、ごきげんさんで暮らしていた。
樹齢50年ほどの、その桜の木がとにかく大好きだった。
しかしその家に住んでいる間じゅう、母の体調はすぐれず、2回の手術をした。
次の場所に引っ越したとたんに、母はけろっと元気になった。
その家は練兵場の跡地だとも聞いたが、もしや桜がなにか言いたかったのか(家が重すぎた?)
今となっては知るよしもない。

学生時代の寮も、さまざまなものが出たおしていた。
もっとも目撃率が高かったのは甲冑を着た武者だった。
一度はわたしの部屋のドアの前に老婆が立っていると、ちょっとした騒ぎになったことがあった。
「命日で死んだひいばあちゃんが来ているだけと思うので、お気になさらずに。悪いことはしません」とお詫びしたりして……。


いずれもわたしには少しも影響なかったけれど、とにかくいろんな家があるものだ。
できれば、こちらが気持ちを合わせられるおうちがいいなと思う。
基本的には、中に入る人を守ってあげようとしてくれる場所。本当はそうしたいと思っているものなので、
そういうことをリアルに感じられるところだと、こちらが心地いいのだ。
うれしくてたまらなくなる。隅々まで自分の気持ちを通わせられれば、家も喜んでくれる。


動くわたしと、動けない、いや動かない家。

対峙する感じは、樹齢400年の木と話すときに少し似ている。
家は、動くもの(こちら側)に対する、やさしい思い、少し哀れみに近いものを持っている、本来は。
大樹と似てると思うな。
だからこそ、気持ちが通うと、力になってくれようとしてくれる。
家が守ってくれることってある。
だってそういう意志を感じるんだもの。

 

 

出雲大社ご本殿にお邪魔…

2011年11月 6日 (日)

出雲大社に以前伺ったのは2008年。ご本殿特別拝観のときでした(これが初めて)。
ひょんなご縁で取材させていただけることになり、一般公開よりも1日早くご本殿に入れていただき、
ずいぶんゆっくり八雲を拝見し、あまりの素晴らしさにのけぞったのですが。

今回はなんと工事中の本殿に入れていただく機会に恵まれました(もちろん一般は入れない場所で、参拝者から見えないようプレハブに囲まれております)。
あまりのうれしさに、発狂しそうになりながら、屋根の高さまで工事用の仮設階段で上らせていただきました。
どうしてこうなるのか、自分でも「?」ですが、とにもかくにもありがたいご縁です。

ものすごく横柄な言い方をさせていただくと、
「えっ、大国主命様、大切なお住まいをこんなに間近に、わたくしに何度も見せてていただいていいんでしょうか!? いいんですね、ありがとうございますっ!!」。
昇天しそうになりながら、この目にしかと焼き付けました。できかけの屋根の、なにもかも。

たくさんの偶然が重なってこうなりましたが
いや、自分のなかの出雲の血が騒ぐ(昨日の運転手さんの受け売り)。
そしてまたもや龍の、出雲では龍蛇神の濃いお導きでありました。

その建てかえ中のご本殿を出たときには、めでたく天気雨。
ありがとうございます! と心の中で叫びました。

なんだかどんどんすごいことに……。

神在月の出雲 「神迎祭」

2011年11月 6日 (日)

出雲大社で「未来へ」というポスターを見て、「大本へ」と空目。
なんで出雲と大本と!? とブルーにこんがらがったわたしです。
ゴシックの書体ではムードがわからないでしょうが、筆で払いとかハネとかをつけると、似ていたのっ!!!


さて。
今日出雲で乗せていただいたタクシーの乗務員さんが博識な方で
大社についてとてもよくご存じだった。
それとももしかしてわたしが知らないだけ?
出雲教と大社教がおのおのどんなで、差違はなにかとか、
「出雲風土記の国譲りのくだりなんてないない」という話もいろいろ聞かせていただき、とても楽しかった。


決してわたしが水を向けたわけでもなんでもなく
乗務員さんがとつとつと語り始めたのです。


「いろんな方を大社へお連れしたけれど、ひとり忘れられない人がいます。
その方は予約のうえいらした方で、伊勢神宮の神官を退職されたとかで、奥様とふたりでお参りにいらっしゃったんです。
奥様はお着物、ご本人も羽織袴の正装。
『長い長い時間、大国主命様は酒に酔って心地よく眠っておられる。世の中がいよいよ悪くなり、よくないものがたくさん跋扈しはじめたので、この状況をなんとかしていただくためにわたしは大国主命様を起こしにきたのだ』とおっしゃいました。
世の中にはいろんな人がいるなと思いました。その『長い』という単位がまたすさまじく、京の単位とかもっと上をおっしゃったんです。
その方、『からだの不調くらいなら普通に治せる』ようなことも言っていて
もしかして人じゃなかったのかとも思いましたが、わたしの手元には心付けの封筒が残り、お金もいただきましたから、やっぱり人間なのです」


「何年か過ぎた後、素戔嗚尊の信者さんをお乗せしたことがあり、そのときの不思議な方のことを話しました。
すると、『ぜひその方に会いたい、なんとか名前はわからないか」』と身を乗り出して聞いてきた。
『まさにその人がおっしゃるとおりなのだ。そしてそのとき、起きていただく必要があったのです』と
その素戔嗚尊信者さんはおっしゃったそうで……。乗務員さんさらに唖然。
今から十年ほど前。2000年くらいの出来事とか。



どなたがどんなふうに戦ってくださっているのか、わたしには知るよしもありませんが
きっと想像以上の力が、護るために、踏ん張ってくださっていることをイメージすることがあります。もう、5次元ベースの話です。
だからわたしたちは大丈夫だと思います。
体がある人は、体を使ってできることを精一杯やりましょうね。それが我々にできること。



タクシー乗務員さんの印象深かった言葉。
「出雲に起こしの方は、みな出雲の末裔なんでしょう。きっと大国主命の血筋の方なのだと思いますよ。
大国主命は全国を旅していますから、それはたくさんの子孫が残っていることでしょう。
『夢で見たから来た』という人もいれば、『なんとなく気になって』『ずっと来たかった』さまざまですが、みなさんご縁がもともとおありなんですよ。
たましいが、それをわかっているから導くのです」
タクシー乗務員さんが静かに語る「たましい」という言葉を普通に聞いて、なんだかうれしい気持ちになりました。



乗務員さんの家系は、代々天照大神をお祀りしているそうで、「うちは出雲教でも大社教でもありません」と笑いました。
信者ではないが「境内のあのやわらかく、とてもあたたかい感じの大国さんはすばらしいと思う」とも。



今日、稲佐の浜で神迎祭の神事を見ながら、
一般の人々を交えながら神事を永く行っていらしたこと、
神々と人々の近さに、ちょっと胸が熱くなってしまった。
ただの秘め事に終わらない印象は、
ものすごく間口が広く、すべてよしとしてしまえる大国主命の力強さと懐の深さと。
人の至らなさとか、ぜんぶひっくるめてOK!にしてくれる、パパの愛。



さ、明日は神在月神事の「龍蛇神講大祭」。
龍蛇神講。稲佐の浜から大社まで、神々の先導役を務めるのが龍蛇神さんです。
ワクワクしながら出かけて参ります。寝なきゃ、寝なきゃ。

★来年2012年神在祭情報★
神迎神事・神迎祭 11月23日(金) ←旧暦10月10日
神在祭期間 11月24日(土)~30日(金) ←旧暦10月11日~17日
神等去出祭 11月30日(金) ←11月30日

あ~、1週間滞在したいっ。来年は、校了をどなたかに代わってもらえないかな♡

神様をのせていく

2011年11月 5日 (土)

先日「堀川」のご縁で知り合った女性とお話しているとき
なにげにことのはにのぼった
「お参りに行くときにうちでお祀りしている龍神さんをお連れした」。

あ、それはすごくいいかも、と思い、実践することにした。
わたしは「よさそう!」と思ったら節操なくすぐにやってみる(風のエレメントで双子座、B型っていうのはこういうことか)。

とくに今年は神事を拝見する機会が多いので
「今度○○の△△さんをお尋ねしますので、よろしければどうぞわたしのからだをお使いください。ご一緒いたします」
と、出かける前に神棚でお伝えする。
わたしの肉体を、媒体として使っていただくわけです。媒体? あるいは車。
すでにわたしが乗っているので、あと少々乗ったくらいは問題ない(そしてよくほか少々が乗っているらしい)。

うまくいくと、現地で「おう、一緒にきてるで!」というサインをキャッチできることもある。
わたしのほうが驚いて、ただただ「恐れ入ります」なわけだが。

秋以降は、戸隠の九頭龍大神もお連れすることになったので
おもしろいほど神事で雨が降る。
降る雨を見ながら、よかったよかったと思う。


気の世界の話ですからね。
いい気になればそれでいいの。いい気になるっていうのは、こういうことでも充分なの。
目に見えない世界のバランスというのが非常におもしろく
わたしにはわからないだけに興味深くてたまらない。

 

 

九頭龍(くずりゅう)さんと八岐大蛇(やまたのおろち)と

2011年10月 3日 (月)

うちに神棚をしつらえたのは3年くらい前だったか。
お札だけをお祀りしているのから、見よう見まねでここまでやってきた。

うちの神棚がよそ様と少し違うのは、扉が開いていること。
神棚の扉は閉じておくものだと伺ったのだけど、閉じるとどうにも気分が悪い。
「あけなさい」と強く言われている気がしてならないので開くと落ち着いた。で、今に至る。
だもんで事務所の神棚も扉は開いている。

ところで最近ご縁があって、九頭龍大神にも我が家の神棚にご鎮座いただけることになった。
その前に龍の置物を置いている。
龍の前には小さな甕(のつもり)に水を入れておいているのだが
ふと昨日思った。
……これ、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治の甕に少し似てないか?

出雲の風土記にあるんだっけ……
八岐大蛇は暴れ川を表し、稲田姫は稲を表し、つまり素戔嗚尊(スサノオノミコト)が治水によって稲作を守ったことが
八岐大蛇退治のお話のもとではないか、と伺ったことがある。
暴れ川を表すなら、関東に氷川神社(御祭神は素戔嗚尊)が多いのもうなずける(板東太郎を治めたわけで)。

「八岐大蛇」というときに
八つの頭じゃなくて、8つ「また」があると考えたら、頭は9つになって、こりゃ九頭龍だがなぁ……
と思うわけだ(頭が丸くついていて、股も8、頭も8の線も考えたけど)。
 ※この間お話していたら、クラブワールド
http://www.vortex-world.com/の大村さんも九頭龍=八岐大蛇の見解を持っておいでだった。
なぜ九頭龍大神が「退治される」ようなお話になったかというと、
まあ征服者とか勝者と敗者のパワーバランスとか、いろいろあるんじゃないでしょうか。わからない。


というわけで、目の前に甕を置かれていると、九頭龍大神はトラウマでイヤな気持ちにならないのか
いやいややっぱり龍神様は水がお好きで、なによりお酒はもっとお好きなのか、
そんなことより、同じ神棚に(少し離れてはいるものの)素戔嗚尊が鎮座されているのは大丈夫か(いらっしゃるんです、これが)。


そんなこと言ってたら、同じ神棚に
天照大神(アマテラスオオミカミ)と大国主命(オオクニヌシノミコト)をお祀りするのもないのかもしれない……ってことになるな(いらっしゃるんです、これが)。
神代の時代の物語からお気持ちを察するとそういうことになる。気にしても始まらないかもしれないけれど。
「いいの、日本の神々はおおらかだから」ですまされるけども、ふと考えることがある。

旧暦の神在月、11月に入ると出雲では神々の催しごとがはじまる。
いずれはひと月の間、お祀りごとを見守りたいものよと思いつつ、今年はどこかだけでも見たいなぁ…。

http://www.izumo-kankou.gr.jp/1275

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スピリチュアルアーカイブ2

2011年9月19日 (月)

小4当時の担任が霊媒師で、今のわたしへ深く影響をしていることは書きました。
しかし、始まりはそこではありませんでした。
今日はもっと小さな頃に遡りたいと思います。
「アーカイブ2」としましたが、ほんとうは「1」かもしれません。

もっともスピリチュアルな影響を、わたしに強く及ぼしたのは、母だと思います。
子どもが母親に教わる世界は、子どものすべてになるわけですから。

成長してから、そういった世界観に名前があるのを知るわけですが
母は徹底したアニミズムな世界を、わたしにたたき込んだと思います。

たとえば物心ついてすぐ、自分を囲む万物すべてに、魂(みたいなもの)が宿っているとすでにわかっていました。
木や風、花々、動物はもちろん、人形にも箸にもテーブルにも車などの無機物にも、全部、全部、全部。
生き物はわかりやすいですが、無機物も全部です。

わたしが大切に扱うと、ものはみなとても喜ぶし、粗末に扱うととたんに悲しみます。
いつもはその場所で、その仕事をしていますが、わたしが注意を向けると話しかけます。
すべてのものは、今考えていることを話してくれるようでした。
それを母の通訳で聞くのが大好きでした。
世界中のさまざまなもの、ありとあらゆるものは、非常にわたしに親密に接してくれることを、第三者の母が公平に伝えてくれるようで。
だからあえて、それを母に尋ねるのが非常に好きでした。
1歳~4歳にかけては、すべてこんなふうです。周りのすべてと自在にお話する子ども。

わたし「ねえねえ、今ピロ君(←お気に入りの犬のぬいぐるみ)、なんて言ってるの?」
母「早く一緒に寝たいって言ってるよ」(満足。)

わたし「ねえねえ、今ユリちゃん(←お気に入りの人形)、なんて言ってるの?」
母「マリちゃんが優しくしてくれてうれしいって言ってるよ」(大満足。)

わたし「このお箸はなんて言ってる?」
母「いつもマリが上手にたべるからうれしいと言ってるよ」(これまた大満足)

大事にしていたゴムボールが、兄が激しく使ったせいでパンクして凹んでしまった……
瀕死の重傷に思えるわけです。
ボール専用の布団をつくって、ぬれタオルを当てて(←冷やしている)、「治れ治れ」と泣くような子どもでした(あれは3才くらい)。
乱暴者の狼藉で大けがしてしまって、気の毒でしようがなかった。
……今考えると、それよかお湯につけるほうが「治る」んだけどな。
しかも妹がそんななら、兄はつらかろうと、今ならわかるのですが(^_^;) 兄、ごめん。

少し大きくなって小学生になっても
月を見て悲しくてたまらず号泣したり(また母が隣で「月の砂漠」を歌うので)、
世の中にこんなに寂しい風景がほかにあろうかと、子どものわたしは思って泣いたのです。

また台風の晩に、風に耐える木に向かって絶叫(←応援)したり。
……部屋の中で。ああいうのを叱らない母には、今も感謝しています。
のびのび育ててもらいました。感謝。


今不思議なのは、成長したあと、「アニミズム」と捉えていたことが
ものみなすべてにエネルギーがあり、それ以前に意図ありき……という考え方とつながってしまう不思議です。
ぜんぶつながります。というか、それはよく知ってる!
そして拡大します。それが宇宙と解釈することだってできる。

もしかすると、古代の人は、それがわかっていて「アニミズム」だったのかもしれない。
だからものをおろそかにしなかっただけかもしれない。
わかってたらできませんって。
自分のできることで、どうしたらよろこんでくれるか考えるって。些細なことですから。
すると、日々はいかにしあわせな気持ちに満ちるか(それを「愛」と呼ぶ人もいる)。
それが、未来からの流れにつながるというわけです(つまり「引き寄せの法則」)。


そんな宇宙遠く、はるか遠くへ向かえば、きっとここに戻ってくる、そういうこと。たぶん。
そして、外側と内側には同じものがあるのです。たぶん、もう間違いなかろう。

退行催眠のとき、ガイドをしてくださった大野百合子先生に
「幼いあなたは知っていたのね」と言われましたが、はい、わかっていたと思います。
あの花畑が重要なポイントに、永遠の野原になることを、知っていたと思います。

ただ、みんなそうかもしれないとも思います。
わたしは子どもの頃の記憶が異様に鮮明で、まだ歩けないときの記憶(仏間に寝かせられていたのが暗いので不満でした。仏壇くらかったし!)なんかまで、鮮明なので
なんか大きなことをいってるように感じるだけで、
みなさんほんとうは似ているかもしれません。
あのときを思い出すとどう? 世界はどんな風にみえてた? 変わった瞬間はいつ?
なんて話をしてみたいな。

祈り 心を合わせるということ

2011年8月 1日 (月)

久しぶりに新月の願いをやろうかなと思った。
今夜3時くらいから、獅子座の新月だから、明日の午前中がいいかな。
ボイドは午後3時~6時あたりか。
あれは月に祈るのかというと、少し違うように思う。

さらには今宵、みそかの夜だ。お参りだ。
月のおわり、みそかの夜には、
マンション住まいだけれども、部屋の外四方に酒をまいて、方角の神様にお参りする。

日々の祈り方をだれかにきちんと教わったことはない。
なんとなくやってきて、もうすぐ30年経つ。
自己流なのでやり方は常々変わるけれど、まあこんなところだというところになんとなく落ち着く。
母とわたしも、祈り方がまったくといっていいほど違う。
第一、 実家には神棚がなかった(母は家のなかのいろいろなところに、神様の場所を作ってしまう)。
わたしは2年前くらいに神棚を買って、それまでの「なんちゃって神棚」を脱出した。
「神棚を買ったんだ」と言うと、「ほうそりゃいいね」と、母は普通に応える。
四方拝の話をすると「わたしは八方拝だ」と母。えらい丁寧なんだが、我流の極致だ。

子どもの頃に、マイ仏壇の夢は途絶えたのだが、
  http://zerohachimaru.cocolog-nifty.com/news/2011/07/post-3998.html
高校生になると読経するようになった。
信心深いわけではなかったけれど、
自分が目に見えないものに守っていただいていることはひしひしと感じており、
この守ってくれている人(人なのか?すらわからない)たちへの感謝の伝え方を考えたところ
「これじゃないか?」と思ったのが般若心経だった。
喜んでもらえるのならと、まめに読んだ(喜ばれているような気もしたし)。
朝晩、読んだ。朝は一部だけど、夜は三部経やっていた。
部屋にはお守り代わりに般若心経を張りだしていたし、
だれかの命日だというと写経した。たまに写経する高校生だった。

今は朝晩の読経はしない。たまに歩きながら、般若心経を頭で唱える(とリズムよく歩ける気がする)。
朝晩は、神様にお参りして、なんちゃって仏壇にお参りする。

神棚にお祀りしている神様をはじめ、今ご縁のある神々に呼びかけるので十五柱ほどになる。
神棚がいいなぁと思うのは、ちゃんとつながることができると、
そのまま五十鈴川のほとりを歩いてお伊勢さんにお参りしたりできることだ。
それから貴船の山深く入って貴船神社の奥宮に行ってお参りしたり
美保神社から海を見下ろしたりできることだ。東京・高円寺に居ながらにして。
仏壇が寺の出張所なら、神棚は家の中の神社出張所みたいなものだというのは、日々実感できる。

仏壇はというと、わたしのはなんちゃって仏壇で、
骨壺から失敬した父の遺骨が壺屋の蓋ものに少しと、その側に大好きな仏画を張っているだけ。
仏画は仁和寺の孔雀明王(国宝。もちろん複写。中国北宋時代らしい)……超かっこいいです。
毎日拝めるしあわせ……かっこよくて飽きない。
朝晩、仏様と孔雀明王に、「ご先祖様みなさんの一人ひとりの罪を許してください、浄土に居らしてください」と、お参りする。
……と、これはこの間、「こうしたらいいよ」と取材先の仏壇屋さんのご主人に教わった。
それから亡くなった先祖に呼びかける。わたしが死んでいたら、朝晩呼ばれたらうれしいだろうと思って、お話している程度だ。
家庭の事情がややこしいので少し多くて、6つの家と、11人の故人と言葉を交わす。
ああ、やっぱり仏像はほしいなぁ。この間衝動買いしそうになった仏像があったっけ。


神棚で、はるか遠くの神社に伺うような気持ちになって
それから仏壇で、たくさんの死んだ人たちと、ゆっくり語らって
そういうのって日本人の知恵だろう。
できれば気がすむまで朝晩ゆっくりそうしていたい……と思うけれど、
日々のなかではかなわずに、祈りは朝晩駆け足だ。

神棚、仏壇のほかにも、祈っている……といってもいいと思う。
ほかに、おうちの神様やトイレの神様はまた別格で(お祀り定位置が別にあり)、朝晩お参りするし、
鬼門に盛り塩置いているところは、五行的な仕掛けもある。

それから朝、家を出た瞬間、時空に祈るし(というか呼びかける)、
事務所のある新宿に着いたときにも
「今日も上手につながらせてください」 そんな感じで時空に呼びかける。
そのまま空遠く高く、地球を飛び出して遠くのことと、足下深く深く地中の奥底までどんどん、
わたしというたましいと、わたしというからだ、の、コンセンサスについて
なんていうことを思うともなく思っていると、いつの間にか目的地についている。
撮影の神様にも、編集の神様にも祈るし、事務所に行ったら神棚で手を合わせる。
事務所の神様みたいな精にも、ビルの精にも、フロアのなにかにも挨拶する(祈る)。

遠くに近くに、自分の別のなにかと気持ちを合わせることを祈りというか。
対象は多いような気もするけど、まあ今は絞らず、いろいろでいいんじゃないかと
このごろはそう思う。絞るときも来るかもしれないし。
目に見えるもの、見えないもの、いろんなものに支えられ、お世話になっているので、
要はこちらの気持ちの届け方なんじゃないのかと思います。
感謝の伝え方。

それは自分をおさめるやり方でもある。
そうすることで、いちばん安心なのはわたしなのだ。安心しているので状態もよく心が静か。
よきかな、よきかな。

そのために、なにかと合わせることを、あちこちではたらくのではないだろうか、人は。

 

 

 

 

わたしのスピリチュアル体験・アーカイブ  ~担任が霊媒師~

2011年7月17日 (日)

3年前にミクシィで、マイミクの石原さんの日記がきっかけになり、
「わたしの音楽体験・アーカイブ」をやったことがある。
音楽はだれかと共有できる思い出だから、結構盛り上がった。

で、スピリチュアル体験・アーカイブってどうよ
「ああ、あのときのあれ、よかったよね?」なんてことには決してならないけれど
人生そろそろもう50年。忘れたくないので残しておくことにした。
長くなるので、ぼちぼちいきます。

ちょっと不思議な話をすると、母はよくわたしをややウザそうに変人扱いする。
「あなたはKセンのときから、ずっとそう。小学生から不思議系の道まっしぐらで……好きよね」とため息。
本当はKセンよりも前からそうだけど、
系統づけて考えられるようになったのは、たしかにKセンからかもしれない。
小学4年生の担任の先生だった、K先生。霊媒師でもあった。

K先生……通称Kセンは、徹頭徹尾中年のおっさん風情。鉄道マニアでもあった。
レンズの厚いメガネをかけ、ユニークな風貌だけど、小学校の先生でありながら霊媒師で、
授業を脱線させては、よく神仏の話や心霊的な話をしてくれた。
コワイ話、不思議話、笑える話、どの話も最高におもしろかった。

Kセンは霊視ができる人で、霊おろしみたいなこともやった。
また「お手当」と言って、人のからだの痛いところに手をかざして、治すことができた。
いい時代だったよな。今ならきっと問題になることだろう。

お手当のときには天茶(あまちゃ)を使うと助けになる。
天茶を洗面器に入れて、手ぬぐいを浸して、それで湿布しながらやると早いのだ。
よそのお宅に呼ばれてお手当に行くと、まず、Kセンは仏壇でお参りする。
ご先祖の協力を得て、改善していくというのが、Kセンのスタンスだった。
仏壇でお参りしたあと、ご先祖様がなにか言いたいことがあるときは、そのままKセンはとりつかれたようになって、畳にエアー文字を書き始める(読むのは結構たいへん)。
文字ではなく、ビジュアルだけで伝えることもある。
「家の敷地にある井戸が埋めてある。穴をあけること」とか、そういうことだ(Kセンが語る)。

近所に神経痛のおばあさんがいたので、Kセンを紹介した。
相談も治療も無料。お金が発生すると力はなくなるんだと、Kセンは言っていた。
そのとき、わたしも本格的な治療(?)に同席させてもらうことができた。

まずは仏壇でご先祖へお参りする。
先祖からの通達事項は、さしてないようだ(文字書きはなかった)。
でも、私はKセンのおろして、畳に文字書きするのを見たことがある。あのときだったのかなぁ。
お手当が始まると、洗面器に入れた天茶が、瞬時に濁っていく。
普通に麦茶色をしたお茶が、霊的なものが現れるととたんに白く濁るのだ。
洗面器のなかでお茶がひとりでに濁っていくのを、コワ~と思いながら静かに見守っていた。

神経痛のおばあさんの治療が終わると、
「おじいさんがやって来て(←おばあさんの夫。もちろん亡くなった人)、ずっとマリっぺの隣に座ってたよ」とKセン。
あれだけささ~っと濁っているんだから、そりゃそうでしょうとは思う。
おばあさんのひどい神経痛はけろっと治って、しゃきしゃき歩けるようになっていた。

そんな日は、帰宅すると母から塩を撒かれた。
思いっきり塩を撒かれ、「連れてこないでっ(ビシッ!)」とやられる。
母は子ども相手にも容赦はない。

Kセンのおかげで、目に見えないものに親近感を覚えたし
死んでいる人たちのことも近く感じることができた。
感謝したり、慈しむべき存在としてあるもの。それに名前をつけることはできないのだけど
とにかく目に見えないなにかがあって、それがわたしたちを守ってくれているのがわかる。
自分なりのやりかたで「ありがとう」をちゃんと伝えたくて
マイ仏壇というか、神棚というか、そんなものを作って、お祀りしようとしたことがある。
イチゴケースを2つ重ねて、中に布をはさんで、きれいな箱にして。立てかけてマイ仏壇(いや神棚か?)。
翌日Kセンに得意げに話したら、褒めてもらえるかと思ったら真剣に怒られた。
「子どもがやるもんじゃない。
下等霊が集まってきて手に負えなくなり、困ったことになるから、すぐにやめなさい!」。
ものすごく残念だったのは、せっかく作ったものをこわさなければいけないこと、
それ以上に、「悪さをする下等霊」の存在だった。
みんなが親切なわけじゃないのか!? と初めて知った瞬間でもあった。

今からもう40年前のことだ。
見えるものと同じくらい、見えないものにも価値があることを肌で知って、
見えないものにたくさん助けてもらいながら生きていることを実感できた子ども時代。
じゃあ、Kセン学級の子どもたちが、みんなこんなふうなのかというと、ぜんぜんそうではなく
不思議に囲まれて育っていったのは、わたしくらいなんじゃないのか。
よほど波長が合ったんでしょう。あそこでKセンに会えるとは、運がよかったです(しみじみ)。

今、スピリチュアルなお仕事で、摩訶不思議現象にも平常心で触れられるのは
カメセンの影響も大きいだろうと思う。
不思議やミラクルは、ごく普通に起きるものだということをすでに認識しているからだ。
「うんうん、あるよね。そういうの、うれしいよね」という感覚。
なんでもアリになので、既成概念自体がふにゃふにゃだし、
それはほんとうだし、ほんとうではなくなることもある、ということが理解できる。恩恵ですな。


しかし素地は、まだもっと幼い頃から、実は母によってもたらされていた。
世界のあらゆるものと話ができるのは、母のおかげなのだ。次回はそのアタリのお話を(*^_^*)。

5大疾病!? うつ病のこと

2011年7月 9日 (土)

第1章 4大疾病、精神疾患加え5大疾病に…厚生労働省
厚生労働省は6日、「4大疾病」と位置付けて重点的に対策に取り組んできたがん、脳卒中、心臓病、糖尿病に、新たに精神疾患を加えて「5大疾病」とする方針を決めた。
/2011年7月7日01時59分  読売新聞
 

子供の頃から、身のまわりに神懸かりな人が多く
心の病とはなかなか縁が深かった。
十代の半ばからうつ病の人と触れあう機会があって、
それから、周囲にいつも、だれか病んでいる人がいたような気がする。
うつ病や中毒、依存系……芸大にいたせいもあるかもしれない。
さらには、大人になってその数は増してきた。

わたし自身も、朝起きて身支度を整えようとしたら、「手にした靴下の意味がまったくわからない」という状況に陥り、
受診したことがある。
「予約診療しかできません」と窓口で言われて、「今すぐ救われないとだめなんです」と窓口で号泣。
診てくれて、うつ病と診断された。

タイム感がすさまじくズレて、一瞬でタバコが終わってしまう(気がつくと1本分のタバコがそのまま灰になっている)。
一日会社を休んだけれど、仕事は休めないので
夜中にうちでデザイン入れ用のラフを20ページ分描いた。
いつもなら2時間でできるものが8時間かかる(なにせ思考ができない)、
しかもえらい代物になる。
考えられないから、ものすごい線になっているんだけど(書く、描くことが、もう困難)、
考えるよりも先に手が動くことを幸せに感じた。こんな自分にできることがあるのが至福だった。
考えられない頭で「芸は身を助ける」と思った。
自分の手の技が、くるくるパーになった自分を助けてくれているのだから。

翌日、這うようにして会社に行った。
思考はほとんどできなかったけれど、たぶん今日行かなかったら、会社には永遠に行けないだろう、と感じたのだ。
そしてたぶん、それは正しかった。
しゃべれないわたしを、いろんな人がフォローしてくれて、
かくしてデザイナーさんへのデザイン渡しを成功させ、現実感のないままその日を終えて、
なんでもいいから、事務所にいるだけはいよう、という状態がしばらく続いて、やがて生還したのだ。
周りのみんなから投影される自分の姿を再現することで、自分らしさを取り戻していった。
自分のマネをしただけだけど。
周囲の人のありがたさ、あたたかさ、忘れられないです。

あちら側に行きたければ、きっとすぐに行けるだろうと、今も思う。わりとカンタンだ。
けれどわたしはそれをもう選ばない。選ばないと決めたから。
なんてことを思い出した。もう10年経つ。

薬の評価は悪いから、抗うつ剤はおすすめしない。
話せるだれかと話をして、考え方のシステムを遷移させることが大事だと思う。
(たぶん、そこを変えないと、また戻る)
問題は、もやがかかったようになって考えられないことだけど、
なにかひとつだけ、確かだと思えるものがあれば、戻れると思う。

受けた自分のダメージを、ダメージとして認識するのもいいし、
自分をゆるすことも、やさしくしてあげることもすごく大事。
気持ちいいことを「感じる」のも有効だと思う。
人によってさまざまと思うけれど、
自己肯定感を持てたらきっと回復できるんじゃないか、というのは乱暴かな。

今思うと、「考えられない」のは、考えないほうがいいというからだからの信号で、
考えるより感じるほうが大事な時期。しばらくは気持ちいいものだけに触れるといい。
わたしはエッセンシャルオイルをよく使う。いまだに眠るときにはかならずふりかけて眠る。
それから、とにかく浅くなった呼吸を深くすること(はじめに「もうだめ」というところまで息を吐けば、深く吸える)。
酸素不足は思わぬダメージを引き起こしてしまう。たぶん、脳にも。

自分の場合は、うつ状態を、「本来のよい状態に戻るための通過儀礼」のように捉えることができて
変わるきっかけのように捉えられたらことが転換のきっかけに。
脳化した自分に深いところで気がつけたのがよかったです。

うつ病は、
だれでも、突然、なることがあります。
だからこその「5大疾病」。
そのときに、どうぞ嘆きすぎないで。
「オレ、かわいそうやんけ~!!!」と思ったら、とにかく自分にやさしく、甘く。
他人がなんといおうと、です。

 

 

5.大団円。ユタが言ったひと言

2011年1月22日 (土)

前世を巡る旅を終えて、先生のガイドに従って、出てきた全員と輪になって手を繋ぎます。
李白を大好きだった詩人の男は、それから李白の詩を編み、一方で詩作を続けます。
ユタは神の声を人々に届け、正しい道を伝えようとします。
そして福禄寿に似た仙人。
さらには福禄寿も現れました。

「さあ、福禄寿があなたの中にすっぽり入ります。これであなたは富がどんどん恵まれる上に、深い智慧に恵まれます」

「李白の友人の男性のとおり、あなたはこれからも世に残したいと希求するものについて、どんどん編集の仕事を通して残そうとするでしょう。しかしまた、自分が書くということについても、後世に残るものを残していくはずです」

「さて。じゃあ、今のマリさんの仕事の仕方についてどうすればいいか、ユタのオバアに聞いてみましょう。オバア、マリさんはこれからどんな風に仕事をしていっていいかを教えてください」


マリ「大丈夫じゃ」

先生「大丈夫じゃないのでは? マリさんは現にからだをこわすほどのハードワークなんですよ」

マリ「大丈夫じゃ。からだは今日、これで治った。もっと強くなった。バランスを覚えることができる。人生は修行じゃから、大丈夫じゃ。これが切磋琢磨になる」

先生「わかりました。マリさん、大丈夫なの?」

マリ「はい、きっと大丈夫です!」

それからすべてを統合してもらい、
バランスをとる智慧を養うことを植え付けていただいて戻ってきました。


たいへん長い旅をしてきたわけで、2時半前に伺ってからやがて3時間になろうとするところ。
あたりはもうすっかり暗く、この状況で先生がガイドを続けてくださったとは驚きでした。
大野先生、ありがとうございました。

「働きすぎなのにブレーキかけなくちゃ!」が発端だった退行催眠ですが、得た答えは超意外、
「ぜんぜん大丈夫だから、なんにも気にせず働きたまえ!」

そこに
問題はありませんでした。
ただ少し、バランスが悪かったというわけです。それももう大丈夫だ、癒やしていただいたし。

まったく想定外の答えに呆然とするばかり、また登場人物たちにも唖然としましたが
この目でみた風景の数々を忘れることはできません。
しかもからだじゅうから力がみなぎるこの感じはたいへん不思議です。

「初めてでここまでいけるのは珍しい」そうですが、
ヨーロッパでアカシックレコード読むのとまた違う前世でも(ギリシアだったかな)、
わたくし神託を告げるのが仕事だったそうで(大野先生談)、
そういう経験がある人は退行がしやすいのだそうです。

「人格が変わって、仕事なんてぜんぜんしない人になったらごめんね」とうちでは笑っていましたが
どっこいそうはなりませんでした。
迷いもさっぱり消えて、ああスッキリ。


「やりたいこと、全部やる!」と思った年頭の目標をあらためて思い描いてみたりして。




★退行催眠の様子は録音しましたが、この原稿はテープ起こししたものではありません。
 思い起こして印象をまとめたものです。

『百魂百色』http://www.amebabooks.co.jp/book/b73795.html

退行催眠…アイユニティ 
http://homepage2.nifty.com/i-unity/

4.ユタだった!

2011年1月22日 (土)

先生「では転生します。今度はどこにいますか」
マリ「ジャングル……のようなところです。でも、ここは日本です、きっと。屋久島か、沖縄。わたしは十代の娘です」
先生「あなたはなにをしているの」
マリ「……神々の声を聴いています」

先生「もう少し先に進みましょう。なにが見えますか」
マリ「十人くらいの人たちが座っています。わたしは白い服を着ている。みんなわたしに聞きにきているのです」
先生「あなたは神の声をおろして、みんなに教えているのですね」
マリ「そうです」
先生「みんなに喜ばれている?」
マリ「はい。ただ……全部言えないのがつらいです。そのままは言えないことがある。言えません。そのまま言うと、その人を傷つけることがあるから。でもわたしにはわかっている。それは言えません」
先生「後悔しているということ? 苦しいの?」
マリ「苦しいですが仕方ありません。それは言ってはならないことだから。真実が人を救うとは限らない」

先生「あなたの人生のポイントとなるところへ行きましょう。とくにないなら、死ぬところに……どこにいますか」
マリ「年をとっています。ユカにわらみたいなのを敷いて寝ています。わたしの子どもではないけれど、人々がたくさん集まってきてくれています。とてもありがたいことです」


【補足】
4つめの印象的な転生は、神々の声を聞くものの、それはすべての人に望まれる結末ではないことを、悩み苦しむ若きユタでした。
しかしポリシーとして、終生、貫き通したようです。

ちなみにわたくしは前世のヒーリングを受けるたび(取材とか、勝手に読まれることもあります)、十中八九、
宗教に関わる人だと言われてきました。

沖縄、キタ~~!!と、思いました。沖縄好きなのはご存じのとおりです。ほほほ。
そして神秘的なものに惹かれて止まないのも、こういうことかと思う次第(^^;)
みんなつながってたのね。

3前世への遡り。福禄寿? そして李白の友だった

2011年1月22日 (土)

先生に従って進むのですが、「なにが見えますか」と言われても、「暗い、暗い、牢屋のようにも感じる、下が堅い……」ばかりでしばらく進みませんでした。

先生「足下を見てください。なにを履いていますか?」
マリ「裸足だと思います。黒い……黒い一枚物の布みたいなのをすっぽりかぶっているんですが……。ぷぷぷ。あの、頭がすごく大きいのです。あの、福禄寿だと思うんですが。へんですか(笑)」
先生「いいえ。ひとりですか」
マリ「誰かを待っています。たぶん相手は弁天です」
先生「ひとりでいて寂しいですか?」
マリ「いえ、待つのは慣れているし、ひとりにも慣れている。二百年くらい待つのはザラだし、ぜんぜん平気……」


先生「ちょっとそこから離れましょうか」


マリ「あ、誰かを待っています。でもアイツは来ません」
先生「あなたはどこにいますか」
マリ「岩場です。岩の上にいる」
先生「どうしてこないの」
マリ「アイツは酒に酔っているから、約束は思い出せない。李白です。李白を待っています」
先生「あなたは怒っているの?」
マリ「いえ。仕方ないんです。アイツの書く詩はすごいんですから、だめなところがあるのは仕方がない。そんなに人に完璧を望むものではありませんから」
先生「あなたはなにをしている人なのでしょう」
マリ「詩を書きます。でも李白には及ばないと思う」
先生「なぜ」
マリ「アイツの詩は自由だから。とにかくすばらしい。わたしはお行儀がよいから……」

先生「あなたの人生でもっとも象徴的な事件が起きたところに行きましょう……」

マリ (泣き始める)
先生「どうしたの」
マリ「アイツが死んでしまいました。わたしはアイツの書いたものを、後世に残したい。残さなければならない。アイツの詩のあの素晴らしさを後世に伝えなければ……(泣く)」

先生「ではあなたの死ぬところにいきましょう。だれがいますか」
マリ「妻がひとり」
先生「あなたが後悔していることはありますか」
マリ「いいえ。後悔はありません」
先生「李白とあなたを比べて、思うことは?」
マリ「人はみんな違うから、アイツの生き方や詩、わたしの生き方や詩があってそれでいい。それは比較できるものではありません。すべてあって、それでよいと」

【補足】
李白を待っている場所は、水墨画に描かれているような、岩が切り立った湖畔でした。たしか三国志に出てくる赤壁みたいな。
李白が月をすくおうとして死んだのがとてもとても悲しかったのを憶えています。

李白の詩を後世に伝えたい思いと、どんなに力量の差を覚えても、自分の詩作もあきらめない思いとが交錯しております。
編集者で、だけど書いて、という今世の原点ここにあり、という前世のエピソードです。

わたくし、はじめて「静夜思」に触れた中学のとき、心が震えました。
大好きな詩人です。だからわたしの名に、「李」という字をいただいたのです。

福禄寿の件、
のちに先生から「あなたは福禄寿に似た仙人だったのでしょう、きっと」と、言われました。
さらには福禄寿はガイドなのだそうです! なんてラッキーなことでしょう。
よく伺う目黒の大円寺。境内に七福神がいらっしゃり、よくお参りしています。
でもね。福禄寿はすみません、想定外でした。今度伺ったときにきちんとご挨拶しなくてはですね。

2.永遠の野原

2011年1月22日 (土)

はじめに第一のチャクラから順に活性化させていきます。
すでに催眠状態に入っていたのだと思います。

◆子宮・卵巣がどっと癒やされる

第一のチャクラの活性化を始めてすぐに、エネルギーがからだにどっと入ってきて、お腹の中が熱くなっていく、治っていく感じ、喜んでいる感じが(わたしも、細胞も)ものすごくリアルでした。
大きなエネルギーにどんどん癒やされていくようです。

マリ「十代のまだ若い頃、絶対に子どもができませんように、そのために一生できなくてもいいから、子どもだけはできないで! ととても強く願っていたのです」
先生「子宮も卵巣も、その約束はちゃんと果たしたのです。お礼を伝えましょう。そしてもう、その約束は不要ですから手放しましょう。これからは本来の健全さを取り戻します。自分で腫瘍も取って、お礼を言ってから遠くに捨て去ってしまいましょう。遠くに放り投げますよ……。1,2,3,はいっ!」
マリ「……(涙)」
先生「放りさったもの、大きさは? 何色だったかしら?」
マリ「紫、いや、紺色のような。大きさはビー玉ぐらいでした」


肺の浄化がまたすごかったです。
先生に「肺は、悲しみをためる場所です」と言われたとたんに、涙が止まらなくなりました。
肺ガンで亡くなった父、今また肺ガンを患っている義父、
そしてすぐぜんそくまがいになってしまう自分のこと。
どれもせつなくてせつなくてどうしようもない。
それをまた癒やしてもらって、悲しみをはずして、エネルギーを入れてもらって、あたためて。
またまた元気百倍に。

なにもかも初めてやっていただくものだから、ものすごく効果があるような気がしました。
そうだな。40歳になって生まれて初めて鼻をかんだら、このくらい気持ちがいいんじゃないか。



◆チャクラを活性化させてから、いざ、退行催眠のはじまり。

先生「これから階段をゆっくり降りていきましょう。こわがらないで。そこはあなたがいちばん気持ちいいと思う場所です。さあ、ゆっくりと……降りていきます。
着きましたね。そこはとても気持ちがいい場所です。……周りの景色はなにがみえますか?」

マリ「お花畑です。ヤギがいます」
先生「風は吹いていますか」
マリ「気になりません」
先生「音は?」
マリ「虫が鳴いています。
   ……わたしはこの場所をとてもよく知っています。3歳のころに来たお花畑です。
   大きくなってから、宇宙の果てを思うとき、この場所をいつも思い浮かべていたのです……(涙)」
先生「小さなあなたは、この場所がいちばん宇宙と近いことを、よく知っていたのですね。この場所は物質的に存在する場所でもありましたが、今あなたは、これから自由に、いつでもここへ来ることができます。ここへ来て、大きなもので満たされることができます。来たいと思うとき、いつでもです」
マリ(涙ぽろぽろ。止まらない状態)


あれは、永遠の野原(※逢坂みえこさんではないですよ)。
子どもの頃、地球を宇宙へと飛び出して、どこまでもどこまでもどこまでも旅を続けたら、あの野原に戻ってくるような気がしていました。
どこまでも広げて思い浮かべるものが、すべて自分のなかに入ってしまうのが不思議で、
だけどそれはもうずっと、体感として、巨大な宇宙すべてがわたしのなかにあることが非常によくわかるのです。
すべてはここにあることを、あるけれどもそれは空であることを、感じていた十代の頃。
その感覚は今も変わりありません。


これからもう、あの野原に好きなときに好きなだけ行けると思うと、とてもうれしくてたまりません。

1.大野百合子さんのセッションを受ける

2011年1月22日 (土)

きっかけは、山川健一さんのブログで取り上げてあった『百魂百色』を読み、
ぜひ著者の大野百合子さんのセッションを受けてみたいと思ったからでした。
大野百合子さんは、ご存じ『日本の神様カード』の著者としても知られる方です。

◆経緯
セッションを申し込んだ後で、持病の子宮内膜症が悪化していることが発覚しました。
ここからくる卵巣膿腫や、子宮筋腫などで、過去に2回開腹手術をしています。
子宮内膜症自体は良性だけど進行性の病気。子宮・卵巣を全摘しない限りは続く病です。
わたしは子宮とひとつの卵巣を残した手術だったので、はなから完治しないのはわかっています。
ストレスをかけないように仕事をするものの、そんなの無理。
年末に体調が悪くクリニックを受診すると、またもや卵巣腫瘍が育っていることが判明。
ついでにまったく関係のないところでも腫瘍マーカーが黄色信号が点灯。
2月には検査もいっぱい(^^;) 
自分ではいかんともしがたい暮らし(仕事)のパターンを変えなければと、退行催眠を選んだのでした。

しかし、今思えば、今日のために、あらゆる病状が雁首並べたようにも思えるな。
みんな癒やされたかったのです、たぶん。


◆カウンセリング
大野先生は、初めてお目にかかった瞬間に、とても懐かしい気がする方でした。
部屋に通されてすぐ、
「あなた、過去生で、ヨーロッパでわたしと一緒にアカシックレコードを読んでいるわよ」といわれました。だから先生のことが懐かしいのかしら。
しかも、アカシックレコードの概念を知ったとき、「そのとおり!」と感じたことはまだ記憶に新しいのです。

病歴やプロフィールを確認しながら、軽くカウンセリング。

先生「失礼ですが、お子さんはつくらなかったのかしら? それとも病気のせいですか?」
マリ「病気のせいです。手術直後に一度妊娠したことがありましたが流れてつらかったです。
しかし以前は子どもは絶対ほしくない。自分が経験したつらい思いをさせるのはイヤだと思いました。今は子どもができないことを申し訳なく思います」
先生「なにに対して?」
マリ「わたしを繋いできたいのち、先祖に対して。受け継いだものを伝えられなくてごめんなさいと思います」
先生「いま、子どもがいたらなにを伝えたいの?」
マリ「わたしがたくさんの人から教えていただいた生きる智慧と、この世界と生のすばらしさを」


仕事のことについても同様に。

先生「目を閉じて想像してみてください。仕事が少なくなることがどうしてこわいのかしら」
マリ「……お金がなくなります。それはとても困ることです。わたしは会社でも、うちでも、稼がなければいけません。それがわたしの存在意義でもあるので」
先生「仕事がなくなります。するとあなたはどう感じるの?」
マリ「……とてもさびしい」
先生「どうしてさびしいんでしょうか」
マリ「人々から必要とされていないように思うからです」
先生「意外に早く核心にきました。ちょっと待って。あなたのお母さんも、ご主人も、周りの人たちも、あなたが仕事をしないことであなたのそばから離れていったりしますか?」
マリ「残念ながらそうではないとは言い切れません。母はそうではないかもしれないけど」
先生「なにかをしないと認められない、存在意義がないなんていうことは決してないのです。
魂というものは、世界にたったひとつしかない輝きです。そこにあるだけで、すべてのものから歓迎されるものです」

そんなやりとりをしたあとで

「あなたは今世で、女性性をマスターすることになっています。今回が最後の修業なの。
男性性はすでにマスターしてしまっていますから。あなたの中で男性性が強いのはそういうこと」
と、こちらが多くを語らないうちに言い当てられてしまいました。
自分で「男だな」と思うこと、多いものな。言われることすべて、合点がいきます。
「あなたは男性に厳しいでしょう? なんでこのくらいができないのかと苛立つことがあるわね。自分の男性の経験値が完璧だから」
なあるほど!
男子に厳しく、女子にやさしいのは、中学時代からそうでした、はい。


こうして、今ある問題の原因を探るために前世へ行くことになりました。

石井ゆかりさん『双子座』読んでみた【長文】

2010年11月14日 (日)

「『筋トレ』いいよ」と聞いてから久しい。
最近ツイッターで、石井ゆかりさんの「今日の占い」に触れるにつけ、感銘を受けた。
超叙情的占いというか「星読み」。
その日の星の位置をみて、その星々がそれぞれの星座にどのように影響を及ぼすかを、
石井さんの読みで記したものだ。
語彙が豊かで情緒的な読み。それでいて、星をとてもよく読んでおいでなのだなとお見受けする。
だもんで、彼女の『双子座』(←自分の星座です)を買っちゃった。しびれました。
どんなふうによかったのかは、最後のほうに出てきますから。


【星を読むということ。西洋占星術の基本のき】
占いの仕事は多くさせていただくけれど、わたしは占い師ではないから、生まれや星でその人を見ることはできない。
今日の運勢だって原稿いただくまではわからない。
けれど、西洋占星術の基本くらいはなんとなくわかる(なんとなくね)。
だから石井さんがなにを読んでいるのかは、なんとなくはわかる(つもりになっている)。

西洋占星術の基本をダイジェストで説明すると、
太陽、月、水星、金星、火星、木星、土星、天王星、冥王星、海王星、十個のそれぞれの星が
その人が生まれた瞬間に(呼吸をした瞬間とされる)どの位置にあったのかが大切とされる。
生まれた瞬間、その場所から見た太陽の一日の軌道(360度)を12個の部屋で分けたのが「ハウス」。
第一ハウスの起点は、上昇宮といって、その人の生まれた瞬間に東の地平にある星や星座が記される。
さらに10の惑星がどこにちらばっているのかを記す。
これを地図にまとめたものが「ホロスコープ」で、それぞれの星がどんな角度をとっているか(これが占星術のカギ!)、
またハウスにはどの星があるかがひと目でわかるように記される。
昔は占い師が手書きで仕上げていたホロスコープも、今じゃ素人でもPCで入力すれば簡単にできちゃうのがすごい。

 ⇒マイアストロチャート 
http://www.m-ac.com/index_j.html  
 ※わたしがよく活用します。いろんなホロスコープを作って遊ぶとおもしろいです。

ま、占い業界のDTP、ってとこだ(なんだそれ)。
つまり、西洋占星術で個人をみるときは、その人が生まれたとき、宇宙にどんなふうに迎えられていたのかで、その人の性格や資質、運勢を読み取るというわけ。

石井さんは「太陽が双子座にあるということは……」ということをざっくり語っているわけで
それだけでもめっぽうおもしろいのだ。
人の一生をなぞらえたような「十二星座の成り立ち」にも触れてあるので楽しい。


【占い師に必要な資質? 数学、国語、カン!】
誕生日時点のホロスコープは、太陽(いわゆる一般の十二星座占いの表記)のほかに、
9つの惑星(月も太陽も“惑星”と呼ぶことが多い)がどのハウスや星座にあるかで、
その人の性格、健康面のウィークポイント、落ち着く場所、適した仕事などをより詳細に読み取る(煩雑だから、一般的には太陽だけを見て、占い記事に仕立てるのが一般的)。
雑誌で読むときに「双子座」と書かれているのは、太陽が双子座にあった人ということだけど(黄道を十二の星座に分けて考える)、
それ以外の星々は、月は蟹座、水星は獅子座……と、 ほかの場所にバラバラちらばっている。
たとえば家庭のことを見ようと思えば、太陽よりもむしろ月を見るべき、ということになる。
それぞれの星には意味があって、星座はその作用の仕方を表すといわれる。
月が蟹座にあるならば、
月(内的な感覚、深層心理、母性、家庭生活)が蟹座(母性、家庭、愛情深い……)的に作用するから、
「非常に母性が強い人で、愛情深い」なんていう基本の読みに加えて(つたなくてすみませんね)、ほかの星との角度をみる。
ある一定の「角度」をとっていたとしたら読みはまた変わってきて、煩雑極まりない。
素人では無理! 西洋占星術の占い師が星読みのスペシャリストだというゆえんである。
数学と国語が両方得意で、さらにカンが鋭い人(またはイマジネーション豊かな人)なら、西洋占星術の占い師に向くと思います。
星のささやき(数学)を通訳して(カン)、物語を紡ぐ(国語)という高等技術が必要だから。
カンと国語の部分は、とくに占い師の個性が強く表れる部分。
石井さんの優れたところは、とくにココにあると思われます。


【買ってみた、読んでみた】
で、石井ゆかりさんの『双子座』と『乙女座』を買ってみた。
 ⇒ http://st.sakura.ne.jp/~iyukari/booklist.html
読み比べていちばん驚いたのは「はじめに」に書いてある内容が、両者で異なることだった。
作る側からすると、普通ね。「はじめに」とか「おわりに」とか、流用できそうなものはテキスト流用しちゃいますよ。そういうところでラクしようとしますよ。
それをせずに、双子座の読者には双子座に通じやすい書き方で、蟹座の読者には蟹座がいちばん心に響く書き方で、
星座によって見極めながら書き分けていらっしゃることで、ぎゅっと心をつかまれてしまった。。
そういう小さな気配りの積み重ねが、一連の占い全体のやさしさや、情緒につながっている気がする。
その星座の人に対して「愛があるなぁ」と実感できる。
あと、非常に前向きなところも印象的。前向きで誠実、それでいてやさしい感じ。
徹底的にその星座を肯定するということは、こういうことなのだろうと思う。
そしていま、求められているスタイルなんだと思う。癒やし的な占い(キツイ占いがいい時代もあったのだもの)。
ふと、テソーミルームの日笠雅水さんの占いを思い出す(日笠さんもやさしい、しかも的確、大胆)。

『双子座』を読んでいると、自分の謎がするする解けるような気がした。
基本、わたしがよく理解していない双子座の特質を、いともたやすくといてくださった。
風の宮だからさあ、活動宮だからさあ、とかそういうことがひらたく書いてある。
一方『乙女座』を読むと、「これはわたしではない」という違和感が、ものすごくある。
本来占いって、読者もそのつもりで読むので、なにを書かれても鵜呑みにしちゃいがちなのをちょっと利用するようなところもあると思うけど(「今月の占い」的なもの)、
この本はそうじゃない。一冊通して丁寧で親切な呼びかけに満ちている。
40万部売れているのも納得だなぁ。そして、読者って、やっぱりするどいな。
教えられること、発見に充ち満ちていた『双子座』『乙女座』。ありがとう。
ひとつ大きくなった気がしました。


最近わたしが編集&執筆した占いの本
◆『アンアン パーフェクト相性BOOK』

http://magazineworld.jp/books/8624/

☆こちらは1冊まるごと編集&執筆。
 9月の終わりに発売しましたが、売れてるみたいでうれしいです*ヽ(´∀`*)ノ


◆『全開運!』
http://mixpaper.jp/scr/book_detail.php?id=4c901dfbdba60

☆こちらも9月。創刊号です。見た目、いかがわしい!? (>_<)
「12星座別 秋の星が導く、美に効くツボ!」を担当してます。

 

 

問題は親ではなく人生の長さ、それを楽しめないことなんじゃないか

2010年11月14日 (日)

今のわたしが生きにくいのは親のせいですか?
http://allabout.co.jp/r_health/gc/301520/

マイミクさんが『all about』の記事を取り上げてコメントされていて、興味深く読んだ。
乱暴に要約すると、「乳児期・幼児期の親の接し方の冷たさが、その後のその子の性格形成に大きく影響を及ぼします」的なことになるだろうか。
意思表示が上手にできない時期に親にうまくかまってもらえないと、
潜在意識に「わたしはだれにも助けてもらえない」とすり込まれると、そういうわけだ。
自殺者の増加と凶悪事件の増加の原因として、そういうことが一因になっているかもよ、とのこと。

決して異を唱えるわけではなくて、ちょっと奇妙な気がした。
だとしたら、「そこ」に気づくこと自体、わたしたちは余裕がありすぎるってことなのかもしれない。

なんの余裕だろう。
生きることを、今現在、お茶の子さいさいと感じている人は少ないのではないかと拝察する。
ということは生活の余裕でも生の余裕でもない。
思うに、平均寿命が延びてわたしたちには持ち時間が増えてしまった。
江戸時代と比較すると、時間に余裕がありあまるということになる。
江戸初期で平均寿命が30歳程度。日本人の平均寿命が50歳を越えたのは1947年のことだそうだ。
その人生の持ち時間が、すんごい楽しいのならいいけれど、楽しいという実感はわりかし希薄。
さらにヒトは基本、楽しいよりもツライほうを記憶しやすい(これも子孫繁栄のDNAのせいではないか。ツライこと=危機を察知するためにそういう覚え方になる ⇒仮説)。

たとえば江戸時代、農村の子だくさん、みんなが働きまくっている状態で
赤ん坊が泣いたときにそんなに手厚くケアしたかな。子ども目線で話しかけたかな。
もちろん大事にはしていたんだろうけど、もっととてもおおらかなような気がする(⇒推測)。
子どもが少なくなってきたことで、育て方がフォーカスされちゃうのか、
緊迫した生命の危機はなく、みんななんとなく暮らせちゃうもんだから、少し様子がおかしくなること自体にフォーカスしちゃうのか、
そこスルーはせずに「こまったね」とみんなで考えてみたりして。

一人一人の持ち時間(寿命)は長くなって、人はだんだん少なくなるので、生き方や育て方について、いろいろ考えてみたりして、「よりよきほう」への提言が始まったりして。
長くなった持ち時間を必ずしも楽しくは感じられないことがいちばんの問題なんじゃないのかしら。
で、それを社会が悪いとか、政治が悪いとかいっても、なにも始まらない。
どうすれば持ち時間をすっごく楽しく過ごせるか、それは人任せにすることではない。個の問題。

ああ、それが親のかまい方で決まるということなのかしら。
かまわれていれば根拠のない自信があるので、心つよく生きて行けると、楽しく過ごせるとそういうことか?
ふむ。
しかし、そのあと自分でどう乗り越えるかだ、問題は。起きた過去は変えられないし、トラウマは対処しない限りあり続ける。

確かに乳児期・幼児期の親とのかかわりは大切だろうが(⇒だれかに愛される実感)
SAT療法を提唱する心理学者の宗像恒次(むなかたつねつぐ)先生いわく、
「胎児のときの記憶がかなめになっていることが多い」、だったと思う。
宗像先生のカウンセリングでは、退行催眠で胎児期へ(胎児期に、母親のストレスで羊水が冷たくなったりお腹が硬くなると、胎児は自らへの拒絶感や死の恐怖を味わってしまい、それが生まれたあとにも尾を引く)。
胎児期の記憶を催眠療法で植え直して、歓迎されるなかで生まれ直しなんかをやっちゃう。
スピリチャル系で行うヒプノセラピーとは一線を画す「退行催眠」。
ともかくも、幼児期か乳児期か胎児期か、過去に原因があるから現在の問題が引き起こる、というのは共通意見とみた。

救われたいと思うそのときに、人生は長すぎると感じる。
「もうすぐラクになるから」といわれても、「今だっ、今すぐラクになりたいのだ」と叫ぶ思春期の生々しさを、今もとてもよく覚えている。
というか、自分の原動力か。
そこから20年過ぎて今どうだかというと、
残された時間は加速度をまして早まるというのを実感する日々。
エイジングとともにからだの負荷が増える代わりに、ありがたいことに心は経験値で軽くなり、体感時間の速度が増す。
歳を経るごとに体感時間の速度が増すことは、アインシュタインの相対性理論の法則に基づいていると思う(たぶん)。

最近は、歳を経るごとに感じる体感時間の速まりは、神様からの贈り物なんじゃないかと思う。
おかげで40年過ごしたというのに退屈することはなく、絶望の淵に立ち続けることもなく、
これから続く人生の長さに絶望することは、今はない。
ハタチの頃、あんなに長かった時間が、今じゃ夢のごとしだよ。
悩んだ時間は経験値となり知らない間に力(=心の強さ)にかわっていく。それだけは確かだ。

 

 

駅のホームはコワイと思う

2010年6月27日 (日)

恵比寿駅にホームドア 山手線、JR在来線で初
 
JR山手線恵比寿駅(東京都渋谷区)で26日、線路転落防止用のホームドア(可動式ホーム柵〈さく〉)の使用が始まった。東京メトロや新幹線の一部などには設置されているが、JRの在来線では全国初。山手線では2017年度をめどに全29駅に設置される。
 JR東日本によると、同社の駅ホームでは昨年度、列車との接触事故が62件、自殺が132件あった。非常ボタンなどで対策を進めてきたが、ともに増加を続けており、ホームドアの導入を決めた。
 山手線ホームドアの開閉部は高さ1.3メートル、幅2メートル。足元を見やすくするために一部をガラス化し、乗客や荷物が取り残された際に検知する高性能センサーを備える。恵比寿駅に加え、8月28日に使用を始める目黒駅(品川区)の2駅で2年間かけて検証。結果を踏まえ12年度から本格的な工事に着手する計画だ。
 ホームドアは、接触事故や自殺を防ぐ「特効薬」として期待が高い。だが、12年度に設置率47%になる東京メトロなど一部の鉄道会社を除いて大半は、相互乗り入れで車両のドア位置が異なることなどを理由に設置が進まない。 /2010年6月26日(日) asahi.com


東京に来たとき、新宿駅総武線ホームの自殺防止用の巨大鏡を見て、「本当にあるんだ!」と思った。
もちろん今もある。しかし汚れすぎてきて、もはや、鏡なのかどうかもわからない。
もう少しだけ磨いたらいいのにな。たぶん気づいている人のほうが少ないんじゃないかしら。

そうこうしている間に、半年前だろうか。代々木駅のホームには青色灯が設置された。
「青色のランプは人の気持ちを落ち着け、飛び込む人が少なくなる」から、取り入れたのだと思う。
最初に見たときはぎょっとした。今でもあんまりいい気分がしない。
あの巨大鏡と一緒で、触れるたびに、今この場所で命を絶つ人の多さを思ってしまう。
通るたびに「死」が増幅するような。

暮らしのなかに死が普通にあるのは、もしかすると悪くないかもしれない。
でも「死」と「飛び込み」とはすいぶん違う。
なるべく考えないようにしようとするけれど、
この場所で命を絶った人たちの思いが、
駅のホームのどこかにまだ残っているのではないかと思うことがある。
だからこそ、引っ張られないようにしないと! と、ぎゅ~~~っと身構える。気持ちをそらす。
「ついてこないでっ!」

「ザ・ピーズ」の「シニタイヤツハシネ」、好き。
都会の駅にホームドアをつけることはいいことだ。

今は目黒駅が工事中。
工事のおじさん、客に気を遣ってすごく大変そうですが、がんばってください。

 

 

死の中の生、性の中の生

2010年6月 6日 (日)

重さ4キロ、祭壇ずらり 巨大まんじゅう何に使うの?

重さ4キロもの立派な葬式まんじゅう。それも5個も祭壇に並ぶの…
…巨大まんじゅうは三戸町と南部町の一部などで続く習慣のようだ。今も両町内の菓子店数軒が製造しており、5個1セットで祭壇に並べるのが通例。双鶴堂では2万円。年間40~50個売れるという。 /2010年6月6日(日) asahi.com
 

「ええっ、葬儀にチーズ蒸しパン!?」と、写真を見て思わず目を見開いた。
しかもこんな大きさの葬式饅頭なんて見たことがない。
そもそも葬式饅頭の記憶自体がずいぶんあやふやだ。
気になってググッてみたら、葬式饅頭でも各地によってさまざまあること。北海道は中華饅頭だというのにも驚いた。

先日、全国の葬儀の風習についてプレ下調べをした。
たしかにウェブにもいろいろあるにはあるし、早見比較表とかもあったけれど、
細部にわたることが明らかではない。
葬儀って、関東圏内でも関西圏内でも、ヘタをすると同じ県内であっても、風習が違ったりする。細々した所作が異なるのだ。
お供え花ひとつとっても、生花のところ、しきびのところ、造花の花輪のところと違うし、
出棺のときに茶碗を割るのは普通だと思っていたけど、そんなことをやらない地方だって少なくない。
通夜振る舞いの仕方だって違う。
結局、きちんと追求したければ、各地の新聞社などでまとめた書籍を47都道府県分、気長に購入して読み込むほかないことはよくわかった。
地元の葬儀社にヒアリングしていくのも面白そう。途方もないからこそすごく気になっちゃう。
結婚式だってかなり均一化されている時代。
地方都市の風景が全国似たり寄ったりになっていく現代で、まだ民俗風習がちゃんと残っているのってとても貴重だ。
現代においてもっともプリミティブなシーンなのかもしれない、葬儀って。

それにしても結婚式と葬儀の似ていること。
結婚式でも甘いものは配るし(もとは薯蕷饅頭だった)、お金を包む、お返しする文化も同じ。
どちらも主役は白装束だし(白無垢は、今までの自分が一度死んで〈=白装束。純潔の象徴はあとからついてきた〉、ふたたび生まれ直して婚家の家の色に染まるのを表して色打掛を着るということらしい。ただし無垢の流行年代を考えると若干都市伝説ぽい)、
もっとも生まれてすぐも、人は皆、白装束を着せられる。

高齢者の葬儀に「お通夜の湿っぽさがない」わけではないと思う。
どんなに大往生でも、連れ合いが残っている限り、残されたほうはつらかろう。どんなに高齢でもだ(なかには「逝ってくれてせいせいした!」こともあるかもしれないけど、おおむねは、だ)。
それを周りに気取られないのは、高齢者ならではの気遣いがあるからではないのかえ。

若い感性は、死は年寄りの隣にあると思っている。自分にはまだまだ遠いと錯覚する。
ちがうんだ、いつも自分の隣に死は寄り添っているんだよ。
隣り合わせなの。
いや死の中に生があるといってもいい。

わたしたちの多くは、生の中に死や性を包括していると思って生きている。
逆なんだ。死の中に生があって、性の中に生がある。

 

 

お礼参り

2010年6月 5日 (土)

新首相も拝んだ菅大臣神社 総代「御利益あったのかも」
京都市下京区の「菅大臣町(かんだいじんちょう)」は、古くからの町家が立ち並ぶ約40世帯の小さな街だ。その中心にある菅大臣神社には、菅直人新首相が参拝したことが…… /2010年6月5日(土)asahi.com


神社でお参りするときに、自分の名前や住所を名乗るのは基本だけど、
少し前にとある神道通の方に「神様のお名前をきちんと問いかけるべきです」と教えていただいた。
人間だって「ねえねえ、マリさん」と呼びかけられると、「あのぅ」だけで済ませられるよりうれしいし、
営業の常套手段でもあるから、
それはわかるような気がする。
以来お参りするときは心して、神様のお名前を申し上げるようにしている。

「願掛けにお参りするよりもお礼参りのほうがずっと大事」と、ちょっと神道に詳しい方は口を揃える。
つまり、容易になんでも拝むのはよろしくないという自己解釈になって、
最近は「お目もじかない感謝します」とご挨拶だけさせていただくことのほうが多い。
願をかけるときは、力を貸していただかないと無理! & お礼参りに伺う覚悟がある場合に限られる。
必然的に回数は少なくなる。
また、会いたい神様がいて(=行きたい神社があって)伺うわけだから、そのご縁で充分ということになる。

記事中に触れて、やっぱりちゃんと、お礼参りしていらっしゃるんだな、と思った。
お礼参りは、日本人のたしなみのひとつだと思うけれど、文化風習って突然断絶を迎えることがあるんだよなぁ
それにしても、九州、京都とゆかりがあるので、菅公のおおきさ思い知るばかり。

個人的には神道も好きだし、仏教も大好きです。
「どっちも好きだし大事です」と言える日本人でよかったと思うし、
人の中にみんな神様がいるんじゃないかと思っている。
ついでに唯物論も好きだ。

 

 

 

 

トイレの神様

2010年5月30日 (日)

「しもの病」に効果あり? トイレの仏様、28日に開帳
「トイレの神様」ならぬ「トイレの仏様」を知っていますか――。祈ると「しもの病(やまい)」にかからないと伝えられる烏枢沙摩(うすさま)明王のことだ。岐阜市の曹洞宗・勝林寺では、仏像が年に1度、5月28日の大祭に開帳 /2010年5月28日(金) asahi.com

朝起きていちばんにやるのは、寝ぼけまなこでトイレの掃除。
古タオルや布巾を小さく切ったものを使い捨て雑巾ににして使う。
やりはじめて十年近くなるのか。これをしないとどうにもしゃんとしないのだ。

事務所のトイレも、男子トイレ・女子トイレともわたしが掃除する。
打合せなんかで出ずっぱりの日を除けば、ほぼ毎日。
中学生のとき、掃除する場所をきめるとき、いの一番に選んだのはトイレだった。
汚いところを思いっきり掃除してピカピカにするのが大好きで、
ザバーッと水を流してゴシゴシできるのもお気に入りだった。なにせ気分がいい。

うちのトイレの神様には粗塩を置いているが、「6」の付く日はトイレの四隅に粗塩を置く。
なぜだかはわからない。わからないけど、
今の家に引越をするときに占い師の先生に言われたので守っている。
わたしなんかが理解できない約束ごとがたくさんあるんだろうから、別に理由がわからなくてもいいのだ。

でも仏様のことは知らなかった。すごいすごい。見たいなぁ。
それにしてもドアの上にお札を貼るのは、仏様はいいの?
神様のお札は、敷居の上に貼ってはいけない(って言われた)。

ところで記事にある、江戸時代の遊女と梅毒の話に感電した。
梅毒に感染して子どもができにくくなるのは、江戸の遊女たちに歓迎されていたらしい。
しかしひとたび末期までいってしまうと、悲惨な末路が待っていたそうな。

鶴屋南北の「四谷怪談」の中に井戸端会議のシーンがある。
そこで、「○○さんはとやで鼻が落ちたらしいよ」と、天気の話くらい普通に梅毒話をしているのがコミカルですらある。※今手元に本がない。原文出せない、すみません。
とや=鳥屋 で、梅毒のこと。梅毒にかかることを、江戸時代は「鳥屋につく」といった。
「梅毒で鼻が落ちた」が、「おくさーん、今日は天気がいいわね」とほぼ等位。
これに触れて、江戸ってすごい! といたく感心しちゃったんだ、二十歳の頃。

江戸時代、空気はいったいどんなニオイをしていたのだろう、と思いを馳せる。
じゃあ二十世紀のニオイは、と考えると、まぎれもなく金属臭だと思い至った。
それが「鳩よ!」(マガジンハウス)で最初にとりあげていただいた詩を作るきっかけだった。
ならば二十一世紀のにおいは? 
パソコン臭だ、ぜったい。


本日日曜日。「龍馬伝」の日だ。
龍馬伝のテーマ曲のクライマックスで、橋の上(日本橋じゃないのか?)をなめていくCGがあるのだが
あのシーンがたまらず好きで、高揚する。
人の営みがあまりにリアルで、「江戸~~~!!!」って叫びたくなるのだ。

巳さん

2010年5月16日 (日)

吉兆? 白蛇が産卵8個 熊本・蛇石神社の「ご神体」
 熊本県阿蘇市赤水の蛇石(へびいし)神社で、ご神体の白蛇が卵を産んだ。… /2010年4月23日(金)asahi.com
 
巳年ですのでね。気になった記事だった。
卵が茶色いのが少し意外。カワイイです。

それにしても巳さん、いろんなところにいらっしゃるものです。

関西は、巳さんといえば、三輪山の三輪神社。
行きたい神社のうちのひとつです。行きたいところばかりが増えていくなぁ。

桜が見たいのよっ

2010年4月10日 (土)

山、駆け登る桜色 奈良・吉野
奈良県吉野町の世界遺産・吉野山で、見頃を迎えた約3万本のシロヤマザクラなどが山肌を淡いピンク色に…
/2010年4月10日(土) asahi.com



いつか桜の季節に吉野に1か月滞在して、ひと月ずっとヤマザクラを眺めて暮らしたい。
できれば「桜花壇」がいいけれど、そこまで欲はいわない。
それから、もうひとつ。
桜前線と一緒に、日本を南から北まで、2か月くらい旅をし続けたい。
このふたつはいつかゼッタイやりたいこと。
というわけで、そんなお仕事をいただければ最優先しますから、お気軽にお声がけください(*^_^*)

吉野山というところはわたしにとっては特別な場所。
ヤマザクラの美しさを説いていただいたのは、吉野山の花守さんだった。
西行法師の大好きな歌「願わくは花の下にて春死なん その如月の望月のころ」と
そのまま風景が重なる。
吉野山の奥にある西行庵を訪ねたこともあるのだが、じつは桜の時期に吉野に行ったことがない。
いつか見られたらいいな。でも人で満杯なのはヤだから、長逗留したくなっちゃうのだ。

話は飛ぶけれど、二十代の終わり頃、吉野山で
「弘法大師(空海)は役行者の軌跡をたどっているのではないか」という気持ちになった。
なんとなく、ぽんと浮かんだだけだけど。これが大きく外れていない気がするんだなぁ。
役行者(634年~706年。飛鳥時代~奈良時代)はまごうことなきサイキッカーだと思うが、
そこからおよそ百年あとの空海(774年~835年。奈良時代~平安初期)もまた、
サイキッカーだったんじゃないかと思う。
だからこそ空海は、別格の先輩、役行者の軌跡をたどったのではないか。
どうにも空海が開いた場所の多くに、役行者の陰が窺えるような気がしてならない。
ちなみに陰陽師で有名な安倍晴明(921年~1005年。平安末期)はそれ以降の方。
そういうことを考えると、血湧き肉躍ります。いや~、平安っておもしろい。

閑話休題。
今年は45歳。百歳まで仕事をする気、満々だけど、
百と仮定しても、あと55回しか桜を見ることはできない。
というあたりまえなことに、この春気がついて焦った。
なので、貪欲に桜を見たいと思った。
角館の武家屋敷の桜、弘前公園の桜、三春の滝桜、もう見てるのだけど白石川堤のひと目千本……見たい桜の多いこと!
なんだかしあわせです。
先日大分の日出(ひじ)に行ったとき、あたりに桜が多いのにも驚いた。
どこまでいっても、風景のなかにかならず桜がある。
このあたり。国東半島。日出、宇佐……このあたりももう面白くて面白くてたまらない。
個人的には、邪馬台国九州説を支持! (*^_^*) ……あっ、またそっちにいっちゃうなぁ。

 

 

 

 

 

 

ネコガミさま

2010年1月21日 (木)

猫神さま 霊験あらたか 丸森で石像5体見つかる
 江戸時代から昭和時代中期にかけて養蚕の盛んだった宮城県丸森町で、猫の石像が5体確 /KoLnet 2009年1月13日(水)

東北の民俗学的なおもしろさは、みなさんもご存じの通り。
記紀以前にも神は存在したわけで、そんな神々の片鱗が東北には残っている。
ただいまは桜にも通じるサ神(山の神)のお話に、非常に惹かれているところ。

それにつけてもネコガミ様! おもしろい!!
ここにおわしましたね。
最近、座敷童みたいな、ネコガミ様のことをときどき思っていたんだけども(うちだけかしらん)、ようやく繋がった感がある。

蚕といえば、
子供のころ母から、蚕がいかに愛らしいかを熱く語られて育った。
毛虫ようの生き物がペット以上の愛情を注がれていることに
子供ながらに驚いたものだけど、
オルグされているので、わたしも繭玉は大好きだ。蚕もきっと大好きだと思う。
「モスラがかわいい」に似てるんじゃないかな。

悟りの世界

2009年9月20日 (日)

比叡山巡拝1千日を達成 光永阿闍梨が「千日回修行」
/2009年9月18日(金) asahi.com

まず「阿闍梨(あじゃり)」が、現役で使われていることに驚いてしまった。
どうやら、この「千日回峰行」を終えた僧の称号となるらしい。
500年間の記録が残っていることにも驚いた。
歩くのは。
歩くのはまだいい。まだ理解できる。
それよりも驚いたのは、断食、断水、不眠、不臥で9日間祈る行。
……どういう状態なんだろう。前人未踏の世界……と思いきや、
戦後で12人前人がいるわけである。壮絶な世界。
そこまでやると悟りは開けるのか。やらないと開けないのか。
すごい人がいるなぁ。34歳。お若い。


ついでに。
不謹慎にも「阿闍梨餅」を思い出し、「食べたい」と思ってしまった。

EMつながりで

2009年7月26日 (日)

蛍舞う天沼できた 水質浄化重ね3年 仙台
/2009年7月17日(金) 河北新報


EM(有用微生物群)。一般には聞き慣れない言葉だと思う。
ちょうど今月沖縄のリゾートホテルの取材をしていたときに、この「EM」に触れた。
「EMホテル」として経営にしている「沖縄コスタビスタ」を訪れたのだ。
とても快適なホテルで、館内のいたるところがEM仕様。
レストランにはEMを使って育てた野菜(EM野菜)やバナナ(EMバナナ)。
客室は、内装やリネン類、家具にもEM処理が施してあり、
ソープやシャンプーはからだと環境にやさしい石けんもの。
そのすべてにEMが入っている。
館内のスパでも、EMを焼き込んだセラミックが大活躍していた。まさにEM天国。
一泊したくらいではその本当の効果なんて実感できるはずもないが
「なんかよくわからないけど、すごいぞ!!」。
もともと、L-カゼイシロタ株とか、アシドフィルスとか、納豆菌とか、酵母とか
有用菌系が大好きなのだ、わたし。
「EM」の完全理解からはほど遠いものの、充分ストライクだった。

「コスタビスタ」は、EM研究機構という団体が運営するホテルで、
EMの素晴らしさを、ホテルという形式を用いて、一般に広く知ってもらおうと造られたもの。
造られたといっても、じつは以前もホテルだった建物を有効利用している。

1972年、沖縄の復帰の年に、普天間基地のそばに造られたのが「沖縄ヒルトン」。
その後、ヒルトンからシェラトンへと経営が変わったのちに廃業。
10年ほど本土業者が管理を続けていたが倒産。建物は廃墟同然となってしまう。
その建物を、EM研究機構が買い取り、コスタビスタとして再生させたというわけ。
ホテルを創業するなら、一から造るほうがコストはかからない。
しかし、環境面の配慮から、もともとの建物をそのまま活かすことを選び、
廃墟をEMを用いて蘇らせ、EMホテルとして再生する道を選んだというわけだ。

さらに脇道にそれちゃうけれども。
「ヒルトン→シェラトン→倒産→廃墟→コスタビスタ。
この流れから窺えるのは“土地に問題あるのでは?”ということ……。
そしてこの地ではなにをやっても存続できないことになるのだが」と、
もちろん口にはできないけれど、考えずにはおれなかった。

しかし、答えはあったのだ。
「専属の風水師に強く言われ、
もったいないことに、敷地内の昔からあったプールを埋め立ててしまったのです。
だから、うちのホテルにはプールがなくて……」
と広報女史が嘆く(たいへんお世話になりました<(_ _)>)。

それだ! 強烈に悪い気を断ち切るドラスティックな改善策!! 
沖縄は風水が栄えている土地なのだが、その風水で改善したというわけだ。
コスタビスタはきっと、繁栄が約束されていると思う。

※2011年に「EMウェルネスリゾート コスタビスタ沖縄 ホテル&スパ」と名称変更

※2019年、EM製品は知れば知るほど仕組みがよくわからないまま
 体感がいいのでうちではよく使う(アレルギー体質の私がなにも起こさないのに「改善した」と感じる)。
 とくに園芸関連グッズとしては手放せない。

 

サイキックな街、新宿

2009年5月26日 (火)

アクアラインの「ピラミッド」、てっぺん切り取りへ

白いピラミッド形で目を引く東京湾アクアラインの「浮島換気所」(川崎市)のてっぺん部分が、切り取られる…
デザインは、88年以降、元東京芸大学長の日本画家平山郁夫さんや景観工学などの有識者でつくる検討委員会が、提案された10のデザイン案から選んだ。しかし、アクアラインを建設した東京湾横断道路株式会社や、NEXCO東日本に当時の記録がない。
 同省は平山さんに事情を説明し、改修の承諾を得た。平山さんは「国際線の機能強化にはやむを得ない。でも、私でなく設計者本人に話すべきじゃないかな。…/2009年5月25日(月)asahi.com



新宿の上を流れるようにピラミッドの川があるんだ。
大小合わせると、もう200個くらいあるんじゃないかな。


そんな話を聞いたのは、先日、
平安時代から一子相伝で続くという陰陽師の流れを引いた、風水師に取材をしたときだ。
この話を読んだときに、すぐさま彼のことを思い出した。
「だれがやったかわからない」というのが、クサイ。


わかりやすいところでいえば、都庁の上、それからパークハイアットの上。
なるほど、言われてみるとたしかに建物の上に四角錐がのっている。
それから某百貨店のあそこ、JR新宿駅の南口のどこそこ……
副都心だけじゃない。台場や、みなとみらい、彼はいろいろな都市計画に、不思議なかたちで関わっていた。
そしてだれも気にも留めないところで、よい気が集まるようにと、
スピリチャル的な護りを固めて街が造られていく。
現代にも生きているんだ、そういうサイキックな街づくり。

不思議な力に守られた街に、我々は棲んでいる。
そ、ゼロハチマルがあるのも、新宿ですから。

換気塔ね。
できれば、その形、守っておいたほうがいいと思うけど。
ひと周り小さなピラミッドにするとか、やってみればいいのに。

 

 

潜在意識の話【超長文】

2009年3月 2日 (月)

餅90キロ軽々 醍醐寺「力奉納」女子の部新記録
/2009年2月24日(火) asahi.com


何気なくニュースを眺めていたら、この記事。
これだ。潜在意識の作用がわかりやすく書かれている。

最近は潜在意識のことばかり考えている(「のんちゃん」で書いた)。

http://zerohachimaru.cocolog-nifty.com/nonchan/2009/02/post-df04.html
あれからさらに進化して、潜在意識はどこにあるのか とか なんなのか、とか
毎日考えていたら、ヒントがぽーんと降りてきた。
ちょっと不思議なことだった。
最近とあるご縁でお目にかかったKさんから、アマゾン経由で突然本が送られてきて
そのなかにとても近い答えを見いだした。
ハワイで「ホ・オポノポノ」ということを実践する人たちがいて
そこで書かれていることが非常にわかりやすかった。潜在意識の癒しについての話。
さっそくやってみるとあまりに心地いいので驚いている。


その潜在意識のお話。
最近は、潜在意識を消費に結びつける研究もなされていて、賑やかだけど、
脳科学的には「感性」同様に解明しきれていない部分。
心理学では、ユングが発見して、その後に連綿と続く研究がある。
ヒトの意識構造は超簡単にいうと
表層心理

深層心理

潜在意識

 

と分けられている。

 

トラウマが生息するのは深層心理の領域。
潜在意識は普段は一切知覚できないもの。
では、潜在意識はどこにあるんだろう。
海馬から大脳皮質に書き込まれた記憶……いいえ、もちろんそれではない。そこはまだ表層。


「ホ・オポノポノ」の潜在意識についての表記を読みながらあらためて考察すると。
あなたが、わたしが、ここにあるということは、それは生命の歴史の最新型ということ。
どんどん遡れば、あなたも、わたしも、ほ乳類から鳥類、は虫類……ついには魚になっていく(いや植物時代もあったかも)。
繰り返すが、我々は生物の歴史の最新型。進化の最終形といっていい。
そのいのちの記憶こそ、潜在意識ではないか。
必死になって生き続けてきた記憶。進むためにだけある記憶。いのちをつなげるための智慧。
細胞の一つひとつに、生きのびるための記憶があるわけで、それを総称して潜在意識というのではないか。

自分が知覚できない、「いのちの記憶」が、細胞レベルにからだのなかにあるわけですよ。
DNAのなかに、と言ってもいいかもしれない。
そのいのちの記憶は、これからも続くように、全力であなたを応援する。
「船」としてのあなたが生きやすいようにエールを送るし
すべての智慧を集結して、船がしあわせであるようにし向けるはずだ。
なぜならば、それこそが「生きる」ということだから。
あなたが健やかに生きることこそが、いのちの記憶すべての願い。
あなたが前向きに生きようとするとき、潜在意識(いのちの記憶)と、船としてのあなたの利害はきれいに一致するというわけ。
そうすると訪れるのが心的な「快適」だ(心的なことにとどまらないというのが、最近の自己啓発本の主流)。

ところが、表層心理に支配されるわたしたちは、その信号をうまく知覚することができない。
「表層」は、声が大きく、暮らしに密接に関わるから、そのあたりだけで堂々巡りすることになる(悩みやうつ状態もここで)。
それでも時として、「なんとなくこっちがいい気がする」ことが起きるし、
虫の知らせだって受け取るし、火事場の馬鹿力が出たりもする。
それこそ潜在意識が働きかけてきたときだ。
勘が冴えているといわれる状況も、おそらく同じこと。潜在意識がきれいに表層へ届いている状態。
身のまわりを見ていると、潜在意識の情報をキャッチできるのは、アーティストに多い。
たとえば、ヘアメイクのMさんの話。
「髪型を作っているとき、 “そうじゃない”とか“OK!”と信号がくることがあるのよねぇ。
あれ、わたしが言っているわけじゃないと思うんだ。
数学の問題を考え続けていて、ずっとわからないのに、突然降りてくることがある。
あれも、“わたし”が考えているわけじゃないと思う。どこかから答えが降ってくる感じ」ですって。
潜在意識の信号をうまくくみ取れる方なのだと思う。
感性はもしかすると、潜在意識と近くあるのかもしれない(超仮定)。
振り返れば、自分の日々の暮らしのなかでも、潜在意識にお世話になっていることは多い。
わかるかな? 気がつくこと、ありますか?


前世リーディングなどのスピリチュアルの現場にいて思うのは
そこで行われていることの多くは、潜在意識との対話である ということだ。
霊感占いやヒーリングのたぐいにしても、相談者の潜在意識とチャンネルを合わせることで、結論が導き出される。
結論をもたらすものはまったくの第三者ではない。相談者(「船」)をよく知った者たち(相談者の深層意識)から送られる信号なのだ。
だからこそ、あれは「あてもん」でも「予言」でもなんでもない。
潜在意識が常に必死に「船」へと送るメッセージを、「霊感がある」といわれる第三者が読み取るにすぎない(※透視・霊視はこの限りではない。この話はまた今度)。
そしてそれは、だれにでも、ほんとうはできることだ(したいかどうかは別にして)。
……そう。自分でできればいちばんいいのよね。
みんながもっと手っ取り早く楽に生きられる。
「あてもん」でも「予言」でもないから、
だからこそ、予言を受けてから「船」側の以降の行動次第で、未来はどんどん変わっていく。
取材でサイコメトラーのO氏に占っていただいたときに、氏の紡ぐ明確な言葉に
「これ、わたしやん! わたしの潜在意識の言葉だ!」と感じた瞬間があった。
だから信用できる気がした。
だって、わたしをいちばん知っているのはわたしの潜在意識だから。
O氏曰く
「“5月に恋人に会える”と伝えたとたんに、安心してしまって、今までやってきた努力をすべてやめてしまう人がいる。そうすると当然結果は変わる。
占いって、未来を当てるものではなく、未来を創るものなんだ」
なるほど、よくわかる。
ちなみに、この方のリーディングは非常に心地よかったので(確かな能力を感じた)、
取材じゃなく、来週もう一度伺うことに……(^_^;)


話がそれました。
生物として与えられた命題はひとつだけで、「生きろ」「続けろ」「未来へつなげ」。
わたしに托されたバトンは、確実に次につなげなければならない。
それでなくては、わたしに乗ったすべての進化の歴史は、文字通り水泡に帰すことになってしまう。
そんな申し訳ないこともないわけで……。
端的な話、子どもを産んだ・育てている人たちは、その約束を果たしたことになると思う。
ところが、わたしは、子どもを産むことはほぼ不可能に近い(らしい)。
生物学的に、ノルマと約束が果たせない。
理由はいろいろ違うけど、世にわたしみたいなマイノリティはたくさんいる。
じゃあ、マイノリティの命に意味がないのかといえば、そうでもない。
そうでもないということを前提に、命の意味を前向きに捉えるほうが大事なのかもしれないし、それがマイノリティに与えられている命題でもある。
(命題。すごいことばです)
生物学的に残せないのなら、それ以外のことで、誰かのいのちにつながるようなことを積極的に行うことが使命になる。
目覚めよ。さらば救われん。


仏教も神道も、もしかしたらすべての宗教は、同じことを指している気もする。
潜在意識は言い換えれば、神であり、仏である。
広がり続ける宇宙は、このからだの中にある。いや、この身は宇宙そのものである。
それを知覚できるかどうかではないか。
色即是空、空即是色
そのとおりではないか。
そして、すでに、ほんとうは、わたしたちは生まれながらに永遠の命を持っている。
伊勢神宮の式年遷宮だって、そういうことを意味している。
永遠というのは、今ここにある。
気がつくかどうかだ。
わたしは学校で生物の勉強をして、進化や「DNA」の知識があったから、気がつくことができた。
けれど昔の人たちはそんな知識はないわけで、
それを宗教として確立していくのはすごいことだと思う。先人の叡智に思いを馳せる。


太古の昔、干ばつの折に必死になった生き延びてきた魚、
なんかちょっと痛いなと思いながら、お腹を地面にすりながら歩いていたワニ、
もしかしたら氷河期に悲しい気持ちになっている恐竜……
そのすべての思いが自分のからだのなかに流れているとしたら。
「それでも生きろ」という信号を、彼らはわたしに送り続ける。
間違いなく、あなたのなかでも同じことが起きている。
意味なんてない。自分で自覚できる表層意識なんてちっぽけなものなのだ。
もっと深いところで、自分のなかにある自分でないものと、つながってみればいい。
生命である限り、わたしたちはただ生きていくだけだ。



癒されなかった幼少の頃の記憶が大人になっても残ったままになっていることを「インナーチャイルド」という。
傷ついた自己、というべきか。
甘えたくても充分に満たされなかった、ほんとうは癒されたかった、
そんな傷ついて救われなかった子ども時代の記憶が深層心理(潜在ではない)のトラウマになり、大人に成長してからも悪さをしでかすことがある。
ま、わたしのなかにもいるので、持てあますことは多々あるのだが。
「ホ・オポノポノ」では、その心理学的な深層心理のインナーチャイルドとは別に、
「潜在意識をインナーチャイルドと捉えなさい。そしてそれを癒しなさい」とある。
心理学用語でのインナーチャイルドとは似て非なるもの。
生物としての記憶のありよう(潜在意識。いのちの記憶)を、子どもを慈しむイメージで癒しなさい、ということだ。
「ありがとう」「愛しています」「ごめんなさい」「許してください」という言葉をかけることが、「ホ・オポノポノ」でいう潜在意識と協調していくことのカギになる。

大いなる潜在意識の存在。もしかしたら、すでにみんなは知っていることなのかもしれない。
わたしは知らなかった。親からも、学校でも教わらなかったし。
先日、潜在意識のありかをはじめて認識したとき、呆然として、
利益なんて一切顧みず、わたしを応援し続けているいのちの記憶に対して
「今までごめんね」の気持ちになった。「いつもありがとね」と感謝した。
「大好き。愛している」の気持ちになった。
先日デザイナーのO氏と、インナーチャイルドの話をしていたら
彼は潜在意識のことを「卵のようなイメージだ」と言っていた。なるほどね。
それもとても素敵。
眠るときに卵を温めているイメージをもって潜在意識をとらえると、やすらかな気持ちになる。


佐藤富雄氏の「潜在意識と宇宙がつながっている」というくだりが、なかなか理解できなかったのだが、今ならわかるな。
だって、潜在意識って、DNAレベルの話だ。
そりゃもう宇宙。間違いない。



『みんなが幸せになる ホ・オポノポノ』イハレアカラ・ヒューレン 徳間書店・1500円+税
初版が2008年9月。わたしの手にした本で2009年2月10刷(出版人として、大きなため息)。うらやましい(爆)。

厳密にいうと、この本では
顕在意識が母的なもの、潜在意識がインナーチャイルド(つまり子ども)、
潜在意識が満たされて、顕在意識にプラスに投影された場合にはじめて
超意識(父的存在、すなわち神の領域)にいけると書いてあります。
そのへんの整合性はまだ未確認で、正直、言葉の当て込みができません。
取り急ぎ、わかる範囲でわかることを。
必要があれば、謎は必ず解けることでしょう。
仏教でいうと、今のわたしの状態が小乗で、大乗が別にあるということですな。
悠々と急ぐことに。

 

 

蘇民将来之子孫也【つづき・番外編】

2009年2月 4日 (水)

  翌朝、件の護符に出あう

 

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事務所で模様がえをすることになった。
暦をひくと、「満」で日がいいし、節分だからキリもいいので、さっそく本日実施。
わたしも席を移動することになったので、机を整理していたら、
引き出しの中に大切に保管している古いイラストあり(左)。
広げてみると、あまりの偶然に、息が止まるほどだった。
これ、これですよ。ちまきについてる「蘇民将来之子孫也」の護符。
昔、京都に暮らしている頃に、祇園さんのちまきを入手。
時が満ちてちまきを処分するときにも、護符だけは、はずしてとっておいたのだ。

 

イラストは、絵本作家の長谷川義史さんが描いたもの。
この頃(20年近く昔だ)、『絵で見る街の本 京都』(ぴあ刊・右)という本を作っていた。
長谷川さんは今では著名な絵本作家。この本が彼の最初の「絵本」にあたるはずだ。
京都の魅力にハマり、その成り立ち……四神相応にハマったわたしは
長谷川さんに、平安京を創建した桓武天皇のことを、ひとしきり熱く語ったのだ。
すると、「桓武天皇ってこんな感じかなぁ……」と、
彼がサラサラと描いたのが(というか落書きに近かった)、この絵だった。
さらに護符を貼って、ずいぶん長い間、机の前に張り、お守りがわりに仕事をしていた。


ひとしきり,ブログで「蘇民将来之子孫也」を語った翌朝に
奇しくも再び出会ってしまった、その護符と桓武天皇。
もう一度机の上に張ったのはいうまでもない(十年以上ぶりだ)。
いや~、長谷川さんの絵、やっぱり素敵です。大好き。

縁は異なもの。とくに今年の縁は思いがけないような予感がしてならない。

蘇民将来之子孫也

2009年2月 3日 (火)

蘇民祭「今年は伝統そのままの祭が出来た」 奥州市
/2009年2月2日(月) asahi.com


胸毛なんてどうでもいい。
蘇民祭! 東北でも蘇民なのか。しかもどうしてお寺なんだろう。
少し不思議ではある。
お寺で、素戔鳴尊(すさのおのみこと)信仰。

祇園祭(京都)のちまきにはたしか、「蘇民将来之子孫也」(そみんしょうらいのしそんなり)と書いてあった。
ちまきといっても、食べられない。
祇園祭に入手し、1年間玄関先に飾るもので、厄除けの意味がある。
なんでもその昔、貧しい旅人が泊まらせてほしいと請うたときに
裕福な兄・巨担(こたん)将来はその客人を断り、貧乏だった弟の蘇民(そみん)将来(←人名)は、
貧しいながらも精一杯のあたたかなもてなしで、旅人を迎える。
実はその旅人は、素戔鳴尊(すさのおのみこと)が姿を変えたものだった。
巨担将来の子孫はその罰として、疫病で死に絶えることになるのだが
蘇民将来のほうは、素戔鳴尊の加護で、疫病にも負けることがなかったという。
後世の人々は、玄関先に「蘇民将来子孫也」と掲げることで、
「わたしたちは、あの正直者の蘇民将来の子孫ですから、どうぞお守りください」というメッセージを、荒ぶれる神に伝えるのだ。

 

 

たしか、伊勢に行ったときにも、同じ護符があった(それから「笑門」と書いたのもよく目にした)。
きっと各地に、素戔鳴尊信仰があるわけだ。
ぐっとくるのは、わたしだけ?

素戔鳴尊は荒ぶる神さまだ。
一方で、八岐大蛇(やまたのおろち)退治のヒーローとしても知られる。
出雲に行ったときに、須佐神社(もちろん祭神は素戔鳴尊)で伺ったのは、
八岐大蛇というのは荒れ狂う川の象徴で、それを退治した(つまり治水した)のが素戔鳴尊(須佐之男命)。
それによって守った稲田姫(櫛名田比売)は、稲作の象徴ではないかというお話。
なるほど。そうなると、神話のお話はただのおとぎ話ではなくて、ぐっとリアルさを増してくる。
関東に多い氷川神社(祭神は素戔鳴尊。高円寺にもある)も川の近くに多い。
つまり板東太郎(利根川)の治水を考えて祀られたと推察できる(ちなみに祇園祭の行われる八坂神社の祭神も素戔鳴尊)。

子どもの頃、八岐大蛇のお話がお気に入りの神話のひとつだったということもあるけれど
素戔鳴尊が大好きだ。
稲田姫に櫛を渡して、結婚の約束をするエピソードも好き。
悠久の時を経て、神事のたびに、毎年素戔鳴尊から櫛を贈られる稲田姫をうらやましいと思う。
だって、ものすごく愛されてる感じがするんだもの。素敵だな。

祇園祭、行きたいなぁ。
というか、ちまきが欲しい。京都にいるときは、飾っていたんだけど……。

 

 

新年の誓い

2009年1月21日 (水)

新年の誓い、達成は10人に1人 「落ち込み」の原因に

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自己否定に基づく誓いって、たしかにあるかもしれない。
いわれてみると、「今年の目標」は、今できていないことが前提だし、
「できたらもっと素敵になる、よりよくなる」ものじゃあないだろうか。
それを、「あきらめた・屈服した」……こう書かれると、
これだから一神教って、生真面目でやだよ~と、思ってみたり。
「そんなにマジにならなくていいじゃん」と、ちゃかしたくなったりして。

ニッポンみたいに多神教の国は、そんなに思い詰めたりしないんだってば、とはいうものの、
最近思い詰めちゃう人、結構多いんでした。


年初に今年の目標を書いたら、A4びっしりになった。
ちなみにその1行目。
「最大の運気を大きく活かす。なにも逃さない。すべて手に入れる」。
……すでにあきらめようがなかった(*^_^*)


なんでもありの、八百万の神の国に生まれてよかったなと、ときどきしみじみ思います。

そんな「城」でいいのか

2009年1月 9日 (金)

大阪府庁WTC移転、橋下知事「怨念の城、替えたい」
大阪府の橋下徹知事は9日、大阪市の第三セクター所有の超高層ビル…/2009年1月9日(金) asahi.com

今年のマイブームのひとつは、「江戸城の霊的守護と四神相応」について。
もともとは、四神相応の地に造った、桓武天皇の平安京の話がしびれるほど好きなのだ。
「四神相応の地」とは、方角にはそれぞれ霊的な獣が守るのがいちばん強い場所であるという、風水・陰陽思想に基づくもの。
土地は、東に「青龍」(川:平安京は鴨川)、西に「白虎」(道:平安京は山陰道・山陽道)、南に「朱雀」(池や沼地:平安京は巨椋池。今は埋め立てられている)、そして北に「玄武」(山:平安京は船岡山)が棲む場所に囲まれるのが理想とされる。
平安京は、この則に従って造られた都で、
さらに要所にすべて強力な社寺を置き、完全な霊的守護の結界のなかにある。
以来、みなさんもよくご存じのとおり、2000年もの間、京は栄え続けるわけですよ。今も!
※桓武天皇は闇の力に相当怯えていたとも見てとれる(一説には、桓武天皇は渡来人説もあり、これはかなり有力)。

で、家康は、この平安京を手本に江戸の都を造ったといわれ、中枢にあるのが江戸城になる。
彼も相当に霊的守護を意識しており、このへんの話は面白すぎるので
わたしの今年の課題でもある。東照大権現にふたたびお参りしなければ!

さて、9日の橋本知事の「城を移す」話を聞いて。
たしかにWTCは地代も安かろう。
南港は、再開発にはもってこいの地かもしれないけれど(いや開発したけど、「しきれていない」印象)、経済効率もよさそうだけど、
「城」というからには、こんなに簡単に造ってしまっては先が思いやられると感じた。
守りを固める場所にならない、WTCは。
だからといって、現府庁舎がいいわけでも決してないけれども。
そして「怨念がこびりついている」には、同感も同情もするけども。

そうだ、京都行こう

2008年10月27日 (月)

ご本尊400年ぶり出現、「たたり」なくホッ 岐阜

 岐阜県瑞浪市薬師町4丁目の「田中泥薬師」で25日、参拝者が塗った泥に覆…/2008年10月26日(日) asahi.com

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仏様が祟るわけないでしょうに……と、少々笑ったお話だった。
泥を落としてもらって、たぶん喜んでいらっしゃるようにお見受けする。
どんなお顔なんだろうと、薬師如来を想像していたら
京都に行きたくなった。そろそろ秋の特別拝観が始まる。
11月頭、仕事で京都。ちょっとだけ寄り道して、お寺さん、まわろかなぁ。仏像が観たい気分。

出雲の神迎えの神事を見に行きたかったけれど
旧暦の10月10日は11月7日……料理の撮影じゃん。

でも、「神在月」の出雲を一度、観てみたいんだよなぁ。

旅情に誘われる秋ふかし。

 

土地にある見えない力

2008年9月28日 (日)

高3女子2人交通死 昨年も同じ道で生徒重傷
/2008年9月19日(金)asahi.com

なぜ、「あの道は危険」なのか、非常に気にかかるところだ。

地にはなにがあるのだろう。
たとえば、わたしが住んでいる高円寺の商店街は、どこかしらに必ず新しい店ができている。
入れ替わりが激しいのだ。
老舗をたたんでテナントにしちゃうということも多いのだが、
場所によって、テナントが長続きしない、すぐにつぶれちゃうところがある。
長くいるから、変遷がよくわかるのだ。
新しい店舗が入ってきても、「あらー、ここは続かない場所なのに」と気の毒に思う。
そんな場所は、半年も経たないうちにやっぱりダメになっちゃって、また次の店が入る、の繰り返し。
とても稀だけれど、新しくやってきた店の気のほうが強いことがある。そういうのを見るとうれしくなる。
見ていても感じられる、よい気があるところ。
もともとの土地のマイナスのパワーよりを上回るような強い気があるときは、
店は安泰で続いていくのだ。
もうひとつは、閉じられていないことかもしれない。
そういう場所は、開かれているほうがようように思える。これはあくまで直感ね。

そういえば、Nちゃんの実家の付近が不思議な場所だそうで
見通しのいい道路なのに交通事故がずっと絶えなかったという。
彼女の幼少時代は、事故に遭遇するのが日常だったそうだ。
で、ある日、いくらなんでも多すぎるということになり、お祓いが行われた。
以来、事故は少なくなったそうだ。
彼女の実家は、比叡と琵琶湖をつなぐ道にある(それだけ聞いてもワクワクするけど)。
新興住宅地だけれど、家々にはお地蔵様が多く祀られていた(なぜ?)。
家々で祀るのをやめて、最近ではそのお地蔵様たちを一か所にまとめて祀る場所があるそうだ。
まるで滋賀の化野(あだしの)!?
身を乗り出して聞いていたら、「今度写真撮ってきますよ」と笑顔でNちゃん。
いや~、きっと意外なものが写るから、やめといたほうがいいと思うんだ。
その代わり、いつか見に行ってみたいと、ちょっと思っている。

そういえば、お世話になっている大阪の占い師の先生も、土地や方角のことはよくおっしゃる。
というわけで、ゼロハチ○はいつも、「完全にいい場所と方角」を選んで家移りさせていただいています(*^_^*)
商売ですから、験を担がないとね。
それがたとえ気のもんでもいいんです。いいところ、と安心できることがいちばん大事。
夜中に仕事していて、いろいろ来られると困るもの。

 

 

癒しと神頼み

2008年8月16日 (土)

米のがん患者4~6割、祈祷・気功・サプリなど試す

米国のがん患者の4~6割ほどが、祈りやサプリメントといった「補完代替医療」を試し…/2008年8月15日(金)

「補完代替医療」なる言葉、はじめて見聞きする。

心身ともに困ったときに頼ること。どの国もやることは変わらないんだな。
「勝利のポーズ」と一緒で、「弱ったとき、なにかに救いを求める」という行動は、ヒトのDNAに刻まれていることなのかもしれない。
困ったときの行動は、国境を軽く越えている。