おいしいコーヒー

2015年1月19日 (月)

先週は社長が秩父へ取材だったので

コーヒーが飲めなかった。

弊社は日に一度、社長がコーヒーを淹れる。

社長の淹れるコーヒーはものすごくおいしい。

豆からこだわっているせいもけれど、

挽き方も絶妙だし、たぶんコーヒー豆との間合いが上手なんだろう、

豆の特徴が際立って、やさしく、上品で、おいしく感じられる。

育ちがいい感じなんだけど、マグカップになみなみ……。

スーパーゴージャスコーヒーは

“ちょっとコーヒーがおいしい”くらいの喫茶店なら目じゃないと思う。

 

社長がいないからって、何日もコーヒー飲めないのもちょっとなんだなと思って

内緒で自分で淹れてみることにした。

だって道具も豆もあるんだし。

もちろん私だって基本的な淹れ方は心得ているし

わりと上手にたてられるぞ、と。

 

がんばったんだけど、悲しくなるくらいまずかった。

 

気を取り直して

使ったものや、コーヒーカスなんかを、完全に片付けて

なにもなかったように証拠隠滅した(なにやってんだ)。

おいしいコーヒーは一朝一夕には難しいな。
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今、ここ、内側と外側ふたつの宇宙 

2015年1月18日 (日)

2015年の誕生日で50歳になりますが、これがちょっとくせ者で

2014年の後半から、「次は50歳!」と言ったり、思ったりしているうちに

49歳をながしろにしているのではないかと感じるようになりました。

たしかに「50歳」はキリがよくていいんだけど

私は少し浮ついていたかしら。

あと半年もあるんだから、「49歳」を大事にしないとな、と思う今日この頃です。

 

そこで、弊社で編集のお手伝いをさせていただいた松原照子先生の

『「不思議な世界の方々」から教わった予知能力を高める法』なかにあるひとつを

続けてやるようになりました。

“朝「(氏名)の(年齢)歳○月○日を始めます」と言ってごらん”というものですが

「内山真李の49118日を始めます」と朝、宣言するわけです。

なんとなくグラウンディングができてきた感じ。

浮ついたのが収まって「49歳」が喜んでいるような気がします。

 

精神世界ではよく“今、ここ”という言葉を使います。

“今”という概念はほんとうに不思議。

“今”なんてあるのか? だいたい時の概念ってなんだ?

“今”って、あるようで、ないのですもの。永遠につかめないしっぽのようで。

歩いていると、100メートル先にも今があって、私の中にも今がある。

後ろにも今がある。と思った瞬間に、さっきの今はもうなくて、違う今になっている。いる?

そういう概念でいいのかしら。

やはりよくいわれる「毎瞬毎瞬」という言葉は、言い得ていていいなと思います。

 

さて、時はどう流れているのか?

やっぱり未来から流れてきているのか? やっぱり?

 

私の細胞のひとつひとつに「今」があって、見上げた空に飛んでいる飛行機の中にも「今」があって、

とかなんとか考えているともうだんだんわけがわからなくなってきて

たいてい、生きていることはなんとおもしろいのだろう、というところで終わります。

 

だいたい私の細胞のひとつひとつに「今」はあるのでしょうけど、

同時に細胞には過去の生物の記憶が全部詰まってもいるわけで、なかなか壮大な話です。

マクロ過ぎて壮大。

子どもの頃は、「自分の体の中にも外と同じ宇宙がある」と感じていましたが

この年になってますますその思いは強く明晰になってきました。

わたしという膜を境に、内側と外側の相似が美しく成り立っているようにも思います。

内在宇宙と、外在宇宙。

 

そんななかで

未来も過去も全部、今ここに同時に存在するのではないか、という考え方がいちばん腑に落ちます。

 

いつかこの時間の観念がつまびらかになり、模型なんかで表現することができたら、どんなに楽しいことでしょう。

 

陰陽と神仏と

2015年1月 3日 (土)

「神仏習合の時代の初詣ってどんなだったろうか」

ツイッターのタイムラインに、どなたかのそんなつぶやきが流れていって

いいもんだなぁと、神仏習合時代に思いを馳せた。

 

神様と仏様と。この頃の勝手な解釈をメモしておく。

神は自分の外に広がる宇宙 のようなもの。

対して御仏は自分の内に広がる宇宙のように感じている。

 

しばらく、仏様の前でお経を唱えながら、「はて、いったいどこにいてはんのやろう?」と、

謎に思っていたのが、自分なりに、解釈するようになってから落ち着いた。

ああ、仏様は私の中においでなのだ、きっと。

 

この観点から、私はなんだと考えると「膜」ということになろうか。

遠くはずれてはいないような気がしてきたぞ、と。

 

となると、陰陽に分けるなら、神々が「陽」で御仏は「陰」か?

そのへん、曖昧なのが許されて、勝手な解釈もなんでもござれで寛大で

日本はいいなぁと思います。

『エターナル・サンシャイン』と『ハイ・フィデリティ』

2015年1月 2日 (金)

元旦には大好きな映画を2本観た。極楽。

『エターナル・サンシャイン』と『ハイ・フィデリティ』。


『エターナル・サンシャイン』は5年ぶりくらいで観た。

自分のとらえ方が変わっていて面白かった。

表層的な記憶が消去されたあとでなにが残るのか、潜在意識にはなにがあるのか、

潜在意識は顕在意識にどんなふうに働きかけるのか、

そんな視点で物語を見ていた。

また、たましいの課題について。

スピリチュアルの世界ではよく、人はみな克服すべき課題をもっていると聞く。

克服しない限り、課題は手を変え品を変え、姿を変えて、何度だって立ちはだかる。

課題は、生まれる前にセットして人はこの世に下りてくるというふうに読んだこともある。

だから何度も似たようなことでつまずく(克服しない限り)。

そんなことを思いながら観た。

森田健さんの『ワンネス』のラストシーンを彷彿とさせた(ぜんぜん違うんだけど、潜在意識の働きという点に於いては似たものがある)。


主人公のジュエルと恋人のクレメンタインは、きっと同じところでまたつまずく。

そのまま離れてしまえば、「無間地獄」を繰り返すことになるはずだ。

潜在意識が働くから、そうはならない。そんな壮大なハッピーエンドを味わいながら観た。

 

 

『ハイ・フィデリティ』はグレイトな音キチくん(=ロックバカ)の映画で、他人事とは思えない。

そういう意味で、私の中でのカテゴリーは『アイデン&ティティ』と同じかも。

私でも知ってるロック名曲洪水みたいで、たいへん心地いいです。

女の子にフラれたあとで、主人公のボブがボスの「RIVER」を聴いている回想シーンなんて指さして爆笑しちゃう(個人的に!)。

台詞がいちいち立っていてすごく刺さるのもいい。

「人の評価なんて、善悪とか金があるなし、仕事がどうのこうのじゃなくて、ただその人の趣味がいいかどうかだけだ」みたいな台詞にもなんだかグッときちゃう。

だいたい、我が失恋のベスト5なんて、バッカみたいなんだけど、

そういうことをやっている、世間的には「アホ」と見下されちゃうかもしれない

センチメンタルで音楽の趣味のいい男の子が私は大好きなんだわ、と再確認しちゃう。

フィナーレの「レッツ・ゲット・イン・オン」(ジャック・ブラックのカヴァーで)はキターっ!という感じ(『アメリカン・グラフティ』のエンディングに、ビーチ・ボーイズの「オール・サマー・ロング」イントロがキタときみたいな!)。

 

ローラが動いてはじめて物語が進み始めるところにも注目だ。心したい。

ニック・ホーンビィの原作もすごくいいんだよなぁ。

決めました。今年はニック・ホーンビィ、漁ってみよう!

ごきげんさんで

2015年1月 2日 (金)

あけましておめでとうございます。

クリスマス、年末、元旦と、節目節目によって「気」って変わるものだなぁと、
今年はしみじみと感じることができました。二日になると不思議に、元旦の気は薄らいでいきます(当たり前だけど)

見えるものも見えないものも大切に、
1年を慈しみながら暮らしたいと思います。見えないものにはとくに注意を傾けて過ごしてみます。
どんなに微細なものなのかを、日々のなかで静かに観察していきたいです。

2015
年の目標は、笑顔でいること。
たしか5年くらい前にも同じ目標を掲げて、その年私は、口角を上げるために
割り箸をくわえて仕事していたような気がします。
それとは少し違って、私が笑っていることで、なにが変わっていくのか、変わらないのかに今は興味があります。
私は宇宙になにを出しているのか、できればいいものを出したいけど、いいものとしていちばん先に思い浮かぶのが笑顔です。
だから。

祈りと祈りのはざまにある毎日を
心して歩ませていただこうと思います。

からだと心とたましいに感謝して、きちんと仕事を片付けながら、
一期一会に思いを馳せて、楽しく。

今年もよろしくお願いします。