ダウン症の天才書家 金澤翔子×百段階段 ~共に生きる~ レポート

2014年11月22日 (土)

目黒雅叙園(東京・目黒)の東京都有形文化財・百段階段で 2014年11月21日(金)から
「ダウン症の天才書家 金澤翔子×百段階段 ~共に生きる~」が始まりました。
一般公開に先駆けて、直前にプレス発表会があり、参加したのでレポートします。

【要点】
ダウン症として生を受け、現在は書家として活躍する金澤翔子さん。
展覧会は、翔子さんの書と
彼女の母・泰子さん(翔子さんの書の師でもある書家)の日記から抜粋した文章とが、
文化財百段階段の空間に展示されます。


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【漁樵(ぎょしょう)の間】 記者発表の模様。
右・金澤翔子さん(29歳)と左・母の泰子さん。
翔子さんは目黒生まれ。生まれた土地というご縁で、今回の展覧会の話となったそうです。
仲良し母娘ですが、泰子さんは翔子さんの書の師。
師弟関係では、たいへん厳しそうなことが、展示から窺えました。
翔子さんのお父さんは翔子さんが14歳のときに他界。
生前、 それは楽しそうに書を書く子どもの翔子さんを見て
「二十歳になったら個展を開いてあげたいね」と、泰子さんと話していたそうです。

翔子さんが二十歳になったとき、その言葉は現実となり、
銀座で個展を開きました。
泰子さんは「一回限り」と思っていたそうですが、
その書は人の胸を打ち これがきっかけになり、翔子さんは世に羽ばたくことになりました。
来年の30歳には、初のニューヨーク個展が開かれるそうですよ。


書はもちろんですが、文化財とのコラボレーションも大きなテーマです。
これが素晴らしかったです。今までたくさん拝見してきましたが
今回が、百段階段の美しさがいちばん際立っていたかもしれません。
翔子さんの書はまるで宇宙のようで、周りの装飾と決して争わない。
それでいて素晴らしい世界観をつくってあり、見事でした。

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【草丘(そうきゅう)の間】
左が10歳の頃に書いた(展示文よりそう思われます)般若心経。
ここから奇跡が始まるのかもしれません。 右が二十歳に書いた般若心経。
胸を打たれるような般若心経でした。私も久しぶりに写経しよう……。
草丘が、いつもと少し違って見えたなぁ。



Photo_2 【星光(せいこう)の間】
ちょっとしたところが、とても可愛らしくて、拝見しているとしみじみ幸せになってきます。


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【清方(きよかた)の間】 空間とのバランスが見事です。

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ここに「平清盛」ありました。私、あの大河ドラマが大好きでした。


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【頂上の間】
従来の展覧会といちばん異なるのがここかも。空間の美しさがことのほか際立ちます。


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【エントランスホール】 大迫力。カッコイイです。


12月28日(日)まで。10時~18時(最終入館17時半)
暖房なしだと思いますから、厚着してどうぞ。

https://www.megurogajoen.co.jp/event/kanazawashouko/index.html/

お手玉

2014年11月12日 (水)
九州の母から宅配便が届いて、中にお手玉が入っていた。
「とくべつにお気に入りのかわいいのをおくります。
仕事がゆきづまったときにはお手玉でもしないとだめですよ」
みたいな走り書きといっしょに。
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ちょっと使い古しているお手玉(少し穴が開いている)。
触感が、昔のお手玉とは違うな……。中身が大きいみたい。
昔々はお手玉を、数珠玉で作ったよなぁ。なんだったんだろう……
数珠玉がないときは、小豆で作ったけれど、
「贅沢だ」と母が言ってたっけ。

母が作った、サーモンピンクのチェックのお手玉とか、
人形のミカちゃんのドレスと一緒の模様のお手玉とかは私のお気に入りで、
今でも色や触感をよく覚えている。
母に電話してお礼を言うと、「3つくらい軽くできんとつまらんよ」と言われた。

久しぶりにやってみると、母の歌っていた歌が口をついて出る。
「いちれつらんぱん はれつして さっさとにげるはロシアのへい♪」
(そのあとが歌えないんだけど……)
母は、歌いながら、3つも4つもお手玉を高々と上げていたっけな。
おはじきもとても上手だった。
今もきっと上手だ。

お年寄りとの集いのときも、幼稚園へ出かけて子どもたちと遊ぶときも
お手玉は大活躍なんだそうだ。
私も原稿が煮詰まったらやってみようかしら。
まずは、片手で2つから、リハビリをはじめてみることにしよう。