桜の精

2013年3月18日 (月)

Img_6013  
小学校5年生のときに引っ越していった小倉の家に、
とても大きな桜の木がありました。
思えば私の桜が好きなのは、
あの木への特別な気持ちから始まったのかもしれません。

家に覆い被さるくらい繁っていたソメイヨシノ。
枝からブランコをさげることができたくらいだから、
当時で樹齢40年くらいあったのだと思います。
その木が大好きでした。

おねだりしてブランコをつけてもらったものの、
実際にはほとんど使いませんでした。木が気の毒で。

夏になるとものすごい蝉時雨で
夕方になると地中からようやく抜け出して、幼虫から成虫になるセミがいくつもおりました。

声はすれどもセミを探せない私に、
「ほら」「ほら」「あそこにも」と、父が指差すほうをみると
いとも簡単にセミが見つかるのには、子ども心におどろきでした。

六年生の夏休みが終わる8月31日の晩、
もう二度とこんなにすてきな夏は来ないことが悲しくて
布団のなかでギャン泣き、もとい、さめざめと泣きました。

夏のひとときのキラキラが、それはやさしく美しく、
その輝きから抜け出して他人のように秋を歩きだすのが、たまらなく悲しかった。
そして自分は大きくなっていく。
この夏には二度と会えないことがせつなくてせつなくて。


翌朝、目をはらして始業式に行きました。
学校の友達との楽しい日々に、せつなさはちぎれ飛んでいきました。


そんな女の子を、桜はどんな思いで見守ってくれていたのかしらと思います。

あのとき、木の精がいるのを静かに感じていました。


大きくなって、かつて住んでいたその家を見に行ったら、
伐られてしまって、桜はもうそこにはいませんでした。

でも、きっとずっと覚えてるな。
せつなかったこと。
桜の精と暮らした日々の輝き。