見えない聞こえないお年頃に思うこと

2012年8月 8日 (水)

どうか自分の昨日のパフォーマンスと比べたり、人様の何かと比べたりして、
今日の自分のからだを責めないであげてほしいと思います。
からだとちゃんと仲良くできれば、いじめなければ、自分のからだの声をきくことができれば
ほんとうはきっともっとみんな元気になれるんじゃないないかなと思います。
かくいうわたしもずっと、からだの理解者ではありませんでした。
でもね、ここ2年くらいで、人が変わってからだも変わった。すっかり元気になりました。
今の自分のからだを感じ、見てあげられる、
会話ができるようになったからかなと思っています。

自分がだれかに褒められたいのと同じくらいは、からだはわたしに褒められたい。
わたしが、褒めてあげるのがいちばん大事だという気がしています。
…気づくのに45年かかったわ。
もっと早くに気がつけば気がつくほど、いいことがいっぱいあると思います。
今わたしは見えない聞こえないお年頃ですが、
以前にも増して自由になった感覚とからだを感じています。


1歳になったばかりのときの目の手術が原因といわれ、子どものときから視力が悪かった。
子どもには「見づらい」「見えない」という概念がないので、世界はそんなものでみんなそうだと思っていた。
片目を閉じると世界が揺らぐ感じ。
小学校に上がって視力検査をして、右目が1.5で、左目は0.1ないくらいと知る。
ああ、自分の目が悪かったんだと初めて知った。
初めて視力検査をした帰り道、「これが見えない」ということなのか、みんなじゃないんだ……と
片目をとじとじ帰ったことを覚えている。

しかも矯正視力が出なかった。
なにかが決定的にだめみたいで、レンズをつけても視力が出ない。
眼鏡店では長―い時間検眼されて辟易した。
専門的なことがわかる方は「なにか事故ですか?」とおっしゃった。
本人は慣れているので平気だったが、親がたいそう気にした。
娘がいつか視力を失うことを恐れ、非常に姿勢をとやかく言った。

親の不安が伝染したんだろう
「いつか見えなくなる」というぼんやりとした不安はいつもともにあった。
視力を失ったら指圧師になろうと思っていたので、わたしは今でも少し指圧が上手。
もっとも、コツがどうというより、押してほしいところがなんとなくわかるのと、
指の力が強いので重宝がられるだけだけど。

母は聴覚が弱かったし、見る、聞く、しゃべる機能のなにかを損なう漠然とした恐怖が
成長過程でいつもあった。
人魚姫が好きだったのと喋るのが苦手なせいで、ひとつ失うならば喋るのを失うのがいいです神様、
視力は最後までもっていたいです……と思う子どもだった。

そんなことを今朝思い出したのは、わたしはきっともう失わないだろうと思ったからだ。
ありがたいことだ。
相対的にとらえるとだめなんだろうけど、それなりに見えて聞こえることが、このごろ愛おしくてたまらない。
視力は相変わらず悪いし、コンタクトレンズを入れて両眼で0.7はない。
お年頃のせいで毎日少しずつ着実に昨日よりも今日は見えなくなる。
でもPC打てる、ものが書けるから、充分。
マシンの文字はワンタッチで級数アップできるし、おかげさまで画面を見るのをキツイと思うことはない。
聴覚は少し前に低音性難聴といわれた。疲れると聞こえない。
残念なことにライブ行くと3日くらい聴力が戻らないので、耳栓して聞いてることが多い。
けど気にしない。ライブハウスの空気吸っていられるだけでいいや。

相対的には、日々少しずつ損なわれているかもしれない。
でも日々少しずつ、昨日見えなかったものにふと気がついて、世界が豊かになっていく。
気づいた瞬間に見えるものがあるんだよ。
お年頃で少しずつかすむ世界が、負け惜しみじゃなくてきれいに感じるんだよな。
今しかできない見え方が美しいんだよな。
昨日の見え方を望まないの。わたしは進化しているから、世界はどんどん変わるの。

何度も開腹してつきあってきた腫瘍とか、そんなからだの持病もそんな感じ。
たぶんわたしは、もうからだのどこも責めないなぁ。
「今まで責めていてごめん」と心底思ったから、たぶん婦人科の持病とも邂逅したと思う。
だから治ったと思っている。たぶんもう開腹しない。
孤独だった臓器に、感謝を添えて思う限りやさしくしてあげようと思う。
するとほんとうに人が変わったように体調がよくなって2年経つ。
たぶんわたし、もう大丈夫だもんなぁ。

コメント

comments 田所 稲造 | 2012/08/08 21:17:39

さだまさしさんの歌に「主人公」というものがあります。私の人生の中では、私が主人公だから、という歌です。

思えば、自分の身体と真剣に向き合って来なかった気がします。喘息にしろ、脂肪肝にしろ、糖尿病にしろ、酷く壊した自律神経にしろ、近眼にせよ、ここまで真剣に向き合って来たかな、という気がします。

お言葉をかみしめ、少しは自分の身体を励まそうと思いました。

comments マリ | 2012/08/08 21:29:24

田所さん
ものすごくうれしいコメント
ありがとうございます。
自分のからだを批判ばかりしていたんですよね。

自分がしてほしいように
からだにしてあげたら、それだけで元気になってます(わたしはね)。

みんながそうだとは限りませんが
田所さんにもぜひ元気になってほしいです(*^_^*)

comments あんじゅ | 2013/03/20 17:00:36

何年、会ってないのかなぁ。
最後に会ったの、まだ私が大阪にいた頃だから、もう二十年以上前だよね。

最近、マリのブログを読むと
「凄いなぁ」という感想と同時に、とても似ているなぁと思う。まるで、離れて育った一卵性双生児のように、同じように、世界を享受して、成長して、幸せになっていってるという気がするの。
私は、万事、マリほど明確に意識してなくて、読んではじめて「ああ、そうだったのか、そういうことかぁ」と思わされるのだけれど、基本、同じように感じてる気がする。

ごめん、随分勝手な思い込みかもしれないけど。

この記事へのコメントは終了しました。