うちの神祀り

2012年7月27日 (金)

核家族なので、伝統的な神祀りを知らない。
ばあちゃんちは、ずいぶん立派な仏壇はあったけれど、たしか神棚はなかったように思う。
仏壇のお道具がかわいらしくて大好きだった。

実家の母は少し変わっていて
神棚をつくらず、お札も置かず、しかし信心していてものすごく好き勝手な神祀りをしている。
……母の決めた場所に、神祀りの場所がある。
そこで母は手は合わせるものの、本格的にお参りするのは、別の広々した場所でのびのびとやっている(夜目撃すると、かなりびっくりする)。
宗派はない。完全オリジナル。
一方、私の家には神棚がある。「神棚しつらえたの」と言うと母は「いいねー」と言う。
「お母さんは神棚つくらないの?」と聞いたら
「うん、べつにいらない。なくてもちゃんとお参りできるから」。まあ、決まりや形にあまりとらわれない人だしね。

この間神祀りについて母娘で話していたときのこと。
わたしがしている月初めの四方拝の話になって
「月はじめは、家の四方にお酒をまいてお参りするんだよね」とわたしが言ったら
   ※みそかの夜に、八方権現(ハッポウゴンゲン)さんと
     大屋毘古(オオヤビコ)の神様にお参りする
「あらいいわね。ま、お母さんは毎日八方拝だけどね」と少し自慢げに言われた。
そのころわたしに八方拝の知識がなかったので「なんで八方なのよ」と聞いたら
「わかんないよ、そんなの。そのほうがいいの!」と母。
母は、自発的に拝み始めた人なので、まあ、いろいろあるんでしょう。
おそらくだれかに教わった拝み方じゃないと思うんだよなぁ。
しかし時を経るにつれ、八方拝なる正統の拝み方がちゃんとあると知り、少し不思議な気分だ。母、何者!?

自分ちの神祀りも、相当勝手なような気がする。
ひとつはお札の数。多いんだよな。たぶん、お札だけでも神棚に十柱いらっしゃるか。
(ご縁のある神々、ご挨拶させていただく神様はたぶんその倍ほどになる)
神社庁のサイトには「複数のお札は重ねる」と書いてあったけれど
それをするとものすごく嫌がられるので、極力重ねない。
いや、入らないから重ねるけれど、神棚で宝塚立ちなさっているような、そんな状態(すみません)。
あと、神棚はお祀りするときトビラ開けたらだめなはずなんだが
扉を閉めるとどうにもごきげんがよろしくないので(神棚しつらえたときにいろいろやってみたのだ)、失礼ながら開けています。ごめんなさい。

うちの祀り方は、ずいぶんフランクなんじゃなないかなと思うけど
だって神様が「重ねるな、しめるな」おっしゃるのんだもん とわたしは勝手に思っています。

仏壇も……フランク。なんちゃって仏壇。
お仏壇屋さんで「お仏像は1仏だけ」と言われけど、結局3仏あるな。
十代の終わりごろか、般若心経を詠んでいたら「浮遊霊が頼って寄ってくる」と言われたことがあり、恐くてドン引きしたことがある。
そんな話を母にすると一喝された。
「迷ってるものは気の毒なんだから、あなたが上にあげてあげなさい! そのくらいの力はあるから大丈夫っ! そのくらいできなくてどうするの!」だそうです。
いつも母は強い。かといって別に「上げ方」を教えてくれるわけではないし。
ただ、ああそうですかと思うと、別に恐くもなくなって今に至る。
読経の森に迷い込んだことはあっても、浮遊しているなにかに悪さはされたためしはない(と思う。感じないからわからない)。


ちなみに、般若心経をあげていると、霊が喜ぶというのはまんざらウソではないと思うのは
先日夜詠んでいたら、隣にいた夫が
「死んだオヤジが、『こっちで聞くとこれがよかっちゃんね』と言って、お経に合わせて踊ってる……」と言う。


たしかに、そういうものなのかも知れないけど。
踊っているのか、お父さん……。

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