南河内万歳一座「夕陽ヶ丘まぼろし営業所」

2012年6月28日 (木)

*この文章にはお芝居の結末も含まれるので、観る予定のある方は、観てから読んでください。

2013年は劇団結成満30年周年記念だそうです。
南河内万歳一座は1980年に大阪芸大の在学中に旗揚げ公演。
1年の休団を経て、新作「夕陽ヶ丘まぼろし営業所」をひっさげて、復活しました。

「夕陽ヶ丘まぼろし営業所」は、まだ観ていない人にはぜひおすすめしたい作品です。
万歳史上、世紀に残る名作で、観るべしの作品。「唇に聴いてみる」を超えた!と思いました。
「唇に聴いてみる」のアンサーソングならぬアンサー芝居じゃないでしょうか。

夕陽のシーン、群衆劇、アングラ演劇を彷彿とする台詞まわし、肉体派、シンプルで最強の舞台装置、泣ける音楽……どこを斬っても金太郎飴さながらの、「ザ・万歳」のお芝居です。
各アイテムが複雑に絡み合いながら展開します。
そこに内藤さんの描く物語が合体して織り成す模様が素晴らしく、その完成ぶりに、
「唇を超えた!」と思ったのです。観ながら泣けてくるところも、“唇超え”でした。

「唇」にわたしがこだわるのは、自分の構成成分の五分の一が
「唇に聴いてみる」なんじゃないかと思うほど好きな作品だからです。とてもせつない作品でした(86年の改訂版をオレンジルームで、89年「唇に聴いてみるの作り方」をOMSで観ました。で、86年から万歳に傾倒したというわけです)。
胸の中でちろちろと燃え続けているなにかが、そのまま呼応してくるようなそんな感じ。
「唇」を観た後にせつなくてたまらなくて泣いたのなら(実際立ち上がれないほど号泣した、当時)
今度の「夕陽ヶ丘」は、うれしくてたまらず泣くのです。

あの日の少年は、せつなさを抱えたまま大人になりました。
ときにせつなさにうちひしがれることもありましたが、しかしなにひとつ捨てることなく、あきらめることもなく、とにかく歩き続けたのです。
あれから何年過ぎたでしょう。見た目は年をとりましたが、心は少年のまま。
そのみずみずしさをなにひとつそこなうことなく、静かに強くなっていました。
今少年は、すべての歩みをふりかえって、まあこんなもんだし、悪くないと笑うことができます。
いったん笑った後で、…おやまあ、彼はまた歩きはじめましたよ。そんな印象です。

年を重ねること、生きること、かならずしも思った通りの年齢の重ね方でなかったにしろ
そもそも思った通りってなんだよ、思ったイメージ、そんなもんホントにあったっけ?
……それを、夏を待つイメージと重ねながら、物語は進んでいきます。
ふと気がつくと思いもかけないところを歩いていて、そのときようやく初めて「ここどこ?」に気づく。
「ここ」に違和感を持つものの、そもそも行きたい夏はなんだったのか、ほんとうはイメージすらできていなかった事実をつきつけながらも、
歩くしかないじゃない、今ありき! では、まいりましょう!!  みたいにたたみかけてきます。


たとえ見た目の醜さをはらんだとしても、年齢を重ねる事象に対して、全肯定。
「生きる以上は諦めるな、今からでも、描く夢があるならば、一歩一歩つみかさねるのだ」
と、スネに傷持つ、「カラスの姐さん」を通して描き出します。
カラスの姐さんの終盤「だけど……手伝いたかったね!」の台詞まわし、笑いにかえてあったけども
あれは「唇」の運動会の玉入れで玉を数えたあとの「勝ちたかったね!」のパロディでしょう。


一方で、飛行機の機内の模様を格差社会にたとえたり、目に見えないものを怖がる集団を描き出したり、
センチメンタルが横糸なら、縦糸はシュールな社会批判(分析?)、これも、内藤さんのお芝居の真髄ともいえる見事な構成でした。
劇場の外界に広がる「今、ここにある問題」について的確に描かれていたように思います。
縦糸と横糸のバランスがよくて、それがとても心地よくて。ぴたっとキマった感じがしました。


南河内万歳一座、そして内藤裕敬さんの「第二章、はじまり、はじまり~」と、のろしがあがったようでした。
内藤さんの強さとやさしさに、勇気づけられます。確かな今があるから、余計に。
こんなに素敵な先達がいるなら、わたしも元気に歩いていけます! そんな感じでうれしかった。

ところでうちに帰ってから、ヒロイン不在に気がつきました。
いつの間に、せつなさの質が変わっているのかもしれませんね。そんなお年頃なのかも。

南河内万歳一座 http://banzai-ichiza.com/


*余談*
芸大出身者として、自分もそうだし、周りをみていても思うこと。
自分から発露するものを作る、作り続けていくのは、ときにものすごくキツイこともあります。
社会的な風当たりもあれば、その作業自体がキツイことでもあるし、
でも、それをしなければ、私たちは生きられない。
それはただの思いこみかもしれなくても、
「これがないと生きられない」と思いこめちゃう自分たちのことはキライではありません。
これ幸いと足を洗った人もいれば、違う道を歩んでしあわせを手にした人もいる。
続けたくても続けられなかった人もいるし、運良く続けられた人もいる。
甲乙つけられるものではない。ただ、「今、ここ」があるだけ。
それにしても30年も続けていられるのは、とてもしあわせなことです、ありがとう
と思うのでした。
万歳にも自分にも、続けている周りの人たちみんなにいえることじゃないのかな。

 

 

 

 

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