それが事実であるがゆえに、ニュースは最高におもしろい。
そこからドラマを読み取るのは、あなたなのかもしれません。
「新年も大晦日も、いつもと同じ時間が流れているだけなのに
それが特別なものみたいにしているのなんてばっかみたい」
16才の大晦日の夜。帰省した四国の実家でそんなふうに思った。
「なんで、大晦日だお正月だと騒ぐのかな。いつもと同じ時間に変わりないのに」
その大晦日の深夜ラジオでは、新曲ほやほやの「赤いスイトピー」が流れていたっけな。
反抗したい盛りで、早々にお茶の間を切り上げ、部屋でラジオを聞いていた。
聞きながらハッとした。親だってわかってる。いや、わたしよりずっとよく知ってる。
いつもと変わらない時の流れを、大晦日だ、新年だとやるのはきっと生きる智慧なのだ。
ばかばかしいなんて素振りも見せず、ちゃんと年越しそば食べて年越しして、正月の挨拶をするのは、
長い時間を超えるということの難しさと智慧を、身をもって子どもに教えているのか。
思い至ってようやく、正月を正月たらしめん親に感謝。自分も積極的に乗ることにした。
なにせ反抗期だったので、自分で納得しないと落ち着かなかった。
思えばそこにありありと現れるのは、サンタクロースの夢も、新年のありがたさも、
神仏の不思議も、同じに違いない。ないと思えば永遠にない。
大晦日は更けてゆく。だれの屋根にもひとしく時が降り積もる。
どうぞみなさま、よいお年をお迎えください。
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