それが事実であるがゆえに、ニュースは最高におもしろい。
そこからドラマを読み取るのは、あなたなのかもしれません。
道路工事見守り40年 腕振る「安全太郎」ロングセラー
道路工事現場でおなじみの人型ロボット「安全太郎」が今年、誕生40年を迎えた。高速道路で働く作業員を守る… /2010年5月25日(火)asahi.com
安全太郎というのか。……「フビンちゃん」だな。
「フビンちゃん」というのは我が家のことばで、
いたいけなものへの愛を込めてこう呼んでいる。
ぬいぐるみとか、人形とか、ときには動物とか、
魂を感じるもので、一所懸命、見返りを求めずに笑顔を振りまき続けている小さなものの総称だ。
だから、安全太郎はフビンちゃんならぬ、ミスターフビン。
安全太郎の値段だとか身長とか、いかにして生まれたかをあらためて知ると、感慨深い。
自分の暮らしを見回せば、出自を知らないものたちがいかに多いか。
トレーサビリティのシステムは構築されつつあるけれど、口に入れる食べ物ひとつとっても、
どこから生まれて、どんなふうに育って、形になって、運ばれて、わたしの手元に届くのか、
知らないことがいかに多いか。想像すらできないことがいかに多いか。
ポテトチップスの生い立ちだって、わからない、畑でジャガイモが育つことはイメージできても、
工場でどんなふうに生産されて、どんなふうに流通システムにのっていくのか。
ペンはどうだ。ネイルはどうだ。
昨日食べたキュウリは何度農薬散布を受けたのか。30回か、50回か。
ずばっととんで経済社会のシステムについて言及できるか。
なーんてことを考えていると、わたしの暮らし、衣食住はすべて
幻想の上に成り立っていると言い換えられるのではないか(←長くなるのでかなりはしょりました)。
手にしたマテリアルはまぎれもないリアルだけれど、それの出自をほとんど知らずに
それでもよしとする世界に、わたしは住んでいる。生きている。
その不思議。
システマチックに構築され、守られている世界は、なにもかもが偶然うまくいっているだけで、
なにかひとつがほころんだとたんに、そのほころびが連鎖する世界ではないか。
安全太郎を眺めながらそんなことを考える。
この状況を打破しようとか改善しようとか訴えているわけではなく。
せめて、知らないことを自覚して生きよう。
知らないということは、すべての危険を受け入れることをよしとする選択なのだと
自覚しておかなくてはいけないわけだ。極論すると、迷える羊っていうのはそういうことだ。
わたしの暮らしの成り立ちは、偶然の善意に支えられているということだ。
世界のシステムを知ろうとしないで、なにも疑わず安全だけ求めるなと。
はからずもミスター・フビンは教えてくれるわけで……。うむ。
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コメント
ナルヘソ〜185センチかぁ 視力が悪いが一応、免許証はクリア(眼鏡・コンタクトレンズ要着用だけれど
) 遠くから、「何だか背が高くて、姿勢がよいねぇ」とつぶやいて、助手席の娘に「人形ってか?ロボットだよ
」って言われて、イケメンを想像していた自分が恥ずかしくて…

だろうが、猛暑だろうが、おじちゃんやお姉ちゃんやお兄ちゃんが旗振ったり、なめらかに速度落としてね
の手の動きには、尊敬します
と思うけどね。
`)ノ
の感謝しなきゃね

しかし、見とれたよ
思わず('◇')ゞ敬礼して通過してしまいます。
ニコリ(⌒ー⌒)ゞとなめらかな手で返してくれると人間は、素晴らしい
(遠目で)イケメンロボット君にも投げkiss(´
悪天候のバイパスや高速道路では、身を張って頑張って居るんだものね
「ロボット」…たしかに。お嬢さん、的確です。
おじぎをして通り過ぎるドライバーはたくさんいることでしょうが
」ってしちゃうよ。
敬礼をして過ぎる方は少ないかも。
みんとてぃさん、警備さんたちで話題になっていたりして。
そりゃ「にこ~~~っ
今度イケメンロボットくんを見かけたら「たろうく~
ん」って呼びかけてあげてくださいね。