それが事実であるがゆえに、ニュースは最高におもしろい。
そこからドラマを読み取るのは、あなたなのかもしれません。
錦帯橋 古材使い0.1ミリ単位の縮小模型 2010年1月15日(金) asahi.com
すごいな、すごいな、すごいな。かなり萌えてしまった。
前の橋の欄干でミニチュア。現地の石で橋脚。すごすぎる。
「技術を伝えたい。未来への橋渡しだよ」にまたシビれた。
式年遷宮を思い浮かべたのはわたしだけか?
こんな大人になりたいもんよ。
さて、ミニチュアといえば。
小ささつながりで、小学校2年生の冬に父が作った入れ子の箱のことを思い出した。
当時父は仙台に単身赴任していて、正月、家族の住む大阪にやってきた。
そこでわたしがきれいな千代紙を得意げに見せたら、「ボール紙ある?」と言って、
「あるよ」と言って厚紙を出すと、やおら箱を作り始めた。
定規で測り、カッターを動かしながら作った箱に、しわひとつつけずきれいに千代紙をのりで張って、さらにその中に収まる箱を作っていく。
「若い頃にこんな仕事をしたことがあるんだよ」と言って、サクサクと5つの直方体の入れ子の箱を作り上げたあとで、
今度は立方体を作り始めた。
立方体は3ミリ刻みだかのかなり精巧な13個の入れ子で、最後の箱は直径3ミリ。
楊枝を使って組み立てていた。
仕上がった豆箱は、爪楊枝を使えばきちんと開け閉めできる。箱に模様もある。
父の手指の器用なこと。結果、半日、父は箱だけを作って過ごした。
わたしは半日、飽きもせず、できあがっていく箱を眺めていた。
父が娘にかまって時間をさくことなど、あとにも先にもこのときだけだったので
今でもよく覚えている。とても不思議な空気感だったのだ。
箱をひととおり作ってしまうと、色柄の千代紙はなくなったのだが、
茶の和紙だけは残っていて、ファンシーショップで100円で買った紙の引き出しに、
きれいに張りつけてお色直しをしてくれた。
あれから40年。小さな小さな引き出しは、今も大切にわたしの部屋にある。
あのときの父、42歳。
もう追い抜いてしまった自分に驚く。
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