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死と供養見つめ直す お葬式・法事CD作製 歴史や段取りなど解説
/2009年08月25日(火) 河北新報
夕べの23時半だったか、お世話になっているデザイナー氏から携帯にメール。
「イオンが葬儀ビジネス始めるってよ」。
ネタ、感謝します。まだ着手できていませんけど。
「近づいた!」と思ったらまた遠くに逃げられちゃったりしてますけど。
忘れていませんよ、葬儀のこと。
少しずつ、いろいろなところで啓蒙活動。うれしいじゃありませんか。
「便利さを追求するあまり大事な追善供養を省略してしまうのでは、遺族は癒やされません」と訴え、初七日から四十九日までの7日ごとの法要の意味合いを、丁寧に語り掛けている
というところに、ぐっときた。
そうなんだよなぁ。
初七日があって、四十九日があって、初盆がきて。で、三回忌だっけ?
そういうふうにゆっくり時間が過ぎていくなかで、その人を亡くしたという現実に少しずつ慣れていって
周りの人たちもやさしくて、でも折あるごとに故人を思い出して連絡よこしてくれるのが
遺族としてはうれしくて。
日本の七日ごとのお見送りの風習は、とてもやさしいものだと思う。
よく考えられているというか、死と向き合うために、欠かせない時間だと思う。
そんなことを思い出していた。
結婚式もお葬式も、どちらも自分にはとても大事なもの。
たくさんの人たちに「大切にしたいですよね」と言いたいこと。
ありがたいことに周りのみなさんから応援されて、少しずつ山を登っているわけです。
感謝。
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コメント
9月某日は母の十三回忌です。お墓は、金沢にあります。
七回忌までは、そのお寺で住職さまにお経をあげていただきました。お説教もしていただき、お食事まで、住職さまを交えて、親族、友人もいらしてくださいました。
十三回忌ともなると、新潟の我が家で家族だけでしよう。母の親族も友人も病を抱える人々も増えているし…
と言う私に、弟が相談に来ましたが、さて?お経は我が家の宗派のお寺からお坊さまを呼ぶべきか?否か?となりましてね。
実は、春から、般若心経を覚えようかな〜?と、CDを探していました。
近くのTSUTAYAでCDを探すにもどのコーナーへ行けば判らず、カウンターのお姉さんに訪ねたら、「は、般若心経って…?」って逆に説明する羽目に(;゜O゜)
年上の方に調べていただきましたら、
「どこかの店舗に有るはずなんですがね〜この店舗には置いてありませんね〜」
「コーナーは、どの分野ですか?」
「ヒーリングまたは、演歌のコーナーかと…」
心の中で、ちょっと吹いてしまいました。
来週、命日に執り行います。
どうしようかな〜 まだ、決まりません(泣)
お役に立てるかどうかは疑問ですが、わたしならどうするかしらと考えました。はて。
身内だけの十三回忌。でもお坊さんにはお越しいただくような気がします。
自分でお経さんをあげるのは日々のことで、お坊さんにあげてもらうのは「晴れ」のこと。
残した人にお経をあげてもらえるなんて、なによりもの供養だと思うのですが(おかあさま、とてもお喜びだと思います)
特別な日には、プロフェッショナルに頼むのもいいかなぁと思うからです。
うちにもあります、般若心経のCD。なんとなく。
興味があってあげていたので、高校時代にはもう朝晩空で唱えるようになってしまいました。
もちろん今でもそらんじることはできますが、完全独学だったために、まったく美しくもなく、抑揚もなく、無粋なこと限りがありません。
ちゃんとしようとなさるみんとてぃさんが素敵だなぁ。
じつはうちは浄土真宗なので、般若心経ではないのです。
なのに、つい、般若心経に惹かれて、あげたり写経するようになっちゃって……十代の終わり。
真宗のお経は、言えません(>_<)
ヒーリング、または演歌!!! おねえさん、いいセンスしてますねぇ。