AOYAMA ROCK’N ROLL SHOW

2009年5月10日 (日)

「ずっと僕たちの中に」 忌野清志郎さん雨あがりの葬儀 
 がんとの闘いの末、2日に58歳で亡くなったロックミュージシャン、忌野清志郎さんの葬儀が9日正午から、東京都港区の青山葬儀所で営まれた。「ありがとう」「キヨシローッ」「ゆっくり休んで」――前夜から集まり出したファンの絶叫が飛びかう。前日までの雨上がりで青空が広がった会場周辺は、「キング・オブ・ロック」への別れ涙でいっぱいになった。
 祭壇には、スーツ姿の清志郎さんが素顔でほほ笑む遺影が飾られ、竹中直人さん、大竹しのぶさん、甲本ヒロトさんが弔辞を送った。竹中さんは「忌野清志郎は死んでない。ずっとずっと僕たちの中に生きている。さみしいけれど、そう確信している」と話し、涙ながらに「清志郎さん、またね!」と語りかけた。
 葬儀は「AOYAMA ROCK’N ROLL SHOW」と銘打たれた。桑田佳祐、原由子夫妻やスガシカオさん、大友康平さん、及川光博さんら生前親交のあったミュージシャンらも多数参列。最後は昨年の「完全復活祭」で清志郎さんと同じステージを踏んだバンドメンバーが「雨あがりの夜空に」を生演奏して別れを惜しんだ。
 葬儀会場の外では、ファンらの一般弔問の列が前日の午後10時ごろからできはじめた。会場前では、清志郎さんが生前よくイラストに描いた全長12メートルのウサギのバルーンが参列者を迎えた。
 愛知県岡崎市から来た幼稚園勤務の牧原雄志さん(30)は、午前3時に車で向かった。「高校時代、屋上に一人でいるような世間から外れた人間だった。清志郎さんの音楽に出会い、人に対して笑ったり、怒ったりすることが怖くなくなった」と話した。
 千葉県から来たファンクラブの女性(46)は「ありがとうの一言に尽きます。これからもずっと一緒なのでさよならは言わない」。手には「感謝」と書かれた香典袋が握られていた。
 「人生っていいものなんだよ、と教えてくれた」と涙ながらに話してくれたのは横浜市の女性(50)。「清志郎さんはいつも命がけで歌っていた。これからは私たちがそんな清志郎さんの姿を伝えていきたい」と語った。
 午後1時からの一般弔問は、午後5時で3万5千人を超え、当初の予定を3時間繰り下げた受付時間の午後6時になってもファンの姿が途切れなかった。7時間待ってやっと献花できた人も。別れを惜しむ人たちの列は数キロにもおよび、深夜になっても続いた。 /2009年5月9日(土) asahi.com ※これもクレームがくるまで置いておきます。

 

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最終的に、弔問客は4万2000人にのぼったそうだ。
「どうよ。ボスは不動の国民的スターだぞ、えっへん」したくなる。
この数に比例するほどは、ボスの現CDは売れてはいないんだけども。
「お前ら、どこに隠れていやがったんだよ」と、いちばん言いたいのは、もしかして清志郎じゃないか?
照れてただろうな、うれしかっただろうな。


というわけで、もちろん「AOYAMA ROCK’N ROLL SHOW」に参列した。
午後1時半に最寄り駅・地下鉄「乃木坂」駅に到着。青山葬儀所はここから徒歩3分のところにある。
改札を出て地上に上がると、もう誘導が始まっていた……葬儀所とは逆方向に。
人、人、人……どこまでも続く人の列。並んでいる人の男女比は半々くらいか。
二十年前の少年少女が集った感じ。圧倒的に四十代が多い。
「なんちゃって清志郎」や、「なんちゃってチャボ」も多数見受けられ、ミュージシャンももちろんいるのだが、
ボリュームゾーンは、わたしも含む、パッと見「普通の人」たちだ。
ベビーカー押しながら並んでいる方もいるほど、女性は子ども連れも多い。


感心するほど誘導が徹底していて、並ぶわたしたちは【忠実な犬】 ※註1みたい。
指示されるまま炎天下のグラウンドに2時間「待て」したり(死ぬかと思った)、
青山墓地沿いに果てしない行列を続けたり。
ときには1列、ときには2列、3列と隊列を変えながら、間をあけないように、また押さないようにしずしずと歩き続けたり。
なんだかんだと結局10キロ弱くらい歩いたことになる。
基本黙々、ときに談笑。静かでおだやかな行儀のいい行列だ。
四十代だよ。体力も気力も衰えているのに、ひとつの不平もこぼさず、ほとんどは列からはずれることもなく、並び続けるのにもびっくりした(わたしも含め)。
腰にだって、かなりキテるのに。
列ではタバコ吸わないし、酒も飲まないし(トイレないから困るというのもある)、ズルして順番を抜かすこともない。
大人だからすこぶる行儀がいい。
午後の部は(?)、楽器を持った人も歌うことなく、ただひたすら並んでいた。
終電間際には大合唱になったそうだ(残念ながらわたしが出たあとだな)。
これだけの数の同世代が集まることなんて見たことない。その風景にも少なからず驚いた。



ようやく葬儀所の敷地に入れたのは19時をまわっていた。
暗闇のなかに浮かび上がる、全長12メートルもの高さの清志郎ウサギに度肝を抜かれる。響き渡るキヨちゃんの歌声。
まるでライブ会場さながらの高揚感。さっすが清志郎! 完璧にキヨちゃんタッチの空間に、涙。
「ベイビー、サンキュー、ベイビー、やりたいぜ、やりたいぜぇ~」の声が聞こえそうだ。
どうせなら物販をして「香典代わりに買って行け ~忌野清志郎~」のコピーでもあれば
馬鹿ほど売れただろうに、
実際にはTシャツもCDも売っちゃいなかった(売ってもいいのに。ファンはうれしいけどな)。
新しいソロの曲が流れていたが、【自由】とか【雨上がりの夜空に】など、往年のRCの曲はかかっていなかった。
あの場でかかったら暴動が起きるからか? いや、単に現事務所の経営的な問題だな。



それでも、持ってきた花や贈り物は先に集めるテントでは、
RCの【ファンからの贈り物】 ※註2 が賑やかに流れている。
みんな苦笑いで、持ってきたものをスタッフに渡す。ブラックで、すばらしい。


奧にある祭壇にはでっかい遺影とピンクの布に包まれたボスの遺骨。それを派手に紅白の幕が飾っている。
手前の献花台も、赤や黄色のビタミンカラーの花ばかり。かっこよすぎる、キヨちゃん。
「♪死なないぜぇ、死なないぜぇ♪」とか言いながら、
はたまた「♪あきれてものが言えない~♪」 ※註3 を歌いながら、奧からキヨちゃんが出てくるんじゃないかと思った。
なんだかライブのセットみたいだったのだ。



会場で準備されていたカードにキヨちゃんへのメッセージを書いて渡し、
遺影がプリントされた「お礼」をいただいて、献花をしてお参りして、
葬儀所を出たときは、20時をまわっていた。
視線を感じてふと顔を上げると、
夜空には、今夜のロックショウを見下ろすまんまるのお月様。
「キヨちゃんだ!」
それを見たとき、ひとしきり泣いた。
まったく。
密葬のときは、雨上がりでもないのに出棺時の空へ2本の虹をかけたらしいし、
9日の朝にも、ちゃんと虹をダブルでかけていた。
どこまでもきっちりキメてくれるボスだった。



ゆうべ参列して、気持ちの整理がついたつもりでいたけれど
今朝の新聞読んで、ボスの記事を見てまた泣いて、ああ整理なんてつかないのねと悟り、
やっぱりRCを聴いている。


キヨちゃん、ありがとう。愛してます!


★註1「忠実な犬」……アルバム『Baby a Go Go』収録。シングル『I like you』のB面でもある。

 

★註2「ファンからの贈り物」の歌詞 
♪ぼくに贈り物をくれないか? もっとたくさん、素敵なものを。彼女にプレゼントするんだから……♪
ラジオで放送されたときに苦情殺到。ファンを舐めてんのか!?という歌詞。
アルバム『シングル・マン』収録。

 

★註3「あきれて物も言えない」
♪どっかの山師がオレが死んでるって言ったってさ よく言うぜ あの野郎よく言うぜ ~♪
♪低脳な山師と 信念を金で売っちまうオエラガタが動かしている世の中さ よくなるわけがない~♪
当初は「びっこの山師」。ひっっかったので「どっかの山師」に変更されている。
どっかの山師は、泉谷しげるのこと。RC不遇の時代、泉谷氏が事務所で、
「清志郎はもう死んでるよ なんとかしてやれよ」と励ましのつもりで言ったのが歪曲して伝わり、この歌に。グレイト!

 

 

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