清志郎、お月様に

2009年5月 4日 (月)

忌野清志郎さん、5月2日午前0時51分永眠

彼は、RCサクセションというバンドは、
わたしをつくったからだの一部みたいな気がしている。
清志郎さんがいなければ、ロックンロールをかっこいいと思うことはなかった。
たぶん、今の結婚もなかっただろうし、高円寺にも住んでいないと思う。
ロックンロールバンドにかかわることもなかった。
だいたい、高校時代まではフォークソングの純粋培養だったんだもの。


どれだけ観に行ったっけなぁ。数えきれない。
最初のライブは大阪厚生年金だった。「ハートのエース」のライブで、芸大の12人くらいで行ったっけ(ほとんど“連れてってもらった”状態)。
芸大の学祭にも歌いに来てくれたし、いつだったか、大風邪ひいて熱出して行ったライブがあったっけ。
あれは「2・3’s」だったかもしれない。
客席の最前列で、わたしは踊り倒していた。
花も持ってなくて、投げるものがないから、思いあまって自分でつけてたマスクをステージに投げたっけ、
キヨちゃんが拾って「?」と首をかしげたあと、彼がマスクをつけてくれて(!)、
しばらく歌ってから、それを投げ返してくれた。手元に返ってきたマスクは宝物だった。
厚年の別のライブでは、2階席の最前列でやっぱり踊り倒していたら
「2階で踊ってるヤツ!」と声をかけてくれたっけ……ジーン。
ダントツのマイ・ヒーロー。


2002年のGW。
高円寺文庫センターのサイン会に清志郎さんが来るときに、スタッフでお手伝いするはずが
膀胱炎の高熱と痛みと血尿で動けず行けなくなっちゃって……残念だったなぁ。
代わりに、うちにはキヨちゃんのサイン入りの「BEAT POPS」がある(翌週訪れたチャボさんのサインも入っている。チャボさんとはちゃんとお話しできた)。


キヨちゃんの訃報を聞いたとき、なんだかよくわからなかった。
うまく飲み込めないまま、「トランジスタラジオ」を聴いたら号泣した。
気を取り直して、キヨちゃんをしのんでお月様を観に行ったら、月は雲で見えなかった(お月様はキヨちゃんの専売特許なのだ)。
夜更けの高円寺、通りのどこからも、RCは聞こえなかった。不甲斐なさでいっぱいになった。
うちでRCを聴きたおして泣きまくり、RCに抱かれて泣きながら眠ったら朝になってた。
朝、新聞で訃報を見たらまた泣けた。
今日、GWの高円寺は、なにかのお祭りでとても賑やかで、明るい笑いに満ちていた。
それを見てるとせつなくなって、
この街すら喪に服さないのなら、もう高円寺は引っ越そうと思った。


夜、「タコス」にやって来たバーボンに、「中通りは今日はずっとRC鳴りまくりでしたよ」と聞いて
ああ、高円寺も捨てたもんじゃなかったとほっとした。
そうじゃなきゃね。
まだしばらくここにいようかな。悪くないかもしれない。

5月9日13時から青山葬儀所で告別式。
最期のお別れだ。
まだ「ありがとう」も「おつかれさま」もよう言わん。そこまで想像できないんだ。


世界にあなたがいなくなって
その新しい世界に残されて、わたしはわたしで生き続けていくのはなかなか微妙です。
生きていくのはそういうもんだとわかってはいても、微妙に感じるのに変わりはありません。それに慣れていくのももういやかな。
わたしの大好きな人たちが、猫たちが、死んだりすることのない世界に、
お別れのない世界に行きたい。
……
なんて言ったら、怒るかな、キヨちゃん。
いいえ、きっと怒らない。
「愛しあってるかーい」とファンキーにシャウトしてくれるはずだ。

あなたが世界を素敵な色にしてくれました。
どうもありがとう。

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