それが事実であるがゆえに、ニュースは最高におもしろい。
そこからドラマを読み取るのは、あなたなのかもしれません。
OLコンビ転身、住宅街の銭湯切り盛り あったか笑顔
東京都杉並区の閑静な住宅街に、若い女性コンビが切り盛りする銭湯がある。(井上恵一朗)
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銭湯は好き。
最初の記憶はたぶん3歳か、もっと前だ。
熊本の銭湯の記憶。強烈なニオイのする白濁したクスリ湯に、祖母が好んで入っている。
……しかし、1歳のときに、わたしは熊本から引っ越しているのだけど。はてな。
なぜだか幼年の記憶力はめっぽういい。
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学生時代は、原チャリで行かなきゃならないところにしか、銭湯はなかった。
それでも女子寮の風呂が日曜日にお休みになるものだから、遠くまで出かけた。
同和地区にある銭湯は、よその4分の1くらいで入れたから、ときどきお邪魔した。
当時200円くらいの入湯料が一般なら、そこは50円だった。
混みようったらなかったな。芋洗い状態。ありがたかったな。
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もう一軒、太子の小路寮近辺の、「めちゃめちゃ風呂」と呼ばれていた銭湯は、閑散としていた。
あまりにボロイ。しかも暗い。
シャワーなんてない。
壁の隙間が大きく空いていて、男湯がしっかり見えた(ということは、あちらからもちゃんと見える)。
明治から続いている銭湯らしかったが、当時、「もうじき廃業」。
「最終日は名誉にかけて混浴にする。警察なんてこわないで」と大将が言ってたのを聞いた。最終日は行かなかった。
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京都時代は、薬草風呂のある銭湯が近所にあって、
いつもあたり一面薬草の匂いが充満している。
入ると翌日一日中、からだから薬草の匂いがした。大好きだったな。
お湯は黒に近い茶色。
女湯の常連客の派閥があって、なかなか凄まじかった。
番を張ってた「Aさん」は、学生時代のバイト先の食堂のおかあさんと体格も顔もクリソツだった。
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線路脇に住んでた大阪・京橋、文化住宅時代は、徒歩30歩で銭湯。
水風呂が好きだったので、「えらい狭い浴槽やわ」と思いながら、水風呂で震えていたら
「お客さん、それは上がり湯」と、銭湯の主に釘を刺された。非常に恥ずかしかった。
ハダカでいるときに、服を着た人に注意されるのって、ちょっと屈辱的だ。
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狭さで思い出すのは、天五時代の銭湯の露天。
天五は、自宅兼仕事場から、徒歩3分圏内に銭湯が2軒あった。
内風呂が、「仕事場にシャワーをつけただけ」だったから、よくお世話になった。
気に入っていたほうは、なかなか広い銭湯で、サウナもあって、わりと充実していた。
そこのお風呂場の奧。扉を開けると、浴槽も含んで1メートル四方の空間があった。
上を見上げると、天井がなかった。「露天風呂」と看板が掲げてある。
シャレ?
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よく湯あたりする。
もとより貧血なんて縁がないのだが、つい浸かりすぎる。
気持ちいいと気持ち悪いの、加減がよくわからない。
考え事をしたらアウトだし、話し込んだら出ら機会を逸するし、
で、ようやく出て、脱衣場でしゃがみこんで立てなくなること、多数。
銭湯も、温泉も、湯あたりするのにかわりはない。
それでも気持ちよくて、また行きたくなる。
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思えば入湯料はずいぶん高くなった。今、400円。
現在は徒歩5分のところに銭湯がある。
ときどき湯あたりしながら、楽しく利用させていただいている。
使い捨てコンタクトをするようになって、銭湯はいっそう楽しくなった。
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今日は冬至。柚子風呂やってるだろうな、ぜったいに。