世界一になるために

2008年8月28日 (木)

世界一になるために。エース上野、1日で318球

/2008年8月21日朝日iモード

 

「世界一になるために、世界一の練習を積んできた」
上野選手のこの言葉にしびれた。
この記事を見たとたん、泣けてきた。
記事の予測通り(というか、ほかの選択肢はほぼないけれど)
彼女は翌日の決勝でも完投し、ご存じの通り、日本の女子ソフトボールは優勝した。
あまりにきれいな風景で、
わたしは準決勝も決勝の試合も見ちゃいないけれど
文字を追うだけで充分泣けちゃうのだ。

小学校3年だか、4年だかの、習字で書いた文字。
「努力」という言葉が大嫌いだった。
「努力しろ」といわれるのは問答無用でいやだったし、
「努力しています」というのは最高にかっこ悪いと思ったし
「努力しよう」と思うのは、ばっかじゃないの、くらいに思っていた。
言葉にする前に、やることが山のようにあるでしょうよ。そんな感じだ。
「努力」って、なんだか美辞麗句のように思えてしまって……ただ天の邪鬼かもしれない。
でも、かっこ悪いのはいやなんだなぁ(これ以上なりふり構わずで、どうする!?)。

そんな言葉とぜんぜん関係のないところで
好きなことは好きなだけやるし、誰にいわれなくともやり続けるだろうし、
それは「続けよう」と意気込むことではなく、日々の連続の単なる結果だし、
自分ができないことを「悔しい」と思ったら、できるまで、納得するまで、やるだけだ。
それを「努力」というのは、少し違うと感じていた。

それは今も、感じている。

だって、当たり前のことだから。
たぶん、ものごとはもっとシンプルだ。
ただ今よりもっと高いところに、深いところに、遠いところに、行きたいだけ。
「今日見えなかった風景を、明日は見たい」。それだけだし、それを望んだのも自分だ。

本気で見たいと思うなら、やらなければならないことをやるだけだ。

なんだってそうだろう。

たぶん、誰だってそうだろう。

せめて。

「見たい、見たい、見たい、見た行ったら、見た~い!!! 」と、はやる気持ちは世界一でありたいものよ。

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