それが事実であるがゆえに、ニュースは最高におもしろい。
そこからドラマを読み取るのは、あなたなのかもしれません。
世界一になるために。エース上野、1日で318球
/2008年8月21日朝日iモード
「世界一になるために、世界一の練習を積んできた」
上野選手のこの言葉にしびれた。
この記事を見たとたん、泣けてきた。
記事の予測通り(というか、ほかの選択肢はほぼないけれど)
彼女は翌日の決勝でも完投し、ご存じの通り、日本の女子ソフトボールは優勝した。
あまりにきれいな風景で、
わたしは準決勝も決勝の試合も見ちゃいないけれど
文字を追うだけで充分泣けちゃうのだ。
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小学校3年だか、4年だかの、習字で書いた文字。
「努力」という言葉が大嫌いだった。
「努力しろ」といわれるのは問答無用でいやだったし、
「努力しています」というのは最高にかっこ悪いと思ったし
「努力しよう」と思うのは、ばっかじゃないの、くらいに思っていた。
言葉にする前に、やることが山のようにあるでしょうよ。そんな感じだ。
「努力」って、なんだか美辞麗句のように思えてしまって……ただ天の邪鬼かもしれない。
でも、かっこ悪いのはいやなんだなぁ(これ以上なりふり構わずで、どうする!?)。
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そんな言葉とぜんぜん関係のないところで
好きなことは好きなだけやるし、誰にいわれなくともやり続けるだろうし、
それは「続けよう」と意気込むことではなく、日々の連続の単なる結果だし、
自分ができないことを「悔しい」と思ったら、できるまで、納得するまで、やるだけだ。
それを「努力」というのは、少し違うと感じていた。
それは今も、感じている。
だって、当たり前のことだから。
たぶん、ものごとはもっとシンプルだ。
ただ今よりもっと高いところに、深いところに、遠いところに、行きたいだけ。
「今日見えなかった風景を、明日は見たい」。それだけだし、それを望んだのも自分だ。
本気で見たいと思うなら、やらなければならないことをやるだけだ。
なんだってそうだろう。
たぶん、誰だってそうだろう。
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せめて。
「見たい、見たい、見たい、見た行ったら、見た~い!!! 」と、はやる気持ちは世界一でありたいものよ。
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