そのとき、なにができるのか

2008年6月11日 (水)

惨劇の交差点 居合わせた医師、必死で救護

東京・秋葉原の無差別殺傷事件現場で、被害者を必死に手当てした医師2人が、緊迫した当時の… /2008年6月11日(水) 朝日iモード

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太平洋戦争中には言論弾圧が行われた。当局の厳しい弾圧(発禁・削除・逮捕)に遭い、多くの文学者が、政府の統制にのせられるかたちで、戦争協力の文学を発表していく。
もしも自分がその場にいたら、
逮捕される危険があっても、きちんと言いたいことを言い続けられるのか、自分にその強さがあるのか。
高校生時分はそんなことばかりぼんやり考えていた。
だって権力や恐怖に負けて、思ってもいないのに戦争賛辞の作品を書き上げて、
そのせいでたくさんの人が死んで、やがて戦争が終わって自分は生きながらえて、
反省の気分をこめて山へこもって「山からの手紙」なんて書くのは、あまりにも見苦しく感じた。
けれども本当に責める権利は、わたしにはないのもわかっていた。
恐怖を味わったことはなく、自らの強さを知るわけでもないから。

いつの時代にあっても、自分にできることを最善のかたちでできればいいと思う。
先日の秋葉原の事件はあまりに陰鬱な事件だ。
けれど凄惨な事件現場で、自分のできることを精一杯やっていた人がいたのかと思うと
それだけでもう、胸が熱くなってしまって、泣けてきた。

べつに、自分のやっている仕事を、事件でいかせというわけではない。
今できる最善のことを、的確に行える、そういう強さを持ち続けたいと思うのだ。
みんながパニックになっているような現場で、わたしはそういうことができるかしら。