在りし日の熊本城
本丸前(熊本城公式サイトより)
1607年、清正公さん(せいしょこさん)こと加藤清正築城。
西南戦争の戦場となったことでも知られる。西郷さんに
「おいどんは官軍に負けたとじゃなか。清正公に負けたとでごわす」
と言わしめた、それは堅牢なお城。日本三大名城のひとつでもある。
その熊本城が、熊本地震で甚大な被害を受けた。
熊本城は石垣修復に350億円(文化庁試算)建造物の被害状況はまだわからないそう。
復旧には20年かかるのではないかといわれている一方で
先日出席した、「第1回 九州魅力発掘大賞 表彰式」では
「20年と言われるのなら、10年でやりとげたい」という力強い声を聞いた。
熊本城の観光ボランティアガイドである「くまもとよかとこ案内人の会」吉村徹夫会長だった。
「実は熊本城は被災と復旧を繰り返してここまで来た。
江戸時代には地震で3回、風水害で6回被害を受けて、
そのたび清正公さんの建てた通りに修復している。
江戸時代から大切に保存してきたからこそ、現在の熊本城がある。
今回の地震で大きな被害を受けてしまったが
先人に恥じないように、私達も清正公の熊本城を守り、しっかり修復していきたい。
そして力強くここから復活していく熊本城を、たくさんの人に見てほしい。
私達が心をこめて、その修復する過程をしっかりガイドをするから」と、吉村会長。
熊本城公式HP ※一口城主制度の詳細あり(リンク)
くまもとよかとこ案内人の会(リンク)
※無料だが、ガイドの交通費2000円は必要。3日前までに要予約
熊本県への義援金一覧(熊本県公式サイトより)(リンク)
表彰式の会場のモニターで、傷ついた熊本城が映し出されるのを見て泣けた。
熊本地震のニュースで、大怪我をした熊本城の映像が映し出されると、そのたび涙腺崩壊。
何度見ても泣けてきちゃうことに、はじめは自分でも驚いていた。
私自身も熊本出身だが、家族の中でも、私が実際に熊本に住んだのは生後1年間だけ。
各地を転々として育っているので、故郷と呼べる場所はない。
1年しか住んでいないから、「熊本出身」というのも気恥ずかしいような、後ろめたいような。
なのに、はからずも今回の地震で、自分の中に流れる熊本の血を、強く意識することになった。
震災の被害映像を見るとつらさや苦しさを感じるのはみんなそうだと思う。
東北の地震のときもそうだった。TVを直視できなくなる。
でも、それともちょっと違って、体の奥がえぐられるような痛みに近い。
その痛みについて、実家の母(熊本出身・大分在住)に尋ねてみたら、当たり前だと言われた。
「熊本城は私達の象徴だもの」そんなことを言った。
熊本城が自分のアイデンティティになっている、それならわかる。
父も母もお城とともに暮らしてきた人だし、
兄は婚姻のときに決める本籍地を、熊本城の住所にしたような人だし。
自分は1年しかいなかったので、そんなに縁深くはないと思っていたけれど
どうやらそんな問題ではなかったことに半世紀経って気づいた。
先の吉村会長の話を聞きながら、泣けるのをぐっと我慢していた。
そう。熊本はきっと蘇る。かならず元気になる。
そしてお城も、きっと大怪我から立ち直る!
そういえば、東京に来たとき、「清正公前」という交差点の看板を見て驚喜した。
「せいしょこさん、東京にも名前が残ってるなんて、すごーい!!!」
今年のぼした祭り(「藤崎八旛宮秋季例大祭」)は開催されるだろうか。
こんな時だからこそ開催されるといいな。
目黒雅叙園(東京・目黒)の東京都有形文化財・百段階段で 2014年11月21日(金)から
「ダウン症の天才書家 金澤翔子×百段階段 ~共に生きる~」が始まりました。
一般公開に先駆けて、直前にプレス発表会があり、参加したのでレポートします。