それが事実であるがゆえに、ニュースは最高におもしろい。
そこからドラマを読み取るのは、あなたなのかもしれません。
在りし日の熊本城
本丸前(熊本城公式サイトより)
1607年、清正公さん(せいしょこさん)こと加藤清正築城。
西南戦争の戦場となったことでも知られる。西郷さんに
「おいどんは官軍に負けたとじゃなか。清正公に負けたとでごわす」
と言わしめた、それは堅牢なお城。日本三大名城のひとつでもある。
その熊本城が、熊本地震で甚大な被害を受けた。
熊本城は石垣修復に350億円(文化庁試算)建造物の被害状況はまだわからないそう。
復旧には20年かかるのではないかといわれている一方で
先日出席した、「第1回 九州魅力発掘大賞 表彰式」では
「20年と言われるのなら、10年でやりとげたい」という力強い声を聞いた。
熊本城の観光ボランティアガイドである「くまもとよかとこ案内人の会」吉村徹夫会長だった。
「実は熊本城は被災と復旧を繰り返してここまで来た。
江戸時代には地震で3回、風水害で6回被害を受けて、
そのたび清正公さんの建てた通りに修復している。
江戸時代から大切に保存してきたからこそ、現在の熊本城がある。
今回の地震で大きな被害を受けてしまったが
先人に恥じないように、私達も清正公の熊本城を守り、しっかり修復していきたい。
そして力強くここから復活していく熊本城を、たくさんの人に見てほしい。
私達が心をこめて、その修復する過程をしっかりガイドをするから」と、吉村会長。
熊本城公式HP ※一口城主制度の詳細あり(リンク)
くまもとよかとこ案内人の会(リンク)
※無料だが、ガイドの交通費2000円は必要。3日前までに要予約
熊本県への義援金一覧(熊本県公式サイトより)(リンク)
表彰式の会場のモニターで、傷ついた熊本城が映し出されるのを見て泣けた。
熊本地震のニュースで、大怪我をした熊本城の映像が映し出されると、そのたび涙腺崩壊。
何度見ても泣けてきちゃうことに、はじめは自分でも驚いていた。
私自身も熊本出身だが、家族の中でも、私が実際に熊本に住んだのは生後1年間だけ。
各地を転々として育っているので、故郷と呼べる場所はない。
1年しか住んでいないから、「熊本出身」というのも気恥ずかしいような、後ろめたいような。
なのに、はからずも今回の地震で、自分の中に流れる熊本の血を、強く意識することになった。
震災の被害映像を見るとつらさや苦しさを感じるのはみんなそうだと思う。
東北の地震のときもそうだった。TVを直視できなくなる。
でも、それともちょっと違って、体の奥がえぐられるような痛みに近い。
その痛みについて、実家の母(熊本出身・大分在住)に尋ねてみたら、当たり前だと言われた。
「熊本城は私達の象徴だもの」そんなことを言った。
熊本城が自分のアイデンティティになっている、それならわかる。
父も母もお城とともに暮らしてきた人だし、
兄は婚姻のときに決める本籍地を、熊本城の住所にしたような人だし。
自分は1年しかいなかったので、そんなに縁深くはないと思っていたけれど
どうやらそんな問題ではなかったことに半世紀経って気づいた。
先の吉村会長の話を聞きながら、泣けるのをぐっと我慢していた。
そう。熊本はきっと蘇る。かならず元気になる。
そしてお城も、きっと大怪我から立ち直る!
そういえば、東京に来たとき、「清正公前」という交差点の看板を見て驚喜した。
「せいしょこさん、東京にも名前が残ってるなんて、すごーい!!!」
今年のぼした祭り(「藤崎八旛宮秋季例大祭」)は開催されるだろうか。
こんな時だからこそ開催されるといいな。
今の部屋に住んでもうすぐ3年。
リビングキッチン床のワックスが黒ずんで見えるのが気になっていた。
年末に自分でワックス掛けしてみたものの、黒ずみ問題が気になる。
とれかけとか、そういう問題じゃなくて、なんだかワックス自体が気になってきた。
「床にはワックスかけるもの」って、ふつうみたいだけど、そんなんでいいんだろうか。
ワックスなんて、学校の教室でしか馴染みがなく、実家で使ったこともない。
そういえば子どもの頃、床に椿の実の油とかすり込んでいたことがあったっけなぁ。
昔の日本家屋はどうしていたんだろう。大名屋敷とか。
キッチンだから、できるなら調理のたびごとにガーッと水拭きしたいけど
ワックスだとままならない(気がする)。
はずみで床に落ちた食材を、拾って洗って口にしても平気なものかどうかも気になる。
ちょっと水拭きしたら、拭けば拭くほどほどぞうきんが真っ黒になってがっかりする……。
スリッパで歩くときにぺったんぺったんする……。裸足で歩きたくない。
新しく塗り直すのがいいのか、でもな、どっちにしてもなんか気持ち悪い。
安全なワックスを探していたら蜜蝋ワックスにたどりつき
ケミカルはいったんオフしなければいけないと知り、
晴れてワックスはがすことにした。
これでもやもやから解放されて、裸足で心地よい床になる!
使ったのはこちら。レビューを読んだら、初心者にもできそうだったので。
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YouTubeにワックスはがしの動画もあったので、それも参考にしながらやってみた。
上の商品はスポンジ付きなのが便利だった。
用意したものは、
バケツに水……落としたあと、ぞうきんで3回水拭きらしいので
ぞうきん…… 〃
ナイロンたわし……付属スポンジではがれるかが不安だったので
ペーパータオル……なんとなく(後述のヘラを使ってからはマストアイテム。新聞紙でもいい)
☆あとですぐ、ヘラを購入(後述)
「1平方メートルずつを目安に。一度にたくさんやりすぎないこと」と書いてあったけど。
液体の渇き方が均一になった状態のほうが良さそうなので、
実際には50㎝2くらいずつやるのがおすすめ。
まあ、気に入らなかったらあとで何度でもトライすればいいのだ、のんきにいきましょう。
ビフォアアフターはこんな感じ。向かって右がオフした床。
オフしたら床が白いのにびっくり。
1回トライしてから、やはりヘラがあったほうが断然便利と気づき、
その日の夜、密林でポチしたのがこちら。
https://amzn.to/2GUQKtW
このヘラ、素晴らしかったです。翌日、これが届いてから、圧倒的に作業効率が上がり、俄然楽しくなりました。
カーボン製で丈夫。壊れないし、床も傷つきにくいみたい。
一応一巡してはがし終えたけれど、トータルで見ると
完璧ではないところがあるので、あとでゆっくり細部を仕上げる(はがす)つもり。
ついでに、食卓にしているお膳のワックスも気になってきたので、
これもはがしにかかっているところ(まだ剥離剤はなくならない!)。
今のところは床が気持ち良くて気持ち良くて、
このままでもいいんじゃないかとすら思っているところだけど
細部もきれいにはがせたら、これ塗ります。購入済み。
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木製の食器にも使える安心素材らしいです。
のんびりぬりぬりするのも楽しそう。
こちらの蜜ろうワックス、種類があるので、よく読んで選んでください。
これで落としたものも平気で食べられます……。
WEBで調べてもデータが探せず困ったので
自分の場合を残しておきます。誰かのお役に立ちますように。
発病して10ヵ月経ち、今はずいぶん元気ですからご心配なく!
2015年6月のこと。
「なんだか寝違えちゃったみたい」
首の違和感を感じて、仕事中にストレッチを繰り返す日が2、3日続いた。
その“寝違い”は治らず、50歳の誕生日の前日、激痛とともに上半身がみるみる動かなくなっていった。
首が痛い、頭が痛い、後頭部が激痛。左耳が痛い。だんだん聞こえなくなってくる。唾を飲み込むのも痛い。
19時ごろ、「体調が悪いので早引きします」といって早退したものの、
駅に向かう徒歩5分の道のりを歩くのに30分かかった。
一晩寝て休養して、明日に備える予定だったのだが、帰宅した時点でそんな悠長なことを言っておれない状態になったので
夫に付き添ってもらいそのまま救急病院へ。
到着したら車いすに乗せてもらい診察室に入った。
じつはここ半年くらい、いつもの頭痛(ほぼ前頭葉)とぜんぜん違うところが時折痛むのに気づいていた。
後頭部に鋭い痛みが走ることがたまにあったが、多くは瞬間に通り過ぎた。
だから今回のは「きっと脳かな。脳って、ダメージを受けた場所がきれいに画像にあらわれるものかしら」とぼんやり思っていた。
医師に、動作のひとつひとつ(できるかできないか)、感じるのか感じないのか、しゃべれるのか、しゃべれないのかを確認されるのだが
痛みでだんだん気が遠のいていく。
「痛みでできないのか、その動作そのものができないのか、大事なことなんだ!!」と先生に叱られようとも、力が入らない、もう無理…。
CTに連れていかれたときに、「これじゃ見つかりっこない」と思っていた。
MRIじゃないとむりっぽい気がする。
それにしても、CTの検査を受けながら、技師に「横向いて」「うつぶせて」と言われるのだが、
体がもうまったく動かせない。悔しくて涙が出た。
診察室に戻ると、医師に「クラウンデンス症候群でしょう」と告げられた。知らない名前だ。
頸椎1番・2番、すなわち環椎・軸椎のトラブルで、これらが石灰化を引き起こし、炎症を起こしていること。
CTだかレントゲンの写真を見ると、説明されたとおり、軸椎の歯突起の上に、クラウンが被さっていた。
またの名を「環軸関節偽痛風」。
頸椎にはほかにも骨棘(こっしょう)も多くあり様々に炎症を起こしていることなどの説明を受けた。
(後日肩の筋肉中にも石灰化したもの(骨棘?)が天の川状に散らばっていることが判明)
そういえば夫も、肩先で石灰化したヤツが神経にいたずらして、苦しんでいたことがあったっけ。
彼の場合は石灰化した部分を粉砕したら嘘のように治った。
「この痛みを治すには?」と医師に尋ねたら
「場所が場所だけに、石灰化した異変を粉砕することはできない。
痛み止めの点滴をしたあとでロキソニンを出します」と医師。
言われた瞬間に私がにらんだのを感じたのか即座に
「いえ、ロキソニンといっても、クラウンデンツ症候群の場合は、炎症を止める作用があるんです。
ただの痛み止めとして使うわけではありません」とエクスキューズが入った。
点滴の効果もあるだろうけど、処方されたロキソニンもよく効いて
とにもかくにも翌、50歳の誕生日の朝、起きあがることができて
頸椎固定装具(首輪みたいなやつ)をつけて出社することができた。前日のことを思えば奇跡! 不思議な感覚だった。
「健康がテーマの50歳かもしらん」と思った。
それにしても想定外の病気になっちゃうもんだ。それも突然に。
どうやら高齢の女性に多く見られるらしい。……もしかして、もう高齢者の仲間入り!?
いろいろ調べて、「歯突起の周りに、ピロリン酸カルシウムがたまって起きる」という
クラウンデンス症候群のメカニズムはわかっても
なぜピロちゃんが溜まるのかはよくわからないらしい。
とはいえ、以前と同じ事をしていて、またなってしまえば元も子もないので
わからないなりに、なにか改善しなければ……ということで、改善したのが以下5つ。
1 イスに座っての仕事をやめ、完全スタンディングに変えた
2 夜眠るときの枕をものすごく薄いものにした(2㎝くらいの低反発、腕用枕を頭に代用)
出張時などは、タオルを4つ折りにして使用。バスタオルは厚すぎてだめ。
3 うつぶせ寝を改めた(極力しないように心がけている。それまではうつぶせ寝だった)
4 夜、横を向く方向を変えた(左向きに寝ていたのを、右向きに。痛みがあったのが左側だったので)
5 校正紙は壁に貼って読むことがある(下向き続きを避けるため)
できるだけ、筋肉のこわばりをとろうと思うんだけど、なかなか難しい。
NG姿勢は、腹ばいと俯せ。
元気なときから、首を曲げるのは痛いので苦手だったけど、今はそれが顕著になった感じ。
もともと弱かった部分に症状が起きるとうことなんだろうか。
なにかあれば、また報告します。
へんな寝違え感が発作の前兆だから、前兆が出た瞬間にロキソニンで押さえつけていたら
ほぼ半年たって、様子がおかしくて不安になるのは月に一度くらいに減ってきた。
よしよし。
肉体的な疲れが溜まると前兆がくるので、関係がありそうと、言えなくもない(超仮定)。
同じ姿勢をとり続けて負担をかけないようにすれば、
大丈夫、うまくつきあえるのではないかと思っている。
ただ、ロキソニンは飲み過ぎたらダメ。恐くてつい飲みたくなるけど
「ロキソニン」「副作用」を検索したら、きっとげんなりすると思う。
薬に頼らない努力をしていきたい。
WEB検索してもクラウンデンス症候群(偽痛風)のデータはわずかだったので私のベースを少し残しておきます。
早くちゃんと治療や対策ができるようになるといいなぁ。
・小学生から肩こりのひどい子ども。
・肩こりが高じて、十代の後半は肩に画鋲が入っているような鋭い痛みあり。
⇒今にして思えば、あれはすでに骨棘が散らばっていたせいなのか(あくまで想像)。
・二十代前半で、肩の痛み・凝りの感覚が麻痺
・首の骨を鳴らすのが大好きで、しょっちゅうやっていた(ここ15年くらいはしなくなっていたが、バキバキはダメだったんだろうなぁ。「首を鳴らすと脳波がゼロになってよ!」という都市伝説があったが、違うな。骨が摩耗しちゃうんだ、きっと)
・二十代後半、足のしびれで受診し、頸椎・腰椎の異常で麻痺が起きていると医師に指摘され、
治療の「けん引」で気分が悪くなり、治療から脱落。
以降、指圧、整体、マッサージ、カイロ、鍼灸ほか、さまざまな治療を試して、今はTDEのエネルギーワークに落ち着く。
・関係あるのかないのか、右足首だけが腫れ上がるのが続いていた(結局これは足首のガングリオンだった)。
偶然併発なのか?
右足首はまったくまわらなくなっていたけど。
何が関係していて、関係していないのか、まったくわかんないなー。
盛況のうちに無事終了いたしました。
都合をつけてお運びいただいたみなさん、
TwitterやFBでリツイートやシェアで情報拡散してくださったみなさん、
どうもありがとうございました。
今回は、健さんの現在のバンド3つが1日に集結するという
夢のイベントでした。いつか見てみたいと心の中では思っていたものの
こんなにはやく実現しちゃうなんて、びっくりです。
50歳で、夢のようなライブで歌いまくれて、たくさんの人に見ていただけて
健さんもうれしいやろなぁと思います。
関係ありませんが、個人的な反省点としては
1 映像撮り忘れた
2 音源も録ってない
3 写真がほとんど失敗した
(>_<)
まあいい。次に期待しましょう。
次? 中野サンプラザあたりをイメージしています。個人的に。
というわけで、ほとんどない写真から、撮って出しです。
SHOWBOATのウェルカムボード。
愛を感じました。いいチラシ、いいボード。
(屋外・静物は撮れてます、さすがに)
前座のスマイル兄弟。
いつもは飲み屋とかバーとかで小さくやるので
なんだか晴れ舞台ぽかったです。
というのもたくさんの方に、前座からお越しいただけまして。
ミサイルのボツ曲(女々しい曲とか、メロウなヤツとか)を歌いますが
これがいいんです。
わかる人にはわかる。
「ヘリコプターが頭の中を飛んでる」とこですね。
地獄の黙示録的……。
ゲストのDISCO20000はエッジが効いててさすがのステージ。
笑うに笑えないシュールなシーンも続出。
でもごめんなさい。写真撮れていませんでした。みやちゃん、許してください。
DISCO20000の恒例イベント「ミヤコピア2015」は8月30日(日)。
東京高円寺阿波おどりとかぶってますから、阿波おどりに来る方は
SHOWBOATへも寄ってください。
ミサイルカウンターで見てましたが
後ろのほうでは、踊りまくっている中年カップルがいて、とてもHAPPYでした。
ミサイルカウンターからは、左端・奥が定位置の、リーダー(ベース)が死角。
辛うじて画角に入ったのがこちら。
いやもうほんとに、素敵なダンスバンド(ソウルバンド、ていわなきゃだめかな)。
みんなかっこいいねー。
で、ポーキーズとミサイルが、そのまま続いたのに、結構びっくり。
やるじゃないか、健さん。
ミサイル兄弟はこの日、ロッキーのテーマではなく
イデさんボーカルでトリオでやる「キャットフィッシュ」からスタート。
いきなりシビれました。
で、健さん登場。「抱きつきたい」などのお馴染みのナンバーも。
メンバー不動でもうすぐ結成20年。
グルーブ感と、しみてくる歌詞と、ダサカッコイイ感じ。
あえて「ダサ」つけましたけど、初めて見たときから今までずっと
見るたび「カッケー!」と思ってます、ミサイル兄弟。
たたずまいがよろしい。
イデさん(ギター)、跳んでたなぁ。めっさカッコよかった!
ところで、
今はなき、パル音楽スタジオの吉田ママも駆けつけてくださいました。
この方がいなければ、ミサイル兄弟の1stCDは世に出ませんでした。
この日は1stのジャケットをはじめとしたADを担当した鬼山くんや
ミサイル兄弟の公式フォトグラファー(!?)の近藤くんもご子息と共にご来場。
古くからの健さんのダチです。
お客さんはもちろんですが、いろんな人たちに支えていただいてのもうすぐ20年。
ありがたいねぇ。
高円寺の猛獣使い、高円寺SHOW BOAT遠田亜希子店長ことおんちゃん。
クセのあるバンドマンたちと渡り合うのはたいへんだろうと思うんですが、
どこ吹く風で、いつも温かく見守ってくれます。
今回の無謀なプランも、ふたつ返事でのってくれたそうな。
フライヤーはおんちゃんがデザインしてくれました。
愛にあふれたフライヤー。ありがとう、高円寺SHOW BOAT!
めちゃめちゃ楽しかったです。
ちなみに、ミヤコピアの翌日8月31日(日)は、新高円寺UFO CLUBで
夏の終わりのミサイル兄弟ライブです。
ポーキーズは9月23日に吉祥寺で。
最新情報はツイッターでどうぞ(←自慢のiPhone6からお届けしています)。
https://twitter.com/missilebros
5月のことだ。品川シーズンテラスへ開業以前に取材で伺ったとき
スタンディングオフィスワークのレイアウト提案があり、心惹かれた。
(今さら、ですかね)
スタンディングワークスタイルは、座りっぱなしよりも健康にいいらしく
欧米ではずいぶん浸透しているという。
やったはいいけれど「やっぱり性にあわなかった」、なんてことを考えると
専用のデスクを買うのもためらわれるし、それなりに高価だし、
カウンターテーブル的であまり広くないのも気になる……。
サイトでいろいろ調べてみると、今のデスクに小さなテーブルをのせるだけで
簡易なものができるらしい。
カギは肘の角度と、PCの画面の角度らしい。
肘はほぼ90度がもっとも負担が少なくて
PCは…たしか20度見下げるくらいだそうだ。
ここにフラストレーションがあると、移行のハードルが上がってしまう。
「やってみようかなー」と思いつくとすぐできるのは
小さな会社ならではだ。
自宅から小さいテーブルとブロックを運んできて、デスクの上に置いたら、
高さぴったりのスタンディングデスクが完成した。
愉快なスタンディングデスク、プライス0円。
なかなかいい。
【メリット】
○首がラクになった(そもそものきっかけはこれ。衝撃の故障…詳細はまた今度)。
○集中しやすい(食後も、夕方の逢魔が時も眠くなりにくい)
○動きやすい(ピンポーン♪、「はーい」がやりやすい。「よっこらしょ」が消滅した)
○机の面積が広くなった(二段ベッド的に)。
○呑気性が改善した(想定外。夕方の腹部膨満感が圧倒的になくなった)
それもあって腹痛が減った。
○腹筋が少しついてきた。この分でウエスト絞るぞー。できる気がする。
○間食も減った。少食になった(「立って食べるのはお行儀悪い」というのが染みついて、食欲が減る。
間食以外も一回の食事量はやや少なくなってる)
○脚が疲れる(今まで上半身だけで動いていたので、「全身で働いてます」感が実にいい! )
○痩せた(1週間で1キロちょっと)
○座るよりも脚のむくみがマシ(むくむにはむくむ)
○なぜか普段が早歩きになるし、うちに帰ってからストレッチとかしちゃう。足が軽い!
○なんとなく前向きだ(アルマジロ姿勢にならないからかな)。姿勢の改善。
○家でも動きやすい(座って根っこが生えにくいというか)。
○夜、横になって5秒で眠れる。適度な疲労感。
【デメリット】
○立ち仕事に慣れていない人はかなりつらいかもしれない。
WEBでも「スタンディングワークはぜんぜん快適じゃなかった」人の体験談もあった。
はじめから無理は禁物と思ったものの、
性格上、途中で座ると移行できないんじゃないかと思い、私はいきなり通しでトライした。
初日から12時間とか14時間立ってるけど、できちゃったなぁ。
○最初は脚と腰がものすごく痛かった!
しかしおかげでほかの愁訴が全部飛んでしまう(これは素晴らしいと思った)。
日数が進むにつれ、痛みからただの疲労に変わる感じ。
若い頃、初めて書店で立ち仕事を経験したときは、足の裏やふくらはぎに
インドメタシン塗りたくってこなしていたけど、もはやそれほどでもない。
○座りつづけられなくなった。
こんなにすぐ退化するものなのか?
ものの2時間イスに座っているだけで、お尻がつらい!
○うちでは座ってやるので、その違いが少し微妙。
○周囲に驚かれる(これは3日で慣れてもらえる)
そもそもパターンを変えることに興味があるので、こういうことになっているのだが
まるで引越ししたみたいな気分転換だ。
目線の高さを変えるだけで、こうまでいろいろ変わるとは驚き。
大きな職場で働いている方は難しいでしょうけど
個人の方、小さな職場の方、いかがですか。なかなか楽しいですよ。
手作り感満載ですが、快適♪
股関節の様子が微妙になり、 2017年冬ごろ座り姿勢に戻りました。
この3月に夫が盲腸で入院したとき、
激低血圧(上70台・下40台)が発覚した。
本人は「ふつう」と言い張り、最初は一様に驚く医師たちも
「そうですか? 本当に大丈夫??」としぶしぶ納得するので
退院と同時に彼の体質改善を図ることを密かに誓った。
それまで朝食は食べていなかったので
「朝、お味噌汁とかスープだけでも飲んでみる?」と提案すると
「魚があれば朝ご飯を食べる」と意外な答えが。やる気じゃん。
それじゃあ、がんばって朝ご飯食べよう!
ついでに、昼ご飯もちゃんと食べられるように用意してみることにした。
それまで彼はカップラーメンとか、コンビニ系パンのお昼ご飯だったので
ご飯とおかずを用意するようにしてみたのだ。
朝ご飯のメニュー
玄米を超かるく一膳(ふつうの半膳くらい)
具だくさんのお味噌汁
魚or卵料理or肉料理 50g程度(焼き魚のときは大根おろし
ぬか漬け
リンゴヨーグルトorグレープフルーツヨーグルト(どちらもはちみつ入り)が基本。
朝ご飯を食べるために早起きするのも大変じゃないかと思うが
文句を言うこともなく、朝はごきげんで起きてくれるので助かる。
「あまちゃん」を見ながら、わりとゆっくり落ち着いて食べている。
小食だが、好き嫌いなくきれいに食べてくれる。食べ方が美しい。
作戦を遂行して2か月が過ぎた。
28日間は続けないと、効果は出ないだろうと踏んでいたけれど
効果はすぐあらわれた。
まず1週間で、夫がほぼお腹をこわさなくなった! スゴイ!
私は、お腹がゆるいのは、彼の個性だと思っていたのだが違っていた(申し訳ない)。
夫いわく、「ふつうにお通じがつくのは中学生以来」なんだそうだ。
つまり、30年ぶりということになる。
次に2週間して、盲腸の経過観察で病院に行ったら(手術じゃなく、薬で対応してもらっていた)
血圧は上が90、下が60台に戻っていた!! 素晴らしい!!
そのまま続けていて、ひと月過ぎたあたりに
夫の抜け毛が気にならなくなってきたのに気がついた!!! ブラボー!!!
年相応の薄毛だし、これも彼の個性だと思っていたのだが(申し訳ない)
…栄養失調だったのかもしれない。
栄養は、まず体に、ついで髪や爪にいくといわれるから
この線はありえる。
ところで少し前から、彼がビールの添加物でお腹を壊すのはわかっていた。
本を読んで気になったので
発泡酒をやめて、キリンの「一番搾り」みたいに
原材料:麦芽、ホップ
のものに限定して飲んでもらうようにしたら、
ビール由来の下痢は解消していた。
アルコール添加とかコーンスターチなんかに、きっちり反応する模様。
ほかに、カップラーメン由来の下痢も多数あることが判明。
これはかんすいへの反応だろう。
さらに牛脂でも下痢になることが判明(私も上等な霜降り肉の焼肉なら同様になる)。
牛肉30g程度ならセーフ。週末は牛しゃぶでどうなるかを実験しようと思う。
1か月くらいで、彼の体重は2キロ増。
健康診断でほかはオールマイティなのにいつも「低体重」と「低血圧」だけが引っかかっていた。
なんとか50キロまで、健全に到達させたいところだ。
体の反応があまりに素直で、とてもおもしろい。
健康的になっていくのが「すくすく」と音が聞こえるみたい。
今回のことで確実に、寿命が30年はのびたように思う。
あのままもしも盲腸にならなかったらと思うと恐ろしいけれど
彼の体はとても賢く、きっと次なる訴えに出ていたと思う(どう来たものかは気になる)。
今は体はごきげんさんだ。
体ってホントよくできている。
いちばんいい状況になるように、体自らが周りを引っ張って行くみたいだ。
十代の頃、大阪の千日前のプランタンの通りはさんでお向かいあたりに
陶器屋さんがあって、1個100円くらいの安いのが並んでいて
そこで購入したものだ。小鉢や小皿は1枚100円くらいで
角皿はそれでも600円で買えたように思う。30年前だけど。
ほかにもこのシリーズでいくつか買っている。
この青、波佐見っぽい。どうでしょう。
左は上の小鉢とは別の、小皿。
どの器も高台なし。フラットなので安定感がある。
底は滑らないように布目になっている(写真左上)。
手書き風……に見えるけれど、シール(という表現でいいかどうか)の模様。
作るとき、器の上に絵柄を置いてから焼き付ける。
効率のいい大量生産方法というわけだ。
2つを比べると、濃い・薄い、ハミダシ方など、柄がまったく同じでおもしろい。
(iPhone撮影の限界か。かなり歪んじゃう……)
で、こちらは手描きで、波佐見の永峰窯。
同じように見えるふたつの器の模様が、それぞれ細部が違っている。
たっぷりした大きさで、使い勝手がいい。
サラダを入れてよし、シチューやスープを入れてよしで出番が多い。
今日のお昼も、これに二色そぼろご飯を盛った。
ぽってりした縁がとくに好き。
ヘビーユースにもしっかり応えてくれている。
実はこれ、大阪の京橋時代(1990年くらい)の、大型ゴミの日の「出物」。
このときの収穫はすばらしく、今でも大事にしているものがほかにもある。
(素晴らしいのでまた後日!)
当時まだ大阪には、大型ゴミの日が月に一度あって
前日の夜には近所をまわって拾ってきたものだ。
先日は吉祥寺で「よろしければどうぞ」と書かれた食器が
飲食店の前に置かれていたのをいただいてきた。
多少汚れていたけれど、家に帰って本気出して磨いたら、
とても器量よしだった。
※波佐見? シールの小鉢 直径11㎝、小皿 直径11センチ
平皿 19㎝×24㎝
波佐見 永峰窯 ボウル 直径15㎝
あめ色といえば、ほかにあるうちのあめ色ちゃんがこちら。
出西窯の三.五寸皿で、ほぼ毎日ヘビーローテーションで使っている。
出西窯(しゅっさいがま)は、出雲への取材の帰り道に
フォトグラファーのなおちゃんの提案で寄り道したのだ。
出西窯には6連房の大きな登り窯があって
ちょうど運良く、伺ったのは年3~4回行われる窯焚きの日で、
作業の様子を拝見させていただけた。
出西窯がどんなに素晴らしいかは今度書く。
私は赤絵に反応する傾向があるけれど
それ以上に、あめ色の器には反応するようだ。
たまらない気持ちになる。
記憶をたどると、子どもの頃、うちに1枚だけあったあめ色のパン皿。
洋食器だったと思うが(今から思えば北欧あたりの)、
いただきものだかノベルティだかで、仲間はずれみたいに1枚だけあった。
たぶん洋食器だったと思う。
その色の美しさ、出自不明の気高さといったら!
いっしょに買ったのが青の切立小皿。
この青の、深い海のような美しさ。それから縁のフォルム。
とても使いやすいお気に入りだ。
ペアで買ったのをひとつ割ってしまったので、ひとつだけになったけれど
お味噌汁の味見をするとき、そしてお玉置きに、ほぼ毎日使っている。
お手塩として使うのにも、切立小皿は主張があってとても好き。
同じものにもう一度出会えたら、すぐ購入してペアにしてあげたい。
出西窯だからこそ、それも夢ではないことがうれしい。
買ったときから、青の切立小皿には、ちょっぴり焼きムラがあった。
時間が経って、なんだかいい感じになっている。
あばたもえくぼだろうか。
出西窯には、銘がない。
※三.五寸皿 出西窯 http://www.shussai.jp/
父は陶磁器が好きな人で、時々出張先で、自分の湯呑みだけ買ってくるようなことがあった。
これは、大学時代に帰省したとき
父に連れられて
小鹿田焼と小石原焼の里へ行ったときに買ってもらった飯碗。
どれか買ってあげると父に言われて、迷うことなくこれを選んだ。
この飴色に一目惚れだった。
なんていい色なんだろう。
眺めるたびにうっとりする。
買った時はもちろん、今も。ドキドキしちゃう色だ。
太陽光の下だとさらに表情豊かになる
麦芽糖の水飴みたいな、べっこう飴のような、
琥珀のような深い色。
光の加減で色が違って見える。
見た目よりも薄手だ。
使う時は少しだけ緊張する。
ご飯をよそうたびに、父のことを思い出す。
あの頃、思春期は、父とうまく喋れなかった。
あんなに早く亡くなるなら、もっともっとたくさん
喋っておくんだった。
10年後に父が死んでしまうなんて、夢にも思わなかったものだから。
ごめんね、おとうさん。
※直径12.5㎝ 小石原焼 實山窯
この色が好き、表情のある赤と、高台の紺のライン。
ザ・昭和な感じのフォルムは、ちょっとモダンな感じさえする。
縁はちょっと椿の花びらみたいな波形で繊細なのに、頑丈。
気軽に使え、スタッキングできる。
本当は縁は金色だったのが、使っているうちに金が剥げてしまった。
かすかに残っているのが上の写真。
無理もない。
実はこのうつわ、私よりもずっとセンパイなのだ。
おそらく60年近く経っているはず。
初めて一人暮らしを始めた高校時代に
実家からもってきたうつわ。
ものすごく好きだったので家を出るときにもらってきた。
煮物を入れても果物を入れても、ちょっとした汁物入れても悪くない。
今も現役で活躍している。
ひっくり返すと、「菓子問屋 橋本屋本店」とある。
祖母が熊本の新市街の電停前でお菓子屋さんを営んでいたときに、問屋さん?からいただいたものと思われる。
私はそこで生まれ落ちて、1歳には次の町(大分)に引っ越したが
祖母のお菓子屋さんの店先や壁やテーブル(簡単なものが食べられるようになっていた)やら、
寝かされていた部屋のことやら、隣が銭湯だったことやら、
公園の噴水がとてもきれいなことやら(生まれて初めて見るものだったから強烈だったのだ)
祖母の会話の端々がふと思い出される。
そういえば、ばあちゃんが亡くなったのは5月。35年前のことだ。
それにしても、ノベルティのようなものだろうに、
こんな目立たないところに名を刻むのかと思う。奥ゆかしい。
子どもの頃、こうした用途でいただく食器には、
側面に堂々とメーカー名が入れてあって、馴染めなかったものだけど
明らかに一線を画している。
そんなわけで祖母・母・娘と三代使われ続けて、いまだに第一線。
洗って伏せるときにはいつも懐かしい気持ちになる。
この子は、あと100年でも平気で活躍しそうなほど闊達に思える。
かわいい。
※直径11㎝